風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

また青梅への道(5・終)

2018-03-29 22:08:57 | スポーツ・芸能好き
 なんと北朝鮮の金正恩委員長が極秘裏に中国を訪問し習近平国家主席と会談したとか、イチローが9番・レフトでマリナーズの開幕先発メンバーに入ったとか、東芝の「サザエさん」スポンサー契約が終わったとか、興味深いニュースがいろいろあったが、今回も、しつこく今シーズンを振り返りたい。
 今年の花粉症の症状は例年になく軽く、もしや加齢により身体の反応が鈍ったのではないかと訝しく思ったりするのは気のせいかも・・・と思える範囲だが、走ることにかけては、いつもの練習コースでほんの2~3年前のスピードを出せずに低迷するという目に見える形で、加齢による衰えの現実を突き付けられる。そのため、今年の青梅と、先週の佐倉では、5キロ30分を切るペースには拘らなかった。その分、青梅では後半に多少の余裕が残るくらいだったが、(練習量とか練習の形態を変えない限り)年齢相応の走りに徐々に切り替えていかざるを得ないのだろうと思う。
 こうして毎年、冬場(10~3月)だけ走り込み、2~3の大会に参加する生活を続けていて思うのは、人間の身体(生理)の不思議である。冬場に頑張って走り込んでも、なかなか体脂肪は減らないが、春になれば、私にとってのオフで運動しなくなっても体脂肪は自然に落ちていくのである。昔は、そんなことは気にしたことがなかったが、今はそれなりに努力して年齢相応よりも体重を落としているので、晩酌で日本酒を飲んだら太ってしまうとか、ちょっとしたことにも敏感になっているのだろう。
 さて、そんなこんなで、早いもので6度目のシーズンが終わった。ビギナーズ・ラックで東京マラソンに当選した年から始めて、その後5度も続けて落選したことになる。そこまでして何故、走るのか、と時に自問自答する。
 足腰の筋力をはじめとする体力の衰えに抗うつもりはないが、体力の衰えに愕然とした経験は何度かあった。中学時代は軟式テニスで、高校時代は陸上部で鍛えた自信があったのに、8年前、あるゴルフ場の砲台グリーンを駆け上ったところで肉離れを起こしたのはショックだったし、その翌年の東日本大震災で、会社に一泊した翌日、エレベーターが動かなかくて36階の執務フロアから歩いて階段を降りて、翌日も翌々日も筋肉痛に苛まれたのもショックだった。これじゃあ関東大震災に襲われたときにサバイブ出来ないのではないか、と。
 そんな体力に自信をなくしつつあった私に、自然に年を重ねるままにまかせていると、その内、食事や酒の嗜好さえも矯正させられかねない(例えば塩分は控えめに、は当然にしても、日本酒ではなく焼酎やウィスキーなどの蒸留酒に切り替えろ、とか)という恐怖心が加わった。実際に7年前の健康診断でコレステロール値が高く出たため、ラーメン(卵麺)は控えてウドン(小麦粉麺)にしろと医者に言われたときは、さすがにこたえた。大好きなラーメンを思う存分食べられないなんて・・・これが引き金となって東京マラソンに申し込んだのだったが、こうして好きなものを食べ、飲むという、人生のささやかな楽しみを失いたくないという思いが強いのは間違いない。そのためには、適度の運動(かどうかは議論があるところだが)によって五臓六腑を健康な状態に維持しなければならない、もはや努力しなければ維持できない年齢なのだ、という自覚がある。そして、これくらいの練習をすれば、まだここまで頑張れる、といった確かな実感を、秘かに心強く思っている自分がいる。
 ところが、6度のシーズンで、8度のハーフ、4度の30キロ(青梅)、7度のフルを走って、ガス欠で(栄養補給に失敗して)走る元気が出ないとか、靴が合わなくて(マメが潰れて)失速したとか、ブドウ糖不足で視野狭窄に陥ったとか、情けない理由によって、これまで体力の限界まで走り切ったことがないから、満足な記録も出ていない。そうである以上、年齢と戦いながら、そしてマメ対策などの課題に一つひとつ取り組みながら、また来年も懲りずに挑戦するのだろうと思う。
 上の写真は、一昨日、東京タワーそばまで外出したときのもの。折角の満開の桜なのに、花曇り。シーズンが無事終わったことを祝福してくれているかのよう。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

また青梅への道(4)

2018-03-26 23:47:33 | スポーツ・芸能好き
 青梅マラソンは先月終わったが、シーズンに一度はフル・マラソンに挑戦したくて、昨日、佐倉朝日健康マラソンを走って来た。マラソンは30キロ過ぎから、などと言われるように、青梅の30キロでは、コースこそアップダウンがあってキツイ(と瀬古さんはかつて言われた)けれども、市民ランナー・レベルでは騙しだまし走れてしまうから、マラソンと名がついてもマラソンの名に値しないんじゃないかという負い目がある。その先の10キロを克服してこそ、フルマラソンFinisherとしての矜持がある(多分)・・・と偉そうなことを言ってはみたものの、私には二つの課題が重くのしかかる。
 一つは、もともと燃費がよくない私が4時間半~5時間もの長丁場を(しかも今回のように9時半にスタートすると、ゴールは昼食時を過ぎた2時とか2時半になる)耐え凌ぐためには、ガス欠にならないよう途中で適切に栄養補給する必要があることだ。20年前、アメリカ駐在の頃に地方の大会に出たときは、お腰につけたキビ団子ならぬバナナを腰にぶら提げて走ったものだった(ウソのような本当の話)。20~30キロ地点で口にする頃には、熱と小刻みの振動で、バナナの皮は真っ黒になったが(苦笑)、今はジェル状の栄養食品が充実しており、まあ便利になった。
 もう一つは、足裏のマメ対策だ。体重の三倍の重圧がかかると言われる足(裏)を守るのは重要で、足の型を計測して、合う靴を選ぶのが基本のようだが、私のように軽い気持ちで衝動買いすると、長時間の熱と摩擦によるマメで苦労することになる。そのマメが破れようものなら、ただでさえ疲れて筋肉が硬直して思い通りに足が前に出ない上に、マメ部分が痺れてキック力が落ち、精神的にもめげて、一気に減速してしまう。試行錯誤の末、辿り着いた5本指ソックスが先月の青梅マラソンで思いのほか効果があったので、今回も喜び勇んで、過去の大会でマメが出来たために封印していた靴(アシックスのターサー・ジャパン)を引っ張り出して、試したところ、確かに致命的なマメは回避できたが、足の指の付け根の関節が痛んで、思うように走れなかった。一緒に走りに行った知人を待たせることがなかったならば、そのまま歩きたいほどだった。新たな課題の出現である。実は、一ヶ月前の青梅でも、マメが出来なくて喜ぶ一方、足裏(関節)に痺れがあって、どうやらそれが復活・悪化したようなのだ。ネット検索すると「足のお悩み百科」なるサイトに「モートン病」なるものが出て来て、なんとなく症状が似ている気がしないでもないが、良く分からない。単に走り込み不足で無理をして炎症を起こしただけかも知れない。青梅の後の5週間で走り込んだのは91キロ、今シーズンは10月初めから走り始めて半年弱で通算270キロだから、やっぱり少ないのだろうし、アシックスのターサー・ジャパンは上級者向けで、私のような年寄りには負担が大きいのかも知れない。
 というわけで完走したものの、5時間17分という自己ワーストを記録した。前回、昨年4月の長野マラソンでは、気温24度という、その季節にしては異常な暑さの中で、41.1キロ地点で5時間の関門に残り100メートルのところで引っ掛かってしまい、記録なしに終わったので、今回は記録があるだけマシじゃないかと慰めてはみたものの、それ以前の12回のマラソンのどんな状況でも5時間を越えたことがなかっただけに、寄る年波には勝てないのかと侘しくなり(笑)、一度、記録が途絶えてしまうと、もはや歯止めがきかなくなって諦めが早くなるものだと、人間の性(サガ)を恨めしくも思う(苦笑)。
 この大会は、高橋尚子さんや有森裕子さんが練習を積んだことから今では「金メダル・ジョギング・ロード」と呼ばれるところを走るのが売りで、確かに狭いながらもフラットな田舎の舗装道路は走り易いが、どこまでも田園風景が広がり、のどか過ぎて却って応援する人も少なくて、ちょっぴり物足りなくもある。田舎道や河川敷より、青梅のように(一応、同じ田舎でも)街中を走りたいものだと思ったのだった。
 これで今シーズンも終わりだと思うと、ホッとするやら寂しいやら・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中国式発展・続々

2018-03-24 14:23:26 | 時事放談
 前回は、その前日の産経電子版に、たまたまオーストラリアの記事が出たために道草を食ってしまった。そして今回も、昨日・一昨日の産経電子版に、孔子学院に関連する記事が出たので、簡単に道草を食いながら歩みを進めたい。
 孔子学院は、世界146ヶ国・地域に525ヶ所、小規模な「孔子教室」は1113ヶ所もあって、その内、日本には学院が14ヶ所、教室が8ヶ所もあるという。各国の大学と連携して開設されるが、その実態は政府・党の出先機関であり、アメリカでは三日前、その孔子学院などを対象に、外国代理人登録法(FARA)に基づく登録を義務付け、監視の強化を図る「外国影響力透明化法案」が提出されたらしい。古くは米大学教授協会が2014年、孔子学院が「学問の自由」を脅かしているとして各大学に対して関係断絶を勧告し(シカゴ大学とペンシルベニア州立大学はこれを受けて閉鎖)、FBI長官は今年2月、上院情報特別委員会の公聴会で、孔子学院が中国共産党思想の政治宣伝や中国政府のスパイ活動に利用され、「捜査対象」になっていると明らかにしたほか、孔子学院が米国内の中国留学生や、中国の民主化・人権活動に携わる在米中国人の動向の監視にも活用されていると指摘し、今回、法案を共同提出した共和党のルビオ上院議員は、孔子学院の活動には中国政府が米国内で影響力を拡大させる狙いが込められていると批判したという(産経電子版)。これに対する中国外務省の華春瑩報道官(河野外相がツーショット写真をアップして、普段は目つきが悪いが笑うこともあるのかと話題になった)の発言が揮っている。西側諸国から中国の外交政策への警戒感が高まっていることについて「一部の人々は冷戦思考やゼロサム思考といった時代遅れの観念から脱却できていない」と批判し、「この種の『雑音』をめぐっては論語の言葉を思い出す」として、「君子の心は常に落ち着いてゆったりしている。小人物はいつも憂え恐れている」との一節を紹介し、中国への批判は「中国側の世界的な視野や度量」を理解できていないためだと主張したらしい(以上は産経電子版)。なんとも大仰で次元の違う噛み合わない議論にすり替えて煙に巻くのは如何にも中国的(?)で微笑ましい(笑)
 中国が、鄧小平が言い始めたとされる「韜光養晦」の対外政策をかなぐり捨てて威圧的な姿勢に転じたのは2012年頃とされていて、今思えば、その頃が中国にとって全てにおけるピークだったのではないかと思う。4兆元の景気対策によってリーマンショックから世界経済を救ったのを始め、GDPで日本を超えて世界第二の経済大国に躍り出て(これは2010年)、経済力において大いに自信をもち始める一方、アラブの春をはじめとして、Brexitやトランプ現象などのポピュリズムの隆盛に至るまで、西側の自由・民主主義的な制度が普遍的には機能しなかったり変調を来したりして、中国は政治的にも自信をもち始めていることだろう。しかし、昨今の中国の、まるで焦燥感に駆られたような内外における強権主義は、この説明では腑に落ちない。建国100年となる2049年(あるいはそれを2035年に早めたとも言われるが)までまだ十分に時間がある(と私は思う)。実力があるというのなら、それこそ華春瑩報道官が言う通り、「心は常に落ち着いてゆったりし」「世界的な視野や度量」を見せつけてくれればよいのだ。そこには中国共産党の構造的な弱点である国内統治の問題が潜んでいるのではないかと疑いたくなる。言わば自信のなさの裏返しである。
 豊かになった中国の若者は、海外留学し、欧米の多様で公正な言論空間の自由な空気に触れて、帰国する。そんな彼らは、中国共産党が統治の正統性の根拠として喧伝される抗日が、実は共産党の専売特許ではなかったことに気づき始めている(言わずとしれた国民党=台湾の功績と言っておこう)。日本にとっては呆れるばかりの些細なウソも、中国にとっては堅牢に構築された論理の基礎における欺瞞であって、それが蟻の一穴にもなりかねない。中国内で強化される言論統制は、毛沢東の時代には考えられないグローバルな時代に、かつて蛮族から漢民族を守った万里の長城(ネット上ではグレートファイアーウォールと呼ぶ)を築き、欧米の(あるいはネットの)自由な言論空間から中国を遮断し守ろうと(無駄に!?)抵抗しているように見える。自信のなさの表れであろう。
 先週のニューズウィーク日本版に、習近平国家主席の顔写真に「私の国家主席じゃない(不是我的国家主席)」という言葉をかぶせたポスターの写真が掲載された。小さな記事だが、そのメッセージは穏当ではない。国家主席の任期撤廃が決まったことに対する抗議活動の一つらしく、3月1日、カリフォルニア大学サンディエゴ校に始まり、カナダやイギリスの大学に広がったらしい。通常、中国人留学生たちは、母国での就職の不利益や身の危険を恐れて声をあげるのを躊躇うものらしいが、「私たちは発言の自由が守られ、奨励される国で学ぶと言う特権を享受している」「母国の人々のために私たちが発言せずに誰がやるのか」と言い、「選挙で選ばれていない強権者が事実上の終身独裁者になることなど私たちは望まない」と主張する。
 実は中国内でも、当局の監視が届かない海外の通信アプリ(が可能なのかどうか知らないが)を使って改憲を議論するグループが相次いでつくられ、「習指導部は墓穴を掘った」「中国は北朝鮮化している」などの批判が噴出しているらしい。
 最近、「精日(=精神的日本人)」なる言葉が注目を集めている。10日ほど前、コラムで解説された福島香織さんによると、ネット・スラングで、「自分は中国人だが精神的には日本人」を主張する若者を指し、中でも近代史における日本の役割を肯定し、中国の抗日精神を否定している点(言わば政治的主張があるということか?)が、日本サブカル好き・哈日族と一線を画しているという。年明けに旧・日本軍人コスプレの中国人コスプレイヤーが自撮り写真をネットにアップして拘留されるなどの事件があって社会問題化し、全人代の期間中、恒例の外相記者会見を終えて立ち去ろうとした王毅外相が、ある記者から「最近の“精日”分子による民族のボトムラインを挑発する絶え間ない言動をどう思いますか?」と問いかけられて、「中国人のクズだ!」と人さし指を振り上げ怒気を帯びた声で吐き捨てたのが話題になった。全人代の閣僚会見は、当然のことながら中国メディアも外国メディアも事前に質問事項を提出して行われる型どおりのものなので、アクシデントと言うべきだろう。「中国には『挑発罪』『社会秩序擾乱罪』という何でも適用できる便利な(恐ろしい)罪状がある」(福島さん)にもかかわらず、先のコスプレイヤーが行政拘留処分を受けただけでは軽過ぎるとして、全人代で、国家を侮辱する者を厳罰に処す「国格と民族の尊厳を守る法」(国家尊厳法)なる立法提案がなされたというから、その神経質な様には恐れ入る。
 石平さんも、昨日の産経電子版のコラムで「精日」を取り上げていて、百度で検索すると「精神的に自分のことを日本人と同一視する人々のこと」とあり、さらに「精日の特徴」について「精神的日本人の中には、日本を崇拝して自らの民族を恨み、中国人であることを恥じる極端な者もいる」と付け加えているという。今月9日付の法制晩報は、こうした人々の特徴について、「精神的日本人たちは、ファッションや生活習慣が日本風になるだけでなく、日本社会のモラルやマナーに従って行動する」と報じ、法制晩報の取材によると「精神的日本人」のほとんどは10代か20代の若者であるという。こうした1990年代の「反日教育」の中で育った世代に見られる現象について、石平さんは、中国政府の「反日教育」の部分的失敗を意味すると同時に正面からの造反であり、現代中国の堕落と醜悪に嫌気がさしているのではないかと推察して、興味深いと結んでいる。
 中国式発展は一律ではあり得ないのだ。
 明らかに旧・ソ連の失敗に(またその他の歴史的事象に)学んでいるであろう中国共産党は、数を頼みに、中国式の国家運営という、人類史上、未曾有の実験に邁進する。アダム・スミスの“an invisible hand”に導かれることのない中国経済は、巷間言われるように格差は解消されることなく過剰債務を抱えて呻吟し、共産党統治を絶対視する(なにしろ領土支配より何より共産党統治が核心的利益の第一)ばかりに、言論統制を強化し、アリペイやWeChat Payなどの決済を全て中国人民銀行経由にしてカネの動きを国家として掌握し、人々の動きも全国に広がる監視カメラで見張るといった、息苦しい管理社会を現出した。ガラパゴスの如く一国で勝手にやってもらう分には文句はないが、どうもかつての華夷秩序の如く、ウェストファリア以降の国際秩序を中国式に塗り替えようと企図するならば、勘弁願いたい。
 以前、このブログで触れたように、プリンストン大学のジョン・アイケンベリー教授がForeign Affairs誌上で、トランプ大統領の迷走を嘆いて、「リベラルな国際秩序を存続させるには、この秩序を今も支持する世界の指導者と有権者たちがその試みを強化する必要がある」として、「その多くは、日本の安倍晋三とドイツのアンゲラ・メルケルという、戦後秩序を支持する二人の指導者の肩にかかっている」と述べたのは、つい昨春のことだった。その後、ドイツでは、メルケル自身への支持はともかく、メルケル率いるキリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)が議席を減らし、ドイツ社会民主党(SPD)との“大”連立を模索した交渉が難航し、ようやく先月になって4ヶ月の政治空白が解消されたばかりだし、日本では激動の国際情勢をよそに森友問題という(何故国会で?と思うような)極めてローカルな問題で国会が空転している。片やトランプ大統領のアメリカも相変わらずで、中国をWTOに入れたのは間違いだった、関与(engagement)政策は失敗だったとして、中国を標的とした貿易戦争を仕掛ける始末で、内政に苦慮しているであろう中国の反発を招きかねない。
 今、世界が考えなければならないのは、中国を徒に刺激することではなく、中国経済の存在感は大き過ぎて潰せない(too big to fail)、つまり突然、共産党の統治が崩壊しても困るが、だからと言って過激化するばかりの中国式発展を野放しには出来ないから、価値観を同じくする西側の国(とりわけ日米豪印や西欧)がそれぞれ自立的に毅然と牽制し、総体として結束して、のたうちまわる巨竜を如何にソフトランディングさせるか、そのショックを如何に和らげるか、ということだろうと思う。リベラルな国際秩序を守れるのかどうか、中国という攪乱要因を中心に、世界は今、大きな転換点にさしかかっている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中国式発展・続

2018-03-21 13:59:40 | 時事放談
 前回に続き・・・英誌The Economist(12月16~22日号)によると、中国が物理的に領域を拡大するだけでなく、精神的な領域まで支配しようとしていることを最初に警告したのは、オーストラリアだという。以前、このブログでも紹介したように(https://blog.goo.ne.jp/mitakawind/d/20171209)、野党の上院議員が中国から献金を受け取り、中国の肩を持つような発言をしたという疑惑から、辞職した。昨日の産経電子版によると、「中国系住民の増加や中国企業の相次ぐ投資計画に加え、昨年夏以降、内政干渉が指摘され始めたため」「議会では、中国を念頭に外国人の献金禁止や諜報活動への監視を強化する法案の審議が行われており、来月にも審議を終え報告書を提出する見通し」(以上、産経電子版)だという。
 こうした介入の動きは豪政界だけではなく、大学や出版界にも広がっており、豪チャールズ・スタート大学のClive Hamilton教授は、最近出版した著書‘Silent Invasion: China's Influence in Australia’で、「豪州に移住してきた中国系の富豪が与野党の政治家や大学に多額の資金を提供している実態」を紹介し、「こうした政治家の発言や大学の研究が、南シナ海問題や自由貿易協定(FTA)などで、中国に望ましい方向に政策を誘導しようとした実態」を明らかにし、中国は「民主主義を利用して民主主義を破壊する」とまで指摘している(このあたりも昨日の産経電子版)。教授によると、1970~80年代にオーストラリアに進出した日本とは対照的に、最近の中国系企業家は、「自ら進んで、または中国に残した親族が報復に遭うことを恐れ、共産党の代理として行動する」(同)という。最近は余り言われなくなったが、まさに「国家(と言うより共産党)資本主義」の面目だろう。興味深いのは、本書について、当初、契約した大手出版社から出版を拒否されたという事実だ。中国からのサイバー攻撃や在豪中国系市民からの訴訟を恐れたためのようで、その後、2社からも断られ、ようやく出版に漕ぎ着けたのだという。これに対し、英紙フィナンシャル・タイムズは「自己検閲だ」と批判し、教授は「言論の自由への抑圧に多くの豪州人が衝撃を受けた」(同)と話しているそうだ。
 警鐘を鳴らす動きは、カナダやニュージーランド、さらにイギリスやドイツにも広がっていると、The Economistは言う。ドイツでは、LinkedInを使って人材スカウトやシンクタンク研究員を装って政治家や政府高官に近づき、無料の旅行などを提供し、取り込もうとしていることを、独情報機関が明らかにした。中国の「シャープパワー」は、「取り入った後に抵抗できなくさせる工作活動、嫌がらせ、圧力の三要素を連動させることで、対象者が自分の行動を自制するよう追い込んでいく。究極の狙いは、そのターゲットとする人物が最後は、資金や情報などへのアクセス権、影響力を失うことを恐れて、中国側が頼まずとも自分たちにへつらうように転向させていくこと」(The Economist記事を日経が翻訳)だという。
 中国共産党では、王某(漢字が読めない・・・)政治局常務委員がジョセフ・ナイ教授の「ソフトパワー」理論を1993年に紹介して以来、関心が高く、佐山修氏によると、2007年の第17回党大会における政治報告で曖昧な表現ながらも中国式「ソフトパワー」政策が採用されたという。ただその目的は、「世界における自国の発言権と影響力の強化、さらに中国人および華僑による中華民族としての自尊心、すなわちナショナリズム高揚を通じて、政府による国内管理を強化することにある」(同氏)とされており、私の色眼鏡を通して見れば、中国における歴史教育に与えられた役割と同様、全てが中国共産党による統治の正統性という一点を志向して、プロパガンダ化してしまい、彼の国では本来の「ソフトパワー」を離れてイビツな発展を遂げていく。
 例えば悪名高い孔子学院は既に世界140ヶ国以上に進出し、教育活動を通した中国語や中国文化の普及を行っているし、中国中央テレビ(CCTV)はワシントンやナイロビにも拠点を設置し、メディアを通じた国際社会での良好なイメージの確立を狙っている(広報外交)し、世界に広がる華僑に対する影響力拡大を意図し、少なくとも中国の問題関心に対する理解や共感を得ようと働きかけを行っている(華僑広報外交)という。こうした対外支援プログラムについて、ジョセフ・ナイ教授は「成功し、建設的であることもしばしば」と評価するが、佐山氏は、内政および外交政策面におけるナショナリズムの比重の大きさと、「検閲のない市民社会」を容認しない姿勢との二つが、中国の「ソフトパワー」を制限する要因になると指摘する。既に、孔子学院は表現の自由への脅威になっているとの議論が出ているし、広報外交の名のもとに、国外メディアの報道にも注意を払う中国は、中国の温家宝元総理の蓄財を報じた米NYT記者の査証更新を拒否したことがあったし、「中国政府の神経に障った刊行物を出版したため、一部の外国人学者が査証拒否リストに登載された」(米連邦議会報告)というし、中国が、増加する中国系米国人からの支援を得て、米国政府の方針や意思決定に影響を及ぼそうとしているとの議論も出ている。こうして中国にあっては「ソフトパワー」すらも「シャープパワー」に転化する。
 また長くなってしまったので、続きは明日・・・
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中国式発展

2018-03-19 23:38:47 | 時事放談
 いま国会は、森友学園への国有地売却に関する財務省の決裁文書改竄を巡って混乱を極めている。公文書偽造の犯罪行為で、事態が深刻であることは認めるが、他方、ほぼ同時進行で国際情勢も近年になく緊迫しており、国会での議論が余りに偏っていることには違和感を禁じ得ない。安保法制のときと同様、この国の政治家は安全保障がよほど苦手なのだろうか(困ったことに)。朝鮮半島情勢は、(いろいろ裏がありそうな)歴史的な南北会談と米朝会談が決まって、日本も当事国としてどう関与していくかが厳しく問われているし、中国の全人代では歴史的な決議がなされて世界の耳目を集め、こちらでも今後の日本の難しい舵取りが問われている。これまでさんざん朝鮮半島情勢のことを書いて来たので、今回は中国の話をとりあげる。
 中国・全人代では、11日に国家主席の任期を撤廃するための憲法改正が可決され、17日に習近平氏がその国家主席に再選された。いま二期目の習近平氏の任期は2023年までの5年間のはずだったが、これで2023年以降の三期目の続投はおろか、終身の国家主席の可能性まで出て来た。先週のニューズウィーク日本版はそれを見越して「世界が習近平の中国をあきらめる時」という、ややセンセーショナルなタイトルの記事を掲載した。中国が(1980年代の韓国や台湾のように)経済が繁栄するにつれて政治改革を進めると期待していた人々は大いなる幻滅を味わい、習体制下で自信を増した中国がこれまで以上に抑圧的な独裁国家になり、反政府派に対する取り締まり強化と、インターネット検閲とテクノロジーを利用して政権が問題視する市民を監視する社会が出現する現実を受け容れざるを得なくなった、というわけだ。
 かつて権力集中した毛沢東国家主席のもとで文化大革命の大混乱を経験した反省に立ち、改革開放を進める鄧小平氏が現行憲法の中に安定した権力交代の仕組みを作り込んだのは1982年のことだった。その後、未曾有の経済発展を遂げた36年の時を経て、今回、憲法改正によってそれ以前の時代に復するのは、中国共産党が再び困難な時代に突入することを予見し、権力を集中して支配体制を強化することを選択した象徴的な出来事のように私には思えるのだが、そのあたりの当否はさておき、表向きはリーマンショック以来すっかり自信を深めた中国が「強権主義を特徴とする中国式経済発展モデル」を世界に広める動きを示して、欧米の警戒心を掻き立てている。
 こうした警戒心は、アメリカでは何も今に始まったことではなく、10年ちょっと前にも、James Mannなるジャーナリストが‘The China Fantasy’(邦訳名「危険な幻想」、サブタイトル「中国が民主化しなかったら世界はどうなる?」)なる書をものし、(1)気休めのシナリオ(このまま経済発展・対外開放が進んでいけば、政治的開放つまり民主化していくシナリオ)、(2)激動のシナリオ(政治的混乱もしくは経済的混乱が起こり、中国は激動の時代に突入する中国崩壊シナリオ)、(3)第三のシナリオ(経済成長を遂げても、基本的な政治体制は変わらないシナリオ)の三つを提示した上で、第三のシナリオが有力なのに、その当時のアメリカでは気休めのシナリオが支配的であることを問題視したものだった。また2~3年前にはパンダ・ハガーだったCIAのMichael Pillsburyが‘The Hundred-Year Marathon’(邦訳名「China 2049」、サブタイトル「秘密裡に遂行される『世界覇権100年戦略』」)という書で、親中派と袂を分って、世界の覇権を目指す中国の長期的戦略に警鐘を鳴らすに至った自らの経験を詳らかにした。そして直近では、ハーバード大のグレアム・アリソン教授が、新興国の台頭が覇権国を脅かして生じる構造的ストレス(トゥキュディデスの罠)で衝突した16のケースを解析し、米中戦争の可能性と回避の方策を論じた本‘Destined for War’(邦訳「米中戦争前夜」)を出したのは、最近のアメリカの気分を代弁している。
 これに対し、西欧は、どちらかと言うと中国と地理的に離れていることもあって、中国の安全保障上の脅威に対して伝統的に鈍感で、むしろ経済的恩恵に浴そうと政治的に融和的だった。ところが、この一年の間に明らかに潮目が変わった。
 例えば、2016年8月にドイツの老舗の産業用ロボット・メーカーKUKAが中国ミデア(美的集団)に買収され、また翌9月にイギリスが(フランスの電力公社EDFが主導し)中国企業が出資する原子力発電所建設計画の着工を条件付きで承認するといった、安全保障上の懸念がある取引は、もはや過去の話になりそうである。昨秋、イギリス、ドイツ、フランスで、それぞれの国における投資案件に対して規制強化する法案がそれぞれ採択され、EUではこうした規制がない域内国のためにガイドラインが作成されるなどして、(明らかに中国による)投資(つまりは企業買収や資本参加)を通した技術獲得(端的に窃取)に、安全保障の観点から歯止めをかける動きが相次いだのである。
 こうした経済的な安全保障の観点以外でも、The National Endowment for Democracy(全米民主主義基金)のChristpher Walker氏とJessica Ludwig女史がForeign Affairs誌11月号に論文’The Meaning of Sharp Power ---How Authoritarian States Project Influence’ を寄せ、ジョセフ・ナイ教授が提唱した「ハード・パワー」(軍事や経済の強み)や「ソフト・パワー」(文化や価値観の魅力による強み)さらにはこれらのハイブリッドな「スマート・パワー」に対して、独裁国家が外国に自国の方針を呑ませようと強引な手段に出たりその世論を操作したりする「シャープ・パワー」なる概念を提唱すると、英誌The Economistはすかさず12月16~22日号の表紙に‘Sharp power’、サブタイトル‘The new shape of Chinese influence’と書きたて(下記写真参照)、巻頭論文で「中国の『シャープパワー』に対抗せよ」と呼びかけたのだった。
 長くなったので、続きはまた明日・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

追悼:GIVENCHY

2018-03-17 01:32:36 | 日々の生活
 私にとって、ジバンシィ(GIVENCHY)は思い出深いブランドだ。
 私の会社では入社1年目は海外出張できない習わし(!?)で、解禁された2年目の4月を待ちかねたように、担当していた台湾に出張に出さされた。当時、大学の「卒業旅行」=海外旅行などといった優雅な慣習はまだなくて(因みに私の卒業旅行は、友人とレンタカーを借りて日本海沿いに京都(「夢千代日記」の里)から鳥取(砂丘)そして島根(出雲大社)を巡りながらカニを堪能する、ささやかな冬の山陰の旅だった)、台湾こそ私が踏みしめた初めての“外地”だった。その台湾“初”出張帰りの空港のまばゆいばかりの免税店で、すっかり舞い上がって高級ブランド品を物色する中で、しかと選んだ生涯“初”のブランド品がジバンシィのネクタイだった。
 その後、台湾には30回以上も出張し、ミーハーな私はそのたびに、ネクタイや財布や定期入れやベルトなどのブランドものの小物を一つずつ買い増し、いつの間にかディオールやグッチやエルメスやダンヒルといった、今思えば、およそペーペーのサラリーマンに似つかわしくない、高級品の数々で身を飾る、いけすかない若造になり果てたのだったが・・・まさに日本のバブル全盛の頃のことである・・・今でもお気に入りのブランドはダンヒルとジバンシィを以て双璧をなす。バブル崩壊と軌を一にするように、ここ20年ほどは、とんとご無沙汰しているが(苦笑)
 その創業者で服飾デザイナーのユベール・ド・ジバンシィ氏が今月10日、死去した。享年91。
 「麗しのサブリナ」、「おしゃれ泥棒」、「シャレード」、「ティファニーで朝食を」などの映画でオードリー・ヘプバーンの映画衣装を手がけたことで知られる。中でも、「ティファニーで朝食を」のオープニングを飾った黒いドレスはヘプバーンのアイコンになり、ジバンシィ氏の代表作の一つという。また、モナコ公妃グレース・ケリーやジャクリーン・ケネディ大統領夫人らも顧客に数えられ、ケネディ家の女性たちがJFKの葬儀でジバンシィ氏のデザインした喪服を着ていたことでも有名らしい。そんな贔屓客を知って、如何にもシックなジバンシィらしいと納得する。
 私が次にアメリカを担当するようになってほどない1995年に、後任デザイナーにジョン・ガリアーノ氏を指名し、引退されたらしい。今、初めて拝見したご本人の映像は、氏のデザインそのままに、ダンディで気品がある。
 心よりご冥福をお祈りしつつ、合掌。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

警戒しつつ楽観

2018-03-13 22:48:56 | 時事放談
 タイトルは、北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長が米国との対話への意思を表明したことに対して、マティス米国防長官が述べた言葉だ。韓国の特使と会談したトランプ大統領は、金正恩委員長の「可能な限り早期の会談」要請を即座に受諾し、「5月までに会談する」と応じたらしい。外交は素人ながら交渉の達人を自負するトランプ大統領らしい素早い反応で、見るからに危うい(笑)。なにしろ首脳同士の会談と言えば最後のセレモニーと捉えるのが外交にも企業社会にも共通する発想であろう。それが(米国務省はロクにまだスタッフが揃っていないと言われる中での)いきなり入口での首脳会談である。もっとも、北朝鮮には過去に何度も裏切られて来た経緯があることを理解しているトランプ大統領は、会談実現の前に北朝鮮に対して圧力緩和などの譲歩は一切しないことも表明した。
 それにしても、話がウマ過ぎる。金正恩委員長は、単なる核開発計画の凍結ではなく「非核化」の意向を表明し、今後は核実験と弾道ミサイル発射を「自制する」と約束し、米韓合同軍事演習が4月に予定通り実施されることに「理解を示した」という。しかし、とりわけ過去二年にわたり核開発やミサイル試射を通して緊張状態を作り出して来たのは金正恩委員長その人であり、今さら「非核化」やら「自制」やらを言ったところで、また「理解を示した」ところで、全く腹は痛まない。むしろ、かつて水前寺清子が歌ったように(古い!)「三歩進んで二歩下がる」と言っているようなもので、結果的に一歩前進している始末だ。つまり核保有によって米国が金正恩委員長を対等に扱わざるを得なくなったことを誇示することが出来ているのだ。
 しかも、いずれの発言も韓国が代弁しているだけであって、金正恩委員長が自らの肉声で語ったものでもなければ、親書を手渡したものでもない。古来、攻撃の要諦は弱い鎖を衝くことにあり、北朝鮮包囲網で言えば、弱い鎖は韓国であって、金正恩委員長は定石通り韓国の文在寅大統領を籠絡しただけのことではないのか。
 というわけで、果たして南北会談に続いて米朝会談が行われるのかどうか・・・日本人が高みの見物などと他人事のようなことを言っていてはいけないのだが、予測不可能な大根役者のトランプ大統領と、ついぞ表に出ることのない金正恩というナゾの役者のカラミの演技を見ることが出来ると想像するだけで、不謹慎ながら甚だ興味深く思ってしまうのであった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

五輪の裏で:二人の羽生

2018-03-09 00:52:59 | スポーツ・芸能好き
 これまた旧聞に属する話で、今となってはどうでもいいのだが・・・平昌五輪で羽生結弦が勝った時間帯に、将棋で羽生善治竜王が藤井聡太五段に負けた。二人の「羽生」と言っても読み方は違うわけで、「ハニュウ」と「ハブ」が入り乱れてちょっと混乱があったらしい(笑)。国民栄誉賞を受賞したばかりの実力者が、弱冠とまでも言えない(通常、弱冠は男子の数え年二十歳のことを言うので)僅か15歳6ヶ月の若者に負けた衝撃は半端ではない。
 藤井聡太五段はそのまま朝日杯オープン戦に優勝し、史上最年少、最速で六段に昇段した。
 それにしても、驕らず、臆せず、昂ぶらず、その老成した落ち着きぶりは、どうしたものだろう。ひふみん(加藤一二三九段)は言う。「並大抵ではない重圧を軽やかに力へと換え、新たな将棋界の歴史を日々創造するお姿を、心から頼もしく思います」 そう、軽やかに、しなやかに、淡々と。周囲はつい暖かく見守ってしまう。しかし谷川浩司九段は、その若武者の台頭を許す棋界に敢えて苦言を呈する。「私たちの予想をはるかに上回るスピードで、強くなっているようです。名人と竜王を破っての優勝は見事ですが、ただし、20代、30代の棋士に対しては、『君たち、悔しくないのか』と言いたい気持ちもあります」 
 なお、羽生善治竜王の奥様は元女優の畠田理恵さんで、熱狂的な羽生結弦ファンらしい。漢字だと紛らわしいが、ハブさんの奥様は、ハニュウくんのファンらしいのだ。この日も朝から「羽生・羽生勝負日」と気合十分だったという。漢字だと紛らわしいが、「ハニュウ・ハブ勝負日」ということかな。そして羽生結弦が金メダルを獲得すると「連覇!連覇!連覇!おめでとうございます この瞬間に立ち会えて、ありがとうございます」と興奮気味にツイートし、羽生善治竜王が藤井聡太五段との対局に敗れると、「悲しい涙とうれしい涙で忙しい」とも。こういうシチュエーション、なんとも言えず微笑ましい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

五輪の裏で:台湾加油

2018-03-05 23:33:57 | 時事放談
 随分、旧聞に属してしまうのだが、かれこれ一ヶ月前、台湾東部・花蓮県沖約18キロを震源とする地震に際して、首相官邸をはじめ芸能界を含む日本の民間人から寄せられた支援が好感され、台湾のシンクタンク「台湾世代智庫」の調査によると、「最も気遣ってくれた国」として75%以上が日本を挙げたと報じられた。台湾でも人気がある阿部寛氏が1000万円の寄付を申し出ると、「我的先生太大方了(気前が良い)」などと評判になったらしいし、台南でラーメン店を経営する日本人男性がすぐさま花蓮に向かいラーメンの炊き出しを行ったこともニュースで大きく取り上げられたらしい。その後の五輪報道で霞んでしまったが、印象に残ったこととして書き残しておきたい。
 台湾については、かつて祖父(鹿児島出身)が出稼ぎに行った地であり、私の初出張の地でもあり、以来、30回以上通い詰めた(勿論、仕事で、である 苦笑)こともあって、格別の思い入れがある。中国が台湾のことを核心と呼び始めてからは、なおのこと、アメリカのような台湾関係法を制定するだけの気概はないにしても、南西諸島とは目と鼻の先、第一列島線上にあって、日本国として表向きは「ひとつの中国」を理解し尊重しつつも、裏ではなんとか台湾の人々の親日の情に応えられないものかと思ってきた。幸い、そんな日台間で、1999年の台湾中部大地震、2011年の東日本大震災、2016年の熊本地震、同年の台湾南部地震など、不幸な出来事の中でお互いを支援する連鎖反応が、着実に双方の間に良好な感情を育んでいるのは喜ばしい限りだ。
 とりわけ今回は、首相官邸facebookにお見舞いのメッセージが書き込まれただけでなく、安倍首相自らの筆により「台湾 加油」としたためられた色紙の写真が掲載されたのは特筆すべきことだった(ガンバルのは、地震に対してだけではないんじゃないか・・・と勘繰ったのは私だけではないかも 笑)。民主党政権下、東日本大震災の一周年追悼式典で、台湾代表として出席された台北駐日経済文化代表処の羅坤燦副代表が指名献花から外されて一般人扱いされたことと比べると、隔世の感がある。
 そんな日本に対して、台湾の歓心を買おうとする中国は不満を募らせ、実際に、当初、首相官邸のサイトで宛先が「蔡英文総統閣下」と敬称付きで表記されたことに抗議して、首相官邸は素直に引っ込めたのだった。が、台湾政府は中国の救援隊派遣の申し出は断りながら、日本の申し出には「台湾より高性能な生命探知機があり例外だ」と説明して受け入れており、日台間の阿吽の呼吸を感じさせる。
 それにしても、台湾といい、朝鮮半島といい、戦前、外形的には日本の植民地統治と形容されながら、実のところは内地の延長として、日本は健気にも当時のGDPの10数パーセントを投資したとされ、清から見捨てられた化外の地と、まがりなりにも王朝があったプライドの地と、生い立ちに違いはあったにしても、現在に続く親日と反日・侮日・用日の違いは、なんたることであろう。
 安倍首相の色紙に対して、(意外に)「字がうまい」、「韓国 減油」などといった書き込みもあったようだが、余談である(笑)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

また青梅への道(3)

2018-03-02 23:46:08 | スポーツ・芸能好き
 先週末の東京マラソンでは、設楽悠太が16年振りに日本記録を更新し(2時間6分11秒)、また日本人2位の井上大仁も日本歴代4位(2時間6分54秒)と、一つの大会で6分台が二人も出たのは初めての快挙で、低迷気味だった男子マラソン界が俄かに活気づいた。
 その一週間前、ひっそりと(!?)青梅マラソンが開催され、私のように東京マラソンに落選した多くの人たちが30キロ走を楽しんだ。
 設楽悠太は、箱根駅伝を席巻したNIKEの厚底シューズ(NIKE ZOOM VAPORFLY 4%)で走って日本記録を叩き出したようだ。新しモノ好きの私には、ちょっと羨ましくもあるが、私にはまだアシックス・ターサー・ジャパンがあるので、ぐっと我慢である(苦笑)。このターサー・ジャパンは、地面を捉える感覚、所謂グリップ力が素晴らしいのだが、10キロとかハーフ・マラソンなど短めでスピード・レース向きと言うべきかも知れない。私のような年寄りには、齢を重ねるたびに足への負担が大きくなり、つい厚底に目移りしそうになってしまう(笑)。
 さて、青梅マラソンの結果は、3時間11分、昨年より1分短縮、一昨年より3分悪化と、相変わらずのペースだった。そもそも田舎道で混雑するため、余程、早い到着予想タイムを申告しないことには、スタート地点は後ろの方になり、混雑を抜け出すのに一苦労する。私の場合は、しかしもう焦らない。どうせ加齢とともに体力が落ちて来た身で、無理して前に出ず、周囲のペースに合せてスローペースで走り始めた。その分、余力があったのか、最後の5キロは32分を切るという、私にしては珍しい展開になった(通常は疲労とマメによって失速する)。
 その最大の理由は、5本指ソックスを初めて試してみて、過去にさんざんマメに悩まされたターサー・ジャパンでもマメが出来なかったことだ。事前の練習量はいつも通り(年明けから一ヶ月半で140キロ強・・・というのは少ないなあ)だったことを考慮すると、どうやら効果がありそうだ。
 幸い天気もよく、寒さも緩んで、絶好のランニング日和だった。青梅は、行きも帰りもアップダウンがあってかなりタフでなコースで、でも沿道の応援はいつも暖かく、今回は念願のヤクルトを貰えて元気百倍! 数年に一度は大雪で中止となるリスクがあるものの、これからも末永く付き合って行きたいと思う大会だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする