風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

追悼:竹内結子さん

2020-09-29 21:48:52 | 日々の生活
 女優の竹内結子さんが亡くなった。享年40。今年1月には二人目のお子さんが生まれたばかりだったという。一人目のお子さんについては、歌舞伎界の跡取りとして中村獅童さんのご母堂が親権を欲しがったらしいが、幼い日に実母と別れて会うことができなかった竹内さんは、「私がひとりで立派に育てます」と、シングルマザーの道を選ぶような、芯がしっかりした女性だったらしい。インタビューでは愛想笑いはしないし、つまらない話には乗ってこない、しかし言葉遣いは丁寧で挨拶はしっかりするし、自分の意見を論理的に述べるといった、しっかり者の評がある一方、「私、女優よ」といった高飛車なところがなく、周囲が戸惑うほどに天真爛漫な人柄だったとも言われる。芸能界にさほど思い入れがない、関心の薄い私でも、ちゃきちゃきっとした小気味良さを感じるような爽やかさがありながら、泣きの芝居に定評があるように奥行きのある演技も出来て、齢を重ねながら更に幅広い役柄をこなして行くことが楽しみな、これからが期待される女優さんだったと、惜しまれる。自殺だったようで、なおさら驚いている。ご冥福をお祈りしたい。
 その芸能界で自殺者が相次いでいることも話題になっている。7月に三浦春馬さん(享年30)、今月に入って14日に芦名星さん(享年36)、20日に藤木孝さん(享年80)が亡くなった。竹内さんは7月に公開された映画『コンフィデンスマンJP-プリンセス編-』で三浦さんと共演した縁についても取り沙汰された。著名人の自殺に関する報道は子供や若者の自殺を誘発する可能性があるとして、厚労省と、いのち支える自殺対策推進センターから、WHO(世界保健機関)の「自殺報道ガイドライン」を踏まえた報道の徹底を求める、異例の要望書が出された。同ガイドラインでは、報道を過度に繰り返さない、自殺の手段について明確に表現しない、自殺が発生した場所の詳細を伝えない、センセーショナルな見出しを使わないものとされ、死の原因については知られるようになるまで待つこと、とされる。そしてガイドラインに沿って、各種報道の末尾には悩みを抱えた時の相談窓口が紹介されており、シリアスな状況が伝わるとともに、なんとも物悲しくもなる。
 このコロナ禍では行動が大きく制約され、とりわけ芸能人のような自由業の方々には先行きに不安があり(だからと言って自殺の原因をコロナに帰するわけではないが)、呑気な私ですら心理的に不安定で、コロナ「慣れ」するのと反比例するように、ある種の「疲れ」と闘っているようなところがあって、いつもにも増して心穏やかではない。三原じゅん子厚生労働副大臣は、「この7~8月の統計で、昨年比4割の女性の自殺が増加している。コロナ禍のストレスなのか理由は判明していないが大変問題視していた矢先、、、。」とツイートされた。
 先日、日経ヘルスに掲載された陸上自衛隊心理教官で心理カウンセラーの下園壮太さんのコラムによると、震災などではその直後だけでなく、半年、1年たった頃にイライラする人が増える、外出自粛期間、いつまで続くか分からない感染症への不安で、多くの人がプチうつ状態になった、社会や生活の変化とウイルスへの不安などから、少し精神的に「疲労」してしまった、じわじわと蓄積してきた疲労だから、すぐには回復できないかもしれない、と言われる。
 今日のダイヤモンド・オンラインには、サイエンスライターの川口友万さんが、秋に食欲が増す科学的な理由について寄稿されていた。食欲が増すのは、睡眠周期を作るホルモンとして知られるメラトニンの原料であり、快楽と情動に関係するセロトニンという脳内物質が影響しているらしい。このセロトニンは幸福のホルモンとも呼ばれ、幸せな気持ちを作り出すとともに心を安定させるのだそうだ。そして研究によって、光を浴びるとセロトニンの分泌が増加することが知られている。逆に秋から冬に向けて日照時間が減ると、セロトニンの分泌が減り、一般の人でも僅かながらうつ病の症状が出てくるという。秋にメランコリックな気分になるのは、気取っているわけではなく理由があるのだ。そして人はセロトニンの欠乏状態を無意識に嫌い、セロトニンを増やそうとするそうで、そのためには「食べる(!)」「(ジョギングやダンスなどリズミカルな)運動をする」「泣く」のが有効だそうだ。食欲の秋、運動の秋、読書の秋(と言うにはちょっと強引か)と言われる所以である。
 普段は、徒然なるままに心に映り行くよしなしごとをそこはかとなく書き綴る・・・と言うより言いたい放題の備忘録的な独り言ブログだが、今回は柄にもなく殊勝な気持ちで、「食べる(くれぐれも食べ過ぎないように)」「運動する(無理せず適度に)」「泣く(時には感情を露わに)」などしながら、多くの方との連帯でこの苦境を乗り切って行きたいものだと心から思う。
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地勢観

2020-09-26 00:09:34 | 時事放談
 先日の国連演説では、米中対立が話題になったが、韓国・文在寅大統領は相変わらずマイペースだった(笑)。「休戦状態にある朝鮮戦争の終戦宣言を実現したい考えを示し」「『終戦宣言こそ朝鮮半島の非核化と恒久的平和体制の道を開く』と述べて、国連と国際社会に協力を呼びかけた」(日経新聞電子版)そうだ。条件は整わないし、何度、北の暴君にコケにされようが相変わらずナイーブであることには驚かされる(いや、最近、北朝鮮に近い海域で韓国公務員の男性を北朝鮮軍が射殺した事件について、金正恩委員長は文大統領に謝罪したのには驚かされた。国連制裁と、コロナ禍によって中国との往来が途絶えたことに加え、天候不良が重なって、よほど北朝鮮経済に打撃となっているのだろう)。それはともかくとして、続けて、「断絶している北朝鮮との関係を巡り『防疫と保健協力が対話と協力の端緒となる』と訴え、北朝鮮と中国、日本、モンゴル、韓国が参加する『北東アジア防疫・保健協力体』の創設を唱えた」(同)そうだ。何より文大統領の地域認識を不思議に思う。彼にとって、中国、韓国、モンゴルに日本も加えた北東アジアが一つの協力体制になり得ると真面目に考えているようだ。ベトナムも加えれば、かつての中華圏である(苦笑)。中国を天下の中心(中華)に、自らを小中華の長男坊とし、まさか次男坊の日本に貢がせようとしているのではあるまいに(笑)。
 地勢観として、戦前の日本は、海洋国家なのに大陸に引き摺り込まれたのが失敗だったと言われる(一般には大陸に進出し、侵略したと教えられるが、最初はともかく、ある時期からは引き摺りこまれたと言った方が正しいように思う)。また、海洋国家の大英帝国(あるいはアングロサクソン)と同盟を組んでいた頃は良かったが、大陸国家ドイツと同盟を組んで失敗したとも言われる。戦後はアメリカという、一見、大陸に見えるが実のところ巨大な島国=海洋国家(あるいはアングロサクソン)と同盟を組んだ日本は、冷戦を乗り越え、軽武装で経済建設に邁進し、世界第二の(今は第三の)経済大国に登り詰めた。どうも偶然の一致とは思えない。恐らく海洋国家と大陸国家とではメンタリティと行動特性が異なるのであろう。海洋国家とは何か?と問われて、背後に敵がいないことだと答えた人がいて、なかなかの至言だと思ったことがある。歴史学者のC・ヴァン・ウッドワード氏は、かつて、地理的条件のおかげで労せずして安全が保障されていたことこそ、アメリカ史の大きな特色だと喝破された。欧州との間を隔てる大西洋こそ所謂Free Security(無償の安全保障)とする考え方である。実際、アメリカにとって、他国と戦争が起こるとしても、ただちに本土が脅かされることはない(だから、真珠湾攻撃や911同時多発テロなどで直接攻撃を受けることには過敏に反応する)。また、だからこそかつてのロシアのような強大な大陸国家は常に攻め込まれる恐怖に苛まれ、膨張主義に走ったし、ソ連邦が解体されてから進められたNATOの東方拡大に業を煮やした新生・ロシアは、クリミア併合に至った。
 さて、日本も島国=海洋国家であり、大陸とは地理的に微妙な距離を置くとともに、聖徳太子の頃には既に、中国を中心とする東アジア秩序から距離を置き、その後は独特の発展を遂げた。生態学者であり民族学者の故・梅棹忠夫氏は、『文明の生態史観』において、ユーラシア大陸の広大な大陸部分(第二地域)は巨大な帝国(中華帝国やイスラーム帝国)が成立と崩壊を繰り返すのに対し、その周縁に位置する西ヨーロッパと日本(第一地域)は、気候が温暖で、外部からの攻撃を受けにくいなど環境が安定しているため、第二地域より発展が遅いものの第二地域から文化を輸入することによって発展し、安定的で高度な社会を形成できるとした(このあたりはWikipediaによる)。ポイントは、第二地域にあっては外部に大きな力が常にあるため、アロジェニック・サクセッション(外部からの影響による発展)が起こり、専制政治のためブルジョアが発達せず、資本主義社会を作る基盤ができなかった(従って軍事力を備える事が出来ず、植民地となってしまった)のに対し、第一地域は辺境の地域に位置するため、第二地域が砂漠の民に脅かされるような危険がなく、オートジェニック・サクセッション(文明内部からの変革)が起こり、ブルジョアを育てた封建制度を発展させ、資本主義体制へと移行することが出来たということである(同)。学生時代にこの本を読んだときには、まさに目から鱗だった。私が心から敬愛する国際政治学者の故・高坂正堯氏も、『海洋国家日本の構想』の中で、「日本は東洋でもなければ西洋でもない。それは自己を同一化すべき何物をも持っていない」「ある外人記者が、日本は東洋の端にある国、すなわち『極東』ではなくて、西洋の端にある国、すなわち『極西』であると言ったのは、この事情をみごとに捉えている」と言われたのを、学生時代の同じ頃に読んで、ダブル・パンチで目から鱗だった(笑)。それ以来、私の心は常に欧米に寄り添っている(笑)。
 安倍政権がインド太平洋構想を提唱したのは、まさに海洋国家・日本として正しい方向だったと思う。これに先ずアメリカが賛同し、アメリカ太平洋軍をインド太平洋軍へと呼称変更した。クアッドを構成するオーストラリアやインドが加わるのは自然な流れであり、さらに英国も興味を示し、これら海洋国家群により巨大な大陸国家である中華帝国を包囲・・・いや包摂して行けばよいと思う。それだけに、インド太平洋構想への参加に二の足を踏む韓国は、やはり大陸を向いているのかと、感心した次第である。こればかりは、歴史上、常に中華帝国に隣接し、それ以上は逃れることが出来ない半島国家としてユーラシア大陸にへばりつき、生きて来ざるを得なかった宿命なのであろうか。
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スガ内閣の船出

2020-09-22 11:29:39 | 時事放談
 菅内閣と漢字で書くと、紛らわしくて、なんとなく心がザワつく(笑)。
 日本経済新聞や読売新聞の世論調査によると、内閣支持率は74%もの高率を叩き出した(なお、朝日新聞や毎日新聞では65%や64%)。前回調査(8月の安倍内閣)からは20ポイント近い上昇となるようだ。その支持理由として日経調査では「人柄が信頼できる」(46%)や「安定感」(39%)が、読売調査では「他によい人がいない」(30%)はともかくとして(苦笑)、「政策に期待できる」(25%)、「首相が信頼できる」(19%)が挙げられた。安倍政権ではだいたい評価が低かったところなので、先ずはお手並み拝見のご祝儀相場と言えるが、スガ首相ご本人によるイメージ戦略が功を奏したことは間違いない。雪深い秋田の農家の長男として生まれ、地方議員などを経て国政入りしたという生い立ちは、もはや多くの国民に記憶され、叩き上げの苦労人という形容がすっかり定着した。無派閥で非世襲の首相は自民党政権としては事実上初めてということと相俟って、これまでの首相にはない何かを期待させる。
 その答えは恐らく内閣の陣容に表れているのだろう。総裁選で自民党所属議員の7割を占める5派閥の支持を受けたことから、党内基盤は安定しているが、党役員や閣僚の人事は派閥バランスに配慮したものとなったのは、無派閥ゆえの処世でもあろう。しかし、顔触れを見ると、安倍内閣から麻生さんや茂木さんなど8人が再任され、加藤さんや河野さんなど3人が横滑りし、田村さんや上川さんなど4人が再登板するなど、恐らくスガさん好みの、経験や実績を重視した実務家揃いになっている。代わり映えしないと言えなくもないが、安倍政権の継承を掲げるのは、何より想定外の安倍さん辞任で時間がなかったからであろうし、政策の方向性自体に国民の支持が得られていることは明らかなので、そこに安倍政権には足りなかった実行力(とりわけ、かねて物足りなく思っている三本目の矢)が加われば、安定した政権運営が出来ると踏んでいるのではなかろうか。私自身、当初は、来年9月の総裁選までの中継ぎに過ぎないと思っていたが、評価は一変した。なかなかどうして、このまま安全運転し、再選を果たした末には、スガ色を全面に出した本格政権を狙っているのではないかと思わせる。スガさんのスゴ味である(笑)
 その意味で、就任記者会見で、「国民のために働く内閣」と命名されたのは、本心だろう。じゃあ、それまでは仕事していなかったのかと、ビートたけしさんは揶揄されたし(笑)、たけしさんじゃなくとも、一見、何じゃそれ!?と訝しく思った人が多いと思う。スガさんの真骨頂は「絶対に諦めない」ことだと言う人がいるし、スガさんと親しいベテラン議員によると、「あんな頑固な奴はいない。絶対に降りない。その代わり、頼んだことは必ずやる。それも、すぐに」ということだそうで、やはりスガさんの本心を吐露されたものだろう。どちらかと言うと「よきに計らえ」式にお殿様っぽかった安倍さんに対して、スガさんは汗をかいて「働く」ことを意図しているように思われるし、どちらかと言うと「国家」のために働いた印象が強い安倍さんは実際に諸外国の評価が頗る高かったのに対して、スガさんは「国民のため」に力点を置いているように思われる。
 閣僚人事では、個人的に三つのポストに注目している。先ずは、新たに創設されたデジタル改革担当大臣ポストだ。コロナ禍の惨状でIT後進国ぶりが露呈したことから、絶妙のタイミングで国民の不満を上手く救い上げたとも言え、ITに明るい平井卓也さんが抜擢された。二つ目は、スガさん自ら目玉閣僚と位置付ける行革・規制改革担当大臣の河野太郎さんだ。安倍内閣の防衛大臣として、既定方針だったイージスアショア(陸上配備型迎撃ミサイルシステム)の調達・配備中止を、事前の根回し抜きに発表し、政府・与党内に軋轢を生んだが、伝統的な自民党政治家にはない突破力は見事で、期待させる。以上は、安倍政権では成長戦略(Growth Strategy)と言われ、海外では構造改革(Sructural Reform)と受け止められた、三本目の矢に相当する。三つ目は、防衛大臣の岸信夫さんだ。安倍さんの実弟で、福田内閣や麻生内閣で防衛大臣政務官を、安倍内閣で外務副大臣や衆議院安全保障委員長を務められた。安倍さんは隠れ台湾シンパだったが、首相として表に出るわけには行かなかったので、親台団体である日華議員懇談会の幹事長を務める岸さんが、裏で台湾をケアする役割分担になっていた、などと言われる。急速に台湾への傾斜を強めるトランプ政権に寄り添う、明確なメッセージとなり、習近平国家主席としては、パンダ・ハガーの二階さんが自民党幹事長に留任したとは言っても、安心していられないことだろう。
 自民党総裁候補の中で、影が薄い(でも人は好さそうな)岸田さんや、人望がない(でも国民には人気の)石破さんに対して、スガさんはどうしても華がない(でもしぶとい仕事師の)印象が拭えなくて、三人ともネガティヴなイメージが付きまとい、読売の世論調査で「他によい人がいない」(30%)という支持理由に見られるように、いわば消去法からスタートしたとも言えるスガ内閣だが、期待値が高いのは、コロナ疲れと長期政権疲れから、国民が清新さを求めている証しだろうと思う。気紛れな世論の波にうまく乗って安定すれば、それだけでメディアの嫉妬を買うような、なかなか難しい時代だが、コロナ禍で沈滞気味の日本に、特に外交面で顕著だった安倍政権の上げ相場を利用し、内政面の充実に繋げることが出来れば、良い取り合わせとして、良い選択をしたと思われるようになるかも知れない。スガさんの粘り腰に期待したい。
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靖国問題

2020-09-20 23:41:20 | 時事放談
 安倍晋三・前首相が昨日、靖国神社を参拝されたそうだ。モーニング姿で昇殿して参拝する写真を添えて、「16日に首相を退任したことをご英霊にご報告致しました」とツイッターに投稿されたという(時事)。もともと、第一次政権のときに参拝を見送ったことを「痛恨の極み」として、第二次政権発足からちょうど一年の節目となる2013年12月26日に参拝すると、近隣国だけではなく、なんと同盟国であるオバマ政権からも「失望」の声があがって、衝撃が走ったものだ。その理由は、近隣国のそれとは異なり、「日本の指導者が近隣諸国との緊張を悪化させるような行動をとったことに失望」するという、些か回りくどいものだった(笑)。今のトランプ政権では考えられない、如何にもリベラルでナイーブなオバマ政権らしいコメントだ。でもまあ、この気持ちは分からなくはなかったので、その後、安倍さんは首相在任期間中の靖国参拝を自粛された。日本の保守派には不満の残る決断の一つだったが、安倍さんの信念を曲げてまでの現実感覚が揺るがなかったのは、ある意味でご立派だった。
 中国は、もともと首相と官房長官と外務大臣の三役に参拝しないよう求めていたので、今回は報道を見かけない。ところが韓国は期待に違わず、毎度の判で押したような反応を見せた。保守系メディアの中央日報によると、韓国外交部は論評を通じ「安倍前首相が日本の植民侵奪と侵略戦争を美化する象徴的施設である靖国神社を退任直後に参拝したことに対し深い懸念と遺憾を表わす」「日本の指導者級の人々が歴史を正しく直視し過去史に対する謙虚な省察と真の反省を行動で示す時、周辺国と国際社会が日本を信頼できるという点をもう一度厳重に指摘」したという。
 韓国の論評からは、いい加減、「国際社会」という単語を外してもらいたいものだ(苦笑)。文句を言うのは近隣国以外にないのだから・・・などと言っても、もはや詮無いことかも知れない。そもそも韓国の言う「日本の植民侵奪と侵略戦争を美化する象徴的施設」なる大仰な形容や、「歴史を正しく直視し過去史に対する謙虚な省察と真の反省を行動で示す」などといった説教じみた言説は、メッキが剥げてしまったと感じざるを得ないからだ。徴用工問題では、戦後の日韓関係の枠組みを反故にする修正主義のような主張をしながら、相変わらずA級戦犯を祀る靖国神社に拘り続けるのは、ご都合主義以外の何物でもない。従軍慰安婦問題では、2015年に一応の妥結に至った(はずだった)のに続き、数日前に正義連(元・挺対協)の元・理事長で与党議員の尹美香さんが業務上横領などの容疑で起訴されて、結局、活動団体が元・慰安婦の方々を政治利用しただけだったのではないか・・・という実態が明らかになりつつある。韓国政府やメディアは、今なお韓国の「正義」を信じて疑わないのだろうが、日本国民はすっかり白けてしまった(と、日本国民の一人の私は思う)。
 これは、70年談話こそ当初の目論見から後退したのだろうが、日本(の自信)を取り戻すという、安倍政権7年8ヶ月の努力の賜物と言えなくもない。
 いや、もっと言うと、一時期、日本の南京大虐殺などの侵略行為を、ドイツ・ナチスのユダヤ人虐殺と同列に非難する論調が、中・韓や日本の左翼に見られたものだが、事実として日本人が裁かれたのは、A級(平和に対する罪)、B級(通例の戦争犯罪)、C級(人道に対する罪)の内、殆どがB級であって、そんな日本をナチスのホロコーストという絶対悪(C級)と同一視することは、却ってホロコーストを相対化しかねないとして、最近のイスラエルや欧米諸国の歴史認識では警戒され受け入れられなくなっている。おまけに最近の中国の新疆ウィグルでの所業こそナチス並みとして非難されるご時世である。時代も変わっているのである。
 なお、毎度、総裁選に名を連ねる割りに影の薄い岸田文雄さんは、靖国問題に関して良いことを言われた。(安倍さんの昨日の靖国神社参拝について)「国のために尊い命を捧げられた方々に尊崇の念を示すのは、政治家にとって誠に大事なことだ。尊崇の念をどういった形で示すかというのは、まさに心の問題だから、それぞれが自分の立場、考え方に基づいて様々な形で示している。これは心の問題だから、少なくとも外交問題化するべき話ではないと思っている。政府においても外務省においても、国際社会に対して心の問題であるということ、国際問題化させるものではないということを丁寧にしっかりと説明をする努力は大事なのではないか」(朝日新聞デジタル)。とは言え、やっぱり岸田さんの発言はいかにも弱い。ここでも「国際社会」ではなく「近隣国」に置き換えるべきだし(笑)、「近隣国」こそ政治問題化しないよう、あるいは、今さら政治問題化しても無駄であると釘を刺すべきだ。岸田さんの正論よりも時代は既に先を行っているのではなかろうか。
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ものづくり敗戦

2020-09-17 22:53:36 | ビジネスパーソンとして
 メーカー勤務のサラリーマンとして、最近、二つの新聞報道にちょっとした衝撃を受けた。
 一つは、ちょっと古くなるが7月1日、米国市場でアメリカのEV(電気自動車)メーカーであるテスラの時価総額が一時2105億ドル(約22兆6000億円)となり、同日の東京市場のトヨタの時価総額(21兆7185億円)を抜いて、自動車メーカーで世界首位に立ったことだ。もとより技術者としても実業家としても、イーロン・マスク氏の傑出ぶりは言うまでもないが、昨年の世界販売は僅か37万台である(言わずもがな、トヨタは1000万台を超える)。
 もう一つは、中国のドローン(小型無人機)メーカーDJIの最新機種を分析したところ、約8割の部品(金額ベース)で汎用品を使い、競合比で約半分という低コストと技術力が競争力の源泉であることが浮き彫りになったことだ(8月28日付、日本経済新聞)。
 日本は長らく「ものづくり大国」を自称し、実際に世界を牽引してきた。しかし、それも1980年代までのことだろう。冷戦が崩壊して東欧が国際社会に復帰し、天安門事件でいったん孤立した中国が再び国際社会に包摂されてからは、「ものづくり」の国際分業が加速し、日本は空洞化して行った。象徴的なのが、パソコンや携帯電話やスマホなどの情報機器だろう。コアな部品(OSやCPUなど)が標準化された特殊な産業で、技術が成熟するにつれ、開発・製造は台湾ODMによる中国工場で行われるようになった。エイサー創業者の施振栄(スタン・シー)氏が描いて見せた所謂「スマイル・カーブ」(横軸に開発・製造から販売・サービスに至るビジネス・プロセスを、縦軸に付加価値をとった場合に、川上の部品・素材、川下のSIやサービスという両端で付加価値が高く、真ん中の組立工程で低くなる)に沿った動きだ。ところが、二つ目の記事は、日本のメーカーが一種の「神話」と信じて進めて来た国際分業を否定するような動きを示しているように見える。他方、自動車産業は、パソコンなどとは違って、自社製エンジンとメカの組合せ(所謂擦り合わせ技術)に日本独自の強みがあって、安定した成長を遂げて来た。ところが、一つ目の記事で、トヨタと言えども安泰とは言えないことが読み取れる。
 日本の「ものづくり」が失敗したのは、ハードウェアとソフトウェアの開発・製造のプロセスの違いを認識できていないからではないかと思う。
 例えば、日本のパソコンは、商品を企画してから市場にリリースするまでの期間が長いと言われた。日本では品質の安定を重視するため、何種類かのCPUやメモリなどの部品の互換性や、HDDその他の周辺機器の接続テストを実施する上、家計簿ソフトや年賀状ソフトなど、バンドルする様々なアプリケーション・ソフトを評価するため、時間が余計にかかってしまうのである。そうこうしている内に、次のCPUやメモリやHDDの新製品が市場に出て来るので、パソコンが出荷される頃には最新スペックではなくなってしまう(その代わり品質の安定性は担保されるのだが)。私が駐在したマレーシアをはじめとする東南アジア諸国は「新しいもの好き」で(笑)、最新鋭のCPUやメモリやHDDを搭載するからこそ売れるのであって、日本製はさっぱり人気がなかったものだ。
 すなわち、ハードウェアのものづくりは、量産ラインに乗せる前に、バグを潰して完璧にすることで、後戻り工数やコストを減らすことに本質があり、そのためにカイゼン活動がある。それに対して、ソフトウェアは、カタチが出来たら先ずは世に出して(アルファ版、ベータ版など)、後からパッチを当てるなどして、バグを潰して完成度をあげて行くという、製品の作り方に顕著な違いがある。それが、日本は石橋を叩いて渡り、アジア諸国は走りながら考える、という行動性向の違いにマッチしているのがなんとも不思議だ(笑)。想像するに、日本メーカーはパソコンをハード製品と認識して、ものづくりの発想で製品を作り込んでいたのに対し、日本以外ではパソコンをソフトを動かすツールとしか見ていなくて、ソフトウェア開発の発想で、パソコンを売っていたのではないだろうか。こうしてスピードで負け、売れなければ、ボリュームが出ないので、コストでも負けてしまう。パソコンを分解したら、限定された台湾の開発・製造会社が請け負うので、中身は殆ど同じだったりするから、コスト・ダウンできなければ商売にはならないのである。
 冒頭、取り上げた二つの記事は、「ものづくり」の重心がソフトウェアに移り、自動車と言えども、メカそのものではなく動かすソフトが、またドローンにしても制御するソフトにこそ、付加価値の源泉があることを示しているのだろう。また余談になるが、中国メーカーには、他国に閉鎖的な自国市場で独占的に量を捌いてコスト・ダウンを図れる国家資本主義であることが有利に働いている。さらに付け加えるならば、最近の日本では、最初から海外を向いて「ものづくり」する気概が見えなくなっている。
 いずれにしても日本のハードウェア志向の伝統的な「ものづくり」は、もはやアメリカのGAFAや中国のBATHと言われるIT企業のスピードについて行けないように思えてしまうのは、別に私のせいではないのだが(笑)、同時代を生きて来たサラリーマンとして内心忸怩たるものがある。アメリカの華為技術(ファーウェイ)制裁によって同社がスマホ事業から撤退するという噂が出るのを見ると、かつて半導体産業で世界に冠たる日本は、ごく限られた製造設備や素材で生きながらえているに過ぎず(それでも韓国に対する輸出規制の武器になり得るレベルではあるのだが)、実はアメリカがしぶとくその技術を握っていることが判明し、愕然としている。日本は世界の希少種としてニッチな世界でしか生きて行けないのか、なんとか復活できないものか・・・というのは、ただの感傷に過ぎないのだろうか。もっとも自動車はパソコンなどと違って、桁違いの品質の安定性が求められるため、パソコンやスマホなどの情報機器での「ものづくり敗戦」と同一視できないだろう。今後、世界のトヨタの「ものづくり」がどのように対抗し進化して行くのか、興味深いところだ。
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韓国における国家の品格

2020-09-15 00:33:12 | 時事放談
 韓国とニュージーランドとの間にちょっとした揉め事がある。なかなか興味深かったので、以下に詳述したい。
 3年前の2017年11~12月頃、駐NZ韓国大使館に勤務していた参事官が、事務室で現地職員に対してセクハラ行為をした疑いが持たれた。韓国外交部は翌2018年10月、実態調査の末、減給1ヵ月の処分を下したが、この軽い対応に納得できなかった被害者は、NZ警察にセクハラ被害を訴えた。NZ裁判所は今年2月になって、韓国大使館に関連資料の提出を命じるとともに、当時の参事官に逮捕令状を発行し、NZ外務省は同令状の執行協力要請を行ったが、韓国外交部は「外交官免責特権」などを理由に全て断った、というものだ(このあたりは、韓国人ジャーナリスト金敬哲氏が現代ビジネスに寄せたコラムによる)。
 ここまでなら、些細な出来事のように思うが、7月28日の韓・NZ首脳電話会談で、文在寅大統領がアーダーンNZ首相から直接、この件に関する抗議を受け、これがNZで報道されて、また火がついた。
 8月25日の韓国・外交通商委員会では、「外交の恥さらし」として叱責が続いたという。ある与党議員から、首脳間外交で外交官のセクハラ事件が取り上げられたのは韓国外交史において初めてのことだとして「外交の基本が議題調整だが、首脳間会談で議題管理をきちんとしなかった」と指摘されたのに対し、外交部の康京和長官は「首脳会談の議題を調整する過程でニュージーランド側からこの議題を扱うという話がなかった」「ところが、結果的に文大統領が心地悪い位置にいらっしゃることになったことを申し訳なく思う」と釈明し、NZ側に謝罪するかについては「他国に外交部長官が謝罪するのは国家の品格の問題」として「今この場で謝罪することはできない」と述べたという(このあたりは韓国紙・中央日報・日本語版による)。
 韓国で「国家の品格」と日本語訳されるものの実体が何なのか、情報が少ないし、日本人の私には測りかねるが、いったん自国の参事官に対する処分を下しながら、NZに対する謝罪を頑なに拒否する姿勢は、日本に執拗に謝罪を求め続ける執念深さとの対比で、やや異様に映る。NZといい、日本といい、与しやすい相手だと、まさか見ているわけではあるまいに(これがアメリカや中国相手だと対応が違った・・・ということは、まさかないだろうと思いたい 笑)。
 これに関して、韓国・漢陽女子大学・平井敏晴助教授によると、韓国では「少なくとも朴槿恵政権以降、フェミニズムへの意識が高まり、日本よりもセクハラに対して敏感なところがある」ようで、実際に韓国の首長によるセクシャル疑惑が話題になった。今回は加害者・被害者ともに同性(男性から男性)だったということで、平井助教授に言わせれば、「韓国でのこの事件の扱いづらさは、根本的な理由として韓国とニュージーランドにおける性的マイノリティ(LGBT:性的少数者)に対する受容度の違いにあるように思われる」「若い世代の人たちも、拒否感までは示さないが、性的マイノリティは遠い存在と考えている。日本に旅行して衝撃を受けたことは何かと聞くと、男性なのに女装をした芸能人が活躍していることだと答える人が多い」「NZ側が声をあげても、韓国側は戸惑ってしまう。韓国政府はこの件に関しては『特殊な事案』だと述べていて、できれば穏便に事を済ませたかったのではなかろうか」ということだ。興味深い見方で、まあ、こういった面は否定しないが、そうは言ってもこれは歴とした外交案件なのだから、相手(NZ側)への配慮や想像力がなさ過ぎると言わざるを得ないように思う。
 韓国・国会での議論で、セクハラ問題そのものよりも、外交上の手続きを問題とするのも、目上(大統領)を気遣う儒教社会の内輪揉めのように見える。報道される限定された情報をもとに決めつけるのはよろしくないと思いつつ、こうして二つの点から、結局、この国を動かすのは、儒教倫理に基づく内輪の論理かと、ちょっと溜息が出てしまった。私の独りよがりであることを望む。
(注)なお、何故、こんなちまちましたニュースを取り上げたかというと、Yahooニュースの履歴に、最近どうも韓国紙の記事が増えているからだ。偏向ではないのか? 韓国の作為がないか? 見たくなくても、つい目に入るので、困る(苦笑)
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大坂なおみの全米オープン

2020-09-13 20:16:37 | スポーツ・芸能好き
 大坂なおみ選手が全米オープンで優勝した。一回り大きくなって帰って来た。
 今回は、前哨戦となったウエスタン・アンド・サザン・オープンでの快進撃からすれば(そしてその前哨戦の決勝で対決するはずだったが棄権した、ビクトリア・アザレンカが相手だったのも因縁であろう)、ほぼ順当な勝利と言うべきであり、私的には驚きはない・・・いや驚きがないことこそ、驚くべきことだろう。何しろ全米オープンという大舞台である。肉体的にも精神的にも強くなった。私は年齢的には、大坂なおみ選手よりお爺ちゃんに近いので(笑)、お爺ちゃんのメッセージに感銘を受けた(笑)。共同通信によると、「恐ろしい孫は持ちたくない。(四大大会3度目の優勝に)びっくりしている」と冗談を交えながら喜びを語ったといい、まさに恐ろしい孫だ・・・いや、年齢的には娘なのだが(笑)
 YouTubeでいろいろな映像を追いかけた。試合そのものについては言うことはない(などと、中学時代に軟式テニス部に属した程度の私が偉そうに言えた義理ではない 笑)。第2セット第2ゲームまでは押されて、このまま負けても仕方ないような展開だったが、本人も認める通り、次の第3ゲームが分水嶺となり、自ら勝利をたぐり寄せた。粘り強い。今シーズン序盤は、1月の全豪オープン3回戦で敗退するなど、必ずしも状態は良くなかった。その直後、「私のビッグブラザーでメンターでインスピレーションを与えてくれる存在だった」とinstagramでその死を悼んだ元NBAのスーパースター、コービー・ブライアント氏が事故死する不幸もあった。しかし、このコロナ禍で自粛を余儀なくされた時間をうまく過ごしたのだろう。新しいフィセッテ・コーチが、「ボールに対して、しっかりした位置を取れるようになった」と評価している通り、フットワークが向上し、前後左右に振られても軸を安定させて打つ姿勢に入れるようになり、後半は要所でのミスが少なかった。
 今回は、コート上の試合そのものもさることながら、コート上でありながらコート外とも言うべき、人種差別問題に対する姿勢が話題になった。前哨戦のウエスタン・アンド・サザン・オープン準決勝を棄権したことに始まり、全米オープンでは毎日、黒人被害者の名前入りマスクを着けて臨んだ。スポーツ選手であろうと芸能人であろうと、このような一種の政治問題(政治問題ではなく人権問題と主張する人もいて、それは分からなくはないが、彼女の知名度からすれば政治問題になると言わざるを得ないだろう)に声を挙げることを問題視するつもりはない。ただ私は正直なところ、彼女の若さ故、そして彼女の存在自体が大きい故、政治的に利用されはしないかと危惧した。
 しかし、それも杞憂に終わった。インタビューで、「みなさんがどのようなメッセージを受け取ったか、それに興味があります。私のマスクを見て話し合いが起きればいいと思います」「私はテニス業界(≒Bubble)の外のことにそれほど詳しくはありませんが、色々な人がこのことを話題にしてくれると嬉しいです」と、思いを語った。Bubbleなる言葉が聞こえたのは、そういうことだったのか・・・その節度をわきまえた発言に、思わず感嘆した。オーストラリアの電子新聞ザ・ニュー・デイリーが前哨戦ウエスタン・アンド・サザン・オープンで、「彼女自身よりも大きな問題のためにプレーすることが、オオサカにクリアな思考をもたらし、それに従ってプレーしている」と評していたが、至言であろう。
 とまあ、私は益々、彼女に首ったけである(笑)。一人のアスリートとして、それ以前に一人の人間として逞しく、さらに日本人らしく・・・などと言うのは妥当ではないかもしれないが、謙虚に成長しているのが、嬉しい。
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小澤征爾の日

2020-09-12 09:13:04 | 永遠の旅人
 忘れない内に書き留めておきたい。小澤さんの誕生日である9月1日がSeiji Ozawa Dayに制定されたという、小さなニュースが流れた。
 ボストンから西にまっすぐ車で3時間ほど走ったところに、タングルウッドという、森に囲まれた田舎町がある。東西にひょろ長いマサチューセッツ州の西部バークシャー郡レノックス市にあり、南隣ニューヨーク州アルバニー空港からだと車で1時間くらいの、この辺鄙な町に、日本人の名を冠した音楽ホール(Seiji Ozawa Hall)があって、毎年夏になると、Tanglewood Music Festivalが行われる。23年前の7月のある日、私たち家族は、このホールの庭先と言うには余りに広大な芝生にレジャーシートを広げて、ピクニックを楽しんだ。BGMは小澤征爾さん率いるボストン・フィルである。入場料は一人僅か20ドルほどだった(芝生席の場合)。真夏とは言え、ボストン郊外ではエアコンが必要な日は殆どないほど、爽やかな陽気の昼下がり、あたりを見渡せば、同じようにピクニック気分の家族連れや若者たちもいれば、簡易イスに仲良く並んで腰かけてワインを傾けながら寛ぐ老夫婦の姿もある、今、思い起こしても、なんと優雅で贅沢な時間だろうか。
 私たちはボストン近郊で生活して僅か4年目だったが、小澤征爾さんは、ここボストンで、実に1973年から2002年まで、ボストン・フィルの音楽監督を務められ、その歴史的な経歴と功績をボストン市から評価されたわけだ。
 当時は、その後に続く日本人メジャーリーガー活躍の先鞭をつけた野茂英雄投手がドジャースに移籍し、実績を築きあげつつあった頃で、日本人の海外での活躍を“密かに”誇らしく思うような時代だった。しかし、小澤征爾さんは別格で、既にボストンの地に根を張ってご活躍され、私がタングルウッドの一日を満喫したのは、その晩年だったことになる。「ボストンで過ごした時間は、僕の人生にとって本当に大切なもので、どこに居ようとも、いつも僕の心の中にあります」とのコメントを寄せ、謝意を表されたというが、この言葉は、僅か4年ながら、初めての海外生活で、第一子を授かり、子育てに奮闘した私にとっても、同じ思いで、僭越ながら一人密かに悦に入っている(笑)。日本人として誇らしいだけでなく個人的にも嬉しい出来事で、誰であろうとも素直に功績を認めるアメリカの懐の深さを尊く思いながら、その偉業を寿ぎたい。
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10年前の事件の真相

2020-09-10 18:38:34 | 時事放談
 2010年9月7日、尖閣諸島沖の領海内で中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝突してきたので、中国人船長を逮捕したが、中国から様々な圧力(人質をとられたり、レアアースの輸出を停められたり、今ならエコノミック・ステイトクラフトと呼ばれるもの)をかけられ、釈放した事件は、思い出すだにいまいましい(苦笑)。民主党(当時)政権の仙谷由人官房長官(当時)は、那覇地検の判断を諒とする、などと言ってカッコつけたが、政治判断が必要となるような場面で検察現場の判断を追認するかのように装ったのは如何にも奇異だった。この事件を巡って、前原誠司さん(衝突時は国交相で、船長釈放時は外相)のインタビュー記事が産経新聞に掲載され、逮捕した中国人船長を釈放したのは、那覇地検の判断ではなく、菅(かん)直人首相(当時)の指示だったことが判明した。菅(かん)直人さんご本人は「私が釈放を指示したという指摘はあたらない」とツイッターで否定されたが、長島昭久さんは仙谷官房長官から話を直接聞いたと証言された。以下は前原さん発言の抜粋(産経デジタル)である。

(引用)
 「下旬に米国で国連総会があり、出発直前にその勉強会で首相公邸に呼ばれた。佐々江賢一郎外務事務次官ら外務省幹部と行った。そのとき、菅(かん)首相が船長について、かなり強い口調で『釈放しろ』と。『なぜですか』と聞いたら『(11月に)横浜市であるAPEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議に胡錦濤(中国国家主席)が来なくなる』と言われた」
 「私は『来なくてもいいじゃないですか。中国の国益を損なうだけだ』と言ったが、『オレがAPECの議長だ。言う通りにしろ』ということで流れが決まった。仙谷氏に『菅(かん)首相の指示は釈放ということです』と報告した」
(引用おわり)

 福島第一原発で海水冷却を停めようとしたときのように、「イラ菅(かん)」と呼ばれた菅(かん)直人首相(当時)の姿が目に浮かぶ(笑)。政権慣れしていない民主党(当時)にあって、市民運動家として名を馳せても首相にはなれない資質が、残酷だがここでも露わになった。因みに、今の韓国が迷走するのは、文在寅大統領本人を含め市民運動家が大統領官邸を乗っ取っているからだと説明されることがあるが、菅(かん)直人政権を知っているだけに妙に納得してしまう(笑)
 さて、何故、いちいち「かん」と振り仮名をつけたかと言うと、今となっては、実質的に次の首相を決めることになる自民党総裁選で議員票の7割を押さえたと言われる菅(すが)官房長官と紛らわしいからだ(笑)。以下はあるコラムからの孫引き・・・ある中国人が、次の首相を巡り、噂を聞きつけて、「日本では菅(かん)直人が復活するのか!?」と、びっくりして尋ねて来たらしい。「いや、それは菅(かん)直人じゃなくて、安倍内閣の官房長官の菅(すが)義偉だ」 これぞ、あ~菅(かん)違い・・・
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中国の恫喝外交・補遺

2020-09-08 22:17:27 | 時事放談
 補遺と言いながら、余談。
 前々回のブログで、安倍さんほど毀誉褒貶の激しい総理大臣は、憲政史上、かつてなかっただろうと書いたが、佐藤丙午教授(拓殖大学)は現代ビジネスに、「日本の総理大臣の中で、安倍首相以上に国内と国際の評価が異なる政治家は珍しい」と寄稿された。確かにその通りだと思う。このあたりは、安倍政権の外交・安全保障政策レガシーに関わることであり、少し紐解いてみたい。
 前々回ブログに、ユーミンに暴言を吐いたとして登場した白井聡氏は、8月30日付の論座に「安倍政権の7年余りとは、日本史上の汚点である」と題する、なんとも刺々しい論考を寄せておられる(笑)。その中で、「単に政治的に支持できないのではなく、己の知性と倫理の基準からして絶対に許容できないものを多くの隣人が支持しているという事実は、低温火傷のようにジリジリと高まる不快感を与え続けた。隣人(少なくともその30%)に対して敬意を持って暮らすことができないということがいかに不幸であるか、このことをこの7年余りで私は嫌というほど思い知らされた」と、一種の被害妄想を吐露された。では何がそれほど問題なのかについて、「長期安定政権にもかかわらずロクな成果を出せず、ほとんどの政策が失敗に終わった。だが、真の問題は、失政を続けているにもかかわらず、それが成功しているかのような外観を無理矢理つくり出したこと、すなわち嘘の上に嘘を重ねることがこの政権の本業となり、その結果、「公正」や「正義」といった社会の健全性を保つために不可欠な理念をズタズタにしたことにほかならない。したがって、この政権の存在そのものが人間性に対する侮辱であった」とまで述べたてる。甚だ感情的に過ぎるが、要は政権運営や手法、権力の行使のあり方に批判的である(と言うより、常人の理解を絶するほどに「憎悪」されている)ことが分かる。ここまで言うのは極端にしても、私の周囲にも、日頃、尊敬できる諸先輩方の中に、TVで安倍の顔を見ると気分が悪くなるのでチャンネルを変える・・・などと憤然と話す方が一人や二人ではないところからすると、一般にアベガーと総称される人々に多少なりとも共通する「気分」ではないかと想像する(勿論、具体的に外交・安全保障政策を批判する人もいるとは思うが)。
 こうした心情的反対派に加えて、安倍政権支持派にも政策面で不満が残ったと、佐藤丙午教授は説明される。「安倍政権の政策は、党派横断的に全ての人間を完全に満足させるものではなく、特定の政治的立場や主張に偏ったものではなかった。ここで偏った、という表現を使用するのは適切ではないかもしれない。ただ、全体的に見ると、安倍政権はバランスの取れた、中道的な政策を実施したのは否定できない」、その意味で、「皮肉な言い方をすれば、保守派などを中心とする安倍応援団は、首相によって『裏切られ』てきた」と述べておられる。その例として、第一期政権期に設置した安保法制懇の最終報告書の全てを採用せず、国内政治上受け入れ可能な内容以外は封印したことと、慰安婦問題で朴槿恵大統領との妥協に応じたことを挙げておられる。いずれも保守派には不満が残った。つまり、国内では反対派も賛成派にも不満が残ったというわけだ。
 他方、海外の安倍政権への評価はおしなべて高い。ブルームバーグのインド人コラムニストはCOURRIER誌で、「アジア諸国が安倍首相の退陣を惜しんでいる」と題して、「自由で開かれたインド太平洋」構想を念頭に、「インドは中国軍とヒマラヤ山脈地帯で衝突し、オーストラリアは自国内の中国の影響と葛藤し、アメリカは国内の分裂で消耗するいま、安倍のとても日本的な形の自己主張はこれまで以上に、かけがえがないように思える」と絶賛したのは、インド人としてはまあ当然だと言えなくもない。9月8日付ニューズウィーク誌は、「世界が機能不全に陥った時代に日本を合理性のモデルとして世界に示すことに成功した、あまり愛されなかったリーダーのことを」「日本は懐かしく思い出すかもしれない」と書いた。トランプ大統領に悩まされるアメリカのリベラル派としてもまあ当然だと言えなくはない。また同誌でマイケル・オースリン氏(スタンフォード大学フーバー研究所)は、「安倍晋三は『顔の見えない日本』の地位を引き上げた」と題して、中国の台頭を念頭に、「安倍の辞意表明で中国政府がほっとしているのは間違いないだろうし、インド太平洋地域や世界における日本の役割の拡大に向け、後継の首相には安倍ほどのエネルギーもビジョンもない人間が就くことを期待しているはずだ」「米政府は過去10年近く、日本の指導者が日米同盟に完全に忠実で、国会でも多数の支持を得られて、世界第3位の経済大国にふさわしい役割を果たすかどうか、心配する必要がなかった。遠くない将来、アメリカと同盟国はそんな安倍時代を懐かしく思う日が来るかもしれない」と書いた。内政の運営手法にはさして興味がないであろう海外の人の目には、客観的に政策の筋の良さが認められ得るということだろうか。佐藤丙午教授は、「米国を国際社会に繋ぎとめることに成功している」し、「中国との関係では、民主党政権下で拗れた尖閣諸島の購入問題を解決し、日中双方が政治的に妥協できるレベルにまで関係を戻した」と評価される。しかし、北朝鮮による日本人拉致問題の未解決と、ロシアとの北方領土交渉の二つについては、「結果志向の外交・安全保障政策が大きな禍根を残した」と手厳しいが、感情的にならずに冷静に評価できる人には概ね首肯できる内容であろう。
 佐藤丙午教授の場合は、外交・安全保障政策にフォーカスし、さらに党派性を峻別して述べておられるが、国内外の評価をひっくるめて、私のようにそれほど党派性に拘りがない者も含めて、外交・安全保障政策に注目すれば、安倍政権に対して高い評価を与えられるだろうし、内政、とりわけ行政や権力行使の統治の局面に注目するならば、白井聡氏は極端にしても、辛い評価になる、ということなのかも知れない。
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