日本人ではない日本在住者が増えている。首都圏のコンビニでは、日本人店員に出合う方がむしろ少なくなった。宴会予約の電話を入れると、こんなところまで・・・と思うくらい、たどたどしい日本語で、しかし、キャンセルは二日前まで、前日は50%、当日は100%かかると、しっかり教えてくれる。
参政党の梅村みずほ参院議員が東京・新宿で行われた参政党の街頭演説の動画をXに投稿し、「大きくバツをつけた日章旗を振り『差別をやめろ!』と叫びを上げる。発煙筒で威嚇しながら中指を立て『差別をやめろ!』と叫びを上げる。純粋に演説を聴きに来た人の頭に大音量スピーカーを向け『差別をやめろ!』と叫びを上げる。」「悲しき日本の異常な現状。#参政党は絶対負けない。日本を守る」とあらためて主張したそうだ(8日)。
確かに異様な光景である。リベラルと称される方は、数の割りに声が大きいものだが(これは私の偏見ではなく、SNSなどのデータ解析で、拡散することが実証されている)、今どき日章旗に×をつけるのは、リベラルの中でも全共闘世代のゴリゴリの左翼か、はたまた日本を荒らそうと企図する国(党)の息のかかった反日の方々であろう。
参政党の神谷代表も、長崎で開催された被爆80年の平和祈念式典に出席した後、福岡市内で街頭演説を行っている際、「人種差別をやめろ」という趣旨の怒声が飛んだことに反応して、振り向きざまに「してねぇっつってんだろ!!」と怒鳴り返したそうだ(9日)。リベラルと称される方はレッテルを貼るのがうまい。ウソも100回言えば真実になると言うが、うっかり聞き流している内に、そういうものだと思い込みかねない。最近、facebookの動画で参政党の神谷代表の演説を見かけて、何とはなしにいくつか眺めていたら、いつの間にかfacebookで参政党の露出がやたら増えてしまった(苦笑)。確かに、参政党は差別を助長するわけではなさそうだし、戦争をけしかけるわけでもなさそうだ。
先の参議院選で参政党が躍進したのを、ロイターは、「『極右の参政党』が日本の政治の主流に浸透し、『最大の勝者』として台頭した」と解説した。寄稿しているのはリベラル系の日本人ジャーナリストか学者だろうか。左側から見ればニュートラルな人も右に見えるし、同じく左側から見れば右の人は極右に見えるだろう(苦笑)。ロイター(または寄稿した人)の軸が左にずれている証左であろう。警戒したいのは分かるが、先の参議院選では、これまで投票に行かなかったような、声が大きくない、サイレント・マジョリティの中道あるいは中道保守が投票に行ったと考えられ、風向きが変わりつつあるのは確かだろう。そして、そのきっかけの一つが外国人労働者問題である・・・遠回りしたがようやく話が元に戻った。やれやれ。
私は通算10年近く、アメリカやマレーシアやオーストラリアといった多民族国家に駐在したので、異国の人たちが共生する社会に違和感はないが、難しさもまた実感している。アメリカに滞在したのは90年代後半で、同時多発テロが起こる前だから、伝統的な人種差別(例えば蔑まれたり、接触を忌避されたりすること)は特に東海岸には顕著に残っていたが、暴動などの実力行使が目立つことはなかった。今はアジア系には住み辛くなっているかもしれない。マレーシアに滞在したのは2000年代後半で、マレー系が三分の二、中国系2割、インド系が1割という人口構成で、大雑把に言えば、役所などの公共部門はマレー系、ビジネスは中国系、弁護士や医者などの技術者はインド系と、棲み分けられている社会だ。ブミプトラ政策(マレー系優遇政策)はまだ生きているはずで、放っておけば生存競争に強い中国系が社会を牛耳ってしまいかねない(とは、かなりの偏見だが真実、笑)。オーストラリアに滞在したのは08年から09年にかけての一年だけだったが、インド系アジア人が襲われる事件が頻発し、共生社会の難しさを垣間見た。中国系移民が問題を起こすことも度々ニュースになった。アメリカで海外生まれの人口はせいぜい10数%だが、オーストラリアは30%にも達するほど、今もなお移民が増え続ける国であり、対決も生々しい。当時のシドニーでは、ナビのお蔭で土地勘がなくてもタクシーの運転手が務まるので、中東系が増えて、私もつい大丈夫かいなと身構えることが多く、最短距離であれば渋滞だろうがお構いなしに突っ込むので閉口したものだ。安い労働力として外国人を招き入れているわけではないと日本国政府は言うかもしれないが、現実問題として外国人は日本人が避けるような仕事に就くことが多く、その場合には、どこかでヒズミが出てくるのは避けがたく、そのコストは多少は甘受しなければならない。問題はどこまで許容できるかだ。
参政党が争点化したお蔭で、外国人政策に関する司令塔組織「外国人との秩序ある共生社会推進室」が内閣官房に新設された。ごく当たり前に外国人にも暮らしやすい街づくりが必要だと主張されるようになった。現実問題として、外国人に来て貰っている以上、ある程度は受け入れる側の義務であろう。他方で、例えば私はオーストラリアに駐在するべく、就業ビザを取得するとき、彼の国の価値(詳細は失念したが、例えば言論・出版・信教などの諸々の自由や民主主義や法の支配など)を尊重するよう宣誓させられたものだった。それは受け入れて貰う側の義務であろう。先ずは日本でもオーストラリア同様に外国人労働者に対して日本の価値を認識させ、法以前の彼らの行動基準とさせるべきだろう。参政党が正確にどのように主張しているかは知らないが、所謂「郷に入っては郷に従わせるべき」だと私は思う。それは差別でも何でもない、お互いに譲り合う共生社会の掟(一種のマナー)であろう。