平家物語・義経伝説の史跡を巡る
清盛や義経、義仲が歩いた道を辿っています
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西八条第跡(西八条第跡の石碑)
京都市
/
2007-07-19
平清盛の邸宅は、六波羅邸とは別に西八条第(にしはちじょうてい)があり、
方六町の広大な敷地に五十余宇の殿舎・堂塔がありました。
第は今の梅小路公園の南部分とその南に続く東海道本線の敷地にあたり、
清盛の邸宅だけでなく、平家一門の邸宅があった場所です。
清盛は蓬が好きで邸内に植え、清盛の邸は「蓬壺(ほうこ)」とも呼ばれました。
鹿ケ谷の謀議が発覚し、首謀者の一人西光法師が捕えられて
清盛のきびしい拷問を
受けたのはこの邸であり、
白拍子祇王・妓女や仏御前の物語の舞台となったのもここでした。
清盛は出家後、摂津福原(神戸市)にいることが多く、妻の時子がここを守っていました。
西八条第は清盛が亡くなって二日後に放火され、まもなく再建された第も
平家都落ちの朝、一門の手で焼き払われました。
梅小路公園案内図
梅小路公園 河原遊び場付近に建つ「西八条第解説板」
西八条第は平家一門都落ちで焼き払われ、 往時を偲ぶものは
何もありませんが、解説板が当時を物語っています。
「西八条第跡
西八条第は八条亭とも呼ばれ、平安時代後期、平清盛が平安京の八条壬生に構えた
六町を有する広大な邸宅で、仁安元年(1166)頃に造営されたとする。
その跡地は下京区歓喜寺町・八条坊門町、南区八条坊門町・八条町に当たる。
『平家物語』によると、清盛が邸内の庭に蓬(よもぎ)を植えたところから
蓬壺とも呼ばれ、白拍子妓王・妓女や仏御前の物語もこの邸宅での話である。
清盛は仁安2年(1167)に太政大臣の位を退いてから摂津福原(神戸市兵庫区)に
居を移したが、妻の二位尼時子はここに住み、邸内に光明心院を営んでおり、
また、清盛も入洛の折はこの邸宅を使用している。
清盛は、
安元3年(1177)6月の鹿ケ谷山荘事件の後、この邸宅でその処分を決めている。
また『山槐記』によると、治承3年(1179)12月16日、高倉天皇中宮で、
清盛の娘である建礼門院徳子が生んだ2歳の東宮(皇太子)言仁親王
(後の安徳天皇)がこの西八条第に行啓し、清盛の終日微笑みを絶やさず、
指を湿らし障子に穴をあけ、孫と戯れて感涙にむせんだとされる。
治承5年(1181)閏2月4日に清盛は64歳で没し、その2日後、この邸で火災が発生した。
『平安物語』巻六によると「玉を磨き金銀をちりばめて作られたりし西八条殿、
其夜、にはかに焼けぬ。・・放火とぞ聞こえし」と記され、
大小50余りの建物が焼けたとされる。
『玉葉』によると、
のちに再建された建物も、寿永2年(1183)7月25日、平家の都落ちに際して
自ら火が放たれ、邸宅は残すところなく灰燼に帰した。
文治元年(1185)、
壇ノ浦の合戦において安徳天皇は水死、平家はここに滅亡して、
約四百年間続いた平安時代は終わりを告げる。 西八条第跡の調査は、公園整備前の
平成4・5年の春に行われ、柱跡や溝跡のほか、平安時代後期の土偶とともに
焼土や炭化遺物も出土しており、西八条第で火災があったことを裏付けている。
なお遺跡は盛土して保存されている。」
2012年に放送されたNHK大河ドラマ「平清盛」で、梅小路公園朱雀の庭に
「西八条第跡の石碑」が建てられたことを知り
再度訪ねました
。
朱雀の庭有料入口(料金200円)
「平清盛公西八条第跡」の石碑は、「朱雀の庭」から
「いのちの森」へと渡る楓林橋(ふうりんばし)の傍にあります。
もと西八条第内にあり、その鎮守であったと伝えられる若一神社
若一神社(清盛手植えの楠・火焚祭)
『アクセス』
「
梅小路公園
」
京都市下京区上中之町1-3
京都駅から京都市営バス33, 205, 208号系統「梅小路公園前」下車
または、京都駅から西へ徒歩約15分
JR山陰本線「梅小路京都西」駅より徒歩約7分
開園時間
24時間(朱雀の庭、いのちの森などの施設は 9:00~17:00)
駐車場
普通車 200台 2時間まで 700円、その後1時間につき200円
大型車 21台 1日 2500円
『参考資料』
村井康彦「平家物語の世界」徳間書店 井上満朗「平安京の風景」文英堂
蔵田敏明「平家物語の京都を歩く」淡交社
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コメント (
9
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安井金比羅宮...
祇王寺(祇王...
»
コメント
思い込みというのは恐ろしいもので…!
(
yukariko
)
2007-07-20 22:15:33
清盛の屋敷跡が今の梅小路公園辺りとは全く知りませんでした。
ずっと六波羅近辺だとばかり…。
ここ数年、京都・烏丸鞍馬口の、戦前からの皮膚科へ食物アレルギーの湿疹で月1回バイクで通っていました。
その帰り、この若一神社の前、西大路八条の信号でよく停止するのです。
止まっている間、何回となく眺めていた神社がこんなに由緒あるお宮で、清盛の西八条邸跡も少しだけ離れた場所だなんて…!
「謂れを聞けばありがたい」と言いますが、本当に吃驚して読みました。
お盆前には又行きますから、今度は立ち寄って清盛公の像や歌碑を実際に見てきますね。
ありがとう!
遠い所まで行かれるのはきっといいお医者さまがいらっしゃるのでしょう!
(
sakura
)
2007-07-21 09:09:15
大楠がこんもりしているので若一神社はわりと遠くからでも気がつきやすいですね。
折角訪ねて下さるのに水をさすようですが、
村井康彦先生は、はっきりとは言明はされていませんが、
いつも参考にさせていただいている、竹村俊則先生(故人)は”昭和京都名所図会6”の中で
若一神社の地名「御所ノ内」からきた
伝説であるとしています。
でもこんなことを言っていたら
私は訪ねるところが無くなってしまいますから
伝説の地も訪ねるつもりです。
梅小路公園はyukarikoさんだったらJR京都駅西
昔の梅小路貨物駅辺といった方が
分かりやすいかも知れません。
以前訪ねた時は樹木と説明板はありましたが、
公園とは名ばかり何もない所でした。
今回訪ねてきれいな公園になっているのでびっくり
してしました。
近いようで遠い場所(笑)
(
yukariko
)
2007-07-21 13:21:35
梅小路貨物駅や機関区は電車から眺めていても行く気持ちがなかった(笑)
公園として新装成り、乗り物好きな孫と出かける友人に詳しく教えても無縁でしたが…歴史に関係があると分かると…(笑)。
源氏物語の「六条院」が六条京極辺りに4町総面積63,500㎡というのですから
この別邸西八条殿の6町2万6千坪(85,800㎡)の規模の大きさ、凄さ!
平氏の総大将として一群を率いるからにはその侍達関係の設備も沢山あったのでしょうけれどね(笑)
説明に絵を付けて頂いているのでよく分かります!
平安時代に貴族達が営んだ邸宅の中で最大のものでした!(平安京の風景)
(
sakura
)
2007-07-22 15:33:34
昨夜はお世話になりありがとうございました。
次の祇王寺の画像の整理をしようとPCを開いたらyukarikoさんからのメールとコメント!
相変わらず手早いですね。
次々皆のブログにコメントを書き込まれ
ご自分もブログを次々に更新
いつもの事ながらびっくり!
ぼんやりしている私にはちょっと想像のできない
世界です。
古典がお好きなyukarikoさんには
沢山の説明と画像をUPしたいのですが…
説明板は正面から撮影すると光るので、
いつも少し斜めから撮影してしまいますが、
今回ちょっ不恰好でした。
清盛の八条邸の周辺には重盛邸(1町)、頼盛邸(1町)、宗盛邸(1町)等要人の別邸的性格を
もつものがありました。(平家物語の世界)
各要人も順にUPさせていただきます。
追記
(
sakura
)
2007-07-22 16:52:46
西八条殿跡地はその後平家追封の恩賞として
源頼朝に与えられ、源氏相伝の領地になった。
(昭和京都名所図会6)
例会で話すのを忘れました!
(
yukariko
)
2007-07-23 08:43:13
私も資料を撮影したら角度がずれていて画像を切り取って並べるのに四苦八苦する事があります。
「JTrim」に画像角度を自由に調整する機能が付いていて、その目盛を動かす時「ctrl」+「矢印キー」で微調整が出来ます。お試し下さい。
以前それを使って星型の各面に画像を入れて回転させた事がありますね。「JTrim」のツールバーの一番右にある「任意角度回転」の使い方です。
ご指導ありがとうございました。
(
sakura
)
2007-07-23 17:24:51
ご指導いただいた"Jtrim"の「任意角度回転」の使い方
こんなのでいいのでしょうか?
間違ってるかも知れません。
星型は先月の課題でしょうか?
先月は例会を早退してしまって
kokoさんの講義をお聞きすることができませんでした。
すみませんでした。
早速修正して頂きありがとうございました。
(
yukariko
)
2007-07-23 19:30:15
文字の下に地色を付けるとはっきりしますね。「東西鴻驢館」の文字も読みやすくなりました。
「photoshop elements」を使うと画像の上の文字がくっきりと表示されますが、JTrimでもかなりうまく行きます。
星型は6月の例会の最後にやったのですが、自宅では私もkokoさんも出来たのに
皆さん課題はお出来になっていたので、公民館で作って貰おうとしたらどうしてかうまく行かず中途になりました。
「掲示板」に画像を載せましたが容量が大きすぎて拒否されたので単なる星型の画像になってしまいました
。
唯、同じ「任意角度回転」を使いましたから、参考例に載せました
(説明不足でごめんなさい。)
ありがとうございました!
(
sakura
)
2007-07-24 01:53:37
早速見て頂いて
ありがとうございました。
Jtrimも使い慣れたことにしか使わないので
このようにして教えていただくと
次の機会に利用できそうです。
でも悲しいことに日が経つととすぐ忘れてしまいます。
忘れるのはいつも年令のせいにしています。
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ずっと六波羅近辺だとばかり…。
ここ数年、京都・烏丸鞍馬口の、戦前からの皮膚科へ食物アレルギーの湿疹で月1回バイクで通っていました。
その帰り、この若一神社の前、西大路八条の信号でよく停止するのです。
止まっている間、何回となく眺めていた神社がこんなに由緒あるお宮で、清盛の西八条邸跡も少しだけ離れた場所だなんて…!
「謂れを聞けばありがたい」と言いますが、本当に吃驚して読みました。
お盆前には又行きますから、今度は立ち寄って清盛公の像や歌碑を実際に見てきますね。
折角訪ねて下さるのに水をさすようですが、
村井康彦先生は、はっきりとは言明はされていませんが、
いつも参考にさせていただいている、竹村俊則先生(故人)は”昭和京都名所図会6”の中で
若一神社の地名「御所ノ内」からきた
伝説であるとしています。
でもこんなことを言っていたら
私は訪ねるところが無くなってしまいますから
伝説の地も訪ねるつもりです。
梅小路公園はyukarikoさんだったらJR京都駅西
昔の梅小路貨物駅辺といった方が
分かりやすいかも知れません。
以前訪ねた時は樹木と説明板はありましたが、
公園とは名ばかり何もない所でした。
今回訪ねてきれいな公園になっているのでびっくり
してしました。
公園として新装成り、乗り物好きな孫と出かける友人に詳しく教えても無縁でしたが…歴史に関係があると分かると…(笑)。
源氏物語の「六条院」が六条京極辺りに4町総面積63,500㎡というのですから
この別邸西八条殿の6町2万6千坪(85,800㎡)の規模の大きさ、凄さ!
平氏の総大将として一群を率いるからにはその侍達関係の設備も沢山あったのでしょうけれどね(笑)
説明に絵を付けて頂いているのでよく分かります!
次の祇王寺の画像の整理をしようとPCを開いたらyukarikoさんからのメールとコメント!
相変わらず手早いですね。
次々皆のブログにコメントを書き込まれ
ご自分もブログを次々に更新
いつもの事ながらびっくり!
ぼんやりしている私にはちょっと想像のできない
世界です。
古典がお好きなyukarikoさんには
沢山の説明と画像をUPしたいのですが…
説明板は正面から撮影すると光るので、
いつも少し斜めから撮影してしまいますが、
今回ちょっ不恰好でした。
清盛の八条邸の周辺には重盛邸(1町)、頼盛邸(1町)、宗盛邸(1町)等要人の別邸的性格を
もつものがありました。(平家物語の世界)
各要人も順にUPさせていただきます。
源頼朝に与えられ、源氏相伝の領地になった。
(昭和京都名所図会6)
「JTrim」に画像角度を自由に調整する機能が付いていて、その目盛を動かす時「ctrl」+「矢印キー」で微調整が出来ます。お試し下さい。
以前それを使って星型の各面に画像を入れて回転させた事がありますね。「JTrim」のツールバーの一番右にある「任意角度回転」の使い方です。
こんなのでいいのでしょうか?
間違ってるかも知れません。
星型は先月の課題でしょうか?
先月は例会を早退してしまって
kokoさんの講義をお聞きすることができませんでした。
すみませんでした。
「photoshop elements」を使うと画像の上の文字がくっきりと表示されますが、JTrimでもかなりうまく行きます。
星型は6月の例会の最後にやったのですが、自宅では私もkokoさんも出来たのに
皆さん課題はお出来になっていたので、公民館で作って貰おうとしたらどうしてかうまく行かず中途になりました。
「掲示板」に画像を載せましたが容量が大きすぎて拒否されたので単なる星型の画像になってしまいました
唯、同じ「任意角度回転」を使いましたから、参考例に載せました
(説明不足でごめんなさい。)
Jtrimも使い慣れたことにしか使わないので
このようにして教えていただくと
次の機会に利用できそうです。
でも悲しいことに日が経つととすぐ忘れてしまいます。
忘れるのはいつも年令のせいにしています。