廃墟を造り、それを平和と呼ぶ

『ローマ人は廃墟を造り、それを平和と呼ぶ』タキトゥス

 超宗派の集まり仏教情報センターhttp://www2u.biglobe.ne.jp/~bukkyo/1whois/index.htmlの一団体『仏教ホスピスの会』の通信『みちしるべ』(今日送られてきました)の表紙の言葉です。

 調べてみるとタキトゥスはローマ時代の歴史家にして小説家。『ゲルマニア』の作者。

 どうも表記の言葉はその『ゲルマニア』の中の一文らしいです。

 実際にどのような場面で使われているのか知らないのですが、この言葉だけとりだしても面白い言葉ですね。

 敵の建物を廃墟にして「これで私たちは平和になった」と言っているローマ人を揶揄したともとれるし……。
 かつての栄光の御旗のような立派な建物も、それを守るほどの努力もしないほどノウテンキになってしまい、手入れもしないから廃墟のようななってしまった…それでもローマ人は自分たちのことを平和だ、と言っているのか……

 前者なら「傲慢さ」を揶揄し、後者なら「だらしなさ」に呆れているとも言えます。
 何十年後からの歴史家に「坊さんたちは、本堂を廃墟にし、人の心を廃墟にし、それを平和とよぶ」などと言われないにしたいものです。

 写真は節分の時に見にライブをやってくれた私の若いお友だち『輪』のギター(この日は三線も)&ボーカルの松谷君と、ジャンベの水流(つる)ちゃんの二人。たき火、北風小僧の勘太郎、雀がサンバとオリジナルを歌ってくれました(今月十二日の新小岩南口徒歩五分のライブハウスでやる聲明ライブも一緒にやってくれます)。

 とりあえず密蔵院の本堂は廃墟になっていません。わははは。
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