哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

ないものは愛せない(週刊新潮今週号の「人間自身」)

2006-06-04 07:32:30 | 哲学
 池田晶子さんの週刊新潮連載「人間自身」今週号は、「ないものは愛せない」という題でした。教育基本法改正の愛国心の話です。ポイントとなる文を要約しつつ抜粋します。

「わが国と郷土を愛する態度、とは何を言っているのか。国はネーションであり、郷土はカントリーであるなら、後者を愛する大事にするというのは理解できる。しかし前者を愛するのは不可能である。国家とは観念以外の何ものでもなく、現実のどこにも存在しないものである。存在しないものを。どうやって愛することができるだろうか。」


 これまでの国家に関する池田さんの考えを、例の愛国心の議論に当てはめたわけですね。上の文に続けて、「国を愛するとは何を愛することなのかと子供に問われたら、どう答えるつもりなのだろうか。」とも言っています。つまり抽象的な国家観念が形成できていない子供に「国を愛する」と言ってもわかるわけがない、というわけです。


 確かに「存在しないものを愛する」というのは、やや困難な気はしますが、実際にはその観念を頭の中に形成できていれば、その観念を象徴する具体的なものを通じて愛することは可能なのではないか、とも思います。今回の池田さんの文にも「人工的観念国家としてのアメリカの国家観」とありますが、例えばアメリカにおいては星条旗を神聖視するようにしていたと思います(かつてある現代美術家が、星条旗を冒涜した作品を作って問題になったりしました)。

 ですから日本においても、日の丸の旗とか、君が代の歌とか、憲法上日本国の象徴である天皇とか、具体的な存在を愛する、あるいは神聖視することに変えられていくのでしょう。そのようにすり替えられていって、本来の国家の観念を振り返ることもしなくなるのが問題である気がします。


 池田さんの文からちょっと離れますが、国家の観念とも関連して、他の国家との付き合い方ということになると、同じ島国である日本と英国は大変異なるという話をどこかで読みました。地理的には大陸のすぐ傍にある島国という状況はほとんど同じだし、国のまとまりとは異なるスコットランドやウェールズといった郷土愛的なところがあるのも日本と似ているようです。

 ところが、英国は世界に出て行き、大英帝国として長く君臨しました。なぜそのようなことができたかというと、英国は中世に大陸から侵略を受け、他民族に支配された歴史があるから、というのです。支配された経験があるから、逆に他国を支配したり付き合いをするときのノウハウをしっかり持っているというのです。

 そのように単純化して考えられるのかどうかは確証はありませんが、鎖国を長く続けた日本が、他国との付き合い方が下手な理由としては妙に納得しやすい説です。言い換えれば幸せだったとも言えそうですが。