風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

行く年

2020-12-31 10:19:04 | 日々の生活
 新型コロナに振り回された一年だった。
 数日前の日経は、インフルエンザの第51週(12/14~20)の報告数が、昨年同期の105,221件に対して今年は70件だったと報じた(厚労省のサイト: https://www.mhlw.go.jp/content/000711501.pdf)。政府の感染症対策はいろいろ批判されるが、外国人入国制限、営業規制、マスク・手洗いなど、日本人の民度にも大きく依存して、総体として見ればかなり効果があったことが分かる。同じく、数日前の日経は、1~10月の日本の死亡数が前年同期より1万4千人少ないことが厚労省の人口動態統計(速報)で分かった、と報じた。1万4千人と言っても、昨年114万7219人だったものが、今年は113万2904人に減っただけのことだが、死亡数が前年を下回るのは実に11年ぶりらしい。
 毎度のグラフをアップデートした(上記)。先週までの週毎のデータをプロットしたもので、上のグラフからは、感染者(陽性反応者)数はうなぎのぼりだが、重症者数はいったんはピークアウトし、マイナスになる(重症者が減る)前にまた上がりかねない兆候が見える。下のグラフからは、感染者(陽性反応者)数が増えているのはPCR検査人数が増えているからでもあって、陽性率にはブレーキがかかったものの、下がり切らない内に再び上がりかねない兆候が見える。再び上がりつつあるのが変異種のせいなのかどうかは分からない。素人のデータ遊びはこれくらいにして・・・
 医療体制がそれなりに整った日本で、感染が広がっているとは言え、欧米諸国と比べれば桁違いに抑えられているのに、医療逼迫が叫ばれるのは何故か、ここ1~2週間でいくつかの解説記事が出た。日本は、人口当たりの病床数は群を抜いて世界で一番多いが、狭義のICUの数ではドイツやアメリカの5分の1以下と少ないため、今般の感染症のような有事の際には、通常の病床をICUに転換する必要が出てくるが、現在の医療法では政府は医療機関に対して「お願い」しか出来ないのだそうだ。しかも、日本は欧米と比べて公立の医療機関よりも民間の医療機関が圧倒的に多いため、民間の医療機関は、コロナ患者を受け入れると従来からの患者を失いかねず、経営圧迫の可能性があるため、政府の「お願い」をなかなか受け入れようとしないそうだ。こうして政府に法的権限がなく、民間や地域レベルでも調整する仕組みがほとんど存在しないため、通常の病床は空いていることがあっても、コロナ患者が必要とする設備を備えたICUなどは不足するということだ(米村滋人・東京大学大学院法学政治学研究科教授・内科医など)。
 結局、日本は、医療従事者とその他の飲食業等の事業者とを問わず、国民に対して「お願い」しか出来ない国なのだ。これが、憲法に緊急事態条項を入れることすらままならない、日本人の危機管理意識の実態であろう。しかし、日本人は義務でもないのに皆マスクをしていると、外国人が見たら驚くように、個人の自由を抑えて集団として行動変容できる国民で、なんとも不思議なバランスの上に、今の日本は成り立っている。このあたりは、支配者の圧政よりも様々な自然災害に見舞われて来た日本人が歴史的に培ってきた、独特の社会的な「ゆるさ」ではないかと思う。日本人の面白さ、でもある。まあ、面白がってはいられない状況だが。
 コロナ禍のせいで、生活環境はがらりと変わって、ほぼ完全在宅勤務になり、オフィスはフリーアドレス制になって、自分の机と椅子がなくなる代わりにロッカーがあてがわれるという、銭湯かフィットネスジムに行くような感覚になった。4~5月は一度も電車に乗らず、5月以降も月に2~3度しか電車に乗っていない。世間には、通勤のストレスがなくなったという声があって、大いに賛同するが、通勤時間が減って、ゆとりが増えたという声に対しては、私の場合、通勤で歩く時間相当の散歩を日課とし、通勤で電車に乗っている時間は新聞か本を読んでいるので、時間として見れば影響がない。むしろ、電車に乗れば自動的に読書をしていたのに、電車に乗らない空白の時間が出来て、読書の時間が減ってしまった(苦笑)。
 それで何をしているかと言うと、ぼんやりネットを見たりしている。その効果として、YouTubeでハイ・ファイ・セットを再発見した。正確に言うと、ハイ・ファイ・セットを解散した後、ソロ活動を始めた山本潤子さんの歌声に、コロナ禍で荒んだ心が癒された。ハイ・ファイ・セットと言えば、正統派のコーラス・グループで、当時、潤子さんの歌声は若々しい透明感があって素晴らしいものだが、へそ曲がりの私はその良さに気づかなかった。年齢を重ねて、ある意味でドスの効いた(笑)、若い頃にはない渋みを増した歌声が心地良い。Wikipediaによると2014年5月6日の名古屋のコンサートを最後に無期限休養に入られたようで、もはや生で聴くチャンスがないのが残念だ。昨日、御年71の誕生日を迎えられたのだから、仕方ないのだろうが、気が付くのが遅かった(が、映像を聴くことが出来るYouTubeは有難い)。
 こうして世間では激動の、しかし個人的生活として見れば実に変化の乏しい一年が過ぎて行く。来年は、立ち止まってばかりいないで、何事においても再開(re-start)する年にしたいものだ。
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万葉集からつらなる伝統

2020-12-29 11:24:00 | スポーツ・芸能好き
 作詞家のなかにし礼さんが亡くなった。享年82。日経は追悼記事で、「ライバルでもあった作詞家の阿久悠とともに昭和の歌謡曲黄金期を彩った才人」と称えた。
 作詞は4000曲以上にも及ぶらしい。しかし少なくとも私にとって歌はメロディから入るので、詞を気にすることは余りない。ところが、なかにし礼さんが手がけた曲を挙げて行くと、「恋のフーガ」(ザ・ピーナッツ、67年)、「天使の誘惑」(黛ジュン、68年)、「夜と朝のあいだに」(ピーター、69年)、「恋の奴隷」(奥村チヨ、69年)、「人形の家」(弘田三枝子、69年)、「あなたならどうする」(いしだあゆみ、70年)、「手紙」(由紀さおり、70年)、「グッド・バイ・マイ・ラブ」(アン・ルイス、74年)、「時には娼婦のように」(黒沢年男、78年、作曲も担当)など、子供のころに何気なく口ずさんで、メロディーもさることながら、タイトルや歌詞にもインパクトがあって強い印象が残っていることに気がつく。歌がヒットする理由を尋ねられて、「屈折」と即答されたというのは実に興味深い。旧満州に生まれ、旧ソ連軍が侵攻する中で命からがら引き揚げてきた幼少時の体験をもつ、なかにし礼さんが、「人形の家」について、晩年のインタビューで、「終戦時、国は在外邦人をできるだけ現地に定着させるという方針を出した。あれは帰ってくるなということでしょう。日本国や日本国民から顔もみたくないほど嫌われたという思いがあった。それを歌にしたんです」と明かしているのは象徴的だ。生まれ故郷や祖国や愛する人への愛情が、心ならずも成就されなかったりある種の裏切りにあったり、昭和元禄とも言われた熱狂や喧噪の世相の中で満たされない思いを抱いたり、「屈折」こそ、昭和の歌謡を生み出す原動力としての、地下の奥深くでどろどろと煮えたぎるマグマのような情念だったのだろうと思う。昭和という時代は、暗い中にも明るい未来があり、しばしば絶頂から谷底に突き落とされもし、騒然とした中にも突き抜けた青空があって、苦労が多いけれども幸せとも言えた、そんな陰影に富む二律背反の時代だったように思う。
 音楽評論家の富澤一誠さんは、なかにし礼さんの作詞の特徴を、「極めて文学的な要素が強い」と表現し、「作詞を俳句や短歌と並ぶ日本文学にまで昇華させた」と評価された。ご本人も、「歌謡曲は日本文学の1つのジャンルであり、自分は万葉集からつらなる伝統の中にいると明確に意識していた」と語られたそうで、今日のブログ・タイトルはその言葉に触発されて頂戴した。他方で、それまでの流行歌や軍歌が「七五調」が主流だったのに対し、「自分は絶対に七五調は使わない」ことを作詞の鉄則とし、「破調のリズムで日本人の心を動かしたい」とも語られていたそうで、屈折ゆえの反骨のようなものの面目、「守・離・破」の「破」を気取りながら、日本の伝統の内にあることを強烈に意識されていたことに共感を覚える。「万葉集」と言えば、防人の歌で有名だが、4割は恋愛の歌だと言われる。戦地に赴く山本五十六・連合艦隊司令長官が艦内に持ち込んだ本の中にも「万葉集」はあった。ほんの80年前のことである。祖国を守ることは、祖国の人々を守ることであり、情の発露として「万葉集」は心の支えになったのだろうか。
 日本は、今も昔も、情の細やかな、という意味で稀有な国柄だと、あらためて思う。
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エズラ・ボーゲル氏からの宿題

2020-12-24 22:09:41 | 時事放談
 数日前にハーバード大学名誉教授のエズラ・ボーゲル氏が亡くなった。享年90。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の著者として知られ、私は、恥ずかしながらその事実しか知らなくて、著書を読んだことがない。物心つく、というのは私にとって大学生の頃のことだが、そのちょっと前に出版されて、存在は知っていたが、アメリカ人が日本の成功を認めてくれたという一点だけ心に留めて、その後、素通りしてしまったのだ。私も含めて日本中が浮かれていた時代だった。
 しかしボーゲル先生は冷徹な社会学者であって、著書の原題が“Japan as Number One: Lessons for America”とあるように、日本の強さを社会構造から分析し、その要因を日本人の伝統的国民性にみるのではなく、日本独特の組織力や長期的視野に立つ計画や政策に求め、そこから学ぶべき、あるいは学ぶべきではない教訓を引き出そうとしたものだったようだ。その後、スタンダードな見方の一つになったという意味では、古典とでも呼ぶべきものだろう。
 追悼記事や過去のインタビュー記事の再掲を読んで、二つ、興味深い発言を見つけた。
 一つは、日経に出ていたもので、10年ほど前、国際社会における中国の振る舞いが傲慢になっているのではないかと尋ねられて、次のようにお答えになったということだ。「いまの体制がいつひっくり返るかと心配で、彼らは夜もおちおち寝られないんですよ」、と。彼らとは、当時の中国の指導部、中でも次代のエースと目されていた習近平氏を指すらしい。私も勝手に、彼らのコワモテは脆弱さの裏返しに過ぎないと思っているだけに、とても勇気づけられる発言だが、中国を抑止したいばかりに中国脅威論が全盛の今の世の中では、なかなか出てこない類いの見方だ。
 中国については、もとより西欧的な国民国家ではなく、中原を、中国共産党という馬賊が乗っ取った征服王朝と捉えるのが正しいのだろう。中国四千年の歴史で繰り返されて来た、ごく当たり前の一コマに過ぎない。だからこそ、今なお人民解放軍は党の軍隊のままである。また、党の統治を維持することが核心的利益の第一であって、他方で、選挙によって洗礼を受ける西欧諸国とは異なり、自ら統治の正当性を証明しなければならなくなる(そのための経済成長であり、小康社会の実現なのであろう)。従い、彼らにとっての法治主義とは共産党の下でのRule by Lawであって、法の上に如何なる権威の存在も認めない西欧的な意味での法の支配(Rule of Law)とは根本的に異なる。このあたりの国家のありようを、社会学者のボーゲル先生がどう見ておられたのか、彼の著作を訪ねてみたい気がする。
 興味深い発言のもう一つは、6年ほど前にSAPIOに掲載されたインタビュー記事で、日本は今後、世界でどうプレゼンスを発揮すべきかを問われて、ボーゲル先生は、日本が戦後70年、その指針としてきた米国との同盟再構築ではなく、中国との友好関係を建設することだと答えられたものだ。「日本は今後も中国との経済的、文化的、社会的交流促進を続けるべきです。このことこそが日本が直面しうる偶発的な事態に備える防衛政策を形成するはずでしょう。日本が対中、そして対韓関係を改善させる上で必要なことは、日本が1894年(日清戦争)から1945年(第二次世界大戦)にかけて中国に与えた損害・毀損について国民レベルでの、より幅広い議論をすることだと思います」、と。
 日本は今なお、自らの頭で(つまりはGHQ史観ではなくして)先の戦争を「総括」できていないことこそ、世界第三の経済大国でありながら国際社会(とりわけアジア)に遠慮があって積極的に行動できない主因だと思ってきたので、これもまた勇気づけられる発言だ。中国の異形は、コロナ禍で益々明らかになって、ヨーロッパですら警戒心が高まりつつある。地理的・歴史的に東洋にあって心情的・理性的には西洋寄りの日本にこそ、中国を西洋的価値観の世界に包摂する橋渡しの役割は相応しいだろう。気になるのは、戦前の日本の行動を総括するのは大事だとして、その日本に、一体、どのような議論を期待されていたのだろうか・・・というところである。時は帝国主義の時代である。だからと言って全面的に日本を擁護するつもりはないが、ロシアの脅威が高い当時にあって、全く頼りにならない朝鮮半島に、せめて独立した国家を打ち立てるべく、中国やロシアという当時の大国と二度にわたって戦火を交え、それでもアテにならなくて、結局、韓国併合に至らざるを得なかった、その間の事情は、元寇で朝鮮半島国家がモンゴル軍の先兵となって日本に攻め込んだ(結果として神風が吹いて助けられたとされる)苦い歴史を振り返れば、それなりに合理的な行動だったと言えなくはない(韓国は何かと秀吉の朝鮮出兵を詰るが、その前に元寇があって、しかも朝鮮出兵では朝鮮半島はただの通り道に過ぎなくて、朝鮮を攻めたのではなく明を征服せんとするのが秀吉の野望であった)。但し、満州国建設から、ロシアに代わって満州に居座り、欧米の警戒心を招いた上に、縦深性が高い中国との泥沼の戦いに引き摺り込まれた(という意味では、戦争とは言えない)戦略的な稚拙さと宣伝下手さは大いに反省すべきと思う。こんなことを言えば、ボーゲル先生の意図するところから外れて、お叱りを受けるだろう。しかも、中国や韓国との間で、歴史認識に溝があり、お互いに歩み寄れないのは、既にブログに書いて来たことで、繰り返さないが、中国や韓国の、儒教をベースに自らを正義と見做す、言わば統治者による押しつけとも言うべき「正史」観は、日本の実証的な歴史認識とは全く相容れない。その点で、周辺国と和解に至ったドイツが歴史認識を含めて西洋キリスト教文化圏という共通の土壌にあったこととは異なる。Black Lives Matter運動からも分かるように、「今」の価値観に引き摺られがちの私たちには、なかなか難しい「総括」であって、ボーゲル先生の宿題に適切に答えるのは容易なことではない。
 日本語と中国語をも自在に操るボーゲル先生だからこそ、そして「社会を研究するのなら、その国で友達をつくり、本当の人の心や歴史をよく理解した方がいい」と大学時代の恩師の言葉を引用されて、「僕はその通りにやってきた。みんなそうすればいいのに」と語っておられたボーゲル先生だからこそ、今後10年という最も難しい時代への示唆を頂きたくとも、もはや聞くことが出来ない今となっては、その著作を訪ねてみたいものだと思う。
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「密」を避けた一年(後編)

2020-12-16 22:13:38 | 日々の生活
 前回ブログの補足として、3月以降のPCR検査人数と陽性率・重症率の推移を一つのグラフにまとめてみた(上記に添付)。前回同様、週単位で纏めたもので、第一波の頃はPCR検査のキャパシティが限られていたこともあって、(悪名高かったことに)検査を絞っており、陽性率(陽性者数÷検査人数)は極端に高かったが、それでも緊急事態宣言が出た頃にはピークアウトした。6月末から7月にかけて第二波として感染が拡大すると、PCR検査を濃厚接触者にまで広げて拡大し、その後は、感染が広がれば検査が増え、収まれば検査が減るというように、検査人数と陽性率は似たような上下動を見せている。ところが、11月半ば以降、検査人数は増えているのに、陽性率は明らかに鈍化している。重症率(重症者数÷陽性者数)も、一週遅れくらいで減少に転じている。
 こうして見ると、「勝負の三週間」が宣言されたことによって、人々の行動変容が起こったことが想像される。これから真冬に向かうわけだが、新型コロナウィルスは夏場にも感染が広がったように、季節を問わない。現にヨーロッパでは、ロックダウンしたことによって本格的な冬を前にピークアウトしている(ドイツでは、メルケルさんが怒ったように、珍しく高止まりしているが)。
 そこであらためてGoToトラベルに関して、ひとこと言いたい。
 今日の東洋経済オンラインに掲載されたコラムで政治ジャーナリストの泉宏さんは、「菅首相は、持論である『コロナ感染防止と経済活性化の両立』にいったん白旗を掲げた格好だ」 「Go To事業の方針大転換」などと言われるが、そんな大袈裟なものではないだろう。そもそもwith コロナでは、油断すると感染が広がるから、集団免疫が達成されるまで(あるいは国民が、ただのインフル並みだと割り切るようになるまで)、経済を活性化させることを基本としつつ、時々ブレーキを踏んで、医療崩壊しない程度に抑え込んで、のらりくらりと遣り過ごすものだと理解する。その意味ではGoToトラベルの一時停止は織り込み済みの前提条件に過ぎない。それを「白旗」だとか、あるいは一時停止の決断ができないのを「無策」などと批判するのは、お門違いである。「菅政権による人災」(共産党幹部)と厳しく批判され、今後の展開次第では「トップリーダーとしての器が問われる事態」(自民長老)ともなりかねない、などと言われるが、勘違いも甚だしい。政治家のセンセイ方には、くれぐれも政治問題化しないで欲しい。スガ首相にしても、「Go Toで感染が拡大したというエビデンス(証拠)はない」などと依怙地になるのではなく、GoToは経済を加速させたり減速させたりの緩急をつける操縦桿だと、国民に対して明言し、そろそろ減速しなければならないから旅行を控えて欲しいとか、また戻しても大丈夫だとか、コンセンサスを得る手段にしたらよいのではないだろうか。これはGoToトラベルが感染に繋がるかどうかを問題とするのではない。そのあたりは多分にグレーで、だからこそ政府として国民向けのシンボリックな「メッセージ」として利用すればいい、という程度の意味である。ワイドショーが騒ぐから行動変容するのではなく・・・(苦笑)。
 問題は、病院のベッド数ではなく、医者の数が足りなくなるのではないかと懸念する声があることだ。いずれにしても、このあたりの医療崩壊を推し量る基準についての透明性は、国民が新型コロナ禍を心配し始めて、かれこれ10ヶ月になるが、一向に改善されない。メディアは日々の感染者数に一喜一憂しつつ危機感を煽るのではなく(まあ、政府が煽らないものだから、これはこれで意味がないとは言わないが)、こうした本質的な問いかけをして欲しい。
 こうして見ると、安倍政権は、外交ではそこそこの成果を挙げたが、内政ではイマイチ、政治とメディアの間のコミュニケーションに至っては最悪という、この負の遺産を、スガ政権でも引き摺っているように思えて、残念でならない。メディアは、何かと政治問題化して騒ぐのではなく、冷静に対処して欲しいものだが、SNS全盛で個人がやたら感情的に露出する時代に、ひとり冷静を保っていては見向きもされないとでも思っているのだろうか。
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「密」を避けた一年(前編)

2020-12-14 22:18:08 | 日々の生活
 その年の世相を漢字一文字で表す師走恒例の「今年の漢字」が「密」に決まった。20万の応募で2万8千4百票(13.65%)を集めたらしい。2位以下は「禍」「病」「新」「変」と続き、なるほどコロナ禍に揺れた一年だったと思う。ORICON NEWSが過去15年分の「今年の漢字」を振返っていて、ロンドン五輪(2012年)とリオ五輪(2016年)の年には「金」だったそうだから、今年も東京五輪が開催されていれば「金」だったかも知れないのに・・・と思うと、なんだかやり切れない(苦笑)。
 世間ではGoToトラベルが槍玉に挙がっていて、確かに夏以降、感染者数が下がり切らなかったのはそのせいだろうと思うが(なお、再び太平洋にヨットで漕ぎ出す辛坊治郎さんは「GoToトラベルとは関係ない」と発言し、無責任だと物議を醸したが)、満員電車が毎日走っている日本で、欧米と比べれば、ファクターXは今なお謎だが余程抑えられていて、余り神経質にならなくてもよいように思ったりもする(これも政権批判の一つだろうか)。それでも、「勝負の3週間」が過ぎても、感染者数は高止まりの状態が続いていて、さすがに年末年始(12/28~1/11)のGoToトラベルは全国一斉に停止することが決定したようだ。
 感染者数が高止まりなのは、検査数が増えているせいでもある。
 企業人の私としては、数字はトレンドで見なければ状況は分からないというのが習い性で(笑 新型コロナの場合は数週間とか数か月単位)、それなら厚生省のサイトで、過去11ヶ月間の主要なデータのグラフが日々更新されているが、それらをあれこれ見比べるのではなく、カギとなる数字(感染者数・重症者数・死亡者数)を一覧(一枚のグラフ)で見たいと思う我が儘な私は、相変わらず日々のデータをエクセルでちまちま集計してグラフを自製するのを日課とは言わないまでも週課あるいは二週課くらいにしている。我ながらヒマなものだと思う(爆)。それが上記に添付したもので、週末にガクッと検査数が落ちるので、週単位で纏めてプロットしている。ここでは表し切れていないが、基礎データとして検査人数は11月初めの週から140K、174K、217K、236K、251K、293Kと順調に増えていて、この一ヶ月強の間に倍増したことになる。感染者数が高止まりなのは、そのせいだと思う。そこで、陽性率(陽性者数÷検査人数)を見ると、これもグラフに表し切れていないが、11月半ばでピーク(6.2%)を打って、その後は僅かながら下降局面にある(6.1%、6.1%、5.9%)。重症化率(重症者数÷陽性者数)は、陽性率がピークに達した翌週にやはりピークを打って(1.0%)、その後、0.4%、0.4%と下げている。こうした相関は、4月初めや7月末と似ているので、死亡者数も今週あたりに下がり始めるのではないかと注目している。但し、重症者数のピークが異常値である可能性は捨て切れない。また、私の見ているデータは厚労省の全国版で、地方によって数値が暴れると影響を受ける可能性がある(まあ過半数は東京のせいだと思っていて、それで全国版で満足しているのだが)。それに、これは単なる一服であって、油断するとまた上がり始めないとも限らない。
 実は、京都大学のウイルス・再生医科学研究所の先生も、数日前に、「東京都の感染第3波はすでにピークアウトしている」と明言されたのを、夕刊フジが報じている(12月10日付「東京、コロナ第3波すでにピークアウト! 「目玉焼きモデル」で自然減していた説 京都大ウイルス・再生医科学研究所の宮沢孝幸准教授が明言」)。更に先生は大胆にも「来年の冬まで大きな波は来ないのでは」と予測を述べておられる。私と違って、先生には「目玉焼きモデル」という裏づけがあって、最も感染しやすい中心部の「黄身」にあたる「夜の街」など繁華街が夏までにほぼ燃え切って、第3波では確かに新宿・歌舞伎町などでクラスターはほとんど出ておらず、その後、「白身」の外側に向かって延焼するが、「家庭内感染や寮」「一般的な生活」「自主的に強力な感染対策を実行する人」「巣ごもりしている人」の順で感染しにくくなって、燃えた部分の感染は収束フェーズに入る、ということである。
 その当否はともかくとして。
 最後に、私自身の最近のニューノーマルという意味で言うと、滅多に外出しなくなったとは言え、外出するときにはマスクとコンビニ袋(あるいはマイバッグ)が必携となった(苦笑)。ケチで面倒臭がりの私には、面倒なことこの上ない。また、かつて街をうろうろ徘徊していた頃は、コーヒーだのペットボトルだの、何かと水分を吸収する機会があったが、巣籠もりでズボラこいていると、尾籠な話で恐縮だが、“御叱呼”(狐狸庵先生から拝借・・・と記憶するが、開高健さんも使用、なお、もう一つの方は“雲古”と書く 恐縮ながら)が汗を出し切ったマラソンの後のように色濃くなるので、こりゃ水分が足りていないのかと、意識して水分補給するようになった。なんでも欧米の研究によると水の必要摂取量は生活活動レベルが低い集団で一日2.3L~2.5L程度、食物由来を除いて1日1.5Lの水分補給が必要なのだそうだ。それから、私のような年齢になると、使わない機能は衰えていくばかりなので、声を出すことと歩くこと(毎夕の散歩)は欠かせない。鞄も持たない、それこそ深窓の令嬢のように、箸より重いものを持たなくなったので、筋力も落ちるのではないかと、毎晩、寝る前に腕立て伏せをしている。かつては意識せずとも自然に出来ていたことが、今は努力しなければならないとは、ニューノーマルは本当に面倒だ(面倒臭がりの本領!)。
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中国における報道の自由

2020-12-12 20:33:15 | 時事放談
 共同通信によると、習近平国家主席は、2016年2月の国内報道関係者との会合で、西側メディアについて、イデオロギー的偏見に基づき中国の政治体制を攻撃しており、絶対的な「報道の自由」などというものは誤りだと激しく罵ったそうだ。なるほど、よく分かるが、あらためて驚かされる。具体的には、その会合で、西側メディアは、(1)他国のマイナス面、(2)スキャンダルや暴力、(3)針小棒大なニュース、ばかり報じている、と批判したそうだ。時事・AFPによると、昨日、ブルームバーグに勤務する中国人女性が、国家安全保障を危険にさらした疑いで中国当局に拘束されたそうだ。中国外務省は、「現在法に従って捜査、訴追を行っている」と言うが、中国では、外国の報道機関で中国人が記者として働くことが禁止しており、助手としての勤務は認めている、とは知らなった。
 確かにスキャンダラスな事件を針小棒大に報じるのは、自由な、と言うよりは、コマーシャリズムに毒された自由社会のメディアにとって、良し悪しは別にして、当然の行動である。他国のマイナス面ということでは、自らと異質であればあるほど取り沙汰すであろう(笑)。そして、西側の自由・民主主義社会にあっては、そのような報道は当たり前のこととして受け止め、対峙、否、マネージしなければならない。そこが、自由・民主主義社会の、短期的には不安定な、しかし長期的には安定した揺るぎない社会である所以のものと言えるだろう。そうじゃない、中国のような権威主義的な社会では、当然、そのような報道のあり方が許せないのは容易に想像できるし、同情する(笑)。
 中国は、日本国政府との会合でも、日本のメディア報道を政府が規制すべきだとぬけぬけと表明したことがあったと記憶する。以前からこのブログでも述べていることだが、中国と西側・自由主義社会との間に横たわる、所謂「認知のズレ」である。
 たとえば、南京「大」虐殺について、いつのまにか「大」まで付いてしまって(笑)、今ではその被害者総数30万人とも言われるが、もとは極東国際軍事裁判の過程で、唐突に(広島と長崎の原爆被害者総数に匹敵する)20万人の殺害があったとする証言が飛び出したことに端を発する。当時、南京には欧米の従軍記者がいて、そのような大規模な殺戮は報じられなかったにも関わらず、である。そもそも、城壁で囲まれた南京のような街を「大」虐殺するといった発想は、日本人にはい。日本には、中国やヨーロッパと違って、城壁で囲まれた街がないからだ。概ね単一民族とされる日本では、そこまで防御しなければならないほどの異民族の興亡を経験したことがないからだ。つまり、南京大虐殺は、中国人の認知の範囲内の、そしてヨーロッパ人には理解されやすいかも知れない、「妄想」の影響を受けているのではないか、ということだ。別にこれは私のオリジナリティではなく、かつて、ある学者さんの論文を読んで、なるほどと賛同したものだ。
 もう一つは、このブログでも紹介したことがある島田洋一教授のコラムにあったもので、ウィリアム・バーンズ元国務副長官の回顧録によれば、オバマ政権末期、米中戦略安保対話で、人民解放軍を含む中国共産党の組織的なサイバー産業スパイ活動を取り上げ、具体的な証拠を示しつつ、即座にやめるよう求めたところ、約7時間に及ぶ押し問答となって、結局、中国側は頑として証拠の認知を拒んで、バーンズ氏はその背後に「より広い意味の認知のズレ」を強く感じた、というものだ。そこで明らかになったのは、アメリカは、国家安全保障のためのスパイ行為と経済的優位を得るためのスパイ行為を峻別し、前者はプロの情報機関同士の日常業務であって、言わば「やられた方が悪い」と言うべき世界だが、後者は堅気に手を出す行為であって許されないとの立場だったのに対し、中国は、政治的であろうが経済的であろうが、政府とはあらゆる手段を用いて優位を築いていくもの、政府や党は法律外の存在、すなわちアウトローであって、その行動を縛る道徳やルールなどない世界だということだ。端的に言えば、中国とは、作為的なのかそうじゃないのかよく分からないが、公式には話が通じないのである。
 昨今の米中「新」冷戦は、1980年代後半の日米貿易摩擦に似て、アメリカのGDPの6割を超える競合国を牽制するという意味では似ているが、当時の日本と今の中国とでは、アメリカの認知レベルとの差があり過ぎることがネックになる。これは日本(概ね自由・民主主義)と中国(権威主義)の統治のありように起因する。
 アメリカで中国に対する脅威認識は、超党派で唯一纏まることが出来るテーマだと、冗談のように言われていて、トランプ大統領の功績は、そこで明確な姿勢を示したことにあると言われるが、新たに政権を担うとされるバイデン氏がどう対処されるのか、息子さんが中国と深く付き合っていると言われるだけに、注視されるところだ。余談ながら、トランプ氏は予測不可能と言われながら、ある意味で分かり易さがあったのに対し、バイデン氏は予測可能と言われながら、どうも信用し切れないところがあって、私は心穏やかになれない(笑)
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豪州産ワインを飲もう!

2020-12-05 00:43:36 | 時事放談
 12月2日付のFinacial Timesが、中国の「いじめ」に対抗して、「対中政策に関する列国議会連盟(IPAC)」が、豪州との連帯を示すために、クリスマス・シーズンには地元の酒ではなく豪州産ワインを飲むよう呼びかけていることを報じた(https://www.ft.com/content/f95e1294-d93c-418c-afe3-1c23c2ea03c5)。直接には、中国が、エコノミック・ステイトクラフトの一環で、豪州産ワインに反ダンピング関税を適用する方針を決定したことと、戦狼外交官として知られる趙立堅・中国外務省報道官が、豪兵士がアフガニスタン人の子どもの喉元にナイフを突きつけているように見える偽の合成画像をツイッターに投稿したことに抗議するものだが、中国の人権問題やその他の政策を批判する国を個別に攻撃するために、中国が経済というハードパワー(economic muscle)に訴えることへの懸念が高まっていることを反映するものだとFinancial Timesは伝えている。なお、「対中政策に関する列国議会連盟The Inter-Parliamentary Alliance on China」とは、「中華人民共和国及びその執政政党たる中国共産党と、民主主義諸国間の交渉のあり方の改革を目的に、民主主義諸国の国会議員たちによって(天安門事件の20年目に合わせ今年6月4日に)設立された国際議員連盟」(Wikipedia)で、日本の中谷元氏と山尾志桜里氏をはじめ18ヶ国200名の国会議員が参加している。
 それにしても、中国のやることは、えげつない(苦笑)。豪州の牛肉、大麦、石炭、綿花、ロブスター、ワインへの制裁に続き、外交「非礼」である。中国は豪州にとって最大の貿易パートナーで、昨年の輸出入額はUS$185Bに達し、何より豪州は大国ではなく(人口は日本の五分の一)、中国にとってクリティカルな技術を(日本が持っているようには)豪州が持っていないことを見切っているのであろう。最近の中国は、リーマンショックで中国の投資によって世界を金融危機から救ったと自負し、新型コロナのパンデミックで世界のサプライチェーンを牛耳っていることに余程自信を持っているのだろう。外交において、慎みがなくなった。西欧ウェストファリア体制では大国も小国もなく、国連では一国一票の平等な扱いだが、中華文明圏では小国は大国に従うものというのが古代以来の伝統であるから、「韜光養晦」をかなぐり捨てて、本来の中華帝国に戻っただけのことではあろう。
 外交「非礼」ということで思い出されるのは、前回ブログでも触れた、王毅外相の訪日記者会見での尖閣領有権主張である。前回ブログに引用させて頂いた近藤大介氏は、このときの王毅外相は「パンダ外交」に転じていると評されたのは、10月下旬の5中全会を経た習近平政権は、折からの米中対立の下で、「戦狼内交とパンダ外交」、すなわち「内には厳しく、外には優しく」という方針に転換していると分析されるからで、それだけに、依然、豪州に厳しいのを訝しがっておられる。王毅外相訪日に話を戻すと、そもそも中国側から打診のあった訪日であり、当然、習近平国家主席の国賓来日についても話し合われたことだろう。そして恐らく、尖閣海域への侵入を繰り返す中国に対して、日本人の対中感情は極度に悪化しており、習近平国家主席を国賓として迎える雰囲気にはないというようなことを日本国政府は説明したことだろう。王毅外相は、それならと、尖閣の領有権主張は譲れない一線であることを、政府関係者だけでなく、記者会見を通して日本国民に向かって宣言したのではなかったか。近藤大介氏が指摘されるように物の言いは婉曲的で丁寧だったかも知れないが、日本国民への「威嚇」と捉えて構わないと思う。これは訪日目的を果たせなったであろう王毅外相にとって、中国共産党に対する言い訳であり、一種の自己弁護の予防線でもあっただろう。
 その後、香港では12月2日に、24歳の黄之鋒氏、23歳の周庭氏、26歳の林郎彦氏という三人の若者に対して、それぞれ13カ月半、10カ月、7カ月の実刑判決が下されて、衝撃が走った。たかが(と言っても中国共産党には許せないのだろうが)抗議の声を上げて、平和的なデモを行っただけのことである。黄氏と周氏が起訴内容を最終的に認めたのは、情状酌量を訴えるための苦渋の決断だったと言われる。もともと不法集会に関する罪は、前科の無いケースや学生などは罰金やボランティアなどが命じられるに留まっていたからだ(最近は量刑が重くなりつつあったようだが)。翌3日には、蘋果日報(アップル・デイリー)の創業者で、香港の民主化運動を支えてきた黎智英氏(71歳)が詐欺罪で起訴され、収監された。「パンダ外交」に転じた中国ではあるが、核心的利益では絶対に譲らないことは明らかである。
 中国は、「自由で開かれたインド太平洋」あるいは日・米・豪・印のクアッドが気に入らないから、法律戦(たとえば1日に施行された輸出管理法など)と情報戦と世論戦を仕掛けて、西側民主主義国の連帯を徹底的に潰しにかかるだろう。日本学術会議の報道を見る限り、日本のアカデミアはナイーブなことに、中国にかなり浸食されているようだし、大手左派メディアも既に手名付けられていることだろう。ここは私たち庶民が、豪州産ワインを飲んで、なんとしても抵抗しなければ・・・(笑)
コメント
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