物語、いよいよ前半終了でござ~い。

 ピカッ!と稲妻が輝いたかと思うと、ガラガラガラと雷鳴が轟き渡りました。すると、神社の本殿の右の屋根の後ろの森から、何やら白い物が飛び出てきて、社の前に置かれた木の樽の側にビョコンと立ったのでした。
 ピカッ!と再び稲妻が光ったその僅かな光に映しだされた、その白い物を見て、弁尊さんはハッと息を呑みました。何と、そこに立っていたのは、人間の背丈の二倍もあろうかと思われる真っ白い毛むくじゃらのヒヒの化物でした。
 再び、ピカッ、ゴロゴロゴロという音と共に、今度は左の森の中から、また白い物がビョコンと飛び出して来ました。見れば、先程と同じ白い毛に覆われた化け物でした。
 杉の梢から、この様子を見ていた弁尊さんは余りのことに、目を丸くするばかりでした。
 二匹になった化け物は、今度はお里ちゃんが入った樽のまわりを何やら歌いながら、踊り始めました。
ドンドコ、ドンドコ、ドンドコ、ドン、言うまいぞ、言うまいぞ、このことばかりは言うまいぞ、信州信濃の光前寺、早太郎には言うまいぞ、ソレ、スッテン、スッテン、スッテンテン。
 すると、ピカッ!ゴロゴロゴロとそれまでに増して、ひときわ大きな音がしたかと思うと、今度は社の真後ろの森のなかから、ビョコーンと飛び出して来たのは、今までの人間の倍もある二匹の化け物の更に三倍位大きな真っ白な化け物でした。
 この大化け物が、社の前に立つと、それまで樽の回りを何やら歌いながら踊っていた二匹の小化け物は、その大化け物の前にひれ臥して、
「ははー」
辺りを真っ赤に光る目でゆっくりと、見回した大化け物は、
「これ、今夜も早太郎は来ていまいな。」
「はい、今夜も早太郎は来ておりません。どうぞ御安心下さい。」と小化け物が答えると、
「よし、早太郎さえいなければ、天下に恐いものはない。」と言うが早いか、バリバリと木の樽の蓋をこわすと、既に気を失っていたお里ちゃんをヒョイと小脇に抱え込むと、ガラガラという雷鳴と共に、再び元の社の後ろの森に消えてしまいました。残った二匹の小化け物も続いてそれぞれ、社の左右の森の中に消えてしまいました。
すると、それが合図のように、今まで月を覆っていた黒雲がスーッと晴れ渡り、辺りは今までの出来事がまるで嘘のように静かな柳姫神社に戻りました。
 一部始終を杉の梢から見ていた弁尊さんは、
「やはり、神様ではなかった。あんな化け物が、毎年小さい子供の命を取って食っていたんだ。それにしても、あの化け物ども、やけに早太郎という人のことを怖がっていたな。おまけに子化け物が、『言うまいぞ、言うまいぞ、このことばかりは言うまいぞ、信州信濃の何とかの早太郎には言うまいぞ』と歌っていたな。すると、信州にいる早太郎という人ならばあの化け物を退治してくれるに違いない。」
という訳で、夜が明けると弁尊さん、早速下の村の村長さんのところへいきました。
「村長さん、お早うございます。」
「いや、これは、弁尊さん。あー可愛そうに、昨日あんなに止めたのに神社に残っていたもんだから、神様に食われてしまって、遂に幽霊になって、出てきたか。」
「冗談じゃありませんよ、村長さん。ほら、ちゃんと足もあるでしょう。」
「なるほど、ちゃんと足もある。すると弁尊さん、あんた神様に食べられなかったんですね。」
「食べられないもなにも、村長さん。あれは、神様なんかじゃありませんよ。大きなヒヒの化け物でしたよ。あなた方は、あんな化け物の為に、毎年尊い命を奪われていたんですよ。」
「そうですか、神様じゃなかったんですか。でも、そんな化け物じゃ、とても我々には太刀打ちできそうもあませんね。」
 そう言われて弁尊さん、
「いや、それがどうも信州にいる早太郎さんていう人には適わないらしいんですよ。夕べも『早太郎さえいなければ天下に恐いものはない』と言っていましたから。ですから、私はこれから信州へ行って、来年のお祭りまでにその早太郎さんを連れて帰ってこうよと思うんです。」
「それはそれは、弁尊さん。あり難いことです。是非村の為に早太郎さんをつれて来て下さい。」
と言われて、弁尊さん。旅の支度もそこそこに、一路見附の国から、天竜川を遡って信州、今の長野県へと、早太郎さんを探しに出掛けました。

 今日はここまで、物語はいよいよ後半へ突入していきます。┏〇"┓。
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昨日の続き…ヤナヒメ神社祭りの当日

「へぇー、そりゃまたどうしたことです?」と弁尊さんがききますと、村長さん、
「お祭りの前日になると、この神社の社の後ろの森から、一本の白羽の矢が村へ飛んで来るんです。その矢が屋根に刺さった家は、子供を一人今日のこのお祭りの日に、この神様にお供えをしなくてはならないんですよ。昨日も一本の白羽の矢がこの元兵衛さんの家の屋根に刺さったんで、可愛そうだが一人娘のお里ちゃんを、ほらこうしてこの木の樽の中に入れて、こうして神様にお供えに来たんです。」
「それは、変だ。神様が子供を食べると言うですか?だって神様や仏様は人々を見守ってくれている筈でしょう。そんなお供えなんかしなくても平気ですよ。」と弁尊さんが言うと、
「それが、お供えをしないと、その年に必ず大嵐がやって来て村中の作物が全滅してしまうんです。さぁ、もうすっかり日もくれてしまいました。そろそろ村へ帰らないと神様がお怒りになる。みなのしゅう、可愛そうがだ行きましょう。弁尊さんも、今日は村に下りたほうがいいですよ、でないとお里ちゃんと一緒に神様に食べられてしまいますから。」と村長さんは言いました。
「いやいや、私はここに残ります。どう考えても神様がそんな事をする筈はない。私は、ここへ残って本当はどうなのか見届けることにします。」
どうしても、弁尊さんが村へは下りそうもないので、村長さんは仕方なく、
「まぁ、どうしてもと言うのなら、無理にとは言いませんが、神様に食べられてしまっても、知りませんよ。さぁ、皆さん、帰りましょう。」と言って、村の人達と一緒に村へと下りて行きました。あとに残ったのは弁尊さんと、木の樽に入った、お里ちゃんだけでしたが、お里ちゃんは既に気を失ってしまったのか、樽の中からは何も聞こえません。
 既に空には丸い月が登ってこうこうと冴え渡っています。若い弁尊さんは近くの大きな杉の木にするすると登って、高い梢の枝に腰を下ろして、事の成り行きをじっと見守ることにしました。
 やがて、夜も更けると、遠くの方でお寺の鐘がゴーンと響き渡りました。
 すると、それまで明るく輝いていた月が突如として、黒雲に覆われ、辺りはまるで墨を流したように真っ暗闇になってしまいました。

 この続きはまた明日…。
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そして磐田

 2月13日午後三時を廻り、浜北の閻魔堂から宿泊地へと車を走らせていると、左磐田という道路標識。
 「おっ、以外と近いのだな」
 隣に座っている家内に言った。
「ちょっと面白い方に会っていこう」
「……?」
 どんな方なのか……
 今回のブログ、連続ものになりそうです。

 今から七百年ほど前の話。東海道は見附の宿、今の磐田市です。Jリーグのジュビロ磐田のある所。浜松の東側になります。
 その見附の国に小高い丘があり、その上に柳姫(やなひめ)神社という神社がありました。
 ある時、その神社の神主さんが交代になり、弁尊(べんそん)さんという若い神主さんがやって来ました。
 さて、秋になり、弁尊さんがやって来てから初めての柳姫神社のおまつりが近くなって来ました。
 弁尊さんは、
「さてさて、この神社のおまつりは一体どんなおまつりなのかなぁ。」
 と楽しみにしていました。
 そうして、いよいよそのおまつりの日が明日に迫りました。しかし、丘の上からみても、下の村では一向におまつりらしい気配がありません。弁尊さんは、
「これは一体どうしたことだろう。ひっょとしたら、日を間違えたのだろうか。」と思いましたが、取り敢えず次の日まで待つことにしました。
 さて、翌日は柳姫神社のおまつりの日です。弁尊さんは、いつお神輿が村から上がってくるか、朝早くからじっと待っていました。しかし、村の様子は昨日にもまして静かで、路地を時折犬が走っている位でした。
「いやはや、おまつり当日になってもこんなに静かとは・・・、そうか、きっとこの神社のお祭りは、夜祭りなんだ。」弁尊さんは、そう考えて夕方まで待つことにしました。
 さて日がくれかかると、村から大勢の人が神社への道を登ってきました。
「あぁ、やっぱり、夜祭りだったんだ。」と弁尊さんは一安心しましたが、どうもおかしい、皆ちっとも嬉しそうではないんです。
 弁尊さんは上がってきた村長さんに尋ねました。
「村長さん、村長さん、今日は待ちに待ったお祭りの日なのに、一体どうしたんですか。お神輿もないし、皆悲しそうにしているというのは、全然お祭りらしくないじぁあいですか。なんで、もっと楽しく、ワッショイ、ワッショイと上がってこないんですか。」
「弁尊さん、冗談じゃありませんよ。あなたは、ここへやって来て日が浅いから事情を知らないのも無理はありませんがね。この柳姫神社のお祭りは一年に一度の最も悲しい日なんですよ。」

……さてこの続きはまた、明日。今回の静岡放送(SBS)のカルチャーセンターで呼んでいただいた講座の次いでの旅は、なんと来年九月に向かって面白いことになった……。そんな話に繋がって参ります。

 写真は昨日ご紹介した「石松の首無し地蔵祠」。個人的に何とかしたいなあと思っています。

 今日は午後から宗派の詠歌研修所の入所希望者の面接。夕方からは地元の法人会で講演。帰宅すると愛知の岡崎から娘の友だちが赤ちゃんを連れて泊まりに来てくれている筈。ご主人でコックさんの通称ヒーチャンが三日連休が取れたので、密蔵院へ行きたいと言ってくれたのだそうです。他にも若い仲間が集まって、賑やかな夜になりそうです。
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閻魔堂の騙し討ち

「江戸っ子だってねぇ」
「神田の生まれよ」
「だってねぇ。寿司喰いねぇ。酒飲みねぇ」
--のセリフでお馴染みの清水次郎長伝の中の「石松三〇石船」の一クダリ…。

 一人旅の石松は、この大阪から伏見への船の中での話の後、草津身受け山鎌太郎の所へ寄って、一〇〇両を次郎長の奥さんの香典として預かり、清水への帰り道、「中の町」の閻魔堂の前で、都鳥一家に呼び止められます。

 ここから預かった香典を貸すことになり、結局返す当てのない都鳥一家は石松を計略にかけて、閻魔堂の前で殺すことになる。石松は四十三太刀切られて逃げ傷一つなかった……。
 この閻魔堂は、秋葉街道沿いの浜北の道本にある、現在の観音堂。

「バカは死ななきゃ治らねぇ」というセリフを全国に広めた虎造の「石松殺しの話」は、「義理と人情に生きたお人好し」という日本人が好きな人柄を見事に伝え、平成の御世まで名を残しているのです(何だか雑誌の紀行コーナーみたいな終わり方になってしまった。ぎゃははは)。

 写真は閻魔堂の縁側に座る、石松になりきっているお坊さん。わははは。家内は呆れかえりながらも、けっこう真剣に撮ってくれました。去る二月十三日(金)のことであります。
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 遠州路や駿河路や……

昨年5月に続いて、昨日お邪魔した静岡放送主催のカルチャーセンターの講座「現代辻説法」の1コマ。

 せっかく静岡へ行くのだからと、虎造の清水次郎伝の冒頭の話、「秋葉山三尺棒の火祭り」の舞台。秋葉山神社へバレンタインデーイブだから家内をお供に引き回しての旅でゴザンス。わははは。

 東京の秋葉原も有名ですが、これもまた秋葉権現が祀られていたかつての原っぱから「秋葉原」と命名されているのは確かでしょう。
 火伏せの神さまです。江戸時代には全国に二万七千の分社があったそうで、その総本家が遠州の秋葉山。虎造の次郎長伝では「アキバ」と濁って読んでいますが、土地の方に聞いても、やはり「あきは」です。だから、アキハバラは正しい。

 昔秋の大祭の時には、多くの出店と共に、あちこちの博打打ちの親分の博打場が開かれていた場所……。こういうお祭りのことを「カタマチ」と言います(あはは、博徒用語だ)。

 麓から役7キロの山路、この山路に入ってからはとても博打場なんかは開設できる広い場所はありませんでしたから、きっと山麓でやっていたのでしょう。

 900メートル近い山頂にある立派な本宮……杉花粉飛散の情報もあったのか、あるいは2月の寒い時に行く人は余りいないのか、参詣者はあまりいませんでした。家内と二人連れの静かなお参りです。

 次郎長という49歳まで博徒、以後足を洗って70有余歳まで、清水港の港湾業務と富士山の裾野の開墾に全勢力を傾けて、生涯敵味方700余りの位牌に茶等を手向けて供養した……余裕のない生活をしている私にとって、そんな次郎長を偲ぶいい時間でした。
 義理人情の薄れたと言われる世の中……日本仏教の一面としての義理人情(かなり強引な屁理屈になりそうですが)を伝えられたらと思います。

 写真は秋葉山本宮。ここから遠く駿河湾をのぞむ景色は絶景です。

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今夜は聲明ライブです。

 15時に実家のお寺でのご詠歌を終えて…
 月に一度の新小岩のミュージック・スポットでの聲明ライブは、今夜であります。ここのところおかげさまで満員(といっても、11人入ると一杯なお店ですが……)。
 聲明のステージ(?)が終わると我々三人の坊さんは、基本的にカウンターの中に入ってお客さまのお相手をさせていただきます。

 今日と来月は、神奈川在住の二人組『輪』が元気になる歌も歌ってくれます。
 おまけに今日は19時30分からは紙芝居もあります。
 紙芝居を見ている時や、『輪』が歌っている時は、みんな静かに聞きましょう!わはははは。

 写真は前日、節分の時、密蔵院での『輪』のライブ。

 明日は早朝より遠州へ。明後日に静岡と浜松のSBS学苑での講座をやるためであります。明日は清水の次郎長伝を訪ねるドライブであります。ぎゃははは。
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けん玉カンコン

 千葉の流山の仲間に教えてもらった--法事の控室にけん玉を置いてあるんです--こりゃいただき!

 ……というわけで、密蔵院の客殿には、けん玉やコマが置いてあります。「ご自由にお遊びください」って張り紙をして。教えてくれた友人いわく「これを置いておくと、おじいちゃんやおじさんたちが、ヒーローになれるんですよ」と。どぎゃはははは。

 今日のご法事でも小学生が3人いました。本堂の準備をするために部屋の前を通ると、調子よく「カンコンカンコンカンコン…」こりゃ相当な腕前です。
 法事の準備ができたことを告げて「たいした腕前ですね」と申し上げたら、おじいちゃん(と言っても70そこそこ」が「さっき初めて剣に入ったんですよ」
「えっ?さっきから調子のいい音させてたのは、○○さんじゃないんですか?」
すると横から小学生の男の子が「ちがうよ。僕だよ」

 かなり練習しているのだそうです。わはははは。
 いづれにしろ、三世代の潤滑油としては素晴らしいアイテムなんだと思いました。
 お手玉も置いておこうか……。
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酔って九段で童謡唱歌

 恋は深川八幡宮
 何も湯島は天神で
 腹はちょっぴり数寄屋橋
 銭が内藤新宿で
 恐れ入谷の鬼子母神
 ぴいぴいどんどん神楽坂
 酔うて九段の坂の下
 あの娘(こ)ハラハラ駿河台
--今日聞いた、船木一夫が歌った『一心太助・江戸っ子祭り』のサビの歌詞です。

 湯島だけが良くわかりません。わはははは。(何も言う…かな)

 気に入ったのは「酔うて九段」の一節。酔って管を巻くことにひっかけてありますが、昨夜は、酔って管こそまかなかったものの、次男の友だちが遊びに来て、こたつで飲んで、その勢いで寝ようとしたら、隣で横になっている家内と「童謡」歌合戦のハジマリ、ハジマリ……わははは。

『酔っぱらいというのは あれは バカでございます』わはははは。

桃太郎・浦島太郎・金太郎・赤い靴・ミカンの花さく丘・鯉のぼり・お正月・たき火・雛祭り・しゃぼん玉・メダカの学校・春の小川・ドングリコロコロ・ヒヨコ・ここはどこの細道じゃ……たぶんあと10曲くらいは歌ったでしょう。いつの間にか二人とも寝てました。zzzzzzzzz・gggggggg



 次男にツタヤで、童謡のCDを借りてきてもらおうかと思います。だって、殆ど1番までしか歌えなかったからです。ぎゃははは。

 童謡たくさんフルコーラスで歌える坊さんってぇのも粋じゃゴザンセンカ。 
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詠歌・ブラッシュ・アップ

 今年も始まった密蔵院での、ご詠歌の先生たち有志による「詠歌・ブラッシュ・アップ」の講習。

 研修所を出て、先生の先生として活躍されている方々だが、ともするといつの間にか自己流になっていることがあるもの。それを皆で修正しようという会です。
 遠くは三重、福島、群馬から9名。私も含めて全員が違った味で、曲を次々と正確に唱えていきます。
 分かってしまう人には、ちょっとした間違いも、自信の無さもぜーんぶ分かってしまうんですが、こうしてブラッシュアップすることで、鋼(はがね)のようなご詠歌の達人になっていくんですね。
 みんな実力のレベルが高いところにいるので、言うことも、言われることも分かる面々。じつに充実した6時間でした。

 こういう先生たちが全国で、皆さんに歌を通して仏教をお伝えしてくださっています(あまり聞く機会がないかもしれませんけど……)。
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当たり障りのない坊主

 節分が終わったところで行なわれる新年会というのは随分多い。
 江戸川区内の密蔵院の属している宗派のお寺の新年会も今月17日だ。

 そんで、節分までは忙しい私を気づかって高校時代の仲間が、密蔵院で新年会をやってくれた。毎年忘年会をやっているメンバーが9人。こたつで宴会である。家内も良く知っているメンバーだから、大いに話に花が咲いた。

 面白いもので、中学時代の友人たちは、まだ大人になっていなかった時代なのでそれほどバカ話はしない。大学の友人となると、殆どが同じ職業だから話題も決まってくる。
 これが高校だと、考えも大人っぽくなる年頃にいろいろやった仲間であり、更に全員仕事が異なるから、面白いことこの上ない。建築、家具職人、服飾、布団屋、自衛隊、食器全般、医療辞典の出版社、広告代理店そして坊主である。
 毎回お酒が回ってくると「○○を呼べ」と言い出す。○○とは、高校時代のマドンナたちである。
「なんで俺が呼ぶ係なんだ」とむくれると、「坊主のお前が呼ぶのが一番当たり障りがないのだ」そうだ。わはははは。

今日は、私も含めて全員二日酔いだった筈である。
 
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