風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

今年のオオタニさん

2024-03-29 21:39:39 | スポーツ・芸能好き

 ただでさえ昨年暮れあたりから露出を増やして来た大谷翔平選手は、私のFacebookがコツコツと学習を重ねて来た甲斐あって、益々露出を増やしてしまった。

 そして、多くの日本人ファンと同様、新婚ほやほやのツーショットや、ダルビッシュとの初対決を偶然とは言え韓国にさらわれて、切歯扼腕していたところだった。が、一平さんの違法賭博疑惑で、そんな気分は吹き飛んでしまった。一平さんがギャンブル依存症だったとは驚いたが、今回は狙われたのだろうか。真相は依然、藪の中だが、最大の焦点である、セキュリティが厳しいアメリカの大谷選手の銀行口座からどうやって送金したのかというところ、大谷選手は知らなかったのではなく合意の上だったのではないかとの疑いは拭えない。二人の関係性と大谷選手の性格からすれば、ESPNの一平さんインタビューは恐らく正しくて、大谷選手側とディールが成立しているのではないかと下衆の勘繰りをしたりするのだが、いずれにせよ、大谷選手の記者会見での様子や彼の性格からすれば、彼が違法賭博に関与していないであろうことは間違いなく、後は事態の推移を見守るしかない。

 それよりも、ペナントレースが始まって、野球に集中出来る環境が整うのか否かが気掛かりだった。が、昨日の本拠地デビュー戦で、それまで13打席無安打だったのがウソのように、初回の第一打席でいきなり右翼線に二塁打を放ち、五回にも右前打と、マルチヒットを放って、もやもやは一気に吹き飛んでしまった。ここぞという時の気持ちの切り替えは流石、プロだ。

 ある雑誌は、二刀流の大谷選手を長年支えて来た一平さんの奮闘を十刀流と呼んだ。曰く、①通訳、②ボディガード、③グルメ情報収集、④キャッチボールの相手、⑤運転手、⑥トレーニング・サポーター、⑦動画撮影カメラマン、⑧審判の心理分析、⑨メンタル・サポーター、⑩友人、だと。十番目がなんだか切なくなるが、今回の事件に対して誰もが抱いているであろう違和感はそのままに、奥様やデコピンの力も借りながら、大谷選手らしい野球を見せて欲しいと切に思う。恐らく誰よりも一平さんがそれを望んでいるに違いないだろうから(と信じたい)。

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もしトラを巡って

2024-03-24 09:33:05 | 時事放談

 今秋の米大統領選は、再びバイデン氏とトランプ氏の対決となり、「もしトラ」に備えよとの声が強まっている。高齢であることと不規則であることと、どちらかを選ばなければならないとは、かつて流行った「究極の選択」のようで、どちらも選びたくない市井の良識がよく分かる。これは他人事ではなく、カギを握るスウィング・ステートのご機嫌をとらんがために、日鉄のUSスチール買収が人質にとられる始末だし、アメリカ一強の西側にとって、ことは国際秩序に関わる。

 振り返れば、2016年の大統領選では、まさかトランプ氏が当選するとは誰も予想しなかったが、いざ大統領に当選するや、リベラル・メディアの目線が余りに厳しいことに、ひねくれ者の私は反発したくなった。不規則発言が多いことに不安を覚えながらも、目が離せないトランプ劇場を、リベラル・メディアへの当てつけのように楽しんだ。まだそれだけの余裕があったと言うべきだろう。米中関係では、やたら貿易赤字ばかり気にする(それを勝ち負けと捉える)偏執的なところに危うさを感じたが、周囲を固める人たちは、2017年末の国家安全保障戦略、翌年の国防権限法2019など、トランプ氏を宥めすかしながら、今に続く現実路線を着実に進めた。そこまでやるか⁈との驚きもないではなかったが、本来、行動変容を促すのが制裁の目的だとすれば、中国共産党の経済運営は度が過ぎたし、それを抑えられるだけの能力と意思を持ち得るのは、アメリカを措いて他になかった。実際には、国家の行動を変えさせるのは並大抵でなはいし、中国は対抗し得るだけの合法・違法の能力と意思を持っていて、一筋縄では行っていないのだが。

 コロナ禍のもとで行われた2020年の大統領選では、さすがにトランプ氏の不規則発言に閉口し、その後、ウクライナ戦争や中東危機を抱える今となっては、もはやトランプ劇場を楽しむ余裕はすっかり失せてしまった。懐に入り込んでモノ申せる故・安倍氏のような存在も見当たらない。在韓米軍撤退を、次期政権では真っ先に実行するとの条件で、前政権ではなんとか思いとどまったというエピソードを聞くと、極東にも火種が撒かれかねないと不安になる。他方、場合によっては、副大統領が大統領代行になるような事態も考えられなくはなく、そのときにハリス氏で大丈夫かとの不安が渦巻く。別に今どき個人が全てを牛耳るわけではないが、相手が権威主義国の場合、独裁者に対峙するのは国家元首という対立構図が避けられず、その言動が問題になる。そのリスクを負ってなお、アメリカ人の良識を信じないわけには行かない。

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宇宙へのロマン

2024-03-16 08:37:49 | 時事放談

 水曜の昼食時、食堂のTVニュースで、スペース・ワンの小型ロケット「カイロス」が発射される映像を見た。発射後わずか5秒で爆発したのは衝撃的だったが、何らかの異常を感知したロケット自らが爆破する飛行中断措置と聞いて、得心した。成功していれば、民間単独では国内初の人口衛星の軌道投入となるはずだった。

 宇宙への挑戦が続いている。

  JAXAの基幹ロケット「H3」初号機は昨年3月の打ち上げには失敗したが、2号機が今年2月に成功した。「H3」が数トン級を輸送するのに対し、今年度JAXAが投入する「イプシロンS」は数百キロ級、それ以下なら「カイロス」と、ラインナップが揃うことが期待されている。次は是非とも成功して欲しい。

 NASAやイーロン・マスクや中国のように資金が潤沢にあるわけではないが、日本らしい挑戦が続いている。

 小惑星探査機「はやぶさ」の旅はなんとも心細くも力強く壮大だった。小型月着陸実証機「スリム」もまた派手さはないものの、目標地点から半径100m以内を目指すピンポイント着陸に世界で初めて成功するという快挙を成し遂げ、如何にも日本的なきめ細かな技術力が際立った。柔道の受け身のようなと形容された着陸はエンジンの不具合でひっくり返ってしまい、狙い通りに太陽光を受けられなくなったが、マイナス170度まで下がるとされる二週間の夜を乗り越え、再びデータを受信し、探査機が最低限、機能していることが確認された。比較しても仕方ないのだが、インドの無人探査機「チャンドラヤーン3号」は夜明けを迎えてからは通信を確立出来なかったそうで、カタログ性能では測れない品質の高さを見せつけた(もっとも、科学観測向け特殊カメラは起動したが不具合があり観測出来ないまま、スリムは再び休眠に入った)。

 ロマンなどと呑気なことを言っていられないほど、宇宙探査にも軍事の色合いが濃くなる世知辛い世の中だが、日本は日本らしく飽くまでロマンを追いながら、能ある鷹のように爪を隠して、静かに強かに爪を磨いていて欲しい。

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追悼・鳥山明さん

2024-03-12 01:02:01 | たまに文学・歴史・芸術も

 最近の追悼文では、そんなにファンではないのだが…が枕詞になっている。仮に熱烈なファンではなくても、同時代を生き、身近な存在として当たり前に過ぎて、いざ失われると、実は私の冴えない人生に彩りを添える、かけがえのない存在だったことに今更ながら気がつき、たまらない喪失感を覚えるのだ。

 鳥山明さんとは、学生時代に家庭教師のアルバイトをやっていたときに中学生の教え子から「面白いから読んでみて」と10数冊のアラレちゃんコミックスを持ち込まれて、そこは暇な大学生だから、貪り読んで楽しんだのが唯一の接点になる。が、それだけではない。ともすれば心細い海外生活にあって、「ドラゴンボール」は日本と日本人の存在感を示して、ついぞ読むことはなかったけれども、そこにいるだけで心強い、日本人駐在員の心の支えのようなところがあった。

 漫画やアニメが日本のソフトパワーと言われて久しい。マレーシアに住んでいた頃、噂ではなく本当に原作を日本語で読んでみたいからと日本語を勉強する人がいた。インバウンド観光でも聖地巡りは定番になっている。

 特徴的なのは、お隣のKのつくドラマや音楽と比べてみればより明確に分かるのだが、欧米文化に迎合することなく、たとえガラパゴスと揶揄されようと、日本人が好きでやっていることが、欧米やアジアやその他の異文化の人たちから面白いと発見されたことだ。東洋の渡り廊下の先にある奥座敷とも言えるような辺境の島国であればこそなのかもしれないが、「面白い」を追求して、必ずしももの珍しいだけではなく受け入れられることの不思議さ。

 デーブ・スペクターさんが、中野信子さんとの対談の中で、「おもてなし」を意識することの愚を痛烈に批判されていたのが面白かった。日本人らしく、あるがままに振る舞うことにこそ、良さがあり面白さがあるのであって、意識したら台無しだというような趣旨だった。まるで珍獣⁈のようだが、こと文化的なところに関しては、日本人は日本人らしく、日本人の「好き」「面白い」にこだわって存分に突き進むのがよいと思う。

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「なごり雪」から50年

2024-03-01 00:05:56 | スポーツ・芸能好き

 「なごり雪」が世に出て50年になるそうだ。

 伊勢正三さん(以下、馴々しく正やんと呼ばせて頂く)のインタビューによると、誕生秘話は以下の通りだそうだ。

 「なごり雪」は僕の中で確かな手応えがあった。良い曲が出来たぞ。でも最初に「なごり雪」を持って行って聴かせたとき、余り褒めてもらえなかった。あれ、おかしいな…。でも絶対的な自信があったから、締切を一日延ばして貰って、家に帰ってそのまま一晩で作ったのが「22才の別れ」だった。

 と言うことは『22才の別れ』からも50年になる。フォークギターを買って最初に覚えるスリーフィンガーの曲だった。これら二曲は、正やんの代表作ベスト3に入る名曲だが、なんと彼が手掛けた最初の二曲だったとは知らなかった。

 曲作りについて、次のように語られる。

 最初にあったのは、「今 春が来て 君はキレイになった 去年よりずっと キレイになった」という部分。メロディと言葉が同時に、かつ瞬時に浮かんだ。そこからイメージしたのは、こんなシーンだった。東京駅のホーム。二人の若い男女。出発を待つブルートレイン。線路に雪がちらちらと降っている。けれどその雪は積もることはない。

 今年最後に降る名残惜しい雪というイメージだそうだ。どうしても『22才の別れ』のイメージと重なってしまい、東京の大学で出会って、束の間の逢瀬を重ね、「ふざけ過ぎた季節の後で」故郷に帰る(そして二度と会うことはないだろう)女性を見送る切なさに満ちて、なんとも愛おしいと、月並みな感傷に浸ってしまう。卒業の季節は別れの季節であり、旅立ちの季節でもある。

 実際に、この曲を書いたのは21才の終わり頃だったそうで、正やんによれば、その頃の感性だからこそ出来たものであり、あの瞬間に全てが詰まっており、だから二度と書けない、と語っている。かつてユーミンは天才を自称し、ヒット曲を連発したものだが、さすがのユーミンでも曲想を練るために、深夜のファミレスで若者たちの会話を盗み聴きするようになったと聞いたことがある。私の思い込みでかなりデフォルメされているかもしれないが(笑)、あの頃の感性はもはや取り戻すことが出来ない、かけがえのないものだと、多少なりとも誰しもが思い当たることだろう。それでこうして後世に残る名曲を生み出せるかどうかは問わないにしても。

 私の場合は逆パターン・・・「ふざけ過ぎた季節の後で」京都で寂しく見送って、でも私も間もなく就職で上京し、何度か会ったり、手紙を貰ったり、共通の友達と三人で会ったりもしたが、小山の人だったので、いつの間にか疎遠になり、30年振りに会ったときにポツリと「私たちってすれ違ってばかり」と言われて、今更ながらドキリ…

 瑞々しい感性は幼さのゆえでもある。もはや恥じらいもない干からびた感性には、たまらなく懐かしくも羨ましくもある(苦笑)。上手く表現するメロディも言葉も生み出せない私は、ただ当時の思い出がまつわる曲に想いを寄せるだけ。

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