風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

アジアの火薬庫?

2017-04-26 02:06:54 | 時事放談
 かって民族問題がややこしいバルカン半島は第一次大戦の引き金を引き、ヨーロッパの火薬庫と言われた。1990年代以降もユーゴスラビア紛争が発生した。朝鮮半島情勢も緊迫するが、アジアの火薬庫となるのかどうか。今日のところは何とか無事だった。
 どうやら日・中・米が連携し北朝鮮に圧力をかけている模様だが、この一連の動きの中で最も印象的だったのは、今月6日、トランプ大統領が習近平国家主席との夕食会のさなかに、シリア攻撃を伝えた場面だった。トランプ大統領がFOXニュースのインタビューに答えたとして、共同通信が伝えたところをそのまま引用する。

(引用)
 トランプ米大統領は12日放送の経済専門チャンネルFOXビジネスのインタビューで、中国の習近平国家主席を招いて南部フロリダ州で6日に行った夕食会において、最後のデザート中に習氏にシリアへの攻撃を説明したと明らかにした。習氏は10秒間沈黙し、通訳を通じて「もう一度、説明してほしい」と聞き返した。
 夕食会はトランプ氏の高級別荘「マールアラーゴ」で開催。食事を終え、トランプ氏は「見たこともないほど、きれいなチョコレートケーキ」を食べる際に「説明したいことがある」と習氏に切り出し「たった今、シリアに59発のミサイルを撃った」と伝えた。
 ケーキを食べていた習氏は説明を聞いた後「子供や赤ん坊にガスを使う残虐な者に対してなので(武力を使うことは)問題ない」と語り、理解を示したという。
(引用おわり)

 習近平国家主席の狼狽ぶりが看て取れる。4月6&7日の米中首脳会談から帰国するや、11日(中国時間12日)、再びトランプ大統領と、今度は長い電話会議を行ったところを見ると、随分、仲がいいなあ・・・なんて呑気なことは言っておれず、上記反応に見られる通り、6&7日の会談は完全にトランプ大統領に気圧されたままロクな成果なく帰国し、それが帰国後の中国で問題になった可能性をうかがわせる。
 その後、トランプ大統領は、ダメ押しするかのように再び北朝鮮を牽制しかつ中国が北朝鮮を説得するよう圧力をかけるべく、アフガニスタンで大規模爆風爆弾(MOAB)「GBU43」を投下して見せた。IS(イスラム国)が防御用に使っているとみられるトンネル施設を攻撃したものらしい。MOABは核兵器を除く通常兵器としては最大の破壊力を持ち、実戦で使われるのは初めてと言う。なかなか予測困難なトランプ大統領の本気度がさすがにこたえたか、北朝鮮は、15日の故・金日成主席生誕105年に、軍事パレードは行ったが6度目となる核実験の挑発は行わなかったし、今日25日の朝鮮人民軍創建85周年にも、やはり核実験による挑発を行わなかった。
 どうやら今回、中国は本気らしい。中・韓ひいては中・米(在韓米軍)の緩衝地帯である北朝鮮が暴発して米軍の報復を受けて崩壊するような事態に至っては、元も子もないのであろう。国連安保理でも、対シリア非難決議にせよ対北朝鮮のミサイル発射非難決議にせよ、ロシアは採決に当たって拒否権を発動したが、同じく拒否権発動の常連だった中国は、今回は棄権に回った。トランプ大統領との会談の成果だろう。
 一体、朝鮮半島の膠着状態はいつまで続くのだろうか。
 自衛隊幹部だった方が、トランプ大統領が中国とディールし、在韓米軍を撤退あるいは大幅縮小するのではないかと予測された。面白い頭の体操だが、東アジアにおける米国のプレゼンスを落とすような方向に向かうとは考えにくい。日本の安全保障への影響も甚大だ。
 北朝鮮メディアによると、平壌で11日に開かれた最高人民会議(国会)で「外交委員会の選挙」が行われたらしい。外交委員会は1998年に廃止されたが、それが復活したことについて、韓国統一省報道官は「核・ミサイル開発を進めつつ、対外関係にも関心を注ぐという意思表示で、最高人民会議を対外関係改善に活用しようとの意図」との見方を示した。米・朝のディールがあり得るのだろうか。5月には韓国大統領選挙があり、それに合わせて北朝鮮が動くのか否か。暫く朝鮮半島情勢から目が離せない。
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渡部昇一氏逝去

2017-04-21 01:57:58 | 日々の生活
 三日前のことになるが、渡部昇一氏が亡くなった。享年86。
 かつて私が子供の頃の各家庭では、朝日新聞、NHK、岩波書店が定番だった。日本的な意味でのリベラルあるいは進歩的知識人と言われる人たちが活躍する場であり、それが戦後しばらくの国民の気分だったのだろう。我が家も勿論、例外ではない(因みに私の父親は根っからの自民党支持者でありながら、ごく最近まで朝日新聞を購読していた、なんたる混迷・・・)。しかし私は物心ついた頃からなんとなく馴染めないでいた。いかにもスマートな論理で耳に心地良いはずなのに、どこか偽善的かつ独善的で、そのために上滑りで空虚で地に足がつかない心許なさを感じてしまう。そのあたりはもしかしたら保守主義の元祖エドマンド・バークがフランス革命を批判したときの感覚に近いのではないかと思ったりする。しかし、当時はまだ明確に反論できないでいた。そうすると恐ろしいもので、中曽根元首相と言えばいつしか「不沈空母」発言で勇ましい青年将校のイメージが出来上がってしまった(苦笑)。朝日新聞はまことに罪深い。
 それだけに、渡部昇一氏の保守的な評論は新鮮だった。中でも私の中で確固たる地位を築いたのは、忘れもしない1982年、文部省(現・文科省)による教科用図書検定において、昭和前期の日本軍が「華北に『侵略』」としていたものが「華北へ『進出』」という表現に書き改めさせられたと新聞各紙が報道して、日・中間の外交問題にまで発展した、第一次教科書問題のときである。たまたま読んでいた保守系オピニオン誌「諸君!」に掲載されていた論文「萬犬虚に吠える」において、渡部氏はマスコミ報道を鵜呑みにすることなく、「侵略」が「進出」に書き改められた事実はないことを丹念に実証し、誤報だと切り捨てたのだった。事実を報道する大手新聞は間違えない、などと信じ切っていた素直な私には衝撃的な出来事だった。今でこそネット社会で、右から左まで入り乱れて、ネトウヨやパヨクなどと揶揄される始末だが、渡部氏はこうした時代に遥かに先行して穏健保守をリードして来られた方だった。
 もとは英語学者なのだが、以来、私は専ら渡部氏の保守派論客としての評論に親しんできた。その保守的な感覚に対して、私自身も海外駐在し、日本および日本人を外から眺め、相対化することによって、あらためて郷土愛に近い愛国心を抱くに至って、益々共感するようになった。似たような保守派の論客に西尾幹二氏がいて、彼はドイツ文学者だが、やはり同じように日本および日本人を相対化することによって保守へと傾いて行かれたのだろうと想像する。こういった地理的に多様な、かつ歴史的に深みのある目線は、どうも日本的なリベラル(端的にはサヨク)にはない資質であり、彼ら彼女らは所詮はイデオロギーなのだろうと思う。
 イデオロギーということで言うと、江藤淳氏は「保守とはなにか」という論説の中で、「保守主義というと、社会主義、あるいは共産主義という主義があるように、保守主義という一つのイデオロギーがあたかも存在するかのように聞こえます。しかし、保守主義にイデオロギーはありません」とことわった上で、「保守主義とは一言でいえば感覚なのです。更に言えばエスタブリッシュメントの感覚です」と結論づける。渡部氏にはやや教条主義的なところがないわけではなかったが、氏の優しい眼差しの、まさに保守の感覚を、私は愛した。つい最近も、百田尚樹氏との対談「ゼロ戦と日本刀」が文庫化されたので読んだばかりだった。氏の思いは百田氏など私たちの世代にもしっかりと受け継がれている。
 謹んで氏のご冥福をお祈りする。合掌。
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燃え尽き症候群

2017-04-18 23:26:00 | スポーツ・芸能好き
 暗~い大学受験が終わって晴れてぴかぴかの一年生として、春爛漫の新学期が始まると、やれ健康診断だ、サークル活動の勧誘だ、新歓コンパのハシゴだ、本業の科目選びだ(もっと言うと簡単に単位が取れる科目かどうかといった情報収集だ)と忙しいこともあって、浮足立って気がつかないでいるのだが、ゴールデンウィークが明けて一段落した頃に、さて本格的な大学生活が始まると思いきや、なんとなく(目標)喪失感に襲われて、やる気が出ず、毎日、大学には顔を出すものの講義に出るわけでなし、喫茶店で友人を見つけてはだらだらと喋り、暗くなるとアテもなく飲み歩いて、日々を無駄に過ごしたものだった。所謂「五月病」である。
 今の気分もそれに近い。冬の間、酒も食事も(私なりに)節制して、インフルエンザや風邪にも気を付けながら、せっせと(私なりに)走り込みをして、年寄りの冷や水と揶揄されようが、ちまちまと身体をつくって大会に備えて、緊張していたのだ(私なりに)。いざ日曜日のレースを以て今シーズンが終わった・・・と思ったら、なんだか虚脱感に見舞われて、一気に緊張が解けたのか体調を崩して、季節外れもいいところだが喉を枯らして鼻をずるずるする始末である。「五月病」と言うより「燃え尽き症候群」と呼ぶのが正しそうだ。本来は「一定の生き方や関心に対して献身的に努力した人が期待した結果が得られなかった結果感じる徒労感または欲求不満」(Wikipedia)のことを言うらしいが、そこまで深刻な精神状態ではないにせよ、日本では「部活動を引退する高校3年生、オリンピックや世界大会を終えた日本代表選手などが『それまでの人生最大の目標を終え、打ち込む物が何もなくなった』という虚脱感に襲われること」を「燃え尽き症候群」と称するらしい(同)。遠慮して「ミニ燃え尽き症候群」とでもしておこう。
 マラソンを走るのが趣味かと問われれば、ちょっと違う。好きで走るほど酔狂ではないし、ましてや「マラソン・命」とは程遠い。そもそも練習嫌いだ。なるべく練習しないで、でもなんとか完走したいと思う(きっと同年代の似たような記録の人たちよりも格段に練習量が少ないと思う・・・などと自慢げに思ってしまう)。この程度の練習量でここまで出来る!と瀬踏みするようなところがある。そのココロは何だろう。以前、「身体にキレ」が戻るのが心地良いと書いた。「意地」がないわけではなし、「達成感」もないわけではなし、「マゾヒスティック」でないわけではなし、「ナルシシズム」でないわけではなし、と書いた。そして加齢とともに「健康問題」も絡んでくるが、それはキッカケでしかないような気がする。ということは、つまるところ若さを実感したいだけの、ただの悪あがきか。我が家のヘルスメーターによれば、体重を10キロ以上減らして、体脂肪率12%台、内臓脂肪7、推定年齢38~40を維持しているのを見るのは、自己満足、自己陶酔以外の何物でもない。だからと言って、年がら年中、走るほどマメではないから、いつの間にか春から初秋までは(この歳で暑い中を走るのは危険だと言い訳にして)完全休養にしてしまった。マラソン指南役の同僚からは、春は走り込み、夏はスピード練習、と言われていたにもかかわらず、である。さすがに、BREXITの英国ならぬ「良いとこどり」も、そろそろ限界かも知れない。
 真央ちゃんのように「人生そのもの」と言えるとカッコイイが、もとより私にとって走ることはそんなものでは到底ない。しかし何かしら「ご縁」があるのである。鹿児島で生まれた頃は元気そのものだったのに、3歳で大阪に引っ越してからは(水が合わなかったせいか)病弱になり、健康づくりのためと称して、父親に毎朝、嫌々ながらもジョギングにつき合わされたのが最初だった。中学生の体育の授業では、毎回、最初に3分間走と称して裏山をぐるりと一周走らされ、反抗期でサボる生徒が多い中で、いつもムキになってクラス・トップを争ったまでは可愛げがあるが、高校では陸上部で中距離を専門にし、若い有り余るエネルギーを良からぬことに発散させることなく、清く正しく、さんざん走り疲れたはずだった。スピード練習ばっかりやっていたので、(実際に高校生が5000メートルを全速力で走るよりも速いペースで42キロを走り続ける)マラソンなんて土台無理だと諦めていた。それなのに、アメリカ駐在中、同僚に勧められるまま、フル・マラソンの大会に参加するようになり、15年のブランクの後、今また「燃え尽き症候群」になるまで走ることになろうとは、一体どうしたことか。私にとって走ることは「業」のようなものなのか。
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青梅への道 三たび(4)

2017-04-17 23:16:37 | スポーツ・芸能好き
 青梅マラソンへの道と題しているが、1シーズンに1回くらいはフル・マラソンを走りたくて、長野マラソンにエントリーしていたので、その番外編、長野マラソン編である。
 長野マラソンは、何故4月半ば(今年は4月16日)に行われるのか、行ってみて分かった。東京より一週間から二週間の遅れで、桜が満開なのである。しかも、オリンピックで使用された施設が残り、1万人が参加する大会でも、男女別々の着替えのために収容できるスタジアムや体育館をスタート地点とゴール地点のそれぞれに用意できるくらい恵まれていて、ロジスティクスは実によくオーガナイズされ、全てがスムーズに流れるのだ・・・と、感心している場合ではない。今回は、不覚にも41.1キロ地点の最後の関門に引っ掛かり、フィニッシュ出来なかった。完走メダルも、記念タオルも貰えずじまいで、落ち込んでいる。
 言い訳はいくらでも思いつく。先ず、この地方にしては珍しく気温が高かった。宿泊した温泉宿屋の女将も、異常だと言うくらい、予想最高気温24度(最低気温7度)、私が40キロ手前をよたよた走っていた13時の気温22.3度(長野気象台発表)は、お世辞にもマラソン日和ではない。なかなかスピードが出ないし、10数箇所の給水所のたびに立ち止まり、スポーツ・ドリンクを口に含み、顔や首や手に水をかけるだけでも、時間のロスになる。それから、今回はマメ対策で、1サイズ小さくて、靴ベラがないと履けないくらいぴっちりした靴にしたのだが、これまでとは違う箇所に・・・小指や薬指の爪の周りがマメで膨れてしまって、右足の方は破裂して、またしても痛くて力が入らなくなってしまった。さらに練習不足である。
 思えば今シーズンは、12月の湘南国際マラソンを(ある資格試験の二次試験と重なったために)欠場して、勢いを削がれてしまった。2月の青梅マラソンまでの一ヶ月間に84キロ、この長野までの一ヶ月半の間に125キロの走り込みをやるにはやったが、せいぜいジョギング・ペース(1キロ6分)の身体を作る程度で、毎年、同じ量かやや劣る量の練習しかしないとすれば、加齢とともにキツくなるのは道理だ。甘かったと言わざるを得ない。甘いと言えば、5時間の制限時間のことは気になっていたものの、それぞれの関門の正確な足切りの時間を把握していなかったのも甘かった。40キロ地点で、残り1.1キロ、6分半という掛け声に、我に返って、痛みをこらえて俄かにダッシュしたのだが、時すでに遅く、100メートルほど手前で締め切られてしまった。仮にそのまま完走していたとしても、5時間を切れないペースは、日米通算13回目のフル・マラソンにして初めてで、それだけでもショックなのに、追い討ちをかけるように「記録なし」で、叩きのめされて暫く立ち直れそうにない(とは、ちょっと大袈裟)。なお、決して慰めにならないのだが、この日の男子の出走者8,159名中、完走したのは6,435名(完走率78.9%)、女子の出走者1,504名中、完走者1,089名(完走率72.4%)で、9,700人弱の内、2,100人が完走できなかったのは、ちょっと尋常ではない。
 町興しのためだろう、ゼッケン受け取りは前の晩のみ(当日受付なし)で、遠方からのランナーは前泊する必要があり、この週末、市内の宿屋は大はやりだった。私とかつての同僚が宿泊した隣町の鄙びた温泉宿屋の女将は気さくな方で、帰りに寄っていらっしゃいと言ってくれて、マラソン後の疲れた身体を温泉で癒させてもらった。信州蕎麦も食して、ちょっとした旅行気分で、その限りでは満足だったのだが、帰りの高速では渋滞につかまり、家に辿り着いたのは昨晩11時過ぎ・・・東京から長野はちょっと遠い。そして、何より、来シーズンは、覚悟を決めてもっと練習するか、それともフル・マラソンはもう諦めるか、ちょっとした岐路に立たされているような感じで、いつもにもまして寄る年波という現実を突き付けられて気分が滅入る春の夜である・・・
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真央ちゃん引退

2017-04-14 00:05:58 | スポーツ・芸能好き
 まるで隣近所か親戚の女の子のように親しげに「真央ちゃん」と呼ばれ、愛されたスポーツ選手は今だかつていなかったのではないだろうか。おっとりとした喋りに華奢な身体つきで真摯に技の高みに挑む姿は感動的で、さながら氷上の妖精のように人々を魅了し、キムヨナが技よりも演技力で勝ちを求めたのとは好対照をなして、2010年のバンクーバーでも、2014年のソチでも、オリンピックで勝てなかったときには、日本中の溜息を誘った。
 昨日、行われた記者会見は、NHKを含むテレビ各局で生中継された。NHKが途中で中断したらネットで批判が相次いだらしい。後からニュースをちらっと見ただけだったが、ペンダントやイヤリングや指輪などの貴金属類は一切身に着けず、白のジャケットに黒いスカート姿というシンプルないでたちに、あらためてこの子のこの飾りっ気のなさと素直さが、日本中の誰をもして「守ってあげたい」「何とかしてあげたい」と思わせたのだと、あらためて感じ入った。日経新聞ですら、スポーツ欄や社会欄で特集記事が連日続いた。
 中京大スポーツ科学部の湯浅景元教授によると、「骨盤の広い女性が3回転半を跳ぶのは、男性より2~3割大変。身長が1センチ伸びただけで感覚もずれる」ものらしい。2005年にグランプリ・ファイナルを初制覇した15歳当時、1メートル58だった身長は1メートル63になり、そんな成長期にぎりぎりの技に挑み続けるのは大変なことだったろうと、今さらながら思う。
 以前にも伊藤みどりや八木沼純子や荒川静香や安藤美姫といったヒロインがいたが、真央ちゃんのお陰で、真の意味でフィギュア・スケートが日本でメジャーになった。真央ちゃんに憧れてスケートを始める子供達が増え、スケート人口の裾野が広がって、有望な若手も登場し、今ではすっかり日本の得意種目になった。連盟はスポンサーやチケットの収入が劇的に増え、真央ちゃんがシニア・デビューした2005年度に約6400万円だった単年度黒字は、13年度には11億円超まで膨らんだという。
 一つの時代の終わりを感じさせる選手はなかなかいるものではなく、胸にこみあげるものがある。
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生命力・続

2017-04-11 23:52:36 | 時事放談
 朝鮮半島情勢が俄かに緊迫化しているのだが、前回のサクラの話を続ける。
 普段、私たちが目にするサクラは、ソメイヨシノだ。幕末から明治初めに、東京の染井(江戸の染井村:現在の東京都豊島区駒込)で作って売り出され、大変な人気を集めたと伝えられる。その後、日露戦争の戦勝記念や昭和天皇の御大典記念や昭和15年の紀元2600年記念のとき、はたまた関西では室戸台風の後の復旧のときや、河川改修した堤防などで大量に植えられたことから全国的に広がった。最近になって、ソメイヨシノの寿命はそれほど長くないことが分かってきたらしい。50年とか60年、せいぜい100年という。そのため、先ほどのナントカ記念当時に植えられたものが、今、どんどん枯れかけているという。
 ソメイヨシノは、ヒガンザクラ(エドヒガン)とオオシマザクラの交配種と言われ、接ぎ木が簡単で、早く育ち、枝にたくさん花をつけることから大いに広まったのだが、所詮は人間が増やしたもので、桜守に言わせると、「人間がつくった桜やから、最後まで人間が世話してやらんと育たない」ということらしい。どうも雌蕊が退化していて、本来なら成熟すると蜜になる樹液に虫が寄って来て媒介するところ、蜜が出ないため虫が寄りつかず、そのため実がならず、人間が作り続けていかなければこの世から消えてしまうということだ(桜守・佐野藤右衛門さん)。つまりソメイヨシノは今風に言うとまさにクローンであって、全ての個体が基本的に同一で、同一の条件で咲き、それが全国遍く広がっているため、さくらの開花予想(桜前線)を合理的に行うことが出来るのだが、なんとなく象徴的な話ではないだろうか。
 例えば日本は、日本列島というユーラシア大陸の東の離れにあって、あちらこちらから人が流れ着き、いつしか国をなした、言わば自然発生的な国であって、多少の伸縮はあったが日本列島=日本の国境をなし、太古から変わらず続く稀有な国だ。東日本大震災を思い起こせば分かるように、纏まる時には纏まる強靭さがあるものの、そもそも普段の国家意識は甚だ心許ない。むしろ有害とさえ思う人が多いくらいだ。ところがアメリカは欧州文化の言わば接ぎ木であり、さまざまなバックグラウンドをもつが故に、国として纏まるためには、将来に向かって、国家設立の目的とも言うべきアメリカン・ドリームを体現し得ることを確認し続ける必要がある。中国に至っては彼の地で常に(数百年おきに)接ぎ木の実験をしているようなもので、そもそも市民社会など存在せず、国家に対する信頼に自信も持てないものだから、欧米や日本の情報が入って来るのを有害で傍迷惑とばかりにシャット・アウトし、捏造した歴史教育を通して愛国意識を鼓吹し続け、かつての栄光の中華帝国の夢を追う。
 そんな人工国家である米・中二大国が首脳会談を行っている間、トランプ米大統領は大芝居をうった。言わずと知れたシリア攻撃である。巡航ミサイル59発をシリア中部のシャイラト空軍基地にぶち込んだのだ。ロシアによれば、同基地に到達したのは23発にとどまり、滑走路は無傷だと言うが、本当かどうか知らない。結果がどうであれ大きな問題ではない。トランプ大統領は、アサド政権に対する軍事攻撃を命じたとき、「化学兵器の拡散と使用を阻止し抑止することは、米国の安全保障にとり死活的に重要だ」と強調した。これはシリアと言うより北朝鮮に宛てたメッセージではないかと思うし、会談中の習近平国家主席へのプレッシャーでもあると私は受け取った。実際、トランプ大統領は習近平国家主席との夕食会の間、「国家安全保障会議(NSC)高官からシリア攻撃の進展状況を聞くなど、『重大行動』に取り組む自らの姿を習氏に誇示するように振る舞」(産経Web)い、さすがに「習主席一行は食事が終わるや、早々に宿舎のホテルに引き返した」(同)らしい。金正男氏殺害事件で神経剤VXが使われたように、推定2500~5000トンの化学兵器を貯蔵する化学兵器大国・北朝鮮に対して恫喝ともとれる警告を行い、その後ろ盾としての中国に対して、オバマ前政権とは違ってやるときにはやる行動力を見せつけた恰好だ。
 さらに米海軍は、シンガポールを出港した原子力空母カール・ビンソンを中心とする空母打撃群が、豪州へ南下する予定を変更し、朝鮮半島近くに向かわせたと発表した。ミサイル駆逐艦などで構成する水上戦闘群も、米西部サンディエゴから西太平洋へ航行しており、空母打撃群に合流すると報じる米メディアもある。近々予定される北朝鮮の記念日イベントに絡めた核やミサイル発射実験に対する牽制だろう。
 シリアはテロとの戦いの場ではあるが、アメリカに直接の脅威を与えているわけではない。ところが、北朝鮮はアメリカに到達する弾道ミサイルの開発に余念がない。なにしろ核と化学兵器によって生命力を繋いでいる国である。いつしか北朝鮮がレッドラインを超えたと、トランプ大統領が見做したとき、トランプ大統領はいよいよ行動に出るかも知れない。その前に北朝鮮が、おめおめと自滅するくらいなら、と暴発しなければよいのだが・・・。
 春爛漫というのに、不穏な時代に入ったものである。
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生命力

2017-04-09 21:50:02 | 日々の生活
 今年の東京のサクラは、3月21日に開花(宣言)後、寒の戻りもあって足取りが遅く、東京管区気象台が満開を発表したのは先週日曜日だった。この一週間は暖かい日が続き、コートを脱いで軽くなった身で外を歩くと、あちらこちらで咲き誇るサクラや桜吹雪を楽しむことが出来て、春を全身で感じることが出来た。
 「花の命は短くて・・・」と詠んだのは林芙美子で、人生や恋愛(あるいは自分自身)を譬えたものだろうが、まさに人生を早送りして見せてくれているかのようなサクラは、人々の目を、心を惹きつける。寒い冬を乗り越え、「ほころび」「笑いかけ」(いずれも桜守の表現)華やぐ姿には生き物のもつ生命力を感じさせるし、この季節には何故か花曇りが多く、風に煽られ雨に打たれながら無残にも散り行く姿には、恨みがましさよりも潔さが見えて、人生かくあるべしとの思いを募らせる。
 京都のある桜守によると、そんなサクラが弱ってきているらしい。枝を折ったり芽を踏みつけたりするカラスのせい・・・しかしこのカラスを招いたのは花見客のゴミのせいだというし、葉を落として栄養を蓄える冬の時期が短くなっているせいでもあるという。
 私事になるが、今年の花粉症は例年になく軽い。ここ数年、毎日食するようにしているヨーグルトのお陰かとも思うが、生命力の翳り(つまりは反応の劣化)でもあるのではないかとも思って、やや複雑な思いでいる。
 国家や企業も同じで、諸行無常、盛者必衰は世の流れのはずなのだが、「中華民族の偉大なる復興」を掲げる人もいれば「Make America Great Again」を叫ぶ人もいて、お互いに角逐する者同士がそれぞれに秘めたる思いを胸に会合する。その会議の最中に一方がシリアを攻撃して他方を牽制する。自然を愛でる日本人にとって、とかく人の世は難しい。
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衝撃の・・・

2017-04-06 23:26:48 | 日々の生活
 最近、ある研修に参加したところ、グループ分けされた後でチェックインと称して「所属と氏名」、「衝撃の過去」、「本日の研修への期待」の三つのテーマを簡潔に語るように言われ、はたと困ってしまった。自慢じゃあないが「衝撃」などとは縁のない穏やかでささやかなこの人生、である。しかしあれこれ迷っている暇はないので、自分では「衝撃」とは思っていないが他人とはちょっと違うであろう経歴の一部を話すことにした。これまで二度、海外駐在したが、二度とも事業閉鎖に追い込まれて帰国した。また海外に出て働きたい希望があるが、どうも縁起が良くない男のようなので、三度目は遠慮している、と。ちょっとウケた。
 前置きが長くなったが、昨日のニューズウィーク日本版ウェブ編集部によると、ネコはどうも人間のことが好きらしい。「衝撃」の事実だ。
 犬派か猫派か問われると、だいたいその人懐っこさから犬派が多いものだ。ある統計によると、犬好き61%、猫好き39%といった塩梅で、日本で飼っている人の比率もほぼこれに近いらしい。犬を選ぶ理由として「猫は裏切るけど、犬は裏切らない」、「忠実」、「従順だから」、「一緒に散歩ができるから」、「猫は不気味」などとあり、人間の身勝手さが如実に表れている。逆に猫を選ぶ理由として「構わなくても大丈夫だから」、「わんわん吠えないから」、「小食だから」、「家畜化の度合いが低いから」などとあって、猫好きとは言え猫と適度な距離を保てることが好感されているような印象である。
 ところが、先のニューズウィーク紙が孫引きするオレゴン州立大学の研究によると、猫はどんな刺激を一番喜ぶのかを見極めるため、55匹の猫(飼い猫23匹と、動物保護施設の保護猫22匹)を対象に、4種類の刺激物(食べ物、おもちゃ、におい、人間との交流)の中から猫が最も好むものを調べた結果、猫は人間との交流を一番好むことが分かったという。研究結果は学術誌Behavioural Processesに掲載されたというから、真面目な研究のようである。具体的には、55匹中、うまく実験をこなせたのは38匹だけ、ちょうど半数の19匹がほとんどの時間を人間と過ごし、次いで14匹の猫が食べ物を選び、4匹がおもちゃを選び、においを選んだのは1匹だけで、飼い猫か保護猫かによる違いは見られなかったという。サンプル数が少ないし、どの人間にどう反応するかは猫によって異なる可能性がある、としているが、繰り返しになるが意外な事実である。警戒心が強いが人間には興味がある、ということか。
 私は犬も猫もどちらも好きだが、そう言ってしまうと身も蓋もないので、どちらか選べと言われたらやっぱり犬を選ぶ。擦り寄って来る者に対して「可愛い奴よのう」と目を細めるのはお代官様だけではない。しかし、一般には自由気ままで媚びないと思われている猫が擦り寄って来たら、特別にいとおしくなって、それは犬の比ではないかも知れない、これも人間の男女関係にも通じる心理か・・・。
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テレビ番組広告

2017-04-01 10:51:07 | 日々の生活
 最近は齢のせいかテレビを進んでは見なくなった(つまりその番組のために自分の時間を合わせることはない)が、それでも茶の間にいてその時間になるとついチャンネルを合わせてしまう番組がある。
 一つは土曜の夕方6時半から30分の「満点☆青空レストラン」(日テレ)で、日本全国津々浦々を訪れるロケ番組だ。毎回一ヶ所、ご当地食材を一つ取り上げて、宮川大輔とゲストが自ら収穫を手伝うところから始まり、時に調理も手伝い、試食して「うまーい!」と叫ばせ、最後はメインディッシュとともに、スポンサーになっているサッポロビールで乾杯する、お決まりの流れになる。いろいろ調理に工夫があって興味深く、地方の農林水産業のプロモーション(地方創生!)と分かっていても、日本の豊かな自然の恵みを感じることができて幸せな気分になる、なんとものどかな番組だ。
 そう言えば、その昔、日曜昼前に「海ごはん山ごはん」(フジ)という僅か5分の番組があった。こちらは確かコカコーラが提供し、言わばコカコーラのCMを5分の番組にしてしまったようなシロモノで、毎回、若者たちがピクニックさながら、自然の中で楽しく調理し、コカコーラを飲みながら楽しく食べ、自然を満喫する、こちらも何とものどかな番組だった。今考えると、いずれも楽しく料理して楽しく食べる点で共通し、それがメインのようで、実はサッポロビールやコカコーラが陰の主役という点で共通する。逆に言うと、自然と料理を前面に押し出しながら(これ自体は誰もが抗えない永遠のテーマだ)、添え物のサッポロビールやコカコーラをうまく印象づける、なかなか巧妙な?イメージ戦略である。
 もう一つは、金曜夜11時半から30分のドラマ「ワカコ酒」(BSジャパン)だ。「酒飲みの舌を持って生まれたが故に、今宵も居場所を求めてさすらう、女ひとり酒」のナレーションのもと、若い女の子(村崎ワカコ26歳)が仕事帰りに一人、毎回、実在する名店を訪れては、美味しい料理を肴に、美味しそうに酒を飲む、ただそれだけの究極の番組だ。こちらは「うまーい!」ではなくて「ぷしゅ~」と感嘆の吐息を漏らす。グルメ漫画が原作(新久千映作)で、最近はこうした漫画を原作とするドラマ制作は一つの流行りとも言えそうだが(ややメルヘンチックではあるものの、日本の漫画のレベルの高さを示すものと言えよう)、最後に舞台装置としてのお店をさりげなく紹介する、これも一つのプロモーション番組のつくりになっている。とりわけ、サラリーマンの私にとってはゴールデンタイム(つまり、一週間の仕事のおわりで放心状態、しかし土・日丸々二日間の休みを控えてほっこりしている)で、何ともまったりしているところがいい(因みに来週4月7日からSeason3が始まる・・・これじゃあまるでブログ広告)。
 記事広告なるものがあるが、いずれも番組と広告との境界が曖昧な、と言うより端的に番組自体が広告そのものとも言える、プロモーション・ビデオだ。TVショッピングに慣れた私たちには違和感はない。押しつけがましくないわけでもないが、ただ紹介するだけだから、感情移入して、良いな、と思えば買ってみよう、行ってみようと思い、でもどうせすぐに忘れてしまう・・・まあ単に食い意地が張っているだけ、かな。
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