風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

現状維持を望む台湾

2012-01-31 23:04:40 | 時事放談
 北朝鮮情勢では誰もが現状維持を望んでいる、という話でしたが、台湾も似たような微妙なバランスの上にあるようです。旧聞に属しますが、台湾総統選で、僅差ではあるものの(実際には予想を上回る80万票差で)、親中派で現職の国民党・馬英九総統が再選を果たし、世界的な「政治の季節」の第一幕は先ずは穏当に明けたと言うべきでしょう。
 日本では余り報道されなかったように思いますが、このたびの台湾総統選は中国の伝統的なメディアやソーシャル・メディアでも相当話題をさらったようです。日本やアメリカの言わば他人事と違って、中華民族という同朋としての親しさがあるから、余計に関心を寄せているようです。中には、大陸の民主化は、台湾に共鳴して「台湾化」という形で出てくるかもしれないとまで論評する北京在住ジャーナリストもいましたが、そこまで行くと希望的観測に過ぎないでしょう。それでも16日のNY Times電子版は、冒頭で、勝者は馬英九氏だけではない、微かではあるものの紛れもない民主化要求の声も勝者であって、大陸で確実に勢いを増しつつあると、期待を込めて述べていました。そして、台湾で如何にスムーズに投票が行われたか、敗れた蔡英文候補は実に素直に負けを認め、勝った馬英九氏は雨に濡れながら誰からも傘をさしかけられることなく勝利宣言をした姿に、大陸の政治や政治家とは違うもの(一種の民主的な成熟)を認めて驚かされたという中国人の声を拾っていました。勿論、賞賛の声ばかりではなく、底が浅くて騒々しくて暴力的であることを思い知らされただけという落胆の声も紹介していました。しかし、そこはアメリカの新聞で、最後に、最も巷間を賑わした解説はジョークだったとして、変わりそうにない中国を皮肉っていました。曰く、ある台湾人が「朝、投票に行くと、夜には結果が分かるんだ」と、大陸の知人に自慢すると、大陸の知人は「遅れているな」とやり返します。「僕らは、明日の朝、投票しなければならなかったとしても、今晩の内に結果が分かるんだから。」
 馬氏の勝因の一つに、総統選と立法院(国会)選挙を「同日選」にしたことを挙げる声があります。台湾・立法院の選挙では、日本とほぼ同じ小選挙区比例代表並立制が採用されているため、地方組織が重要な役割を担いますが、今回は同日選となったことで、総統選においても、地方組織が盤石な国民党の側に有効に機能したというわけです。とりわけ票の売買が公然の秘密で行われている立法院選挙と総統選が重なったことで、総統選でも票の売買が行われ、地方組織と選挙資金に勝る国民党に有利だったと言われます。また、1月ばという春節前の時期を選んだことも重要なポイントだったと主張する声もあります。台湾北部や周辺地域に出稼ぎに出ている台湾南部の低所得層は、春節前の繁忙期に休みを取れませんが、この南部こそ民進党の票田でした。それに引き換え、日本でも報じられた通り、大陸で経済活動に従事する台湾人(台商)は100万人規模と言われていますが、親中派の現職に投票するためにわざわざ帰国した人の数は実に20万人に達したそうです。これには中国も、帰国便の増発や値下げをするという形で、間接的にではありますが選挙に介入(と言って言い過ぎなら側面支援)しました。それだけではなく、中国に投資している台湾企業のトップが選挙前に公然と馬総統支持を表明したのは、中国による脅し(と言って言い過ぎなら根回し)が広範に行われたからだと言われます。
 こうして総統選の投票結果は、不可逆的な結びつきを強める中台経済の現実を肯定する結果となりました。輸出依存度が対GDP比6割を越える台湾経済にとって、輸出の4割を占める中国との関係が最重要であることは、もはや論を俟ちません。実際に、行政院大陸委員会が昨年9月に実施した世論調査でも、「現状維持」を支持する回答が75%に達したそうです。台湾の人々はもはや「独立」でも「統一」でもなく、「現状維持」を望んでいるようです。
 そう言えば、前回の総統選(2008年)で、李登輝から陳水扁へと続いた本土化(台湾化)の流れが潰えて、国民党・馬英九氏が当選した時、長らく独立運動に身を投じて来た金美齢さんは台湾を捨て(本人は台湾に捨てられたと言って)、日本に帰化されたものでした。どうやら金美齢さんの予想通りに事は運んでいるのか。いやいや、実は、人々の心まではまだ雪解けしていないところが、なかなか一筋縄では行かないところです。昨年、台湾の教育関係団体が高校生から大学生・専門学校生までを対象に実施した調査では、今なお89%の若者が、最も非友好的な国として嫌ったのは中国だったそうです。中国の覇権主義は、ウィグルやチベットやモンゴルに加えて、朝鮮半島だけでなく、更には台湾をも呑み込むのか。日本の安全保障に係る重大な問題だけに、台湾との関係は大事にしたいものです。
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錦織圭の快挙の陰に

2012-01-29 00:50:03 | スポーツ・芸能好き
 今週は、全豪オープンの錦織圭の活躍から目が離せませんでした。四大大会で日本男子シングル選手がシード権を与えられたのは、今のランキング制が導入された1973年以来初めてで、全豪で日本男子がベスト8入りしたのは実に80年ぶりの快挙でした。
 圧巻は、世界ランキング26位の彼が、6位のツォンガを、3時間30分のフルセットの末に破ったところでしょう。ディフェンスを強化してきた上に、昨年来取り組んできた新しいサーブ・フォームでスピードと安定感が増し、基本に立ち返ってバックを攻めてフォアを打たせないスタイルで、粘り勝ちしました。続くマレー戦では、股抜きショットで観客を沸かせましたが、ストレート負けし、実力差を感じながらも、しかし手応えを感じた試合でもあったようです。
 彼のトレードマークでもある“エアK”について。数年前のアメリカの大会で、地元テレビ局が、フォアのジャックナイフを空中で打つ姿を”AIR KORI"と名付けたものが、日本で呼びやすいように変化したものだそうです。ボールが落ちる前の一番高い位置で打つので、相手の予想よりもタイミングが早くなり、エースが取りやすくて勢いに乗れると、本人も得意なショットにして来ました。これは彼のバランス感覚が優れていて身体の軸がぶれないからこそ可能なショットで、実際には身体に負担がかかって不安定なため、コーチからは止められていると言われています。現に昨年のウィンブルドンでは腹筋を傷めて棄権したこともありました。しかし彼の強さの秘密はむしろエアショットを打つ前の試合運びがうまくなったことにあると指摘する声があります。最近の躍進を見ると、なるほどと思わせます。
 もう一つはシード権について。グランドスラムのシードは、全128名の出場選手中、上位32名に与えられる特権で、トーナメント・ドローの異なる山に振り分けられるので、3回戦まではシード権選手同士の直接対決はありません。そのため、「トップ選手にとって一週目は調整段階、二週目に入ると日に日に目の色が変わり、ギア・アップしていく」(クルム伊達)もので、「シードがつくことでグランドスラムへの入り方や、年間スケジュールの組み方がグッと楽になる」(杉山愛)とされます。実際に、準々決勝でぶつかったマレーは、最初の4試合の合計時間が7時間48分だったのに対し、錦織はシングルスだけで11時間48分、混合ダブルスも含めると14時間を超えていたそうです。本人が語る通り、「トップ4の選手たちは、ほとんどセットを落とすことなく勝ち上がってきている。それは、1週目は楽に勝つ力があるということ。このレベルに来て、グランドスラムを取るには、すごい実力が必要だということが分かった」ということです。結果として、「初戦の体力を100とするなら、今日は30~40くらい」(錦織)というエネルギーの差がそのままスコアに反映されたのかも知れません。昨年夏、日本男子で過去最高位だった松岡修造の46位に近づいていた時、彼は「30位台に入ると、安定した状態だと言えると思いますし、それがランキングをキープすることにもつながると思います」と、先ずは30位台に入ることが目標だと答えていたのは、まさにこうした事情を意識したものでしょう。今後、彼はシード権を常に狙える位置をキープして、良い循環に入っていくのではないでしょうか。
 彼の活躍の陰には、誰かがいると言うより、子供の頃から抱いてきた「世界一になりたい」とい強い思いだという気がします。準々決勝で敗れたマリーを含むランキング上位4選手は、「ビッグ4」として別格の扱いを受ける存在ですが、かつての伊達君子に続き、男子でも彼ら「ビッグ4」に伍する選手が出てくる予感が、嬉しいです。
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把瑠都の活躍の陰に

2012-01-25 00:27:28 | スポーツ・芸能好き
 大相撲初場所で大関・把瑠都が初優勝しました。もともと外人力士に特有の、身長198cm、体重188kgの巨躯と、握力が右85kg、左93kgもある怪力を活かし、長い腕で懐が深く、豪快な相撲が持ち味でしたが、下半身が弱いところも外人力士として典型的で、パッとしませんでした。しかし膝を故障してからは、下半身の強化に努め、突き押しにも磨きがかかり、今場所は見違えるような相撲で初日から14連勝をあげました。
 角界のディカプリオと呼ばれていることは、優勝をめぐるニュースの中で初めて知りましたが、確かに整った顔立ちで、なんと言っても陽気で茶目っ気があって、優勝インタビューでは、奥様のエレナさんの内助の功を問われて「ありがとう」って涙ぐんだりして、チャーミングな外人サンで、得していますね。そのエレナ夫人は、千秋楽の国技館に着物姿で現れ、エストニアから駆け付けた義母とともに旦那の晴れ姿を見届けました。確か大関昇進の時にも着物姿でしたが、相撲は国技と言うと反論が出てきそうですが日本古来の伝統芸能であることには間違いなく、そんな日本の伝統芸能に敬意を表しているのでしょうか。その心遣いが嬉しいですね。なお、最近、見た着物姿が嬉しかったのは、このエレナ夫人と、2011年度のFIFAバロンドール女子部門を受賞した時の澤穂希でした。
 閑話休題。今場所12日目、大関・稀勢の里戦では、立ち会いで変化して非難を浴び、あらためて相撲は勝てば良いというものではなく、とりわけ優勝がかかっているような取組では正々堂々が尊ばれ、大関・横綱クラスともなれば勝ちっぷりが重要である相撲の美意識を思い知ったことでしょう。また、千秋楽は、横綱・白鵬の意地か、実力の差か、全勝優勝を阻まれましたが、1強(横綱)5弱(大関)ではなかなか盛り上がりませんし、面白かろうはずもありません。チャーミングな把瑠都のこれからの活躍に期待したいと思います。
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Made by Japan 対 Made in Japan

2012-01-21 00:20:49 | ビジネスパーソンとして
 前回、ホンダNSXがアメリカで開発・生産されるという話をしました。こうした製品は“Made by Japan”(日本企業製)と呼ばれるようです。「連結経営的に日本全体の経済をとらえ、海外投資収益などを日本国内に還流させ、先端的な技術革新に結びつけていく戦略」(日本経団連、2003年)として呼び習わしたもののようで(http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/vision2025.html)、恥ずかしながら私は、先日、ブックオフで見かけた本のタイトルで初めて知りました。ご存じの通り、1960年代から80年代にかけて、“Made in Japan”(日本製)の衣料品に始まり家電製品や自動車が世界の消費市場を席巻しました。まさにこの“Made in Japan”をタイトルにした本をソニーの盛田昭夫会長がアメリカで出版し、「自社の海外進出の体験を通して日本とアメリカの経営思想の違いを明らかにし、独自の哲学を打ち出した」(アマゾン)のが1988年のことであり、それとは裏腹に、“Made in America”をタイトルにした本をマサチューセッツ工科大のレスター教授が出版し、米国の製造業復活のための処方せんを著したのが1989年のことで、まさにバブル前夜で日本の製造業が絶頂の時代でした。
 底知れないデフレ経済に喘いでいるのは、中国をはじめとする新興国とのグローバルな競争によるものだと信じられていますが、実は“Made by Japan”との競争だったりするのかも知れません。それはとりもなおさず日本人によって考案されたものであり、日本の精神文化や慣習によって裏打ちされたものです。これからの時代は、この“Made by Japan”が幅を利かせるのでしょうか。
 翻って、ダルビッシュ有がレンジャーズと、日本球界史上最高の6年6000万ドルで契約調印に至りました。核開発を止めないイランに対する制裁を強めるばかりのアメリカにあって、彼がイラン人の父をもつことを心配しましたが、杞憂に終わったようです。他方、日本球界で三度の首位打者を獲得しながら、ブリュワーズ球団幹部の前でプレイを披露させられてようやく契約に漕ぎ着けた青木は、日本の年棒の三分の一に甘んじながら、夢に賭けます。彼らは、アニメ同様、今なお世界を席巻する、ちょっと手垢にまみれた“Made in Japan”そのもの。まだまだこの“Made in Japan”を信じたい。
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ホンダNSX復活!?

2012-01-19 00:05:22 | ビジネスパーソンとして
 先週の北米国際自動車ショー(デトロイト・ショー)のアキュラ・ブースで「NSXコンセプト」が出展され、美しいフォルムが話題になったそうです。三ヶ月ほど前、英国の自動車メディアが、ホンダ関係者から得た情報として、排気量3.5~3.7リットルのV型6気筒ガソリンVTECエンジンが後輪を駆動し、前輪左右にそれぞれインホイールモーターを組み込むという、4WDのハイブリッドシステムのNSX後継車について報じましたが、ついに私たちの目の前に姿を現したわけです。NSXと言えば、かつて日本車で唯一のスーパーカーとも評され、ホンダの、と言うよりも、日本のメーカーの乗用車最高額で、ホンダの顔とも言うべきフラグシップ・モデルでした。
 振り返れば、四半世紀前、今は亡きホンダ・プレリュード三代目に心を奪われたました。当時、独身寮で一つ上の先輩が、濡れ手に粟のNTT株式上場益で、プレリュードを現金で買って、羨ましくてしょうがなかったのを懐かしく思い出します。それほどホンダのデザインはとんがっていて、ホンダらしさに溢れていて、多くの若者の心を捉えました。その後ほどなくして、私が生まれて初めて手にしたマイカーは、中古のホンダ・アコード二代目ハッチバックであり、アメリカ駐在が決まって手放しましたが、帰国して購入したのは、アコードの姉妹車トルネオでした(因みにアメリカでは、前任者から引き継いだトヨタ・カムリの90年モデルのほか、購入したのはホンダ・シビックでした)。それほどホンダ車に思い入れがある私にとって、NSX復活は、久々に心躍るニュースでした。
 ところが、3年以内に量産を目指し、研究開発はアメリカ中心に行い、製造はオハイオ工場で一貫して行うと報じられて、二度、驚かされました。先の会場でアナウンスがあった時、アメリカ人は大いに喜んだようですが、私は、な~んだ、日本じゃないんだ、という落胆でした。閉塞感漂う日本で投入して欲しかった気もしますが、これもグローバル企業ホンダの一つのカタチなのかも知れません。どうもあれから私たちファンとともに老いて行ったように見えるホンダは、アメリカでもトヨタを意識し過ぎと言われ、日本経済の凋落と軌を一にするように、ホンダらしさを失い、元気がありませんでしたが、これが復活の狼煙になってくれればと切に願っています。
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野田改造内閣

2012-01-15 21:11:09 | 時事放談
 「昨年は日本は大変な災害に見舞われた国難の年でしたが、中でも政治の貧困は国民にとって最大の災害だったように見受けました。今年は衆議院の総選挙があるようですが、有権者の一人ひとりがよく勉強をして、少しはまともな政治家を選んで欲しいものです。さもないと日本の国自体が沈没してしまいかねないです。そうならないことを願います。」
 これは、ボストン駐在時代の同僚(と言っても、多分二十歳以上年長の方ですが)で、退職後もそのままボストンに住んでおられる方から頂いた年賀状代わりの便りの抜粋です。だいたいは、今年こそボストン・マラソンを走りに来ないのですかと、当たり障りのないお誘いの言葉を添えられるのが常で、政治に言及されたのは、この10年間では初めてのこと。よくよく地球の反対側の遠く離れたボストンでも祖国の体たらくが気がかりでならないご様子です。中でも「よく勉強しなさい」とのお言葉は、私自身が叱咤されているようで、襟を正した次第です(と言って、私に出来ることは限られていますが)。一つ言い訳させてもらうなら、民主党を政権与党に選んだ2009年夏の衆議院総選挙では、帰国後三ヶ月を経ない私には選挙権がありませんでした(あったからと言って、私に出来たことは限られていますが)。
 野田改造内閣が発足しました。読売新聞が実施した世論調査によると、内閣支持率は前の月から5ポイント落ちて37%(不支持率は7ポイント増えて51%)、内閣改造を「評価しない」49%(「評価する」35%)という結果で、日本人としては甚だ不本意ではありますが、発足した9月以来、毎月、順調に支持率を落として来て、再び、使い捨てになりかねない状況です。これまで、掴みどころがなくて最後までふわふわと地に足がついていなくて、宇宙人とまで言われた鳩山さんや、だんだん殻に閉じこもって地中に潜った地底人のように景気が悪い陰鬱な表情に変わって行った菅さんが、議論がなかなか噛み合わなかったことと比べれば、野田さんの弁舌は比較的滑らかで、話はよく分かるのですが、消費増税を含む社会保障と税の一体改革の実現に向け「日本にとっての正念場」だと強調(日経新聞)する割りには、心がこもっているようには見えなくて、実は野田「ロボット」なのではないかと疑ってしまいます。
 今回は、問責決議を受けた二人の閣僚を外したことと、岡田克也氏を一体改革・行政改革担当相を兼務する副総理に起用したことがポイントのようです。野田総理は、これを「最善・最強の布陣」と胸を張りました(が、英語に直すとsecond bestならぬthird bestくらいでしょうか)。まあ岡田氏については、内閣発足当時にも官房長官として恋い焦がれた人で、カタチを変えて念願叶ったこととは言え、当時はラブコールを聞き入れなかった岡田氏が立ち上がらざるを得なかったこと、また「素人」発言で物議を醸した一川保夫氏の後任に再び素人!?の疑問符がつく田中直紀氏の防衛相就任を見せつけられると(今朝のNHK政治討論番組で、自衛隊の海外での武器使用基準緩和問題と、武器禁輸政策の見直しを取り違えて、誤りに気付かなかったと伝えられます)、余程、人材が払底しているのかと情けなくなりますし、普天間基地問題、次期主力戦闘機(FX)、国連平和維持活動派遣、武器輸出三原則緩和など、いつにも増して難しい答弁を求められる問題を抱えて、野田総理の本気度を疑う産経新聞に賛同したくなりますし、再びこのようなボスを戴かざるを得ない防衛省もまた気の毒です。山岡賢次氏が退いた消費者担当相に至っては、消費者庁発足から2年半もたたぬ内に9人目の就任になります。
 民主党の功罪はいろいろありますが、その一つは、閣僚ポストをたらい回しし、その価値をことごとく貶めてしまったこと、それとは裏腹に、実は閣僚なんて(自民党時代でも)大したことはなかったのだと白日の下に晒したことではないでしょうか。それだけ日本の頭脳を集める官僚組織が強固な証左であり、政治主導を叫んだところで突き動かすのは生易しいことではないと言えます。政治家の資質について私が何を言っても大して説得力がありませんが、多くの民主党政治家にインタビューしたある若い女性ジャーナリストは、政治の世界ではなくても、うだつがあがらないような人が多かったと語っていました。今の政治状況を説明して余りあります。そうすると、私たち有権者の一人ひとりがいくらよく勉強をしたところで詮無いということになります。日本を覆う閉塞感はそのあたりにあるのだろうと。
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TV界の箸休め

2012-01-14 15:02:45 | スポーツ・芸能好き
 前々回、箱根駅伝は、正月に延々繰り広げられるバラエティ番組を見飽きた私たちにとって恰好の「箸休め」だと言いましたが、視聴率は実に平均27%に達するそうで、箸休めなどと言っては失礼に当たりましょう。しかし、もとより最初から順調だったわけではないようで、箱根駅伝がTV中継されたのは1987年からだそうですが、当初、「関東の学生が走っているだけで数字が取れるのか」、マラソンより数倍距離が長い駅伝で「中継が途切れて、放送事故があったらどうする」などと、反対の声が大きかったそうです(NEWSポストセブン)。特に活躍する人のことを山の神と敬意を表する上りの5区では、湾曲した山道が続き、電波を送受信する中継スポットを山地に複数設置するのが、当時の技術では難しかったようです。
 「箸休め」という意味では、最近、露出が増えた子役たちも、最近のお笑い芸人に飽きた私たちにとって「箸休め」と言えなくもありません。楽屋落ちのネタが多かったり、学生のコンパ芸に毛が生えた程度でしかなかったりといった事情の反動と言えましょう。しかしこちらも順調とは言えません。正月に会った親戚から異口同音に聞こえて来たのは、「こましゃっくれている」「生意気」「調子こいてる」「よく見ると可愛くない」「媚びる大人も情けない」などといった不平不満ばかりでした。そう思っていたのは私たち家族だけではなかったことを知ってホッとしたものです。もとより本人たちに悪気があるわけはなく、ひとえにここぞとばかりに商魂逞しい親御さんやモデル事務所と番組スタッフの問題でしょう。
 箱根駅伝は正月の風物詩として定着しましたが、いずれ子役は飽きられます。そもそもカワイイだけの物珍しさで芸がないのだから仕方ありません。しかし昨年のヒット商品番付で前頭何枚目かに登場した子役ブームが今年も続くとしたら、芸能界はまさに芸がない界に堕した証左と見られかねません。あるいはスポンサーのカネが減ったか閉塞感に囚われた社会にアイディアも枯渇して番組づくりが低調になってしまったのか。私自身のバイオリズムが変転する前のように、次なる飛躍に向かってエネルギーを蓄えて身を縮ませている時期なのだと思いたい。日本の経済や社会のように。
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失われた正月の風景

2012-01-11 03:07:14 | 日々の生活
 別に今年に限ったことではないので、わざわざ書くほどのことではありませんが、あらためて、正月に帰省する道すがら、子供の頃から数えてせいぜい三~四十年しか経っていないのに、失われた風景が多いことに思いを馳せておりました。
 例えば正月の各家庭の玄関口に国旗が飾られなくなりました。かくいう私の実家も飾っていないので、何故かと尋ねたら、右翼と思われたくないからだと言います。年取って面倒なだけだろうと思うのですが、今どき、ネット右翼は盛んでも、国旗を見て右翼を連想されるよりむしろ酔狂と思われるのが関の山です。国旗を見て不自然だと思わないのは、もはや天皇陛下がいらっしゃる風景、たとえば一般参賀のような場だけになってしまいました。国柄が違うとは言え、国旗や国歌に忠誠を誓うことが出来るアメリカをちょっぴり羨ましく思います。
 象徴的な道具に成り果てたという意味では、餅つきはその最たるものではないでしょうか。お餅もお節も買うのが相場になってしまいました。杵と臼はともかく、かつて餅つき機なるものもありましたが、モーターに餅が入り込んでメンテナンスが大変で、そこまでして、つきたての餅が美味いのは事実ですが自分がつくことにこだわる必要はありません。元旦でもスーパーやレストランが営業するようになれば、食べ飽きられることが分かっていながら寒い中を我慢して料理を作り置きすることもありません。
 凧揚げもすっかり見なくなりました。ましてや独楽回しや羽子板はなおのこと。凧揚げの場所がないと言われて久しく、それが原因とは思えません。欲望は尽きることがなく、もはや素朴な遊びでは飽き足らず、テレビや携帯ゲームに席巻されただけのことです。
 こうして正月の風景の多くはすっかり変わり果てましたが、初詣だけは、多くの人でごった返すのは、惰性とは言え、相変わらずです。実は初詣が習慣化したのは、京阪神の電鉄会社が沿線の神社仏閣をてんでんばらばらに宣伝し始めた明治時代中期以降のこととされていますが(Wikipedia)、新年を迎えて、来し方を振り返りつつ、心も新たに行く末の平安を祈るのは、悪いことではありません。江戸時代に大晦日と言えば借金の回収(借金の返済)に駆けずり回るのが風物詩とまで言われました。そういう意味で、年末年始のカタチは変わりましたが、心の持ちようが変わらないことには、ちょっと心強いものがあります。この歳になったからかも知れませんが、アメリカやオーストラリアのような文明社会の衣で覆われるのは味気ない。サメ肌も興ざめです。きめ細やかな文化の肌合いにこそ、心ときめくものだと思いますし、末永く大切にしたいと思います。
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今年の箱根駅伝から

2012-01-07 03:32:13 | スポーツ・芸能好き
 正月は、バラエティ番組に食傷気味で、箱根駅伝が恰好の箸休めになります。
 それにしても、沿道の観衆を見ていると、関東学連が主催して関東チャンピオンを決める地方大会に過ぎない箱根駅伝が、これほどの人気を博するのが、関西人の私には不思議ではあります。
 しかも今年は詰まらないくらい、新・山の神の柏原をはじめ、十区間中六区間で区間賞を獲った東洋大が、往路・復路・総合で大会記録を大幅に更新する圧倒的な強さを見せて優勝しました。昨年、史上三校目の大学駅伝三冠(出雲、全日本、箱根)を達成した早稲田大に僅か21秒差の二位に敗れて、その悔しさをバネにこの一年間精進したという、メディアが好む美談だけで説明できるとは到底思えません。そのハングリーさは半端ではありません。
 ハングリーさという意味では、花の二区で、昨年の金栗杯を獲った東海大の村沢を破って堂々の区間賞を獲得した青山学院大の出岐も、天晴れと言うべきでしょう。データの上では、どんなに村沢が1万メートルに強くても、それは見るからにトラックの走りであり、五区23.4キロの勝負では、昨夏のユニバーシアードのハーフマラソンで6位入賞の実力をつけた出岐の方に、軍配が上がったということなのでしょう。元祖・山の神の今井正人ですらも、箱根駅伝では無名だった埼玉県の公務員ランナー川内優輝に、先の福岡国際マラソンで勝てなかったように、距離の壁というものは無視できません。しかし、距離の壁以上に、精神的なハングリーさあってこその快走だったと思います。
 失われた10年が20年になる今の日本に最も欠けていると思われるのは、月並みですが、東洋大や出岐が見せた精神的なハングリーさだろうと思います。昨年は、東日本大震災を経験し、日本人にとってコミュニティの重要性が再認識され、身近には、一人で生きていくのは寂しいこと、芸能界に俄かに結婚ブームが現れたのも偶然ではないと思いますし、昨年をよく表現する漢字として「絆」が挙げられたことに共感した日本人は多かったと思います。TPPが新自由主義を想起するものとして思わぬ逆風が吹き荒れたのは、この文脈の中で必ずしも唐突ではなかったと思います。こうした日本的なコミュニティの暖かさと強さを大事にしつつ、それでも経済はグローバルに戦っていかなくてはならない、その折り合いをつけるために、精神的なハングリーさを、豊かな日本、とりわけ私の子供たちも含む若い日本人に涵養させることが出来るかが課題であり、私も微力ながら関わっていきたい、関わって行かなければならないと思っている領域です。
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未来は今年を忘れない

2012-01-04 23:46:53 | 日々の生活
 正月は、昼間から堂々と酒を飲めるのが嬉しいですね。いい気になって飲んでいると、何かに中ったのか、腹を下してしまい、三が日の後半は無為に過ぎて行きました。今日は仕事始めで、ブログも再開です。
 年末年始の恒例として、来し方を振り返り、行く末に思いを馳せるつもりでしたが、2011年の出来事は、書くほどに月並みになってしまいかねなくて、印象に残る言葉を孫引きさせてもらいます(何しろ、民主党を離党した9人が立ち上げた新党の名前も「きづな」と来たものですから・・・)。
 テレビCM業界でプロデューサーをやっている知人によると、ACC(全日本シーエム放送連盟)の2011年CMコンクールのタイトルは「未来は今年を忘れない」だったそうです。私たちは、あの日以来何かが変わったことを振り返るために、あの日あの時どこで何をやっていたかを、挨拶代わりに語り続けるのか・・・なんでもない言葉ですが、そんなことを思わせるインパクトのあるフレーズでした。それはまるで911同時多発テロの時のように(因みに私はあの時、西海岸に出張中で、渦中にはなく、同じように周辺にいただけでした)。
 世界政治を見ると、ベルリンの壁崩壊からソ連崩壊に至る1991年以降、10年周期で激動に見舞われていることが分かります。今年と言わずこれからの10年、あるいは先々まで、私たちは2011年に起こった出来事を引きずるのでしょうか。そして2011年に起こった出来事の歴史的な評価が固まるのは、ずっと先のことなのかも知れません。
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