風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

北斎展ふたたび

2014-10-27 22:46:40 | たまに文学・歴史・芸術も
 「驚異の色彩 -抜群に美しい北斎、ボストンから来日!」と題する北斎展が、上野の森美術館で開催されています。私にとってはホノルル美術館の北斎展以来、2年振り、久しぶりに保存状態の良い北斎版画を堪能しました。
 もっとも、堪能したと言っても、訪れた先週火曜日の午後、わざわざ半日休暇を取ったのに、いきなり入場まで1時間待ちの長蛇の列におののき、入場後も、ご年配の方々が、折角、待たされたのだからと言わんばかりにそぞろ歩きされて、若造の、そしてセッカチの私は、遠巻きにして、ものの30分で美術館を後にしたのでした。
 それにしても、ボストン美術館所蔵の北斎は素晴らしい。かれこれ20年近く前にアメリカ出張の徒然にボストン美術館を訪れたことがあって、作品を大事にする同館は、長く展示せずにすぐにしまいこんでしまうと聞いていました。実際、浮世絵版画に使われた植物顔料は退色が速いのが難点で、日本に残る浮世絵の色の退潮が著しいのはそのせいですが、日本人よりも先に浮世絵の価値を認めた欧米が持ち出した作品は、さすがに保存状態が良いことに驚かされます。
 今回展示されている初期作品も、実に色鮮やかで、目を見張りましたが、やはり北斎の魅力は、富嶽三十六景をはじめとする「青」の鮮やかさにあります。今年5月、原宿・太田美術館で開催された「広重ブルー」鑑賞記(http://blog.goo.ne.jp/mitakawind/d/20140513)で紹介した通り、オランダ舶載のベロ藍(ベルリンブルー、プルシアンブルーとも)が中国で安価に生産されるようになり、浮世絵にも使用されて、人気が高まり、溪斎英泉や葛飾北斎など多くの絵師が次々とこの新しい青色を用いた作品を世に送り出したものです。今回の展覧会の謳い文句は大袈裟とは思えないほど、「今まさに摺り上げたかと思わせるほど色目の鮮やかな多くの作品が、浮世絵ファンを魅了」すること請け合いです。こうした誰もが知る有名な作品ばかりでなく、遺存の少ない団扇絵や切り抜いて組み立てる組上絵が切り抜かれずに揃いで残っているなど、貴重な作品も少なくありません。
 名古屋、神戸、北九州と巡回し、トリとなる東京での北斎展は11月9日まで。平日昼間でも1時間待ちは覚悟しなければなりませんが、一見の価値があります。
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たかが炊飯器と言う勿れ

2014-10-24 01:59:12 | ビジネスパーソンとして
 日経朝刊に連載されている「食と農」シリーズの月曜日の記事に「世界に広がる炊飯器」のタイトルのもと、コメ卸最大手の神明ホールディングがアメリカ西海岸にコメ加工工場を設け、来春から、ライスバンズ(表裏をこんがり焼きあげた手のひらサイズの薄いコメのパテで、電子レンジで1分間温めて、サーモン、アボカド、半熟卵を載せて食べる)を売り出す話や、中国の富裕層の間で「日本製の高級炊飯器でごはんを炊くのがステータス」という象印の奮闘ぶりや、ローソンのハワイの店舗が日本風おにぎりのコメを日本米に変えたところ、おにぎりに適したコメのもちもち感が現地で受けている、といったエピソードが多数取り上げられていました。食の安全を求める声も加わって、外食や小売りが国産米に回帰していること、また、コメの食べ方を突き詰めて来た日本の加工技術を通して、まだまだ消費拡大を狙えるという、元気の出るテーマ記事です。
 食品会社やメーカーの開発物語は、それは涙ぐましい、しかし実に興味深く、日本人に勇気と元気を与えてくれるような職人芸の世界が今なお色濃く残っていて、テレビや雑誌で取り上げられますので、必ずしも珍しいことではないのですが、受け手(読み手)である私の気の持ちようによって、感涙にむせぶこともあります。この日の日経に、続けて取り上げられていた2つのエピソードを再録します。
 一つは、大阪・堺の大衆食堂「銀シャリ屋 ゲコ亭」のご主人・村嶋孟さん(83歳)の話です。「飯炊き仙人」の異名をもつご主人の美味しいご飯を求めて、店には午後1時までの間に約200人がひっきりなしに訪れるそうですし、これまで多くの炊飯器メーカー社員が弟子入りし、釜の内部15ヶ所の温度を測ってムラのない炊き方を科学的に分析し、コメが重ならない広く浅い釜や二枚重ねの蓋などの工夫を量産化に繋げ、ヒット商品に育てたメーカー(象印「極め羽釜」)もあるのだそうです。83歳のご主人もご主人なら、メーカーもメーカーです。
 「かまど炊きのご飯を再現せよ」というのが炊飯器の開発担当者に共通する合言葉だそうで、それでもなお「食べ比べるとどんな高級炊飯器もかなわない」(東芝ライフスタイル)のが現実だそうです。
 もう一つは、パナソニックの「ライスレディー」の話です。開発中の炊飯器で炊いた白米を食べることを業務とする女性社員8人は、ご飯の味で炊飯器の機種が分かるほどの実力の持ち主だそうで、レディーたちに「美味しい」と言わせなければ発売できない徹底ぶりです。
 たかが炊飯器と言う勿れ。旅行にくる中国人が大挙して銀座や秋葉原で化粧品や炊飯器をお土産に買い求めるのは、日本で売られているのが偽物ではなく間違いなく「本物」だからですが、彼らだって(多分に流行に乗っているとはいえ)良いモノは分かっていると見えます。だからと言ってモノづくり大国・日本の復権を期待するといった大風呂敷を広げるつもりはありませんし、日本経済を牽引して欲しいといった途轍もない夢を語るつもりもありませんが、面目躍如に溜飲が下がる思いがするのは誰しも同じではないでしょうか。このあたりのこだわりはいつまでも失って欲しくない気がします。
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たかがウチワと言う勿れ

2014-10-21 23:59:51 | 時事放談
 昨日、第二次安倍内閣の女性閣僚二人が辞意を表明しました。やれやれまた「政治とカネ」の問題かとうんざりします。しかし・・・
 前・法相の松島みどり議員の場合、たかがウチワと言うなかれ、ということなのでしょう。公職選挙法が禁じる、公職者や選挙の候補者が選挙区内で金銭、物品その他の財産上の利益がある「有価物」を配る寄付行為に当たるそうです。なるほど、さすが事業仕分けで鳴らした蓮舫議員による、今度は茶々を入れられない完璧な追及でした。ご本人も四年前にウチワ“もどき”を配った経験があるそうですが、骨組みのない紙だけで作った円形のもので、穴を開けて指を通すと立派にウチワとして使えるものの、個人ビラとして届け出て、選管の承認を得たので、寄付には当たらないと、堂々としたものです。他方、松島議員は、骨組みと柄のあるしっかりしたつくりだったため、「うちわとして使えるが、討議資料」との苦しい言い逃れは、結果として許されませんでした。
 前・経産相の小渕優子議員の場合は、さすがに言い逃れの言葉も出せません。地元支援者のために開催した、東京の劇場「明治座」で有名歌手らが出演する観劇会の収支報告で、過去二年にわたり会費収入が過小申告され、平成24年に至っては記載自体がなかったそうで、地元市民団体が小渕氏を刑事告発する事態にも至ったそうです。後援会関係者か小渕氏自身あるいは親族が着服した可能性はともかく、もし裏金化して24年の衆院選などで買収に使われていたとすれば公選法違反に該当するといいますが、どうしてすぐバレるようなことが放置されたか、脇が甘かったとしか言いようがありません。地元のおばあちゃんが(娯楽が乏しい田舎故)この観劇会を楽しみにしていたのに・・・とインタビューに寂しく答えていたのが、なんとも哀れでした。
 本来、民主党をはじめとする野党には、息切れしそうなアベノミックスの要である成長戦略の内実を追及して欲しいし、東アジアを巡るまともな安全保障論議や原発再稼働を含む実質的なエネルギー政策論議を期待したいところですが、安倍さんの任命責任を追及するべく、ますます気合いが入っているようで、私たちの多大なる税金で賄われる国政の場が足を引っ張る場と化し・・・というのは私の恨み節で、女性閣僚二人は、国会審議がまともに進まなくなる事態を懸念しての辞意表明、速やかな事態収拾に至りたかった気持ちはよくわかります。
 産経新聞によると、二人の辞任の可能性が報じられていた18、19両日に実施した世論調査で、「与党に対抗できる野党」への期待を尋ねたところ「特にない」が51・1%に上り、政党支持率では民主党が9月の前回調査より0・7ポイント減の6・5%、維新は同1・6ポイント減の4・4%と低迷、野党再編に「期待しない」が54・5%を占めたそうです。最大支持を集める?のが無党派では、自民党は大いに恥じ入るべきであり、最近は野党の不寛容さによるものなのかどうか分かりませんが自民党にも寛容さが薄れてきたのは大いに反省して欲しいし、弱小、と言って失礼に聞こえるような野党には大いに奮起して欲しいものですが、相変わらずですねえ。
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競争的と協調的

2014-10-19 21:27:05 | 時事放談
 ピーター・ドラッカーと言えば、ユダヤ系オーストリア人の経営学者として著名で、ドラッカー学会があるほど、日本人には相変わらず人気が高いのですが、ほぼ96年の長寿の人生で、結婚後ほどなくアメリカに移り住んで、ベニントン大学、ニューヨーク大学、クレアモント大学院大学で教鞭をとるなど、人生の三分の二以上をアメリカに暮らしながら、今ではその著作はアメリカ人には余り読まれないという話もよく聞きます。自ら「社会生態学者」を名乗る彼の社会観について、あるセミナーで、「競争的」と「協調的」のうち、彼のマネジメント論は「協調的」な社会観をベースにしているのだと説明されたことがあり、ハタと納得したことがありました。ここで競争的な社会観とは、社会は絶え間ない競争に晒され、組織が消滅するのは競争相手に負けるからであり、そのために競争戦略を生み出す排他的な組織文化をもつことになると見るのに対し、協調的な社会観とは、社会は多様な協調関係から成り、組織が消滅するのは相手(利用者)から見放されるからであり、そのために社会を協調・連携を生むエコシステムと見るものです。企業人の端くれとして、どちらかと言うとマイケル・ポーター的な競争論にどっぷり浸り、勝ち負けに拘って、疑似戦争のように戦略論を戦わせるのが常態であったればこそ、時にドラッカーのマネジメント論に触れてオアシス的なものを感じたのは、まさにそうした事情によるのでしょう。このあたりは、ドイツ語名をペーター・ドルッカーと言うように、純粋なアメリカ人ではないところが影響しているように思いますし、日本人にも人気が高い所以なのだろうと思います。
 前書きが長くなりましたが、中国、韓国、ロシアなどのユーラシア諸国と日本を比べる時に、この「競争的」社会観と「協調的」社会観の違いを思わないわけには行きません。前回、前々回と「韓国の成熟」というタイトルで、産経新聞の前ソウル支局長が在宅起訴された問題を、どうにもやりきれない思いで取り上げたわけですが、韓国における表現や言論の自由の扱い、あるいはそのありようが、先進諸国に比べて後れていること、そして、それが相変わらず反日の文脈で利用され歪められているという、ごく当たり前のことを勿体をつけて言ったまででした。どうも言い足りないので、若干補足します。
 万里の長城の総延長は、2012年6月、中国の当局によって従来の2倍以上の21,196.18kmと発表されました(現存する人工壁の延長は6,259.6kmだそうですが)。秦の始皇帝に始まると、歴史の授業で習いましたが、既に戦国時代には戦国七雄のすべての国が外敵に備えるために長城を建設していたそうです。城壁ですから、欧州の城塞都市と似たような発想なのでしょうか。いったん唐王朝は長城防衛そのものを放棄したあと、女真族が建国した金の時代に復活しましたが、長城を難なく越えて侵入したモンゴルによって金は滅亡され、モンゴル人の元は長城を築きませんでしたが、南方から興った漢民族の明が元王朝を北方の草原へ駆逐し、それでも首都を南京に置いた朱元璋は長城を復活しませんでしたが、首都を遊牧民族の拠点に近い北京へと移した第三代皇帝の永楽帝は長城防衛を復活させ、現存の万里の長城の大部分はその明代に作られたのだとWikipediaにあります。この城壁にかける執念を見れば、中原を巡る民族の興亡の激しさが想像されます。
 かつてイザヤ・ベンダサンこと山本七平氏は「日本人とユダヤ人」の中で、日本の歴史を俯瞰して、「日本最大の内乱といえば関ヶ原の戦いだが、この決戦が何と半日で終わっている。戦争というより、大がかりな騎士団のトーナメントである。(中略)付近の農民が、手弁当でそれを見学に出掛けるとあっては、およそ、ユーラシア大陸の戦争には縁が遠い催し物である」「いや、日本にも戦国時代があった。戦乱相つぐ百年があったと言われるかも知れない。しかしあの程度のことなら、中東では、実に三千年もつづいた状態のうち、比較的平穏だった時代の様相にすぎない」と、日本が世界に比べれば実に平和であったと述べておられます。さらに日本の戦国時代のことは、「日本の戦国の角逐が、これ(ブログ注:主にパレスチナとその周辺のことと比較されてのこと)とは根本的にちがうことは(中略)当時日本に来たイエズス会宣教師の手紙をごらんになればよい。西欧も中東もインドも中国も(ということは当時の世界の殆どすべてを)直接に見たか間近に見てきたこれらの人びと、当時には珍しい、ほぼ世界中を直接に見聞した人びとが、戦国の日本のことを何とのべているか。その手紙とパレスチナ周辺の農民とを比べてみれば、少なくとも次のように言えることは確かである。戦国時代の日本は、当時の世界で、最も平和で安全な国の一つであったと」とも述べておられます。
 この著作自体は、ユダヤとの比較論で、中東に見る民族興亡の激しさは日本の内乱とは比べものにならないというのが結論です。民族興亡の激しさという意味では、頻度や規模の違いはあれ中国も例外ではなさそうで、そもそも漢民族は西方の遊牧民をルーツとし、中原に定着したものと言われますし、「漢民族という言葉の下敷きとなった漢朝(前漢・後漢)では最盛期には人口が6000万人を数えたが、黄巾の乱など後漢末からの社会的混乱や天候不順のため、中原の戸籍に登録されている500万人を切った。この後は(中略)北族の時代を迎え、岡田英弘はこの時点でオリジナルな漢民族は滅亡したと主張している」(Wikipedia)と言われるほど、中国では王朝交代期に人口が激減する殺伐とした歴史を繰り返してきたと主張する研究は多いようです(呉松弟や曹樹基の「中国人口史」など)。物資を略奪し人民を捕虜・抹殺するのにとどまらず、文化をも抹殺し、ご丁寧に王朝毎に歴史を書き換える徹底ぶりは、歴史の授業でも習いました。
 韓国は、ユーラシア大陸の東端に位置するとはいえ、陸続きで、常にそんな民族の興亡を繰り返す中国にへばりつき、海を隔てる日本とは比べものにならないほど、その鼓動を間近に感じていたことでしょう。韓国人に言わせれば、海を隔てる日本が羨ましい、ということになります。ドラッカー風に社会生態学的な言い方をしますと、韓国は、常に外敵が襲来する恐怖に備え、緊張感を孕む極めて競争的で不安定な社会だったのに対し、日本は、地震や火山の噴火や台風などの自然災害こそ多く、常に揺らぎがある不安定な土地柄ですが、海という天然の要害に守られて、外敵の襲来はほとんどなく、長い目で見れば極めて安定した、動的平衡を保つ協調的な社会だったと言えます。もしこうした社会観の違いが正しければ、お互いにお互いを理解し合うのは難しそうです。日本人が憲法九条を素直に受け入れて、独立を果たしてもなお自主憲法を制定することなく守り続けたのは、日本史で未曾有の災厄となった大東亜戦争の後だったからだけではなく、また自衛権の一つではありながら集団的自衛権に対する心理的抵抗が根強いのは、リベラルのメディアに煽られているからだけではなく、そもそも日本人には協調的で牧歌的な土壌があるからではないかと思われます。
 中国、韓国(及び北朝鮮)、ロシアなど、東アジアの戦略環境の難しさは、「ポスト・モダニズムの迷妄」とその続編「ポスト・モダン考」などのブログをはじめとして、何度となく書いてきました。韓国は、この文脈で言うと、まさにナショナリズムを高揚させ、国家を形成する「近代(国民国家)」の過程にあると言えます(そのため前回、前々回のブログ・タイトルは敢えて「未成熟」とはせず「成熟」としました、非難するのが目的ではありませんし・・・)。中国は、習近平国家主席は中国人民に向かってチャイナ・ドリームと話しかけ、170年以上前の(アヘン戦争での屈辱にまみれる以前の)帝国を志向しており、表向きは「近代(国民国家)」のステージにいるように見えますが、その実、「国民国家」の確立と言うより中国共産党の統治を正当化することが第一義という意味で、従い、「国民に向かって」ではなく「中国人民に向かって」語りかける、と書くのが相当のように、「国民国家」の名に値せず、議論のあるところでしょう。それはともかく、韓国の、どうにも日本の理解の埒外にある国柄は、こうした歴史の位相の違いのほかに、日本に対する民族の記憶(前回触れました)や、競争的な戦略環境など、いろいろな要素が混ざっていそうです。
 最後にもう一つ、やはり朴槿惠大統領自身の性格からくる影響も考えないわけには行きません。
 「自身の権力欲のみで庶民の生活を思いやることは無く」「ある時は日本に擦り寄り、ある時は中国に接近し、中国を捨てると今度はロシアと結んだりと、智謀家ではあったが、倫理が無く」などと形容され、「誰からも支持を得られなかった“彼女“は、外国勢力に頼り、自身の権力欲のために中国を引き入れ、朝鮮を日清戦争の地としたのは“彼女”である」と言われたのは、一瞬、朴槿惠大統領のことかと思ったのではないかと思いますが、日清戦争という言葉から分かる通り、李氏朝鮮の第26代王・高宗の妃である閔妃のことです(前二者は崔基鎬著「韓国 堕落の2000年史」から、後者は朴垠鳳著「わかりやすい朝鮮社会の歴史」から、いずれもWikipediaから)。最近は、韓国専門家からも、朴槿惠大統領の独裁的な性格を閔妃に譬える声が出ているほどで、良くも悪くもお父ちゃんの影響から逃れられないのは分からなくはありませんが、日本政府が言うことには悉く盾突き、アメリカや中国の言うことにしか耳を傾けない頑なさや、世界から孤立することが分かっていながら暴走する最近の彼女の独善的な行動は、そうした理解の枠を超えており、先行きは不透明です。
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韓国の成熟(後)

2014-10-17 01:29:18 | 時事放談
 前回は、産経新聞の前ソウル支局長に対する在宅起訴の問題を巡る事実関係を追いました。国際人権団体・フリーダムハウスにとって韓国における言論と表現の自由度を問題視することはあっても、日韓関係そのものは所詮は他人事であり、「韓国の民主主義は未熟」の一言で済ませられますが、日本としては、政治、経済、そして安全保障でも相互に重要な隣人関係にあり、もう少しその背景に迫らないことには、解決の糸口は見つからないことになります。
 先ずはっきりさせておかなければならないのは、韓国における表現や言論の自由の扱い、あるいはそのありようは、先進諸国に比べて後れており、制約を受けていること、国家権力による監視といった、ある種の管理社会的な恐ろしさに晒されているという事実です(アメリカにもそういうところはありますが、そもそも表現の自由は保障されています、つまり監視の目的が明確に異なります)。
 例えば、今回、先月16日に朴槿惠大統領が国務会議で「国民の代表である大統領に対しての冒涜発言が度を過ぎている。これは国民に対する冒涜でもあり、国家のステータスを陥れ、さらには外交関係にまで影響を及ぼしかねない」と発言したのを受けて、2日後の18日、大検察庁は「サイバー上での虚偽事実の流布への対応策」を設けたと発表したそうです。専担の捜査チームを組織してオンライン・モニタリングを実施し、虚偽事実流布の事犯を見つけ出すというのです。これを聞いたモバイル・メッセンジャーを使っている多くの人が、プライベートなメッセージが監視下に置かれることを心配し、韓国籍ではない外国籍のサーバーに本拠地を置いているネットサービスへ移動する、所謂「サイバー亡命」現象が起こっているそうです。この韓国の「サイバー亡命」ブームは、実は三度目で、既に過去に二度あったといいます。最初は2007年、政府が「インターネット実名制」を導入したことがきっかけで、韓国のブログやコミュニティの運営者たちが続々と海外サイトに移り、続いて2009年、検察がMBC(韓国の放送キー局の1つ)の「PD手帳(番組名)」のスタッフを捜査した際、この番組の構成作家たちのメールを公開したのがきっかけで、韓国人は、国家機関が自分たちのメールをいつでも覗き見ることができることに驚き、海外にサーバーを置いたグーグルのGメールにアドレスを変更する人たちが急増したのだそうです(このあたりの事情は、梨花女子大学やソウル同時通訳大学院大学で教鞭をとるアン・ヨンヒさんによる)。私たち日本人には俄かに想像できない異次元の動きとは言えないでしょうか。
 その上に、以前、ブログに書いたことですが、日本では犬も食わない夫婦喧嘩を、韓国では恥と思わず、むしろ表通りに出て積極的に自己の正当性を大声で訴えたり、はたまたサムスンのような大企業であっても、出世のためには同僚をあからさまに誹謗中傷したりすることを厭わない、韓国人の恥も外聞もない国民性の異常さが覆いかぶさります(韓国人にとっては、異常だと感じる日本人こそ異常だと思っていることでしょうが)。朴槿恵大統領が、就任後、他所の国でさんざん日本の悪口を喧伝し続ける所謂「告げ口外交」は、まさにその類いだろうと想像されます。どうやら韓国のこうした世間体を顧みない見境のなさは、相手が日本だと倍加するように思われます。一般に韓国においては、日本に対して何を言っても許されるという風潮が見られるようで、日本人の私たちには「未熟さ」故の甘えにしか映りませんが、韓国人学者の話を聞くと、東アジアという独特の政治環境の中で、歴史的に超大国に常に隣り合わせることによって育まれてきた事大主義と、その裏腹としての小中華思想、あるいは華夷秩序に基づき日本を「蛮夷」(正確には東夷)と見なす優越意識から来る民族文化的なもののようです。その優越意識が素直に満足されれば丸くおさまるところですが、秀吉の出兵といい、韓国併合といい、歴史的に「蛮夷」に攻められ、ついには支配されるという屈辱に、彼らのナショナリズムは大いに傷つけられ打ちのめされて来ました。ここ10年で、ようやく国力が充実し、まがりなりにも先進国の仲間入りを果たしたからには、野蛮で文化的に劣る日本何するものぞとの思いがもたげてきたのかも知れません。彼らにとってはようやく到達した境地であり、私たちには自信過剰と言うより異様に映りますが、その醜さが諸外国の目にどう映じるかを顧みる余裕もないようです。
 例えば、朴槿恵大統領にしても韓国外務省にしても、何かというと従軍慰安婦問題で「日本こそ(被害者が納得できる具体的な)解決策を示せ」と、日本に責任を転嫁して理不尽な要求を続けます。これは元をただせば、3年前の8月末、韓国の憲法裁判所が元慰安婦の賠償請求で韓国政府が措置を講じなかったのは違憲との判断を示したことに起因します。李明博前大統領が野田前総理との会談でしつこく従軍慰安婦問題ばかりを話題にしたのも、またそのときに相手にされなかったものだから後に竹島に上陸し、さらに天皇陛下を貶める発言をしたのも、政権末期の反日の通例と見なすことも出来ますが、直接にはこの判決に依るものと思われます。しかし、1965年の日韓基本条約で、韓国の日本に対する一切の請求権は解決済みであるのは周知の通りであり、元慰安婦への賠償は韓国の国内問題とする政権もかつてはあったにも関わらず、今頃になって、いわば国内法が国際条約に優越する異常は、私たちにはもはや理解不能です。こうしたところからも、韓国は法治国家としてもまだまだ「未熟」と言わざるを得ないのですが、韓国の司法に関しては、政権や世論の動向に影響を受けやすいと指摘されることがあり、先に述べたような民族的な「気分」が反映されているのでしょう。韓国の知識人は「我が国には憲法よりも上に『国民情緒法』なるものがある」としばしば苦笑して語るのを、日経の鈴置高史さんは嘆いて(呆れて)おられます。いずれにせよ、韓国政府はその努力不足?を指摘されたために(努力不足も何も、日韓基本条約で解決済みなのですが)、野党の追及をかわすためにも、朴槿恵大統領としては、日本に対して要求し続ける必要があるわけです。
 その憲法裁判所の判決が出る一ヶ月ほど前の2011年8月1日、自民党の新藤義孝衆院議員、稲田朋美衆院議員、佐藤正久参院議員が「独島博物館」を見学・調査するとして鬱陵島に渡るべく韓国へ渡航しましたが、金浦空港にて入国を拒絶されるという事件がありました。記憶されている方もおられることでしょう。実はその第一陣は下條正男・拓殖大教授で、やはり空港で拒絶され、第三陣は、今回、在宅起訴された産経新聞の前ソウル支局長で、まんまと突破し、「独島博物館」の展示状況を見学し報道することが出来たそうです。この博物館は、竹島(独島)を韓国が領有することをアピールするべく、国内外で収集した資料を中心に独島義勇守備隊同志会の資料などを加えて、1997年8月に韓国内唯一の領土博物館として開館したものです(Wikipedia)。下條教授は、今回の在宅起訴は、このときの意趣返しではないかと話しておられました。そもそも産経新聞自体が韓国人には不愉快で評判がよろしくありません(私たちには産経新聞の方がまだまともで、韓国や中国に過剰におもねる朝日新聞の方が不愉快ですが)。日本への恨み千年を口にする大統領ですから、さもありなんと思わせます。
 こうして、中国が愛国無罪なら、韓国は、その政治やマスコミのありようから、もっと直截に反日無罪と言うべきでしょうか。その民族的記憶は、政局の中で反復利用され、風化してひからびることはなく、最近の国力増強と相俟って、むしろ高まっています。中国や韓国との関係で、日本政府に妙な妥協はして欲しくありませんので、政治に今の日中関係や日韓関係を劇的に改善するのを期待するのはなかなか難しいと思われます。最近、日本を訪問する中国人が増えて、中国政府のプロパガンダは間違っているという声がネットに広がるようになったそうですので、迂遠なようですが、韓国においても、民間の各層で関係改善の取組みを進めるしかないように思います。
 産経新聞の前ソウル支局長に対する在宅起訴の問題は、一体、いつまで暴走するのか、よく分かりませんが、どうも民族の沽券に係わることのようなので、前ソウル支局長氏には毅然と対応して欲しいと思います(今のところその通りに進んでいるようですが)。
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韓国の成熟(前)

2014-10-15 01:47:39 | 時事放談
 韓国は、まがりなりにも自由・民主主義国家に分類されるものの、こと日本に対しては日頃から不条理な仕打ちばかりで、どうにも扱いに困ってきましたが、さらに理解に苦しむ事件が起こりました。
 産経新聞の前ソウル支局長が8月3日に同ウェブサイトに書いた朴大統領に関するコラムを巡り、今月8日、検察当局から情報通信網法(情報通信網利用促進および情報保護などに関する法律)における名誉毀損で在宅起訴され、来月13日、ソウル中央地裁で初公判が開かれることが明らかになりました。弁護人は起訴前の9月30日、①記事などに関する資料は全て確保されており証拠隠滅の懸念はなく、②一時出国しても逃亡の可能性がない、などとして、出国禁止を速やかに解除するよう求める文書をソウル中央地検に提出していましたが、これまで出国禁止の延長が6回繰り返され、前ソウル支局長は帰任辞令が出ているにも関わらず、2ヶ月以上、出国できない状態が続いています。
 当該コラムは、下世話な話ですが、「朴槿恵大統領が旅客船沈没当日、行方不明に…誰と会っていた?」と題するもので、7月18日に韓国最大部数の日刊紙・朝鮮日報に掲載された記者コラム(と証券街の噂話)から素材を得たものでした。終わりに朝鮮日報コラムを引用して「(前略)国政運営で高い支持を維持しているのであれば、ウワサが立つこともないだろう。大統領個人への信頼が崩れ、あらゆるウワサが出てきているのである」と書き、「朴政権のレームダック(死に体)化は、着実に進んでいるようだ」と本人の言葉で結んでいます。朝鮮王朝末期の第26代王・高宗の妃、閔妃(ミンぴ)と言えば、「自身の権力欲のみで庶民の生活を思いやることは無く」(日韓文化交流協会顧問を歴任、韓国・加耶大学校客員教授の崔基鎬氏)、「頭は良かったが朝鮮の玉座にとって恥となるほど最も残酷な人物」(米国の朝鮮専門家ジョージ・トランブル・ラッド氏)で、「誰からも支持を得られなかった閔妃は、外国勢力に頼り、自身の権力欲のために清を引き入れ、朝鮮を日清戦争の地とした」(『わかりやすい朝鮮社会の歴史』著者・朴垠鳳氏)と酷評される人物ですが、最近、朴槿恵大統領の独裁的なところを閔妃に譬える韓国専門家もいるくらいで、当該コラムに激怒したのでしょう。反政権色の強い左派系紙・ハンギョレは、「検察は大統領府が産経を非難した直後に捜査に着手した」として、検察が法よりも朴大統領の面目のために動いたとの見方を示しました。
 このコラムは飽くまで日本の読者に向けて書かれたものだったにも関わらず、韓国の市民団体が大統領の名誉を毀損するものだと反発し、告発したのを受けて、ソウル中央地検が加藤氏を事情聴取のために出頭させ、出国禁止措置を経て、起訴に至ったという、片や素材を提供した朝鮮日報の方は口頭注意で済まされるという、なんとも腑に落ちない話です。本来、報道機関への捜査は政権批判への取り締まりにつながりかねず、「個人の事案とは一線を引くべき」(韓国の法律に詳しい弁護士)、「公職者の公務にかかわる以上、名誉毀損に当たらず、判例上も無罪が明らか」(韓国の法学科教授)と言われるにもかかわらず、です。
 これに対し、韓国の外国メディアで構成するソウル外信記者クラブは「メディアの自由な取材の権利を著しく侵害する余地がある点に深い憂慮を表する」などとする声明を発表したほか、国際ジャーナリスト組織・国境なき記者団は、韓国当局に対し、起訴しないよう求める声明を発表するとともに、「メディアが大統領を含む政治家の行動をただすのは、まったく正常なこと」と指摘しました。米紙ウォールストリート・ジャーナル(電子版)は、「刑事上の名誉毀損に関する法律がいかに言論の抑圧に使われるかの実例」だと指摘し、同様の報道をした韓国メディアの記者が事情聴取されず、韓国にほとんど読者がいない外国の新聞の記者が聴取の対象になっていることに疑問を投げかけたそうですし、そもそも米国・国務省は2013年版の人権報告書の中で、韓国について「法律が名誉毀損を幅広く定義して刑事罰の対象としており、取材活動を萎縮させる恐れがある」と指摘していました。産経新聞は、米国に本部を置く国際人権団体で、世界各国の「報道の自由度」を毎年発表している「フリーダムハウス」のプロジェクト・マネジャー、ジェニファー・ダナム氏に電話インタビューし、その談話を載せています。

(引用)
 (起訴は)不幸なことながら、驚くに値しない。韓国では名誉毀損による起訴が増加しており、それは紙の媒体以上に、ウェブサイト上のニュースに対するものが多いからだ。
 韓国では李明博(イ・ミョンバク)前政権以降、報道の自由が低下しており、フリーダムハウスの評価でも、「自由」から「部分的に自由」というランクに落ちている。こうした傾向は朴槿恵政権下でも進行しており、強く懸念している。
 北朝鮮を礼賛し、あるいは韓国の大統領に批判的な内容を掲載したウェブサイトの多くが、大統領府の要請によって妨害、削除されている。
 とりわけ、報道の自由を名誉毀損という法的手段によって侵害することは、現代の民主主義社会にあってあるまじきことだ。韓国政府は加藤氏に対する事案のように、名誉毀損を含む異なる方法により、(政権に不利な)内容を統制しようとしている。
 フリーダムハウスの「2014年報道の自由報告書」の評価では、韓国の報道の自由度は197カ国中68位だ。加藤氏を起訴したことで、次期報告での評価はさらに低下するだろう。
 とくに公人(大統領)に対する報道は自由であるべきで、報道により名誉毀損に問われることがあってはならない。韓国の民主主義は未熟だ。
(引用おわり)

 当然のことながら、韓国・国会においても、野党は、日頃から歴史認識をめぐって産経新聞には批判的だっただけに、今回の起訴によってその産経新聞がよりによって“言論弾圧の被害者”に祭り上げられた上、韓国の国際的なイメージを著しく低下させるという、「二重の逆効果を招いた」として批判しました。
 などと、くどくどと、これでもかと引用するのは大人げないのですが、要は、四面楚歌になることがこれほど明白でありながら、韓国の検察ひいては裏で糸を引いているとされる大統領(府)が、暴走を止められないのは何故か。勿体をつけるつもりは毛頭ないのですが、長くなりましたので続きはまた明日。
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ノーベル賞ふたたび

2014-10-08 23:12:58 | 日々の生活
 今年のノーベル物理学賞は、青色発光ダイオード(LED)を開発した赤崎勇・名城大終身教授、天野浩・名古屋大教授、中村修二・米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授の3氏に授与されることに決まりました。なにかと世間の目を気にする日本人としては、スウェーデン王立科学アカデミーから認められたということに、この上もない喜びと誇らしさ・晴れがましさを感じていることでしょう。
 授賞理由の説明で「20世紀は白熱灯が照らし、21世紀はLEDが照らす」と実に簡潔にまとめられていました(米ウォールストリート・ジャーナル紙は「LEDはエジソンの蛍光灯から完全に置き換わる」と報じました)。今回のノーベル賞は、何と言っても、同時代にその開発と実用化を目の当たりにしているものであるところに、感慨深いものがあります。敷衍すると、基礎理論での受賞が多いノーベル賞で、工学的な色彩が濃く、特に中村氏については実用化の功績が認められたことが、ある種の驚きでした。中村氏自身も、ハンダごてを片手に良質な結晶を作る装置を自作する日が続き、「半導体研究者と言うより機械技術者のようだった」と語っておられます。このあたりの事情について、赤崎氏と同じ名城大学の飯島澄男教授(カーボナノチューブの発見(1991年)で知られる)は、以前、「日本のノーベル賞受賞者は理論研究者が先行した。ひらめきが大切と思われがちだが、白川(英樹)先生(2000年化学賞)も田中耕一さん(2002年化学賞)も手を動かして色々と実験した。机の上で考えてもアイディアは出ない」と語っておられたものでした。
 日本では「科学・技術」などと並べて言い表されることが多い「科学」と「技術」ですが、そもそも発祥は全く異なり、「技術」は生きるための必要に駆り立てられた身体的な行為であるのに対し、「科学」はとりあえずは生存とは切り離された好奇心に基づく頭脳的な思索であったと説明されます(木村英紀著「ものつくり敗戦」)。こうして本来は別々の「科学」と「技術」が車の両輪のような一体の協力関係が打ち立てられたのは、フランスにおいて「科学」を基礎に「技術」者を系統的に育てることを目的に設立されたエコール・ポリテクニクが誕生した18世紀末以降のこと、つまり明治維新になり開国して欧米から導入された「科学」と「技術」は、まさに「科学・技術」と一つの「」で括られるような関係にあって、日本人には初めからそれが当たり前のものとして受け止められたのだと解説されます。これが決して当たり前ではないのは、例えば中国や韓国では儒教のせいか科挙に蝕まれたせいか、「技術」が過度に軽んじられる(科挙のお勉強が幅をきかせる)ところからも知れます(中国では技術を育てることに経済的にガマンできず、サイバー攻撃に見られるように、てっとり早く盗もうとする)。対する日本人は「技術」を尊び「技術者」や「職人技」に敬意を払う国民性で、自然科学分野でノーベル賞受賞者が一人として出ていない中国や韓国(中国では平和賞・文学賞各1人、韓国では平和賞1人のみ)と17人(米国籍の南部陽一郎さんと中村修二さんを除く)に達する日本との違いを、あるいは説明する一つの背景になるのかも知れません。
 余談ですが、ノーベル賞受賞者はまたしても東大ではなく、京大や名大や、今回、新たに徳島大の出身者でした。大学のカラーとして、トップ校としてのカタチが先ずあり、カタチを背負い、あるいはカタチを守ることを否応なく意識づけられ、何事もソツなくこなす秀才肌ではなく、カタチよりも内実に、しかも妙なこだわりがあったり、のびのびと自由な発想を育む次男坊、三男坊、さらには変人っぽいほどの(中村さんのことを異才と呼んだメディアがありましたが)異才・天才肌が、ノーベル賞には相性が良いのでしょうか(なんて勝手な想像ですが)。そう言えば、欧・米の間では、基礎研究ではアメリカが、応用研究ではヨーロッパが強いのだそうです。やはり形式に囚われない、精神の自由を保ち、イノベ―ティブなところこそ、ノーベル賞大国のアメリカらしさと思わせます。
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ポスト・モダン考

2014-10-05 15:08:38 | 時事放談
 二週間前のブログで、ロシアのクリミア併合問題が象徴的なように、現代は「プレ近代(=混沌圏)」「近代(国民国家)」「ポスト近代(=新中世圏)」が拮抗する世界で、欧米を中心とする「ポスト近代」の原理だけでは対応できないことがはっきりしたこと、世界の脅威は、戦争を当然の手段とする近代を脱していない「近代圏」の国々や、不安定な「混沌圏」(アフリカや旧ソ連諸国)の地域から生まれてくる、といった話を紹介しました。欧米や日本は、ロシアや中国とは歴史の位相が異なるとするものですが、それではロシアや中国がいずれ国民国家として「近代」の仲間入りをするのかというと、とてもそうは思えません。歴史の位相は、時差の問題としていずれ「近代」そして「ポスト近代」へと変貌を遂げる進歩史観の文脈で語られるものではなく、歴史的実存に根差したいわば国柄の問題であるように思います。
 ここで「近代」と簡単に言いますが、自発的に、所謂「内発的近代化」を実現したのは、西欧と日本だけで、上記三つのカテゴリーの中で言うと今や「ポスト近代」に分類されます。それ以外の国々で今「近代」に分類されるのは、西欧列強による植民地化の過程で近代化の種を植えつけられ、今、育てつつある、所謂「外発的近代化」を実現しつつある国々です。例えば卑近なアジアを例にとると、かつてNIEsと呼ばれたシンガポールや香港は華人社会ですが、英国による統治下に、韓国と台湾は、日本の植民地統治下に、近代国民国家(前二者はどちらかと言うと都市国家レベルですが)の基盤が整備されました。とりわけ日韓併合当時、国民の8割が農民で遅れた農業社会だった韓国は、売官・売職が当たり前で腐敗しきって民乱が絶えない未開社会で、欧米社会からは完全に見放されていたのが、つい100年前の姿ですから、見違えるようですが、それでも成熟した民主制国家とは言えず、精神上は発展途上であるところは周知の通りで、言いたいことは山ほどありますが稿をあらためます。そして、世界には「近代化」の要件を備えない国が多々あります。
 それでは、近代化の「内発的」と「外発的」の差をもたらしたものは何か。西欧と日本だけが近代化を成し得たのは何故かということでは、ご存知の通り、近代化をもたらしたのは封建制の経験である、という有名なテーゼがあります。
 日本では、封建制なるものは西欧に独自の社会構成であって、日本にはなかったとする真面目な主張もありますが、むしろ、伝統的に左翼史観が根強かったため、封建制と言えば頑迷固陋な旧弊で克服すべきものとの認識が一般的で、今も、封建制の評価は高くない・・・と言うより、強いて言えば歴史上の通過点に過ぎず「無視されたまま」ではないでしょうか。ドイツ生まれでアメリカに帰化した社会学者カール・ウィットフォーゲル氏の論考を下敷きにしたとされる、ハーバード大学の東洋史研究者で駐日大使を務めたエドウィン・ライシャワー氏が立てた命題「封建制の経験が、どうして近代化に資するのか?」、いわば近代化論を、堀米庸三氏が要約されています(というのを今谷明氏の本から抜粋します・・・曾孫引きどころか玄孫引きになって恐縮です)。

(1)専制制度に比べると、封建制度の下では、法律的な権利と義務が重視されていたので、近代の法概念に適応するような社会の発達がいくらか助長された。
(2)封建領主は、土地の所有と地租の徴収に専念していたので、商人と製造業者は、専制政治の下におけるよりも、大幅の活動範囲と保障を得ることが出来たらしい。
(3)領主(武士)階級以外は、政治権力から除外されていたので、身分志向的な倫理観よりも、目的志向定な倫理観が助長された。

 ここに言う専制制度は、中国などのアジア的専制をイメージすればいいと思います(因みにウィットフォーゲル氏の「オリエンタル・デスポティズム」の翻訳(初版1991年)は、ソフトカバー再販(1995年)でもアマゾンで中古品価格17,510円の高値がついていました)。それはともかくとして、以上のように規定した上で、(1)と(2)から「さらに進んだ経済制度(株式会社等)」を生み出し、(3)からは「進取の気象に富んだ活動力と企業精神」を生み出したとします。なんとなく日本の歴史(とりわけ武士の世の中)を眺めれば、納得できるのではないでしょうか。
 近代国民国家(nation state)は、ウェストファリア体制(1648年~)以来の伝統で、線引きは難しいけれどもとりあえず国境線が引かれ、「こののち、ヨーロッパでは17世紀のイギリス市民革命(清教徒革命、名誉革命)、18世紀のフランス革命などにみられるように、絶対王政に対する批判として君主に代わって「国民」が主権者の位置につくことによって近代国家が形成された」(Wikipedia)のでした。日本では、線引きをするまでもなく島国として自然の領域が定められ、西欧でそのきっかけとなった30年戦争と比べるほどの戦争はありませんでしたし、その後の革命に比するほどの革命的な動きもありませんでしたが(明治維新の無血革命を除き)、既に中世の比叡山延暦寺では民主的な合議が行われていたことを山本七平氏が指摘していますし、マックス・ウェーバーがプロテスタントに見出した資本主義の精神(禁欲のエートス)が、江戸初期の曹洞宗の僧侶・鈴木正三の「職分説」やその後の石門心学が説いたところにも見られ、近代国民国家の要件「資本主義と議会制民主主義(とそれらのベースになる法の支配)」が準備されていたことが知られます。
 ところが中国にはそもそも国境の観念がありません。自分の勢力が及ぶ範囲が領土だと心得ているところがあります(歴史的に“中国”とはそういうところですし、最近の東・南シナ海への海洋進出を見ても分かりますね)。漢民族だけでなく異民族も含めた王朝による東洋的専制が続き(今は共産党の王朝が君臨)、庶民の側にはそれを受け入れる土壌があって、為政者が変わっても世の中の太平を楽しむ「鼓腹撃壌」や、「上に政策あれば、下に対策あり」といった言葉があります。庶民が頼りにするのは、国家の統治機構であったためしがなく、時間軸で縦を貫く血縁(=宗族)と、空間軸で横に広がる地縁・業縁・友人関係(=幇)などの共同体であって、国家観が希薄です。中国人かと聞かれればそうだと答えるでしょうが、北京人(北京出身)や上海人(上海出身)など出身地で答えるのが普通です。そして何よりも、インドではイギリスの過酷な植民地支配があり、今では世界最大の民主主義国として、選挙を行い民意に従った議会制民主主義が行われていますが、中国では植民地支配と言っても部分的に押さえられただけで、国全体として見れば極めて中途半端に終わり、「外発的近代化」のチャンスもなく、戦後は(かつての王朝に代わり)共産党による一党独裁体制が続いています(1979年以来、改革開放により市場主義が取り入れられていますが、今なお国営企業が多く、西欧や日本と区別するため国家資本主義と呼ばれているのは周知の通り)。世界に向けては、国際法下の国家間システムに従っているように見せながら、お膝元では、昔ながらの中華思想と華夷秩序による地域システムを志向しています。
 タイトルを「ポスト・モダン考」としながら、近代化について、くどくどと述べて来ましたが、近代化を盲目的に信奉するつもりはありません。歴史の流れの必然として受け止めつつ、しかし近代化の光と影を見極めながら、その反省の上に、これから我々が向かうであろうポスト・モダンな世界を築き上げて行かねばならない。あらためて、フランス革命を批判したエドマンド・バークに始まる西欧の保守主義の伝統に学びたいと思っています。
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香港のアンブレラ革命

2014-10-02 23:08:45 | 時事放談
 ちょうど一ヶ月前、「香港の受難」と題するブログで、中国化に反発する香港の動きに触れましたが、その香港で「真の普通選挙」を求める民主派の学生や市民による抗議デモが、今日で5日目を迎えました。警官隊が使用する催涙ガスや催涙スプレーに対し、学生らが傘を開いて防御したことから、地元紙は今回のデモを「雨傘革命」と呼び(世界のメディアは「アンブレラ革命」と呼び)、傘が運動の象徴になってきたそうです。
 昨日・今日と中国では国慶節の祝日でしたが、中国政府は休みどころではなく神経を尖らせていたようで、1日付の人民日報は、民主派のデモを「非合法な集会であり、社会の秩序を乱し、香港の経済と民生に大きく影響を与えている」と批判しました。香港市民に対して「香港政府の法に沿った措置と、香港警察の果断な法律執行を支持すべきだ」と要求し、デモの首謀者らは「違法行為に法的責任を負うべき」だとして、今後、解散に応じなければデモの強制排除や拘束をためらわない考えを強く示唆したそうです。翌2日付でも、デモを「少数の人の政治的訴えを法律に優先させており、私利のために香港の民意を乗っ取るものだ」と非難しました。中国・全人代常務委員会が民主派を事実上排除するとした決定は「挑戦不可能な法律的な地位がある」と強調し、デモを「違法活動」として「香港警察による違法活動への法に基づく処置を断固支持する」と開き直っているそうです(いずれも産経Webから)。
 同じく産経Webによると、「過去の香港のデモは公園から政府庁舎まで集団で歩くケースが多く、周到に行われていた」のに対し、「今回は街頭占拠が何日も続く異例の事態。選挙制度に加え、香港政府や中国政府、さらに中国本土からやってくる観光客らの不作法な振る舞いへの不満などがないまぜとなり、混乱している」と伝えています。
 ロイターは、そんな大陸から来た観光客の声を拾っていて、興味深く読みました。北京から来たある女性(29歳)は「人生で初めて政治を身近に感じた」「これは香港にとって歴史的瞬間だ」と語り、デモの様子を映した写真を友人たちとシェアしインターネットにも投稿する予定と言いつつ、「最初はかなり怖かったが、今はデモを強く支持している。いつの日か、中国(本土)でもこうしたことが起きると信じている」と語ったそうです。四川省成都から来た20代半ばの女性は、天安門事件は幼かったため記憶にないし、中国では「愛国主義教育」により、若者の多くが天安門事件などの反政府デモについて限られた知識しか持っていないと言い、「こういった運動を目にするのは初めて。現場は非常に整然と統制が守られている。思っていたような混乱状態とは違う」と印象を口にしたそうです。そんな、私たち日本人にも希望を抱かせるような、極めて真っ当で冷静で素直な声が挙がる一方で、政府の洗脳教育にも素直な人もいるようで、広東省深センから買い物に来たという女性は、デモ隊が民主的選挙を求めるのは「本土に対して礼を欠く行為」だと非難し、「中国政府は香港に大きな発展をもたらしたにもかかわらず、彼らはそれを認めていない」と憤りを見せたそうです。
 ロイターは、最後に、本土育ちで現在は香港で慈善団体を運営している女性の、ちょっと諦め気味の冷めた声も伝えています。今回のデモが暴徒化した場合、中国政府が強硬な手段に訴える可能性があると警戒し、「共産党にはそれを実行する力がある。これまでも見てきたし、また繰り返されるだろう。もっと根の深い問題があり、それを正すには何世代もかかる。1つのデモでは解決しない」と語ったそうです。言論統制が厳しい中国で、戯画のような人民日報ばかり見せつけられて、さぞ硬直化しているだろうと思ったら、意外にもさまざまな言論があることが知れて、あらためて驚かされるとともに、今どきの中国の若者は政府の宣伝道具と化した新聞やテレビなどには見向きもしないでネットを見ているという、ある中国の広告代理店の営業の方の話を今さらのように思い出しました。
 オバマ大統領ばかりでなく、台湾の馬英九総統までも、自らの「ひまわり学生運動」を意識してか、香港の学生デモを支持するコメントを出したのに対し、中国政府は、内政問題だからつべこべ言われたくないと、いつもの調子で不快感を露わにしていますが、これだけ世界に広く報道されると、日頃からその言動を警戒の目で見られている上に、世界中から総スカンを食らった天安門事件の二の舞を今さら演じるわけにもいかず、さりとて大陸本土への波及を懸念すればこそ一歩も引くわけにも行かず、膠着状態と言うよりガマン比べが続きそうな様相です。学生や市民ら参加者の中には疲労の色が目立ち始めたとか、道路占拠による交通混乱など市民生活への影響が出始めて反発する市民がいるとかの報道や、連日数万人が参加するデモ隊は「リーダー不在の烏合の衆」(香港紙記者)とも言われるのを見ると、台湾の整然とした、しかしぴ~んと背筋の通った「ひまわり学生運動」と比べて、ひ弱さを感じないわけには行きません。あの台湾の学生運動の陰に「李登輝さんあり」との噂がありますが、まさにそんな隠然たるカリスマあってのことだったのだと、そして香港にもそんな存在が欲しいものだと、ただ見守るだけの私は、あらためて台湾と香港の違いに思いを馳せます。英国から中国に返還されて僅か17年、「一国二制度」と言われながら、私たちの期待とは裏腹に、専制主義者にからめとられるのはげに恐ろしきものだとも思います。果たして台湾の人の目にはどのように映っているのでしょうか。

追記)近年、中国本土から香港に移民が大量に流入し、物価の高騰、学校・病院などの不足などで、地元住民の生活に影響が出ているほか、香港での雇用機会も新移民に奪われているといった弊害が報じられてきましたので、学生デモに対して、商売にならないと反発している商店主は大陸からの移民かも知れません。そういった人は中国政府の息がかかっていないとは誰が断言できましょう。
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