平家物語・義経伝説の史跡を巡る
清盛や義経、義仲が歩いた道を辿っています
 




京都市東山区の清涼山・宝樹寺には、常盤が大和国宇陀(奈良県)の
親戚を頼って
都を逃れる途中、しばし雪をさけた松があったといわれ、
境内墓地に「常盤御前雪除松跡の碑」が建っています。
 
平治の乱で敗れた源義朝は東国へ敗走の途次、相伝の家人、
野間内海の
長田忠致(ただむね)父子にだまし討ちにされました。
金王丸は急ぎ都へ戻り、義朝の都落ちの様子からその死、
長田父子を取り逃がしたことなどを一部始終、常盤に語ります。
牛若は2歳といっても数え年、乳呑子でまだ何も分かりませんが、
今若7歳、乙若5歳は金王丸の袂にとりつき父の所に連れて行けと泣きじゃくります。
いよいよ幼子たちの身にも危険が迫ってきました。

本堂に祀られている薬師如来像は「子そだて常盤薬師」と呼ばれ、
常盤御前が、今若・乙若・牛若の成長を祈願した像と伝えられています。

本町通沿いにある宝樹寺




宝樹寺墓地の一角に建つ「常盤御前雪除松跡」の石碑

清水寺仁王門
 

清水寺子安の塔
常盤が京を逃れる際、子安観音に子供達の無事を祈願したと伝えられています。


「常盤御前」松斎吟光画(画像は義経伝説をゆくより引用させていただきました。)

ここから常盤の都落ちの様子を『平治物語』にしたがって簡単に見ていきます。
六波羅では、清盛が「池殿が助けよと仰るので頼朝は仕方なく助けたが、
常盤が生んだ義朝の子、三人は捜し出して殺してしまえ。」と命じました。
このことを人づてに聞いた常盤は、雪が絶え間なく降りしきる中、
今若を先にたて、懐に牛若を抱きながら乙若の手を引いて足を急がせます。
まず、長い間信仰していた清水寺に参詣し、子供達をお守りくださいと祈ります。
清水寺の本尊は十一面観音、観音は三十三に変化して衆生を救うといわれています。

そうこうしているうちに伏見の叔母の家に着きました。
ところが頼みにしていた叔母は、平家を恐れて居留守をつかいます。
仕方なく、疲れ果てた子らを宥めながら、吹きすさぶ吹雪の中を落ちて行きます。
やっと探しあてた小屋に匿ってもらえることになり、親子は安堵しました。

三日目にその小屋を出て、何とか無事に大和国宇陀郡龍門の牧にいた
伯父のもとに逃げ込み、
そこにしばらく身を隠すことにしました
常盤が牛若丸らと身を隠した宇陀郡竜門(常盤御前の腰掛石・常盤の隠れ家)  
常盤就捕處・常盤井(常盤御前ゆかりの地) 
義朝最期の地をご覧ください。
野間№1 (湯殿跡・法山寺・源義朝最期の地 ) 
『アクセス』
「清水寺」京都市東山区清水一丁目 市バス五条坂か清水道下車徒歩16、8分
「宝樹寺」京都市東山区本町11-201 京阪電車またはJR「東福寺」下車すぐ
『参考資料』
日本古典文学大系「保元物語 平治物語」岩波書店 五味文彦「源義経」岩波新書 
「平家物語」(下)新潮日本古典集成 増田潔「京の古道を歩く」光村推古書院
「京から奥州へ 義経伝説をゆく」京都新聞センター

 

 

 

 

 

 

 



コメント ( 2 ) | Trackback (  )


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コメント
 
 
 
「女は弱しされど母は強し」ですね! (yukariko)
2010-03-09 23:20:43
都で千人の美女の中から選ばれて宮中の雑仕女となり、義朝の愛妾となって子供を三人産んだ常盤は上級貴族の姫君とは違っても源氏の棟梁の妻としてそれなりの暮らしをしてきたと思いますが、一転して謀反人の妻となり、ただ、よよと泣き伏すだけではなく、三人の子供達をかくまう為に親戚のある吉野まで逃げようとするのが母の力、凄いですね。

それまでと打って変わって力になるべき親戚までが居留守を使う情けなさにも耐え、交通手段を持たない非力な女の身で幼い三人の子と供も一人いるかどうか、哀れに思った情けある人々に助けられながら真冬の最中に京から伏見、奈良、長谷、吉野と逃亡の旅をするのですね。

それこそ観音様の御助けがあったからこそ大宇陀の叔父のもとまで辿りつけたという説話ですが今考えても吉野は遠いから幼子、乳飲み子を抱えて雪道を辿るのは大変な苦労だったろうと思います。

昨年の時代祭りの今若、乙若は藁靴や運動靴を履いていたのを思い出して微苦笑しました。
 
 
 
履物は履いていたと思うのですが… (sakura)
2010-03-10 17:05:40
昨年はyukarikoさんが撮影された時代祭りの常盤母子の可愛い写真を見せていただきましたね、その節はありがとうございました。この頃の常盤や牛若丸については「平治物語」に頼るしかありませんが、物語に書かれていることが全て本当かどうか?

物語の常として、読者・聞き手を意識し、少し誇張して面白く書いてあるのだと思います。常盤が都落ちの時、今若・乙若が履物もはく時間がなかったとは考えにくく、哀れみを誘うために少し誇張されているのかもしれません。
観音を深く信仰していた常盤は長谷寺にも参詣したことがあると思われますが、
その時は牛車に乗り、お供を連れての旅だった筈です。おっしゃるように雪道を3人の幼い子を連れての道は苦労の連続だったと思います。
現在でも宇陀までの道は、近鉄電車榛原駅で降り、そこから本数の少ないバスを待つか、長い道のりを南へと歩く道は遠く感じます。

清水の観音のご加護で、宇陀まで無事辿りつき、その後、子供たちの命は助けられます。また常盤自身も数奇な運命をたどりながら、雑仕女という身分から、義朝の北の方(頼朝の母は平治の乱の前に亡くなっている)さらに一条大蔵卿長成という貴族と再婚し、出世?していきます。
こちらも昨年お参りされて、よくご存知の珍皇寺門前の六道の辻。清水寺千日詣りには、この辻を通って参詣するのが習わしだったようです。
清水寺の観音は特に女性に人気があったようで、「枕草子」や「源氏物語」にもお参りの人々で賑わう清水寺の様子が書かれています。
 
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