風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

夜を越えるSLIM

2024-05-01 22:34:11 | ビジネスパーソンとして

 今年1月20日に月面へのピンポイント着陸に成功した無人探査機SLIMが、2月末と3月末に続き、4月末にも三度目となる月の夜を乗り越えた(越夜)。マイナス170度〜プラス110度と、寒暖差が280℃もある過酷な月面環境に耐える設計になっていなかったにもかかわらず、である。23日の夜に機体との通信を確立し、カメラで月面の周囲の様子を撮影するなど、主要機能の維持を確認したという。

 日経XTECHに寄稿された松浦晋也氏によると、月面探査機は通常、着陸地点の朝に着陸し、温度が上がり切らない数日間だけ運用して、そのまま運用を終了するように設計するものだそうだ。では、長期にわたる場合はどうするかというと、旧ソ連の無人月面車ルノホート(1970年と73年に月面に着陸)や中国の月着陸機・嫦娥3/4号(2013/19年に月面着陸)は、熱を発する放射性同位体を搭載し、夜間の極低温から搭載機器を保護する設計を採用していたらしい。

 他方、SLIMと同様の方針で設計されたものとして、2023年8月に月面着陸に成功したインドのチャンドラヤーン3号が搭載していた月面探査車プラギャンは越夜の後に復活することなく運用を終了したとか、2月に民間初の着陸に成功した米インテュイティブ・マシンズも翌月に運用を終了したなどと、暗にSLIMの日本品質を誇るかのような記事が見られる(私もブログにそのように書いた)が、遠い昔には、米国がアポロ計画の準備として打ち上げたサーベイヤー1号(1966年6月に月着陸)が6回の、同5号(1967年9月に月着陸)が1回の越夜を達成しているらしい。そうは言っても、当時はトランジスタを主体としたもので、現代の高集積半導体を使用したSLIMとは状況が異なり、単純比較はよろしくないかもしれない。此度のSLIMの復活が想定を上回る性能を示しているのは紛れもない事実で、放射性同位体に頼らない機器設計に基づいて長期間月面で運用できる探査機の開発に道を開くものだと評価されるのは、現代技術の文脈においてはその通りなのだろう。

 SLIMは29日未明から再び休眠状態に入ったそうだ。「はやぶさ」の時もそうだったように、勝手ながらなんだかんだ言って擬人化して、JAXAがXの公式アカウントで報告する稼働状況を楽しみにしている(笑)

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ヨーカドーの苦境

2024-04-20 20:06:14 | ビジネスパーソンとして

 近所のヨーカドーに行って驚いた。ダイソーの占有面積が倍以上、フロアをほぼ覆い尽くすまでに拡大していたのだ。

 セブン&アイHDがイトーヨーカ堂を含むスーパー事業の株式を一部売却する検討を始めると報じられていた。GMSの苦境が伝えられて久しいが、ダイエー、マイカル、西友に続き、流石のヨーカドーもたち行かなくなったようだ。確かに、地下の食料品売場はいつ行っても混んでいるが、アパレルや日用雑貨売場は閑散としていて、ひとりダイソーだけが気を吐いている。

 スーパーや百貨店に限らず、総合と名のつく商社や電機は、かつては日本経済を牽引した。人材の流動性が低い日本では、社内に様々な事業領域を抱えることで、社内で人材移動しつつ、最適配置していたのだろう。風向きが変わったのは世紀が変わる頃だったろうか。カテゴリーキラーと呼ばれる専業メーカーや小売業が台頭し、総合を侵食し始めた。

 スーツや靴と違ってワイシャツにはこだわりがない私は、ヨーカドーのバーゲンを利用して来たが、最近はそんなPB商品の質の劣化が目に余る。もはや普段着を買うならユニクロに、電化製品ならヤマダやヨドバシに、小洒落た文房具ならロフトに行く。いつしかヨーカドーに行っても、ダイソーやユニクロやドトールなどの専門店にばかり足を運ぶようになった。スーパー事業の株式売却云々が生活実感に遅れをとったのは、ひとえにセブン−イレブンという稼ぎ頭があるからだろう。日本のコンビニの進化は素晴らしい。これも時代の流れであり、ヨーカドーは駅前の好立地を活かしてフロア貸しの専門店街として生きて行くしかないのかもしれない。

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JALの新社長

2024-01-21 15:33:49 | ビジネスパーソンとして

 日本航空(JAL)が発表した4月1日付の新社長人事が話題だ。社長になるのは、女性、しかもCA出身者で初めてで、さらに2002年に経営統合した日本エアシステム(JAS)出身者としても初めてという、初めてづくしだそうだ。

 早速BBCは、日本政府は「2020年までに大手企業の女性役員比率を3割以上にする目標を掲げていたが、達成できず、期限を2030年に延長している」「2025年までに女性役員を最低1人選任するよう努めるべきだと提言している」、また、「日本の女性役員比率は2021年に13.2%と、経済協力開発機構(OECD)加盟国の中で最も低い。日本の女性役員の少なさについてOECDは2019年の時点から、『人材の致命的な配分ミス』があると指摘している」と書き添えた。毎度お馴染みの日本批判である。確かに、振り返れば画期的な出来事だが、今さらそんなに持て囃さないで欲しいという思いもある。

 新社長となる鳥取三津子さんは1985年の短大卒で、男女雇用機会均等法施行の前の年にあたる。当時、短大卒の女性は事務職として採用されると、男性社員の代わりにコピーを取ったり、当時はパワポなる便利なソフトがなかったものだから、OHPを使ったプレゼンのために透明材料のOHPシートに色付きセロファンを貼り付けたり、といった補助的な仕事をする、ある意味で(当時の世相に皮肉を込めて)優雅な、また、午前10時と午後3時に部員にお茶をいれて配る「お茶当番」をしたりという、今では考えられない長閑な時代だった。スチュワーデスと呼ばれたCAは、そんな中では女性らしさを発揮できるからだろうか、才色兼備の女性憧れの花形職業と見做されていた。TBSのドラマ『スチュワーデス物語』(1983年)や、古くは同じTBS系の『アテンション・プリーズ』(1970年)がスチュワーデス人気を無闇に盛り立てた側面もある。実際には立ちっ放しで時差ボケがあり我儘な乗客の御用聞きもする肉体労働者だと卑下する声もあったが、日本のフラッグシップとも言うべきJALのCAはプライドが高く、(あくまで相対的に)高齢化していたのに対して、全日空(ANA)のCAは若くて対応が良いと評判で、私の周囲で海外出張が多いFrequent FlyerはANA派に切り替えるというように、飛行機会社の人気を前線で支える存在だった。

 その意味でも、今回の人事発表は、なかなか変わらないニッポン(ガイジンから見ての日本という意味でカタカナ書きにした)が変わりつつある象徴と言えそうだ。当時の世相から想像するに、鳥取さんは優秀な女性だったに違いない。かつてなら、いくら優秀でもある年齢を過ぎれば肩叩きにあったことだろう。しかし、その後は普通に総合職としての女性採用が、また管理職への女性登用が進んできたことだろう。そのため、CAで初というような言われ方は、今後はもうなくなることだろう。

 その後、JALは、CAのプライドが高く、高齢化していたという噂と関係があるかどうか知らないが、2010年に経営破綻し、「経営の神様」稲盛和夫さんが経営に参画して改革に辣腕を振るわれ、再生した。その点からも、今回の人事は順当だと評する声がある。

 当時、JALの役員は東大出が多く、稲盛さん曰く、「私のような地方大出身のもともとは中小企業の社長のようなタイプとは全く違います。自分たちは最高の高等教育機関で経営学を学んだと自負していて、『人として何が大事か』というような私の哲学をすんなりとは受け入れません」(JAL再生過程における社内文書での言葉)という状況だったそうだ。稲盛さんが植え付けた経営スタイルは「現場主義」で、まず整備の現場を歩んできた大西賢氏を社長に指名し(自らは会長に就任)、その後任にパイロット出身の植木義晴氏、次いで現社長で整備畑出身の赤坂祐二氏、そして今回、CA出身の鳥取さんへと引き継がれる。

 逆に、経営企画や子会社経営の経験がないことを不安視する声もある。JAL関係者によれば、社長の有力候補としては他に、営業企画のエースでグループCFOの斎藤祐二取締役専務執行役員(59)と、総務本部長の青木紀将常務執行役員(59)がいたそうで、今後は、現社長の赤坂氏が会長として経営に目配りし、斎藤氏や青木氏が実務をサポートする体制を予想する声もある。今どき、創業者の社長でもない限り、経営の隅から隅まで知悉する者などいないだろう。そうした不安を慮ってか、赤坂現社長は、「これからの経営は、いろんな人達の力をいかに引き出せるか、にかかっているのではないかと思います。事業が多様化しているなかで、これからはチーム経営が重要だと思います。そういう意味では長年安全・サービスを担当していた鳥取さんはふさわしい人物だと考えています」と説明された。

 鳥取さんが入社した年には、JAL123便が御巣鷹の尾根に墜落し、520人が死亡するという痛ましい事故があった。そして、今月2日には、JAL516便が羽田空港で海上保安庁の航空機と衝突し、海上保安庁側は搭乗者6人中5人が死亡したが、JAL側は乗客・乗員合わせて379人が全員、奇跡的に脱出する事故があった。JAL所属の機体が起こした全損事故はJAL123便以来のことで、何やら因縁めく。JAL516便のCAの対応が評価されているタイミングで鳥取さんの社長就任を公にするのは巧妙だと舌を巻く関係者の声もある。

 今なお大企業でも、同じ程度に優秀なら女性を引き上げろ、という不文律がある。それを逆差別だと受け止める男性もいるかも知れない。こうした不毛な「女性だから」という議論は、そろそろいい加減に止めにしたいものだ。だから、鳥取さんの次の発言は頼もしい。その自然体のご活躍を期待したい。

「安全運航は引き続き揺るがぬ信念をもって、取り組んでいきたいです。また、JALは社会の役にたっている、献身的で、楽しそうな会社だなと思ってもらえるように取り組んでまいります。心から働きたくなる、そして一人ひとりの能力が発揮できる場となれば、必ずお客様に選ばれるエアライングループになると思います。あまり女性だからとは思っておらず、自分らしくやっていきたいです」

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はやぶさ2の快挙

2022-06-11 22:22:25 | ビジネスパーソンとして

 小惑星探査機「はやぶさ2」が持ち帰った小惑星「りゅうぐう」の砂などの分析結果が10日公開され、日経は、佐々木朗希の完全試合に擬えて、「はやぶさ2『完全試合』達成 宇宙ビジネス、先行の好機」と報じた(*)。前回ブログの「科学技術立国」に関わるニュースで、喜ばしい(笑)。

 記事によると、はやぶさ2は「技術面でりゅうぐうの表面や地下の物質を採取して地球に持ち帰るなど5項目」、「科学面では小惑星の構造や形成過程、地球や生命のもとになる物質についての成果をあげるなど6項目の目標」を設定し、今回、科学面でサンプル分析から新たな知見を得たことで、全ての目標を見事にクリアした(=完全試合)という。

 さらに記事は、次のようにも述べる。「はやぶさ2が技術・科学の両面ですべての目標を達成したことは技術の成熟度や科学研究の水準の高さを証明、宇宙開発で日本の存在感を示した。」 全く異論はない。

 近隣には、意味もなく「国格」を気にする国があって、むやみやたらに絡んで欲しくない(笑)ものだし、本来、宇宙は新たなフロンティアで、ロマンに充ち満ちているものなのに、露骨に軍事利用を進める国があって、しかも他人の科学・技術を盗んでまでも自らの威信にこだわる様子は、清少納言も草葉の陰で「いと、あさまし」などと呆れているに違いない(笑)。日本は、粛々と自らのアジェンダをこなしていくのみ、である。

(*) https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD08AL9008062022000000/

 

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世界スパコン・ランキング

2022-06-09 07:27:32 | ビジネスパーソンとして

 世界のスパコン・ランキングで、アメリカが首位を奪還し、国産スパコン「富岳」が2位に陥落したことが小さな話題になった(*)。このリベラルでポリコレ全盛の優しい時代に、あけすけに首位にこだわりを見せるのは昭和の男の性(サガ)かもしれないが(こういうのも今ではセクハラ発言になるのだろう・・・自分を卑下した独り言に過ぎないのだが)、続けたい。

 トップ10の内、アメリカが5件を占めたのは流石としか言いようがない。日本は「富嶽」が孤軍奮闘しているだけなのがちょっと寂しい。せめてアメリカの半分あるいは欧州並みの存在感、というのが昭和の感覚で、もう1件は欲しかった(トップ500まで拡げると、3分の2近くを米国と中国が占め、日本は34台と随分差があるものの、この2ヶ国に次ぐらしいが)。その欧州勢から、初登場の2件がトップ10に食い込んだのは快挙だ。いつまでもアメリカに頼っていられない(あるいは経済が地盤沈下するばかりなのを食い止めたい)という気概だろうか。中でも、今、話題のフィンランドが3位というのが特筆される。人口は僅か550万人、世界幸福度ランキング首位の国だ。中国は、「富嶽」を越える性能を既に実現しながら、アメリカを刺激するのを避けて発表を控えているとする噂があり、気掛かりだ。欧米中心のお祭り騒ぎから一線を画す、これも一つのデカップリングだろうか(それとも秋の党大会までは波風立てずにおとなしくしているだけだろうか)。

 この手の話には、どうしても「二位じゃダメなんですか」という議論がついて回る(笑)。記事でも、「富岳のような大規模スパコンの開発には1000億円規模の投資が必要」「財政事情の厳しい日本が米中などと世界最速の座を競い続けるのは難しい」「開発だけではなく、活用の発想も欠かせない」とネガティブな表現が続き、東大の鈴木一人教授も、「(計算速度の)ランキングの首位を取ることが経済安保で目指す姿ではない」と指摘される。但し、鈴木教授は、「より重要なのは他国に依存せずにスパコンを活用できる体制を築くことだ」と、経済安全保障を意識したご発言が主旨だった。

 日本にとって、最大の防衛戦略(ひいては国のあらまほしきカタチ)は、国の規模が多少縮んでも、科学技術立国を措いて他にはないと、私はかねがね信じて来た。小学生の頃、資源小国の貿易立国だと教わって、だから全方位外交(=八方美人)は正しい戦略だと久しく信じて来た。xxx立国など、昭和のノスタルジーでしかないかも知れない。しかし、ガチガチにハリネズミのように防衛装備して周辺国を刺激するよりも、科学技術という、生々しい防衛の最前線から一歩引いたところで強かに武装する方が、戦後に謙虚に出直した日本人には受け入れやすいだろうし、実際に平和主義の日本によく似合う。冷戦時代のイメージで言えば、原爆は敢えて持たないけれども、いつでも作れるぞ、という潜在力だ。最大の同盟国・アメリカは、そんな日本を中国(やロシア)側に追いやるわけには行かないから、日本をしっかり守ってくれるだろう・・・などとムシのよいことを考える(笑)。

 ビジネス界で、強迫観念のように「成果主義」がもてはやされ、つい目に見える結果ばかりに関心が向きがちだが、科学技術立国という文脈で言うと、成果もさることながら、科学と技術の両面で切磋琢磨しながら、その頂点を当たり前のように目指す雰囲気を醸成することが重要だと思う。世界スパコン・ランキング首位ではしゃぐのはその一例だ。そうして、多くの若者が当たり前のように理科系の学部に進学し(だからと言って文科系を軽視するつもりはないが)、最先端のアカデミアやビジネス界で研究・開発に身を投じ、当たり前のように成果を出し、それを見た若者が「自分も」と当たり前のように後を追う、好循環のエコシステムを生むことを期待したい。科学技術基盤は、国力(ハードパワー)の基礎としての経済力を下支えするとともに、防衛装備技術が今やAIや量子などますますデュアル・ユース化する(むしろ民から軍への流れが強まっている)時代に、もう一つの国力(ハードパワー)の軍事力、その防衛装備基盤をも結果的に強くすることに繋がる。経済安全保障戦略では、「戦略的自律性」と「戦略的不可欠性」という言葉で抽象化された。

 ところが、平成の30年の間に、そんな雰囲気は当たり前ではなくなってしまった。少子高齢化で財政的に厳しいし、日本学術会議を中心とするアカデミアが軍事研究を忌避し続けるマインドセットは旧態依然のままだ。ところが、パンデミックとウクライナ戦争で食糧難とエネルギー危機が叫ばれる今であれば、「資源の乏しい」というのがかつて日本の枕詞だったことは、実感として思い出されるだろう。そんな日本の最大の資源は人材(人財)だということを思い出すべきだ・・・と思っていたら、岸田政権の「骨太の方針」では人への投資を強化するという。もはや久しく議論すらされなくなったような長年の課題だ。支持率だけは高い岸田政権だが、手遅れにならない内に、是非、実行力を見せて欲しいものだと思う。

(*) https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC283LV0Y2A520C2000000/

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ものづくり敗戦

2020-09-17 22:53:36 | ビジネスパーソンとして
 メーカー勤務のサラリーマンとして、最近、二つの新聞報道にちょっとした衝撃を受けた。
 一つは、ちょっと古くなるが7月1日、米国市場でアメリカのEV(電気自動車)メーカーであるテスラの時価総額が一時2105億ドル(約22兆6000億円)となり、同日の東京市場のトヨタの時価総額(21兆7185億円)を抜いて、自動車メーカーで世界首位に立ったことだ。もとより技術者としても実業家としても、イーロン・マスク氏の傑出ぶりは言うまでもないが、昨年の世界販売は僅か37万台である(言わずもがな、トヨタは1000万台を超える)。
 もう一つは、中国のドローン(小型無人機)メーカーDJIの最新機種を分析したところ、約8割の部品(金額ベース)で汎用品を使い、競合比で約半分という低コストと技術力が競争力の源泉であることが浮き彫りになったことだ(8月28日付、日本経済新聞)。
 日本は長らく「ものづくり大国」を自称し、実際に世界を牽引してきた。しかし、それも1980年代までのことだろう。冷戦が崩壊して東欧が国際社会に復帰し、天安門事件でいったん孤立した中国が再び国際社会に包摂されてからは、「ものづくり」の国際分業が加速し、日本は空洞化して行った。象徴的なのが、パソコンや携帯電話やスマホなどの情報機器だろう。コアな部品(OSやCPUなど)が標準化された特殊な産業で、技術が成熟するにつれ、開発・製造は台湾ODMによる中国工場で行われるようになった。エイサー創業者の施振栄(スタン・シー)氏が描いて見せた所謂「スマイル・カーブ」(横軸に開発・製造から販売・サービスに至るビジネス・プロセスを、縦軸に付加価値をとった場合に、川上の部品・素材、川下のSIやサービスという両端で付加価値が高く、真ん中の組立工程で低くなる)に沿った動きだ。ところが、二つ目の記事は、日本のメーカーが一種の「神話」と信じて進めて来た国際分業を否定するような動きを示しているように見える。他方、自動車産業は、パソコンなどとは違って、自社製エンジンとメカの組合せ(所謂擦り合わせ技術)に日本独自の強みがあって、安定した成長を遂げて来た。ところが、一つ目の記事で、トヨタと言えども安泰とは言えないことが読み取れる。
 日本の「ものづくり」が失敗したのは、ハードウェアとソフトウェアの開発・製造のプロセスの違いを認識できていないからではないかと思う。
 例えば、日本のパソコンは、商品を企画してから市場にリリースするまでの期間が長いと言われた。日本では品質の安定を重視するため、何種類かのCPUやメモリなどの部品の互換性や、HDDその他の周辺機器の接続テストを実施する上、家計簿ソフトや年賀状ソフトなど、バンドルする様々なアプリケーション・ソフトを評価するため、時間が余計にかかってしまうのである。そうこうしている内に、次のCPUやメモリやHDDの新製品が市場に出て来るので、パソコンが出荷される頃には最新スペックではなくなってしまう(その代わり品質の安定性は担保されるのだが)。私が駐在したマレーシアをはじめとする東南アジア諸国は「新しいもの好き」で(笑)、最新鋭のCPUやメモリやHDDを搭載するからこそ売れるのであって、日本製はさっぱり人気がなかったものだ。
 すなわち、ハードウェアのものづくりは、量産ラインに乗せる前に、バグを潰して完璧にすることで、後戻り工数やコストを減らすことに本質があり、そのためにカイゼン活動がある。それに対して、ソフトウェアは、カタチが出来たら先ずは世に出して(アルファ版、ベータ版など)、後からパッチを当てるなどして、バグを潰して完成度をあげて行くという、製品の作り方に顕著な違いがある。それが、日本は石橋を叩いて渡り、アジア諸国は走りながら考える、という行動性向の違いにマッチしているのがなんとも不思議だ(笑)。想像するに、日本メーカーはパソコンをハード製品と認識して、ものづくりの発想で製品を作り込んでいたのに対し、日本以外ではパソコンをソフトを動かすツールとしか見ていなくて、ソフトウェア開発の発想で、パソコンを売っていたのではないだろうか。こうしてスピードで負け、売れなければ、ボリュームが出ないので、コストでも負けてしまう。パソコンを分解したら、限定された台湾の開発・製造会社が請け負うので、中身は殆ど同じだったりするから、コスト・ダウンできなければ商売にはならないのである。
 冒頭、取り上げた二つの記事は、「ものづくり」の重心がソフトウェアに移り、自動車と言えども、メカそのものではなく動かすソフトが、またドローンにしても制御するソフトにこそ、付加価値の源泉があることを示しているのだろう。また余談になるが、中国メーカーには、他国に閉鎖的な自国市場で独占的に量を捌いてコスト・ダウンを図れる国家資本主義であることが有利に働いている。さらに付け加えるならば、最近の日本では、最初から海外を向いて「ものづくり」する気概が見えなくなっている。
 いずれにしても日本のハードウェア志向の伝統的な「ものづくり」は、もはやアメリカのGAFAや中国のBATHと言われるIT企業のスピードについて行けないように思えてしまうのは、別に私のせいではないのだが(笑)、同時代を生きて来たサラリーマンとして内心忸怩たるものがある。アメリカの華為技術(ファーウェイ)制裁によって同社がスマホ事業から撤退するという噂が出るのを見ると、かつて半導体産業で世界に冠たる日本は、ごく限られた製造設備や素材で生きながらえているに過ぎず(それでも韓国に対する輸出規制の武器になり得るレベルではあるのだが)、実はアメリカがしぶとくその技術を握っていることが判明し、愕然としている。日本は世界の希少種としてニッチな世界でしか生きて行けないのか、なんとか復活できないものか・・・というのは、ただの感傷に過ぎないのだろうか。もっとも自動車はパソコンなどと違って、桁違いの品質の安定性が求められるため、パソコンやスマホなどの情報機器での「ものづくり敗戦」と同一視できないだろう。今後、世界のトヨタの「ものづくり」がどのように対抗し進化して行くのか、興味深いところだ。
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ブルックス・ブラザーズ経営破綻

2020-07-09 19:46:12 | ビジネスパーソンとして
 入社した頃も、今も、スーツやブレザーはBrooks BrothersやJ.PRESSなどのアメリカン・トラッドと決めている。いい歳こいて・・・とも思うが、独身寮にいた頃、ある知人と、おっさんになってもボタンダウンを着たいもんやなあ、などと夢(?)を語り合ったもので、今もワイシャツはボタンダウンである(惰性と言ったほうが良いかも)。そのBrooks Brothersが経営破綻したと聞いて、驚いた。創業1818年の老舗で、200周年を迎えたばかり。古くはリンカーンやJ.F.ケネディなど歴代大統領に愛されたブランドであることは、独身寮時代に雑誌を貪り読んで知った。その後、アメリカ駐在中、初めてニューヨークに立ち寄ったとき、本店を訪れただけで何も買わなかったが、ひとしきり感動した(買い物はアウトレットで、という不届き者 笑)。報道には、新型コロナウイルス感染拡大による店舗の休業が響いた、とある。
 また、アメリカ駐在中に時々利用した百貨店ニーマン・マーカスやJCペニーも、新型コロナウイルス関連で経営破綻した(それぞれ5月7日と5月15日)。ニーマン・マーカスは創業1907年、JCペニーは創業1902年の老舗である。
 更に、20数年前、駐在前にアメリカに入り浸っていた頃、レンタカーはいつもハーツを利用していたのだが、そのハーツも、つい先ごろ(と、ググってみると5月22日)、経営破綻した。創業1918年、レンタカー業界の老舗である。報道によると、これも新型コロナウイルス感染拡大による旅客需要の減少が経営悪化に追い打ちをかけた、とある。
 いずれも所謂チャプター11、すなわち連邦破産法11条の適用を申請したもので、日本で言うところの民事再生に相当するのだが、こうした老舗企業だけではなく、2000年代にエネルギー界のグーグルと目され、米国のシェール革命を主導したチェサピーク・エナジーも、先月末に経営破綻した。新型コロナウイルスの深刻さが分かるが、歴史の歯車を狂わせたのではなく、歴史の回転を速めてしまったと言うべきなのだろう。小売業はネット通販の台頭で(スーツやブレザーは、それ以前から、ビジネスにカジュアルが広まり、今や在宅勤務で、着る機会はめっきり減った)、レンタカー業界はウーバー・テクノロジーズなどのライドシェア勢に押されて、もともと業績が低迷していると言われていたし、チェサピークは、リース契約を結んだ米国の土地所有者が100万人に達したと言われるが、詰まるところ資産規模は大きくても質が悪く、低エネルギー価格の時代に適応できなかったと解説される。
 ついでに日本も、もとより無縁ではない。銀座で店をたたむところが出て来て、空き店舗を中国人が買い占めていると聞くと、複雑な気持ちになる。かつて日本がバブル経済の絶頂にあった1989年、ソニーがコロンビア・ピクチャーズを(1987年のCBSレコードに続き)買収し、三菱地所がNYのロックフェラー・センターを買収したとき、ジャパン・マネーは「アメリカの魂を買う」のかと猛烈な反発を受け、ジャパン・バッシングの火に油を注いだものだった(その後、ロックフェラー・センターの運営会社は経営破綻したが)。当時、日本経済ともどもユーフォリアに浮かれていた私は、ビジネスウィークだったかの表紙にセンセーショナルに書き立てられたそのフレーズを不条理に感じたものだが、この年齢になると、新陳代謝は世の習いとは言え、見慣れた景色が変わることには一抹の寂しさがあり、当時のアメリカ人の腹立たしさや悔しさにも思いを致すのである。まあ、年寄りの感傷に過ぎないのだが。
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働き方改革

2019-10-26 22:18:14 | ビジネスパーソンとして
 今朝の日経二面に、「小売り、24時間営業転機」と題した記事が掲載されていた。サブタイトルに「働き方改革、消費者も変化」とあり、さらにそのサブに「『持続可能』模索続く」とある。
 名前の通り朝7時から夜11時まで営業するのを売りに参入した「セブンイレブン」が24時間営業を始めたのは、意外にも福島県の店舗で、1975年だそうである。石油ショックを受けながらも高度成長で日本中が浮かれていた頃だ。それが1980年代には全国に広がったという。「吉野家」やファミレスでも24時間営業が当たり前になり、私が学生の頃にはその恩恵を存分に受けて、二次会、三次会、四次会で飲みくたびれたときには「からふね屋珈琲」で酔い覚ましにぼんやりしたり仮眠をとったりと重宝したものだった。ところが最近は少子高齢化でアルバイト確保もままならず、さらに働き方改革という半ば上からの意識改革が進められ、9月末現在、230店舗が時短の実験をしているそうだ。
 正月三が日でも小売りが休まなくなったのはいつ頃からであろう。そんなことを思って、今でも思い出すのは、アメリカ滞在中、Thanksgivingの休暇にMartha's Vineyard島(東海岸の街ボストン郊外のケープ岬の付け根にある)を訪れたときのことだ。11月後半ともなれば、ボストン界隈は冷え込む。しかもこの聖なる休暇で、お店がことごとく閉まっていて、晩飯にありつくのに苦労した。1990年代後半の頃の話である。因みにこの島は、時の大統領クリントン氏が奥さんのヒラリーと娘のチェルシーと共に夏の休暇を過ごすことで注目を集めていた。だからと言って訪れるほどミーハーなわけではなく、その先にあるNantucket島が本命で、いざ直前に旅行を計画したときにどちらが都合が良いかで選んだに過ぎない。ところが、その半年後に、JFKの長男(JFKジュニア)とその奥さんとそのお姉ちゃんの乗った小型飛行機が、この島の海岸沖に墜落したという偶然に驚いた。もっともJFKはマサチューセッツ州ブルックリンの生まれで、政治家として地盤となし、奥さんのジャクリーンは、私がアメリカに赴任した年(1994年)に亡くなるまでこの島で過ごしたという意味では、ケネディー家ゆかりの保養地だったということなのだろう。
 閑話休題。何が言いたいかと言うと、便利さが全てではないだろう、ということだ。いや、実際にMartha's Vineyard島でレストランを探して、震えながらうろついていた時には、個人主義のアメリカを、なんて身勝手なんだと恨めしく思ったものだ(苦笑)。しかし不便だと分かっていれば、やりようがある。そして日本でも時代は変わった、と言うより、私たち日本人の意識が変わった。
 私たち日本人、と一般化するのは良くないかもしれない。私のような昭和のサラリーマンは、「場」の意識が強い。自らのプロフェッショナリティを提供するという意識は変わらなくても、その方法論として成果で測るのではなくその過程、つまりその場にいるという意識が根強かった。かつて若い頃は、なんとなく会社にいて、遅くまで残業するのが当たり前だった。それこそ藩に忠誠を尽くしたサムライの如く、いったん就職すれば終身雇用のもとで安定的に、勤め上げるほど給与も上がる年功序列のもとで、一生を捧げると言う意味では、およそ西欧生まれで効率を至上命題とする資本主義とは性格が異なる。
 最近、私の会社でも「働き方改革」キャンペーンが繰り広げられ、一時はケジメがないと中断されたフレックス制度が復活し、2020オリパラの渋滞回避を目的に実証実験した在宅勤務の本格導入が始まった。お陰で職場の行先表示板には、フレックスやら在宅勤務やらの文字が賑わうようになった。生産性改善を旗印にしているが、少なくとも成果が目に見えて落ちない限り、奨励されるべきだろう・・・といったことは、若い人にはごく当たり前のことと思われるかも知れないが、私のような昭和のサラリーマンにとって「働き方改革」はマネジメントの問題であり、ひいては「生き方改革」だと、馬鹿馬鹿しいほどに大仰に構えてしまうのだ(笑)。
 我が身を振り返ってみる。仮に一日8時間勤務として、仮に一日中オフィスにいて、どれほど集中して仕事しているかと問われると甚だ怪しい。さらに創造的な仕事をしているかと問われるともはや疑わしい(笑)。8割は雑用だという乱暴な言い方もあって、確かに雑用も仕事には違いないし、生産的な仕事の仕方を工夫する必要はあるだろう。が、それでも(仕事の生産性をあげたところで)生理的に脳は高度な集中力が続くものではない。仕事を切り替えるときの脳の切り替え、気分転換だとか、休憩という名の「アイドリング」「遊び」が必要で、一日を眺めてみると、山あり谷ありなのは経験的に実感されるところだし、実証されてもいる。仕事にあってはFace to Faceが最も生産性が高いと思うが、以上の通り、仕事は常にFace to Faceである必要はない。じゃあ働く場所も働き方も柔軟であっていいではないか、ということだ(仕事のタイプによるけれども)。
 「遊び」は、実は余り認めたくないかも知れないが、一定程度は世の中の潤滑油として必要悪なのだろうと思う。人間の活動で100%の生産性はあり得ない。80%がいいところだろう(飽くまでも心がある人間の話であって、機械は別だ)。かつて民主党政権の時代に「事業仕分け」と言ってムダを切り詰めようとして、「二番じゃ駄目なのか」と本質的ではない議論をして、評判を落としたことがあった。大いなるムダがあるとすれば話は別だが、小さいムダを切り詰めるのであれば、一律20%削減にして後は現場に任せる度量が必要だったのだろう(そこは時の民主党という、日本のリベラル(=革新)の限界だったのかも知れない)。所詮「遊び」は中央でどうこう判断するべき問題ではなく、現場で一人ひとりが裁量する話だと思うからだ。
 実は私たち日本人は・・・とまた一般化してはいけないな。昭和のサラリーマンの私は、その「場」にいるという意識が強いばかりに、その「場」にいて何をしているか、果たして生産的に仕事をしているか、結果として、創造的に集中しているときもあれば「遊び」もあるといった実態に、無頓着だったかも知れない。私は、どこでも眠ることが出来るように、どこで仕事をしても同じだと思うタイプの人間で、却ってオフィスの方が集中できると思っているが、そうじゃない人もいるということに想いを馳せなければならないのだろう。こうして一種の「思い込み」を外して自由になることは大事なことで、それによって全体のパフォーマンスがあがれば、それに越したことはない・・・とまあ、昭和のサラリーマンの言い訳がましい戯言である。
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プロフェッショナルの条件

2019-04-04 23:21:44 | ビジネスパーソンとして
 今週は寒の戻りで、花冷えの日が続いたせいか、桜は花びらを散らせることなく、咲き誇ったままだった。専門家によると、平均して満開から10日、気温が上がると一週間で散るが、気温が下がれば二週間ぐらい持つのだそうだ。週末まで花見を楽しめるだろうか。
 今日は前回ブログをちょっと補足したい。プロフェッショナルの条件について、である。
 子供の頃から個性や創造性を発揮することが重要だと、半ば脅迫観念を以て語られ、日本の学校制度ではそれらは育たない、むしろその芽を摘むような仕組みになっている、などと揶揄されたりもする。しかし有意なレベルの個性というものは、残念ながらそれほど多くないし、そんな個性だらけだと組織は却ってまとまらないし、イノベーションは既存のアイディアの組合せ(新結合)だと言われるように、ビジネスにあっては発明家や画家や小説家のような創造性が期待されているわけではない。その意味では「創造」より「想像」する力が大事と言うべきではないかと思う。
 もとより根拠のない「お花畑」を想像せよと言っているのではない(笑)。現実感覚に基づき相手(ビジネスパートナー)の立場を慮るということだ。例えば、上司の立場になって、部下の仕事のアウトプットに対する期待値はどれほどか想像してみる。お客様の立場になって、提供される製品やサービスに期待されるビジネス価値とは何か想像してみる。交渉相手の立場になって、譲れない一線としてのボトムラインを想像してみる。リスクを想像してみる・・・私たちは多かれ少なかれ無意識の内にビジネスの目標をこうして想像力によって設定していることに気が付く。同じ人間のことだから、決して難しいことではない。が、想像を逞しくするためには良質な多くの経験が必要不可欠となる。その場合、現実の事象をしっかり自分の目で観察し本質を洞察することが重要だし、足りない経験は話を聴いたり読書をするなど疑似体験によって補うことも必要になる。私の感覚で言えば、想像する力=感性であって、感性を磨くことが想像力や創造性を発揮することに繋がると思う。
 前回ブログでは、今の時代を美化し過ぎたので(笑)、ちょっと訂正しておく。現実の仕事現場では一見ツマラナイような仕事が8割(一見意味がありそうな仕事はせいぜい2割)と思った方がいい。しかし雑用や細かい仕事の中にこそ真理がある(所謂“神は細部に宿る”)のであって、細部とは言え手を抜かずに気を配りながらきっちりこなしていくことが肝要と思う。大きな仕事は小さな仕事の延長上に、あるいはその積み上げの上にあるものだからだ。
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東レも品質不正

2017-11-29 00:18:04 | ビジネスパーソンとして
 表題は、今日の日経・夕刊一面記事に付されたものだ。サブ・タイトルに「子会社、データ改ざん」とある。記事を読んで、つくづく考えさせられた。
対象製品は、自動車関連メーカーなど国内外の13社に供給していた「タイヤコード」といわれる自動車用タイヤの繊維製補強材や自動車用ホース・ベルトの3品目の補強材で、2008年4月から2016年7月まで(とは長期にわたるが、僅か、と言っては怒られそうな)149件、約400トン(対象額は1億5千万円)について品質検査のデータを書き換えていたという。改ざんと言って、どれほどのマグニチュードなのか、新聞を二度読んで、この程度で!?と驚きを隠せなかったのは、「タイヤコードなどの強さを示す『強力』が258ニュートンという数値が出ていたが、顧客と契約した260ニュートンに改ざんしていた」というのだ。実に0.8%にも満たず、私のような文科系の素人目には誤差の範囲に思う。顧客の同意があれば規格外の製品でも出荷できる「特別採用(トクサイ)」を悪用したもの、「トクサイ」とは不適格製品の取り扱いの手法で、顧客が要求した品質ではないが不良品とまではいえない場合に、納期や数量を勘案すれば、誤差の範囲として取り扱ったほうが得策であることから、最終製品の品質に影響を与えないことを前提に、顧客に許可をもらい出荷するものだという。今回も、顧客に許可を貰う手間を惜しまなければ問題にならなかったように読める。
 それにしては日経はでかでかと「品質不正」とセンセーショナルに書きたて、記事本文にも「日本のものづくりへの不信が強まりかねない」と書いた。神戸製鋼所、三菱マテリアルの子会社3社に続く大手企業グループ会社による不祥事は、確かにショッキングだ。しかし法令違反でもなく、どうやら安全にも影響しないのに、大袈裟ではないか。関係者はどう見ているか、日経電子版によれば「東レのライバル企業の幹部に、不正を好機として商権を奪う自信はあるかとたずねると『ありません』と即答された」とあり、また「三菱マテの取引先の中堅社員は『不正があっても品質は世界最高』と話す」とある。中国あたりでは、ざまあ見ろ以前に、この程度で騒ぎたてることに却って驚いているのではないだろうか。
 いくつかポイントがある。
 今日の記者会見で、昨年7月に不正を把握していたにも関わらず、発覚から時間がかかったのは何故かと問われた東レ社長は、「法令違反や安全に影響する場合は公表するが、今回は安全面に影響はないと判断した。先ずは顧客への報告を優先した」と答え、「顧客との間での取り決め(を巡る問題)なので、公表する必要はないと考えていた」と説明したという。従来なら内々で済ませてきた問題とうかがわせる。企業人としては良く分かる理屈だが、あらためて振り返るに、社会的責任の視点が欠落しているのだろう。神戸製鋼の問題のときにも、素材・部品メーカとして社会への影響が大きいと言われた。つまり直接の顧客との関係にとどまらず、その先には最終顧客がおり、従って直接の顧客との約束違反は、最終顧客との約束違反でもあり、社会を騙したことになる・・・規範意識の欠落が指弾されていると考えるべきなのだろう。
 公表に至ったキッカケも象徴的だ。今月3日にネットの掲示板で、東レでもデータ改ざんがあるとの書き込みがあり、「噂として流れるよりも正確な内容を説明すべきだと公表の準備を進めてきた」といい、その上で「神戸製鋼所や三菱マテリアルなど(で相次いでデータ改ざんが発覚し)、皆さんが品質問題に対して関心があった」のも公表を後押ししたという。ネット社会は、やや神経質に過ぎる気がしないでもないが、もはやそうは言っておれない、そういう時代なのだろう。
 経団連の榊原会長と言えば東レのご出身(現在、相談役)で、昨日の記者会見で三菱マテリアルグループの不正問題に関して「日本の製造業に対する信頼にも影響を及ぼしかねない深刻な事態だ」と指摘していた矢先の不正発覚となったのだから、なんとも皮肉だ。
 ESG投資などと言われて久しいが、E:Environment(環境)、S:Social(社会)、G:Governance(企業統治)はどこか遠い世界のキャッチフレーズではなく身近な問題なのだと、恥ずかしながらも認識をあらたにした次第である。
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