池田晶子さんの週刊新潮連載「人間自身」今週号は、「絶対安全人生」という題でした。ポイントとなる文を要約しつつ抜粋します。
「生きている者は必ず死ぬ。先のことはわからない。これが人生における最大の当たり前、常識である。
ところが、多くの現代人はこれらの常識を認めようとせず、思わぬことが起こると、他人や社会のせいにする。しかし、人生が危険なものであるのは本来であって、社会のせいではない。」
話の発端は、公園で犬を放してはならないという規則についてで、池田さんは、「状況に応じて自由に善悪を判断すべきであって、規則に判断を委ねるべきではない」とも書いています。
いつものことですが、なぜか池田さんは犬に関する話になると、「らしくない」文章になってしまいます。「・・べきである」とか「・・べきではない」という言い方は、本来池田さんは意識的に避けているはずです。「・・すべき」という当為の言い方については、「一体誰が誰に命令しているのか?」というように、その一方的な押し付けた言い方を嫌います。なぜなら「考える人間が行動する」ということは、誰からかの命令を受けて無思慮に従うことではなく、自ら考えて行動することでしかないからです。
だから、上の文章では、「規則に判断を委ねるべきではない」ではなく、「規則に判断を委ねることで人生が安全になるのか、よく考えてみたらよい」というのが、池田さんらしい文章でしょう。
「生きている者は必ず死ぬ。先のことはわからない。これが人生における最大の当たり前、常識である。
ところが、多くの現代人はこれらの常識を認めようとせず、思わぬことが起こると、他人や社会のせいにする。しかし、人生が危険なものであるのは本来であって、社会のせいではない。」
話の発端は、公園で犬を放してはならないという規則についてで、池田さんは、「状況に応じて自由に善悪を判断すべきであって、規則に判断を委ねるべきではない」とも書いています。
いつものことですが、なぜか池田さんは犬に関する話になると、「らしくない」文章になってしまいます。「・・べきである」とか「・・べきではない」という言い方は、本来池田さんは意識的に避けているはずです。「・・すべき」という当為の言い方については、「一体誰が誰に命令しているのか?」というように、その一方的な押し付けた言い方を嫌います。なぜなら「考える人間が行動する」ということは、誰からかの命令を受けて無思慮に従うことではなく、自ら考えて行動することでしかないからです。
だから、上の文章では、「規則に判断を委ねるべきではない」ではなく、「規則に判断を委ねることで人生が安全になるのか、よく考えてみたらよい」というのが、池田さんらしい文章でしょう。