風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

報道ステーションの顔

2015-11-28 22:17:01 | 日々の生活
 テレビ朝日の看板番組「報道ステーション」の偏向ぶりは、今さら言っても仕方ないのだが、11月16日、パリ同時テロの関連映像を紹介した際、古舘伊知郎キャスターはレギュラー・コメンテーターの内藤正典・同志社大学大学院教授に対し、次のような疑問をぶつけたという。「本当にこの残忍なテロで、許すまじきテロを行った。これは、とんでもないことは当然ですけども、一方でですね、有志連合のアメリカの、ロシアの、あるいは、ヨーロッパの一部の、フランスも含まれますが、誤爆によって、無辜の民が殺される。結婚式の車列にドローンによって無人機から爆弾が投下されて、皆殺しの目に遭う。これも、反対側から見ると、テロですよね」(産経Webより)。
 古舘氏はともかく、同志社大学・大学院教授もまた凄まじい。「まったくその通りなんです」と答えた上、イスラエルが2014年にガザ地区を空爆したときに、国連運営の学校も攻撃するなどして、約500人の子供を含む市民1400人以上が亡くなったことに触れ、「亡くなったご遺族からすれば、これがテロでなくて何でしょうか」と指摘したらしい。「もちろん、テロの肯定はしませんけども、そういう犠牲になる人たちの目線から見れば、有志連合がやっていようが、ロシアがやっていようが、フランスがやろうがですね、同じくテロじゃないか」と(同)。驚くべきことに、この二人は誤爆事故とテロを一緒くたにしてしまったのである。
 個人攻撃が趣旨ではないし趣味でもないが、古舘氏はプロレス中継の頃から名前も顔も(顔と言う場合はキャラクターも含まれる)商品として売り込み、今もなおその路線の延長上にあることは間違いないから、続けたい。
 三島由紀夫に、「『総長賭博』と『飛車角と吉良常』の鶴田浩二」なる表題の映画評論がある。かれこれ46年前のもので、鶴田浩二と言われてもピンと来ない人が(私も含めて)多いだろうが、その評論では、先ずは俳優としての鶴田浩二賛歌から始まる。

(前略)鶴田浩二は、「飛車角と吉良常」でも、この「総長賭博」でも、年配にふさわしい辛抱立役をにごとに演じていた。(中略)このことは、鶴田の戦中派的情念と、その辛抱立役への転身と、目の下のたるみとが、すべて私自身の問題になってきたところに理由があるのかもしれない。(中略)彼は何と「万感こもごも」という表情を完璧に見せることのできる役者になったのだろう。(中略)思えば私も、我慢を学び、辛抱を学んだ。そう云うと人は笑うだろうが、本当に学んだのである。自分ではまさか自分の我慢を美しいと考えることは困難だから、鶴田のそういう我慢の美しさを見て安心するのである。(後略)

 成熟した作家らしいと言うべきであろう。鶴田浩二ご本人を知らずとも首肯することに吝かではない。次に三島由紀夫は、鶴田浩二の演技を論じる。

(前略)ハムレット?とんでもない。二律背反ははじめから鶴田の、あのどこかに諦めを秘めた、あの古風な抒情味を帯びた表情には存在しない。彼は、どこまで矛盾錯綜し、どこまで衝突背反しても、必ずや一つの情念にとけ込むことを約束されている或る同一次元の世界に住んでいる。しかも、その世界に住むことは、決して快適ではなく、いつも困惑へ彼を、みちびくほかはないのであるが、その困惑においてだけ、彼は「男」になるのである。それこそはヤクザの世界であった。
 鶴田は体ごとこういう世界を表現する。その撫で肩、和服姿のやや軟派風な肩が、彼をあらゆるニセモノの颯爽さから救っている。そして「愚かさ」というものの、何たる知的な、何たる説得的な、何たるシャープな表現が彼の演技に見られることか。(中略)鶴田の示す思いつめた「愚かさ」には(中略)人間の情念の純粋度が、或る澄明な「知的な」思慮深さに結晶する姿が見られる。考えれば考えるほど殺人にしか到達しない思考が、人間の顔をもっとも美しく知的にするということは、おどろくべきことである。一方、考えれば考えるほど「人間性と生命の尊厳」にしか到達しない思考が、人間の顔をもっとも醜く愚かにするということは、さらにおどろくべきことである。

 長い引用になってしまったが、ここでこの映画評論は終わっている。所詮は映画という極めて限られた状況のもとで、ある種の感情の昂ぶりや勢いに乗じて部分的な極端を論じるものであり、更に言えば作家ならではの嗜好なり志向をも反映するものであろう。しかし同時に作家として人間のあるいは人生の本質を切り取って見せているのもまた間違いのないところである。そしてこの「醜く愚か」な顔として私の頭に浮かんだのが、実は不謹慎にも古舘氏であった。ご本人にはお詫びするが、彼は名前も顔も(そしてキャラクターも)商品として売りにしているであろうから、続けたい。
 個々のテレビ番組が左・右どちらかの傾向に偏することは、まあよしとする。重要なことは、テレビ局として、左・右どちらかに偏することなく、さまざまな意見を幅広く紹介し、放送法で要求される中立性を実現するべくバランスを取ることであろう。そんな中、古舘氏は、フリーの立場でMCを引き受けながら、放送法で要求される中立性は何のその、自らの偏向を恬として恥じることはない。まあ、それもよしとしよう。問題は(と、私が特に思うのは)、プロレス中継の頃のまま、またSEALDsの若者のように、歳を重ねることによる、脳みそで言えば皺に相当するような心のひだを、微塵も感じさせないところにある。これはもう驚くべきことだ。人は心に、言わば年輪を刻み、それが微妙に響き合うことで、同世代である種の共感を抱くことが出来るものだと思うし、リンカーンならずとも40歳を過ぎたら自分の顔に責任をもつ(Every man over forty is responsible for his face)べきだと思うが、古舘氏の表情のなんとも冷たくよそよそしく、顔のなんとものっぺりしたものであろうか。これは計算づくで、名前も顔も(そしてキャラクターも)商品として売りにしているものだとすれば、何も言うまい。
 考えてみれば、(弁護士出身の政治家を必ずしも貶める意図はないのだが)社民党の福島某にしても、民主党の福山某や枝野某にしても、いずれも「人間性と生命の尊厳」において人後に落ちるものではないであろうが、私が言うところの、その表情には似たような冷たいよそよそしさがあり、三島由紀夫が言うところの、その顔が「もっとも醜く愚か」に見えるものであろう。およそ人は葛藤の生き物であり、世の中おしなべて両義性がないことはない中で、自ら正義を任じ、しかもそこに一点の曇りもないとすれば、それほど危ういことはないし、いかがわしいこともないであろう。他人のことをつべこべ言える立場にはないので、自戒を込めて、自らの顔がどう見えているのか(つまりは主張が単純化していないか、独善的でないか、情念の潤いがなくなり干乾びていないか)、たまに他人の目で振り返るのもいいと思った次第である。
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青梅への道ふたたび(3)

2015-11-23 15:34:54 | スポーツ・芸能好き
 週末、「つくばマラソン」を走って来た。この歳になって、週一かせいぜい週二しか練習しないぐうたらの私にとって、11月後半というシーズン前半にフル・マラソンを走るのは一種の冒険であり、申込みのときには相応の覚悟をしたつもりだったが、走り込み不足は否めず(半年のブランクの後、9月半ばからの二ヶ月間に練習は僅かに12回、走行距離146キロ)、シーズン初め特有の膝の痛み(走った後の軽い痛みとも言えない張り)も重なって、不安を抱えてのスタートとなった。しかし蓋を開けたら、過去に課題だったガス欠や靴擦れをなんとか回避し、4時間30分と、この時期の私にしては上出来で、4シーズン目に入って、ちょっと自信になった。
 ウェーブ形式で9時10分スタート、いつもは行けるところまで行こうと突っ走るところ、今回は5キロ30分程度の抑え目のペースを落とさないことを心掛けた。昨シーズンの横浜マラソンでは、エネルギー切れで悔しい思いをしたため、ウエストポーチにジェル3個(10キロ経過毎に取得)持参した上、給水所のアンパンやバナナやキュウリは全て頂いた(そのため昼飯は不要なほどだった)。また、一昨年シーズンの板橋マラソンでは靴擦れで悔しい思いをしたため、勝負靴のアシックス・ターサーは再び封印し、練習靴のまま、紐をしっかり締め、それでも25キロ過ぎで右足の指のつけ根に違和感を覚えたため、右足を気遣って騙しだまし走って、1円玉程度のマメが出来たきりで、大事には至らなかった。ただ、走り込み不足のせいで筋肉がガチガチになり、最後の2キロの追い込みでは、ふくらはぎがつりそうになってスピードを抑えたため、4時間半を切ることが出来なかった。
 会場までは、読売旅行が企画する東京駅発着のバスを利用した。片道1時間程度(帰りは渋滞にはまって2時間半もかかったが)で、都心を離れ、雄大な自然に抱かれて、伸び伸びと走ることが出来る。筑波大学をスタート&ゴールに折り返すコースは、昨年まではフラットで記録を出しやすいレースとして知られていた。今年はコース・レイアウトが周回コースに変わり、適度のアップダウンがあったが、それでも走りやすかった。1万5千人が参加する大きな大会だが、沿道の給水も、アンパンやバナナやキュウリやミカンなどの給食も、トイレの備えも、ほぼ完璧で、well-organizedされていて、人気のほどが分かる。
 あらためて大会ホームページを見ると、今年のテーマは筑波大学と協力して「大会を科学する」とある。一つ目は「スタートを科学する」もので、これまで通り申告した予想タイム順に並ぶものの、10分刻みで三段階に分けてスタート(号砲も三回)する方式を採用し、一斉スタートに見られる混雑がかなり解消されていた。二つ目は「景観を科学する」もので、距離表示や給水所看板など、コース上にある表示物をより見やすく、また、ランナーの心理状態に合わせて、例えばスタートから10キロまでは、緑茶色(黄緑~緑)で周りに流されずに落ち着ける形にし、10キロ~20キロでは寒色系(緑~青)にして加速したくなる気持ちを抑え、20キロ~30キロでは暖色(黄~オレンジ)で快調、軽快な雰囲気をつくり、30キロ~ゴールでは派手な色(オレンジ~赤、ピンク)を使うことでラストスパートの応援の効果を狙う、というように、色表示を工夫していたようだ。三つ目は「交通規制を科学する」もので、交通量の多い主要幹線道路を中心に交通量調査を実施し、地元住民やドライバーにとって出来るだけストレスにならない「交通規制」を考えて行くのだそうだ。これらの取組みは、広いスペースが取りにくく、また道路は狭くて交通量が多い日本にあっては、ある意味で当然とも思える配慮であり、他の大会にも広がりそうだ。
 ゴール地点にゲスト・ランナーの増田明美さんが待ち構えていて、握手してもらった。高橋尚子さんはしっとりとした肌の潤いがあったが、増田さんの手は年齢のせいかちょっと皺しわが目立った(なんて言うと怒られちゃうな)。その隣に(ゲストランナーに名を連ねていなかった)川内優輝さん(に似た人)がいて、ついハイタッチをしたが、今日の読売新聞のトップ10結果を見るとやはり名前が出ていないところを見ると、紛らわしいそっくりさんだったか(本人も成り切っていた)。
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北の湖理事長の急逝

2015-11-21 20:58:07 | スポーツ・芸能好き
 子供の頃から親に連れられて大相撲に親しんできた私は、豊山(先代)を応援していたらしいし、大鵬が最後(32度目)に優勝したときの新聞をスクラップしていたが、いずれも動いている豊山や大鵬についての記憶はなく、物心ついて最初の贔屓力士は輪島である。それにしても昨晩、元・横綱の北の湖理事長が急逝したとの報に接して胸にぽっかり空いた喪失感は何だろう。同時代を生きたヒーロー、大相撲の最盛期の一つである輪湖時代を築いたかつての好敵手への鎮魂であろうか。あるいは輪島がさっさと廃業したのに対して、北の湖はその後も指導普及部長、事業部長などを歴任した後、日本相撲協会理事長に就任し、朝青龍騒動や時津風部屋力士暴行死事件やロシア人力士の大麻問題と、立て続けに不祥事に見舞われながら、日本相撲協会の公益法人化に尽力し、低迷していた相撲人気の回復に努めた、その功績とその存在感の大きさの故であろうか。否、それだけではない。「憎らしい」ほど強く、横綱が勝つのは当然なのに勝って座布団を舞わせたほど大相撲界のヒールを演じながらも、私たちは風格ある横綱として尊敬し、彼のことが大好きだったに違いないのだ。アンチ巨人が巨人ファンでもあるように。
 Wikipediaはよくしたもので、数日前のブログで触れたダッカ日航機ハイジャック事件もそうだったが(http://blog.goo.ne.jp/mitakawind/d/20151118)、時として記憶する事柄や事件の真相を知らされることがある。北の湖が「憎らしい」「ふてぶてしい」と思われていた理由の一つは、倒した相手が起き上がるのに一切、手を貸さず、相手に背を向けてさっさと勝ち名乗りを受けてしまう態度が“傲慢”と見なされていたためとWikipediaは解説し、実際に私も、勝って当たり前と言わんばかりに無表情に引き上げる彼を憎らしく思ったものだが、北の湖本人は「自分が負けた時に相手から手を貸されたら屈辱だと思うから、自分も相手に手を貸すことはしない」と明確に説明していたとも解説している。今だからこそ知る彼の勝負師としての心意気であり、誠実な人柄でもある。
 輪島が全盛の頃の北の湖との一戦は、まさに手に汗握る興奮を覚えたものだった。当時の角界にあって「憎らしいほど強い」北の湖の勢いを止められるのは輪島の「黄金の左」くらいしかなかったし、そのとき右上手を取った北の湖もまた滅法強かった。ここはWkipediaの言い回しをそのまま引用したい(これを読めば当時の熱狂が目に浮かぶ)。

(引用)
 「この対戦は、右上手十分の北の湖に対して、輪島は左下手投げを得意としたこともあり、立合いからガップリ四つの横綱同士の力相撲となることが常だった」
 「右で絞って北の湖に強引な上手投げを打たせ、下手投げを打ち返すかまたは右前廻しを引きつけて北の湖の腰を伸ばすのが輪島の勝ちパターン。北の湖が左下手廻しを引き、ガップリ四つになって胸を合わせるのが北の湖の勝ちパターンであった」
(引用おわり)

 二人の対戦は、Wikipediaによると、1972年7月場所から1981年1月場所までの8年半、52場所の間に44回実現し、通算成績は北の湖の21勝23敗でほぼ互角(とは言え、5歳の年齢差があり、北の湖が優勢になる頃には輪島が引退してしまった)、優勝は両者合わせて38回(あの柏鵬の37回を上回る)に及ぶらしい。とりわけ1975年9月場所から1978年1月場所までの2年半、15場所の間、千秋楽の結びの一番は全て「輪島対北の湖」の対戦となり、連続15回は史上最多で(2位は白鵬対日馬富士の10回、3位は朝青龍対白鵬の7回)、まさに大相撲の一時代を築いたのだった。
 つい三日前、九州場所十日目、横綱の白鵬が稀勢の里に対して猫だましを使って、「猫だましをやられる方もやられる方だが、やる方もやる方だ。しかも横綱だから、負けていたら笑いものだった。白鵬はせっかく全勝で走っても、これではいい感じに見られない」と厳しいコメントを残されていただけに、既に亡き人とは信じられない思いである。北の湖部屋大阪後援会長によると、北の湖理事長は「光の当たる人はいいが食べていけない人もいる。引退後も皆が順風満帆に生活できているわけではない。いい方法があればいいんだけど」と口癖のように話していたという。「あまり思ったことを口に出さず、私利私欲なく公のために尽くすことができる人だった」というのが会長評である。失ってからその失ったものの大きさを思う。合掌。
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パリ同時多発テロ・続々

2015-11-20 23:21:02 | 時事放談
 今回まで同じタイトルで引っ張りたい。フランスはじめ関係諸国の動きを見ていると、危機への対処という点で、いろいろ考えさせられるからだ。
 一つには、フランス政府は「非常事態宣言」を発令し、国境封鎖、夜間の外出禁止、集会の禁止などの措置を取ったほか、治安当局が令状なしで家宅捜索を行い、武器の押収や逮捕につなげるなど、テロ対策を進めていることだ(産経Web)。続けて産経Webからの抜粋になるが、こうした対応が可能なのは、緊急事態に対処するため、一時的に国の権限を強化して国民の権利を制限する「国家緊急権」が憲法や法律に設けられているからで、西修・駒沢大名誉教授の調査によると、1990~2014年に制定された102ヶ国の憲法の全てに国家非常事態に関する規定があるらしい。ところが、ご存知の通り日本国憲法にはこうした規定がない。大規模テロに際してフランスのような措置を取ろうにも、居住・移転の自由や財産権、通信の秘密といった権利の制限は困難であり、憲法の枠内で緊急立法するとしても国会審議が必要なため機動的な対応は難しい、ということだ。安保法制の論議の過程で、憲法改正について議論されたとき、リベラル気分を気取っていた日本のメディアはおしなべて、憲法は国民の権利を守るために存在するのであって、国民の権利を制限するなどもってのほか、と言わんばかりの論調だったのを思い出す。勿論、彼らは市民的自由や市場経済などを主張する本来のリベラルではない。税負担を極力回避しながら福祉の充実を求め、日本の防衛努力には反対しながら周辺諸国の軍事行動に無警戒で、市民的自由と言って何ら義務を伴わないかのような無制限の自由だと履き違えて軍にせよ警察にせよ国家権力の抑止に動くといった、やや支離滅裂の日本的リベラルだ。しかし東日本大震災のような巨大災害やテロのような準戦争状態では、国民の間のソフトな絆も重要だが、伝統的な意味での国家の権利(国家緊急権のような)とそのハードな運用が頼りになる。
 もう一つは、まさに集団的自衛権行使を巡る動きだ。一昨日の日経によると、欧州連合(EU)は、フランスの求めに応じて、EU条約に基づき加盟国による集団的自衛権の行使を初めて決めた、ということだ。EU条約は、「加盟国に対する武力攻撃」があった場合に、他の加盟国が集団的自衛権を行使して「可能な限りの援助と支援を実施しなければならない」と定めている。ここで注意すべきは、このようなEUの枠組みは原理原則的で加盟国が賛同し得る最大公約数を定めるだけ、あるいは努力規定として定めるだけで、詳細あるいは各論になると各国の国内法が定めるところにより運用されるものであるため、往々にして実効性は乏しくなる、という点だ。従い、概ね過激派組織IS掃討に向けて欧州の連帯をアピールすることは出来ても、具体的な協力のあり方は定かではない。EUのモゲリーニ外交安全保障上級代表も「フランスへの支援は二国間協議によってなされる」と説明し、今後、仏政府はEU加盟国と個別に交渉して詰めて行くことになるという(以上は一昨日の日経から)。ここでも、欧州の地域共同体とは言え、国民国家のハードな枠組みが主体として厳然としてある。
 そうは言いながら、国内世論への配慮からシリアへの介入に慎重だったイギリスのキャメロン首相は、17日、議会で「パリ同時テロを受け英国がもっとシリアで行動すべきことが明らかになった」と述べ、これまでイラクに限定していた空爆をシリアに広げることを検討する立場を表明した。同じく17日、オランド大統領はケリー米国務長官とパリで会談した。ケリー氏は、会談後、米・仏が情報交換を緊密にすることで合意したと表明、その上で「ISが感じる我々の圧力は今後数週間にわたり強まって行く」と述べ、米・仏が共同で空爆などを強化する考えを示した。さらに同じ17日、オランド大統領はロシアのプーチン大統領とも電話協議し、ISへの攻撃で連携することを確認した。プーチン大統領は、地中海に展開する露軍と仏軍が共同作戦を実施すると表明した(以上は一昨日の日経から)。
 ことほど左様にポストモダンの時代と言われながら国家が主体であることに変わりないし、国家意思や国益が幅をきかせるのが国際社会場裏というこうとをまざまざと見せつけられた数日間だった。
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パリ同時多発テロ・続

2015-11-18 00:00:24 | 時事放談
 前回の続きで、最後の議論が舌足らずなのでちょっと補足する。
 今朝の日経によると、フランスは、パリ同時テロへの報復措置として、ISへの空襲を強化したようであり、オランド大統領は昨日の演説で「われわれは戦争状態にある」と強調し、断固とした決意でテロとの戦いに臨む姿勢を示したとも報じられている。勿論、フランス国民の間では新たなテロを心配する空気も強まっている、ともあるが、さすがに国としては覚悟が出来ているようだ。
 日本でも、勿論、今年、新年早々に湯川さんと後藤さんの二人の日本人の人質が殺害される痛ましい事件があり、当時の共同通信の世論調査では「テロに屈しない」と宣言した安倍政権の事件への対応を「評価する」と答えた日本人が6割以上に達したことは記憶に新しい。
 こうした事案を書き出すと、38年前に起こったダッカ日航機ハイジャック事件を思い出す(以下、Wikipediaより抜粋)。パリ=シャルル・ド・ゴール空港発、羽田行きの日本航空472便が、経由地のムンバイ空港を離陸直後、武装した日本赤軍グループによりハイジャックされ、一旦、コルカタ方面に向かった後、進路を変更してバングラデシュのダッカ国際空港に強行着陸したものだ。犯人グループは人質の身代金として600万ドル(当時の為替レートで実に16億円)と、日本で服役および勾留中の同士9名の釈放と日本赤軍への参加を要求し、これが拒否された場合または回答が無い場合は人質を順次殺害すると警告した(この時、犯人グループから「アメリカ人の人質を先に殺害する」という条件が付けられ、この「条件」の影響を受けて、その後の日本政府の対応にアメリカへの外交的配慮があったとする見方もあるらしい)。これに対して当時の福田赳夫首相は「一人の生命は地球より重い」と述べて、身代金満額支払いと超法規的措置として獄中メンバーなどの引き渡しを決断し、決着した(但し3人は釈放および日本赤軍への参加を拒否)。
 当時、まだ子供だった私は、その時の雰囲気を肌で感じたものか、あるいは後に書籍等で批判的な言説を読んだものかは定かではないが、日本の弱腰が世の批判を浴びた苦い思いが微かに記憶に残っている。実際、Wikipediaは、一部諸外国から「日本は(諸外国への電化製品や自動車などの輸出が急増していたことを受けて)テロまで輸出するのか」などと非難を受けたことに触れている。
 しかし、Wikipediaは同時に、当時は欧米各国においても、テロリストの要求を受け入れて、身柄拘束中のテロリストを釈放することが通常で、日本政府のみがテロに対して弱腰であったわけではないと論評している。これは意外だ。そして、こうしたテロリストの要求を受け入れる流れが変わるきっかけとなったのが、同じ年(1977年)に起こったルフトハンザ航空181便ハイジャック事件で、西ドイツ政府は、ミュンヘン・オリンピック事件を機に創設された特殊部隊GSG-9を航空機内に突入させ、犯人グループを制圧し、人質を救出したらしい。このGSG-9の成功例を参考に、同年、日本政府はハイジャック事件に対処する特殊部隊を警視庁と大阪府警察に創設し、アメリカは陸軍にデルタフォースを設立した、とある。因みに、日本の警察の特殊部隊は後に「SAT(Special Assault Team)」となり、また警察庁が設置し、中東・欧州・東南アジアなどで日本赤軍の捜査を行うようになった警備局公安第三課兼外事課「調査官室」は現在の「国際テロリズム対策課」へと繋がっているらしい。
 積極的平和主義を掲げ、普通の国になろうとしている日本は、これまで以上に、こうした難しい状況に置かれることも覚悟しなければならないのだろう。安保法制や集団的自衛権の是非の議論の中で、日本はアメリカの戦争に巻き込まれるのではないかといった、ちょっと無責任とも思える主体性のない懸念が広がったが、まさに日本は国益をもとに、テロや戦争などの有事に当たり、是々非々で判断して行かなければならない状況に置かれることもあるのだろう。そしてそれは時の政権やNSCだけの問題ではなく、私たち自身が考え、覚悟しなければならない問題でもある。実に重い課題だ。
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パリ同時多発テロ

2015-11-16 01:31:35 | 時事放談
 13日の金曜日に、パリとその近郊で起こった同時多発テロは、今朝の日経によると、死者128人、ケガ人250人以上で、うち100人が危険な状態にあると言うので、死者数は更に増える可能性がある。オランド仏大統領は、第二次世界大戦以来初めての非常事態を宣言し、国境を閉鎖し、ISによる犯行と断定し、そのISも犯行声明を発表した。
 10月31日のエジプトでのロシア機墜落や今月12日のベイルートでの自爆テロなどに続くもので、ISの暴力は域外に広がっている。しかも何人もの個人が大型で高度な武器を使って襲撃のタイミングを合わせるなど周到に準備しており、ISの組織力を懸念する声もある。これまでイスラム社会に対するアメリカをはじめとするキリスト教国の歴史的な仕打ちを非難する議論を幾度となく複雑な思いで聞いて来たが、テロ行為自体は断じて許すことは出来ない。
 各国首脳は早速コメントを発し、犠牲者への哀悼の念と、遺族およびフランス国民への連帯と、国際社会の結束を語った。そして、その思いを具体的に示すため、世界各地の有名な建造物をフランス国旗の3色にライトアップする動きが広がっており、今日、東京タワーやスカイツリーも3色にライトアップしたようだ。アマゾンはトップページに「Solidarite」(団結とか連帯の意味らしい)の文字とともにフランス国旗の画像を表示し、画面をスクロールしないと商品が見えない。グーグルは相変わらず宣伝のないシンプルなトップページに、黒いリボンを掲げた。ユーチューブはアイコンを3色に染めた。パリでは助け合いの精神が住民らに広がり、移動に困る観光客らを無料で乗せるタクシーや、帰宅困難な人を自宅に泊める人たちの地図がインターネット上に公開されているらしい。
 私も、多少なりともそんな「気分」を、14年前の2001年9月11日に、出張中のアメリカ西海岸で感じた。パリ同時多発テロの報道を見ていると、そんな忘れかけた、しかし忘れようもない「気分」を思い出してしまう。
 翌日帰国するために、出張の仕上げをしなければと気合いを入れて目覚めた朝、寝ぼけ眼に飛び込んだのは、NY世界貿易センタービルに旅客機が飛び込む映画のような映像だった。信じられない思いのまま、いつもより遅れてオフィスに到着すると、いつもにも増して静かで沈痛な雰囲気に包まれていた。かつてボストンに駐在した私にとって、私も使っていたようなボストン発ロス行きアメリカンやユナイテッドが狙われたのもショックだった。同僚と昼食に出たとき、車の屋根に小さなアメリカ国旗を掲げる車を多く見かけ、ラジオは刻々と明らかになる犠牲数を報じながら、かなり混乱しているようだった。その後ほどなくしてブッシュ大統領が「犯罪」ではなくテロとの「戦争」を呼びかけたとき、一瞬戸惑いつつも、思い直して受け止めた。当日入国するはずだった同僚は飛行機とともにカナダに連れて行かれて、ホテル手配が必要になった。アトランタに出張中だった同僚は、飛行機を使えなかったばかりに、行けるところまでレンタカーでと、シカゴまで運転するハメになったと聞いた。当日のあの時間、世界貿易センタービルにのぼる前に忘れたカメラをホテルに取りに帰って難を逃れたイアン・ソープほどのニアミスではないものの、同ビル傍のホテルに滞在していた出張者もいたことが判明した。空港閉鎖のため結果的に2日間の足止めを食らい、予めハサミ等の危険物を捨てて、サンフランシスコ空港で機内に乗り込んで、ようやくほっとひと息ついたが、あのときの「気分」は、たとえアメリカのこととは言え、忘れ去ることなく肌に染みついている。
 日本では、直近で来年5月に伊勢志摩サミット、そして2020年にはオリンピックが控える。「連帯」を唱えるのはよいが、作法(所謂戦時国際法など)がある戦争すら忌避するほどの平和な日本で、万が一とは言えテロと戦う覚悟は出来ているのだろうか。私自身も含めて、何とナイーブではないかと心寒く思わざるを得ない。それが極東の島国の良さでもあるのだが。
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中国とインドネシア

2015-11-14 01:28:38 | 時事放談
 ロイター通信によると、インドネシアは11日、中国が南シナ海のほぼ全てで「歴史的権利を有する」と主張する根拠にしている「九段線」について、対話による解決が早期に実現しなければ、国際司法機関に訴える姿勢を示したという。因みにインドネシアは南シナ海問題では「中立」の立場だが、九段線は海底・水産資源が豊富な同国のナトゥナ諸島周辺の排他的経済水域(EEZ)と重複しており、中国に地図の書き換えなどを求めていたらしい。
 インドネシアは、なかなかしたたかである。
 つい一ヶ月半ほど前、インドネシア・ジャワ島の高速鉄道計画(ジャカルタ~バンドン間120キロ)を巡って、日本でも報道された通り、インドネシアにとってこれまで最大の援助供与国であり、既に2008年頃から協力して事業化調査して来た日本ではなく、ついこの3月に割り込んだ形の中国を選んだばかりだからだ。是々非々ということであろう。
 この高速鉄道計画を巡る日・中の角逐はなかなか興味深い。
 日本政府は品質の高さを売りに「保守点検や運行システムなどサービス面の優位性などをアピールする」(国土交通省)と強調するが、エコノミストによると、そうした日本の鉄道技術の優位性は理解されるも、発展途上国からは過剰品質で過剰投資と見なされるだけで、日本はそのような顧客ニーズをもっと理解するべきだと言う。
 鉄道ライターは、より具体的に次のように解説する。日本が高速鉄道を輸出する際のセールス・ポイントとする「安全性」や「運転時の正確さ」や「高頻度運転」は海外では評価されないのが現状である。何故なら、欧米などの先進国と違って発展途上国では「命の値段」が軽く、従い鉄道事故などで死亡者に支払われる賠償金も信じられないほど安いために、安全対策より安価に建設・運営される方が望まれる。日本では、高度な運行管理システムや信号保安システム、優れた運転士育成システムを導入し、世界でも例を見ない時間に正確な運行を実現しているが、日本以外の国では鉄道が遅れるのは日常茶飯事で、15分程度の遅れは、利用者も鉄道を運行する側も遅れとみなさない(シンガポールなどでバスの運行システムの実証実験が行われているが、そもそも時刻表がない社会なので、運行を等間隔に平準化させるのが目的である)。海外の高速鉄道では、日本の新幹線のように数分おきの高頻度運転が必要となるような路線・区間などはまず存在しない(日本ほど人口が密集していないということであろう)。
 しかし、今回、インドネシアで中国案が採用される決め手となったのは、技術的優位性でも価格でもなく、インドネシア政府側に財政負担が発生しないという点だった。
 そもそも昨年10月に就任したジョコ大統領は、所得分配制度の改変を公約に掲げ、貧困層の支援を重視する。結果、開発などの政府予算も、国民全体に資する開発、均衡ある国土の開発をめざし、貧困層の多い島嶼部に手厚くする方針を掲げており、首都ジャカルタがあるジャワ島の高速鉄道の優先順位は低く、政府予算を使わずに民間ベースの事業にしたいとの意向を示していた。そこで中国は、高速鉄道建設に関してインドネシア政府に財政負担や債務保証を要求しない破格の条件を提示し、日本をキック・アウトしてしまったわけだ。
 報道されたところでは、今年3月に突然、中国が計画への参入を表明したことで、日・中の激しい受注競争の板挟みになったインドネシア政府は、9月3日、費用が安い「中速度」の鉄道にプランを変更し、日中両案を不採用として計画を白紙に戻すと表明した。ところが一転、9月29日に中国案採用を発表し、菅官房長官をして、同日の記者会見で「決定の経緯は理解しがたく、常識として考えられない」と、インドネシア政府に対する強い批判というか不満を口にさせたのであった。中国だからこそ、国営の鉄道会社を使って破格の条件を提示できたのであって、日本の民間企業が政府補償のない海外の巨大インフラ・プロジェクトに自主的に参入することは不可能に近い。
 筑波大学名誉教授の遠藤誉さんは、その舞台裏をこう解説する。
 中国は、3月末にジョコ大統領を北京に招聘した際、既に中国の国家発展改革委員会とインドネシアの国有企業省との間に「中国・インドネシア ジャカルタ~バンドン間高速鉄道合作(協力)備忘録」を交換させていた。続いて4月22日には、習近平国家主席がインドネシアを訪問し、ジョコ大統領と会談して、インドネシアの高速鉄道プロジェクトに関して以下の基本原則で合意し、中国はインドネシアに60億ドル投資することを約束したと言う。
●中国側は実力の高い、より多くの中国企業がインドネシアのインフラ建設と運営に参加することを望んでいる。
●インドネシア側は、中国と各領域で協力することを希望し、特に中国の「21世紀、海のシルクロード」構想とインドネシアの新しい発展戦略を結合させることをきっかけとして、中国側がインドネシアのインフラ建設に多くの投資をすることを望んでいる。
 そして、9月になってインドネシア政府が白紙撤回を宣言したのは、何のことはない、日本を振り落すためだったのではないかと推測されている。結局、今回のプロジェクトの収支は、長期的な海洋戦略の一環でインドネシアに一帯一路の足掛かりをつけるという、中国側の遠大な計算によるものというわけだ。
 かつては、インドネシアとの戦後賠償をまとめた岸信介元首相にはじまり、スカルノ元大統領のデヴィ夫人の後ろ盾であった川島正次郎・元自民党副総裁、福田赳夫元首相、渡辺美智雄元外相といった大物が、インドネシア政財界と深いつながりを持っていたが、今の日本に、インドネシア政府に対して影響力を及ぼせる有力政治家はいないともっともらしく語る人もいる。しかし、ジョコ氏はスカルノ元大統領と違って独裁者ではなく民主的に選ばれた大統領であり、そんな民主国家にとって重要なのは、人のコネクションや温情ではなく、より透明性が高い中での国益であろう。
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星野リゾートの組織論

2015-11-10 01:11:19 | ビジネスパーソンとして
 先日、あるセミナーで、星野佳路氏の話を聴いた。
 代理店をリクルートし、それをレバレッジとして飛躍的に売上を伸ばせる量販事業とは違い、ホテル業などのサービス業は、事業を伸ばす場合、人材がボトルネックになる。だからと言って、成長したい人ばかりではなく、職位としてのマネージャーより現場での接客が好き、という人も少なくない。そのため、星野リゾートでは、人を「伸ばす」のではなく、今ある能力を使い切って貰う「発揮」と、それを「継続」してもらうことが重要だと言う。面白い表現だ。
 また、ピラミッド型の組織の場合、拠点が増える程に、その頂点にあって全てを管理するのは大変な工数になる。そのため、現場のことは現場で議論して決めて行くフラットな組織こそ重要だと言う。フラットという意味は、言いたい事を言いたい人に言いたい時に言える人間関係のことだそうで、ルールで決めて実現できるものではなく、文化だと言う。なるほどそういうものかも知れない。そのとき、discussion timeと言って、職位に関わらず「さん」づけで自由に議論して貰い、さらにexecution timeと言って、マネージャーが最終的に決定し、いったん決定されれば全員がそれに従うteam spiritが重要だと言う。
 そんなフラットな議論が大切なのは、一つには間違った意思決定を避けるためであり、もう一つには仮に間違った決定をしても全員がバックアップ(修正)しやすいからでもあると言う。つまり、バックアップ(修正)しやすい議論をすることが重要というわけだ。そのため、一般には上に行くほど情報量が多くなるものだが、フラットな議論を行うために情報を共有する必要があり、つまり情報の流れを変える必要がある。そして最前線の人に頭を使って考えてもらうのだ、と。
 かたやマネージャーは、一般には偉いと思われているが、そうではなく、権限がある人のことだと言う。因みに私は単なる役回りだと思っているが、それはそれとして・・・若手を抜擢すると依怙贔屓と言われ、抜擢しないと年功序列と言われるので、星野リゾートでは立候補制にしたそうだ。勿論、マネージャーより接客が好き、という人も少なくないからであるし、実際に、現場のスタッフの能力と職位としてのマネージャーの能力は、そもそも違うからでもある。マネージャーをやろうとする気持ちが大事なのであって、足りないところは戻って勉強すればいい。一般に下から上にあがることは「出世」と言われる一方、上から下に落ちると「降格」と言われるから恥と思うが、星野リゾートでは、下から上にあがることを「発揮」と言い、上から下に落ちることを「充電」と言うらいしい。なるほど、ポジティブだ。マネージャーだからと言って人間的に優れているというわけではない。だからこそフラットな組織文化が重要だと言う。ごもっとも・・・
 恐らくここでのポイントは、星野代表自身が、思いつきや自由な発想を言いたいらしいのである。それに対して様々な批判が欲しいらしいのである。結果、安心できる。そして、自分が正しいことを言わなければならないという、マネージャー(あるいは代表)としての思い込みから解放される、と言うことらしい。私自身を振り返っても、程度の差こそあれ、マネージャー(管理職の意)として多かれ少なかれそんな思い込みに縛られているものであり、ちょっとした緊張感もあるし、敢えて思いつきを言って批判を貰う相手を持つようにもしている。それだけに、星野代表の気持ちは、なんとなく理解できるような気がする。
 最近、マネジメント領域の本を読むことがめっきり減ったこともあり、また共感できることが多いこともあり、とても新鮮な気持ちで、かつ刺激をびんびん受けながら、久しぶりにスッキリ有意義な時間を過ごすことが出来た。
コメント (2)
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陸上装備研究所

2015-11-05 00:16:43 | 日々の生活
 昨日(文化の日)、最近発足した防衛省の外局「防衛装備庁」の中で「火器、弾火薬類、耐弾材料、耐爆構造、車両、車両用機器、施設器材などの調査研究を行う」という「陸上装備研究所」の一般開放があるというので、淵野辺まで行って来た。我ながら物好きだと思う。因みに「陸上」とある以上、「航空装備研究所」は立川に(その支所が土浦と新島に)あるし、「艦艇装備研究所」は目黒に(久里浜地区と川崎に支所も)ある。さらに「電子装備研究所」と「先進技術推進センター」が世田谷の池尻に、「試験場」が札幌と下北(青森)と岐阜にあるようだ。
 さて、今や戦車もハイブリッドを目指しているらしい。駆動用モーターとバッテリーを持ち、バッテリーに蓄えた電力だけで走行できるため静粛性に優れ、制動エネルギーを電気として再利用することで燃費も向上し、協力な発電機を搭載しているので災害地などでも電力を供給できる・・・と聞くと、まさに乗用車で実現しつつあることが、災害救助などの場面でより威力を発揮しそうである。同研究所の展示室では、戦車のもつ火力、防護力、機動力を維持しながら、より軽量でコンパクトな戦闘車両を開発している話も聞いた。今の「10式戦車」(ヒトマル式と読むらしい)は5トンもあり、空輸するには重すぎて二つに分けなければならないところ、軽量なら南西諸島への配備も容易に行えるという(所謂戦力投射が容易ということだろう)。アメリカでは、インターネットなど、もともと軍事技術として先行していたものが民間開放され、爆発的に広がったが、どうも平和な日本では軍事技術の開発に力が入っていない(と言うより、やはり及び腰である)ような気がするのは、気のせいではなく本当なのだろう。
 広場では「CBRN対応遠隔操縦作業車両」のデモをやっていた。CBRNはChemical、Biological、Radiological、Nuclearの頭文字を取ったもので、これら脅威対象に晒されている汚染地域(たとえば東日本大震災後の福島第一原発)等に遠方から投入し(最大20キロとも)、瓦礫撤去や通路啓開等の施設作業や各種情報収集を行うものらしい。さらにその中継車もまた、無人で無線操縦可能で、三菱パジェロを改造し関連機器やパラボラ・アンテナを積んでいた。ドローンに代表されるように、無人・無線技術は、軍事にもどんどん入り込んでおり、最近、乗用車の自動運転で危惧されるような乗っ取り等の対策は、軍事ではより重要になることだろう。また、「IED走行間探知技術」も紹介されていた。IEDとは、Improvised Explosive Deviceの略で、地雷のようなシステム的なものとは異なり、テロリストやゲリラなどがパイプや空き缶などの内部に爆薬を入れて簡易に製作するような、即製爆発装置あるいは簡易爆弾と呼ばれるもののことで、最近、アフガニスタンやイラクなどで活動する多国籍軍が被害を受けているらしい。
 訪問者の内、専門家らしき人(あるいは軍事オタクっぽい人?)は一眼レフを抱えているのですぐ分かるが、むしろ近所のおじさん・おばさん、さらには家族連れも多数訪れ、子供がそこかしこを走り回って、およそ研究所のいかめしさはなく、ほのぼのとしていた。警備の腕章をつけた関係者も、実に丁寧に解説して下さる。こうした一般開放は今年で4年目らしいが、そんな訪問者に配慮してか、「安心・安全」をテーマに、防災や人命優先の技術として、先ほどの「CBRN対応遠隔操縦作業車両」や「IED走行間探知技術」を前面に出した展示としているように見える。こうして家族連れにも防衛省(陸上装備研究所)という組織やその活動を身近に感じて貰えることを主催者側は期待しているのであろうが、家族連れが最も喜んで並んで写真を撮っていたのは、豈はからんや「10式戦車」であった。まあ、子供が(子供だけでなく大人も)まっさきに惹かれるのは、こういった類いであろう。
 何を隠そう私も、戦車に乗れるのではないかと秘かに期待していたのだが、そこまで開放的ではなかった。と言うより、そもそも展示されている戦車や機動車は実戦配備されたものではない。ここは飽くまで研究所であって、研究のための試作機を保有していることから、展示しているのである。
 というわけで、私も童心に返って心惹かれたのは、上の写真にある「10式戦車(試作4号車)」(写真の上半分)と、乗員を安全に前進させるために装甲を強化され、既に実戦配備されて南スーダンをはじめとする国際平和協力活動でも活躍している「軽装甲機動車」(写真の下半分)であった。やれやれ。
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青梅への道ふたたび(2)

2015-11-03 01:13:48 | スポーツ・芸能好き
 週末ともなると、皇居のお濠端を走る個人や私的サークルや小さな大会が目白押しである。参加費の一部が寄付に回るというので、会社のCSR活動の一環で、職場の同僚3人とともに、ある大会に参加した。
 いつもの何千人あるいは万を超えるマンモス大会とは異なり、200人足らずの、大会と言うには程遠い、手造り感のぷんぷんする草の根活動といった趣である。どうも千代田区では人数制限があるらしい。場所柄、計測機械を持ち込めないため手動計時、ビニールシートも使用不可、石垣の上にはモノを置いてはいけない、等々、さまざまな制約があり、観光客が多いこととも相俟って、いつもの大会とは異なり、やや遠慮がちに走ることになる。
 皇居の周囲5キロは、初めての経験だった。コースは必ずしも平坦ではなく、適度のアップ・ダウンがあり、足腰・心肺をちょいと鍛えるには好都合のようだ。日本の中枢にあって、国会議事堂や丸の内のビジネス街に囲まれながらも、皇居のお濠端で緑が多い落ち着いた佇まいには癒されるし、観光客の視線を浴びつつ、要所要所に警察官が立つ安心感もあり、平和な日本を象徴するような光景である。
 今シーズン(9月以来)は、週一ジョギングを6度こなしたところで、季節の変わり目の喉風邪にやられて、ここ二週間は中断しており、10キロを越える距離走は初めてとあって、恐る恐るの始動となった。1周目と2周目は、景色を愛でながら、同僚と会話を楽しみながらの、キロ6分をやや下回るのんびりペースで、3周目だけ、1時間半をめざし、ややペース・アップしたが、何の緊張感もなく楽に走ることが出来た。その甲斐あって、爽やかな陽気のもと、半袖シャツ2枚の重ね着で適度に汗をかき、なかなか上機嫌であった。
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