哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

ヘッセ『シッダールタ』(新潮文庫)

2006-08-31 04:10:00 | 
 美人ギタリストの村治佳織さんが薦めていた本で、「悟り」に関するヘッセの小説というので、気になって読んでみました。

 小説でありながら、主人公が最後に悟ったものというのは、結構池田さんの言葉と共通するように思いました。少し要約的に紹介します。



「高名な師に従い、真理をさがし求めることが真理に近づく方法であるかのように思えるが、実はさがし求めることによって、目標以外に何も見えていない、何ものも見出すことができない。
 見出すとは、自由であること、心を開いていること、目標を持たぬことである。


 未来はすでにそこにある。世界は瞬間瞬間に完全なのだ。いっさいの存在した生命、存在する生命、存在するであろう生命を同時的に見る可能性がある。そこではすべてが良く、完全で、梵である。存在するものは、私にはよいと見える。死は生と、罪は聖と、賢は愚と見える。」



 よく池田さんは「自分探し」を批判されますが、これは探す前に「自分」があることを前提としているからでした。どこかに自分があるとして、さがし求めることによって、目の前のものを見失っていることでは、ヘッセの文に同じかもしれません。


 そして、池田さんの言葉を追っている私たちにとっても、何かをさがし求めようとすることによって、かえって見失っていることもあるかもしれません。むしろ池田さんの考える態度のように、心を自由にして、考えていきたいものです。


3 コメント

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Unknown (Unknown)
2006-09-02 21:49:36
ヘッセの小説、インド宗教、論語、哲学、

考えるほど同じ所に収束するのが玄妙ですね。
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そうですね。 (miyurin)
2006-09-03 01:09:51
考えることにおいても、考えて行き着くところについても、とくに違いはないわけですね。
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Unknown (kounit)
2006-09-14 14:17:26
ヘッセはあまり読んでいないので、そのような小説があったとは知りませんでした。掲げられた文章を読むと、まさに日本の禅の書物に出てくるような内容ですね。ヘッセが日本人に愛読されたのはこうした東洋的な思想を持っていたからでしょうか。
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