一昨日は、中国共産党の創立100周年記念式典があり、多くの“ケバケバしい”ニュースに触れて、ちょっと辟易してしまった(笑)。「中国共産党万歳!」 「中国人民万歳!」といった大時代な演出は、もはや日本人には違和感しか抱かれない(と思う)。もっと言うと、日本人は斯様なプロパガンダは毛嫌いするだけだ(と思う)。日本人は、そもそも江戸の昔から、政府を「お上」とたてまつる一方で自らの生活は政治から干渉されるのを嫌い、制約ある中でもそれなりに自由を謳歌して来たものなのか(この点で、司馬遼太郎さんは、江戸時代の士農工商を身分制による上下関係ではなく機能的な棲み分けに過ぎないと喝破された)、戦前・戦中のナショナリズムに懲りた日本人は、「国家」や「権力」を必要以上に忌避するようになったからなのか、よく分からない(まあ、いずれでもあるのだろう)。
実際に、ピュー・リサーチ・センターの最新調査によると、中国に対して否定的な見方を示した回答者の割合は、(特段、苛められているわけでもない)日本が88%でダントツの一位だった(2位以下には、最近、苛められているスウェーデン80%、オーストラリア78%、韓国77%が続く、7/1付Bloomberg)。早速、中国外務省は会見で「西側諸国の反中政治家やメディアは中国への偏見に基づき嘘やデマをまき散らしている」と主張し、「少数の国の少数の人々を対象に行った」として、この世論調査自体を否定した(7/1付 テレ朝News)。
引っ越せない隣人なので、毛嫌いしていても仕方ない。一応、中国なる国を理解しようと努めるようにしている。それで最近、感じるのは、現代の中国を理解するためには、中国の地に伝統的な秩序観(中華思想や華夷秩序など)や国家意識(革命の思想など)とともに、中国共産党という統治組織に特有の統治原理についても併せ考える必要があるのではないかということだ。その際、東洋と西洋とで似たところもあれば違うところもあり、中国共産党はその違いを乗り越えて世界に理解を求めるためにレトリックを使うので、そこにも目配りしなければならない。
例えば、「中華民族」なるものは、56の民族を束ねた、中国共産党の独創で、言わば「中華帝国」を正当化するレトリックであろう。また、中国的な「法治」は、一見、西洋的な「Rule of Law」を思わせるが、中国では共産党が法律の上位にある「Rule by Law」であって、似て非なるもの、これも一種のレトリックであろう。
かつて孫文は戦前の日本に対し「西洋流の覇道文化の番犬になるのか、東洋の王道文化の守り手になるのか、よく考えてほしい」と訴えたらしい。今、中国共産党が西洋的な「覇道」か東洋的な「王道」か問われれば、間違いなく「王道」と答えるだろうが、そこには大いなる誤魔化しがあり、それを糊塗するレトリックが使われる。中国共産党が人民のご機嫌を気にするのは、選挙で選ばれたわけではない引け目にほかならず、伝統的な革命思想に沿って社会の安定を第一義に考えるからで、一見、西洋由来の啓蒙思想の根幹をなす国民主権に似たところがある。それを実践するかのように、最近、法律を制定するに当たって、事前にパブリック・コメントを求めたりするので、中国も変わったもんやなあ・・・とちょっと感慨深く思うのも束の間、何のことはない、国内や国外(日本の業界団体など)のコメントや提言には一切、耳を貸すことなく、結局、中国共産党がやりたいように決めるだけのようである。レトリックに騙されず、すなわち「言葉」ではなく「行動」で判断しなければならないと、あらためて思い知った次第だった。
今回の式典で一時間にわたり披露された習近平国家主席の演説には、歯の浮くような言説が満ちている。
「中華の大地に全面的な小康社会を建設し、歴史的な貧困問題を解決した」と、成果を誇ったが、昨年5月、習氏と仲が良くないと言われる李克強首相は、「中国ではいまだ、6億人が月収1000元(約1万7000円)で生活している」と発言して物議を醸した。
「(党は)中国で数千年続いた搾取と抑圧に満ちた封建制度を排除し、帝国主義と覇権主義による破壊と武力挑発を克服した」とも自賛したが、今、新たな帝国主義と覇権主義で台頭しようとしている。否、新たな、ではない。かつてナポレオンが、「中国は眠らせておけ。目を覚ましたら、世界を震撼させるから」と言ったように、その長い眠りから覚めて、しかし意識(頭の中)は1840年以前のままで、台頭しようとしている。この時代認識のギャップが、世界のあちらこちらで摩擦を惹き起こしている。
「中国共産党は終始、人民の根本的な利益を代表し、(人民と)生死を共にする。いかなる自らの利益や権力、特権も代表しない。共産党を中国人民から分離し、敵対させようとする試みは決して成功しない」とは、中国共産党と人民との分断を狙うアメリカの暗躍(!?)を意識しての発言だが、党員と非党員とで格差があるのは公然の秘密だ。ジャーナリストの中島恵さんの知人によると、中国では中国共産党の党員になること=ステータスだと捉えられ、党に入ること自体、難しいので、それだけでも成績優秀者、人格者という証になるという。国有企業のトップは党員であることが義務づけられているし、公務員の場合は党員であるかどうかが昇進に影響する場合もあるようだ(中島恵さん『増え続ける中国共産党員 中国で中国人が中国共産党員になる方法』による。このあたりは後述)。
「強い国には強い軍隊が必要で、強い軍隊は国防につながる」と強調するが、人民解放軍は党直下の組織であって必ずしも国家を守る軍隊ではない。天安門事件のように人民を抑圧することも厭わない。
「中国の人民は外国勢力によるいかなる圧力、いじめも許さない。圧力を試みるものは14億人を超える中国人民の血肉で築かれた『鋼鉄の長城』の前に打ちのめされることになるだろう」と、「いじめ」られる存在に自己規定するとは、相変わらずしたたかで図々しい。さぞナショナリズムを鼓舞することだろう。これだけの大国になり、一帯一路でカネをバラマキながら、気候変動やWTOにおいては、今なお発展途上だと、演じ分ける。
「香港人が香港を統治する。マカオ人がマカオを統治する」と述べるが、「高度な自治の原則を完全かつ正確に実行し、中央当局が香港・マカオに完全な権限を持つ」と、当たり前だが、一国二制度の内の一国を強調した形だ。党が全てなのだ。
「台湾問題を解決し、祖国の完全統一を実現することは共産党の歴史的任務だ」と言うが、台湾の人の多くは望んでおらず、迷惑な話だ。啓蒙思想の下にアメリカは被統治者の合意が必要だとしてハワイ統合に慎重だったとも言われるが、中国にそんな慎重さは微塵もない。
いくつか気になることがあった。
習氏が演説したのは、いつもの人民大会堂ではなく天安門の楼台で、しかも居並ぶ幹部がダークスーツ姿だったのに対し、習氏一人だけグレーの人民服(中山服)に身を包み、別格の存在感を示した。毛沢東が建国宣言したこの地で、あの姿をなぞったということか。FNNの特派員は、「この式典は単なるお祝いではなく、習近平国家主席が自らの地位をさらに確立し、毛沢東に並ぶ絶対的な存在になるための通過儀礼ともいえる」と伝えた。
ジャーナリストの近藤大介さんによると、「共産党成立100周年のお祭りなのに、習総書記以下、厳めしい顔つきを崩さず、誰一人ニコリともしない。習近平時代になってから、この種の祝典から「笑顔」というものが消えた」そうだ。また、演説において、「キーワードは『偉大』である。何と46回も『偉大』を連呼したのだ。特に自己の政権のスローガンである『中華民族の偉大なる復興』というフレーズで、20回も繰り返した」ということだ。何と余裕を感じさせない、窮屈な式典は、一体、どこから来るのだろう。日経の秋田浩之さんは、「習政権はなぜ、各国を敵に回して超大国への道を生き急ぐのか。主要国の当局者や識者の間では、2つの仮説が交錯する」として、「第1は国力を増し、自信過剰になっているという見立て」、「第2の仮説は逆だ。油断したら91年に崩壊したソ連の二の舞いになってしまう。こんな習氏の不安が強硬策につながっているというもの」で、「正解はいずれか片方ではなく、両方とみるべきだ」と書かれた。確かに実像への自信と虚像への不安に揺れているのだろう。
ロイターのコラムニストは、中国共産党のことを、「国内でこれほどまでに人気が高く、一方で海外ではこれほど嫌われたことはかつてない」 「共産党指導者は支配が巧みで、野心に満ちている。しかし、危険なほどに新しいアイデアがない」と書いた。確かに、コロナ禍を克服したことで、共産党の統治は自由・民主主義体制より優れていることが喧伝され、党への信頼は高まったとの声もある。その実態は?
冒頭に記したように、“ケバケバしい”式典記事には辟易したが、日経で、その隣に「おつまみ」のように添えられた小さい記事が印象に残る(下記参考)。「共産党員、9500万人に増加」と題するもので、毎度のことながら、中国の統計をどこまで信用できるのか疑問はあるが、党員総数より、党の高齢化が進むとして、「30歳以下の若手党員は全体の13.2%にあたる1255万人で、比較可能な15年以降で最低」 「61歳以上の党員は2693万人で、全体の3割弱」といったあたりに注目した。まあ、中国という国自体が高齢化しているのだから当然だろうが、「公務員や国有企業への就職を希望する一部学生らの間で入党希望は強い。就職や昇進に有利とされるためだ。一方で民間企業志望者や政治に無関心な若者も多く、距離を置く動きもみられる」 「党の記章は農民と労働者を象徴する鎌とハンマーからなる図案だが、党員全体に占める割合は34%にとどまった」とも解説する。これまでGDPや人口などの「量」を誇って来た中国共産党にとって、確実に進む「質」の変化こそ最大の脅威であろう。
中国共産党は、進歩史観に蝕まれて安心し切った私を、まるで180年以上前の歴史に引き戻すかのような刺激を与えてくれる、実に奥深く、探究心をそそられる存在だ(笑)
(参考)「共産党員、9500万人に増加」(日本経済新聞 7月1日付)
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO73436410Q1A630C2FF8000/
実際に、ピュー・リサーチ・センターの最新調査によると、中国に対して否定的な見方を示した回答者の割合は、(特段、苛められているわけでもない)日本が88%でダントツの一位だった(2位以下には、最近、苛められているスウェーデン80%、オーストラリア78%、韓国77%が続く、7/1付Bloomberg)。早速、中国外務省は会見で「西側諸国の反中政治家やメディアは中国への偏見に基づき嘘やデマをまき散らしている」と主張し、「少数の国の少数の人々を対象に行った」として、この世論調査自体を否定した(7/1付 テレ朝News)。
引っ越せない隣人なので、毛嫌いしていても仕方ない。一応、中国なる国を理解しようと努めるようにしている。それで最近、感じるのは、現代の中国を理解するためには、中国の地に伝統的な秩序観(中華思想や華夷秩序など)や国家意識(革命の思想など)とともに、中国共産党という統治組織に特有の統治原理についても併せ考える必要があるのではないかということだ。その際、東洋と西洋とで似たところもあれば違うところもあり、中国共産党はその違いを乗り越えて世界に理解を求めるためにレトリックを使うので、そこにも目配りしなければならない。
例えば、「中華民族」なるものは、56の民族を束ねた、中国共産党の独創で、言わば「中華帝国」を正当化するレトリックであろう。また、中国的な「法治」は、一見、西洋的な「Rule of Law」を思わせるが、中国では共産党が法律の上位にある「Rule by Law」であって、似て非なるもの、これも一種のレトリックであろう。
かつて孫文は戦前の日本に対し「西洋流の覇道文化の番犬になるのか、東洋の王道文化の守り手になるのか、よく考えてほしい」と訴えたらしい。今、中国共産党が西洋的な「覇道」か東洋的な「王道」か問われれば、間違いなく「王道」と答えるだろうが、そこには大いなる誤魔化しがあり、それを糊塗するレトリックが使われる。中国共産党が人民のご機嫌を気にするのは、選挙で選ばれたわけではない引け目にほかならず、伝統的な革命思想に沿って社会の安定を第一義に考えるからで、一見、西洋由来の啓蒙思想の根幹をなす国民主権に似たところがある。それを実践するかのように、最近、法律を制定するに当たって、事前にパブリック・コメントを求めたりするので、中国も変わったもんやなあ・・・とちょっと感慨深く思うのも束の間、何のことはない、国内や国外(日本の業界団体など)のコメントや提言には一切、耳を貸すことなく、結局、中国共産党がやりたいように決めるだけのようである。レトリックに騙されず、すなわち「言葉」ではなく「行動」で判断しなければならないと、あらためて思い知った次第だった。
今回の式典で一時間にわたり披露された習近平国家主席の演説には、歯の浮くような言説が満ちている。
「中華の大地に全面的な小康社会を建設し、歴史的な貧困問題を解決した」と、成果を誇ったが、昨年5月、習氏と仲が良くないと言われる李克強首相は、「中国ではいまだ、6億人が月収1000元(約1万7000円)で生活している」と発言して物議を醸した。
「(党は)中国で数千年続いた搾取と抑圧に満ちた封建制度を排除し、帝国主義と覇権主義による破壊と武力挑発を克服した」とも自賛したが、今、新たな帝国主義と覇権主義で台頭しようとしている。否、新たな、ではない。かつてナポレオンが、「中国は眠らせておけ。目を覚ましたら、世界を震撼させるから」と言ったように、その長い眠りから覚めて、しかし意識(頭の中)は1840年以前のままで、台頭しようとしている。この時代認識のギャップが、世界のあちらこちらで摩擦を惹き起こしている。
「中国共産党は終始、人民の根本的な利益を代表し、(人民と)生死を共にする。いかなる自らの利益や権力、特権も代表しない。共産党を中国人民から分離し、敵対させようとする試みは決して成功しない」とは、中国共産党と人民との分断を狙うアメリカの暗躍(!?)を意識しての発言だが、党員と非党員とで格差があるのは公然の秘密だ。ジャーナリストの中島恵さんの知人によると、中国では中国共産党の党員になること=ステータスだと捉えられ、党に入ること自体、難しいので、それだけでも成績優秀者、人格者という証になるという。国有企業のトップは党員であることが義務づけられているし、公務員の場合は党員であるかどうかが昇進に影響する場合もあるようだ(中島恵さん『増え続ける中国共産党員 中国で中国人が中国共産党員になる方法』による。このあたりは後述)。
「強い国には強い軍隊が必要で、強い軍隊は国防につながる」と強調するが、人民解放軍は党直下の組織であって必ずしも国家を守る軍隊ではない。天安門事件のように人民を抑圧することも厭わない。
「中国の人民は外国勢力によるいかなる圧力、いじめも許さない。圧力を試みるものは14億人を超える中国人民の血肉で築かれた『鋼鉄の長城』の前に打ちのめされることになるだろう」と、「いじめ」られる存在に自己規定するとは、相変わらずしたたかで図々しい。さぞナショナリズムを鼓舞することだろう。これだけの大国になり、一帯一路でカネをバラマキながら、気候変動やWTOにおいては、今なお発展途上だと、演じ分ける。
「香港人が香港を統治する。マカオ人がマカオを統治する」と述べるが、「高度な自治の原則を完全かつ正確に実行し、中央当局が香港・マカオに完全な権限を持つ」と、当たり前だが、一国二制度の内の一国を強調した形だ。党が全てなのだ。
「台湾問題を解決し、祖国の完全統一を実現することは共産党の歴史的任務だ」と言うが、台湾の人の多くは望んでおらず、迷惑な話だ。啓蒙思想の下にアメリカは被統治者の合意が必要だとしてハワイ統合に慎重だったとも言われるが、中国にそんな慎重さは微塵もない。
いくつか気になることがあった。
習氏が演説したのは、いつもの人民大会堂ではなく天安門の楼台で、しかも居並ぶ幹部がダークスーツ姿だったのに対し、習氏一人だけグレーの人民服(中山服)に身を包み、別格の存在感を示した。毛沢東が建国宣言したこの地で、あの姿をなぞったということか。FNNの特派員は、「この式典は単なるお祝いではなく、習近平国家主席が自らの地位をさらに確立し、毛沢東に並ぶ絶対的な存在になるための通過儀礼ともいえる」と伝えた。
ジャーナリストの近藤大介さんによると、「共産党成立100周年のお祭りなのに、習総書記以下、厳めしい顔つきを崩さず、誰一人ニコリともしない。習近平時代になってから、この種の祝典から「笑顔」というものが消えた」そうだ。また、演説において、「キーワードは『偉大』である。何と46回も『偉大』を連呼したのだ。特に自己の政権のスローガンである『中華民族の偉大なる復興』というフレーズで、20回も繰り返した」ということだ。何と余裕を感じさせない、窮屈な式典は、一体、どこから来るのだろう。日経の秋田浩之さんは、「習政権はなぜ、各国を敵に回して超大国への道を生き急ぐのか。主要国の当局者や識者の間では、2つの仮説が交錯する」として、「第1は国力を増し、自信過剰になっているという見立て」、「第2の仮説は逆だ。油断したら91年に崩壊したソ連の二の舞いになってしまう。こんな習氏の不安が強硬策につながっているというもの」で、「正解はいずれか片方ではなく、両方とみるべきだ」と書かれた。確かに実像への自信と虚像への不安に揺れているのだろう。
ロイターのコラムニストは、中国共産党のことを、「国内でこれほどまでに人気が高く、一方で海外ではこれほど嫌われたことはかつてない」 「共産党指導者は支配が巧みで、野心に満ちている。しかし、危険なほどに新しいアイデアがない」と書いた。確かに、コロナ禍を克服したことで、共産党の統治は自由・民主主義体制より優れていることが喧伝され、党への信頼は高まったとの声もある。その実態は?
冒頭に記したように、“ケバケバしい”式典記事には辟易したが、日経で、その隣に「おつまみ」のように添えられた小さい記事が印象に残る(下記参考)。「共産党員、9500万人に増加」と題するもので、毎度のことながら、中国の統計をどこまで信用できるのか疑問はあるが、党員総数より、党の高齢化が進むとして、「30歳以下の若手党員は全体の13.2%にあたる1255万人で、比較可能な15年以降で最低」 「61歳以上の党員は2693万人で、全体の3割弱」といったあたりに注目した。まあ、中国という国自体が高齢化しているのだから当然だろうが、「公務員や国有企業への就職を希望する一部学生らの間で入党希望は強い。就職や昇進に有利とされるためだ。一方で民間企業志望者や政治に無関心な若者も多く、距離を置く動きもみられる」 「党の記章は農民と労働者を象徴する鎌とハンマーからなる図案だが、党員全体に占める割合は34%にとどまった」とも解説する。これまでGDPや人口などの「量」を誇って来た中国共産党にとって、確実に進む「質」の変化こそ最大の脅威であろう。
中国共産党は、進歩史観に蝕まれて安心し切った私を、まるで180年以上前の歴史に引き戻すかのような刺激を与えてくれる、実に奥深く、探究心をそそられる存在だ(笑)
(参考)「共産党員、9500万人に増加」(日本経済新聞 7月1日付)
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO73436410Q1A630C2FF8000/
例えばこちら
Countering cognitive warfare: awareness and resilience (リンクがうまく張れないのでこちらで検索してください)