風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

Status quo(中)北朝鮮情勢と日本

2011-12-26 00:00:29 | 時事放談
 故・金正日総書記は、心筋梗塞の発作を起こして死亡したとされますが、既に父親の故・金日成主席の葬儀の頃から病がち、2008年には脳卒中で倒れたのをはじめ、元専属料理人を自称する藤本健二氏によると、糖尿病や脳疾患などを抱えて6種類の薬を服用していたそうです。中でも体調悪化に最も影響を与えたのは糖尿病ではないかと、ある医療専門家は分析します。糖尿病患者は脳卒中や心筋梗塞を発症するリスクが一般の人の3~4倍高まるらしい。それに、父親も心筋梗塞で死亡したそうで、血筋の問題もあります。更に、最近では軍人すらも満足な食事を与えられないと言われるほど経済が疲弊している国で、あの親子揃っての、権力のイビツさを象徴するような肥満もまた、心筋梗塞に良いはずはありません。いずれにしても、こうして健康不安のあった金正日総書記の死去は、ある意味で想定内であり、権力継承は比較的スムーズに進むと見る向きが多いのは事実です。しかし・・・。
 故・金正日総書記が進めて来た「先軍政治」は、結局、軍が権力から寝返って反体制勢力に加担しないように叫ばれたものであり、軍をあの国で最も恵まれた組織体にすることでそれを掌握するとともに、軍もまた金正日氏を祭り上げることで運命共同体たろうとした(産経新聞)と言われます。ここで軍はあくまで党の軍であり、党が国家の存亡をかけた核戦略を主導し、党軍需工業部が核・ミサイル開発を担当し、同部傘下の第二経済委員会が国防産業を統括し、ミサイルを量産してイランやシリア向けに輸出して外貨稼ぎを行ってきたと言われます。核やミサイルだけではありません。最近のニューズウィーク日本版では、米・韓関係者が、北朝鮮が生物・化学兵器の開発施設をもつことは確実だと見ていることを報じています。米・韓は、最悪シナリオに備えて、北朝鮮から流出した核兵器や核関連物質を確保する図上演習を行っていると言われます。
 韓国の情報機関である国家情報院は、北朝鮮が、金正日総書記死去を受け、朝鮮労働党の中央軍事委員会を中心にした統治機構をつくり、当面の政策を調整していくと分析しているそうです。中央軍事委員会は、金正恩氏が副委員長を務め、軍で正恩氏を支えるとみられる李英鎬朝鮮人民軍総参謀長も副委員長で、正恩氏の後見人である張成沢党部長が委員を務めています。果たして、金正恩氏は、党総書記をはじめとして党の主要ポストである政治局常務委員などの要職にまだ就いていませんが、核実験などの軍の冒険的行動を抑えられるのか、逆に金正恩氏こそ、自らの強さ・勇気や軍事的天才を誇示せんがために、軍事的挑発行動を起こす可能性もあるのではないか、と懸念する声が、隣国・韓国であがっています。
 翻って、日本。
 木曜日の日経朝刊は、「ポスト金正日と世界」という特集記事の中で、朝鮮半島で危機が起きたとき、日本はどうするのか・・・実は政府内には、その存在すら公式には認めない極秘の危機対応マニュアルがある、と紹介しています。韓国にいる約3万人の邦人を救出するための手順を定めたものだそうですが、「その中身は米軍に全面的に頼る想定になっている。日本の法律では、輸送の安全を確保できない場合に自衛隊を現地に送ることすら出来ないからだ」と、政府当局者が明かしていることを引用した上で、特集記事はこう続けます。「となれば、核・ミサイル開発や日本人拉致の問題を自力で動かすのはさらに難しい。だからこそ、日本は米・韓や中国と協力し、解決を探るしかない。極論すれば、日本にとって北朝鮮政策は対米、対中外交なのだ」、と。
 この記事は、写真週刊誌やちょっと柔らか目の週刊誌からの引用ではなく、日本経済新聞の一面に堂々と掲載されたものです。私は二重の意味でショックを受けました。一つは、政府当局者ともあろう立場の人が、この国は、法律があるから、海外に在留する邦人を救出することが出来ないと、認めて憚らないところです。国民の安全を守れないような国はそもそも国と呼ぶに値しませんし、世界広しと言えども、どんなに小さい国であろうとも、国家の体をなしている以上はそんなことはあり得ないことです。この政府当局者は、それでは法律がオカシイ、法律を変えるべきだとは思わないのでしょうか? 続いて、自力で解決できないから、米・韓や中国と協力するという論理の流れは必ずしも間違いではありませんが、政府当局者の発言を鵜呑みにする記者の価値観が信じられません。単なる紙幅の都合と思いたい。
 金正日総書記死亡の情報は、お隣の韓国ですら把握していなかったことが責任問題に発展していますので、日本の対応が遅れるのは仕方ない面がありますが、最新の週刊新潮には、こんな話が載っていました。ある総理側近が、「な~んにも知らなかった。でもTPPでも消費増税でも、野田総理の発信力が足りないと言われているので、今回はパフォーマンスの絶好の機会。だから、街頭演説を止めさせて、素早く安全保障会議を開いて見せた。いいパフォーマンスだったろ」と、誇らしげに語ったというのです。さすがに週刊新潮は、「危機をパフォーマンスの“道具”としか受け止めないセンスには呆れる他ない」と酷評していますが、東日本大震災当時の菅総理のパフォーマンスを想起させます。民主党に共通する体質でしょうか。その安全保障会議は、情報がなかったとは言え、10分足らずで終わってしまったそうですし、山岡国家公安委員長は間に合わなかったと伝えられます。危機管理に不慣れな民主党政権のもとで、東日本大震災のような大災害や、北朝鮮の金王朝の揺らぎが起こるという、その間の悪さを思わざるを得ませんし、問責決議案が出ている防衛相と国家公安委員長のもとで、このような危機的な状況に対処しなければならないことを思うと、私は心からStatus quo維持を思わないわけには行きません。
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サンタの赤はコカコーラの赤

2011-12-25 01:39:09 | 日々の生活
 サンタクロースの衣装には、かつては白や青や紫など、いろいろな色があったのに、いつしか赤(と白)に決まったのは、コカコーラの雑誌広告に由来すると言われます。
 私もその俗説を信じて、今から十数年前のアメリカ滞在中、アンティーク・ショップに立ち寄っては、コカコーラの古い雑誌広告や、販促用にお店に飾る様々なPOPを探しては買い求めたものでした。まだ十分に豊かとは言えないけれども、限りない未来を信じることが出来る明るさが横溢していて、私たち日本人の憧れだった古き良きアメリカを感じることが出来るからです。ご存じの方も多いと思いますが、コカコーラ・グッズはコレクターズ・アイテムの一つで、カタログ本が多数販売されるほど、マーケットが出来上がっていて、しかも人気が高いものですから、まともなアイテムを普通のアンティーク・ショップで見つけることは先ず難しく、たまに見つけて目を凝らすとReprint(復刻版)だったりします。私がサンタクロースのカードボード(段ボールの立て看板)を見つけたのは、最果ての地・プリンスエドワード島の片田舎のアンティーク・ショップで、30ドルほどでしたが、カタログ本では200ドルの値がついていて驚いたことがありました。
 実際には、コカコーラの広告以前に、あの白ひげにビールっ腹で赤い服に身を包んだサンタクロースは既に出回っていたようですが、コカコーラのために1931~64年にサンタクロースを描き続けたことで著名なHaddon Sundblom氏(フィンランドとスウェーデン出身の父母のもとに生まれました)の絵を集めた画集“Dream of Santa”を見ていると、私たちがまさに思い描くサンタクロースの姿がそこにあります(彼はそのインスピレーションをClement Clark Moorの詩”A Visit From St. Nicholas (1822)"から得たと言われます)。コカコーラ社がコカコーラとともに広く普及させ定着させた、そのグローバリゼーション戦略とともにあったことは間違いありません。
 上の写真の通り、ミッキーとミニーも赤い服。

(追記 2011/12/27)
“A Visit From St. Nicholas”という詩は、1823年12月23日にニューヨーク州のある新聞に無名で発表され、一般にはClement Clark Moor作と伝えられます。次の文章で始まります。

'Twas the night before Christmas, when all thro' the house
Not a creature was stirring, not even a mouse;
The stockings were hung by the chimney with care,
In hopes that St. Nicholas soon would be there;

その中から、サンタクロースの様子を伝える部分を抜粋します。

(中略)
He was dress'd all in fur, from his head to his foot,
And his clothes were all tarnish'd with ashes and soot;
A bundle of toys was flung on his back,
And he look'd like a peddler just opening his pack:
His eyes — how they twinkled! His dimples: how merry,
His cheeks were like roses, his nose like a cherry;
His droll little mouth was drawn up like a bow,
And the beard of his chin was as white as the snow;
The stump of a pipe he held tight in his teeth,
And the smoke it encircled his head like a wreath.
He had a broad face, and a little round belly
That shook when he laugh'd, like a bowl full of jelly:
He was chubby and plump, a right jolly old elf,
And I laugh'd when I saw him in spite of myself;
(後略)
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クリスマス・イブ

2011-12-24 00:18:46 | 日々の生活
 クリスマス・イブは、どんなに景気が悪かろうと、心躍るものがあります。
 横浜市の住人によると、市バス車両の一部がクリスマスのデコレーションを施しているそうです。かつてアメリカやオーストラリアのオフィスでは、クリスマスが近づくと、勿論、仕事はいつも通り変わりませんが、天井や壁や机に飾りつけを施し、季節のイベントの雰囲気を楽しんだものでした。ところが日本のオフィスは、どうにも殺風景です。かつて子供の頃、正月が明けて晴れ着姿で出勤する若い女性をニュースで見た記憶がありますが、労働を尊ぶ国民性は、基本的に労働する場所も神聖なものだと見なすせいでしょうか、ちょっと遊び心が足りません。
 しかし、遊び心だけの問題ではないかも知れないと思います。アメリカやオーストラリアでは、飾りつけの小道具が安く手に入って、その分、品質も悪いのですが、どうせ二~三週間しか使わないで、使い捨てる類いのもので、いくらでも遊べる環境にあります。日本でも、最近は、閑静な住宅街の一軒家で、クリスマスのイルミネーションで飾るところが見られるようになりました。百円ショップをはじめとして、安くて品質もそこそこのものが簡単に手に入るようになってきましたので、遊び心に火をつけることが出来るでしょうか。
 こうして見ると、デフレの正体は、日本の構造的な高品質・高価格(コスト)体質に風穴を開けるものと言えるのではないかと思います。
 なにはともあれ、この日くらいは、世知辛い世のことは忘れて、クリスマス・ソングでも口ずさみながら、特別なひとときを楽しみたいものです(最近は、「ジングルベル」や「赤鼻のトナカイ」や「サンタが街にやって来る」や「ホワイト・クリスマス」よりも、山下達郎の「クリスマス・イブ」にじ~んと来る私です)。
 上の写真は、冬休みに入った子供が撮って来た昨日の東京ディズニーランド。
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Status quo(上)北朝鮮情勢

2011-12-23 01:00:30 | 時事放談
 年末のこの時期に飛び込んで来た金正日総書記死亡のニュースには驚かされました。何しろ謎のベールに包まれたかの国のことですから、識者と呼ばれる人たちが入れ替わり立ち代わり、学者やジャーナリストだけでなく、金正日氏が贔屓にしていたとされるプリンセス天功や、アントニオ猪木まで、それぞれの立場からいろいろ語るのが物珍しく、ここ数日間は俄か北朝鮮ウォッチャーになっていました。
 ようやく落ち着いて、ふと心に浮かんだのが、タイトルの“Status quo”という言葉でした。
 16~17世紀、啓蒙時代の文人たちが、“粗野な”英語の水準を高めようと、ラテン語、ギリシャ語を借用したため、学術用語を中心に数百ものラテン語が定着した(Wikipedia)そうで、この“Status quo”もラテン語の成句の一つです。Webで辞書を引くと「現状」と訳されます。私は、この言葉を、大学時代の外国書購読の授業で国際政治に関する論文を読んだ時に覚えました。今は、政権がスムーズに金正恩氏に継承されるのかどうか、世間は固唾を呑んで見守っているわけですが、心のどこかで破局を見てみたいという怖いもの見たさの好奇心がないわけではない一方、だからと言って権力の空白が出来て国内に動乱が起こることも軍が暴走してミサイルのボタンを押すような挑発行為も、また体制が崩壊して難民が中国国境や38度線や日本海をわたって日本に押し寄せることも、状況がドラスティックに変わることは誰も望まない、つまり朝鮮半島においてStatus quoを維持したいと誰もが思っている、という状況です。
 若すぎる後継者・金正恩氏はまだ28歳で、報道を見ていると、指導力不足を懸念する声ばかりが聞こえてくるのはやむを得ません。亡くなった金正日氏が後継者に内定したのは1974年(32歳)、公式デビューは1980年の党大会(38歳)、金日成氏が死亡したのは1994年(52歳)、3年の喪に服した後、党総書記に就任するというように、十分過ぎるほどの助走期間をおきました。それに引き換え、金正恩氏が後継者に内定したのは僅か二年半前の2009年6月(26歳)、その三か月後に公式の場に登場し、「党中央軍事委員会副委員長」「人民軍大将」として指導部入りしたばかりです。
 しかし、金正恩氏が、金正日氏の遺体が安置された平壌の錦繍山記念宮殿を訪れ、哀悼の意を表したとき、党や軍幹部を従える形をとっており、序列1位となったことが判明したほか、金総書記の死後、金正恩氏は“不世出の統帥者”(朝鮮中央通信)と呼ばれるなど、後継者であることの既成事実化が着々と進められ、北朝鮮が19日に公表した「国家葬儀委員会」名簿では、正恩氏を筆頭に、金総書記の妹・敬姫氏と夫で実質的なナンバー2とされる張成沢氏の名前が上位に並び、正恩氏を張氏夫妻が支える「ロイヤルファミリー体制」を印象付けていると言え、さらに韓国メディアは、政府筋の話として、金正恩氏は金総書記死亡発表の前に全軍に「金正恩大将命令第1号」を発令し、冬季演習の中止と部隊での弔旗掲揚を緊急指示したと伝え、事実ならば“有事対応”として正恩氏はすでに軍の最高統帥権を実質的に行使していたことになる(いずれも産経新聞)と報じられました。
 短期的には、権限移譲は順調に進んでいるように見えます。
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ビッグデータ

2011-12-17 23:11:50 | ビジネスパーソンとして
 ビッグデータが、最近、話題です。Wikipediaによると、「通常のデータベース管理ツールなどで取り扱う事が困難なほど巨大な大きさのデータの集まり(構造化データ+半構造化データ+非構造化データ)であり、その格納、検索、共有、分析、可視化などに困難さを伴う」ものの、「より大きなデータの集まりを分析することで、ビジネス傾向の特定、病気の予防、犯罪の対策などにメリットがある」ということです。より大きなデータの集まり・・・どこまで大きいかと言うと、通常は数百テラバイトからペタバイト級以上のデータを指し、単に大きいだけでなく、非定型で、リアルタイム性が高いデータを指し、更にそれを活用した新たなサービスや製品が生まれる状況を指すようです。
 私たちの身の回りで感知できるビッグデータだけでも、例えばFacebookは、私は同窓会名簿替わりに維持しているだけ(その中で私は幽霊部員)ですが、知人は、iPhoneで撮った写真をこまめに投稿しており、Facebookには彼のような人たちが毎月75億枚もの写真を投稿しているそうです。iPhoneは、今、触れたような写真だけでなく、動画や音楽も蓄積されますし、アプリケーション・ソフトもダウンロードされます。Twitterでは、1日当たりのつぶやきが2億件に達するそうです。YouTubeは、動画データが一方的に高精細になるばかりだと思っていた私に、多少荒くても見えれば良いという発想の転換で、新鮮な驚きを与えてくれましたが、いくらそれほど高精細ではないとは言え、今や毎分48時間分の動画が投稿されるそうです。そして私たちが気が付かないところでビッグデータが爆発的に増大しているのが、センサーによって収集される領域(気象データや交通データなど)なのだそうです。
 かれこれ三年前、私がシドニーに引っ越して半年経った頃に、観光名所の一つ、ハーバーブリッジの有料道路が完全ETCに切り替わりました。旅行者や出張者のようにETC端末を持っていない人は、予め車両番号とクレジットカード番号を登録しておく必要があります。さもなければ、料金所の代わりに設置されたセンサーカメラによって車両ナンバーから所有者を割り出され、追いかけてくるわけです。オーストラリアは総じて交通規制に厳しく、信号機や、制限速度が切り下げられるところにカメラを設置するケースが多く、交通違反を厳しく取り締まっていました。一度、タスマニア島を旅した時、一ヶ月ほど後に、タスマニア警察からメールが届いて、何事かと訝しがったら、レンタカー会社経由で割り出されて、速度制限オーバーのペナルティを請求するものだったことがありました。いつ、どこそこの町で、何キロ・オーバーしただろうと書いてあると、だいたい思い当たるものですが、そうでない場合は証拠写真を要求することも出来ます。
 これだけなら、違反取締が人から機械に切り替わっただけですが、ストックホルムでは、市街地の交通渋滞を緩和するために、市内の一般道路で通行料を徴収することに決め、市内に入るための18ヶ所もの出入口に、ナンバー情報を識別するセンサーカメラを設置し、画像処理してナンバーを認識し、通行料を課金する仕組みを構築したそうです。この課金制度によって、交通量を25%削減することができ、CO2排出量も14%削減できたと言います。更に、市内を走行する一日70万台の車両の内、約20万台に達する公共交通機関の車両(バス、タクシー)にセンサーを設置し、そこから集めたGPSデータを分析し、70万台の自動車がどう動くかを予測し、渋滞が発生しないように、市内を走るクルマに経路を変更するように促す仕組みもあるそうです。
 このようにビッグデータをコンピュータ処理し、現状を把握したり異変を察知したり未来を予測するための応用開発がどんどん進んでいるようです。ストックホルムのように交通渋滞情報から交通の流れを最適制御することが出来ますし、SNSをリアルタイムで把握してトレンドを分析したり、センサー情報から電力消費量を予測するといった話はどこかで聞いたことがあります。Googleでちょっと調べただけで、アメリカに滞在していた当時の私の個人情報が、二度引っ越した住所と電話番号と家内の名前を紐付けされて販売しているサイトがいくつか見つかりました。39ドル出せば、どんな情報が出てくるのか興味がある一方、誰か知らない人に買われて何に使われるのか想像するだに空恐ろしくなります。軍事衛星のカメラは人の顔を識別できると聞いたことがありますが、コンピューターがオープンなネットワークで繋がれてほんの20年の間に、便利を実感する一方で、とんでもない時代に入りつつあることもまた実感する今日この頃です。
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はやぶさ断絶の危機

2011-12-15 01:39:59 | 時事放談
 小惑星探査機「はやぶさ」の感動的な帰還を受けて、民主党の事業仕分けにより3千万円にまで削減された「はやぶさ2」の予算が一挙に百倍の30億円まで復活したのは記憶に新しい。「初代はやぶさ」とほぼ同じ性能の「はやぶさ2」が目指し得るC型小惑星は「1999JU3」のみであり、最少エネルギーで着陸誘導リスクをミニマムにするには2014~15年の打ち上げが最適だとすると、実機製造のために来年度予算要求73億円の満額獲得が必須だそうですが、政治が決める特別枠「日本再生重点化措置」からは震災復興への支出が行われることになった上、日本版GPSの準天頂システムを推す声も強く(内閣府の来年度予算要求41億円)、「はやぶさ2」は俄かに存続の危機に立たされているそうです。
 この背後には、宇宙分野の権限を巡る経産省と文科省の確執があるという声も聞こえて来ます。
 長年、文科省が担ってきた宇宙開発を、内閣府を中心とした政治主導の体制に組み替えるための法律「宇宙基本法」が2008年に成立しました。これに合わせた宇宙開発戦略本部・事務局発足にあたって、事務局人事の主導権を経産省が握ることになったらしいのです。宇宙科学は所詮は科学の研究であり、科学衛星もロケットも言ってみれば研究者の実験道具であるならば、文科省に残すのが妥当ではないかという意見もある中で、既に1980年代から宇宙産業育成名目で宇宙分野での権限強化を虎視眈々と狙ってきた経産省は千載一遇のチャンスをものにした上、政治が興味を示した準天頂衛星システムを宇宙産業強化の切り札として強力に推進する一方で、「はやぶさ2」の予算圧縮に動いているといいます。
 しかし、そもそも「はやぶさ」シリーズと日本版GPSの準天頂システムとでは、目指すところのレベルが“科学”と“技術”くらいに違います(日本人には同じに見えるかも知れませんが、“科学”と“技術”の違いについては6月20日のブログ参照)。先ずはありふれた岩石のS型小惑星を探査するのが「初代はやぶさ」の役割でした。続いて炭素を含むC型小惑星を探査するのが「はやぶさ2」の役割になり、更には炭素だけではなく水も存在すると考えられるD型小惑星や枯渇彗星核と呼ばれる星の探査を継続することで、太陽系の小さな天体を概観することができ、小さな天体は太陽系形成初期に形成されていることから、「はやぶさ」プロジェクトは、太陽系生成の歴史、ひいては生命誕生の秘密を解く鍵となりうるもの(科学ジャーナリスト・松浦晋也氏)なのだそうです。
 我が家でも、高校生の息子を焚き付け、「はやぶさ」物語に熱狂したものでした。宇宙という未来のフロンティアで、日本の科学・技術の健在ぶりをアピールし、将来の可能性を示し得たという意味で、近年、稀に見る成果であり、閉塞感に見舞われる日本人と日本国に明るさと元気と勇気を与えたと言う意味でも、大成功と言って過言ではありません。しかし、私のような文化系人間が百万言を費やしたところで、「初代はやぶさ」プロジェクト・マネージャの川口淳一郎さんの嘆息には足元にも及びません。私のブログはこれくらいにして、JAXAの「はやぶさ」HPに寄せられている川口さんの義憤を(手抜きと言われようが)全文紹介します(http://www.muses-c.isas.ac.jp/j/index.html)。

~引用~

「はやぶさ後継機に関する予算の状況について」

 はやぶさ後継機(はやぶさ-2)への政府・与党の考え方が報道されている。大幅 に縮小すべきだという信じがたい評価を受けていることに驚きを禁じ得ない。
 はやぶさ初代の代表として、発言しておきたい。
 はやぶさは、史上初めて、地球圏外の天体に着陸し、その試料を往復の宇宙飛行で地上に持ち帰った。イトカワに滞在した近傍観測の成果、また帰還させた試料の分析の成果は、サイエンス誌に2度にわたって特集されその表紙を飾った。
 世界が評価し、NASA もこの5月、NASA 版はやぶさ計画の実施を発表し、欧州版はやぶさ計画がたちあがらんとしている。我が国の科学技術が、世界から追われるフロントランナーの立場にある、その代表例と言ってよいはずである。
 はやぶさ後継機のはやぶさ-2 という名称が誤解を生んでいるかもしれない。私は、この後継機プロジェクトの名称を変えるべきだと主張したのだが、多数の関係者の意見を受け入れて、やむを得ずこの名称に同意した。はやぶさ-2 は、実は、これが本番の1号機なのである。はやぶさでできたじゃないか、という声も聞く。否。はやぶさ初号機はあくまで、往復の宇宙飛行で試料を持ち帰ることができるという技術が、我々の手の届く範囲にあるということを実証しようとしたもので、あくまで実験機だったのである。
 小惑星を探査することは、地球を理解することつながる。実は、大地震を起こすプレートの運動をドライブするメカニズム、その理解にも通ずる。また地球の温暖化の鍵となる二酸化炭素の起源を理解すること、生命の進化を育んできた環境を理解することに通ずる。だが、イトカワの探査は後者にはまったく答えてくれない。我々の水と有機物に覆われた環境の起源と進化を探ることが、はやぶさ-2の目的である。まったく異なる天体(C型小惑星)を探査し、試料を持ち帰ろうという計画なのである。
 小惑星は小さな天体の総称。C型小惑星はまさに未知の天体なのである。政府・与党の意見には、はやぶさ-2 に科学的な意義を見いだせないというものまであったという。まことに信じがたいことである。
 はやぶさを担当した者として、強調したい、その最も大きな意義は、この計画が、すべて我々日本の独創性、創造性に発しているという点にある。我が国のこれまでの産業・経済成長は、製造の国であることに依っていた。しかし、それが幻想で、いつか限界に来ることはうすうすと予見されていたはずである。近隣諸国は、かつての我が国と同様に、比較的低廉な労働力で高品質の製造技術を手にし、大きな経済成長を遂げている。しかるに、我が国では生活水準の向上、福祉レベルも上昇しているため、かつてと同じ方針で競争力が得られるはずはない。創造の国に脱皮し、転換していかなくてはならないのだ。新しい技術、新しい製品、そして新しいビジネスイノベーションを発信していかなくては、この国に競争力の復活はおろか、未来も展望できまい。その創造性を担っていくためのインセンティブをどのようにして得るのか、そして次世代を担っていく人材をどう育んでいくのかこそが問われている。
 はやぶさ初代が示した最大の成果は、国民と世界に対して、我々は単なる製造の国だったのではなく、創造できる国だという自信と希望を具体的に呈示したことだと思う。
 自信や希望で、産業が栄え、飯が食えるのか、という議論がある。しかし、はやぶさで刺激を受けた中高生が社会に出るのはもうまもなくのこと。けっして宇宙だけを指しているのではない。これまで閉塞して未来しか見ることができなかった彼らの一部であっても、新たな科学技術で、エネルギー、環境をはじめ広範な領域で、インスピレーションを発揮し、イノベーション(変革)を目指して取り組む世代が出現することが、我が国の未来をどれほど牽引することになるのかに注目すべきである。こうした人材をとぎれることなく、持続的に育成されていかなくてはならない。
 震災の復興が叫ばれている、その通りだ。即効的な経済対策にむすびつかない予算は削減されがちである。しかし、耐え忍んで閉塞をうち破れるわけではない。
 なでしこジャパンのワールドカップでの優勝、それは耐え忍んだから勝てたのか?
 そうではない。それは、やれるという自信が彼女らにあったからだ。震災からの復興を目指す方々に示すべき、もっとも大きな励ましは、この国が創造できる能力がある国だという自信と希望なはずなのだ。
 日本は、お手本と格付けがないと生きていけないかのようだ。はやぶさでこの分野で世界の最前線、トップに立ったが、トップに立つとどうしてよいかわからなくなるのだろう。NASA も欧州も、我々を目指しているのに、なにか安定しない。
進んでトップの位置を明け渡し、後方集団にうもれようとしているかのようだ。
 どうして2番ではだめなのか、この国の政府は、またも、この考えを露呈したかのようだ。トップの位置を維持し、独走して差を開いて行こうという決断を行うことに躊躇してしまう。世界の2番手にいて、海外からの評価と格付けに神経をとがらせるばかり。堪え忍べと叫び、自らの将来を舵取りするポリシーに欠ける。
 なんとなさけないことか。次世代を支える若者が、この国の国民でよかったと感じられなくなるようでは、将来はない。
私は、はやぶさ後継機のプロジェクトからは身を引いている。
 しかし、アドバイザとしては残らなくてはいけないと考えている。それは、人材育成のためである。完全に身をひいては、技術と経験面で完全なリセットが起こるだけに終わり、それは初期化することで、はやぶさの成果はなかったことにもどるだけになる。新たに初代はやぶさを開発することにもどったのでは進歩はない。それどころか、現状から後退するだけである。初代に重ねて、上乗せして、はじめて進歩となるはず。だから、退職時になってようやく身を引いたのでは、科学・技術のコミュニティは突然死をむかえてしまうのだ。
 いうまでもない。私の自己のために、私がさらにもう1つプロジェクトを行おうとして、はやぶさ後継機を進めよというのではない。もう身を引いている。それは、そうしなければ、後進が育っていく土壌そのものを崩壊させてしまうからである。
 宇宙探査プロジェクトには時間がかかる。はやぶさ初代は、プロジェクトが始まってから15年を要した。飛行時間が長いのが宇宙探査プロジェクトを長くする特徴でもある。しかし、このことは、人材育成の難しさを明示している。15年毎にしかプロジェクトの機会がなかったとしたら、科学と技術両面で、継承・育成などかなうわけがない。今、はやぶさ後継機(はやぶさ-2)を立ち上げることができなければ、日本は、コミュニティに技術や経験が継承されるどころか、はやぶさ初代の成果をふりだしにもどしてしまうのだ。
 はやぶさ後継機(はやぶさ-2)を進めることに政府・与党の理解を期待したい。
 この文章をお読みになった方々から、草の根的であっても、それぞれの方法であってでも、政府・与党にメッセージを出していただければと思うものです。
(元「はやぶさ」プロジェクトマネージャ、川口淳一郎)
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リメンバー・パールハーバー(下)

2011-12-13 01:14:40 | たまに文学・歴史・芸術も
 前回紹介したNew York Times(電子版)の12月6日付コラムに並んで、“A Reluctant Enemy”(by Ian W. Toll)という些か刺激的なタイトルのコラムで、山本五十六連合艦隊司令長官の生涯が紹介されていました。このタイトルは、敵ながら天晴れ、とまでは言わないまでも、敵ながら・・・のニュアンスが入ったものでしょう。まさに12月23日から公開される「聯合艦隊司令長官 山本五十六 -太平洋戦争70年目の真実-」を紹介するような、悪い言い方をすると、そんな映画のことなど知るよしもないアメリカ人一般にひけらかすために、ぱくったような内容でした(実はこのコラムを書いたIan W. Tollという人は、“Pacific Crucible: War at Sea in the Pacific, 1941-1942”という著作もある作家なので、映画以前によく知っていると考えるべきかも)。いずれにしても、当時は少数派で今となっては理性派とみなされる英米派の主張を、アメリカでも取り上げてくれたのが、ちょっと嬉しい。
 今、本屋の歴史コーナーに行くと、ちょっとした山本五十六ブームであるかのようです。映画のお陰ですが、その映画を監修し、原作書籍を出した半藤一利さんの思いを語った声が、週間文春12月15日号に載っていたので、引用します。「海軍次官の時に日独伊三国同盟に反対し、遺書まで書いたことは有名な話だが、司令長官になってからも、戦争回避のために全力を尽くした。その部分を盛り込みました。」「山本さんの『自分の思っていることと正反対のことをやらざるを得ない。これが天命というものか』という手紙がある。開戦前、親友の堀悌吉さんに出したものです。実物を大分県立先哲史料館で初めて読んだ時、さすがに胸が詰まったね。」「今は、米国と戦ったことすら知らない人がたくさんいる。国力のない日本が無謀な戦争をしてはいけないと、映画や本を通して分かってもらえればと思っています。」
 しかし、山本五十六の生き様としては、既に40年近く前に阿川弘之さんが海軍提督三部作の一つとして描いて、一大ブームを巻き起こしました(因みに、残りの二人は米内光政と井上成美)。この三部作のために、海軍=開明的、陸軍=因循的といったイメージを固定化してしまった点で罪深いと語る人がいるほど、インパクトを与えた本です。そして、日本は勝ち目のない無謀な戦争に何故突入したのかという悔悟の念に囚われ続けた日本人に、そうではない先見の明をもった日本人がいたことを教える点で勇気を与えてくれる本であるとともに、私は、太平洋戦争が、こうして日本国内の事情でしか語られない状況を固定化してしまったのではないかと思われる点でも罪深いのではないかと秘かに思っています。
 そもそも太平洋戦争に至る経緯が、戦前の軍国・日本が全面的に悪かったとする自虐史観か、せいぜい開戦に反対する一派もいたとするややバランスの取れた国内抗争として描かれるか、いずれにしても日本国内の事情にこだわる論説ばかりであることに、私は不満を持ってきました。戦争は、外交の延長だとすれば、相手あってのこと、いわば相互作用の結果であり、一方的に非難される筋合いのものではないはずです。この点に関して、古くは江藤淳さんが「閉ざされた言語空間」で、最近では西尾幹二さんが「GHQ焚書図書開封」で、戦後日本で行われたGHQによる検閲の用意周到振りや偏向振りを丹念に検証し、SAPIO 12/28号で、西尾幹二さんが、連合国軍総司令部指令没収指定図書を調べることによって、戦前・戦中の日本人が、冷静に国際情勢を分析し、的確に「アメリカの戦意」を読み取っていたこと、そのように戦前の日米両国が衝突せざるを得ない宿命にあった事実を、戦後のGHQの検閲が隠蔽したがっていたことの一端を明かしています。
 清水馨八郎さんは、「侵略の世界史」で、米墨戦争(1846~48年)の開戦の契機が「アラモの砦の戦い」だったと述べています。この戦いは、アメリカが自国のアラモ砦を囮にして相手を挑発し、わざとメキシコ軍に先制攻撃させ、自軍に相当の被害を出させた上で、「リメンバー・アラモ砦」を合言葉に戦争を正当化し、国民を鼓舞して反撃に移ったものだったと解説しています。その後、アメリカは、1898年、ハバナを表敬訪問中の米戦艦「メーン」を自ら撃沈させ、2060人もの乗組員を犠牲にし、これを敵がやったことにして、「リメンバー・メーン号」を合言葉に国民を戦争に駆り立て、有無を言わさずスペインに宣戦布告したと言います。「リメンバー・~」は、アメリカが侵略する時の常套手段になっているというわけです。
 リメンバー・パールハーバーという言葉は、それぞれの立場によって、いろいろな思いがこもっている言葉だと、前回、書きましたが、アメリカの指導者にとっては極めて恣意的に利用する言葉であることもまた思い知るべきでしょう。別にアメリカの指導者に限るものではありません。東京裁判やGHQの検閲で言論統制のみならず文化や伝統まで統制され、自立する国家としてはある意味で去勢されてしまった日本人は、今こそ、その迷妄を脱却し、冷徹な国際政治の現実に目覚めるべきだと思います。
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リメンバー・パールハーバー(上)

2011-12-11 11:45:42 | たまに文学・歴史・芸術も
 真珠湾攻撃は、時と共に経験・記憶で語られるものから単なる歴史の一コマとなって、人々の意識から薄れていくといった事情は、アメリカでも同じようで、6日のNew York Times(電子版)に“Pearl Harbor Still a Day for the Ages, but a Memory Almost Gone”(by Adam Nagourney)というタイトルのコラムが寄せられていました。
 日本でも「ハワイ州の真珠湾では攻撃の難を逃れた元米兵約120人を含む計約3000人が参加して追悼式典が開かれた」(産経新聞)と報じられましたが、毎年この日に記念式典を行って来たPearl Harbor Survivors Associationという団体が、この12月で解散することになったそうです。1958年に発足した当初は、真珠湾攻撃の時にオアフ島にいた元軍人28,000名もの名前が名簿に載っていたそうですが、今年9月には十分の一以下の2,700名まで減り、その会員の多くは90代に突入して加齢とともに自由に動けなくなり、会員の中から会を運営するための“president, vice president, treasurer and secretary”を選出することが出来ないため、内国歳入法501Cが定める免税措置を受けることが出来る非営利団体としての地位を維持できないという現実に直面したためということです。
 真珠湾攻撃については、ルーズベルトの陰謀説が根強い人気を誇って来ました。「ルーズベルトは日本の攻撃を諜報局から知らされていたにも拘らず、あえて放置し、攻撃を許すことでアメリカの参戦を国民に認めさせた」(Wikipedia)というものですが、フーバー元大統領も、ルーズベルトのことを「対ドイツ参戦の口実として、日本を対米戦争に追い込む陰謀を図った『狂気の男』」と批判していたことを、米歴史家のジョージ・ナッシュ氏が、これまで非公開だったフーバーのメモなどを基に著した「Freedom Betrayed(裏切られた自由)」で明らかにしたそうです(産経新聞)。これはこれで知られざる歴史の一面を探る面白いテーマですが、これに拘り過ぎるのはどうかと思います。当時の緊迫した日米関係において、諜報戦も重要な戦術だったことは間違いなく、国際政治に謀略の要素がないと思う方がナイーブなのであって、ある戦略のもとに、多かれ少なかれ、様々な情報がルーズベルト大統領のもとに集まっていたことでしょう。問題は真珠湾攻撃がどれほど確からしいと判断していたかどうか、少なくとも、フィリピンのクラーク・フィールドの可能性が高く、ハワイのパール・ハーバーの可能性も否定できないといったところだったでしょうが、実はそれすらも、歴史の流れの中では小さな淀みに過ぎません。
 SAPIOの12/28号に「日米開戦70年目の真実」と題する特集記事が載っていて、真珠湾攻撃前に、真珠湾の様子を偵察していた外務省職員のことが紹介されていました。実は山本五十六が派遣した海軍予備役少尉で、1941年3月にホノルル総領事館に着任し、現地の女性とドライブしたり派手に遊ぶフリをしたりしながら、オアフ島の地形を観察して、東西に山脈が走る島の北側は曇天が多いけれども南側は晴れているため、「(前略)北側より接敵し、ヌアヌバリを通り、急降下爆撃可能なり」などと打電したり、毎週日曜日に最も多くの艦艇が真珠湾に停泊するといった、太平洋艦隊の“習性”を掴んだりして、本国に報告していたそうです。日本側でも小さいことながらこんな具合いですから、ルーズベルトは、肝心の主力空母は真珠湾外で輸送などの任務に従事させて無傷とするも、それ以外は情報を掴んでいることを悟られないために平静を装っていたことでしょう。その結果、戦艦8隻を失いましたが、その内の6隻は後に引き揚げられて復帰したため、最終的にアメリカ軍が太平洋戦争中に失った戦艦はこの2隻のみであり、しかも、乗艦を失った乗組員は新たに建造された空母へと配置転換され、アメリカ海軍の航空主兵への転換を手助けした(Wikipedia)とされますが、結果論に過ぎません。8隻を沈められたのは、初戦での損害として小さくなかったことでしょう。
 さて、冒頭のPearl Harbor Survivors Associationの話に戻ると、日本の攻撃が始まったのは、現地時間で日曜日朝7時55分という早朝で、戦艦などの艦船と飛行場などに集中したため、乗組員はほとんど下船していて人的被害は僅少だったのは当然で、だからこそ28,000名もの名簿を作成できたのでしょうが、ルーズベルト大統領がどう考えていようと知ったこっちゃない、というところでしょう。指導者にとっては、戦争は外交の延長でしかないと割り切ることが出来ても、身体を張って国を守る軍人としては、騙し討ちのような攻撃を受けた事実が全てであり、精神的なダメージは大きかったことでしょう。戦勝国とはいえ、たまたま日曜日早朝だったから難を逃れたものの、国家が惹き起こす戦争の被害者であり、あの時代状況の中で愛国心に燃えつつも戦闘を余儀なくされ、戦争に勝ったものの、戦争という大きなトラウマにその後の人生を支配されたであろうことを思うと、何とも言えない感慨を覚えます。私たちは後知恵で多かれ少なかれ歴史的事象として真珠湾を眺めるわけですが、彼らは自らの経験という極めて限られた状況のもとで記憶の中で生きているわけです。このAssociationのモットーは、“Remember Pearl Harbor --Keep America Alert-- Eternal Vigilance is the Price of Liberty.”だそうで、アメリカという、いかにも戦闘志向の強い国であることを思わせる言葉ですが、もともと西欧社会は自由を勝ち取ってきた歴史をもつことを考えれば、自らの人生を、そうした価値に昇華して正当化したい思いが伝わってきて、ちょっと敬虔な気持ちになります。リメンバー・パールハーバーという言葉は、それぞれの立場によって、いろいろな思いがこもっている言葉だと感じます。そしてこの12月で一つの記憶体が幕を閉じようとしています。こうしたそれぞれの思いを超えて、リメンバー・パールハーバーという言葉にどのような意味づけを与えていくのかは、残された私たちの課題です。
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ある中国人留学生の激白

2011-12-07 03:00:10 | 日々の生活
 数日前、田村耕太郎さんが日経ビジネス・オンラインに寄せられたコラムに、東大の駒場祭で行われた「東大生よ、海外へ出ていけー」というタイトルのパネルディスカッションの模様が紹介されていました。北京大学研究員の加藤嘉一氏、東大理事の江川雅子さん、そして田村氏の三人が「若者の海外展開」について熱く語り合った際、中国人留学生から鋭い指摘があったそうで、印象に残ったので紹介します。

 「中国なら『若者よ世界へ出ろ』なんてパネルは成立しません。だって、大人から言われなくても、みんな猛烈に外へ出たいんですから! 中国人には日本人と比べてたくさんのハードルとリスクがあります。情報は政府に統制されているし。ビザを取るのも大変だし。お金も日本人よりないです。それでも皆、海外へ出たいんです。私たち中国人から見て日本人は、留学するにも恵まれています。なのに、なぜ出ないのですか」
 「私たちの夢はお金持ちになって移民すること。中国を出たいのです。本気ですから、語学だって真剣に勉強するのです。だから中国人は何語でも速くうまくなるのです」
 「中国は、いつ何が起こるか分からない。政府が何してくるか分からない。とても政府が強くて、怖い。成功しても、いつ何されるか分からない。本当の情報はありません。我々が生き抜くためには脱出しかないと思っています」
 「今後、中国はさらに発展する可能性があります。しかし、いかに中国が成功しようが関係ありません。私たちは中国から脱出したいのです」
 「中国では公務員以外に長期雇用はありません。定年まで安泰なんてまずありません。公務員だっていつライバルに刺されるか分かりません。よく汚職がリークされて、関係者が逮捕されたり極刑にされたりしてます」
 「良い会社に入って、いくら頑張っても、いつ解雇されるか分からない。失業保険も生活保護も年金もあてにできない。死ぬまで自分で稼がないと生きていけない。それくらいの覚悟はできています。だから頑張るんです。日本人は本当にうらやましい」
 「私は一人っ子だから、溺愛してくれるお父さんやお母さんが、本音では私と中国で暮らしたがっているのが分かる。でも私のことが本当に好きだから、お金をかけて留学させてくれた。そして『自分たちに海外で暮らす力はない。お前だけでも自由に暮らして。帰って来ちゃだめだ』と言います」。
 「日本人は世界中で好かれているから、ビザが簡単に取れたりする。ビザが要らないこともある。円高で有利だし、情報は自由に取れる。私たち中国人から見たら、すごく恵まれている。首相を代えたり、政府を批判できたりすることも、中国人から見たらうらやましいことです。『政府が強権的に経済を進める中国のやり方がうらやましい』という日本人がいて、びっくりしました」
 「日本人は、自分たちがどれだけ恵まれているかを知らなさすぎる。日本の政府やメディアは、中国のそれに比べたら全然ましです。私たちは死ぬまで政府から何もしてもらえないことを知っている。一人っ子で甘やかされても、そこだけは厳しく家庭教育されていますから」。

 最後から三人目のコメントに対して、田村さんは次の質問をぶつけたそうです。「自由を欲する人たちはこれからもっと増えるのではないですか? ご両親もあなたも中国から脱出するだけでなく、中国を良い方向に変えるべく行動を起こしたら?」 するとこんな答が返ってきたそうです。「中国の治安部隊の怖さと力は半端ではないです。そんなことをしたら、何をされるか分かりません。仕方ないんです」 田村さんは、さらに切なさが増した、とコメントされていました。
 このコラムには、2011年、米国の大学で学ぶ外国人留学生が過去最高の約72万人に達し、その中で、中国人留学生は16万人と最大勢力で18%を超え、二位にインドの10万人、三位に韓国の7万人が続くといった話も紹介されていました。この順位はまさにグローバル社会で元気がある国の序列そのもので、暴走国家・中国は勢いを増すばかりです。
 ちょっと古いですが、10月5日のニューズウィーク日本版に「世界の機密を貪る中国スパイ」という特集記事が載っていたのをご記憶の方もいると思います。その中で、「中国の諜報体制は世界最大で、最も姿が見えにくく、しかし最も活発」(国際評価戦略センター上級研究員リチャード・フィッシャー)と述べられています。「何しろ中国の情報当局は、国外に住む自国民や国外で活動する自国の団体、国外に根を張る中国系マフィア、祖国に対して一定の郷愁と愛着を持つ華僑のすべてを『工作員候補』と見なしている。『学生から企業経営者まで、中国から来た人間は工作員の可能性があると疑ってかかるべきだ』(フィッシャー)」
 そこで感じたのが、中国脅威論がかまびすしく、そんな風潮の中で、中国恐るべしと思い込んでいた私に、田村さんのコラムは、強烈な一石を投じた・・・ということでした。ある意味で当たり前のことですが、中国は一枚岩ではない。むしろ中国人は伝統的に政権を信用して来なかったと言うべきかも知れない。中国スパイと言っても、もしかしたら本心は別のところにあって、独裁権力の前に、やむを得ず順応して見せているだけかも知れない。ニュースにはなりませんでしたが、中国の銀行の支店長クラス以上のマネジメント層が大挙して(何百人という単位で)海外にカネを(何千万円とか億円の単位で)持ち逃げした話を聞いたことがありますが、案外、そうしたところが中国という異形の国家の現実なのかも知れないと思います。そうすると、暴走する中国を動かす権力マシーンとは、一体、何なのか。空恐ろしくなります。
 それからもう一つ感じたのが、日本はやはり良い国だということです。戦後、戦勝国に押し付けられ左翼系知識人に煽られた自虐史観に囚われ続け、今なお謹慎を続けている私たちですが、第一回バンドン会議では日本は非白人諸国の独立のために戦った雄として称えられたという話を聞いたことがあります。ウサギ小屋に住むエコノミック・アニマルと蔑まれたことがありますが、原則として軍を否定し、ODAで新興国に対し見返りを期待しない多大なる貢献をなし、無垢なる皇室を戴いて、権力政治から無縁な潔さを貫いてきて、経済規模で世界第三位に転落したとはいえ、また長いデフレに悩もうとも、おしなべて自由で人の好いコミュニティを維持し続け、非白人からは案外尊敬を集めている(11月16・18日のブログでも触れたブータン国王の演説のように)というのは、ある意味で世界の驚異と言えるかも知れない。西欧の文脈からは、ちょっと(かなり?)変わっているかも知れませんが、これが我々のありのままの姿であり、昨今のユーロ財政危機や、金融資本主義で疲弊し社会が分断されたアメリカなどと比べても、もっと自信をもっても良いのかも知れません。
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マラソン界の異端児

2011-12-06 00:12:34 | スポーツ・芸能好き
 福岡国際マラソンと言えば、過去に世界最高記録を二度輩出したことがあり、出場する選手の面子を見ても、国内のマラソン・レースとして最高峰と見なされて来たと言っても良い大会です。フランク・ショーターの四連覇(1971~74年)や瀬古利彦の三連覇(1978~80年)は、子供心にも胸躍らせてTVに魅入ったものでした。そして昨日も伝統の大会に相応しいドラマを見せてくれました。一時は9位まで後退した「日本のエリート育成システムからの落ちこぼれ」と自称する埼玉県庁の公務員ランナー・川内優輝が、日本人トップとなる三位に食い込みました。
 中でも、順大時代に箱根駅伝の山上りの5区で活躍し、2005年~07年、3年連続同一区間記録更新という5区史上前人未到の記録を打ち立て、3年連続で金栗杯を受賞した元祖「山の神」今井正人を相手に、何度も揺さぶりをかけ、デッドヒートの末に振り切ったのは圧巻でした。実は川内自身も、学習院大時代に関東学連選抜で山下りの6区を2度走り、4年生の時に3位に入ったそうですが、箱根の実績としては圧倒的に見劣りがします。
 しかも驚くことに、川内は、2月の東京マラソンで状態がピークになるように調整中の今大会だったといいます。
 先週の報道ステーションで、川内の特集をやっているのをたまたま見ました。コーチがいるわけでもなく、公務員として勤務する傍ら、不足する走り込みを補うために、彼独自の練習法として、年間二十回ものレースをこなすことが紹介されていました。そのレースのたびに、最初から最後まで引きつった笑いを浮かべたような歪んだ顔で走り抜き、ゴールとともにへたれ込むほど体力の限りを尽くすのは、尋常ではありません。私も、高校時代に競技者の端くれとして走っていたので、それがどれほど破天荒なことか分かります。昨日の解説者の瀬古さんも、変わったランナーだと、頻りに感心していました。
 いよいよ今年の世界陸上に続いて、来年のオリンピック出場も視野に入って来ました。かつては隆盛を誇った日本の男子マラソン界で人材が枯渇する時代に生まれ合わせた幸運はありますが、彼の壮絶な走りっぷりからはちょっと目が離せません。
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