風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

青梅への道(3)

2019-02-24 11:40:23 | スポーツ・芸能好き
 先週末、青梅マラソンを走って来た。秘かに目標としていた3時間20分を切れず、よれよれでゴール寸前のところ、待ち構えていた高橋尚子さんにハイタッチをするためにやや背筋を伸ばして、とりあえず笑顔(苦笑い)でフィニッシュ・・・と言いながら、一週間も経つと、本当に走ったのか、夢のような出来事である。つい数日前まで、筋肉痛はさほどでもなかったが左足裏(親指の付け根あたり)の500円玉大のマメが潰れて、風呂につかるとヒリヒリ痛んだのが、辛うじて現実感を思い出させてくれた。
 相変わらずのアップダウンはタフで練習不足の身にはきつかった。ペースが上がらないままの低空飛行は欲求不満だったが、自業自得だ。青梅への出走はこれで5年連続になるが、年明けからの一ヶ月半で101キロ、今シーズンを通しても通算206キロと、恐らく過去最低の練習量で臨んだことになり、年齢を重ねる上に練習量が減るようじゃあ、記録が伸びないのは道理なのだ。走ることがちょっとマンネリ化して来ているかも知れない。
 公式サイトによると、スタート時の気温9度、湿度32%、北北西の風3メートル、行きのなだらかな上りよりも帰りの下りでやや風を冷たく感じたが、絶好のマラソン日和に恵まれた。昼食時間帯である11時半スタートというのは、燃費が悪い(大飯食らいの)私にはいつも不満だが、なにより青梅の良さは、太鼓がずんずん腹に響くほどの、あるいは学生さんのブラスバンドの、さらには個人の方で「ロッキーのテーマ」や松村和子さんの「帰ってこいよ」を毎年がんがん鳴らしてくれる、力強くも暖かい沿道の声援にある。今年も後半の疲れたところでヤクルトを貰えて嬉しかったし、寒い中を施設のおじいちゃんやおばあちゃんが、また子供達が手に手にチョコレートや飴ちゃんを手渡そうと待ち構えていてくれるのを見ると、気持ちだけでももうちょっと頑張らなきゃと思わせてくれる(笑) ボランティアの給水もあって、大会そのものの給水や給食は少ないくらいで、なんとなく沿道との距離が近い大会なのだ。
 マンネリ化しているかも・・・というのは、年明け早々にインフルエンザA型に罹ったことにも表れている。過去何年も、この季節には大会が目白押しのため、予防接種しなくてもインフルエンザを寄せ付けないだけの緊張感を保っていたが、今年は違った。さらに今シーズンは、11月の皇居ラン(15キロ)と青梅(30キロ)だけで、7度目のシーズンにして初めてフルマラソンを走らない。いつもは3月あるいは4月半ばまでフルマラソンの大会があって練習を引っ張ってきたが、今年は2月半ばにして大会出場が終わって、このままシーズンを終えるのか、自分でも戸惑っているのだ。一昨年のフルマラソンの大会では41.1キロ地点で5時間の関門に引っ掛かり、初めて公式記録を貰えなかったが、それでもスタート地点のロスタイムと気温24度を勘案すれば、ほぼ5時間くらいで走ったという実感があった。ところがついに昨年は公式に5時間を切れない記録が残った。アメリカで7度、日本に戻ってから7度、計14度目にして初めてのことだった。勿論、私より年配の方でも健脚を誇る方は大勢いらっしゃるが、私の練習ペースを変えない限り、もはや記録は頭打ちで、年齢との戦いになる。いつまで続けられるのか。そろそろ春爛漫なのに、心は秋の夕暮のような侘しさに包まれている(笑)
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交渉における時間の効用

2019-02-20 23:11:18 | 時事放談
 トランプ大統領は、今月末に予定されている米朝首脳会談に関し、「『最終的には北朝鮮の非核化を目指すが、(北朝鮮による)核実験がない限りは急がない』と述べ、早期の非核化実現にこだわらない姿勢を明らかにした」という(産経電子版)。事実上、二度目の米朝首脳会談は期待できる内容になりそうにないと弁明した形だが、むしろ無理に妥協しない現実的な判断だろうと思われる。というのは、早期に決着しない、あるいは期限を設けないことにガッカリする人が多いかも知れないが、「時間」をかけることは、北朝鮮に対する国連安保理決議に基づく経済制裁が緩められない限り、トランプ大統領側に味方するからだ。
 金正恩委員長の本音は、恐らく(北朝鮮のスポークスマンと化している)韓国の文在寅大統領の口を通して語られているものと思われる。すなわち、文在寅大統領がトランプ大統領との電話会議で明らかにしたところによると、「北朝鮮の非核化措置を引き出すための『相応の措置』として韓国の役割を活用してほしいと伝え、南北の鉄道・道路連結や経済協力事業の活用を申し出た」(同)ということは、事実上、国連安保理決議に基づく経済制裁の緩和を要求したものであって、北朝鮮がいくら瀬取り等で不法に燃料等をちまちまと入手しようが、経済制裁は効いているように思われる。
 他方、日露平和条約締結交渉に関連し、ロシアのラブロフ外相は、ドイツ・ミュンヘンで行われた河野太郎外相との会談後の記者会見で、「ロシアは条約締結の期限を人為的に設けることはしない」と述べたという(同)。交渉の長期化を示唆した発言と受け止められており、自らとプーチン大統領の手で終止符を打つという意志を完全に共有したと豪語する安倍首相にとって、最大任期が2021年9月までと限られる中で、時間がかかることは、既に各方面で解説される通り、残念ながら安倍首相には味方しない。
 交渉において時間というファクターはなかなか微妙ながらも決定的で冷酷なものだ。
 それにしても、前回ブログで取り上げた通り、トランプ大統領を持ち上げる分にはなかなかしたたかに見える安倍外交も、強面で強欲なロシアを相手にハッタリをかまさなければならないような局面になると、途端に腰砕けになるのはどうしたことだろう。ラブロフ外相は言いたい放題で、日本に対し、ロシア側の歴史認識の承認を要求したり、経済協力の遅れや引き渡し後の軍事的懸念などを相次ぎ表明したりしたのに対し、安倍首相は何を忖度する必要があるのか、日本固有の領土と呼ぶのを控えるなど、既に交渉が始まる前から負けているように思われる。このあたり、島国・日本は歴史的に、国境を接する大陸国の間で繰り広げられる権力政治に疎いと言わざるを得ないのは、何とも情けないことだと、ついボヤキたくなる。
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トランプ大統領のノーベル平和賞

2019-02-18 22:23:31 | 時事放談
 誰もが悪い冗談だと耳を(あるいは目を)疑ったことだろう。トランプ大統領が15日の記者会見で、「(安倍)首相からノーベル賞委員会にトランプ氏を推薦した『最も美しい手紙』のコピーをもらったと紹介していた」(産経電子版)というのである。早速、今日の衆院予算委員会で、安倍首相は、「ノーベル賞委員会は平和賞の推薦者と被推薦者を50年間明らかにしない。この方針にのっとってコメントは差し控えたい」と述べて、否定しなかったという(同)。確かに第一印象は(なんじゃそりゃ!?)と怪訝に思ったが、第二印象は、それほど悪くない、むしろ妙案かも知れないと思い直したのだった。
 というのも、先月のコーツ国家情報長官に続いて、今月はデービッドソン米インド太平洋軍司令官も、上院のそれぞれの委員会の公聴会で、「北朝鮮が保有核兵器や核製造能力を全面放棄する可能性は低い」といった見方を明らかにしていたからで、なんとなく完全非核化を諦めるような観測気球もどきを打ち上げられて、これじゃあ内政に行き詰まって手っとり早く外交成果を誇示したいであろうトランプ大統領も流されやしまいかと懸念されるところ、トランプ大統領の虚栄心をくすぐりながら、飽くまでノーベル平和賞に値する成果を追求するよう念押しした、言わばクサビを打ち込んだと言えなくもないからだ。
 これに関して、期せずして櫻田淳氏も、「今後の米朝関係が上手く運ばなかったとしても(上手く運ぶ可能性が高いとは思えないが…)、『本来はノーベル賞平和賞に値した程のトランプの努力を潰したのは、金正恩であった』と主張する材料としては、これは悪くないものかもしれない」と、facebookに投稿されている。
 もっとも、金正恩委員長自身も元旦の「新年の辞」(一種の施政方針演説)で初めて「完全な非核化」に言及しており、まだ三十代と若い金王朝の御曹司として、これから先、数十年と最貧国を引っ張って行かなければならない状況下で、いつまでも意地を張っているわけにも行かず、「米国の条件次第では、核を完全に手放す覚悟もあるのではないか」といった見方もある(礒崎敦仁・慶応大准教授)。御曹司にとって、米国にはスタンドプレイが得意なトランプ大統領が、韓国には妙に北朝鮮に融和的な文在寅大統領がいて、(大根!?)役者が揃う千載一遇のチャンスではある。今月末の米朝首脳会談は、実のところ全く予測不可能なのだが、そして頭の中ではそれほど期待できないと割り切りつつ、感情的にはちょっと期待してしまうのである(苦笑)。
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白血病の衝撃

2019-02-13 00:49:22 | スポーツ・芸能好き
 私にとって白血病と言えば、深窓のご令嬢が患う病だったり、美人薄命の代名詞だったりするのは、別にお伽噺の読み過ぎではなく、急性骨髄性白血病という病によって若くして命を奪われた夏目雅子さん(享年27)とほぼ同時代を生きたからにほかならない。医学に対する知見もないから、競泳女子の池江璃花子さんが白血病と診断されたことにはショックを受けた。来年の東京五輪に向け、絶対女王への地歩を固めつつあっただけに、信じられない思いでいる。
 確かにかつては「不治の病」とされたが、医学は進歩しており、治る可能性が高い病気になりつつあるらしい。産経Webからの孫引きになるが・・・国立がん研究センターなどによると、白血病の患者は10万人当たり10人弱だが、20代未満の若い世代では、がんの種別で1位だとは知らなかった。ある専門家によると、非常に進行が早いことで知られるが、約7~8割の患者は抗がん剤治療で白血病細胞が消える「完全寛解」の状態となり、その後も抗がん剤治療を半年から2年程度継続することで、約3~4割は根治が可能だという。また、抗がん剤治療のほかにも、骨髄移植の選択肢もある上、新たな治療法の開発も進んでいるという。日本骨髄バンクによると、移植を求める患者2930人に対し、ドナー(提供者)登録数は約49万人と十分に見えるが、適合しない場合や登録者が途中で辞退する場合もあり、待っている患者はいるのだそうだ。
 恵まれた体格で・・・と書こうとして念のためWikipediaを調べて見たら、身長171cmとある。数字以上に、随分、大きく逞しく見える。顔立ちは実に端正で、日本人形のような伝統的な正統派美人で、別嬪さんという日本語がぴったりだ。無責任な一人のスポーツ・ファンとして、しかし東京五輪で・・・などとケチなことは言いません。一日も早い貴女の回復と水泳での雄姿を、首を長くして待っています・・・
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米朝首脳会談@ベトナム

2019-02-06 23:36:04 | 時事放談
 トランプ大統領は、一般教書演説の中で、金正恩朝鮮労働党委員長との2回目の首脳会談を今月27~28日にベトナムで実施することを明らかにした。日経・夕刊は、ベトナムについて、北朝鮮の友好国であること、2017年秋のAPEC首脳会談を開催した実績があることに触れているが、それだけではない。開催地ベトナムと取り沙汰されて以来、その象徴的な意味合いに感慨深い思いを抱いた人が多いのではないだろうか。
 エドワード・ルトワック氏の近著によれば、昨年6月の米朝首脳会談で、トランプ大統領は金正恩委員長にビデオを見せながら「ベトナム・モデル」を語ったということだからだ(このあたりは以前ブログに書いた:https://blog.goo.ne.jp/mitakawind/d/20180930)。ベトナムは、共産党一党支配の社会主義国ではあるものの、チャイナ・プラス・ワンの有力候補として投資を呼び込み、国際経済にがっちり組み込まれつつ、順調に経済成長を続けている。また南シナ海情勢を巡って、かつて敵対した米国と安全保障上の利害を共有し、関係が緊密化している。つまり、ベトナムを見れば、核を持たなくても、金王朝の体制保証など心配するに及ばず、国際社会に包摂されてうまくやって行けることが分かるだろう、というわけだ。
 あの6月の米朝首脳会談は、既に「非核化」にコミットしていた金正恩委員長の首根っこを掴んで、時間を限った具体的なロードマップに合意させ、それを検証しながら確実に実行できる道筋をつける、といった実効性の点で、その後も何ら進展がないと酷評され、今回も、国務省のビーガン北朝鮮担当特別代表が実務協議のために平壌入りしたばかりで、その開始を待たずに首脳会談の日程を確定させるとは、実務の積み上げがない「米朝首脳会談ありき」として悪しき先例となった6月のシンガポールの二の舞になりはしないかと、今から懸念する声があがっている。しかし、これらは私たちのような常識人の発想であって、予測不可能な、ディールの達人・トランプ大統領は、そんな実務は出来っこないし興味すらなく、全く違うアジェンダで臨んでいるのではないかと秘かに期待している。以下は単なる憶測になるが、先のベトナムの話から察しがつくように、トランプ大統領は、体制保証を求める金正恩委員長に「ベトナム・モデル」についてあらためて考えさせる時間を与えたのではなかったかと思うのだ。北朝鮮は、160の国と外交関係があるとはいえ、朝鮮戦争が休戦状態のまま、世界の盟主・アメリカとは断絶状態にあり、依然、安全保障上の不安がある。だからと言って、歴史上、散々苦い思いをして来た隣国・中国の軍門に再び下るのは面白くない。そんな世界最貧国が生き残りを模索するのに、歴史に大いに学んでいるのは間違いないが、あらためて問題意識を明確化し、勉強する機会を与えて、根本姿勢をあらためるよう促しているのではないか、という仮説だ。
 こうしてまがりなりにも対話ムードに包まれる中、国連安保理・北朝鮮制裁委員会の専門家パネル報告によれば、昨年1~8月で計148回もの「瀬取り」が確認され、主に中・露などの船舶の関与が疑われることが明らかとなったし、昨年1~11月に北朝鮮・開城の南北共同連絡事務所で使用する石油精製品を韓国が持ち込んだが、安保理決議で義務付けられている届け出を怠るなど、韓国の制裁履行への消極姿勢も明らかとなるなど、金正恩委員長のしぶとさばかりが目につく。しかし、日本では余り注目されないが、トランプ大統領は対北朝鮮制裁の手を緩めるどころか、逆に強化している。北朝鮮企業と取引を行った中・露などの企業や、北朝鮮外交官や北朝鮮人ハッカーなどに対しても、資産凍結などの制裁を加えているのだ。トランプ大統領は「完全非核化」を諦めていないし、なし崩し的に制裁を緩和するのではないかという懸念も杞憂に過ぎないのではないかと思う。このあたりは、習近平国家主席と貿易戦争「一時休戦」の手打ちをしながら、同じ日にカナダに華為(ファーウェイ)CFOを拘束させたように、それはそれ、これはこれと、是々非々で対応しているのに似ている。
 見ようによっては、トランプ劇場の第一幕では、トランプ大統領が軍事力を背景に金正恩委員長を脅して融和姿勢を引出し、第二幕では直接交渉によって、トランプ大統領が金正恩委員長の「体制保証」を求める頑なな姿勢を氷解させようと試みている、というように、これまでのところ、ディールの達人・トランプ大統領の思惑通りに進んでいるとするのは、予定調和に過ぎるだろうか。果たしてこの見立ては合っているのか、いないのか、この続きはどうなるのか、トランプ劇場の見せ場であろう。
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春節

2019-02-05 23:16:01 | 日々の生活
 今日は、いわゆる旧正月、Chinese New Yearで、マレーシア(ペナン島)駐在時代の同窓会名簿化しているfacebookには、多くの写真やお祝いのメッセージが寄せられていた。中国本土では民族大移動の季節だが、今年は景気が後退しているため、工場閉鎖などのあおりを食らって、片道切符の人が多いのではないかと噂されている。
 初めにことわっておくと、マレーシアでは一般にマレー系住民が三分の二を占め、華人(移民して土着した中国人)は二割程度、残りがインド系で一割程度なのだが、ペナン島では何故か華人が三分の二を占め、マレーシアの他地域とは雰囲気が異なり、例えば運転マナーは頗るよろしくない(笑)。
 そのペナン島駐在の頃、取引銀行などが主催する、春節を祝うディナーにお呼ばれすると、Yee Sangという前菜料理を、テーブルを囲む皆が箸で一斉に勢いよく掻き混ぜては箸を高く突きあげ(toss & mixと言う)、口々に新年の幸運を祈る言葉をかけ合う、不思議な習慣に遭遇する(上の写真は、掻き混ぜる前・中・後のあられもない姿)。Yee Sangというのは生魚のサラダのことで、生鮭のことが多いが、白身の得体の知れない魚のこともあれば、海藻やクラゲや、時には鮑のこともあるらしい(が、残念ながら高級な鮑には出会ったことがない)。刻み野菜(大根、玉葱、人参、マンゴーなど)や、細く刻んだ芋か米粉を赤(紅生姜)や緑(?)に色づけ(味付け)して揚げたものの上に、その生魚の切り身を載せ、ソース(プラムソース、米酢、キンカンのペースト、ごま油、蜂蜜、ライムジュース等)や薬味(チリ、ピクルス、韮ねぎ、ピーナッツ等)を散らせる。これがまた、華人好みの派手な色あいで、作法は新年を祝うに威勢がよく、実に賑々しいものだ。
 中国本土や香港や台湾では余り見ない習慣で、聞くところによるとマレーシアやシンガポールに特有なのではないかという話だったが、当時、Wikipediaで調べてみたら、広州(潮州方面)の海岸沿いの漁師の間で、新年の7日目を祝う行事として始まったもので、南宋の時代にまで遡るらしい。それがマレー半島に移民とともにもたらされたというわけだ。移民の間で民族的同一性を確認するささやかな行事として、しぶとく生き残っているのだろう。移民社会には、こうした習慣や文化が、飛び地のように伝播して、案外、本国では廃れてしまったものもある。ヒンズー教徒(インド系)の間に残るタイプーサムという行事もその一つで、舌に銀の串を刺したり、顔や体に針などを刺したりして、半円形の「カヴァディ」と呼ばれる神輿のような飾りを担いで練り歩く、一種の奇祭で、余りに壮絶なので本国では禁止されたと言われるが、マレーシアやシンガポールには何故かしぶとく生き残っている。移民社会ならでは、なのだろうと想像するが、そんな移民の求心力ともなり得る文化のもつ不思議だろう。
 この季節になると、こうした、どうでもいいようなことをふと思い出す。今頃、toss & mixをしながら、賑やかに食事しているのだろうか。なにはともあれ、Happy Chinese New Year!
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追悼:ミシェル・ルグラン

2019-02-02 00:51:20 | 日々の生活
 遅まきながら・・・フランスの作曲家ミシェル・ルグラン氏が亡くなったことに触れておきたい。享年86。
 同じフランスの作曲家で、つい11月に亡くなったばかりのフランシス・レイ氏(ブログにも書いた:https://blog.goo.ne.jp/mitakawind/d/20181110)の生まれは1932年4月で、三ヶ月と経たずに亡くなったミシェル・ルグラン氏の生まれは1932年2月と、フランス映画音楽界の双璧をなす巨匠が生まれたのも亡くなったのもそれぞれほんの2~3ヶ月の違いしかないとは、なんという偶然であろう。二人にどんな交流があったのか甚だ興味深い。
 私の世代にとっては・・・と言っても、多少、私はマセていたかも知れないが、中学生の頃、金はないから映画館に行くなんざあ夢のまた夢、テレビの水曜・金曜ロードショーあたりで放映される映画を観るのがせめてもの愉しみで、フランス映画が全盛だった。ミシェル・ルグラン氏は、『シェルブールの雨傘』(1964年)や『ロシュフォールの恋人たち』(1967年)や『愛と哀しみのボレロ』(1981年、これはフランシス・レイとの共作らしい)、それからアメリカ映画だけれども『華麗なる賭け』(1968年、私の大好きなスティーブ・マックイーン主演)や『おもいでの夏』(1971年)や『栄光のル・マン』(1971年、これもスティーブ・マックイーン主演)などの映画音楽を手掛けたことで知られる。
 ミシェル・ルグラン氏の映画音楽と言えば、アカデミー主題歌賞を受賞した『華麗なる賭け』と、『シェルブールの雨傘』が秀逸だ。『華麗なる賭け』は如何にもサスペンスっぽい、しかし哀愁を帯びたメロディが心に残るし、『シェルブールの雨傘』はシャンソン調の、なんとも言えないまったりとした感じが時代を感じさせて、とてもいい。何より『シェルブールの雨傘』のカトリーヌ・ドヌーヴは、まだ若くて愛らしかった。まだ、という意味は、つい最近、#Me Too運動でご発言される“貫録ある”御姿を久しぶりに拝見したからだが(苦笑)、当時の洟垂れ小僧にとっては、とてもこの世のものとは思えない、フランスのお人形さんのような神々しさがあった(当時の彼女は20~21歳)。もっとも今の私にとっては、もう少しお歳を召された、例えば『終電車』(1981年)の頃のエレガントな彼女(37歳)の方が好みなのだが・・・(笑)
 閑話休題。ジャズ・ピアニストでもある彼は親日家で、たびたび来日公演を行っていたらしいし、日本映画『ベルサイユのばら』の音楽を担当したり、CMに彼の音楽が使われたりしたらしい(気が付かなかった・・・)。ただの感傷でしかないのだが、若かりし頃に耳にした音楽はいつまでも記憶に残り、その作曲家が亡くなる歳になってしまったというのは、やはり感慨深いものがある。ご冥福をお祈りし、合掌。
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