風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

文具上手

2014-06-26 23:33:50 | 日々の生活
 世の中に、文房具が嫌いなオトナはいないんじゃないかとさえ思いますが、とにかく私もご多分に漏れず文房具が大好きで、海外の街のスーパーや百貨店では、文房具コーナーに必ず足を運びますし、文房具店があろうものなら、うきうきしてしまいます。つらつら眺めて、おもむろに手にとり、いじくりまわして、棚に戻し、またつらつら眺める。誰もが手にする身近な存在なだけに、ユニバーサルだと思いがちですが、国によって民族によって、やはり使い勝手や美意識が微妙に異なるのが面白い。
 単なる思いつきで、万年筆を使い始めることにしました。なにしろ学生時代以来のことで、なるほど、ボールペンとは違う書き味がなんとも懐かしく、新鮮です。
 会社では、これまで体面など気にすることなく、手の中でいじくり回そうが落っことそうが悪戯書きしようが一向に気にならない100円ボールペンを使い続けてきました。ところが、業界団体の集まりや外部のセミナーやシンポジウムに参加したときに見かける初老のオジサンが洒落たペンでメモをとる姿が、なかなかカッコイイ。私だって客観的にはいい歳だし、セミ・プライベートな場面・・・と言っても手帳にスケジュールやメモを書き込むくらいのことですが、ちょっと気分を変えてみようと、敢えてクラシックな万年筆に替えてみたのです。手帳をスケジュールでぎっしり埋めたいなどと思う歳ではないし実際にそこまで行きません。文字が乾かない時間をもどかしいとも思いません。スローな生活には万年筆の滑らかな筆致とずしり手にこたえる重量感が似合います。
 土橋正さんの「文具上手」(東京書籍)という本に感化されたと言ってもいいでしょう。連休中、ブックオフでたまたま見かけて、本棚から手に取る前に買うことに心に決めた、なんとも見事なネーミングです。商社マンや会計士や医師やTVのプロデューサーやデザイナーなど様々な職業の10人にインタビューし、文房具へのこだわりを開陳してもらっています。
 好きなペンや紙はあるが、デザインをしていく上では、それらがなくなったらデザインできなくなってしまう、あるいは癖に余りにも頼り過ぎると新しいものが生まれにくくなってしまう・・・といったことにならないように、出来るだけこだわらないようにしていると語るデザイーナーの、こだわりのなさへのこだわりという逆説。そうかと言えば、ライフワークのイラストを描くときには、お気に入りの文具がこれでもかとふんだんに登場するのに、仕事では自分の個性を出す必要がないから使わないと、あっさり言い切る、イラストが趣味のOLさん。否、日々の仕事で繰り返される些細な仕事にこそ万年筆を使いたい、ボールペンでも用は済むが、万年筆は純粋に心地よいからと言って、便箋に使うのはウォーターマンのブルー・ブラック、なぜなら、やや太めのMやBで書くと細字で書いたときより色に変化が起きるからと、インクにまでこだわる文具卸の商社マン。
 Palmをアナログのペンと紙に持ちかえると、しっかり記憶に残るようになったと語るのはお医者さん。曰く、物理的な紙の上に文字を創り出す「体感」のせいではないか、と。あるいは、パソコンは既に出来上がりつつあるイメージをよりキレイにまとめるものであるのに対し、ペンと紙は全くゼロから考えてイメージを作って行くツールだと語るデザイナー。そして、脳との親和性という意味では、ペンと紙の方が断然いい、とも。そして、プライベート・モードになるほど、しなやかに書ける万年筆の出番、と語る人がいますが、いかにも御意。
 この本の中で、複数の人が気に入って使っているのが、ラミーサファリの万年筆で、4千円と手頃な価格で、手帳と一緒に持ち歩いても気になりません。透明な筐体が斬新なスケルトンと、珊瑚のピンク色がなんとも派手で可愛いネオン・コーラルの2本を、インク・カートリッジではなく別売の吸引器コンバーター(800円)とペリカンのブルー・ブラック・インクとともに衝動買いしました。実は、つい数ヶ月前、自宅の机の引き出しで死蔵していたモンブランの万年筆(マイスターシュテュック146)やボールペンを、使ってこその文房具じゃないかと、ひっぱり出して使い始めた矢先のことでした。その意味で、このタイミングでこの本に出会ったのは、神様の思し召しでしょうか。モンブランは、勝負万年筆として、かれこれ四半世紀前に購入したまま眠っていたもので、最近は、プライベート・モードで「書く」という行為自体が少なくなりましたが、一生モノとしてぼちぼち使って行こうと思っています。なんてったって、文房具はオトナの合法的なオモチャですから・・・。
 上の写真は、奥から、ラミーサファリのスケルトンの万年筆、モンブランの万年筆とボールペンです。
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W杯ギリシャ戦

2014-06-22 23:35:18 | スポーツ・芸能好き
 W杯になると俄かサッカーファンを自称する、真のサッカーファンにはちょっと鼻つまみモノ?の、サッカー観戦記・第二弾は、ギリシャ戦です。とは言いつつ、朝7時開始なので、夜の再放送を見たのですが、ギリシャのエース・ミトログルが長谷部の肘で腰を痛めて負傷するアクシデントで、前半35分で交替し、その3分後には、MFカツラニスが長谷部へのファウルでこの試合二枚目のイエローカードを食らって退場し、その後55分間にわたって11対10の数的優位に立って、日本の先制は時間の問題かと期待したのでしたが・・・実際にポゼッションは圧倒的に日本が勝り、大久保や内田など決定的なチャンスも何度かありましたが、最後まで守備を固めるギリシャを突き崩せないまま、悔しい引き分けに終わりました。
 このあたり、ドイツのSportBild電子版(20日付)も、まさにその11対10で「日本が優勢にもかかわらず勝利を逃す」との見出しを付け、日本は「具体的にどこも何も批判」されるわけではなく、ただ「そこから何もしない」「奇妙な試合だった」理由を、「負ければW杯から敗退することを知っていたから」という心理的なプレッシャーに求めざるを得ないと見ていたようです。前回、スタンドの日本人サポーター全員がゴミを持ち帰ると、その礼儀正しさに感服し大きく報道したスペインのメディアは、「日本、10人を前に敵わず」「10人のギリシャの壁を破れず」といった見出しで、数的有利を手にしながら、「したくてもできない」状況のまま終わったと評したそうです。この「したくてもできない」はスペイン語特有の口語表現で、力はあり、やる気は見えるのに、それが空回りしてしまい、実際に遂行するに至らない、という歯痒さを表す時に用いられるのだそうです。
 ところが、実際に選手のコメントを聞いてみると、却ってギリシャが10人になってからの方が難しかったというから、サッカーは面白いものです。
 「やっていても、見ているときでも11対11でやっていたときの方がウチとしてはやりやすかった部分がありました。相手が10人になって完全に守る形になってからの方が難しくなってしまったのは事実です。(1人減ってからの戦い方は変えたわけではない?と聞かれ)変えたわけではなくて、自分たちがやろうとしてる形をとにかく出そうとしたけれど、やはりあれだけ引かれてしまうとね。その部分で言えば、何が足りなかったのかと言えば、シンキングスピードだったり、オフ(ザボール)の動きの強さとか速さ、そういう部分がもちろん足りなかったと思います。引かれるとチャンスを作りにくいのはあると思うのですが、そこを崩しきれなかったのは自分たちの攻撃力が足りないところなのかなと思います」(長谷部誠)
 「ひとり少なくなれば相手も中を締めてきますし、無理やり入れるのも時には必要かもしれないですけど、外を使いながら、どこかで中を使えればいいかなと思っていたので、守備重視のチームには10人になってより難しくなったかなと思います。(中略)あれだけベタ引きされれば、10対11と言うより、相手のほうが守備の人数は多いので難しいかなと。ただ、こじ開けられなかったのは、なんらかの原因があると思うので、もうちょっとミドルシュートを打てば良かったかな、というのはありましたけど、やっているなかでは、そういうチャンスもなかった気がするので、よりテンポを上げられるようなポジショニングを取れば、よりチャンスは作れたのかなって思います」(遠藤保仁)
 「(ギリシャは一人少なくなっても余裕を持って守っているように見えたが?)余裕を持っているというよりも、守備に徹していた。ああなると逆にやりずらくなったというか、10人の時の方が正直やりずらかった」(長友佑都)
 確かに攻めあぐねてはいましたが、第一戦よりは第二戦の方が、日本らしさが出ていたように思います。もう後がなくなって、最後のコロンビア戦には是非とも期待したいと思います。
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市ケ谷というところ

2014-06-20 00:15:51 | 日々の生活
 市ケ谷と言っても、関西人にはなかなか馴染みがありません。辛うじて、1970年11月、三島由紀夫ら楯の会が東部方面総監部に乱入する三島事件が発生した場所として、記憶の片隅に残るくらいです。最近になって、ようやく場所を覚えた靖国神社の最寄駅は都営新宿線九段下駅ですが、市ケ谷駅からも歩いて10分くらいのようです。オープン・キャンパスで訪れた法政大学・市ヶ谷キャンパスのほか、調べて見ると、中央大や上智大も市ヶ谷キャンパスを構えていますし、大妻女子大の千代田キャンパスにも近く、日本大学会館(本部)もある、学園の街です。因みにJR東日本と東京メトロの駅は「市ケ谷」、都営地下鉄の駅は「市ヶ谷」と表記するそうです(Wikipedia)。カメラのキャノンは正式には「キヤノン」と表記するのだと知人に教えられたのを思い出しました。
 まさに、三島事件とともに思い出される、ここ市ケ谷は、防衛省は市ヶ谷地区(Ichigaya Area)と呼び、陸上自衛隊は市ヶ谷駐屯地(JGSDF Camp Ichigaya)と呼び、航空自衛隊は市ヶ谷基地(JASDF Ichigaya Base)と呼ぶ、防衛省本省(内部部局)のみならず統合・陸上・海上・航空幕僚監部が所在する、日本の防衛の中枢です。もとは1874年に陸軍士官学校が開校され、戦時中は参謀本部が置かれ、戦後は極東国際軍事裁判に利用された、由緒あるところです。地図を見ると、山手線のヘソとも言うべきほぼ中央、皇居の外堀の裏手に控えます。
 先日、外出したときに市ケ谷駅界隈を通りかかりましたが、日本の防衛の中枢がある街と言うほど物々しい雰囲気はありません。ごく普通のオフィス街であり学生街でもあるわけですが、そんな街には似つかわしくない土産物屋が目に留まりました。こんなところに土産物屋が・・・? 店名は「Military 将」とあります。なんと、日本全国の自衛隊基地へ卸を行っている自衛隊グッズ専門店で、昨年10月15日付の市ヶ谷経済新聞(http://ichigaya.keizai.biz/headline/1758/)によると、「防衛省に程近い靖国通り沿いに9月26日にオープン」し、「これまで防衛省内や防衛省関連のイベント会場などでのみ購入可能だった商品が一般の人でも購入できる」とあります。確かに、菓子や「海軍カレー」をはじめとする食品類、ボールペンなどの文房具類、ワッペン、Tシャツ、タオル、バッグ、キャップ、時計、なんと女性隊員のフィギュアまで、300種類以上の自衛隊グッズが10坪ほどの狭い店内にぎっしり並んでいます。
 私は、石破さんのような軍事オタクではありませんし、思想的にも、海外生活をすれば芽生える程度の郷土愛の延長上にある愛国心をもつ、グローバルな意味では極めて穏当な保守に過ぎませんが、東日本大震災以来、親近感が高まり、中国の海洋進出のお陰で有難みが日に日に増す、自衛隊への感謝の気持ちを込めて、迷彩服姿のくまモンと、セーラー服姿のキューピーちゃんと、海上自衛隊に入隊したというウルトラマンの、三つの携帯ストラップを購入しました(写真上)。それぞれ550円とか600円と、普通の土産物の値付けです。くまモンのずんぐりした図体に迷彩服が良く似合い、色遣いもなかなかキレイで、表情がちょっと間抜けにキョトンとしていて、およそ「らしく」ないのが、なんともカワイイではありませんか。
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W杯コートジボワール戦

2014-06-18 23:21:00 | スポーツ・芸能好き
 ピカソがレストランで食事をしていると、ある女性が、お礼はするから何か描いてほしいと、レストランのナプキンを差し出しました。ピカソは慣れた手つきでものの30秒とかけないでささっと絵を描き上げ、女性に1万ドルを請求しました。「30秒もかかっていないのに1万ドルは高いじゃないの!?」と文句を言うと、ピカソは「いや、40年と30秒かかったんだよ」と。
 40歳のピカソがレストランで絵を頼まれるほど有名だったかどうかはさて措き、サムライ・ジャパンの代表選手も、このコートジボワール戦90分のために4年間の修練を積んできたであろうことを思うと、私のようなド素人につべこべ言われたくないでしょうから、本人たちのコメントを紹介する形で、無念さを表現したいと思います。
 「今日は先制しながらも、僕達のペースで1回も試合を進められていなかったので、すごく悔しいです」(香川真司)
 「今日は前半も後半も自分たちがやろうとしているサッカーが表現できなかった。それが一番です。(中略)早い時間に自分たちが先制点を取って、多少引いてしまいました。守りに頭がいってしまった部分は、間違いなくありました。自分たちは1点を守りきれるようなチーム作りをしていないので、自分たちが点を取りにいく、チャンスを作るというところでは、今日は全然足りていませんでした」(長谷部誠)
 「自分たちのサッカーができなくて、厳しい試合になりました」(長友佑都)
 「(自分たちのサッカーはできていなかったが?と聞かれ)動きも良くなかったですし、自分たちのサッカーもできなかった。点を取ってからも、受け身になってしまったのも良くなかったと思います。次は自分たちのサッカー、形を出さなければ、自分たちはこんなもんではないと思っているし、ここで終わるようなチームではないと思っています。」(吉田麻也)
 「向こうも力がありますから。ウチがやりたいサッカーをできないのはある程度しょうがない部分もあります。やっぱりいい選手がそろっていますし、僕らにもいるかもしれないですけど、相手もいることですから」(内田篤人)
 「(攻撃的なチームと言いながら、押し込めなかった?と聞かれ)なんか違いましたね。自分はこの間から入って3試合やりましたけど、まったく違うチームになっていました。前半はすごく良かったです。(本田)圭佑が点を取って、いい流れでしたけど、逆転されると、ああいう風になるのかなって思いました。メンタル的に落ちた感じはしましたね」(大久保嘉人)
 このあたりを、Sportsnaviの宇都宮徹壱氏は、「このチーム本来の武器である『ゲームの主導権を握ること』も、そして『リスク覚悟でアグレッシブに攻める姿勢』も、ほとんど見られず、やっているサッカーはまるで4年前の『結果重視の守り切るサッカー』を再現しているかのようであった」などと報じました。いつものような連動性がなく、最後は踏ん張るコートジボワールの守備陣を崩すことが出来ませんでした。澤穂希だったか、以前、「再現性」という耳慣れない言葉を使っていました。大舞台ともなると、スターティング・メンバー全員が欧州組だったとは言え、正常な精神、つまり平常心を維持するのは難しいのでしょう。
 誤算は、両サイドバックを高く配置してきたコートジボワールの日本対策にある、と報じた記事もありました。「あんなに高い位置をとるのはあまり見たことがない」と長友が驚いたように、「2アシストした右のオーリエと左のボカの圧力の前に、香川(マンチェスター・ユナイテッド)と岡崎(マインツ)は守備に追われ、ともにシュート0本に終わった。分断された大迫、本田も余裕を持ってボールを回す相手の前に消耗。立て直しを図れないまま、後半途中のドログバ投入でスイッチの入った敵の猛反撃に、最後は守備陣が押し切られた」(産経Web)。これに対して、長友はこう答えています。「(両SBがすごく高い位置にいたが?と聞かれ)ウイングみたいな位置にいたので、(香川)真司も引っぱり出されることが多くて、サイドも数的不利なときがたくさんあったから、相手のサッカーにハマったと思います」
 スポニチの川本治氏は、両チームの監督のカードの切り方が明暗を分けたと言います。「初戦という重圧があったのだろう。日本はミスが多く、ボールを動かす本来のサッカーができていなかった。それを修正したかったのだと思う」と、後半9分、ケガから復帰してまだ間もない長谷部に代えて攻撃参加を得意にする遠藤を投入した事情を解説されます。しかし、期待通りの展開にならないまま、コートジボワールは、後半17分、体調が万全でないエースのディディエ・ドログバを満を持して投入すると、ムードが一気に変わって、攻撃に軸ができ、2分後に同点の、さらにその2分後に勝ち越しのゴールを決めました。悪夢のような4分間でした。結果として、ボール支配率では、42%対58%、シュート数では、7対19と、圧倒されました。
 ディディエ・ドログバ36歳のカリスマ性に負けたか、彼を短いながらも後半に疲れが出ているところで投入して一気に流れを変えた作戦に負けたか。ドログバは、2002年に始まったコートジボワールの内戦が2011年に終結したことに一役買ったことが美談として報道番組で報じられていました。前半16分、本田のシュートも凄かったけれども、コートジボワールの方が役者が一枚上手だったでしょうか。
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天安門から25年(後)

2014-06-14 19:29:44 | 時事放談
 前回に引き続き、この話題です。
 ところで、周永康氏と言えば、江沢民氏が率いる上海閥の重鎮として知られます。国有企業・中国石油のトップを経て政界入りし、大きな利権を持つ石油閥の中心人物であるとともに、公安相を経て2007年に政治局常務委員となり、胡錦濤政権で党内序列9位ながら、警察、検察、司法部門を統轄する責任者である党政法委書記として絶大なる権力を振るいました。薄煕来・元重慶市トップを国家主席に担ごうとした、いわば後見人だったことでも知られます。既に2012年11月に引退しました。
 そんな大物の周永康氏を、習近平国家主席ら最高指導部が、汚職などの疑いで調査することを決めたと報じられたのは、昨年8月のことでした。そして12月には、党内の監察にあたる党中央規律検査委員会に汚職容疑で身柄を拘束されたと報じられました。拘束容疑は、石油企業の海外進出を巡る巨額な汚職だけでなく、部下を使って前妻を殺害した疑惑や、2度にわたって習近平国家主席の暗殺を図ったというクーデター未遂疑惑まで出回っています。尖閣諸島の国有化を巡って、中国各地で起きた反日デモを利用し、習近平指導部発足を妨害しようとしたとも報じられました。ある中国研究者は、周永康氏拘束か?の報を受けて、習近平体制確立の最終段階にある、と解説したものでした。
 その後、今に至るも、周永康氏の失脚について正式な発表がないところを見ると、相当強い抵抗があることが読み取れます。北朝鮮なら体制固めのために簡単に殺害するなりして根こそぎ除去するところでしょうが、中国では根強いネットワークが存在し、そう簡単なことではなく、それこそ内戦にさえなりかねないと、先ほどの中国研究者は言います。ロイター通信は、今年3月、本人に加えて親族や部下ら300人以上がこれまでに拘束され、差し押さえられた資産は総計で900億元(約1兆4900億円)以上にのぼると報じました。失脚に向けて、着々と外堀が埋められつつあることは間違いなさそうです。それにしても、さすが中国、賄賂の桁が違いますねえ・・・
 元・党政治局常務委員という超大物をブタ箱にぶち込むとすれば、中国共産党史上初めての画期的なことです。これはとりもなおさず党内で大きな影響力を持つ長老たち(元・党政治局常務委員)の不満を招きかねませんし、党内で汚職疑惑を抱える指導者や元指導者も反発しかねず、政局がかつてないほど不安定になりかねません。それほどのリスクを冒してまで習近平国家主席をして立ち向かわせるのは、勿論、江沢民氏の支持を受けてのことではありますが、権力闘争を通して自らへの求心力を高め権力基盤を固めるため、と言うよりも、これらの闘争相手よりも更に恐るべき「相手」の目を意識せざるを得ないためだと言われます。その「相手」とは、もはや「敵」と言うよりも「ご機嫌を取らなければならない」中国「人民」です。それほど中国「人民」は、格差問題を腹に据えかね、その象徴としての贈収賄や腐敗官僚に対して怒りを募らせ、中国社会は抜き差しならない不安定な状況にあると言えます。しかし、格差問題は、ただ腐敗官僚を始末するだけでは、根本的な解決になるわけではないのですけどね。根は深い。
 因みに、ニューズウィーク6月10日版によると、最近、北京市内を走る地下鉄の3つの駅で新たに乗客全員の身体検査を始めたとして、まるで遊園地のジェットコースター待ちか有名アーティストのコンサートの待ち行列のように、駅前に柵を張り巡らせて人々を待たせる写真が掲載されていました(5月29日、北京電)。テロ予防策なのだそうですが、「昨秋、天安門前でウィグル族による自爆テロがあり」「その後も、地方で続発するテロは徐々に規模が大きくなっている」とされ、「身体検査を受けなければ地下鉄にも乗れない・・・中国の哀しい現実だ」と記事は結んでいますが、なんとも異様です。
 さて、天安門事件の話に戻ります。ことほどさように「人民」の目を意識せざるを得ない中国共産党にとって、天安門事件はまさに鬼門であり、徹底的に統制せざるを得ません。どこまで徹底しているのか。ロイターの興味深い記事を見つけました。天安門事件の犠牲者の一人のお母ちゃんは、8人もの警察・公安関係者によって24時間監視されていたそうです。77歳のおばあちゃんに、8人も! なんとも異様です。

(引用)
焦点: 中国・天安門事件から25年、民主化運動の衰退鮮明に
2014年 6月 4日 17:22 JST
[北京 4日 ロイター] 王楠さん(当時19)は25年前の1989年6月3日遅く、数万人の群衆が民主改革を求めて集まる中国・北京の天安門広場にカメラを持って向かった。友人には歴史を記録したいのだと話していた。
 「軍隊は発砲するかな」──。出がけの問いに母親の張先玲さん(77)はそれはないだろうと答えた。それから約3時間後、王さんは兵士に射殺された。
 息子の死から25年を迎える張さんは現在、8人の警察・公安関係者によって24時間監視されている。
 今年に入って監視態勢はこれまでにないほど厳しくなっている。4月の段階で、ロイター記者を含め、外国人ジャーナリストの張さん宅訪問は警察が妨害。張さんはロイターの電話取材に対し「ばかげている。私は年寄りだというのに」と語る。「(記者に)何を語ることができるというのか。国家機密を知っているというわけでもないし、私が語ることができるのは息子に関することだけ。何を恐れているのか」。
 中国共産党が民主化運動を武力弾圧した天安門事件から4日で25年を迎えた。現場では多くの武装した警察官が警戒の目を光らせている。
 数百人から数千人の武器を持たない人々が殺されたとされる事件。中国の主要インターネットサイトでは関連語句が検閲されており、中国版ツイッター「微博(ウェイボー)」では、事件が起きた6月4日を意味する「5月35日」といった隠語が削除されている。また、国際人権団体アムネスティ・インターナショナルによると、天安門事件25周年に関連して少なくとも66人が身柄を拘束された。
<締め付け強化>
 張さんの場合は、どこへ行こうと警察車両に乗せられ、市場へ行けば2人の警察官にぴったりと張り付かれるといった状態。これは張さんが天安門事件の犠牲者のために活動する遺族団体「天安門の母」の共同創設者であるためだ。
 張さんらによると、別の共同創設者である丁子霖さんは上海近くの無錫に赴いていたが、北京に戻る許可が得られなかったという。
 中国外務省は天安門の母に対する締め付けについて、中国人民の法的権利は保障されているが、全ての人民は中国のルールと法を尊重しなければならないと指摘した。
 当局が民主化運動を「反革命」と位置付け武力弾圧に乗り出した天安門事件は多くの中国人に深い傷跡を残した。中国はその後、民主化運動に背を向け経済成長にまい進。多くの若者は「愛国教育」を受け、民主化運動に乗り出そうとする気配もない。
 天安門事件当時の学生リーダーで、現在は台湾に逃れている王丹氏は、25年前は政治問題を話し合う「民主サロン」を北京大学で開催することができたと指摘。「今ではそんなことをやろうとすれば拘束されると誰もが知っている。事件当時よりも(中国の民主化運動が)衰退していることは明白だ」と述べた。(Sui-Lee Wee記者 執筆協力:Michael Gold in TAIPEI and Ben Blanchard and Paul Carsten in BEIJING and Reuters Television in NEW YORK 翻訳:川上健一 編集:宮崎亜巳) 
(引用おわり)
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天安門から25年(前)

2014-06-12 00:12:22 | 時事放談
 相変わらず筆が進まないので、もう一週間前のことになりますが、1989年の天安門事件から25年目となる今年、北京では近年にない厳戒態勢で、よほど事件の再評価を求める動きを警戒しているようです。事件の遺族や、外国人記者らと普段連絡を取っている人権派弁護士や民主活動家の多くが拘束され、米国に拠点を持つ人権団体の統計によると、その数は100人を超えたと言われています。因みに6月5日の産経Webでは「中国本土では報道されず、香港紙は大きく報道、関心薄れる台湾」というタイトルで、三者三様を伝える記事が掲載されていました。中国共産党機関紙・人民日報をはじめとする中国各紙は事件を黙殺、NHK海外放送の関連ニュースは、同日、約3分間中断されるなど、規制は海外メディアにも及びました。当然のことながらネットも徹底的に規制され、中国国内の知識人らは「6月4日」を「5月35日」と言い換えるなどして規制をかいくぐり、中国版ツイッター「微博」などに投稿していたそうです。一方、香港では、犠牲者追悼集会に過去最多の18万人(主催者発表、なお警察発表は9万9500人)が参加したと報じられました。最近、厳しさを増しつつある親中派による言論統制に神経質になっている香港の人々の危機感の表れでしょうか。
 産経新聞・中国総局の矢板明夫氏は、習近平体制の発足当初、遺族たちは期待を寄せたのだと解説されます。一つには、そもそも世代交代が進み、新政権の最高指導部(党中央政治局常務委員)のメンバー7人は、事件当時、ほとんど課長、局長級の地方幹部だったため、武力弾圧との関わりはなく、事件を追及しても、彼ら自身にその責任が及ぶことはないこと、二つには、習近平国家主席の父親で党長老だった習仲勲氏は、事件当時、全人代常務副委員長(国会副議長)を務め、学生に同情的な言動を取ったため、最高実力者の小平氏に嫌われ、権力中枢から追われたこと、三つには、李克強首相は、長年、党の下部組織で青少年教育の仕事を担当し、天安門広場に陣取った多くの学生リーダーとも交流があり、事件当初、大学生らのデモに理解を示していたと言われること、こうしたことから、「習主席と李首相が協力して、共産党の負の遺産を清算してくれるに違いない」といった希望的観測が関係者の間で流れるのもやむを得ないことだった、と言うわけです。
 実態は、そんな生易しいものではなく、習近平国家主席はむしろ保守的な締め付けを強化して来ました。今の情勢を見る限り、「一党独裁体制をやめるという決心がなければ、天安門事件の見直しは残念ながら、ない」とは、ある共産党の古参幹部の発言ですが、そう言い切った通りなのだろうと思います。他方、天安門事件当時、中国広東省広州市で民主化運動を指導した人権活動家、陳破空氏(米国在住)は、産経新聞のインタビューに答えて、事件から現在に続く中国政治の問題点を次のように総括しています。「現在の習近平政権は、いいところを見せることに躍起だ。誰に見せているかといえば、江沢民氏(元党総書記)にである。これが長老政治であり、8人の老人が控えた天安門事件当時に通じる構図だ。従って、このさき江沢民氏が死去することになれば、局面の転機になり得る。あるいは3割ぐらいの可能性で、民主化が動くかもしれない。民主化に踏み込むことは、長老政治の終わりを意味するだろう」と。
 確かに、中国は、核心的利益の第一に、「維護基本制度和国家安全」(=国家の基本制度と安全の維持)、すなわち共産党による指導体制としての社会主義制度の永続化を挙げます(6月1日のブログ参照)。習近平国家主席は、政権基盤を盤石なものとするために、今なお党内に隠然たる力をもつ保守派の重鎮・江沢民氏のご機嫌をとるために忠誠を尽くすのは、ごく自然な流れだろうと思います。何しろ江沢民氏と言えば、天安門事件当時、趙紫陽総書記ら民主派と、李鵬国務院総理(首相)ら保守派との中間的存在でしたが、最高指導者の小平氏が民主化運動を「動乱」と規定したのに呼応し、胡耀邦追悼の座談会を報じた「世界経済導報」を停刊処分とするなどに動くと、保守派長老の目にも留まり、事件後、民主化運動に理解を示していたがために全職務を解任されて失脚した趙紫陽に代わり、小平氏によって党総書記・中央政治局常務委員に抜擢されたのでした(Wikipedia)。そんな江沢民氏が亡くなれば、事態は変わるのか。否、さらにその先には「もっとご機嫌を取らなければならない人」(実際には「もっと恐るべき敵」という言い方をされたのですが)がいると解説する人がいます。それは、一体、誰か。
 長くなりましたので、次回に続きます(勿体つけるつもりはさらさらないのですが・・・)。
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マリー・ローランサン

2014-06-10 01:18:48 | たまに文学・歴史・芸術も
 三鷹市美術ギャラリー(三鷹駅前コラル5階)で、マリー・ローランサンの企画展をやっていると聞きつけて、行って来ました。
 やはり画集ではない生の画面から受ける、彼女らしい、ふわっとした柔らかさには感銘を受けました。キュービズムの影響を受けたといわれる灰色をベースに、ピンクと薄緑との、現代風に言えばパステル調の、淡い落ち着いた色合い・・・日本人に人気があるのも頷けます。しかし、今回、あらためて感じたのは、明るく柔らかい色調とは裏腹に、描かれているモデルに見えるのは、一種の倦怠か、はたまた憂鬱か。よくよく見ると、モデルは揃って伏し目がちで、作家のマリー・ローランサンの方を向くわけでなし、目を合わせる者は一人としていません。このズレとも言うべき、マリー・ローランサンがモデルの中に見てとった感情、キャンバスに写し取った情感は、一体、何なのでしょう。モデルたちは、ときに物憂い表情を浮かべ、またあるときには哀しみに包まれて、ひっそりと佇みます。まるでマリー・ローランサンの心の内を、モデルである女性たちへの共感を、映しているかのように。
 この企画展は、彼女の画家としての人生を俯瞰できる構成になっており、初期の絵は、随分、描き込んで、手が込んでいる様子が窺えますが、後半生では、良い意味での手抜き・・・これはピカソに象徴されるように、技量を超えて、もはや心で描いているとしか言いようがありません。そのあたりのプロセスを跡付けることが出来て、なかなか興味深く思います。
 私が訪れたのは実は二週間も前のこと。相変わらずブログの筆が進まず、遅くなってしまいました。マリー・ローランサン展は6月22日まで、です。こぢんまりとした企画展で、観覧料も600円と抑え目で、いくつか「これは」と思える作品に出会えるとすれば、訪れる価値は十分にあるように思います。
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欧米の立ち位置・続

2014-06-05 01:57:49 | 時事放談
 前回に続いて、今回はアメリカ編です。
 シリア問題では、化学兵器使用をレッドラインと言いながら、いざ使用されても武力行使を決断できず何もできなかったオバマ大統領の弱腰な姿勢は、ウクライナ問題でも同様で、早々に「武力不行使」を宣言して、ロシアから足元を見られるなど、オバマ大統領の指導力に疑問符が付されています。曰く、無力で、無気力であると。進歩的なNY Timesは、そうは言っても、この難しい状況で、なかなか頑張っているではないかと、珍しく肯定的に論じる記事を載せましたが、そこまで同情されると却って惨めなくらいでした。
 オバマ大統領個人のキャラクターあるいは力量への評価はともかく、ブッシュ前大統領の単独行動主義という負の遺産を引き継ぎ、10年間で5000億ドルもの軍事予算を削減しなければならないほど財政事情が悪化し、イラクからもアフガニスタンからも引き揚げて、「もはや世界の警察官ではない」と宣言せざるを得なかったのは、オバマ大統領のせいとは言えませんが、甚だ評判がよろしくありません。それを聞いてほくそ笑んだのがロシアであり中国でした。このままアメリカが、かつての孤立主義に戻っていいものではない。批判的な目を意識するオバマ大統領は、先日、ウェストポイントでの陸軍士官学校の卒業式で演説し、あらためて政権として外交や制裁、国際法を重視し、軍事行動に優先させることを明確に打ち出しつつ、「米国は常に世界の指導的立場にいなければならない」「孤立主義は選択肢ではない」と強調しました(産経新聞)。
 しかし、第二期オバマ政権の外交政策は、第一期でクリントン国務長官が主導した軍事力の使用を躊躇しない「人道的介入」ではなく、外交力を優先する「ソフト・パワー」外交を最優先すると、川上高司さんは端的に解説されます。
 一つだけ、オバマ大統領個人の問題を指摘するとすれば、軍事力に訴えないと予め宣言してしまうところでしょう。結果として軍事力ではなく外交的な努力によって紛争解決に努めることには、誰も反対しませんが、軍事力に訴えないと先に言い切ってしまうと、相手は舐めてかかります。ウクライナ問題でのロシアもそうでしたし、3月に日本を訪問した際、尖閣諸島は日米安保条約第5条でカバーされると言いながら、やはり軍事力ではなく外交的努力で、と言い、中国は聞き逃さなかったことでしょう。あらゆるオプションを排除しないというのが安全保障の世界の常套句なのに、軍事力に頼らないと言ってしまえば、抑止力にはなり得ません。ノーベル平和賞を受賞して十字架を背負ってしまったせいでしょうか。
 中国は、その軍事的威嚇を、日本に対してのみならず、東シナ海と南シナ海を囲む周辺諸国に対しても執拗に繰り返し、ますますエスカレートしつつあって、さすがの中国ウォッチャーも「露骨に侵略的」という評価で一致します。ほんの数年前までは、「韜光養晦」という従来方針を変更したのではないかと諸外国から疑惑の目を向けられることを打ち消そうと躍起になり、飽くまで「平和的台頭」に固執したのとは、様変わりです。ほんの数年間で、一体、何が変わったのか。自信溢れる経済的台頭が背景にあるのは間違いないことでしょう。中国の軍事力に関しては、空母は練習艦を就航させたばかりですが、潜水艦の戦力は飛躍的に増強しており、中でも核抑止の有力な手段である戦略原子力潜水艦(いわゆる戦略原潜)による報復核攻撃能力を備えたことが強気の背景にあると説く論者もいます。国内の社会不安がのっぴきならない状況にあって、対外的な危機を煽っている事情もあるでしょう。これらが重なった上で、やはり、アメリカの出方を瀬踏みしているとしか思えない状況を感じます。つまり、アメリカは、アジアへの「リバランス」を唱えながら、財政問題や中東問題に忙殺され、アジアに振り向けることが出来る余力を持ち合わせているようにはとても見えない、と。
 チャーチルは、自身の著書「第二次世界大戦回顧録」の中で「第二次世界大戦は防ぐことが出来た。宥和策ではなく、早い段階でヒトラーを叩き潰していれば、その後のホロコーストもなかっただろう」と述べています。2003年の対イラク戦開戦にあたって、ブッシュ大統領も「ヒトラーに対して宥和政策をとったことがアウシュビッツの悲劇を生み出した。サダム・フセインも先制攻撃しないと大変なことになる」とイラク侵攻を正当化する根拠としたため、なんとなく分が悪い宥和策ですが、1938年のミュンヘン会議における英・チェンバレン首相の宥和策は、あくまで、結果としてヒトラーをつけあがらせるだけだったと記憶されるべきと思います。そして今、元国防総省中国担当のジョー・ボスコ氏はこう述べます。「中国に対して、米側には伝統的に『敵扱いすれば、本当に敵になってしまう』として踏みとどまる姿勢が強く、中国を『友好国』『戦略的パートナー』『責任ある利害保有者』『拡散防止の協力国』などと扱ってきた。だが、そうして40年も宥和を目指してきたのにもかかわらず、中国はやはり敵になってしまった」(産経新聞)。
 米世論調査会社ギャラップが米国の成人を対象に行った「最大の敵はどの国か」の2014年調査によると、2006年以来1位であり続けたイランが核兵器開発問題で歩み寄りを見せたため後退し、代わって中国が急浮上して晴れて1位となりました。米連邦大陪審は19日、サイバー攻撃で米企業にスパイ行為を行ったとして、中国人民解放軍のサイバー攻撃部隊(61398部隊)の将校5人の起訴に踏み切り、ホルダー米司法長官は同日、司法省での記者会見で「もううんざりだ。オバマ政権は、非合法的に米国企業に損害を与えようとするどの国の活動も見過ごさない」と述べ、中国を強く批判しました。そのほぼ一週間後、中国政府は、報復措置として、国内の銀行で稼働しているIBM製ハイエンドサーバーを撤去し、中国製に置き換えようとしている動きが報じられました。
 こうして見ると、新たな冷戦と呼ばれる事態が着々と進行しているのが見て取れます。ガキ大将が君臨していた子供の世界は、好むと好まざるとに係らず、とりあえず安定が保たれていましたが、ガキ大将がいなくなった子供の世界は途端に弱肉強食、ナンバー2の不満が一気に爆発し、既存の秩序を脅かします。安倍総理も常々主張されてきた通り、東アジアにおいて、近代的な法が支配する秩序を守る覚悟があるのかどうか、今の日本に問われているのだと思います。
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欧米の立ち位置

2014-06-01 20:18:49 | 時事放談
 中国が「核心的利益」と呼ぶものの始まりは、中国の戴秉国国務委員(当時)が言及した、2009年7月の米中戦略経済対話だったようです(Wikipedia、但し、本日見た同サイトは明らかに(1)と(2)の和訳を取り違えているので、以下では直しました)
   (1)国家の基本制度と安全の維持(維護基本制度和国家安全)
   (2)国家主権と領土保全(国家主権和領土完整)
   (3)経済社会の持続的で安定した発展(経済社会的持続穏定発展)
 上記(1)は明らかに中国の政体の維持、つまり共産党による指導体制としての社会主義制度を指します。(2)に何が含まれるか?が問題ですが、そもそも「核心的利益」という言葉自体、中国内のチベットの独立運動や、新疆ウイグル自治区における東トルキスタン独立運動を許さないのはもとより、台湾問題について他国(特にアメリカ)に対する警告と牽制のために用いられた政治的な用語だと言われます(PHP総研・前田宏子さんによる)。ところが、2010年3月に訪中したスタインバーグ米国務副長官らに対し、中国の政府高官が「南シナ海は中国の核心的利益」と発言したという噂が広がると、中国がそれまでの平和台頭路線を放棄し強硬路線に転じたとして、周辺諸国に衝撃を与えることになり、その後、中国脅威論の高まりを懸念した中国政府は「南シナ海を核心的利益とは言っていない」と反論し、2010年12月に発表した戴秉国国務委員(当時)の論文でも、台湾に関する言及はありますが、南シナ海には触れていないそうです(同上)。しかしながら翌2011年6月には中国外務省次官が公式に南シナ海を核心的利益と発言し、また2013年4月26日には、中国外務省・華春瑩副報道局長が記者会見で「釣魚島(尖閣諸島の中国名)は中国の領土主権に関する問題であり、当然、中国の核心的利益に属する」と述べて、衝撃を与えました。もはや慎みは見る影もありません。
 上記(1)(2)を言い換えると次のようになります。自由な選挙によって国民の代表を選び政治を委ねるという、私たち日本人にも当たり前の自由主義的・民主制という欧米的な価値観を真っ向から否定する中国(=中国共産党)は、かつての明や清のように、集団指導体制になっただけの王朝支配(=共産党独裁)と言ってよく、国土は守っても国民までも必ずしも守るものではないことは天安門事件で明らかな、飽くまで王朝(=共産党)を守る私的軍隊である人民解放軍と警察組織を肥大化させ、不気味な台頭を続けるのに対して、どう対峙するかが世界共通の課題です。今日のブログのタイトルは、タイトル負けしそうですが、余り包括的に述べるのではなく、最近、目にした興味深い記事を紹介することで、お茶を濁したいと思います。
 一つはドイツに関するものです。
 ドイツも、ご多分に漏れず、昨今は中国との経済的な結びつきを強め、絡め捕れそうな勢いかと思いきや、必ずしもそうとは言い切れないようです。3月に習近平国家主席が訪独した際、「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」(ドイツ語: Denkmal für die ermordeten Juden Europas、通称ホロコースト記念碑)への見学を申し入れたのを拒否し、代わって戦没者追悼施設「ノイエ・ヴァッヘ」見学へのメルケル首相の同行を要望したのを、これまた拒否し、このあたりを消息筋の話として独デア・シュピーゲル誌は「日中間の歴史を巡る対立に政府は関与したくない」からと伝えています(以上、産経新聞より)。ドイツもフランスとの間で歴史認識を巡り苦労した経験をもち・・・とは以前、このブログでも紹介しましたが、戦後体制における敗戦国の立場は日本と共通し、戦争に勝ったわけでもない中国が戦勝国のような大きな顔をして戦後秩序の擁護者のように振舞うのは内心面白くないでしょうし、英・独・蘭のような旧・連合国とは明らかに違う皮膚感覚をもっているのだろうかと、私なんぞは勝手な想像を巡らせたくなりますが、それはさておき・・・。
 この訪独に際して、メルケル首相が習主席に贈ったモノが物議を醸しているようなのです。1735年の清朝の領土が示された古地図だそうです。ここまでは産経Webの記事によりますが、興味深いので正確さを期するために原典であるシドニー・モーニング・ヘラルド紙に当たることにします(4月2日付)。香港電として伝えられたところによると、この古地図は、イエズス会の宣教師による調査に基づくもので、18世紀の中国についての当時のヨーロッパの叡智を結集したものと言われます。中国固有の地(China Proper)、すなわち、ほぼ漢民族によって支配された中心的地域(Heartland)には、チベットや新疆ウィグルやモンゴルや満州は含まれず、台湾島や海南島も違う色の国境線で描かれているそうです(産経新聞では、満州、台湾、海南の文字を外し、尖閣諸島を加えました)。さすがに中国共産党中央委員会の機関紙・人民日報はこの贈り物を有難がらなかったようで、習氏の訪欧を仔細に伝えながらも不愉快な地図のことは伏せていたようです。興味深いのは、この地図の贈り物のニュースが中国本土に到達するや、様々な中国語メディアが伝えた地図は、チベットや新疆ウィグルやモンゴルやシベリアまで含む、中華帝国最盛期のもの(1844年にイギリスで発行)にすり替わっていたことでした。
 これら二つの地図は様々な反応を引き出しました。前者の地図を見て領土が限定的だったことにショックを受けた人がいましたし、"quite an awkward gift"(アブナイ?ヘタな?)と論評するレポーター、チベットやウィグルの独立運動を正当化するものだとメルケルさんを非難する人、ひいてはドイツに秘めた動機があるのは間違いないと論じる人、習氏はどう反応したのか?と訝るネット・ユーザーなど、さまざまです。他方、後者の地図を見て、偉大なる帝国にノスタルジーを掻き立てられ、「中華民族の復興」が真に意味するところを実現するのを勇気づけられたと得意がるネット・ユーザーもいたようです。メルケルさんは習氏に対し、最近のクリミア問題のように、ロシアが、20世紀半ばに、モンゴルの中国からの独立を助けたのを思い出させようとしたのではないかと訝る人もいます。しかし勝手な解釈を戒める声もあります。少なくともチベットと新疆ウィグルに関しては、1776年のアメリカ13州の地図を見せてテキサス・カリフォルニア両州はアメリカじゃないとは言えないのと同じことだと。
 再び産経新聞の記事に戻ると、「尖閣諸島や南シナ海などでの無理な領有権の主張、国際的に非難を受けている人権問題など、中国の無謀さは際立っている。メルケル氏が嫌悪感を示したとの見方があるようだ」と総括しています。実に意味深長なエピソードで、是非ともメルケルさん本人に真意を尋ねたいものですし、習近平国家主席との間でどんな会話があったのか聞いてみたい気がします。中国は、このたびのウクライナ問題では沈黙を保っていますが、チベットやウィグルや内モンゴルといった、ウクライナにとってのクリミアのような地域を抱え、今が平時ではなくて戦時であれば、スパイを放たれて独立運動を煽られかねないような危険な状況にあり(但し、クリミアにとってのロシアのような後ろ盾はそれぞれなさそうですが)、そうすれば南シナ海でベトナムを苛めるどころではなくなるような内憂を抱える一方、核心的利益の第一に挙げられる台湾(さらには南シナ海や東シナ海)は、いわばロシアにとってのクリミアであり、勝手な独立と併合という、明らかな国際法違反が国際社会からどのように受け止められるのかを、中国としては注意深く観察していることでしょう。そういう意味で、日本は、ロシアと領土紛争を抱える唯一の国として、アメリカを中心とする制裁の動きに付き合うといった消極的な態度ではなく、力による国境線の変更は断固として許さないという、日本独自の主張を明確にすべきだったと思います。それが集団的自衛権を取り戻す日本にとって、単にアメリカの戦略につき従うのではなく、いわば真の意味での自主独立の安全保障に踏み出す、安倍さんの言う積極的平和主義の真意でしょうし、これからの日本人にとっての試練でもあろうと思います。
 もう一つは、アメリカに関するものですが、長くなったので次の機会に持ち越します。前回も今回も次回も、ネタとして既に以前から温めていたものですが、最近、心境の変化があって、筆が(キーボードを叩くのが)なかなか進みません・・・。
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