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丹念に訪ね歩いて下さっていますね!
(
yukariko
)
2010-03-27 21:37:03
丹念に訪ね歩いて下さっていますね!
沢山の現場写真の数々!
義経の産湯と言われる井戸がたくさん残っていて、元の謂れも全くのウソではなく義朝の別荘とかそれらしい史実があったりして、歴史家も迷われる事でしょう。
それだけ義経に人気があった…平家物語が庶民だけでなく知識階級にも広く読まれ、後の判官贔屓という言葉も生まれるほど愛された義経とその母常盤の物語は人々の胸を熱くさせたのでしょうね。
それで常盤御前の守本尊との言い伝えのあるお地蔵さまも幾つもあったりして(笑)
実家の母が入院していた頃は何度もがくさい病院に通ったので見て歩こうと思えば行けたのですが、今は雲林院近くにはご縁がなくなっているので残念です。
機会を見つけて船岡山の建勲神社には参ってみたいと思っているのですが…。
判官贔屓
(
sakura
)
2010-03-28 17:05:46
義経ほど人々に愛され惜しまれた武将は、他にいないのではないでしょうか。
牛若丸は生まれて間もなく起きた平治の乱で父を失い、母とも別れ鞍馬寺に入り、やがて京を出て奥州へと下ります。
義経の源平合戦での活躍については、「平家物語」に書かれていますが、その幼少期については触れられていません。大抵の人の童時代は分からないことが多いのですが、薄倖の英雄義経への関心から「平家物語」とは別に義経の物語が生まれたと思われます。
室町時代に成立した「義経記」では義経の少年時代に様々な話を付け加えて、義経の実像とかけ離れた物語が展開していき、各地に伝説や史跡が生まれます。
牛若丸の産湯井が紫竹牛若町に二ヶ所もあったり、安産を祈願したと伝える地蔵が二つあるのも何とも不思議ですが、これも大徳寺周辺に義朝の別邸があったことによるものなのでしょう。「常盤井」も建立者として個人名が刻まれていました。義経、常盤のファンがお建てになったのでしょうか。
お母様はあちこちの病院に入院されていらっしゃるのですね。お大切になさってください。
以前、弟さまがお描きになった大報恩寺(千本釈迦堂)のしだれ桜が見たくて、昨日たずねてきました。まだ桜は7、8分咲きでしたが、大勢のカメラマンであふれていました。昨年紅葉の頃にも、近くを通りかかったので、絵を思い出して立ち寄ったのですが、その時は人気がなく寂しい境内でしたのに…
一本の桜の木がこれだけの人を集めるのかとびっくりしました。
3/31ではまだ満開とはいかないでしょうね?
(
yukariko
)
2010-03-28 21:41:38
義経、常盤のファンが自分で調べた資料を元に自分のお金を出して記念碑を作られるのはそれだけ思い入れが強いのですね。
御所の旧近衛邸跡の糸桜を両陛下がご覧になったと1
昨日の「両陛下のご予定」という記事に載っていました。
Kokoさんが糸桜の見事なお写真をお撮りになってますが、昨年は見に行ったのがちょっと遅かったので早い目に見たいと思っています。
その時にでも千本釈迦堂も寄りたいと思うのですが…他はどこにしようかと、元々欲が深いし、目移りがして決めかねています。
そんな様子だと立派なカメラを構えたカメラマンが多くて近寄れないかもしれませんね。
弟もスナップだけ撮影して帰ってきたと言ってましたから。
さくら便り
(
sakura
)
2010-03-30 09:55:30
早咲きの桜便りが届くと、そわそわなさっているご様子が目に浮かぶようです。
Kokoさんは、いつも人を感動させるような写真をお撮りになりますね。
近頃はKokoさんのように一眼レフを持ち歩く人が随分増えてきましたが、
まだ小型のデジカメが主流ではないのでしょうか。
明日は平日ですし、花見客もカメラ愛好家も土日ほどではないでしょう。
どこの桜も満開とはいかないかも知れませんが、早咲きの桜は咲き揃っていると思います。
牛若丸産湯遺址
(
北川敏彦
)
2019-07-07 14:35:16
牛若町の区画整理組合が建てた地図表記場所が間違っています。
この地図表記場所から右側の13と表記された場所が,正解です。
地主
北川敏彦さま
(
sakura
)
2019-07-08 07:27:54
ご指摘いただきありがとうございます。
早速訂正させていただきます。
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沢山の現場写真の数々!
義経の産湯と言われる井戸がたくさん残っていて、元の謂れも全くのウソではなく義朝の別荘とかそれらしい史実があったりして、歴史家も迷われる事でしょう。
それだけ義経に人気があった…平家物語が庶民だけでなく知識階級にも広く読まれ、後の判官贔屓という言葉も生まれるほど愛された義経とその母常盤の物語は人々の胸を熱くさせたのでしょうね。
それで常盤御前の守本尊との言い伝えのあるお地蔵さまも幾つもあったりして(笑)
実家の母が入院していた頃は何度もがくさい病院に通ったので見て歩こうと思えば行けたのですが、今は雲林院近くにはご縁がなくなっているので残念です。
機会を見つけて船岡山の建勲神社には参ってみたいと思っているのですが…。
牛若丸は生まれて間もなく起きた平治の乱で父を失い、母とも別れ鞍馬寺に入り、やがて京を出て奥州へと下ります。
義経の源平合戦での活躍については、「平家物語」に書かれていますが、その幼少期については触れられていません。大抵の人の童時代は分からないことが多いのですが、薄倖の英雄義経への関心から「平家物語」とは別に義経の物語が生まれたと思われます。
室町時代に成立した「義経記」では義経の少年時代に様々な話を付け加えて、義経の実像とかけ離れた物語が展開していき、各地に伝説や史跡が生まれます。
牛若丸の産湯井が紫竹牛若町に二ヶ所もあったり、安産を祈願したと伝える地蔵が二つあるのも何とも不思議ですが、これも大徳寺周辺に義朝の別邸があったことによるものなのでしょう。「常盤井」も建立者として個人名が刻まれていました。義経、常盤のファンがお建てになったのでしょうか。
お母様はあちこちの病院に入院されていらっしゃるのですね。お大切になさってください。
以前、弟さまがお描きになった大報恩寺(千本釈迦堂)のしだれ桜が見たくて、昨日たずねてきました。まだ桜は7、8分咲きでしたが、大勢のカメラマンであふれていました。昨年紅葉の頃にも、近くを通りかかったので、絵を思い出して立ち寄ったのですが、その時は人気がなく寂しい境内でしたのに…
一本の桜の木がこれだけの人を集めるのかとびっくりしました。
御所の旧近衛邸跡の糸桜を両陛下がご覧になったと1
昨日の「両陛下のご予定」という記事に載っていました。
Kokoさんが糸桜の見事なお写真をお撮りになってますが、昨年は見に行ったのがちょっと遅かったので早い目に見たいと思っています。
その時にでも千本釈迦堂も寄りたいと思うのですが…他はどこにしようかと、元々欲が深いし、目移りがして決めかねています。
そんな様子だと立派なカメラを構えたカメラマンが多くて近寄れないかもしれませんね。
弟もスナップだけ撮影して帰ってきたと言ってましたから。
Kokoさんは、いつも人を感動させるような写真をお撮りになりますね。
近頃はKokoさんのように一眼レフを持ち歩く人が随分増えてきましたが、
まだ小型のデジカメが主流ではないのでしょうか。
明日は平日ですし、花見客もカメラ愛好家も土日ほどではないでしょう。
どこの桜も満開とはいかないかも知れませんが、早咲きの桜は咲き揃っていると思います。
この地図表記場所から右側の13と表記された場所が,正解です。
地主
早速訂正させていただきます。