『勝っても負けても 41歳からの哲学』の中に、たばこ規制について考えた文がありますが、この文は池田晶子さんにしては、ちょっと「らしくない」ところがあります。「若い女性の歩きたばこ・・・」とか「公共の場所での歩きたばこ絶対禁止」とか、犬を散歩させたりするからということもあってか、理よりも情が先走っている感がある文です。
ところで、たばこについて池田さんは昔は嗜んでいたそうで、健康第一主義のたばこ規制については違和感があることを書いておられます。「健康に生きる権利をいくら主張しても、人は死ぬときは死ぬ。そもそも生きるということがどういうことか考えたことがあるのか」と。
何となく、頭の良い人は自分や他人の健康を害することがわかっているから、たばこを吸わないと思っていたら、なんとあの養老孟司さんもヘビースモーカーなんですね。養老さんの言葉はもっと過激で、嫌煙権の横暴をファシズムのようにたとえられています。
池田さんや養老さんのたばこに対する言動を知ると、ちょっとたばこに対する嫌悪感も薄れてきました。
ところで、たばこについて池田さんは昔は嗜んでいたそうで、健康第一主義のたばこ規制については違和感があることを書いておられます。「健康に生きる権利をいくら主張しても、人は死ぬときは死ぬ。そもそも生きるということがどういうことか考えたことがあるのか」と。
何となく、頭の良い人は自分や他人の健康を害することがわかっているから、たばこを吸わないと思っていたら、なんとあの養老孟司さんもヘビースモーカーなんですね。養老さんの言葉はもっと過激で、嫌煙権の横暴をファシズムのようにたとえられています。
池田さんや養老さんのたばこに対する言動を知ると、ちょっとたばこに対する嫌悪感も薄れてきました。