風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

今年のプロ野球

2022-10-30 16:25:09 | スポーツ・芸能好き

 今年は例年になく寒さが堪えるのは年齢のせいかもしれないが、そこに一抹の寂しさを覚えるのは、それが野球のシーズンの終わりを意味するからでもある(日本シリーズは今宵、第七戦を迎えるが)。巨人ファンの私にとって、今年はとりわけ秋が来るのが早かった(苦笑)。

 世に「罪を憎んで人を憎まず」と言う。『孔叢子』刑論にある孔子の言葉「古之聴訟者、悪其意、不悪其人(昔の裁判所では訴訟を取り裁くとき、罪人の心情は憎んだが人そのものは憎まなかった)」から来たようだ。聖書(ヨハネ福音書8章)にも「罪を憎んでも人を憎まず」という言葉があるそうだ。負けは負け。ましてやチームプレイの野球で個人を論うのは憚られるところだが、しかし敢えて言いたい。今年の巨人の体たらくは、投打の柱たるべき菅野智之と岡本和真が精彩を欠いたことにあった。期待が大きいからこその「喝」である。菅野は辛うじて二年振りに二桁勝利を挙げたが、完封はおろか完投もなく、4年前に8完封を含む10完投を成し遂げたときの面影はない。岡本の打率.251、30本塁打、82打点は、レギュラーに定着した2018年以降でいずれもワーストで、8月11日に4番の座を中田翔に譲ったまま、取り返すことはなかった。本人たちも自覚しているだろうから(あの飄々として見える岡本でもロッカールームで荒れたという話が漏れ伝わって来た)、これ以上は差し控える。

 もとよりそれが全てではない。FAによる補強に積極的な巨人にしては、昨オフは「発掘と育成」を掲げてFAを封印し、原監督は、「若い人たちの力に頼ろうとするとなかなか難しかった」と総括された。育成の面では、大勢が新人最多タイの37セーブを上げたし、平内龍太、山﨑伊織、赤星優志ら若手8投手が同一シーズンにプロ初勝利を記録するのは史上初の快挙とされるが、チーム防御率3.69はリーグ最下位だった。打つ方でも、チーム本塁打数こそ163本でリーグ2位だったが、チーム打率.242はリーグ最下位、73犠打、15犠飛はリーグ最少と、派手な一発攻勢は出来ても、1点を取りに行く緻密な野球が出来なかった。

 暗いトンネルの先に光明が見えるとしたら、ドラフトで高校通算68本塁打の高松商・浅野翔吾を引き当てたことだろうか。いや、ドラ1が活躍するとは限らないのがプロの世界の厳しさなので、浅野がどうのこうのと言うよりも、過去1勝11敗(球団としても11連敗)とクジ運がなかった原監督が、ようやく当たりクジを引き当てたのだ。その夜はシャンパンを開けたらしい(笑)。

 もう一つ、なんとなく期待したいのは、親交のある高木豊氏が「育てるのが上手いよデーブは」と、指導者としての実力を高く評価する大久保博元氏が打撃チーフコーチに就任したことだ。「やっぱり熱いし、これだと思った選手は首根っこをつかまえてでもやらすから。それとホームランの打ち方、打たせ方。それとケースバイケースでの形、打ち方、考え方。そういうのを全部注入していくと思う。デーブはああ見えて細かいからね」「おそらく岡本がデーブの理論とか、そういうのに1年間はまったとしたら間違いなく50本近くは(本塁打を)打つと思う。中田もそう」と明言される。今の巨人に欠けているものを持ち込んでくれそうな予感がある。

 こうしてシーズンを通して傷心の私を毎朝、慰めてくれたのが、海の向こうのメジャーで進化を続ける大谷翔平だった。投手として15勝、防御率2.33、打者として34本塁打は、いずれもリーグ4位という異次元の活躍で、二桁本塁打と二桁勝利は「ベーブ・ルース以来104年ぶり」と讃えられた。何より今年は、規定打席と規定投球回数を同時にクリアするという、現在の二リーグ制になった1901年以来、誰も成そうと思わなかったし成し得なかった偉業を成し遂げたことこそ、特筆すべきだろう。昨年もそうだったが、チーム事情が悪く、大谷へのマークは厳しかったし(14敬遠はリーグ3位)、クオリティ・スタートしながら白星をつかめなかった試合が5度あった。まだ伸びしろを感じさせるのが心強い。

 日本プロ野球に話を戻すと、今年は、千葉ロッテ・佐々木朗希の完全試合に始まり、ヤクルト・村上宗隆の史上最年少三冠王に終わり、若い人の活躍が注目された。巨人ファンとしては、王貞治さんのシーズン55本塁打を破る日本人が現れたのが何だか癪だが(笑)、実は王さんと同じ140試合到達時点では55本で並んでいて、村上は、王さんより1試合多い自身141試合目に56号を達成したのだ(と、負け惜しみ 笑)。そんなこんなで、今年のMVPは、日本ハムの公式チアリーダー・ファイターズガールによる「きつねダンス」に捧げたい(爆)。

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いまどきの世論

2022-10-09 12:21:13 | 時事放談

 安倍元首相が亡くなってから早三ヶ月が過ぎた。まさか死してなお追及されるとは、よもや安倍氏ご自身も思いもよらず戸惑っておられることだろう(苦笑)。安倍氏亡きあと、岸田首相が野党やリベラル左派メディアのターゲットになったが、まあ、体制側の足を引っ張ることがミッションの彼らにとって、何等かのネタがあれば誰でもよいのだろう。

 知り合いの警察の方は、国葬儀に向けて支援要請され、国葬儀を警護するのも大変なら、残された者も少ない陣容で街を守らなければならないので大変だとぼやいておられたが、何はともあれ、警察が威信をかけた国葬儀が無事終わって、よかったと思う。山口組系暴力団は、こうした全国的イベントのときは行動を自粛するお触れを全国に出すのだそうだ。このタイミングで諍いを起こして、警察から恨まれるのを避けるというわけだ。ところが、よりによって黙祷のときを狙って鉦や太鼓を持ち寄って騒ぎ立てる人達がいるとは、なんとお行儀が悪い、能天気なことだろう(苦笑)。それに引き換え、献花の列は四ツ谷駅あたりまで7キロほど続いて、4時間かかっても整然と並んで待っていたという。この三ヶ月の喧噪の中で、ようやく本来の日本人らしさを見せてくれたような気がして、ほっとする。日本人にも、それから政治レベルでも、品位があって欲しいものだとつくづく思う。

 その品位を考えるとき、いまどきの言論空間の品のなさを思わずにはいられない。

 世論は移ろいやすいもので、安倍元首相が亡くなった当初は、選挙期間中の暗殺という衝撃と、志半ばで凶弾に斃れたことへの同情が集まったことから、7月半ばの時点で、リベラル寄りの毎日新聞が実施した世論調査でさえ、安倍元首相の功績を「評価する」と答えた人は7割に上った。しかしその後、自民党と旧・統一教会の「ずぶずぶ」の関係が追及されるようになると、空気は一変した。接点があった政治家は自民党だけではなく、規模は違えど立憲民主党にもいる。旧・統一教会は確かに社会通念上はカルト教団と見られているが、法的に反社と位置づけられるわけでもなければ解散命令も出せていない。それにもかかわらず、野党やリベラル左派メディアはここぞとばかりに自民党叩きに夢中になった。私も、日本人の朝鮮半島に対する贖罪意識に付け込んだという事実だけで旧・統一教会を許せない思いだが、安倍政権の韓国や北朝鮮に対する政策を見る限り、その影響を受けたとは思えない。ここ20年は目立った被害報道がなかったという意味では、最近になって俄かに騒ぎ立てるメディアは先ずその不明を恥じるべきではないかと思うが、その気配はない。どうにもイカガワシイ。

 こうした誘導は、少数ながらも(と私が勝手に思っているだけだが)声が大きいために、さも大勢であるかのように装い、庶民感情に「アヤシイ」「ウタガワシイ」と訴える、これまでも何度も繰り返されて来た印象操作だった。ここで少数と言うのは、社会の分断が深刻化しているアメリカの岩盤保守・リベラル・無党派層の比率が大雑把に30・30・40%(例えば上智大・前嶋和弘教授による)とのヒソミに倣えば、日本の岩盤保守・左派・無党派層は30・20・50%(左派はせいぜい15~20%か)というのが、私の勝手なイメージだからだ。あれほど国会を空転させながら追及し切れなかったのに、論理としての「疑わしきは罰せず」が通用しない言論空間では独特の生理的反応が支配するようだ。国会にはもっと他に議論することがあるだろうに・・・と思うが、どうもそうではない。そのような価値判断基準の方々には、安倍政権の、とりわけ過去の政権と比べて専門家の評価が高い外交・安全保障政策の功績をいくら語ったところで、聞く耳を持たないのだろう。

 こうした党派性は世代論としても語られ得るのが日本の特徴だろう。同志社大学の兼原信克氏(元・内閣官房副長官補)はある論考で、「歴史問題は、日本人のアイデンティティを引き裂いて来た」「大日本帝国時代を知る世代と、戦後直後のマルクス主義世代と、高度成長後の自由主義的な世代は、全く異なる日本人である」と述べておられる。私なりに敷衍すると、大日本帝国時代を知る人は、帝国主義という、食うか食われるかの時代相の下で、戦争を繰り返すまいと祈る庶民感情は尊いとしても、欧米列強の植民地支配の脅威に対抗し伍するために立ち上がったとの矜持や国家のありようを否定することは出来ないだろう。私の父やその上の世代がそうだ。そういった現実感覚・現場感覚のない戦後のマルクス主義世代は、歴史を理念として捉え、戦後の平和は憲法9条のお陰と(信じ難いことに)心から信じる護憲派であり、国家権力を悪と忌み嫌うのは生理的ですらある。全共闘世代がその典型であろう(前々回のブログで触れた高田氏もこの世代と思われる)。そして私を含む高度成長期にかかる世代は、大手メディアを中心に色濃く残る日本的な意味でのリベラル左派の空気を吸わされながらも、上記二世代のいずれからも距離を置く、しかし人によってその距離感はさまざまな世代である。更に言うと、高度成長を知らない若い世代が後に続いて、彼らはSNSを駆使するからリベラル左派メディア(所謂オールド・メディア)からは自由であり、護憲という戦後の政治思想界における呪縛からも解放されて、国際環境が変わったことを理解し、就職環境を良くしてくれた安倍政権を素直に評価する。若い人ほど保守的と言われるのも、年配者に比べればという相対的なものとして、理解され得る。

 いずれにしても、こうした党派性は世論にどのように作用するのだろうか。

 昨年、「エコーチェンバー可視化システム」というアプリをリリースされた鳥海不二夫・東京大学教授は、ご自身のツイッターアカウントがエコーチェンバー度上位10%に入っており、かなり強いエコーチェンバーの中でタイムラインを眺めていることが分かったと告白されていた(*)。日頃、研究者やIT技術者を数多くフォローされているため、結果として居心地の良い情報環境を構築することになったのも無理からぬことだと思われる。その鳥海教授によると、最近出版された論文では、リベラル系の方がエコーチェンバー度が高い傾向があることが示されているそうだ。長くなるが引用する。

(前略)安倍元総理に関するツイートがそれぞれのコミュニティでどの程度拡散しているかを分析すると、安倍批判のツイートを拡散している人の大半は、同様のツイートを10回以上拡散しているリベラルなアカウントであることが示されました。これはかなりコアの「反安倍政権」の人々です。一般に政治的なツイートを10回もするアカウントは、それほど多くありません。安倍元総理批判のツイートの約9割はそういう人たちが発信したツイートでした。 このようなアカウントが作っているコミュニティを分析して見てみると、これらのアカウントは主にお互いにフォローする関係にあることがわかりました。 すなわち、外部とのつながりが少ないコミュニティを形成し、リベラルはリベラル同士で関係性を作る割合が高くなっていたのです。すなわち、リベラルなアカウントが好む安倍元総理を批判するようなツイートは内部でのみ拡散している、エコーチェンバー現象が起きていることがわかったのです。(後略)

 なんとなく首肯したくなる話ではないだろうか。また、2017年の衆議院選挙の際、立憲民主党のツイッター公式アカウントのフォロワー数が自民党のそれを超えたのは、立憲民主党の人気がネット上で高まったからではなく、仲間内ばかりでフォローをして数が増えただけで、拡散する力は自民党の公式アカウントの方が強かったことが分かったそうだ。そして、こうも語っておられる。

(前略)エコーチェンバーの中にいると、周りはみんな自分に賛成してくれるので、世界中の人が賛成してくれているような気がしてきます。私たちは、目に見えないものを想像するのは苦手です。実は自分たちが少数派だということには、なかなか気づきません。だから選挙の後に、「自分の周囲は皆、野党を応援しているのに、なぜ与党が勝つのか。これは不正選挙に違いない」と言い出す人が出てきたりします。(後略)

 2020年のアメリカ大統領選挙を思い出すが、エコーチェンバーのもたらす影響は、何もリベラル左派に限ったものではなく、保守的と言われる共和党のトランプ支持派にも言えるだろう。日本では、リベラル左派のエコーチェンバーの中にいる人たちが仮に少数派であっても多数派と思い込み、その少数派のリベラル左派がリアルのメディア環境を支配しているために、なんとなく無党派層を巻き込む結果としての世論調査を弾き出しているのではないだろうか。こうして、安全保障法案や特定秘密保護法、さらにはアベノマスクのような個別事象で盛り上がり(自民党の足を引っ張り)、しかし、平静に戻る選挙では自民党支持が大勢を占める(足を引っ張るだけの野党には支持が集まらない)というのがこれまでの状況だったと考えられる。そして此度は、旧・統一教会や国葬儀で盛り上がった。

 かつてのヴォルテールの言葉(あなたの意見には反対だが、あなたがそれを主張する権利は命をかけて守る)を持ち出すまでもなく、言論の自由は守られなければならない。さりとて、自由をはき違えて、個別事象で盛り上がり、この国会では旧・統一教会問題で盛り上がって、それでよいのかということだ。他に議論すべき重要なテーマがあるだろうに・・・と、つい憂えてしまうのである。自民党に対抗し政権交代を担い得る野党の登場を期待するのは、夢のまた夢であろうか。

(*) https://president.jp/articles/-/61897

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アントニオ猪木が輝いていた時代

2022-10-04 00:52:24 | スポーツ・芸能好き

 アントニオ猪木氏が10月1日、心不全で亡くなった。享年79。全身性トランスサイレチンアミロイドーシスとかいう、100万人に1人と言われる心臓の難病で闘病生活を送っておられたそうだ。呼吸するにも楽な姿勢はなく、痛みが全身を襲って、とにかく苦しかったらしい。随分痩せて、身長が10センチも縮んだと言われた。

 私の世代にとって、昭和のプロレス界の圧倒的なヒーローである。幼稚園の頃こそ、将来、大きくなったらバスの運転手やお医者さんといった身近なヒーローになりたがったが、その後、金曜夜8時のプロレス中継を見るようになると、将来はプロレスラーになって外人レスラーを倒すんだと、友達とプロレスごっこに夢中になった。今も、テーマ曲『炎のファイター INOKI BOM-BA-YE』が脳内を駆け巡る。情熱的な赤のタオルや、赤のショールがよく似合う人だった。1960年9月にデビューし、1998年4月のドン・フライ戦をもって正式に現役を引退したので、実に40年近くもの間、日本が高度経済成長を謳歌し、バブルが崩壊して沈むまで、元気な日本を象徴するように、リングの上で「燃える闘魂」そのままに闘い続けた。恩師の力道山が北朝鮮出身だったことから、訪朝は33回を数え、その北朝鮮コネクションに目を付けた韓国・金泳三政権が北朝鮮との橋渡しを依頼したほどだったそうだし(辺真一氏による)、湾岸戦争では日本人人質解放のキーマンとなるなど、リングの外でも闘い続け、最後は病魔と闘って、ついに力尽きた。

 アントニオ猪木と言えば、何と言っても「プロレスこそ格闘技の頂点」とする「ストロングスタイル」が売りだった。先輩のヒロ・マツダ氏は、「猪木はどんな相手でも強く見せて名勝負をする」と話していたそうだが、相手に得意技をかけさせて、その良さを十二分に引き出し、自らも応酬することで、名勝負を演じて、最後は勝つ、というタフネス振りと切れのあるワザが魅力だった。1974年3月、“昭和の巌流島”と呼ばれたストロング小林戦で勝利した後には、「こんなプロレスを続けていたら10年持つ選手生命が1年で終わってしまうかもしれない」と語ったこともある。アメリカに滞在していた頃、テレビで見かけたプロレスのいかにも大袈裟なリアクションが目障りなショーだったことから、猪木氏が旗揚げした新日本プロレスが切り拓いた、「しっかりとしたレスリング技術を基盤にしたストロングスタイル」(日刊スポーツ)が無性に懐かしくなったものだ。あのハルク・ホーガンも、猪木氏らが見出した当初は、パワーだけが取り柄の粗削りなレスラーで、レスリングが出来なければやっていけなかったことから、試合前のリング上で積極的に練習に取り組んだらしい(同)。

 白眉は、1976年6月に行われた、ボクシングの世界ヘビー級王者ムハマド・アリとの異種格闘技戦だろう。土曜のお昼の吉本新喜劇が人気の大阪で、ついぞ昼日中からテレビを見る習慣がなかった私でも、この時ばかりはテレビにかじりついた。蓋を開けたら、当時の多くのファンと同じように、がっかりしたのだったが、総合格闘技が当たり前の今なら、違った見方をしていたかも知れない。猪木氏は日本の総合格闘技のパイオニアでもあった。日本経済の成長が鈍化し、成熟するにつれて、量から質へと、猪木氏自身の中でも変化していたのだ。

 以前、雑誌のインタビューで、自分の墓について、「墓石はオーストリアのラジウム鉱石で作りたいね。有名なパワーストーンなんですよ。猪木の墓にくれば元気になれるって話題になるでしょ?」と語ったそうだ(女性自身)。いやあ、まさに、元気ですか~っと気合いを入れて貰えそうだ。一度でいいから、闘魂ビンタを注入して貰いたかった。

 アントニオ猪木が輝いていた時代がなんだか無性に懐かしい。ヒールがいて、場外乱闘が当たり前で、ハチャメチャなこともあって、一喜一憂しながら、日本も日本人も元気だった。

 心よりご冥福をお祈りし、合唱。

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