風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

40年(下)ひこうき雲

2013-07-31 23:20:09 | スポーツ・芸能好き
 ブルース・リーの命日とは関係なく、多分、夏休みの始まりとともに・・・という意味だと思いますが、同じ7月20日に宮崎駿監督として5年ぶりの長編アニメ「風立ちぬ」が公開されました。監督自身も泣いてしまったというエピソードを聞くだけで、巨額の宣伝費を注ぎ込んだどんな宣伝をも凌駕する静かなインパクトがあります。テレビCMで流れる短いシーンにすら、惹きこまれてしまう。丁寧な画面描写と、時代・環境設定と、BGMのユーミン・・・三拍子揃えば、涙なくして見られないのは、少なくとも私には自明のことで、久しぶりに見たい映画が出て来てしまったという印象です。
 しかし宮崎駿さんの映画については、期待を込めてこれ以上言及するのは控えます。テーマは、前回に引き続き40年という歳月を経てなお衰えない生命力についての雑感です。
 さて主題歌に選ばれたユーミンの「ひこうき雲」は、Wikipediaによると、今から40年前の1973年11月5日にリリースされた2枚目シングル「きっと言える」のB面曲で、売れたのは僅か3000枚、それでもこれが実質的なデビュー・シングルと紹介されています。それでは1枚目シングルは何だったかと言うと、前年7月5日にリリースされた、作詞・作曲・編曲・指揮・ピアノ・ハモンドオルガン・歌:荒井由実とクレジットされて如何にも手作り感に溢れた「返事はいらない」で、B面の「空と海の輝きに向けて」に至っては俄かに思い出せません。本人によると300枚程度しか売れなかった(800枚とする資料もある)そうですが、プロデュースはかまやつひろし、演奏に高橋幸宏、ガロも参加していると言われ、今となっては大変なプレミアムが付いているのも、むべなるかな。
 閑話休題。ユーミンを知ったのは中学生になってからのことなので、彼女のデビューからはほんのちょっとばかり出遅れましたが、それはようやく私自身が彼女の音楽を受け入れられるような年齢に達したという意味だろうと思います。初めて聴いた曲の中に「ひこうき雲」があって、歌謡曲では声質が重要と思っていた私に、透明感があるわけではない、むしろくぐもった声質なのに、それまでに聴いたことがない独特の世界に惹きこまれて行く不思議な感覚はたとえようがありませんでした。どこかしら懐かしいような、それでいて全く新しい。これはフォークをルーツとしながら歌謡曲とは明確に異なる洗練されたニューミュージックというジャンル(かぐや姫や井上陽水や小椋佳など)に共通する特徴と言えそうです。間違いなく「ユーミンの世界」にハマった瞬間でした。
 そんなユーミンも今年春の叙勲で紫綬褒章を受章しました。時代を感じてしまいます(が、少なくとも荒井由実の頃の音楽はいつ聞いても新鮮です)。
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40年(上)ブルース・リー

2013-07-28 01:06:55 | スポーツ・芸能好き
 李小龍ことブルース・リーが亡くなって40年(正確には40年一週間前の1973年7月20日没)になります。
 彼の映画をリアルタイムで見たのは、遺作となった「死亡遊戯」(1978年)が初めてで、既にその時、彼はこの世にいませんでした。学生時代、初めて自分の小遣いをはたいて、友人と二人して大阪の映画館に行き、感動して二幕見続けたものでした。それ以前の作品は残念ながらテレビ放映によるものです。よりによって高校受験を控えた中学三年の時に洋画に目覚めてしまい、小遣いは「スクリーン」という月刊誌に費やし、映画は、「月曜ローショー」(TBS系列、解説・荻正弘氏)か、「水曜ロードショー」(日本テレビ系列、解説・水野晴郎氏)か、「ゴールデン洋画劇場」(フジテレビ系列、解説・高島忠夫氏)か、「日曜洋画劇場」(テレビ朝日系列、解説・淀川長春氏)かのいずれかを毎週一回、年50本強見た中に、「ドラゴン危機一髪」(1971年)や、「ドラゴン怒りの鉄拳」(1971年)や、「ドラゴンへの道」(1972年)が含まれていました。それにしても、当時は随分無謀な生活を送ったものです。もし、今、私の子供が、高校受験を控えてこんな生活を送ろうとしても、とても許すことは出来ないでしょう。長閑な時代でした(第一志望校に合格したから言えることですが)。
 当時は日本における洋画の黎明期から普及期に入ったあたり、ハリウッド映画一色に塗り潰される前のフランス映画やマカロニ(イタリアン)ウェスタンが健在だった時代で、各テレビ局の解説陣を見ても力の入れようがわかろうというものです。私自身、これほどまでに洋画に惹かれながら、そして数ある洋画の中から、あるいはアラン・ドロンやロバート・レッドフォードやポール・ニューマンやジュリアーノ・ジェンマや「マンダム」のテレビCMでお馴染みチャールズ・ブロンソンなどを抑えて、一体、何故ブルース・リーに夢中になったのか、今となっては若気の至りとしか言いようがありませんが、敢えて、今、振り返れば、そのシンプルなほど分かりやすい強さに(結果として勧善懲悪に)、また、そんな強い者がもつ優しさに、更にそんな強い者がもつ肉体の美しさに、憧れたのだろうと思います。ブルース・リーは、本当は強くなかったといった噂が流れたものですが、夢は夢のまま。肉体は見ていて惚れ惚れとするほど、また憎らしいくらい鍛え上げられて美しく、彼の笑顔はあどけなくて可愛かった。彼の作品に色恋沙汰は少なく、「ドラゴン怒りの鉄拳」で共演したノラ・ミヤオ(苗可秀)とのキス・シーンは初々しく、それが唯一のラブ・シーンと言われるくらい、ブルース・リーの映画は実にストイックでした。
 没後40年ということで、香港文化博物館で、映画の衣装などゆかりの品約600点を集めた、5年間にわたる特別展示が、命日の20日から一般公開されたという記事を見かけたり、東京・新宿の新宿武蔵野館では、関係者証言と資料映像でつづる米ドキュメンタリー作品「アイアム ブルース・リー」に続いて、実弟ロバート・リーが製作総指揮した香港映画「李小龍 マイブラザー」(全国順次公開)を13日から上映し、期間中、ロビーに貴重な関連資料を展示、レアグッズの販売も行い話題を集めているとの記事も見かけたりして、懐かしさのあまり、こうして書いて来ました。最後は、勿論、水野晴郎さんの言葉で締めたいと思います。いやぁ~(ブルースリーの)映画って、ほんっとうにいいものですね~。
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参院選(6)総括

2013-07-23 03:02:32 | 時事放談
 ただの床屋談義に、たまたまタイムリーに「参院選」の枕詞を付してしまって5回にわたってブログを書いて来ました。折角なので締め括ります。
 過去5回のブログでは、安倍さんを支持する内容もありましたが、何を隠そう(本当は隠すべきですが)比例では自民党に投票しませんでした。このあたりが、今の政治状況の混迷を象徴しているのではないかと思うために敢えて白状しました。残念ながら、この状況は、実に小泉政権以来、変わっていません。私のように、若いかどうかは別にして、都心に住むサラリーマンで、保守的(立ち位置として戦後日本の政治情勢の中では多分に中道)ではあるものの、程度の差はあれ構造改革を支持する人たちの受け皿となる政治集団をなかなか見出し得ないという問題です。
 その結果、下馬評どおり、与党として見れば過半数を占める勝利を収めましたが、自民党単独では過半数を達成できませんでした。一人区では29勝2敗と圧倒的な強さを見せましたが、候補者の質や政党間の選挙協力がないと言う意味で政党の評価をモロに反映する比例区での得票は34.7%と、前回(2010年 24.1%)、前々回(2007年 28.1%)、前々々回(2004年 30.0%)の結果を上回りましたが、更にその前(2001年 38.6%)には届きませんでした。また維新の会が伸び悩み、憲法改正に必要な三分の二の賛成は遠くなりました。結果論とは言え、民意は、そんな微妙なところに落ち着きました。
 より問題なのは、初めての「ネット選挙」で、若者を中心に関心が高まり投票率が上がることが期待されたにも係らず、過去三番目に低い投票率52.6%は、前回(2010年 57.9%)、前々回(2007年 58.6%)、前々々回(2004年 56.5%)、更にその前(2001年 56.4%)をも、4ポイント近く下回ったことでしょう。冒頭で触れたように、どの党も受け皿たり得ない、あるいは自分が投票しても大して変わらないという、政治への不信感や無力感を感じている人もいるでしょうし、ねじれ国会で動かない政治に象徴されるように、参議院あるいは二院制の存在意義を疑問視する人もいるでしょうし、衆議院に比して5倍という一票の格差に見られるように、選挙制度そのものへの批判もあるでしょう。この点に関しては、当・落選したら全て水に流すのではなく、与党と野党とを問わず、真摯に問題を受け止めて欲しいと思います。
 これだけ投票率が低いと、民意が正確に反映されているのか疑問を感じてしまいますが、そういった制限つきではあれ、政権発足後、半年しか経っておらず、経済をはじめ結果を見届けていない中での選挙は、安倍さんという個人に対する信任投票だという声があって、その意味では、国民の多くは安倍さんに対して安定した政権運営を望んだことは間違いありません。ねじれ国会を罪悪視してきた自民党にとって、ねじれが解消されて、まさに真価を問われる状況にもなったわけで、国民の負託を受けて、着実に政治課題に取り組んで行って欲しいと思います。
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参院選(5)遠交近攻

2013-07-20 11:39:52 | 時事放談
 安倍政権が発足して半年が経過しましたが、期待先行でまだ実体に乏しい金融・経済政策(アベノミクス)を批判する声が強いのに対して、外交はスピード感をもって積極的に展開されており、相対的に好感する人が多いように思われます。ただでさえ安倍さんの揚げ足を取ろうと狙っているマスコミを黙らせていると言うべきでしょうか、そのため野党も攻めあぐねて、中・韓との首脳会談が実現せず関係改善が進まないことを責めるのがせいぜいという状況です。橋下発言などに向ける世界の目が厳しいことを察して、一転、右傾化を匂わせる発言を手控え、実務的に粛々と外交を進めていることが功を奏していると言えます。
 その内実は、一つには、外交敗戦と呼ばれた民主党政権と異なり、日米同盟を基軸に据えていること、もう一つには、関係悪化した中・韓をよそに、むしろ両国を牽制するかのように周辺諸国との多角的な戦略外交を進めていることで、中国が伝統的に得意とする「遠交近攻」外交とでも呼ぶべきものです。安倍首相が訪問した国を表示する世界地図を時々見かけますが、ざっとこんな具合いです(http://www.nippon.com/ja/currents/d00089/)。

1月中旬  ベトナム、タイ、インドネシア  ・・・東南アジア重視の「対ASEAN外交5原則」。
2月後半  米国  ・・・日米同盟の再確認、TPP交渉への日本の参加を表明。
3月末   モンゴル  ・・・日本とモンゴルの「戦略的パートナーシップ」確認。
4月末~5月初  ロシア、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、トルコ
        ・・・日本の首相として10年ぶりのロシア公式訪問。「日露パートナーシップの発展に関する共同声明」を採択。
        ・・・中東3カ国とエネルギー・経済協力、安全保障、文化・人的交流などの多層的関係構築で合意。
5月末   ミャンマー  ・・・日本の首相として36年ぶりに公式訪問。両国関係の強化と経済支援で合意。
6月後半  ポーランド、英国、アイルランド
        ・・・「V4+日本」協力10周年で「21世紀に向けた共通の価値に基づくパートナーシップ」の確立で合意

 さらに、その間、フランスとインドの首脳が日本を公式訪問しましたし、外務省HPによると、訪日したパレスチナ自治政府、パラオ、キルギス、ベナン、スロベニア、スリランカ、パプアニューギニア、メキシコ、ラトビア、ブルネイ、シンガポール、タイの各国首脳との会談が行われていますし、更に電話会議まで入れるとキリがありません。
 こうした積極外交は、中国をかなり刺激しているようです。石平さんによると、中国では「政府関係者、マスコミ、学界などが総動員されるような形で、安倍政権の進める国内政策と外交政策のすべてに対し、史上最大の罵倒合戦ともいうべき大掛かりな批判キャンペーンが展開されている」そうです。毎年のように首相が入れ替わる日本の政治状況は、日本の国力衰退の象徴でしたので、国民の支持率が高い安定政権の登場は、中・韓のように日本を敵視する国にとっては喜ばしいことではありません。とりわけ、中国による批判キャンペーンの中で、安倍政権の進める一連の外交活動に対する攻撃が突出しているのだそうです。それは中国の焦りの裏返しのようにも映ります。米中首脳会談もその文脈のもとに中国側から持ちかけられたとの解説があります。ロス郊外が会談場所に選ばれたのは、どうせ訪米されても成果が期待できないオバマ大統領の思惑と、南米歴訪のついでに立ち寄ったことを演出したい習近平国家主席の思惑が一致したからかも知れません。また、ロシアを巡っても、習近平国家主席が、就任後最初の訪問先としてロシアを選んだのは、関係強化に並々ならぬものを感じさせますが、その一か月後の安倍首相の訪ロでは、領土問題解決に向けて交渉再開することが合意されただけでなく、外務・防衛担当閣僚による安全保障協議委員会(2プラス2)設置が決まったことは、習近平国家主席としては穏やかならざるものを感じていることは間違いありません。
 また、韓国大統領は、先月末、中国を訪問し、習近平国家主席と会談し、蜜月ぶりをアピールしました。なにしろ韓国歴代大統領が、就任後、アメリカ訪問の次に、日本より先に中国を訪問するのは初めてのことでした。しかし、今、韓国には、これまでの日中韓の三国関係から、やや中国に傾きつつある状況を警戒する論調も出始めているようです。
 中・韓とは、外交関係ですので、いずれ時が熟すまで、つかず離れずで、今、無理に仲良くしようと働きかける必要はないように思われます。そういう点でも、対話の窓口は開いておくと明言するだけの安倍さんの姿勢はそつがなく安心感を与えます。
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スマートな時代

2013-07-17 00:24:31 | ビジネスパーソンとして
 任天堂がファミコンを発売して丸30年になるそうです(30年前の昨日、1983年7月15日発売)。最近はスマホの無料ゲームに押されて、すっかり色褪せてしまったようで、同社の業績を調べてみたら、2013年3月期の売上高は6354億円(前期比2%減)、営業利益はマイナス364億円(前期比+9億円)と横這いで、最高益を叩き出した2008年の売上高1兆8388億円、営業利益5552億円とは比べるべくもありません。かつて、「会社の寿命は30年」という日経ビジネスの記事が話題になったことがありましたが、その符合には感慨深いものがあります。それにしてもほんの数年のことで、技術革新の速さ、技術浸透の速さには驚かされます。
 スマホが駆逐した技術は、任天堂のファミコンだけではありません。日本のパソコンの代名詞であるNECのPC-9800シリーズ初代機種PC-9801が発売されたのは、ほぼ同時期(1982年10月)でしたが、そのNECも単独での生き残りが難しく、中国レノボ・グループとの合弁に移行したのは周知の通りです。今や世界のデルとて安泰ではなく、創業者で大株主のマイケル・デル氏と投資ファンドなどがMBOを発表したのは、ちょっとした衝撃でした(著名投資家のカール・アイカーン氏も対抗案を提案)。上場から外して、株主の意向に左右されずに経営の建て直しを急ぐ構えですが、隔世の感を覚えます(デルの株主はMBO案をめぐり18日に投票を行う予定)。
 パソコンだけではありません。スマートフォン市場(敢えてスマホとは言いません)の草分け「ブラックベリー」は1億5000万台以上が販売され、世界のビジネスマンの必需品と見なされてきましたが、2012年第4四半期の世界市場シェアは3.4%まで落ち込みました。製造・販売するカナダのリサーチ・イン・モーションは、今年1月に社名をブラックベリーに変えて巻き返しを図るとしていますが、2月に日経によって日本市場から撤退することが報じられ(同社日本法人は否定)、中国レノボ・グループに買収されるとの噂も聞こえます。
 しつこいですが、もう一つ、デジカメは、1975年12月、イーストマン・コダックによって発明され、一般向けには1988年に富士写真フイルム(現・富士フイルム)が発表した「FUJIX DS-1P」が最初(しかし店頭には並ばなかった)とされる30年選手ですが、やはりスマホ全盛の煽りを受けているテクノロジーの一つです。デジタル一眼レフは徐々に売上を伸ばしていますが、全体では2010年の1.2億台をピークに3年連続前年割れとなり、最盛期の約7割のレベルまで落ち込む見通しです(CIPA:一般社団法人カメラ映像機器工業会より)。
 テクノロジーの進歩やイノベーションこそ成長の原動力であり、驕る平氏は久しからず・・・が世の常とは言え、開発・製造業者にとっては情け容赦ない世界と言えます。一人の消費者に過ぎない私は、さして必要性を感じず、いつガラケーからスマホに乗り換えるかいまだに思案するばかりの、呑気なものです。
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暑い夏

2013-07-15 15:34:58 | 日々の生活
 今年の梅雨明けは平年より15日も早かったようですが、だからと言ってそんなに急いで暑くならなくてもいいものを、梅雨明け早々、翌7日には日中の最高気温が35度を上回る「猛暑日」を記録し、その後、9日には、東京で“7月上旬としては”1876年の統計開始以来初めてとなる3日連続の猛暑日と言われたのも束の間、翌10日にはあっさり4日連続の統計開始以来1位タイを記録しました(4度目)。その後も猛暑日にはならないものの、ほぼ猛暑日並み34度前後の日が続いています。そして、夜は夜で、最低気温が25度を下回らない「熱帯夜」が続き、暑さに慣れる前に暑さに晒されて、体力消耗気味です。今日はちょっと凌ぎやすくなりましたが、普段、会社でエアコン漬けの身には辛い。
 日中これほど過ごしにくかったか、年齢のせいで耐えられなくなっているのかと思ったりもしますが、どうもそればかりとは言えないようです。気象庁が12日に公表した昨年の「気候変動監視レポート」によると、猛暑日の年間日数は、昭和36~平成24年の観測値から、国内の観測点のうち都市化の影響が小さい15地点を選んで平均すると、10年に0・5日の割合で増加しているそうです。都市化の影響が大きい都市部は更に増加の割合が高く、名古屋市は2・3日、京都市は2・1日、東京都心は0・7日、福岡市は1・3日増えたということです。別の見方によると、東京では観測開始の昭和24年から20年間の年平均猛暑日数が1・4日だったのに対し、平成7年と22年に最多13日を記録するなど、昨年までの20年間の年平均は4・4日に増加しているそうです。
 夜こんなに寝苦しかったか。同じように熱帯夜についても、気象庁が観測を始めた昭和6年から昨年までの観測値を分析すると、15地点平均で10年に1・4日増加しているそうです。別の見方によると、昭和6年からの20年間では、東京都心の熱帯夜の年間平均日数は7・55日だったのに対し、昨年までの直近20年の年平均は31・9日と、実に4・4倍に増加しているのだそうです。気のせい、歳のせいばかりではなかったのですね。
 気象庁によると、東京都心の平均気温は過去100年間に3・1度上昇したそうです。他の観測点では1度前後と、東京が2度余分に上昇しているのは、地球温暖化の影響に加え、排ガスや空調の排気熱によるヒートアイランド現象によるものと、気象庁は説明しています。そう言われれば、小学生の頃、当時クーラーと呼ばれていたエアコンがある家は珍しいほどでしたが、それでも凌いでいたのは、風の通り道をつくるなどといった日本の家屋についての知恵が、まだ辛うじて生きていたからでしょうか。今では、家がこう密集していては風の通り道など考える余裕はなく、代わってエアコンが一家に二台も三台もあるご時世です。窓を開けないので、打ち水や風鈴といった季節の風物詩も見られなくなりました。朝のニュースで、海水浴を楽しむ人口が減っていると報じられ、塩水や砂でべとべと、ざらざらするのが厭だという我が儘な感覚が理由に挙げられていましたが、炎天下が過酷であり、最近は紫外線が肌に良くないことがすっかり定説になってしまったことも影響していそうです。太陽の下ではしゃぎ、真っ黒に日焼けしていたのは遠い過去ではなかったはずなのに、いつの間にか、ネット空間だけでなく物理空間までもが密室化し、自然と接するのを拒んでいるかのようです。
 夏はこれからが本番です。今年はどんな夏を過ごすことになるのでしょうか。
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参院選(4)もう一度TPP

2013-07-13 02:21:17 | 時事放談
 火曜日の日経朝刊によると、日中韓賢人会議が「日中韓FTA(自由貿易協定)交渉を加速させ、RCEP(東アジア地域包括的経済連携)などと並ぶアジア貿易圏の中核に育てる努力を促す」(日経)といったような政策提言をまとめたそうです。また同会議では、「中国側出席者からTPP(環太平洋経済連携協定)への高い関心を窺わせる発言が相次ぎ」、「6月の米中首脳会談で習近平国家主席がオバマ大統領にTPPへの関心を伝え、情報提供を求めたのと符合する」(日経)動きとして注目されます。
 そもそも日中韓賢人会議なるものがあることを初めて知りました。北東アジア地域の発展や相互理解の促進を目的に、2006年以来、三ヶ国の政・財・官・学界のリーダー約30人が年に一回集まり、原則非公開の場で議論を交わしているそうです。政治責任がないので、各国の世論動向を気にすることなく、お気楽と言えばお気楽ですが、最近の外交関係が冷え込んだ厳しい状況であればこそ、却ってこうした重層的な関係を構築することは重要とも言えます。
 さてTPPのことです。菅元総理がTPP交渉への参加検討を表明(2010年10月8日)してから2年5ヶ月もの月日が流れ、その間、東日本大震災という未曾有の大災害に見舞われたとはいえ、「決められない」と揶揄された政治がまさに面目を失った一つの典型例と言えますが、ようやく3月15日に安倍総理が交渉参加を表明し、4月20日にTPP交渉参加国の関係閣僚会合において、全参加国が日本との協議を終了したことが確認され、日本の正式なTPP参加のための各国内の手続きを進めることが決定されました。これを受けて、米国では、4月24日、米国政府から米国議会に対して、我が国をTPP交渉に参加させる意図が通知され、最終的に米国の「90日」を含め、全ての関係国の国内手続の完了が確認された後(つまり今月末までには)、我が国は正式に交渉参加することになる予定です(内閣官房HPより)。
 それにしても国論を二分する勢いなのは、民主党と自民党とを問わず、票田を気にして政争の具と化してしまったからで、まともな議論を避けて来た影で、怪しげな説がまことしやかに流布され、大いに混乱しました。その最たるものが日本を搾取せんとするアメリカ陰謀説です。カレル・ヴァン・ウォルフレン氏の「日本を追い込む5つの罠」を読むと、TPPに関連して日本で流布しているアメリカ陰謀説の源流を見る思いがします。氏は、「日本/権力構造の謎」(1989年)や「人間を幸福にしない日本というシステム」(1994年)などの著作で知られるオランダ出身のジャーナリストで、アムステルダム大学比較政治・比較経済担当教授でもあり、アメリカ覇権主義を毛嫌いしていることでも有名です。
 さすがにアメリカの陰謀とまでは言わないまでも、経済連携と訳されますが生易しいものでは到底なく、国と国との間のやりとりですから、国益をベースに丁々発止やりあった末に妥協点を見出すことになるのは当然のことです。しかも自由貿易協定なるものは、経済強者が経済弱者に押し付けるものと相場が決まっています。そしてその経済強者はアメリカと来ますから、アメリカの特定の大企業の利益を代弁して、押してくることは想像に難くありません。その一方で、日本がTPP参加を表明してから、俄かに状況に変化が見られました。日本とEU(欧州連合)の経済連携交渉と言えば、関税を引き下げたくないEU側が先送りし続けて来たものでしたが、日本がTPP交渉参加を表明するや、不動と思われた山が動き始めたのです。同じことは、冒頭に触れた日中韓FTA交渉でも起こりました。さらに、冒頭に触れたように、中国を牽制する包囲網とまで言われたTPPに、中国が関心を寄せました。もはや自由貿易圏のルール化を巡る陣取り合戦の様相であり、どちらかと言うと中国を牽制する包囲網の一種との見立ては当たっていても、日本を収奪することが狙い(と考えるということは、結局、自意識過剰だった)というのは的外れだったことが明らかでしょう。日本は一挙手一投足が世界の主要国に影響を与えるほどにまだ十分に経済大国である一方、中国という異形の大国を国際社会のルールに引き込むためのコマとしても使われている現実が垣間見えます。
 国益が損なわれるとは、安倍総理が交渉参加を表明した時にも、気遣ったポイントでしたが、先ほども言った通り、国益のぶつかり合いの国際場裏で国益が侵害されかねないことを理由に交渉自体を忌避するメンタリティは、今となっては不思議に思えます。江戸時代の鎖国とは後から命名されたもので、祖法(家康以来の決まりごと)に過ぎず、当時の人々は交易を遮断していたと認識していたわけではなかったというのが最近の有力説のようです。それは当時の人々の世界観が、日本と中国とインドの三国に限定されている中で、中国を中心とする冊封体制を拒絶し、スペイン・ポルトガルをはじめとするヨーロッパ世界による宣教師を尖兵とする植民地支配を拒絶した歴史をさすものでしょう。それを鎖国と後からわざわざ名付けてしまうほどの危ういメンタリティは、TPP反対の議論を見る限り、日本人の基層をなしているように思えてなりません。TPP反対が真性保守であるかのように振舞いますが、一体、将来の日本に向けて何を保守するのかといった議論が欠けているように思いますし、あるいは、誰かがTPPは構造改革そのものだと言いましたが、通商国家として将来にわたって繁栄を目指すのか、それともガラパゴス的に別の成熟の道を目指すのか、といったような、日本の将来像についての議論も欠けているようにも思います。ますます存在感を増す中国や成長著しいASEANからなる広大なアジアへの回帰を目指すのがアメリカなら、今後20年や30年の国のありようを決めるターニング・ポイントであるのが日本だという気概で、大いに議論を深めたいものです。
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原発事故から日本を救った男

2013-07-11 02:09:46 | 時事放談
 東京電力福島第一原発の事故当時に所長だった吉田昌郎氏が、昨日、亡くなられました。享年58歳。食道がんのため、と報じられましたが、昨年7月には脳出血で倒れて自宅療養を続けられており、原発事故によるストレスで死期を早めたのではないかとお悔み致します。また、全てを語り尽くされたのか、墓場に持って行かれた情報はなかったのか、もはや公人としての吉田氏の突然の死が惜しまれます。
 当時、現場に細かく介入してくる首相官邸と東電本店に対峙して現場の判断を貫き通し、水素爆発した一号機への海水注入を巡って、「首相の了解がない」と原子炉冷却のための海水注入中断を求めた本店の指示に反し、独断で続行した気骨の人として知られます。第一原発が初めて報道陣に公開された一昨年11月、事故直後を振り返り、「もう死ぬだろうと思ったことが数度あった」「終わりかなと感じた」などと語られました。また、昨年8月に福島市で開かれた出版社主催のシンポジウムにビデオ出演した際には、「(3月14日の3号機水素爆発時について)自分も含めて死んでもおかしくない状態だった。10人くらい死んだかもしれないと思った」「放射能がある現場に何回も行ってくれた同僚たちがいる。私は見てただけ。部下は地獄の中の菩薩だった」とも語られました。
 折しも、前日に、原発の新規制基準が施行され、北海道、関西、四国、九州の4電力会社が計5原発10基の再稼働に向けた安全審査を原子力規制委員会に申請したばかりで、時の経過を思います。もとより、企業人の一人として、原発がなくても電気は足りているではないか、などと軽率なことはとても言えませんし、あんな事故を起こしておいて再稼働はないだろう、といったような直情的な反応にも違和感を覚えます。だからと言って、シェールガス革命により天然ガス・コスト低減の追い風が期待できるものの、再生可能エネルギーに頼るには時期尚早で、原発再稼働を急ぐべきとは言え、福島第一原発事故の真摯な反省の上に、再発防止と安全宣言の誓いがあって然るべきですがどうもそのように感じられないのが、なんとも不満です。
 乱立した事故調査報告書は何だったのか。政権交代した今だからこそ、原因究明の壁も低かろうと思うのですが、安倍政権は興味がなさそうに見えるのが、解せません。竹中平蔵さんは、近著で、国会事故調の委員長を務めた黒川清さんから「竹中さん、是非話しておきたいことがる」「委員会(と言うより事務局の意か?)には絶対民間人を入れなければダメだ」と言われたエピソードを紹介されていました。「行政の隠れ蓑としての審議会」という言い方があるそうで、何かと言うと委員会のメンバーに民間人や学者を揃えて何回か会合を開き、あれこれ意見陳述させた上で、「はい、分かりました」と事務局の官僚が引き取り、所謂「霞が関文学」を駆使して、全てを自分たちの都合が良いように変えてしまう、また合い間に出してくる資料も、自分たちの主張を裏付けるものだけで、結論は最初から決まっている・・・と、竹中さんは解説されます。官僚の権益に斬り込むことで官僚の反発を買い(それを真に受けるマスコミの反発まで買い)官僚と敵対する(マスコミ受けも悪い)竹中さんらしい率直なモノのいいです。そうさせないために、黒川さんは国会事故調の事務局に民間人を入れたけれども、政府事故調の方の事務局は官僚が独占したため、委員長代理の柳田邦男さんが何を言っても受け入れてくれなかった、と黒川さんは言われていたそうです。ことほどさように、官僚と準官僚である東電の壁は厚そうです。
 他方、福島第一原発事故のノンフィクション「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日」を執筆したジャーナリスト・門田隆将氏は、吉田氏のことを、「官僚主義的と批判される東京電力の中でも破天荒なタイプだった。取材時も『隠すことは何もない』と全て赤裸々に語ってくれたのが印象深い」と語っておられます。彼の次の言葉で以て瞑すべきでしょう。「部下たちからも信頼が厚く、『吉田さんじゃなかったらだめだった』と口を揃えていた。私たちは、事故当時に吉田さんが福島第1原発にいたことを感謝しないといけない」。合掌。
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参院選(3)あらためてアベノミクス

2013-07-05 01:16:11 | 時事放談
 今夏のボーナスは、日本生命が実施したアンケートによると、20~50代のボーナスは平均55.9万円、前年比で6.4万円の増加となったそうです。「増えた」と回答した人も約4割と、「減った」人の約1割を大きく上回ったそうです。アベノミクスによる企業業績の回復を反映するものだと、時事通信は報じていますが、アベノミクスは、早くても昨年11月半ばに衆議院解散が決まってから唱えられたもののはずであり、その結果、円安や株高が進行しましたが、今夏のボーナスの基準となる2012年度の業績にどこまで効いたのかは、ちょっと疑問ではあります。
 それはさておき、アベノミクスについては、期待先行で実体はないとか、円も株価も急落してメッキが剥がれたと言われ、挙句、国家資本主義とまで呼ぶ学者もいて(まるで中国と同じ政策をとっているかのような、悪意を感じさせる呼称ですね)、世間の評判は甚だよろしくありません。株高の恩恵は所詮は金持ちにしか及ばないと、口さがない野党はこぞって批判的ですが、国民の年金だって株で運用されて恩恵を受けているはずで、そういったポジティブなことには意図的に口を閉ざして、なんだかアンフェアです。
 昨日、竹中平蔵さんの講演を聴くチャンスがありました。ご存じの通り、安倍政権の産業競争力会議のメンバーであり、経済成長を実現するためには思い切った構造改革が必要と、小泉政権の頃から主張が一貫してブレがない方で、小泉政権の時の改革を評価するときは「小泉改革」と言われ、非難する時は「小泉・竹中改革」と言われると自嘲気味に自己紹介されながら、めげることはありません。講演の中では、アベノミクスが早くも市民権を得た、今年1月のダボス会議のエピソードを紹介されました。欧州中央銀行総裁のドラギ氏が、2012年は大事なことを決断した年だったと振り返ったそうです。欧州中央銀行はスペインなどの国債を無制限に買うことを表明し、アメリカの連邦準備制度理事会はQE3を続けることを宣言し、あの日本までもが(とは褒められたのか貶されたのか)アベノミクスで動き出した、と。そして、2013年は、昨年決めたことを実行に移せば良い方向に行くということが見えてきた、と述べたそうです。実に適切な理解だと。そして昨日は、アベノミクスの効果が出るまで2年はかかるだろうと、長い目で見る必要性を説いておられましたが、今さらアベノミクスの是非を議論するのはナンセンス、きっちり実行できるかどうかを議論する時だと、言い切っておられました。
 アベノミクスは、国家資本主義とまでは言わないまでもケインズ主義が復権したものとして、一般には小さな政府を志向する保守とは相容れません。自他ともに認める保守(中韓に言わせれば極右)の安倍さんの思いはいかばかりだろうとお察ししますが、そこに安倍さんの政治家としての器量をも感じさせます。民主党政権は言うに及ばず、歴代自民党政権も効果的な政策を打ち出し得なかった中で、安倍さんという、久しぶりに世の中を明るくするキャラクターが颯爽と現れて、大胆な政策を打ち出されました。私たち国民としては暖かく、そして民間企業人としては今こそ汗と知恵を出して、安倍さんの、さらには世界の期待に応えるべく、経済成長をリードしたいものだと思います。
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参院選(2)勝利の方程式

2013-07-01 22:19:13 | 時事放談
 今朝の日経・論説委員長によると、内閣支持率と自民党支持率を足して100を超える水準を維持する時、自民党は選挙で大勝するらしく、「勝利の方程式」と呼ぶらしい。日経の最近の世論調査で、内閣支持率66%、政党支持率51%、合わせて117%で、まさに大勝するという下馬評通りの数字です。しかし自民党の選挙対策の幹部は、投票率が下がると、自民党の票は思ったほど伸びず、有利ではなくなるとして、気を引き締めているようです。
 この点が、今の自民党がかつての自民党と違うところでしょう。民主党が自滅したからと言って、自民党への支持が回復しているわけではないのは、先の衆院選・比例区でも明らかでした(比例区での自民党の得票率は、大敗した2009年と大勝した2012年とで変わらなかった)。こうして、支持政党を決めかねている浮動票こそ、選挙戦の帰趨を決すると言っても過言ではありません。
 しかし、ここでの問題は、自民党だけにあるわけではなく、投票したいのに投票したくなる政党がない・・・というジレンマに集約される現代日本の政治の貧困は、低投票率に表れていると言うべきです。与党も野党もなく、すなわち自民党が復調していないだけでなく、民主党が二大政党としての適格性を失っただけでなく、第三局も受け皿たり得ていない、全てが同罪です。
 こうして国民が白けてしまう原因の一つは、「足の引っ張り合い」にあるように思います。昔はここまで酷くなかったように思うのですが、絶対的な政党の存在がなくなったからでしょうか。政党同士、また政治家同士の足の引っ張り合いがあるだけでなく、マスコミによっても特定政治家(端的に“保守”あるいは中・韓風に言えば“極右”政治家の安倍さん)の足を引っ張る行為が見られて、見苦しいこと甚だしい。前回のブログの書き出しで、参議院本会議が、発送電分離に向けた電気事業法改正案や生活保護の不正受給を防ぐ法改正案や海賊対策法案などの重要法案を採決することなく会期切れになったことに落胆させられたことに触れましたが、国民が野党に期待するのは、政策毎に是々非々で対処することであって、間違っても問責決議案でまとまることではありません。自民党への反対のための反対ではなく、生産的な政策論争が聞きたい。
 今週木曜日に参院選が公示されますが、悩ましさは解消されそうにありません。政治家の質が劣化して国民の心が離れて行ったのか、国民の民度が低いから政治家の質が劣化して行ったのか・・・こうして「勝利の方程式」なるものは白々しく見えるばかりです。
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