そして磐田

 2月13日午後三時を廻り、浜北の閻魔堂から宿泊地へと車を走らせていると、左磐田という道路標識。
 「おっ、以外と近いのだな」
 隣に座っている家内に言った。
「ちょっと面白い方に会っていこう」
「……?」
 どんな方なのか……
 今回のブログ、連続ものになりそうです。

 今から七百年ほど前の話。東海道は見附の宿、今の磐田市です。Jリーグのジュビロ磐田のある所。浜松の東側になります。
 その見附の国に小高い丘があり、その上に柳姫(やなひめ)神社という神社がありました。
 ある時、その神社の神主さんが交代になり、弁尊(べんそん)さんという若い神主さんがやって来ました。
 さて、秋になり、弁尊さんがやって来てから初めての柳姫神社のおまつりが近くなって来ました。
 弁尊さんは、
「さてさて、この神社のおまつりは一体どんなおまつりなのかなぁ。」
 と楽しみにしていました。
 そうして、いよいよそのおまつりの日が明日に迫りました。しかし、丘の上からみても、下の村では一向におまつりらしい気配がありません。弁尊さんは、
「これは一体どうしたことだろう。ひっょとしたら、日を間違えたのだろうか。」と思いましたが、取り敢えず次の日まで待つことにしました。
 さて、翌日は柳姫神社のおまつりの日です。弁尊さんは、いつお神輿が村から上がってくるか、朝早くからじっと待っていました。しかし、村の様子は昨日にもまして静かで、路地を時折犬が走っている位でした。
「いやはや、おまつり当日になってもこんなに静かとは・・・、そうか、きっとこの神社のお祭りは、夜祭りなんだ。」弁尊さんは、そう考えて夕方まで待つことにしました。
 さて日がくれかかると、村から大勢の人が神社への道を登ってきました。
「あぁ、やっぱり、夜祭りだったんだ。」と弁尊さんは一安心しましたが、どうもおかしい、皆ちっとも嬉しそうではないんです。
 弁尊さんは上がってきた村長さんに尋ねました。
「村長さん、村長さん、今日は待ちに待ったお祭りの日なのに、一体どうしたんですか。お神輿もないし、皆悲しそうにしているというのは、全然お祭りらしくないじぁあいですか。なんで、もっと楽しく、ワッショイ、ワッショイと上がってこないんですか。」
「弁尊さん、冗談じゃありませんよ。あなたは、ここへやって来て日が浅いから事情を知らないのも無理はありませんがね。この柳姫神社のお祭りは一年に一度の最も悲しい日なんですよ。」

……さてこの続きはまた、明日。今回の静岡放送(SBS)のカルチャーセンターで呼んでいただいた講座の次いでの旅は、なんと来年九月に向かって面白いことになった……。そんな話に繋がって参ります。

 写真は昨日ご紹介した「石松の首無し地蔵祠」。個人的に何とかしたいなあと思っています。

 今日は午後から宗派の詠歌研修所の入所希望者の面接。夕方からは地元の法人会で講演。帰宅すると愛知の岡崎から娘の友だちが赤ちゃんを連れて泊まりに来てくれている筈。ご主人でコックさんの通称ヒーチャンが三日連休が取れたので、密蔵院へ行きたいと言ってくれたのだそうです。他にも若い仲間が集まって、賑やかな夜になりそうです。
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