風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

日本の病

2010-11-29 21:58:53 | 時事放談
 柳田前法相が更迭されたことは、海外のメディアでも取り上げられていました。イギリスのエコノミスト誌(Web版、11/22付)は、日本の政治状況を批判しており、民主党政権が民主主義の模範と仰いでいるフシがある本家のイギリスが日本をどう見ているのか興味深いので、ちょっと紹介したいと思います。
 タイトルは、「ウケなかったジョーク」(The joke that fell flat)。このfall flatという言葉は、大臣の椅子から転げ落ちた今回の顚末を連想させます。冒頭、法相(Justice Minister)と引っ掛けて、日本に正義(justice)はないのか!?(勿論、ない)と断じて、挑発的です。的外れなことを言ったわけでもない(made a sensible point)冗談の責任を取らされて辞任するのは、普通なら政界ではあり得ない話で、まったく、日本の政治は面白みに欠ける、カワイクナイ(anything but funny)と貶しています。問題となった発言は、支持者に対してただの自虐的なジョークのつもり(intended as a self-deprecating comment)だったのに、野党もマスコミも、発言の最後のくだり(「法相が法を犯してしゃべることは出来ないという当たり前の話。法を守って私は答弁している。」の部分)を端折ってしまったがために、発言の真意を歪めていると、むしろ前法相の方に同情的ですらあります。
 これに関しては、確かに発言だけ追うと、日本の国会答弁が、予告された質問に対して官僚が用意した回答原稿を読み上げるだけの、いわば筋書きがあるドラマであり、真剣味にも臨場感にも欠けるところを、簡潔に皮肉ったブラック・ジョークとしてはよく出来ていて、笑って済ませれば良いのに、まともに食って掛かる方こそ無粋だと見なすかのような同誌の言い分にも一理あります。しかし、これが、就任後僅か二ヶ月とは言え、法務行政の置かれた環境は、小沢氏と検察との確執や大阪地検の証拠隠滅をきっかけとする検察改革や尖閣問題での指揮権発動をはじめとして問題山積していたわけですから、何か実績を残したか、あるいはそうした努力の跡を見せたか、少なくとも熱意は示すような法相であったならば、寛容に受け止められたかも知れませんが、政権交代したばかりの民主党で過去20年近く法務関係の経験がないまま就任し、不慣れなばかりか存在感がまるでなく、単に「法を守って答弁している」と答えるだけの状況では、ちょっと笑えないというのが国民の本音だろうと私は思います。
 それはともかく、同誌は、これも日本の政治の退屈な日常の一コマ(part of tiresome routine)に過ぎないと述べ、日本の政治の停滞ぶり・・・小泉氏が2006年に5年の任期を終えたあと、総理大臣は6人目、農相に至っては11人目(最短就任期間8日)、財務相8人目、防衛相7人目、外相その他は6人目という、日本のマスコミもよく取り上げるエピソードを紹介し、まともな(sensible)民主政治にあっては、大臣のクビをそう頻繁にすげ替えるのは政策決定にとって好ましくないことくらい分かっていそうなものに、この空騒ぎは一体どうしたことか?(Why the fuss?)と手厳しい。
 その最大の理由を、同誌はリーダーシップの欠如だと指摘します。そしてそれは日本病とでも言うべき固有の問題(endemic)になりつつある、とも。前法相を守り切れなかったのも、菅氏自らが重ねてきた手負いの傷のせいで、一連の失態・・・参院選前に消費税増税のお騒がせ発言、尖閣問題を巡る中国への弱腰外交、唐突なTPP参加表明と反対を受けて発言の後退などを取り上げ、これこそ日本に舵取りがいなくて(rudderless)漂流しているかのように思わせる原因であり、野党につけ入るスキを与える(exposed to attacks)もの(だからと言って野党の側にもこの国を運営するもっと良いアイディアがあるわけではないのだが)と、酷評します。
 今回の事件は大臣が使い捨て(expendable)であることを示すばかりか、閣内に残る大臣の権威をも貶め(undermine)、更に、日本におけるメディアの力や、そうしたメディアが実施する世論調査を政府がいちいち気にする状況(obsession)を際立たせ、その世論調査は選挙民の政治的な嗜好よりもむしろその時々に揺れ動く気紛れな感情に左右されるにも係らず、それに基づいて政治のアジェンダが決められることが多過ぎると、同誌は批判的です。こうして、世論調査が落ち込むほど、菅氏の立場は弱くなり、菅氏が気弱に見えるほど、野党は無分別に(柳田氏のような)犠牲を求め、しかし菅氏がへたばれば、支持率は更に落ち込むばかりで、金縛り状態(Catch-22)だと形容します。政権交代を支持して投票した人たちは、半世紀にわたる自民党政権の相も変わらぬ能無しで独りよがりの政治(this sort of brainless, self-obsessed politics as usual)が真っ先に改められるものと期待していたのですが、どうやら新政権も同じ政治に囚われていて、憂鬱だと締めくくっています。
 後半については、癪ですが、それぞれ指摘されてもっともで、反論のしようがありません。確かに日本において大臣の椅子は、じっくり政治の司令を出す場と言うより、政治家にとって名誉ある経歴の一つでしかなく、“前”や“元”がつく大臣は一杯いますが、能力があって復職することはなく、ただ単にたらい回しにして、人材をいたずらに消費するばかりです(もっとも果たして人材がいるのかという根本的な疑問はあります)。また成熟して利害が多様化し、無党派層が過半を占めるほど明確な政治的主張がない日本の現代社会にあって、民意の表れと見なされる政党支持率がどこまで正しく日本の羅針盤たり得るのか、むしろ世論は脇に置いて「千万人といえども我往かん」といった気概をもって信念に基いて邁進する政治の方がよほど長い目で見て国益に叶うのではないか、そういう意味では小沢さんがマニフェストの原点に戻るべきと主張する発想自体は正しいと思います(問題は民主党を支持した国民の大多数は民主党のマニフェストを支持したわけでは無いという逆説でしょう)。そして、今、総選挙があっても、民主党も自民党も勝てないという小沢さんの見立てもまた正しい。この点はエコノミスト誌の最後の主張に通ずるものがあり、高度成長が終わって失われた20年でもたついている間に、日本を取り巻く国際環境はすっかり変ってしまい、日本の政治の機能不全は、民主党でも変えられなかったということでししょう。それでも私は日本および日本人の復元力を信じますが、その時は、欧米に規準を求めるのではなく、日本の歴史を肯定的に振り返りつつ日本らしさを再認識するところから始まると思います。
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沖縄

2010-11-26 00:58:51 | 時事放談
 今週末は沖縄県知事選挙の投票日です。現職の仲井真氏と前宜野湾市長の伊波氏との事実上の一騎討ちと言われていますが、この一年、民主党の鳩山政権にさんざん振り回された結果、仲井真氏まで普天間基地の県外さらには国外移設を主張されて、争点がなくなり、いまひとつ盛り上がりに欠けると伝えられています。
 だからというわけではないのでしょうが、今日の報道ステーションで、沖縄に関する面白い特集をやっていました。
 沖縄の地政学的な戦略的重要性は、実は正確に説明出来る人は少ないのではないかと思います。鳩山さんもようやく理解したと言いつつ、本人の口から説明されることはありませんでした。
 かつて中国・人民解放軍内部の国防方針として、九州を起点に、沖縄、台湾、フィリピン、ボルネオ島にいたるラインを第一列島線と呼び、2010年までに中国の防衛ラインを第一列島線に敷き、その内側の南シナ海・東シナ海・日本海へのアメリカ海・空軍の侵入を阻止することを目指して来ました(今や中国は伊豆諸島~小笠原諸島~グアムと続く第二列島線へと勢力圏を拡大することを狙っています)。アメリカもかつて冷戦時代にアジアにおけるソ連封じ込め戦略の一環で、アメリカの防衛ラインをアリューシャン列島、日本列島、琉球、フィリピンを結ぶ線に設定するというアチソン声明を出しました。朝鮮半島はその外にあり、仮に北朝鮮が韓国に侵入してもアメリカは朝鮮半島防衛に出てくることはないと勘違いした金日成が朝鮮戦争を勃発したことでも有名な、声明です。沖縄はそのラインの中核に位置するのです。
 沖縄が、安全保障上、重要な位置を占めるということは、同時に、物流や観光の上でも要衝に位置するとも言えるわけで、報道ステーションでも、沖縄が物流拠点また観光地として飛躍する可能性があることを指摘したのでした。北は、ソウルから北京・上海・台湾・香港などの中華圏の主要都市だけでなく、成田・羽田・関空まで、また南は、マニラや遠くバンコクに至るまで、そのいずれの都市に対しても飛行機で4時間でリーチ出来るのは沖縄だけだと言うわけです。その証拠に、ANA Cargoはこの半年の間に、沖縄を貨物集積のハブとする仕組みを構築しました。所有する(9つの内の)8つの航空貨物機を深夜に各地から沖縄に集め、荷物を仕向け地毎に組み替えた上で、夜明け前までに沖縄を出発して各地に戻すわけです。今では国際貨物取扱量で沖縄は成田・関空に次いで日本第三位に躍り出たそうです。
 私が初めて沖縄を訪れたのはかれこれ20年以上も前のことで、観光バスに揺られながら、沖縄の三分の一を占めると言われた米軍基地が延々と続く光景に、沖縄が戦後置かれてきた現実を目の当たりにして愕然としたものでした。かつて湘南海岸に住んだことがあり、厚木基地から戦闘機が飛び立つ通り道に当たり、イラク戦争の頃には、絶え間ない騒音は半端ではありませんでした。沖縄の苦労を慮ったものです。しかし、沖縄経済の基地への依存度は、1972年の返還当時の15%から、今では5%まで下がっているそうです。観光客は年間570万人、まだまだポテンシャルを秘めていると言えます。番組では香港の旅行代理店の視察旅行の模様を追いかけ、沖縄の自然の美しさに今更ながら驚嘆するとともに、タイのプーケットは典型的なリゾート地であり、沖縄はショッピングには便利だけれども、沖縄界隈の離島は自然が一杯で素朴な風景が残り、観光資源として有望だと見直す声が挙がっていたのを報じていました。滞在型観光と組み合わせた医療ツーリズムとしても魅力的だと、解説の一色さんが話していましたが、その通りだと思います。
 モノの世界では、市場が成熟し技術で差がなくなると、デザインを含めたブランド力が勝負を決めます。この点で、日本の時計業界は、長年、スイス勢の後塵を拝し苦戦して来ましたが、自動車業界は技術志向ながら圧倒的な信頼性により不動のブランド力を築き上げてきました。観光においても、家電製品や化粧品をはじめとするホンモノの技術だけではなく、日本的な自然の豊かさや、日本的な街並みの美しさ、治安や国民の人柄の良さといった社会・文化的な質の高さが、観光産業における競争力の源泉たり得ると思います。基地だけではない沖縄の今後に心から期待したいと思います。
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北朝鮮砲撃

2010-11-25 02:53:17 | 時事放談
 最近、ニューヨーク・タイムズ紙のメールマガジンを取っているのですが、今朝(昨晩着信)一面はタリバン関連記事で、北朝鮮による砲撃ではありませんでした。アメリカ国民の目から見れば所詮は極東での地域紛争に過ぎないのでしょう。それでも、今なお10万近い兵力をアフガニスタンに駐留しているアメリカとしては、新たな紛争地域を抱えることは避けたいに違いなく、オバマ大領領のメッセージは、アメリカ時間で早朝5時という異例の早さで発信されました。関心の高さが窺われます。
 それに引き換え、日本の反応は相変わらず鈍いと言わざるを得ません。祝日だったとは言え、菅首相は第一報が報道によるものだったことを認めてしまい、またしても情報収集体制の不備を曝け出してしまいました。北沢防衛相が市谷の防衛省に入ったのは午後5時過ぎになってからで、しかもその一時間前には防衛省幹部が防衛相は登庁しないと漏らしており、どうやら首相の指示で防衛省に向かったという感度の鈍さです。民主党の中には、閣僚を辞めさせても補正予算案成立が思い通りにならない政権にとって、不謹慎かもしれないけれども、今回の事件は国会運営上は天佑かもしれない、などと囁く人もいて、不謹慎です。
 こうした鈍さは民主党だからというわけではなく、私たち自身の鈍さの反映なのかも知れないと思います。今朝の日経の報道で一番印象に残ったのは、「日本は、これだけ北朝鮮のミサイルや核爆弾に隣接して、よく平気でいられるものだ」という欧州の外交当局者の感想が引用されているものでした。実際、砲撃があった延坪島は南北境界水域に近いとは言え、今なお防空壕があるというのが驚きでしたし、住民が非難した仁川は近く、ソウルですらも軍事境界線から僅かに50Kmしか離れていないことも驚きでしたが、その時、私たち日本人が置かれている立場のことは忘れています。
 元外務審議官の田中均さんは弱者の恫喝だと吐き捨てていました。自分たちに失うものは何もない、しかしお前たちは失うと困るだろう、だから何とかしろ・・・というわけですが、田中さんがTV番組で言われたように、私たちのロジックが通用しないならず者が間近にいる国際政治の現実を、私たち日本人は考え直す必要がありそうです。
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NG発言

2010-11-23 11:54:46 | 時事放談
 「法相は答弁2つ覚えておけばいい」などと国会を軽視したかのような発言をした柳田氏が更迭されました。どんな文脈で語られたのか今ひとつはっきりしないので正直なところ冗談の度合いを測りかねますが、いくら地元で仲間内の会とは言え、国政報告会(大臣就任祝賀パーティー)という、半ば公衆の面前で飛ばす類いの冗談ではないことは確かでしょう。
 柳田氏の場合は、国会答弁を軽視し、閣僚の資質を貶めたものですが、日曜討論やマスコミのインタビューなどで、政治家としての責任を放棄するかの如き、また結果として政治家の資質を貶めるが如き軽い発言が、民主党や国民新党などの与党議員からよく聞こえてくるのが耳障りです。例えば政治とカネに関連して小沢元代表を国会招致しようにも首に鈴をつけられずにぐずぐずしているのを見透かされまいとして、出処進退は「ご本人が判断されること」と白を切る。政権を担当した奢りからさんざん言いたい放題のまま「最後は総理がお決めになること」と白を切る。日本の総理大臣ってそんなに偉かったっけ!?と、単純な私は逆に感動してしまいそうですが、実のところ彼らには総理大臣に対する敬意のかけらも見えはしません。
 「本人が判断すること」「総理がお決めになること」などといった紋切り型の発言は、必ずしも民主党の専売特許ではなく、我々にも稀に似たような放言はあるものですが、少なくとも与党慣れした自民党政権時代にはそれほど気になりませんでした。そういう意味では初々しくもありますが、野党時代には説明責任をさんざん追及しておきながら、いざ政権を担当すると、説明が足りずに責任を果たし切れていない逃げ腰が、些か不愉快でもあります。
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ブルー・サファイア

2010-11-21 16:35:17 | 時事放談
 先週、英国王室のウィリアム王子の婚約発表がありました。父チャールズ皇太子の私生活の奔放ぶりから、次期国王に相応しいとされる王子(Wikipediaによるとイングランド国教会にはその首長たる国王が離婚経験者と結婚する事を認めない規定があるそうで、現にエドワード8世は離婚歴のあるシンプソン夫人と結婚するために退位して弟のジョージ6世(現エリザベス女王の父)に王位を譲りましたが、さてどうなることやら)の婚約発表には、景気回復が鈍い英国において久々の朗報となり、祝賀気分の盛り上がりが期待されるようです。一般人が英国王室に嫁ぐのは数世紀ぶりだということも話題だろうと察せられますが、私には、王子が贈った婚約指輪が、父が母・ダイアナ元妃に贈った形見の品だったというのが驚きで、ちょっと調べてみました。
 父のチャールズ皇太子がダイアナ元妃にプロポーズした時には、いずれ王妃となる立場には重圧感が伴うことも熟慮してもらうためと称して婚約指輪を用意していなかったそうで、承諾後に、王室御用達宝石店Garrardに提示させたものの中から、彼女自身が選んだのがこの18カラットのブルー・サファイアだったそうです。当時、ロイヤル・ファミリーの婚約指輪だというのに特注品ではなく、2万8千ポンド出せば誰でも購入できるカタログ品だったことが判明して、ロイヤル・ファミリーだけでなく世間でもちょっとした物議(a bit of a stir)を醸したそうですが、ダイアナ元妃の好みだということが、そうした懸念を抑え、ブルー・サファイアは結婚を控えたカップルたちの誓いのシンボルに祭り上げられて行ったのだそうです。
 ブルー自体はロイヤル・ファミリーの色でもあり、戴冠式に使われる王室第一級公式王冠「インペリアル・ステート・クラウン」で2石のサファイアが使用されているのをはじめとして、王室で長く愛されてきました。またサファイアは、コランダムのうち宝石としての価値があり、かつ色が赤でないもの(赤いものはルビー)と言うように、不純物として含まれるクロムの量に応じて、ブルーだけでなくピンクから黄色や茶色や灰色まで、豊富なバリエーションがあり、持ち主の心次第で色が変わってしまうなどとも言われ、皇帝ナポレオンは、妻の心変わりを心配して浮気封じのお守りとしてプレゼントしたと言われますし、他の王や君主も、危害やねたみから守るために愛用したと言われます。ダイアナ王妃がそんな故事を知っていたのかどうか定かではありませんが、その後のダイアナ王妃の運命と重なって、なんだか痛ましくもあり象徴的でもあります。
 報道によると王子は「母がこの喜びを見逃さないように」(He told reporters he had made the decision to use his mother's ring to make sure she "didn't miss out on the excitement" of the wedding.)と亡き母に思いを馳せ、婚儀の全てを母にも身近に感じてもらうための自分なりのやり方だ(This was my way of keeping her close to it all.)と語ったそうですが、10歳で別居し15歳で母親を失った王子のいじらしい思いが伝わってきます。イギリスのSky Newsの記事コメントを読んでいると、王子の髪が薄くなったなあとか、お嫁さんは別嬪だねえ、などと茶化した書き込みに混ざって、どうして新品を贈らずにダイアナ元妃の形見の品を贈ったのかと疑問視し、ダイアナ元妃の不幸を重ね合わせて心配する声がある一方、一種の偽装とも見なされる父の婚約指輪は、今度こそ新婦への愛と母への愛に包まれて、幸せを祈るといったハナムケの言葉もあって、賛否両論に割れています。私としては、当初は疑問に思ったものの、関連記事を読むにつれ、多少髪が薄くなっても爽やかな王子が、敢えて皇太子妃と王子妃を対置するのではなく、(義)母から子を強調することによって、否応なしに新妻がダイアナ元妃と比較されるであろうことを避けようとする心遣いと、敢えて形見の品を贈って母の運命を避けることなく直視し、新しい生活に立ち向かう覚悟を示しているようで、微笑ましく思うようになりました。
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尖閣問題のその後

2010-11-20 15:01:46 | 時事放談
 尖閣映像をネット上に投稿したSENGOKU38を名乗る海上保安官が告白して早10日、当初、APECをやり過ごすだけと見られていましたが、諸情勢を勘案し、その後も逮捕することなく任意での取調べが続いています。公務員の守秘義務違反で問われる「秘密性」ひとつとってもそうですし、様々な論点、また論者によって様々な切り口があり、他人事にはなかなか面白い事案です。
 一つだけはっきり言えることは、菅首相は機密保全対策を検討する委員会の設置を指示したそうですが、海保の尖閣映像だけでなく、警視庁の国際テロ捜査資料の流出問題もあったことですし、情報管理のあり方を抜本的に見直し再発防止に努めることは重要でしょう。海保の職員の中に本事案に対する同情の声が多いのは事実で、心情としては理解しつつも、組織の機密保全のあり方として問題があったことは間違いありません。秘密を守れない相手に秘密を渡さないのは道理であり、日本が国際社会における秘密情報共有のパートナーとして孤立しかねないことは戒めなければならないところです。しかしだからと言って仙谷官房長官が国家公務員法の守秘義務違反の罰則強化に言及したのは、今回の事案に対する仙谷氏の関心の在り処を示唆して興味深いですが、ちょっと短絡的だと思います。組織内の不法・不正を暴き、少なくとも組織に不利な情報を流すのが内部告発だとすれば、そういう意味での構成要件をなし得るかどうかは疑問で、むしろ大きく、国家公務員の守秘義務と、国民の知る権利との間の相克を問題提起している以上、罰則強化や組織の引き締めなどに問題を矮小化しないで、もう少し議論を深めておくべきだろうと思います。
 もっともこうした大きな問題も、今ここで結論が出せるわけではなく、今後のために指針や考え方を補強しながら、個々に対処していくほかありません。問題提起のきっかけになったのは、ビデオ映像の秘匿をめぐる政権与党の対処の仕方でしたが、結局、ややほとぼりが冷めてあぶり出されてきたのは、政権与党の政権運営そのもの、ひいては党の本質と、その結果としての対中関係の劣化だろうと思います。前者については、核の密約を暴いて自民党政権下の外交の密室性を批判した民主党にあって、細野氏派遣の際、中国との間でビデオ映像秘匿の密約をなしたと指摘する声があり、勿論、事実かどうか分かりませんし、核密約とは比べるべくもないレベルの違いもありますが、その後の仙谷氏の不機嫌を見ていると(まあ、いつも不機嫌そうですが)、さもありなんと思わせます。菅首相は、かつて周囲に「民主主義とは、政権交代可能な独裁だ」と漏らしていたと言われますし、副総理・財務相時代には「ちょっと言葉が過ぎると気を付けなきゃいけませんが、議会制民主主義というのは期限を切ったあるレベルの独裁を認めることだと思っている」などと公言しました。民主制において「独裁」などと耳障りな言葉を口にすること自体が異様ですが、百歩譲って、国民に対する選挙公約を守る限りにおいては「独裁」という方法論を許すにしても、今の民主党には当てはまりません。マニフェストは骨抜きにされ、唯一評価されてきた事業仕分けすらも、いわば政治対官僚の対立の構図が、ミイラ取りがミイラになり、民主党内部の内紛の様相に置き換わって、何一つ実現できず、ただの政治パフォーマンスに堕したことは誰の目にも明らかです。外交や安全保障に関する信念もどきはあったようですが、国際政治の現実の前に粉砕され、今や確固たる軸がありません。そして先ほどのあぶり出された問題の後者に関わることとして、とりわけ緻密に計算する国・中国に対して余りに無防備であり、ある大学教授がニュース解説番組で、戦略的互恵関係と思い込んでいるものは、戦略なき損得勘定に過ぎないと吐き捨てていましたが、至言です。先週末あたりは西日本だけでなく首都圏にも中国から黄砂が飛んできていたようですが、まさに勢いを増す隣国・中国のお陰で、視界不良にならなければ良いですが。
 などと、前置きが随分長くなってしまいました。実は今日は、尖閣問題に関して、ここ1~2週間に目に触れた解説記事の中からユニークな視点を紹介するつもりでした。
 一つは、内部告発(と呼べるかどうか別にして)と言えば、かつては新聞社や雑誌社などのマスコミが利用されたものですが、今回はインターネットの動画投稿サイトだったことに、危機感を強めるべきだとのマスコミ批判が見られました。確かに今回のケースで実際に尖閣映像を持ち込まれた場合、大手メディアであれば対応に苦慮したかも知れません。インターネットというメディアが広がって、あらためて伝統的なマスコミの存在意義が問われる側面があります。もう一つは、国家公務員法で保護する「秘密」は特定の「事実」であるのに対し、今回、流出したのは「情報」素材としてのビデオ映像であり、ビデオで表現されている具体的事実が、非公知であるか、保護に値するかが問題となったものであって、結論として守秘義務違反の罰則適用は困難ではないか、という指摘です。実際にビデオを見た日本人は、中国漁船がぶつかって来たことは明らかだと判断したのに対し、中国人は日本の巡視船が邪魔したと反発しました。日本の法体系は、物理的な管理・支配が不可能な「情報」を中心とする社会になりつつある現実に十分に適合できなくなっている点が指摘されたわけです。いずれも、新しいメディアを含む新しい技術の台頭に対して、法を含む社会の対応は、常に事実を後追いする性格のものであることを再認識させられ、概して政治的主張や感情論に流されがちな中で、その冷静な着眼点が面白いと思いました。
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やはり野に置け・・・

2010-11-19 02:09:55 | 時事放談
 学生時代の仙谷官房長官が全共闘の闘士だったのは有名な話ですが、どちらかと言うとその端の方にいて、安田講堂での攻防の際にも、立て篭もって機動隊に逮捕されたわけではなく、逮捕された人のために弁護士を手配したり弁当の差し入れをしたりする救援活動をする側にいて、今と同様、“陰”に潜んでいるのがお得意だったようだと報じられていました(「週刊新潮」10月28日号)。また、仙谷氏は、官房長官就任にあたって、20年連れ添った政策秘書をクビにしたそうですが、その理由は、その秘書が左翼だったから、左翼の発想では権力の維持は出来ないから、と断じたそうです(「WiLL」12月号、屋山太郎氏)。どうやら秘書は変えて、表面を取り繕うことは出来ても、彼の思想・信条まで変えることは出来なかったようです。みんなの党の渡辺喜美代表から「昔の左翼時代のDNAが図らずも明らかになった」と指摘されたように、今日の参院予算委員会で、自衛隊のことを「暴力装置」と表現し、その後、自民党・世耕氏から抗議を受けて、「実力組織」と言い換え、「不適当だった」と、「自衛隊の皆さまに謝罪」しました。
 思想・信条はもちろん自由で、共産党・穀田国対委員長は「いわば学術用語として、そういうこと(暴力装置との表現)は当然あったんでしょう」などと理解を示したそうですが、私人はもとより野党で革新を気取るのなら結構ですが、自衛隊の最高責任者である総理大臣を補佐する立場にある官房長官の見識としては不適当と言うべきであり、少なくともそれを公言してメディアに乗せて自衛隊の方の耳に届けてしまうのは、あるまじきことです。
 海上自衛隊や海上保安庁の武器使用には厳しい制限があり、一連の法改正の中で、所謂船体射撃は出来るようになりましたが、正当防衛または緊急避難の要件を満たさない限り人に危害を与えてはならないという制約が課せられているそうです。また警察の方からは、スパイ防止法がないため、スパイと分かってもそのままでは逮捕できず、別の例えば不法入国のような軽い罪状で逮捕して出国させるのが関の山で、悩みが深いという声を聞きます。身体を張って国民を守ってくれている自衛隊や警察組織の前線では、手足を縛られて高いリスクを負わせておきながら、平和ボケした我々国民がのほほんとしているのはまだしも、上司筋から「暴力装置」呼ばわりされるようでは浮かばれません。
 タイトルは、ご存知、播磨の俳人・滝野瓢水が詠んだ歌「手に取るな やはり野に置け 蓮華草」の一節で、蓮華草は野にあるからこそ美しい、家の中に飾っても庭の花壇に植えても不似合いで本来の美しさは生かされない、転じて適材適所が良いと言うことの喩えとして使われますが、先日の柳田法相の失言と言い、どうも民主党政権の閣僚や官房長官を見ていると、まだ与党慣れしていないのか、自覚が足りなくて、野(の)に置いておいた方が良いと思わせられます。それが野(や)つまり野党または下野した方が良いとまでは言いませんが・・・
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チームワーク・オブ・ザ・イヤー

2010-11-18 00:11:59 | 日々の生活
 世の中にはいろいろな賞があるもので、去年から今年にかけて注目を集め、顕著な実績を残した商品・サービスを提供したチームに贈られる「チームワーク・オブ・ザ・イヤー」の最優秀賞に、JAXAの小惑星探査機はやぶさプロジェクトチームが選ばれたそうです。
 2003年の打ち上げ後、暫く行方不明になって、久しく人々の記憶から消し去られていた「はやぶさ」が、足掛け7年60億キロもの長旅の末に帰還した今年6月以来、俄かに脚光を浴び、科学ファンのみならず、元気を失いがちな日本人に日本の科学技術の底力を思い出させて、勇気を与えてくれました。かく言う私も、なんとはないカプセルとパラシュートの現物セットを、否、むしろその記憶を、あるいはそのドラマ性を、有難く拝見したものです。そしてつい昨日になって、持ち帰ったカプセル内部で確認された微粒子がいよいよイトカワ由来の物質と判断されたことが発表され、今回の賞のダメを押したということなのでしょう。月より遠い天体地表から地表物質の回収に成功したのは世界史上初めてのことであり、日本の科学技術の快挙を素直に喜びたいと思います。
 さて、この賞を主催するのは、チームワークの重要性の認知向上と促進を目的とする団体「ロジカルチームワーク委員会」という、一見いかがわしそうな団体ですが、実はこの委員会を主催するのは、よくよく調べてみると、Webベースのグループウェア製品を中心に企業向けソフトウェアを提供するサイボウズで、そうと聞くと、ちょっと遊び心を感じさせてホッとします。そのHPを見ていて、ロジカルチームワーク5箇条なるものを見つけました(http://team-work.jp/point/)。
(1)わがままに成長しよう(自分が納得して取り組めなければ面白くない。チームは自己実現の場と捉えるべし)
(2)お互いを褒めあおう(褒めることは相手を承認すること。お互いを認め合い、本音の議論をするべし)
(3)高くステキなビジョンを掲げよう(ビジョンは数字ではなく理想の姿。成功した時の姿を具体的に描ける美しいビジョンを持つべし)
(4)その道のプロになろう(指示するものでもされるものでもなく、それぞれの役割におけるトップ集団になるべし)
(5)矛盾を壊して伝説を作ろう(それぞれの主張は時には矛盾を生む。立場を超えた本音の議論で壁を超え、ブレークスルーしたチームとして名を残すべし)
 チームワークと言いながら、仲良しこよしではなく、冷徹に個人あってのチームと認識し、先ずは個人の力を存分に発揮させようとする発想が小気味良いですね。
 因みにこの委員会がノミネートしたのは、小惑星探査機はやぶさプロジェクトチーム(JAXA)のほかに、大河ドラマ龍馬伝制作チーム(NHK)、キリンフリー商品開発チーム(キリンビール)、LED電球商品開発チーム(東芝ライテック)の計四つだったそうです。プロジェクトXのように、ビジョンの純度の高さや、そのビジョンを実行に移す戦略性よりも、その愚直なまでに徹底的な実行力こそが、成功のカギであるのでしょう。それは、事業経営上の全てのプロジェクトにも当てはまることだと、しみじみ思います。
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カタルシス

2010-11-16 01:45:33 | スポーツ・芸能好き
 白鵬の連勝記録が63でストップしました。白鵬らしくない、ちょっと浮ついた一番に見えました。対戦相手が、自身11連勝中の稀勢の里だった、という油断があったかも知れませんし、200年以上も前の江戸時代の横綱・谷風に並ぶ史上2番目の記録(63連勝)を達成して、本人も言うように「もう1つ勝ち星を伸ばしてやるというスキがあった」のかも知れません。場所前に双葉山の故郷を訪問してきっちり仁義を切り、満を持して臨んだ九州場所のはずでした。
 偉大な双葉山の記録が日本人ではなく外国人力士に破られることへの抵抗は、少なくとも王選手の年間本塁打記録がランディ・バースやタフィ・ローズに破られそうになった時ほどのことはなさそうです。インタビューで白鵬は「双葉山関は本当にあこがれの存在で、自分なんかでいいのか、という気持ちはあります。(数字で)超えたとしても、自分の中では超えたとは思いません」と答えるなど、イマドキの日本人力士より余程日本人らしい、奥床しく泰然自若とした風格を備えることは、口うるさい内館牧子さんも認めるところですし、野球賭博問題に揺れた名古屋場所で全勝優勝を遂げながら、憧れの天皇杯のない表彰式に涙して、その気持ちをくんだ天皇陛下から、侍従長を通じて、ねぎらいのお言葉が贈られたと言われるように、白鵬の相撲に賭けるひたむきさには、文句のつけようがありません。
 それでも、今日、白鵬には本当に申し訳ないのだけれど、一種のカタルシスを感じてホッとしたことを白状しなければなりません。一つには、日本の国技である大相撲における日本人力士の不甲斐なさと角界の低迷が根底にあります。日本人横綱は、2003年初場所に貴乃花が引退して以来出ていませんし、日本人大関も、2007年秋場所に琴光喜が大関に昇進して以来、絶えて出ていませんし、日本人力士の優勝は、2006年初場所の栃東以来ありませんし、今場所の三役九人の内、日本人力士は僅かに二人だけという体たらくです。そして二つには、今年の初場所に朝青龍が引退して以来、白鵬の一人横綱が続き、心身ともに疲れているという同情の声も聞こえて来て、それはその通りだろうと気の毒にも思いますが、連勝記録を伸ばしたところで、強い相手がいないだけというやっかみの声はやはり否定出来ません(もっとも、1993~94年に曙が11場所にわたって、また2004~06年に朝青龍が21場所にわたって、一人横綱でしたが、双葉山の記録にここまで肉薄することはありませんでしたが)。そして何より三つには、双葉山が達成した69連勝は、年二場所制の時代に、足掛け三年、平幕から関脇・大関を経て横綱三場所目に達成したという偉大な記録です。それは、今年、パリーグでイチロー以来の200本安打を達成したロッテ・西岡の記録(206本)や、イチローを越える214本安打を達成した阪神・マートンの記録が、所詮は144試合で達成したもので、イチローが130試合制で達成した210本安打とは明確に区別するファン心理に似ています。繰り返しますが、いずれも白鵬のせいではなく、単に不運な状況に置かれているだけのことです。
 そんな微妙なファン心理に支えられつつ、今の角界を引っ張ってくれている白鵬を評価しない相撲ファンはいないでしょう。いろいろぐずぐず述べて来ましたが、相撲人気を盛り立てるためには、また連勝記録に挑戦し、私たちの微妙なファン心理を刺激して欲しいと思います。
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政治主導のなれの果て

2010-11-11 02:33:17 | 時事放談
 再び法に基づき粛々と捜査を続けるのでしょうか。神戸海上保安部の海上保安官が、尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件を撮影したビデオ映像をインターネット上に流出させたと名乗り出ました。さすがに今回は、逮捕された中国人船長に対する処遇とのバランスも考慮すべきといった指摘が検察OBからも早々に出ており、それほど、国民感情は、この海上保安官に対して同情的です。
 以前、沖縄返還の機密公電を暴露した新聞記者らが国家公務員法違反に問われた裁判で、最高裁は、守秘義務の対象は、形式的な秘密指定の有無ではなく、実質的に秘密として保護に値するかどうかで決まると判断しました。今回の映像は、既に国会議員が見ていますし、これまで関係者が説明した内容以上の新たな事実がないことから、秘密にあたらないのではないかと、さる大学名誉教授は話していました。一方で、機密であろうがなかろうが、捜査情報という、本来、外に出してはいけないものを流出させたことを問題視する検察幹部がいますし、他方で、国民目線では、映像が明らかになったのは良いことで、法律家の見方と違う面があり、流出させたのは正当な行為と見ることも出来るのではないか、と語る別の検察幹部もいて、今後の捜査の行方は流動的です。
 そもそも職責上、映像を入手できる立場にはなかった海上保安官がどうやって入手したのか、石垣海保安職員は関与していたのかいなかったのか、といった辺りもさることながら、動機は何だったのか、この海上保安官は、「告白」する前に読売テレビの単独取材に応じて、映像を公開した理由を「私がやらなければ闇から闇へ葬られて跡形もなくなってしまう」「この映像は国民には見る権利がある」などと語ったとされますが、興味があるところです。実際、海保内部には中国人船長の釈放に不満を持つ職員が多く、ビデオ映像流出を擁護する意見が多いと言われ、これは何も海保だけに留まらず、海保政策評価広報室には「映像が見られてよかった」「海保が現場で頑張っているのが分かった」といった声が寄せられていますし、神戸海保には「(海上保安官は)間違ったことはしていない」「逮捕しないでほしい」「犯人捜しをやめてほしい」といった保安官を激励する声が相次いでいるそうです。ユーチューブには「投稿された方の勇気と愛国心に感謝したい」といった賛辞のコメントが並んでいますし、ツイッターでは、映像を隠そうとした政府の方が問題だと、野党・自民党のような批判が渦巻き、更には国民の知る権利を制限する方が重罪と、矛先はあらぬ方向、検察に向けられているそうです。
 こうした話を聞いていると、五・一五事件が思い出されます。国家改造というクーデターこそ達成できませんでしたが、一国の総理大臣が暗殺されるという重い事実にも係らず、海軍将校らの裁判が進むにつれ、全国から減刑を求める声が高まり、一種の社会現象を惹き起こしたのは有名な話です。昭和恐慌、飢饉、冷害によって地方の農村の生活は困窮を極めており、こうした農村出身者が多かった将校の「疲弊の極みにある農村を救って健全な軍隊をつくらねばならぬ」といった陳述や、資本主義の農村搾取を憤る言葉は国民の共感を呼び、幕末・維新の白刃の下をかいくぐった明治世代がいなくなって、政治家も役人も財界人もそれぞれ自分の権益ばかりに汲々とする中で、ひとり軍隊だけは国家のありよう、向かうべき方向性に心を砕き、国民が軍部を支持する風潮が強くなっていったとされています(「日本の近代(下)」福田和也著)。
 勿論、もはや時代が違い、現代の日本に強い軍隊はありません。しかし、海保の現場で身体を張った警備活動を、上司筋である政治は評価しないばかりか、国民の目に触れされることなく秘匿し、中国人船長釈放にあたっては、政治判断すべき時にその判断を内外に示す覚悟なく、裏で糸を引きながら表では単に沖縄地検の決定を「了とする」というような茶番劇を演じて失笑を買い、挙句に、今回の映像流出事案に対して、鳩山前首相は情報クーデターと呼び、原口前総務相も(役所の職員が故意にやったとすれば)国家に対する反逆に近いと言い、APEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議直前の流出事故に、与党関係者は政治的テロ呼ばわりするなど、政治主導は後退して責任転嫁するばかりであり、極めつけに、仙谷官房長官は、政治職と執行職とでは責任のとりかたが違う、海上保安庁長官の責任が問われる(しかし閣僚の責任は問われない)ことを仄めかすなど、民主党政権にあるのは、国家戦略や、国益の観念ではなく、党利党略が行動原理として目立つばかりであり、政治主導が泣いています。
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