
『平家物語(巻6)小督の事』は高倉天皇と小督の悲恋物語としてよく知られています。
琴や硯筺、光明真言が小督(こごう)の遺品として因幡堂平等寺に保存されています。


同寺社務所で伺うと「明治初まで清閑寺は平等寺の末寺で、平等寺の住職が清閑寺の
住職を兼務していたが、清閑寺が無住寺になる際、宝物を引上げてきた。」とのことです。
『平家物語』では小督は嵯峨で出家しそこに隠れ住んだ。とありますが、
清閑寺の寺伝では小督は同寺で出家しここで亡くなったと伝え、
『源平盛衰記』でも小督は清閑寺で尼となったと記しています。




平等寺縁起によると因幡堂は高倉天皇によって多くの堂宇が築かれ、
天皇が因幡堂を平等寺と改められました。平等寺の真南を不明門(あけず)通と呼び、
この通りは平等寺の南門に突き当たります。平等寺のすぐ南に高倉天皇の
「東五条院」があったので、高倉天皇の御所に遠慮して
同寺の南門を開けなかったためこの名がついたと伝えています。
平家物語の覚一本を完成させた琵琶法師の明石覚一が平等寺で平家琵琶を
演じたこともあり、因幡堂・平等寺は平家物語とは縁の深い寺院です。
尚、小督の遺品は非公開ですが、同寺の絵はがきで見ることができます。
小督(琴きき橋跡碑・琴聴橋・小督塚)
清閑寺 高倉天皇陵と小督の供養塔
『アクセス』
「因幡堂平等寺」京都市下京区松原通烏丸東入因幡堂町
市バス「烏丸松原」下車すぐ
『参考資料』
「平家物語」(上)角川ソフィア文庫 新潮日本古典集成「平家物語」(中)新潮社
「新定源平盛衰記」(第1巻)新人物往来社 梅原猛「京都発見」(2)新潮社
「京都市の地名」平凡社 「昭和京都名所図会」(洛中)駿々堂
その前に入り組んだ政治と人の姻戚関係を丁寧に教えて頂いているので、単なる権力で仲を引き裂いた簡単なお話とは思えず、高倉天皇と小督以外の人の宮中という小さくて大きな世界での思惑やらが想像できてしまいます。
写真をフォトチャンネルでおのせになりましたね。
とても見易いのと、後からHPなどで整理する時にも便利だろうと思います。
画像に説明文を入れておくなどの前もっての準備が大変でしょうが、分かりやすくて有難いです。
大きな画面で見れるやり方で載せてみました。
丁寧に書いて下さったメールのお陰ですぐにできました。
以前、教えていただいたタグで画像を載せる方法は細かいタグを見て画像を入れるので目も疲れるし準備が大変でした。
それに比べるとフォトチャンネルは大きな画像を簡単にのせることができますね。