風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

ブリヂストン美術館

2013-05-30 23:48:55 | たまに文学・歴史・芸術も
 「Paris、パリ、巴里 ─ 日本人が描く 1900–1945」と題する企画展を見ました。明治維新以降、西洋文化に憧れ、追いつき追い越すことを目標としていた日本人画家が、初めて大挙して訪れた5回目のパリ万博から第一次世界大戦までの時期(1900~1914)と、戦勝国となった日本が経済発展を背景にして、画家の渡仏を再開し飛躍的に増加した1920年代から第二次世界大戦までの両大戦間期(1918~1945)との二つの時期に分けた展示で、初めの内は、確かに西洋美術を学びとろうとする健気な姿勢やある種の意識の昂揚が前面に出ているのが感じられたのに対し、やがて、西洋美術を取り入れながらも新たな個性として昇華する、藤田嗣治や佐伯祐三のような伸びやかな筆が現れたのを感じ、時代の流れをうまく捉えた構成になっていることに感心しました。
 しかし、ブリヂストン美術館で驚かされたのは、象徴派をはじめとする常設展の方でした。コロー「森の中の若い女」、モネ「黄昏 ヴェネツィア」「睡蓮の池」、セザンヌ「サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール」、モディリアーニ「若い農夫」、ピカソ「女の顔」「腕を組んですわるサルタン・バンク」「ブルゴーニュのマール瓶、グラス、新聞紙」、マリー・ローランサン「二人の少女」など、中学生の頃、誰もが美術の教科書でお馴染みだった絵に、再び出会えてびっくりすることでしょう。あぁ、あれがこれか・・・と、常設展ながらその数と、数だけではない品質の高さに圧倒され、大原美術館の大原孫三郎に、自身がパトロンとしても援助していた洋画家・児島虎次郎がいたように、石橋正二郎にも余程の目利きがいたであろうことを想像させるほどの充実度です。
 僅か800円の入場料ですから、たとえ企画展に満足しなくても、常設展には満足すること請け合い・・・何かの機会に是非、訪れてみて下さい。今回の企画展は6月9日までです。
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韓国の自滅外交

2013-05-28 02:07:03 | 時事放談
 随分センセーショナルな表現ですが、もとより私が言ったものではありません。ご存じの方も多いと思いますが、ニューズウィーク5月28日版の真っ黒な背景の表紙に、朴大統領の、やや肩を落として元気なくトボトボ歩く姿とともに、でかでかと貼りつけられたタイトルをそのまま引用したものです。明らかに意図的な構成です。日本の日刊紙が、韓国大統領が訪米した際に議会演説したことを、韓国外交の勝利であるかのように、これ見よがしに報道したことへの、ささやかな対抗心の表れでしょうか。
 さて一つは、J.バークシャー・ミラーという、米戦略国際問題研究所太平洋フォーラム研究員が寄稿したもので、「日本外しを狙う韓国の誤算」と題し、「アメリカ依存から脱し、中国への接近と日本の孤立化を図る韓国の綱渡り政策はどこへ行く?」とのサブタイトルを付して、冒頭、いきなり、韓国大統領は、「5月7日の米・韓首脳会談で、日本政府は韓国植民地化の歴史を十分に認識し反省していないと非難した」ことを、「それは『あり得ない』展開だった」「なんとも思い切った、しかし子供じみた発言である」と断じています。もう一つは、ロバート・ケリー釜山大学準教授が寄稿した、「アメリカ頼みはもうやめて」と題し、「米軍のプレゼンスは地域内紛争を防ぐ一方で、無責任な愛国主義的外交を助長している」とサブタイトルを付したもので、米国が後ろ盾になることで、アジア諸国間の不和がいつまで経っても解決しない現状を皮肉るとともに、日韓は自分たちで見解の相違を解決するオトナになるべきだと批判しています。
 ミラー氏の寄稿を、もう少し仔細に見ます。韓国政府当局者は、「我々は本気で日本との包括的な協力関係を望んでいるのに、歴史と領土に関する問題でなかなか前に進めない」といったストーリーをしばしば口にし、歴史問題における日本の対応を非難するとともに、北朝鮮問題では、オバマ大統領が語る日・米・韓三ヶ国連携ではなく、中・米・韓三ヶ国協議にこだわり、北朝鮮への圧力を強化するという実質的な効果とともに、日本を足蹴にすることで自国民を喜ばせたいという意図も働いていると言います。そしてこれらの背景には、中・長期的に、日・米への依存度を徐々に低下させ、新興の中国に接近しやすい立ち位置を確保したいという本音が韓国側にあると見ています。しかし韓国の「日本外し」または「日本離れ」は、韓国が日本経済に如何に依存し、また密接に関係しているかを過小評価する一方、新たな地域秩序の構築において自らの力を過大評価していると、ミラー氏は批判的です。
 因みに、ミラー氏が所属する研究所は、ヘンリー・キッシンジャー氏のほか、知日派で、国防戦略の専門家であり共和党穏健派の重鎮として知られるリチャード・リー・アーミテージ氏や、カーター政権で国家安全保障問題担当大統領補佐官を務めたズビグネフ・ブレジンスキー氏を評議員として擁する、保守系シンクタンクとして有名です。私は双方に偏らない比較的冷静な見方だと思いますが、少なくともアメリカにはこうした保守的とはいえ公正な見方が一定数存在することは知っておいてよいと思います。
 先日、日経新聞社の韓国通・鈴置高史さんの講演を聴く機会がありました。実は鈴置さんも、「韓国は米国と中国の間で、綱渡りのような際どい外交に乗り出している」こと、そして韓国による反日は、日本憎しという直接的な理由ばかりでなく、例えば「北朝鮮から守って欲しいなら、米国が主導するミサイル防衛(MD)に、日本同様に参加しろ」といった米国の要求を、中国からは「MDに参加したら中国包囲網に加わったと見做す」と脅されるために、かわそうとして、方便として使っているとまで解説されています。今回の米・韓首脳会談でも、米国は、日・米・韓三ヶ国の軍事協力体制強化を狙って、あらためて日本との軍事情報包括保護協定(GSOMIA)締結を求めたと言われますが、もともとこの協定は、中国が自らへの包囲網として嫌っているため、昨年、韓国は、反日を口実に、ドタキャンし宙に浮いたままになっていたものでした。
 ミラー氏は、米・中二股をかける韓国の動きについて、「中国の台頭によって、韓国は米・中間で戦略的ジレンマに陥った。伝統的に韓国はアメリカの同盟国であり、米・韓同盟は韓国の安全保障と政治的・経済的成功の主要な要因だった。しかし中国の着実な成長と市場の拡大により、韓国は中国への経済的依存を高めている。従って韓国は米・韓同盟に支えられる安全保障と、中国との戦略的協力関係に基づく経済的繁栄を同時に維持しなければならないのだ」という、延世大学・韓碩煕教授の発言を引用して説明します。他方、鈴置氏は、保守派の論客だったはずの金大中氏(元大統領ではなく、朝鮮日報の論説顧問)が「アメリカ一辺倒の外交ではもはや限界」と言い始めている事実や、かつて親米派だった韓昇洙元首相も「韓国の中国への接近は、本来の姿に戻る過程」とまで言う現実に注目されます。「本来の姿」というのは、言うまでもなく1000年の長きにわたって韓国が中国の属国だった柵封体制を指すのでしょう。最近は、中国が米国の帝国主義を非難し、中国の柵封体制は良かったと主張するのに対して、韓国内で同調する人が出て来ているそうです。以前、ブログで「明清交代」という言葉に触れたことがあったと思います。これも鈴置さんからの請け売りですが、かつて朝鮮は、従順な宗属国として「明」に仕える一方、女真族のことは蛮族として見下したため、覇権を握った「後金(後の清)」から二度にわたって侵攻され、屈辱的な降伏を余儀なくされたという、「覇権国家の交代に際して変化を見誤り、国が存亡の危機に陥った」苦い過去のことを言います。米国の低迷と対照的に台頭する中国を前にして、日本よりも先に、中国の尻馬に乗ることを目指すべしとする声が高まっていると言われます。
 ことほどさように、東アジア情勢は流動的になって来ました。韓国の事大主義は伝統的なもので、大国の力に頼ることに何の後ろめたさを感じることはなく、日本を抑え込むのに、かつては米国を利用し、今後は中国を利用しようとするのでしょうか。韓国大統領は6月には中国を訪問します。中・韓首脳会談の中身が注目されます。
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スカイツリー満1歳に寄せて

2013-05-26 14:12:23 | ビジネスパーソンとして
 東京スカイツリーが、この22日で開業一周年を迎えました。昨年の夏休みに、街の構造物を写生する宿題が出たときに、中一の子供が選んだのは、懐かしの東京タワーで、子供の目にもスカイツリーは、そういう目で見た面白さには欠けるのでしょうか(それとも単に子供が、誰に似たのか、ひねくれているだけなのでしょうか)。そんな私も、昇らないどころか足元にも近付かない、遠い存在のスカイツリーに、この一年で展望台入場者638万人と言われても焦るような数字ではありませんが、スカイツリータウンの来場者総数5080万人(当初予想の1.6倍)と言われると、なんだか出遅れ感を覚えないわけではありません。これだけの集客力ですから、経済への波及効果は計り知れず、関西大大学院の宮本勝浩教授によると、東京スカイツリータウンへの観光客の買い物や宿泊代などで700億円、その周辺施設だけに来た観光客の消費総額3500億円、更に、これらの仕入れ先などの関連企業への経済循環1700億円、合計5900億円と弾きました(産経新聞)。日本人は金がありますから、そのはけ口さえあれば活性化するという好例でしょう。
 そんな私ですから、当日の日経・朝刊で、スカイツリー開業1年の見出しには、さしたる感慨が湧かないのですが、「高い技術力健在」「地元中小に脚光」と題する記事が、地元経済の頁に掲載され、地味ながらつい惹かれました。
 一つは、スカイツリー開業式のテープカットに使われたハサミを製作する会社(石宏製作所)です。20年以上にわたり手作業を続け、刃に独特のひねりを付け、軽い力でもよく切れるそうで、普段は手術などに使う医療用が主力ですが、長引く不況で受注が減少していたところ、「スカイツリーに使われた」ことが評判を呼び、最近は「式典で使いたい」という依頼が増えているほか、一般向けにもソラマチ内で販売しているそうです。
 二つ目は、スカイツリーの形状をバネで忠実に表現した片手を広げた位の高さのインテリア雑貨を作る会社(楓岡ばね工業)です。名刺やちょっとしたメモを挟めるようになっていて、たかがインテリア雑貨と言っても、下の方こそ三角錐状でも伸びた先はほぼ円柱形になっており、その形の変化を表現するのに、バネの弾力や寸法調整など試行錯誤を繰り返し、培ったノウハウを結集して、完成まで2年もかかったそうで、その甲斐あって、かつては油圧シリンダーや発電所のコイルなど産業向けの売上が8割を占めていましたが、今では雑貨の比率が4割まで高まったそうです。新たな分野に挑戦することで新たなノウハウを身につけ、飛躍した(と言うと大袈裟ですがご褒美を貰った)好例ですね。
 三つ目は、地上と展望台を行き来するエレベーター内に装飾されたアートパネルの一つ、「都鳥の空」の真鍮製の鳥を作った会社(東日本金属)です。銀メッキを施し、薬品で黒く燻した後に銀色を磨き出したもので、鋳物を作る際の材料や温度管理などに神経を研ぎ澄ました逸品だそうです。
 日本経済は、財閥が強いだけの韓国経済と違って、こうした技術力をもつ町工場の厚みにこそ強みがあると思いますので、スカイツリー効果であろうが、何をキッカケにするにしても、脚光を浴びて、あらためてその技術力が見直されるのは良いことだと思います。どんどん日の目を見させてあげたい。日本には、知られていないだけで、キラリと光る会社は一杯あるのでしょうね。技術好き日本人の面目です。
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ルパン・ファミリーは永遠に

2013-05-23 02:16:34 | スポーツ・芸能好き
 アニメ「ルパン三世」の銭形警部役で知られる声優の納谷悟朗さん(享年83)の「お別れの会」が、昨21日、恵比寿で行われたそうです。
 今年3月に慢性呼吸不全で亡くなられて、かつて「ルパン三世」の放映を毎週楽しみにしていた私たちも含めて、皆、年を重ねた現実を、あらためて突きつけられたものでした。“初代”ルパンの山田康雄さん(享年62)が亡くなられたのは、かれこれ18年前の1995年3月のこと。後を継いだ栗田貫一さんは55歳と、当然、まだ若いですが、石川五ェ門役の井上真樹夫さんは74歳、二代目・峰不二子役の増山江威子さんは77歳、次元大介役の小林清志さんに至っては80歳です(以下、いちいちまどろっこしいので、勝手ながら呼び捨てにさせて頂きます)。
 それはともかく、Wikipediaの納谷悟朗の項には、初代「ルパン三世」役だった山田康雄が急逝した際、葬儀で弔辞を読んだのは納谷悟朗で、山田康雄の遺影に向かって、銭形警部がルパン三世に怒鳴るような口調で「おい、ルパン。これから俺は誰を追い続ければいいんだ」「お前が死んだら俺は誰を追いかけりゃいいんだ」と涙ながらに呼びかけたエピソードが紹介されています。そして昨日のお別れの会では、栗田貫一がルパンの声で「とっつぁん、さみしいね。ずっと追いかけてもらいたかったぜ」と納谷悟朗を偲んだそうです。泣かせるエピソードです。
 「ルパン三世」の存在を知ったのは、小学5~6年の頃、担任の先生が授業中の雑談で「面白い」と夢中で話したのが最初で、大の大人が・・・と不思議に心にひっかかりました。私自身は、その後しばらくして、TV番組より先にコミックで知って、衝撃を受けました。日本人が描くマンガとは思えないような軽妙洒脱なタッチに加えて、「粋でイナセな」という帯コピー通りのルパンのキャラクター造成と、漫画にも係らず子供だましではない洒落た大人のストーリー展開に、更に、TVアニメでは、世界を股にかけるという舞台設定に、世界への夢を掻き立てられ、一気に夢中になりました。
 再びWikipediaからエピソードを拾います。
 納谷悟朗は、様々なジャンルの作品に声を当て、出演作は100本以上にのぼるそうですが、その内の一つにジョン・ウェインがあり、山田康雄、小林清志、大塚周夫、野沢那智らと共に、テレビ洋画劇場におけるマカロニ・ウェスタンの放映を支えたそうです。西部劇での繋がりがあり、いずれも、まさに西部劇らしい、熱さを秘めつつ熱さを抑えたクールな雰囲気を感じさせるわけですね。
 ルパン三世のキャラクター・デザインは「リオの男」のジャン=ポール・ベルモンドをモデルにしており、その吹き替えを山田康雄が担当していたのは、ただの偶然だったのでしょうか。別の項によると山田康雄と「ルパン三世」の出会いは劇的です。ある舞台での役作りに悪戦苦闘していた山田康雄に、知り合いのスタッフが「参考になるから」と手渡したのが「漫画アクション」から切り取った「ルパン三世」で、「漫画でアドバイスはないだろう」と思いつつも、読み始めるやたちまち夢中になり、毎週「漫画アクション」を買っては、作中のルパンの「エッセンス」を自らの役に盛り込んでいったのだそうです。そして舞台本番で、「ルパン三世」(TV第1シリーズ)パイロットフィルムでのルパン役がスケジュールの都合で本編に出演できず、代わりの声優を探していた演出担当氏の前に、彼がイメージしていたルパン像にピッタリの山田康雄の演技が飛び込んで来た、というわけです。演出担当氏は「ルパンがここにいると思った」と、後に語っています。演出担当氏の誘いに、山田康雄が二つ返事で応じたのは言うまでもありません。
 次元大介のイメージは、原作者モンキー・パンチによると、「荒野の七人」のジェームズ・コバーンだそうで、その吹替えを持ち役としていたのが小林清志だったという縁だそうです。小林本人の弁によると、次元大介の声は完全に地声であり、今まで演じてきた役の中で、最も無理をせずに自分にとって楽なトーンで喋れる役だそうで、次元大介は自分の集大成であり、自分と一体化した存在であるとも語っているそうです。なるほど、はまり役だったわけですね。
 石川五ェ門と井上真樹夫を繋ぐエピソードはとりたてて見当たりません。が、「声優である以前に俳優である」という姿勢とポリシーを貫く井上真樹夫は、声優という呼ばれ方を余り好ましく思っておらず、役を演じる際にはキャラクターとの関係と役者との関係も同じようにするという拘りを見せており、「巨人の星」で花形を演じた際にはライバル関係である星飛雄馬役の古谷徹と意図的に親しく接しないでいたくらい(収録が終わってから、それは演技に集中するためだったと古谷に明かして謝ったらしい)ですから、山田康雄や小林清志とも、普段からクールに仲良くやっていたことでしょう。
 峰不二子と増山江威子を繋ぐエピソードもとりたてて見当たりません。ただ、「キャラクターのイメージを壊す」という理由で顔出しをあまり好まなかった増山江威子は、顔出しを拒否するような発言もあり、声優の声がキャラクターのものとなってしまう「現実」と、役作りを大事にしている姿勢が窺えます。
 ルパン・ファミリーの、これら初代とも言うべき声優さんたちは、こうして見ると、かけがえのないメンバーだったと思います。2011年12月のテレビスペシャル「ルパン三世 血の刻印〜永遠のMermaid〜」では、石川五ェ門(浪川大輔)、峰不二子(沢城みゆき)、銭形警部(山寺宏一)の三人で、声優がついに変わりました。しかし私にとってのルパン・ファミリーは、これら初代の人たちをおいて他には考えられません。ただ時代の移り変わりを感じるだけです。
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橋下発言の波紋

2013-05-21 02:18:24 | 時事放談
 それにしても、「またか・・・」という印象でした。橋下さんの失言癖・放言癖は今に始まったことではありませんので驚きません。時にTPOを弁えないことを抜きにすれば、言っていることの大筋は間違っていないと思っています。むしろ彼の歯に衣着せぬところは、「言わずもがな」の日本にあっては異質で、判で押したような政治家発言が目に余る日本の政界にあっては、こんな人もいたら面白くて良いと、暖かく見守って来ました。では何が問題かと言いますと・・・。
 日本のマスコミの多くが、手厳しく批判されてきた橋下さんに対して風当たりが強く、善意で文脈を理解しようとするよりも、言葉尻を捉えてセンセーショナルに書きたて、人権に敏感な欧米メディアも素直に反応したところまでは、想定通りです。そもそも、今回の発言は、歴史認識に関して、安倍さんが腰砕けになったところに遠因があるように思います。案の定、安倍さんをはじめ政治家は、橋下さんの歴史認識についての問題提起には目をつぶり、品格問題にすり替え、中・韓だけでなく米国までも露骨に不満を示した事態に、橋下さんというトカゲの尻尾切りを図ることで早々に逃げの姿勢を見せました。相変わらずの事勿れ主義には辟易します。こうして、歴史認識の議論は、また一つタブーの熨斗が付けられ、政治家やマスコミによって封殺され、自主規制するに如くはないという経験だけが積み重ねられてしまったように感じます。「またか・・・」の真意は、そういった苦々しさにあります。
 今回の件で、久しぶりに社説を読み比べてみました。
 「公人としての見識と品位が問われる発言」(読売・社説)、「判断力は政治家の重要な資質の一つである。何をいつどこで語るかが日々問われる存在だ。・・・その自覚に欠けていないか」(日経・社説)と追及されても仕方ない状況でした。
 そんな中、橋下さんの発言の意を汲みとり、辛うじて歴史認識の見直しにまで言及したのは、予想通り産経新聞と読売新聞だけでした。「慰安婦問題に関する1993年の河野官房長官談話には、資料的な根拠もないまま、日本の官憲が組織的、強制的に女性を慰安婦にしたかのような記述がある。そうした誤解を招くような記述は、事実を踏まえた見直しが必要だ」(読売・社説)、「河野談話の発表にあたっては、二百数十点に及ぶ公式文書には旧日本軍や官憲が慰安婦を強制連行したことを裏付ける資料は一点もなかった」(産経・社説)と言い、同時に「裏付けなく発表された談話が、韓国などの反日宣伝を許す要因となっている状況を安倍政権は見直そうとしている。いわれなき批判を払拭すべきだという点は妥当としても、橋下氏の発言が見直しの努力を否定しかねない」(産経・社説)と指摘したころは、否定し得ないところです。しかし「騒ぎがさらに大きくなれば安倍晋三首相の『侵略の定義は定まっていない』などの発言も一体として扱われかねない。米国内の知日派は『日本異質論を誘発する』と懸念する。このままでは日本の国益を損なうおそれがある」(日経・社説)とするのは、分からなくはありませんが、経団連を代表する日経らしい配慮で、配慮し過ぎではないか。
 他方、朝日新聞の見方は予想通り対照的でした。「いま日本が慰安婦問題で批判されているのは・・・(注略)・・・慰安所の設置や管理に軍の関与を認め、『おわびと反省』を表明した河野談話を何とか見直したいという国会議員の言動がいつまでも続くからだ。戦場での『性』には、きれいごとで割り切れない部分があるのも確かだ。だからこそ当時の状況は詳しくわからないし、文書の証拠も残されていない。それでも、多くの女性が自由を奪われ、尊厳を踏みにじられたことは、元慰安婦たちの数々の証言から否定しようがない」(朝日・社説)。朝日新聞が火を点けた問題であることは、以前、書いた通りで、ここでは触れません。
 橋下さんの発言の中で、明らかに誤認している部分もあります。安倍さんが橋下氏の発言を「全く違う」と国会答弁したことに関し「日韓基本条約に基づき、法的に解決済みと言っていることの方が元慰安婦を傷つけている」と批判したところです。地方の首長として、国の対応を理解していないのは仕方ないにしても、主観に基づく軽はずみな発言は控えるべきでしょう。ただ、橋下さんの意図するところ、従軍慰安婦の問題について、日本だけを特別に非難するのがアンフェアだという点を、フェアを重んじる国・アメリカをはじめ、世界に向かって主張する点にあるところは理解できます。慰安婦問題については、国連人権委が1996年に採択した調査報告書で、慰安婦を「軍の性奴隷(sex slave)」と認定し、98年の同委小委員会の報告書では、慰安所を「レイプセンター」などと位置づけました。韓国による政治工作の勝利であり、日本人として素直に反省する方も多いと思いますが、橋下さんのように、何故、日本だけが・・・と悔しさに歯ぎしりする人も多いと思います。
 橋下さんの見上げたところは、誤解を招いたところは素直に謝罪しながら、それでも持論は曲げないところです。報道によると、27日に東京で外国特派員協会に対して問題提起し、6月には米国視察で、大阪市と姉妹都市のサンフランシスコなどを訪れ、持論を展開するようです。「(周囲から)『行くのを控えた方がいい』という意見が出たが、米国はそんなに懐が狭い国ではない。批判を受けるかもしれないが、自分の考え方を伝える」と本人は頑張っていますが、脛に傷をもつ諸外国でも、そうであればこそ、そう簡単に乗って来ないでしょう。この問題ばかりは、応援したい気持ちはやまやまですが、オープンな議論には馴染まなくて、韓国がやったように、政治工作で対抗すべきだと思うのですが、さて、どうなりますことやら。くれぐれも無理しませんように。
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アカシア

2013-05-16 23:04:38 | グルメとして
 連休中、息子と損保ジャパン東郷青児美術館を訪れて、そのまま新宿の街で昼食をとることにして、ぶらぶらしている内に、たまたま近くに寄ったばかりに、ふと思い出して、その昔、学生時代から東京で暮らす友人に連れられて何度か通ったことがある「アカシア」に入りました。アルタの裏手、靖国通りに向かう細い路地を入ったところに、今も店を構えます。
 創業1963年と言いますから、実に満50歳を迎える、ロールキャベツ・シチューの店として知られますが、自家製のハム・ソーセージや、ハヤシソースや、極辛カレーなど、オリジナリティ溢れる料理もあります。お店が開業した当時は、さぞぴちぴちで若かったろうと思わせる、おばあちゃん(なんて言ったら失礼ですね、お姐さん)ウェイトレスが、ベルトコンベアの上に載せた機械を手際よく捌くかのように、手慣れた仕草で出迎えてくれます。定番のロールキャベツ・シチュー(ライス付き)定食は、クリームスープにとろとろに煮込んだロールキャベツが2つ入って780円、ほっぺたが落ちるほど美味しい♪と思ったことは実は一度もなくて、むしろ関西人の私には(関西人ではなくても)毎度しょっぱいと感じて、選んだことを後悔するのですが、これがあの・・・と思い込ませる知名度をもつ素朴な味付けと、昭和の雰囲気を醸し出すレトロな店構えに、何故か惹かれて足を運んでしまう、不思議なお店です。
 かつて知人に教えられて、20年振りくらいで訪れたように、息子も、父親に教えられたことを思い出して、何年かしてまた訪れるのでしょうか。恐らくそんな静かなファンに守られているのでしょう、店はこの日も満席でした。
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クラーク・コレクション

2013-05-14 23:41:43 | たまに文学・歴史・芸術も
 連休中、三菱一号館美術館で開催中の「クラーク・コレクション展」を、また損保ジャパン東郷青児美術館で開催中の「オディロン・ルドン展」を見ました。
 「クラーク・コレクション」は、シンガー・ミシンの共同創業者の孫であるロバート・スターリング・クラーク氏が、相続した莫大な遺産を元手に、パリのコメディ・フランセーズの女優だった妻フランシーヌさんとともに、欧米で収集したコレクションで、印象派を中心に500点を越えるそうです。この美術館は、ニューヨークやボストンから車で三時間、マサチューセッツ州の西の果て、州境にあるWilliamstownという小さな街にある・・・と聞いて、大いに心を動かされました。ボストンに駐在していた15年ほど前、車で2時間以上かけて、紅葉見物に訪れたことがあったからです。しかし美術館の存在には気が付きませんでした。インターネットが今ほど普及しておらず、カーナビなどという便利な機械もなく、地図を片手に、うろうろ迷いながら目的地を目指していた時代です。人影もない公園で、3歳の子供を遊ばせた長閑な写真が僅かに手元に残るだけです。
 閑話休題。スターリング・クラーク氏がパリにわたったのは1910年、間もなくフランシーヌさんと出会い、16区に構えたアパルトマンを飾るため、絵画の収集を開始したのが1911年、と言いますから、ルノワールが亡くなる8年前、モネが亡くなる15年前で、主だった印象派の画家たちの一部はまだ存命の頃のことです。勿論、彼ら夫妻の審美眼によるものですが、今ほど注目されていなかったであろう幸運な時代に買い漁ることが出来た、30点以上に及ぶルノワールのコレクションの内の22点をはじめ、コロー、ミレー、マネ、ピサロ、モネ、ロートレック、ボナール等、61作品が、ここ三菱一号館美術館に展示されており、個人のコレクションとしての充実度には目を見張り、壮観ですらあります。
 あらためて印象派絵画の明るく柔らかな色調は、見ていて心が和みます。多くの日本人に愛されてきた所以です。当時の大国・フランスの首都パリには恐らく多くの金と人が惹きつけられたことでしょう、互いに啓発し合いながら、やがて印象派という一大ムーブメントを起こします。写実主義から抽象主義への変化の、初期段階と考えられていますが、印象派の発展には、いくつかの出来事が影響していそうです。一つは1827年に発明された写真で、かつての肖像画は正確に描かれるのが重要だったため、写真に置き換えられていくわけですが、印象派の肖像画は正確さよりイメージが優先されており、いわば広角レンズで撮影されたシャープでありながら平板な写真ではなく、望遠レンズを使って引き付けて撮影されたソフト・フォーカスのポートレート写真の如く、ピントを合わせたかのように狭い範囲が丁寧に描き込まれている(それ以外はぞんざいな描き方になっている)のが分かります。もう一つの出来事はジャポニズムとの出会い、すなわち1867年と78年にパリで開催された万国博覧会で広く紹介された日本画の空間表現や浮世絵の鮮やかな色彩感覚で、日本に残っている浮世絵の多くは、長らく注目されてこなかったせいか保存状態が悪く色褪せてしまっていますが、欧米で大切にされてきた浮世絵コレクションは今もなお色鮮やかなものが多く、当時の感動の一端を伝えます。
 素朴で、光に溢れた柔らかな印象派に比べると、損保ジャパン東郷青児美術館のオディロン・ルドンは、幻想的で影が多く、刺々しいのが心を逆撫でます。面白いことに、ルノワール(1841~1919年)とオディロン・ルドン(1840~1916年)の生きた時代はぴったり重なるのですが、画風の対照的なことといったらありません。いい加減、気が重くなって、最後に損保ジャパン美術館が所蔵する自慢のゴッホ「ひまわり」とセザンヌ「りんごとナプキン」とゴーギャン「アリスカンの並木路、アルル」と東郷青児「望郷」が出迎えてくれて、ほっとしたのが正直なところでした。決して「ひまわり」も「りんごとナプキン」も「アリスカンの並木路、アルル」も「望郷」も、私の好みとは言えないのですが。
 「クラーク・コレクション展」は今月26日まで、「オディロン・ルドン展」は来月23日まで開催されています。
 上の写真は、三菱一号館美術館の中庭です。印象派の画家はどう見ただろうかと思うような、緑が萌える長閑な一日でした。
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歴史戦争(Ⅴ・終)

2013-05-12 21:58:10 | 時事放談
 連休はとうに明けましたが、連休中の余興として書き溜めていたものを、とりあえず吐き出しておきたいと思います。
 前回は、この歴史認識の問題が、中・韓をはじめとする東アジアに特殊なものであるとともに、欧米諸国もその尻馬に乗ることについて、歴史的な経緯を辿り、現代においては、もはやこれが一種の心理戦であり宣伝戦であることに触れました。先日、韓国大統領がアメリカの国会で演説した背後にも、韓国人コミュニティあるいは端的にロビィストの存在が囁かれます。一体、中・韓は、何故ここまで歴史に拘るのか。中・韓からは、「主権・領土の相互尊重、相互不可侵、相互内政不干渉が記述されているのが特徴」(Wikipedia)の日中平和友好条約や、「日韓併合条約などの過去に朝鮮・大韓帝国との間で結んだ条約の全てを無効」にし「日本の援助に加えて、両国間の財産、請求権一切の完全かつ最終的な解決、それらに基づく関係正常化などの取り決めを行った」(いずれもWikipedia)とされる日韓基本条約が締結されているような「友好国」に対する発言とは信じられないほど、罵詈雑言の如き激烈で非礼な発言が飛び出します。かつてのサヨクのアジ演説を聴いているかのように・・・。
 先日、トポス会議なるものが開催され、ファン・ジン(黄靖)シンガポール大学リー・クアンユー公共政策大学院教授が、日本だけがまだ戦争が終わっていない・・・といったような指摘をされたそうです。どのような文脈でどのような含意があったのか詳細は不明ですが、日・中・韓を取り巻く環境を見ていると、なるほど言い得て妙と思いたくなります。また、冷戦終結の頃に、中国では改革開放が、韓国では民主化が始まり、国力が増進するとともに、冷戦構造というタガが外れた自由陣営内で民族感情が噴出したものと形容する人もいます。なるほどハンチントン教授の言う文明の衝突の位相の中に位置づけることが出来るかも知れません。
 ここで注目すべきは、東アジアの特殊性とも言うべき秩序の二面性(または二重構造)、すなわち、欧米諸国との間においては(さらにはグローバルには)相互に対等の独立した近代法治国家であるかのように振舞う近代的側面と、そうやって纏っている衣装を剥ぎ取った下に現れるのは、二千年来、北東・東南アジア内で変わることなく皮膚感覚として息づく、中国を頂点とする「華夷秩序」という古代的側面との二面性(または二重構造)です。前者については、中世を経て、啓蒙思想の末の革命や、資本主義の勃興の末の世界規模の戦争を経て、西欧諸国がリードしてきた近代の歴史そのものです。国際社会で共存する以上は守らなければならない秩序感覚で、中・韓は遅れて登場し、今なお発展途上にあるという負い目があります。後者については、例えば中国が三年前の尖閣問題で見せたレアアース禁輸や輸入手続き怠慢などのWTO違反や、官製デモと言われる反日暴動の許容など、法に従わない露骨な行動に繋がる秩序感覚であり、領有権を主張するときの論拠も、大陸棚延伸という、近代海洋法とは相容れない中国独自のロジックに過ぎません。世界第二の経済大国となった今も一人当たりGDPでは日本の十分の一に過ぎない発展途上国であり、軍拡を背景に海洋権益を主張する強面(こわもて)の内側では所得格差や汚職など統治上の問題を抱え、国の基盤は盤石とは程遠い、そのせいかどうか、歴史的に圧倒的な大国であり宗主国であった中国の意識は、ある時から一種のコンプレックスとして「日本はいつも中国を見下している」という被害者意識に囚われ、日中関係は「回復するもの」ではなく「逆転させるもの」、つまり日本を弟分として従えるものという意識が根強いと説明する人もいます。韓国の意識も、長男・中国のことは立てても、三男・日本には譲れないという、「事大主義」そのままです。こうした環境にあって、日本としては、中・韓との争いを、飽くまで自由と民主主義と法の支配という価値を奉じる近代民主主義国家として解決していくことを世界に向かって訴える、いわば宣伝戦で対抗して行くしかありません。同じ領有権問題を抱える東南アジア諸国とも連携するのがいいでしょう。
 こうした秩序感覚は、しかし日本をも縛ります。「日本だけが戦争が終わっていない」という、日本を巡る東アジア地域の特殊な事象の淵源には、日本内部の問題があります。言葉通りに、そもそも日本として先の戦争を総括できていないという足元の問題に行きつきます。これまでも、時の政権によって、戦後の日本の在り方を根本的に問う動きは、ないわけではありませんでした。
 例えば、中曽根さんが第71代内閣総理大臣に就任したのは1982年11月、終戦後37年、今から既に30年前のことでした。「戦後政治の総決算」と言って、折しもレーガン大統領や先日亡くなったサッチャー首相の新自由主義的な政策に呼応するような経済政策(規制緩和、「民間活力の活用」と称する国鉄など3公社の民営化など)を進めるとともに、レーガン大統領との会談で「日米両国は運命共同体」との認識を示し、ソ連の侵攻がある場合は日本列島を「浮沈空母」にし太平洋に通じる3海峡を封鎖するといった勇ましい発言をし、アメリカ主導による西側の軍事力強化を側面支援したほか、戦後の首相として初めて靖国神社を公式参拝するなど復古的な思想を実行に移したものでしたが、当時、子供心にも違和感を禁じ得ず、どうもまだ国民の側で機が熟さず、一代限りで徹底することはありませんでした。ほぼ20年の失われた時間を経て登場した第一次安倍内閣(2006年9月からの約一年)は、「美しい国づくり」と「戦後レジームからの脱却」をスローガンに、教育基本法改正や防衛庁の省昇格、国民投票法などを実現しましたが、不祥事が続出し、安倍総理の体調悪化とも相俟って、志半ばで挫折しました。第二次内閣はその仕上げを目指します。憲法改正問題はその最たるもので、大いに国民的な議論を行うべきでしょう。
 しかし、国内を纏めることには多大の困難が伴います。日・中・韓の国際環境の確執が、そのまま日本国内にも存在するからです。たとえば、宮沢談話や、河野談話や、村山談話は、中国に言わせれば、中国に対して直接謝ったわけではないと距離を置きますが、確かに中・韓との関係を根本的に改善するものではないにせよ、時の政府の(そしてそれに反対しない限りその後の政府の)認識と姿勢を示すものとして、中国からも注目されてきました。今また、第二次安倍内閣が、新たな認識を示すのではないかといったコップの中の争いを仕掛けるのか仕掛けないのかという状況を、既に中・韓は警戒しています。ことほど左様に国内問題は国際問題に直結し、中・韓との国際問題は、国内に今なお根強い進歩的知識人や同じ傾向のマスコミや市民運動家や、更には少数とは言え心理戦・宣伝戦に長けた在日の方々(これには外交官として駐在し、また研究者などで留学している方も含みます)と呼応し、国内に持ち込まれます。この問題の厄介なところは、数の多い少ないではなく、声の大きい小さいによって、何が大勢なのかが見えにくくなる点にあります。
 戦後68年にもなろうとして、今なお国内において日本が先の戦争を総括できていない事情は、鶏が先か卵が先か、いずれにしても東アジアという国外の特殊事情を反映しているわけです。だからこそ、東日本大震災における原発問題のように、保守・革新の争点となるような問題は、おしなべて総括できません。しかし、冷戦崩壊後、失われた20年で低迷する日本は、新たに新興国の台頭などの挑戦を受け、更に危機に瀕している難しい時代に、国としての在り様が問われています。そんな中、極東軍事裁判で、唯一、日本を擁護したインドのパール判事の言葉を、もう一度吟味する必要がありあます。「罪の意識を背負わされたままの民族に明日はない。」
 連休中、いろいろ調べてみると、犬猿の中だったドイツとフランスの間で、2006年、歴史学者たちが共同で執筆した歴史教科書が発行されたそうです。これだけ聞くと、どれほど歩み寄ったのかと、興味深いですが、実は1945年以降の歴史を扱うもので、第一次世界大戦をどちらの国が仕掛けたのかといったような歴史的な対立は棚上げにされました。また、歴史家たちは、お互いの歴史教科書の内容が偏っていないか、感情的になっていないかどうかを分析し、文部省や教科書出版社に対して、勧告を行ってきたと言いますが、結局、双方の歴史認識を見開きで併記する形で、最も妥協できる領域に絞りつつ、一つの歴史認識に到達したわけでもありませんでした。そうは言っても、その在り方は、東アジアにおいても大いに参考になるでしょう。
 すなわち、日本としては、先ずは日本自身が先の戦争を総括し、戦後の、ひいてはこれからの国の在り様の戦略を描かなければなりません。そして、明らかに外交カードにされてしまった歴史認識の問題を、無力化していく必要があります。東アジアという特殊な地域で、ドイツとフランスのように、国家の枠を超えた何らかの妥協や連携が可能になる日まで、そうした努力を続けつつ、飽くまで思想戦、心理戦、宣伝戦として粘り強く展開し続ける必要があるのでしょう。
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歴史戦争(Ⅳ)

2013-05-07 01:58:38 | 時事放談
 連休の余興のついでに、歴史認識の問題を、もう少し広げて考えてみます。
 そもそもこのテーマは、歴史認識なるものが、中・韓という近隣諸国(飽くまで中国・韓国・北朝鮮の三国だけですが)との間で、外交問題や政治問題化することの不思議さにあります。過去に確執があった英・仏、あるいは独・仏などの間で、歴史認識が政治問題化するような事例があったか・・・聞くまでもないのでしょう。レトリックとして、お前の歴史認識はオカシイ、程度の応酬はあったかも知れませんが、真剣に相手国政府に抗議するような事態、更には従軍慰安婦像を、よりによって相手国の大使館前に建立することを政府が黙認したり、アメリカという第三国で非難決議(今年1月下旬のニューヨーク州上院に続いて、3月下旬のニュージャージー州下院で非難決議が採択されました)するように仕向けるようなロビー活動を行う事態には、至りようがなかったのではないか。
 戦争は政治的交渉の延長だとクラウゼヴィッツが喝破したような文脈の国際関係にあっては、安倍さんが指摘されたように、侵略という言葉自体に絶対的な意味はなく、侵略をうけた側が相手を侵略的と呼ぶことはあっても、相対的な国際秩序の文脈においては、所詮は内向きの論理でしかなかったと思われます。歴史認識などせいぜい戦争の口実にしかならなくて、何が(あるいは誰が)正しいというわけではなく、当事国にとっては、いずれもが常に正義なわけです。今も基本的にはそうだと思いますが、第一次世界大戦が総力戦として甚大な被害をもたらしてから、やや風向きが変わり始めます。国際連盟が設立され、不戦について語られるようになり、国家が唯一絶対の構成要素だった世界で、人道主義などの普遍的な価値が多国間で共有されるようになりました。第二次世界大戦では、全体主義に対してリベラルな民主主義を守るための戦争というスローガンを掲げてアメリカが参戦するなど、民主主義国であるが故に、国益に直接的に合致しない場合でも普遍的価値を掲げて(それがひいては国益に叶うことを前提に)戦う状況が生まれたのでした。ついには、ナチス・ドイツの残虐性を裁くために「平和に対する罪」が持ち出され、勝った側が負けた側を一方的に道義的に裁くなど、それまで国家がなす行為は全て正義だという状況が、例外的な状況とは言え部分的に修正されることになったのでした。それでもドイツ人は、ナチスの犯罪に時効を認めず、ナチスの責に帰して、それを追及することをドイツ人の責にして、救われています。同じように、日本人は、戦時中もそれなりに国会が機能していたが故に、極東軍事裁判やGHQの(憲法だけでなない)歴史認識の強制によって、暴走する軍部、その象徴としての東条英機をはじめとするA級戦犯を、ナチスに擬するしかありませんでした。二度の原爆や絨緞爆撃による民間人の大量殺戮という戦争犯罪は裁かれることなく、その被害者となりながら、また、日ソ不可侵条約を一方的に破棄されて(破棄されてもいいのですが一年を待たずして即、攻め込まれ)60万人ものシベリア抑留を強いられた上、北方領土を占拠され続けながら、そして、沖縄にあっては米軍が駐留し続けるという半ば占領状態、さらに言うなら、アメリカが占拠しているのは、沖縄をはじめとする地上の基地だけではなく、横田基地を中心にした巨大な管制空域(東京、神奈川、埼玉、群馬、栃木、新潟、山梨、長野、静岡の1都8県に及ぶ広大なもの)もそうで、羽田や成田を離着陸する民間航空機は、この米軍管制空域を避けるため、西日本や北陸方面に飛ぶ場合、急上昇・急降下及び迂回を余儀なくされているにも係らず、です。確かに日本の軍部は客観的に見れば自衛のためとは言え侵略的な行為をアジア・太平洋の広域において展開しました。しかし武士道が生きているものだと信じてきた日本人は、道義性を問われて、あらためて戸惑うわけです。そこに、戦後、私を含む日本人の分裂症的な精神状況が始まったように思います。
 この背景に、ドイツは同じ西洋キリスト教文明圏に属しているのに対し、日本は東洋の仏教と神道の国として(ハンチントン教授は、日本一国で一文明圏を主張されました)正当に理解されず不当に貶められたと解説する人がいますが、それは残念ながら否定し得ない事実と思います。そして、アメリカをはじめとする西洋諸国には、地域の安定のためという名目のもとに、あるいは日本の台頭をその精神面から抑えつけるために、GHQが押し付けた自虐史観を、従い中・韓の主張をよしとする一種の不作為を、今もなお感じます。
 米紙ワシントン・ポスト(電子版)は、4月26日、安倍総理が「侵略の定義は国際的にも定まっていない」と述べたことについて、歴史を直視していないと強く批判する社説を掲載し、これまでの経済政策などの成果も台無しにしかねないと懸念を示したそうです(産経新聞)。社説は、日本が韓国や中国を侵略したのは疑いのない事実だと指摘し、中韓が内政上の動機から反日感情をあおることがあるとしても、「安倍氏が陥った自己破壊的な(歴史の)修正主義を正当化する理由にはならない」とした(同)そうです。これに続き、英紙フィナンシャル・タイムズも、29日、安倍総理による靖国神社への供物奉納や歴史を巡る発言に対し「高い支持率を受け、本性を覗かせた」と社説で批判し、経済政策に集中すべきだと苦言を呈したそうです(同)。社説は安倍政権の経済政策を「経済再生に向けた近年で最も大胆な試み」と評価すると同時に、靖国問題では「戦没者を悼みたいとの願いは不合理ではない」としつつも「天皇崇拝の国粋主義的カルトと分かち難く結び付いた靖国神社は間違った場所だ」と断言し、「首相は右派からの支持を生かして、宗教色のない慰霊施設の設立を目指すべきだ」と踏み込み、他国を刺激する言動を控えるよう求めた(同)そうです。
 さらに、米紙ニューヨーク・タイムズは、遡ること1月3日付の社説で、「歴史を否定する新たな試み」と題し、旧日本軍による慰安婦募集の強制性を認めた「河野談話」に関して、有識者による再検討の必要性に言及した安倍晋三首相を「重大な過ち」と強く批判したそうです(産経新聞)。社説は、12月31日付産経新聞1面などに掲載された安倍首相へのインタビュー記事を引用し、安倍首相について、「右翼の民族主義者」と決めつけ、「朝鮮などの女性を強姦、性奴隷にし、第2次世界大戦で侵略したことへの謝罪の見直しを示唆した」と非難し、また、「戦争犯罪を否定し、謝罪のトーンを弱めるどのような試みも、韓国や中国、フィリピンなど、戦時中の日本の野蛮な行為で苦痛を受けた国々を激怒させるだろう」と解説し、最後に、「安倍首相の恥ずべき衝動は北朝鮮の核開発など地域の重要な協力態勢を脅かす恐れがある。こうした修正主義は、日本にとって恥ずべき愚かなことだ」と決めつけました(同)。マイケル・グリーン氏は、ニューヨーク・タイムズなど一部米メディアによる「安倍叩き」について、「安倍氏を危険な右翼だと憎む朝日新聞や一部日刊紙の見立てを輸入したものだ」との見解を示しているそうで、知日派らしい鋭いコメントだと思います。事実として、争いの始まりはいつも獅子身中の虫ならぬ国内の進歩派知識人やメディアなのですが、鶏と卵の議論と同じで、彼ら自身も中・韓に操られているのか、あるいはそうでなければ今の共産党政権の中に偉大なる中国四千年の歴史が生きていると今もなお素直に信じるお人好しなのでしょう。ニューヨーク・タイムズ(だけでなく、ワシントン・ポストやフィナンシャル・タイムズもその疑いがあります)もここまで来れば、単に日本の、ひいては中・韓の反日報道を引用しているのではなく、中・韓が裏で糸を引いているのではないかと疑われます。そして、メディアは必ずしも金が全てではなく、そこに何がしかの大義を認めるからこそ、このような報道や主張をするのでしょう。
 歴史認識の問題は、ことほど左様に中・韓だけでなく西洋諸国を巻き込んだ、「思想戦、心理戦、宣伝戦の中核」(堤堯氏)でもあるわけです。
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歴史戦争(Ⅲ)

2013-05-06 09:50:57 | 時事放談
 このテーマにいつまでも拘っても全く詮無いことですが、なんとなく言い足りない気がしますので、連休中の余興として、もう少し続けます。
 私は、歴史認識を、自由で公正な目で捉えた歴史的事実を積み重ねた末に到達する、歴史の流れについてのある客観的な判断のことを言っていますが、中・韓は、いわば国づくりの神話、すなわち抗日の末に(日本に勝利したわけではないのですが)独立を勝ち取って、今がある、つまり権力の正統性を裏付けるものとして、真実かどうかではなく、信じるか信じないかの問題(あるいはイデオロギーの問題)のようであり、もしそうだとすれば両者は端っから議論になりようがなく、外交問題や政治問題にしない智恵を絞るべきだと述べたわけです。
 争点の事件にまつわる歴史的事実については、それなりに明らかにされて来たように思います。
 例えば南京事件は、30万人もの大虐殺だったと喧伝されていますが、事件当時は当地の欧米記者の間に噂すらなく、当時は国民党・蒋介石も問題にしていなかったにも関わらわず、極東軍事裁判で、突然、証言者が現れ、ニュールンベルグでナチス・ドイツを裁いたことに匹敵するような残虐性を日本軍の中に見出したい、あるいは東京大空襲や広島・長崎での原爆投下などの戦争犯罪を打ち消すだけのインパクトある事件を仕立てあげたい・・・ためではないかと邪推されて来ました。最近は、丹念な実証研究により、南京の記念館に掲示されている日本の軍人によると見られる残虐な写真のほぼ全てが南京事件とは関係がない“でっち上げ”であることが明らかにされています。
 更に、4月10日の衆議院予算委員会の教育問題等に関する集中審議で、元文部科学大臣の中山成彬議員が質問に立ち、南京事件の記述などに関わる教科書検定のあり方について、安倍総理と下村文部科学大臣の見解を質したそうです。その中で、「南京市の人口」と題する資料を呈示しました。当時の平時の南京は約100万の人口を抱える都市でしたが、戦場になることが確実な情勢下で多数の市民が財産を持ち出して疎開し、残った人口は20万人ほどで、南京市の中心部に設置された安全地帯に収容され、22名の欧米人(安全区国際委員会)の庇護下にあったそうです。彼ら欧米人は南京市民の食糧の調達などで占領日本軍と交渉したらしく、その時の手紙が、「南京安全地帯の記録」というタイトルで1939年に出版された書籍の中に収録されており、それによると、南京陥落の1937(昭和12)年12月13日以後も20万人で推移し、一ヶ月後には25万人に増えてすらいるそうです(Will 6月号の藤岡信勝氏寄稿より)。100万人の中のどの20乃至25万人かという疑問なきにしもあらずですが、少なくとも当時こうした監視下にあって大虐殺があったとすれば声があがらなかったはずはないし、大虐殺があったとしても人口が減らないということは考えられないように思います
 例えば、従軍慰安婦問題についても、先ほどの中山成彬氏は、3月8日の衆議院予算委員会で、「朝鮮人女性を慰安婦にするために強制連行した、などという事実はなく、女性を拉致、誘拐していたのは朝鮮人自身だった」、「朝鮮総督府時代、警察の要職にも、地方議会首長にも朝鮮人がついており、議会議員の8割を朝鮮人が占めていた(つまり20万人〔当時の人口2千万人とすると女性50人に1人の割合〕もの女性が強制連行されるのを家族が黙って見ていたというのは不思議)」と発言した時のNHK国会放送の動画がYoutTubeにアップされると、瞬時にアクセス数が10万を越え、NHKから著作権を理由に削除要請され実際に削除されたそうです(国会審議の動画を、NHKが著作権を理由に削除したのは恐らく初めてであり、同日午前中に辻元清美氏が従軍慰安婦問題に関して質問したものはまだ削除されていないにも係らず)。因みに、上記発言は、慰安婦問題で海外在留邦人の子弟が学校で虐めに遭っているという教育問題から行われたもの(Will5月号の本人と西村幸祐氏のコラムより)。
 では何故、慰安婦問題が顕在化したのか、いろいろなところでいろいろな人が述べておられますが、小室直樹氏「日本国民に告ぐ」から抜粋します。日韓基本条約締結に際して、時の韓国政府は、男子工の徴用は問題にしましたが、慰安婦の強制連行については全く問題にしなかったのは有名な話です(蛇足ですが、強制でなければ、世界で最も古い職業に関することであり、日本でも韓国でも、戦後、暫くするまで非合法化されませんでしたし、軍隊においては、合理的な理由により今も暗黙の了解事項とされていると思います)。秦郁彦氏(当時、千葉大学教授)は、「諸君!」1996年12月号で、親族、友人、近所の人などの目撃者や関係者の裏付け証言が全く取れていないことに注目されました。実は韓国側は、強制連行についての証拠を持っておらず、日本人が捏造したものを利用しているのだそうです。その一つが、吉田清治著「私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行」(三一書房、1983年)で、1989年に韓国語に翻訳され、「済州新聞」に紹介されました。秦氏はこの本の内容の信憑性に疑いをもち、調査した結果、済州島の慰安婦狩りは虚構であることが判明し、吉田氏本人も事実ではないことを認めざるを得ませんでした(「週刊新潮」1996年5月)。しかし朝日新聞が1991年8月11日付で「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀 重い口開く」と報道し、翌年、宮沢総理の訪韓の際、「筆舌に尽くしがたい辛苦をなめられた方々に中心よりお詫びし、反省したい」と公式に謝罪して、既成事実化し、同年、日本政府の最終報告書では、慰安婦の募集について「更に、官憲等が直接これに加担する等のケースもみられた」と述べながら(あるいはこれは、例外的ながら、オランダ人女性を慰安婦として徴用した白馬事件を踏まえて述べているのかも知れませんが、組織的なものとは言えないでしょう)、「強制連行」のケースを示す資料は何一つ示されなかったにも係らず、慰安婦の強制連行を自明とし悪とする“空気”は覆ることはありませんでした。刑事裁判において挙証責任は原告にありますが、慰安婦問題にあっては、日本政府が謝罪したために、挙証責任が被告側に移ってしまった、その不思議を、小室氏は論じておられます。
 繰り返しますが、日本にとって歴史認識の問題は、いわば純粋な歴史学の問題(歴史的事実)に還元されますが、恐らく中・韓にとっては、ある種の(国造りの)物語(フィクション)に係るメンツの問題に収斂し、妥協点は見出し得ません。
 たとえば靖国神社参拝問題について、中・韓は、A級戦犯が合祀されている靖国神社を、ヒラの閣僚ならまだしも日本国を代表する閣僚(総理大臣、外務大臣及び内閣官房長官)が参拝するのは、多大なる損害を与えた侵略の歴史に対する反省がない、と非難するわけです。そもそも中国の歴史教科書において、悪いのは現代の日本人ではなく軍国主義だと教え、また日中国交回復の時のロジックとして、日本の軍国主義と日本人一般を区別した上で、日本と国交を回復するのは、日本人一般は悪くないからだ、と国内向けに説明した経緯があるため、中国共産党にとって、日本を代表する閣僚は軍国主義者の如く振舞ってもらっては困るわけです。日中歴史共同研究に参画したある日本の学者によると、中国人は、8月15日の終戦記念日(敗戦の日)に靖国神社に参拝する日本人は復讐を誓っているものだと信じているそうです。私たち日本人は、大東亜戦争の戦没者だけではなく西南戦争をはじめ明治以降の日本の戦争・内戦において政府・朝廷側で戦歿した軍人らを祀る靖国神社や、広島・長崎において、復讐を誓うほど反省がない性悪で戦闘心旺盛な国民ではなく、不戦と平和の誓いを立てる浄い心をもった大人しい国民である、などとは想像できないらしい。国の心掛けと言うか、国家意思として、「復讐」を容易に思い浮かべる国民性と、正確に理解し合うのは並大抵のことではありません。それでも中国は、大国主義の伝統が残っているのか、一定の節度がある方で、韓国に至っては、日本そのもの、日本人一般をも毛嫌いしているようです。以前、別のブログで紹介した話ですが、かつてペナンのインターナショナル・スクールで知り合った韓国人のお母さんは、日本人は野蛮で残酷だと教えられたけれども、全然、そんなことはないのですねと、真顔で語ってくれました。化外の地・満州が占領されただけで、本土では、日中戦争、などと、いつの間にか戦争に格上げされましたが、宣戦布告のない事変があっただけの中国に比べると、所謂欧米的な植民地支配ではなく、内地の延長として(日本の国家予算の半分近いとする説もある)多大な投資があって近代国家への礎が築かれたとは言え、国そのものが併合された韓国が抱えるトラウマは、思っている以上に重いのでしょうか。
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