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平家物語・義経伝説の史跡を巡る
清盛や義経、義仲が歩いた道を辿っています
 




牛若丸が生まれ育った京都には牛若丸に関する伝承が多くあります。
中でも北区紫竹には、源義朝の別邸があったとされ、常盤御前はこの地で
牛若を生んだといわれています。周辺には牛若町という町名が残り、
牛若丸・常盤ゆかりの伝承や史跡が点在しています。

◆知足山常徳寺  
牛若が生まれたのは平治の乱が起こった平治元年(1159)のことで、
まだこの戦が起こる前です。牛若を身ごもっていた常盤は近くの常徳寺に
安産を祈願して常盤地蔵を安置したと伝えられています。

常盤地蔵が祀られている本堂の扉はかたく閉ざされています。(一般公開なし)

◆牛若丸誕生井
常徳寺から北山通りを隔てた西南の方角、上野新三郎氏の畑の中に
牛若丸誕生井と刻んだ1、
5メートルの石碑がたっています。
その背後には、常盤が牛若丸を生む時に汲んだといわれる小さな井戸の跡があります。
そこには「牛若丸誕生井、応永二年(1395)調之」と刻まれた小石塔があり、
室町時代初めからここが牛若丸誕生地といわれていたことが知られます。

所有者の上野氏は代々源家に仕え、源義朝の命で
常盤御前の出産を助け、この井戸を守ってきたと伝えています。

◆牛若丸胞衣(えな)塚 
牛若丸誕生井と同じ畑の中の松の木の下(右後方)には、
牛若丸の胞衣(胎盤)とへその緒を埋めたといわれる塚があります。



◆源義経産湯井の遺址碑 
牛若丸誕生井から船岡東通りを南に進み、東へ入ると
「源義経産湯井の遺址」の石碑が建っています。
現在、井戸はありませんが、由来を記す碑には、

「此ノ地ハ源義朝ノ別業ニシテ常盤ノ住ミシ所ナレバ平治元年義経誕生ノ時此ノ井水ヲ
産湯二汲ミキトノ伝説アリ後二大徳寺玉室大源庵ヲ建立セシガ荒廃シテ竹林トナリヌ
茲二大正十四年十二月紫竹区画整理成ル二当リ井泉ノ原形ヲ失ヒタレバ其ノ由緒ヲ
記シテ後昆二伝ヘムトス  大正十五年十月 紫竹土地区画整理組合」と彫られています。

碑文の大意は「この辺に源義朝の別業があり、平治元年義経が誕生した時
使われた産湯の井があったという伝説があった。後に一帯は大徳寺の塔頭
大源庵が建立されたが荒廃して竹林となった。さらに大正14年(1925)、
区画整理のためここにあった井戸は埋められた。その由緒を後世に伝えるため、
紫竹土地区画整理組合よって大正十五年に石碑が建てられた。」
義朝の別宅には二ヶ所も井戸があったことになります。



◆光念寺(浄土宗)
今宮神社から北東300m付近、住宅街の一角に光念寺があります。
常盤御前の守り本尊と伝えられる
腹帯地蔵が本堂に祀られています。(一般公開なし) 

光念寺本堂

常盤井は美容室「ユウビ」の隣にあります。

◆常盤井(常盤化粧井とも)
 大徳寺の南、下築山町の道路脇に常盤御前が化粧に用いたと伝わる小さな井戸があります。
この井戸はかつて京の名水の一つに数えられていましたが、今は枯れています
井戸の傍には、
「寛文12年(1672)に清水宗善によって建立、常盤井」と
刻まれた石碑がたっています。



宝樹寺・雪よけ松の碑 (常盤御前ゆかりの地)  
常盤が牛若丸らと身を隠した宇陀郡竜門(常盤御前の腰掛石・常盤の隠れ家) 
首途(かどで)八幡宮(義経奥州旅立ちの地)  
『アクセス』
「常徳寺」京都市北区紫竹東栗栖町28
市バス「常徳前」下車すぐまたは「牛若」下車北山通りを東へ徒歩3分
「牛若丸誕生井・胞衣塚」京都市北区紫竹牛若町 
市バス「常徳前」下車徒歩3分
「源義経産湯井の遺址」京都市北区紫竹牛若町13 
市バス「大宮上野」下車東へすぐ
「光念寺」京都市北区紫竹上野町150
市バス「大宮上野」下車徒歩3分
「常盤井」京都市北区紫竹下築山町
 市バス「大徳寺前」下車 南へ徒歩3分
『参考資料』
竹村俊則「昭和京都名所図会」(洛中)駿々堂  「京都大辞典」淡交社 
「義経ハンドブック」京都新聞出版センター


 

 
 
 

 

 
 

 

 
 



 
 

 

 
 



 
 





コメント ( 6 ) | Trackback (  )


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コメント
 
 
 
丹念に訪ね歩いて下さっていますね! (yukariko)
2010-03-27 21:37:03
丹念に訪ね歩いて下さっていますね!
沢山の現場写真の数々!

義経の産湯と言われる井戸がたくさん残っていて、元の謂れも全くのウソではなく義朝の別荘とかそれらしい史実があったりして、歴史家も迷われる事でしょう。

それだけ義経に人気があった…平家物語が庶民だけでなく知識階級にも広く読まれ、後の判官贔屓という言葉も生まれるほど愛された義経とその母常盤の物語は人々の胸を熱くさせたのでしょうね。

それで常盤御前の守本尊との言い伝えのあるお地蔵さまも幾つもあったりして(笑)

実家の母が入院していた頃は何度もがくさい病院に通ったので見て歩こうと思えば行けたのですが、今は雲林院近くにはご縁がなくなっているので残念です。
機会を見つけて船岡山の建勲神社には参ってみたいと思っているのですが…。
 
 
 
判官贔屓 (sakura)
2010-03-28 17:05:46
義経ほど人々に愛され惜しまれた武将は、他にいないのではないでしょうか。
牛若丸は生まれて間もなく起きた平治の乱で父を失い、母とも別れ鞍馬寺に入り、やがて京を出て奥州へと下ります。
義経の源平合戦での活躍については、「平家物語」に書かれていますが、その幼少期については触れられていません。大抵の人の童時代は分からないことが多いのですが、薄倖の英雄義経への関心から「平家物語」とは別に義経の物語が生まれたと思われます。
室町時代に成立した「義経記」では義経の少年時代に様々な話を付け加えて、義経の実像とかけ離れた物語が展開していき、各地に伝説や史跡が生まれます。

牛若丸の産湯井が紫竹牛若町に二ヶ所もあったり、安産を祈願したと伝える地蔵が二つあるのも何とも不思議ですが、これも大徳寺周辺に義朝の別邸があったことによるものなのでしょう。「常盤井」も建立者として個人名が刻まれていました。義経、常盤のファンがお建てになったのでしょうか。

お母様はあちこちの病院に入院されていらっしゃるのですね。お大切になさってください。
以前、弟さまがお描きになった大報恩寺(千本釈迦堂)のしだれ桜が見たくて、昨日たずねてきました。まだ桜は7、8分咲きでしたが、大勢のカメラマンであふれていました。昨年紅葉の頃にも、近くを通りかかったので、絵を思い出して立ち寄ったのですが、その時は人気がなく寂しい境内でしたのに…
一本の桜の木がこれだけの人を集めるのかとびっくりしました。
 
 
 
3/31ではまだ満開とはいかないでしょうね? (yukariko)
2010-03-28 21:41:38
義経、常盤のファンが自分で調べた資料を元に自分のお金を出して記念碑を作られるのはそれだけ思い入れが強いのですね。

御所の旧近衛邸跡の糸桜を両陛下がご覧になったと1
昨日の「両陛下のご予定」という記事に載っていました。
Kokoさんが糸桜の見事なお写真をお撮りになってますが、昨年は見に行ったのがちょっと遅かったので早い目に見たいと思っています。
その時にでも千本釈迦堂も寄りたいと思うのですが…他はどこにしようかと、元々欲が深いし、目移りがして決めかねています。

そんな様子だと立派なカメラを構えたカメラマンが多くて近寄れないかもしれませんね。
弟もスナップだけ撮影して帰ってきたと言ってましたから。
 
 
 
さくら便り (sakura)
2010-03-30 09:55:30
早咲きの桜便りが届くと、そわそわなさっているご様子が目に浮かぶようです。
Kokoさんは、いつも人を感動させるような写真をお撮りになりますね。
近頃はKokoさんのように一眼レフを持ち歩く人が随分増えてきましたが、
まだ小型のデジカメが主流ではないのでしょうか。
明日は平日ですし、花見客もカメラ愛好家も土日ほどではないでしょう。
どこの桜も満開とはいかないかも知れませんが、早咲きの桜は咲き揃っていると思います。
 
 
 
牛若丸産湯遺址 (北川敏彦)
2019-07-07 14:35:16
牛若町の区画整理組合が建てた地図表記場所が間違っています。
この地図表記場所から右側の13と表記された場所が,正解です。
地主
 
 
 
北川敏彦さま (sakura)
2019-07-08 07:27:54
ご指摘いただきありがとうございます。
早速訂正させていただきます。

 
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