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風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

太陽の塔

2025-05-24 12:41:52 | 日々の生活

 私の世代には馴染みの1970年大阪万博のシンボル「太陽の塔」が重要文化財に指定されそうだ。文化審議会が文部科学相に答申したという(16日、読売新聞ほか)。折しも開催中の大阪・関西万博のシンボル「大屋根リング」の取り扱いも焦点になると伝えている。

 「太陽の塔」は、「万博のメインテーマ『人類の進歩と調和』に対し、プロデューサーを務めた岡本太郎は縄文土偶を思わせる対極的な反近代の象徴としてデザイン」(読売新聞)したと言われる。

 彼は、縄文文化の芸術性を再評価したことで知られるが、私はその話を知るまで、なんとなく弥生式土器の先進性や機能美に単純に惹かれていた。子供心に、戦後日本の経済成長に浮かれるメンタリティにどっぷり浸かって、永遠の「進歩」を素直に信じていたのだろう。「太陽の塔」は、塔頂部に未来を表す「黄金の顔」、正面の腹部に現在を表す「太陽の顔」、背中に過去を表す「黒い太陽」という3つの顔を持つとされる。背中の顔には原始の素朴な生命力を、また、正面の顔には現代社会の不貞腐れたような不機嫌さをユーモラスに表現した芸術性を感じさせるが、塔頂部の顔は、ずんぐりした胴体の上にちょこんと乗っけられた、如何にも取ってつけたような「金ぴか」の、という言葉は、1870~80年代にアメリカで資本主義が急速に発展を遂げ、拝金主義に染まった成金趣味の時代として揶揄する言葉<Gilded Age、金メッキ>で、未来の顔という割には安っぽい工業デザイン的なチャチな成りで、子供心にもアンバランスに見えた。彼は縄文時代の土偶をモチーフに、シンプルで力強い機能美で装って「調和」を図ったかに見せているが、求めていたのは安っぽい金ぴかの「進歩」などではなく、土着の民族性やその力強いエネルギーだったのだろうと、今にして思う。それは、万博と同じ1970年に自決した三島由紀夫の思いにもどこか通じるように思う。

 万博閉幕後には撤去される予定だったが、反対する署名活動などにより、保存が決まった。そして高校で陸上部にいた私(たち)は、ロード・トレーニングと称して、時々、万博公園まで走りに行ったついでに、「太陽の塔」周辺の芝生の上を走り回ったものだった。高二の冬に参加した四市一町駅伝大会(吹田市・摂津市・茨木市・高槻市・島本町)は万博公園内の周遊道路で行われた(私の高校時代最後のレースで、涙の準優勝に終わった)。その後、耐震改修工事を経て、2018年から万博以来の内部の一般公開が始まったと聞いていた。

 国の重要文化財は、文化財保護法に基づき、美術工芸品や建造物などの有形文化財のうち特に重要なものから選ばれ、意匠や技術、歴史的・学術的価値などの基準に照らし、文部科学相が指定するものだという。建造物の場合、指定後は許可なく改築や移築ができず、修理費用は最大85%国から補助され、相続・贈与などで税制上の優遇措置もあるらしい。建造物の場合、完成から50年が一つの目途とされ、子供の頃に出来たものが指定されるという時間の流れを感じないわけにはいかない。

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中国的修辞法2

2025-05-23 05:13:54 | 時事放談

 中国政府の対外発表は興味深い。

 自由な言論空間が確保されない権威主義の中国では、政府発表や国営メディアの提灯記事が全てである。それを受け止める人民は、身の回りの現実との間で齟齬を感じれば、政府への信任に揺らぎが生じ、ひいてはそれが社会不安に繋がりかねないから、政府は慎重に対応せざるを得ない。なにしろ中国を統治する中国共産党の核心的利益の第一は共産党統治を維持することにあるのだから、政府の対外発表は内向けの人民を意識したものにならざるを得ない。中国共産党が最も恐れるのはアメリカではなく、中国人民だと言われる所以である。

 4月に日本の外務省がウェブサイトに「中国を渡航先とする修学旅行等を検討される学校関係者の皆様へ」と題するページを掲載した。中国各地で一般市民が襲撃されるなどの重大事件が発生しており、邦人も犠牲になっていることから、中国を渡航先とする修学旅行を検討している学校関係者に対し、外務省海外安全ホームページなどを十分参照の上、「渡航の是非」を判断するよう求めた。そうは言っても、渡航の自粛を求めるものではなく、安全確保や警備強化における外務省の支援、修学旅行出発15日前までの旅行届の提出、「たびレジ」への登録など、一般的な注意喚起を含むものだそうだが、これに中国外務省の報道官が噛みついた。そこまでならともかく、「中国は開放的で寛容で安全な国だ。我々は日本を含む全ての国の人々が中国を旅行し、中国で学び、ビジネスを行い、中国に住むことを歓迎する。中国国民と中国に滞在する外国人の安全を分け隔てなく守るために、引き続き効果的な措置を講じる」と言い募った上、「中国は日本に対し、直ちに誤った慣行を是正し、日中間の人的交流に前向きな雰囲気を作り出すよう強く求める」と、日本に注文まで付けたそうだ(4/25付ニューズウィーク日本版)。とりわけ反スパイ法の施行以来、中国以外のどの国の誰が、この報道官の発言を信じるだろうか。中国外務省の報道官が気にするのは、日本人ではさらさらなく、中国人民の目であろう。

 中国が2008年に北京五輪を成功させ、4兆元の経済対策を実施してリーマンショックから世界を救ったと言われ、2010年にGDPで日本を超えて世界第二の経済大国に躍り出て以来、大国たらんと欲し、そのように遇されることを望むのは、「未富先老」(豊かになる前に老いる)社会が現実のものになりつつある中、人民の自尊心をくすぐり、中国共産党の統治を正当化せんがためだ。こうして中国は、益々、自縄自縛に陥り、世界から奇異の目で見られるばかりで、ソフトパワー大国の夢は遠のき、中国の覇権は夢のまた夢となるだけのように見える。

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中国的修辞法1

2025-05-22 05:13:54 | 時事放談

 中国政府の対外発表は興味深い。

 古来、中国では、天が徳を失った王朝に見切りをつけると、革命(天が「命」を「革(あらた)」める)の名のもとに王朝交代が正当化される。一見、西欧の啓蒙主義思想のように、「被」統治者目線で、人民の支持を失う王朝を倒すことが正当化されるかのように思われるが、どうも中国の場合は統治者目線で、革命を目指す反逆王朝が現王朝の不徳と悪逆を詰り自己を正当化するロジックのように思われる。それは現代の中国でも同様で、だから社会不安を招かないよう中国共産党は社会(例えばメディア)や人民を、ひいては国家を「領導」することになっている。「領導」とは、日本の専門家によれば、指揮命令に服従させる含意があるそうだが、中国では命令でも強制でもなく、影響を与えることだという。まあ、いずれかはともかくとして。

 14日付ロイターによると、中国外務省の報道官が定例記者会見で、2021年12月に上海で拘束され2023年10月に初公判が開かれていた日本人男性に対し、中国の裁判所がスパイ行為で懲役12年の判決を下したことに関連し、「日本は中国の司法主権を真剣に尊重すべきだ」と述べたそうだ。報道官は、「中国は法治国家であり、当該案件の処理にあたっては法的手続きを厳格に順守し、関係者の正当な権利と利益を保障している」、「日本は自国民に対し、中国の法律や規定を遵守し、違法・犯罪行為に関与しないよう教育・指導すべきだ」とも述べたそうだ。

 中国の法治はRule by Lawで、法の上に中国共産党が君臨し、法を利用して統治するもので、法が最上位にある西洋の法治Rule of Lawとは似て非なるものだ。それでも英語ではないのをよいことに「(中国流の)法治」と呼んで日本人を惑わせる。そして、上の報道官談話で「教育・指導すべき」と訳されているのは、日本国政府は日本国民を「領導」せよ、と言いたいのだろう。強制や命令ではなく、(中国から見て)正しい道を外さないように影響力を行使せよ、ということか。かつて、日本のメディアが中国共産党の気に障ることを書きたてたことに対して、ある日本の政治家は中国の政治家から、政治はメディアを指導(領導)するべきだと言われたらしい。中国は自らの文法なり文脈に沿って(それは必ずしも日本や西洋の文法なり文脈と同じではない)あれこれと指図し、無意識の内にその異質さを露呈する。

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トランプ2.0の100日(後篇)

2025-05-11 13:45:04 | 時事放談

 アメリカと言えば、自由・民主主義を奉じる「理念の国」と呼ばれ、それが昂じて、大学時代の恩師は「お節介」な国とも呼んでおられた。確かに、第二次世界大戦後、自ら良かれと思って望まれもしない武力行使をたびたび行い、戦闘には勝ちながら戦争に負けるという失敗を繰り返した。こうして戦争犯罪に手を染めるアメリカをロシアと変わらないではないかと揶揄する人がいるが、ロシア(や中国)の身勝手で見苦しい屁理屈と違って、アメリカにはそれなりに高邁な「理念」なり「大義」があった(イラク戦争では結果としては幻の大義となったが)。ひと皮めくれば、あからさまな「国益」が潜んでいたりもするが、「理念」や「大義」というオブラートに包んで、もっともらしく美しく見せた。ところが、トランプ氏には「理念」や「大義」のカケラもない。国家財政が逼迫して余裕がないせいだろうが、だからと言って弱みは見せず、自分のことは自分でやれと、体よく子供を諭すように、ある意味でまっとうなことを言う。かつての大国・アメリアの鷹揚さや慎みはなく、あからさまな自国優先を押し付ける。まさか、アメリカの大統領の発言をファクト・チェックしなければならないような事態を、誰が想像しただろうか。
 そんなトランプ氏の統治手法のことを「家産制(パトリモニアリズム)」と呼ぶ人がいる。Wikipediaによると「支配階級の長が土地や社会的地位を自らの家産のように扱い、家父長制支配をもって統治する支配形態のこと」だそうだ。COURRiERというウェブ雑誌の記事「『トランプ政治』を恐ろしいほど的確に表す、100年前の社会学者のある言葉」から該当部分を引用する。

(引用はじめ)
 マックス・ヴェーバーは「国家の指導者が自身の正当性をどこから引き出しているのか」、つまり「国家の正当な統治権をいかにして得ているのか」について疑問を抱いた。そして、そうした主張は突き詰めれば二つの選択肢に集約されると考えた。
 一つ目は、合理的な「依法官僚制」である。これは一定の規則と規範にのっとった公的機関によって統治の正当性が与えられるシステムで、大統領、連邦政府職員、応召兵は個人ではなく、合衆国憲法に対して宣誓する。2025年1月20日まで我々が皆、当然だと思っていた米国の統治システムだ。(中略)
 二つ目の根拠の源泉はさらに古い。それはもっと広汎で直感的な「前近代世界における規定の統治形態」であり、「国家は統治者の“家”の拡大版にすぎず、独立した存在ではない」とするものだ。ヴェーバーはこの統治システムを「家産官僚制(家産制)」と呼んだ。統治者は国民の象徴的父親、つまり国家の擬人化にして、国民の保護者であると主張する。トランプ自身、まさにこの古い理念を公言して慄然とさせた。彼は自身をナポレオンにたとえ、Xにこう投稿している。「国を救う者はいかなる法律も犯さない」
 ヴェーバーは当時、家産制は歴史のスクラップ場送りとなり、消滅するだろうと考えた。そのワンマン型統治は、近代国家の特徴である複雑な経済および軍事機構を管理するには、あまりにも未熟で気まぐれだったからだ。
(引用おわり)

 トランプ氏から閣僚に指名されても、常識ある人なら「個人」ではなく「国家」に忠誠を尽くすだろうと、私は高を括っていたのだが、見事に裏切られてしまった(ように見える)。皆、トランプ氏「個人」に忠誠を尽くしている(ように見える)のだ。こうしてトランプ氏の統治手法は(あくまでも統治手法に限っての話だが)19世紀に舞い戻ってしまったかのようだ。そう言えばプーチンの戦争も19世紀に舞い戻ってしまった。人類の歴史は、特に欲の突っ張る政治は、さほど進歩することはないということだろう(東洋史の碩学・内藤湖南は、そもそも歴史は「進歩」などしない、「変容」するだけだと言った)。
 もう一人、世界を牛耳ろうとする中国の習近平氏も大差ない。トランプ氏が保護主義的な関税政策で世界を混乱させるのをよいことに、中国が自由貿易の旗手たらんと振る舞っているが、国家資本主義の中国こそ世界経済を攪乱しているのが実態なのに、実に皮肉な話で、とんだ茶番だ。さらに中・長期的には世界秩序を自らに都合が良いように変えようと目論んでいる。ある中国人留学生は、華夷秩序の正当性を研究する卒論を真面目にモノしたと、ある大学教授が呆れて話しておられた。確かに、お世辞にも戦争には強そうにない中国にとって、圧倒的な国力(がありそうなこと)を背景にした権威による支配は、願ってもないことなのだろう。
 これら三人は、それぞれにノスタルジーとルサンチマンという二つの感情を共通にする。かつて覇を唱えたロシア帝国や中華帝国、あるいは古き良き白人のアメリカを懐かしみ、ロシアや中国は先進諸国に、アメリカは同盟国に、さんざん食い物にされたと、被害妄想に囚われる。そして時計の針を150年から200年も巻き戻そうとする、大国の頂点に君臨するこれら三人の猛獣を、世界は果たして手懐けられるのだろうか。

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トランプ2.0の100日(前篇)

2025-05-04 12:07:16 | 時事放談

 企業や国のリーダーにとって、就任後の最初の100日はハネムーン(蜜月)期間と言われ、お手並み拝見とばかりに厳しくも温かい目で見守られるのはよく知られるところだ。事業や人を知り、目標を定め、行動計画を作成する、その後の1000日の成功を導くための言わば準備期間であり、企業で言えば転職が当たり前の欧米では当たり前の習慣だが、日本にもないわけではない。ある中堅企業に幹部社員として転職した知人によれば、100日レポートと称して、前職企業との違い、現職企業の強みと弱み、課題の抽出と今後の抱負を、会長・社長の前でプレゼンさせられたそうだ。社員の半分を中途採用し、社外取締役も積極的に活用する、オーナー企業だからであろうか、外の声にも積極的に耳を傾けようとする柔軟さが面白い。

 トランプ氏も4月29日に大統領就任100日を迎えた。しかし彼の場合は二度目なので手慣れたもので、周囲を忠誠心ある太鼓持ちで固めたこともあって、さしたる混乱もなく、問題含みの大統領令を矢継ぎ早に発出し、世間の耳目を集めるだけではなく、相互関税をぶち上げるなど、世界中を混乱の渦に巻き込んだ。敵を敵対視するのはともかく、同盟国にも手加減しないマイペースの自国第一主義と、専門家の声に耳を貸さない「常識革命」で、早くも世間の厳しい目に晒されている。関税は大統領ではなく議会の権限なので訴訟が提起されており、予断を許さないのだが、そんなことは歯牙にもかけない猪突猛進ぶり(間違いと判断したらあっさり軌道修正する率直さも含めて)が彼らしさと言えるのだろう(本当は、前回ブログに書いたように、市場の動きや世論を気にしているはずだが)。トランプ劇場第二幕に世界中が翻弄されている。

 第一期(1.0)では閣僚の更迭が相次いで政権のドタバタ振りを晒したが、第二期(2.0)では比較的スムーズで、唯一、マイク・ウォルツ国家安全保障担当大統領補佐官が、100日を過ぎて国連大使に転出することになった。表向きは、3月中旬に起きた民間の通信アプリ「シグナル」に絡む杜撰な情報管理、かつてニクソン大統領が辞任に追い込まれた「ウォーターゲート事件」に因んで「シグナルゲート」と呼ばれる情報漏洩問題だが、ウォルツ氏は「グローバルホーク派」として中国やロシアやイランに対して厳しい姿勢で知られ、和平交渉に後ろ向きの姿勢を崩さないロシアに対して制裁強化の必要性をトランプ氏に訴えられる数少ない人物だったようで、惜しい。斯くしてトランプ氏の「常識革命」は「トランプ流の常識」革命であって、甚だ危うい。

 まあ、こうなることはほぼ分かっていたのに、何故、アメリカ国民は二度にわたってトランプ氏を選んだのか? と、今なお理解に苦しむのは、私たち日本人がアメリカ人のことを実はよく分かっていないせいだろう。少なくとも私は、マサチューセッツ州ボストンとカリフォルニア州サクラメントに5年暮らし、その後も付き合いがあるアメリカ人と言えば、西海岸シリコンバレーの企業人か、ニューヨークあたりの弁護士や会計士で、いずれもブルー・ステイト(民主党系)だったり、所謂(トランプ氏が嫌う)意識高い系(woke)の有識者だったりする。アメリカ中西部で、アメリカを(下手すれば州あるいはカウンティをも)一歩も出たことがなく、世界地図で日本がどこにあるか指差しできず、日本の首相が誰かも知らないようなアメリカ人とは、とんと付き合いがない。バイデン前政権は同盟重視でアメリカ的な理念(たとえば人権や民主主義)を重視し(見ようによっては重視し過ぎ)、安心して(やや退屈に)眺めていられた一方、口先ばかり恰好つけて行動力に劣るところが飽きられていたとは言え、一期四年だけでトランプ政権に舞戻るのは、極端に走り過ぎだろうと、ついぼやきたくなるが、後の祭りだ。

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