アメリカと言えば、自由・民主主義を奉じる「理念の国」と呼ばれ、それが昂じて、大学時代の恩師は「お節介」な国とも呼んでおられた。確かに、第二次世界大戦後、自ら良かれと思って望まれもしない武力行使をたびたび行い、戦闘には勝ちながら戦争に負けるという失敗を繰り返した。こうして戦争犯罪に手を染めるアメリカをロシアと変わらないではないかと揶揄する人がいるが、ロシア(や中国)の身勝手で見苦しい屁理屈と違って、アメリカにはそれなりに高邁な「理念」なり「大義」があった(イラク戦争では結果としては幻の大義となったが)。ひと皮めくれば、あからさまな「国益」が潜んでいたりもするが、「理念」や「大義」というオブラートに包んで、もっともらしく美しく見せた。ところが、トランプ氏には「理念」や「大義」のカケラもない。国家財政が逼迫して余裕がないせいだろうが、だからと言って弱みは見せず、自分のことは自分でやれと、体よく子供を諭すように、ある意味でまっとうなことを言う。かつての大国・アメリアの鷹揚さや慎みはなく、あからさまな自国優先を押し付ける。まさか、アメリカの大統領の発言をファクト・チェックしなければならないような事態を、誰が想像しただろうか。
そんなトランプ氏の統治手法のことを「家産制(パトリモニアリズム)」と呼ぶ人がいる。Wikipediaによると「支配階級の長が土地や社会的地位を自らの家産のように扱い、家父長制支配をもって統治する支配形態のこと」だそうだ。COURRiERというウェブ雑誌の記事「『トランプ政治』を恐ろしいほど的確に表す、100年前の社会学者のある言葉」から該当部分を引用する。
(引用はじめ)
マックス・ヴェーバーは「国家の指導者が自身の正当性をどこから引き出しているのか」、つまり「国家の正当な統治権をいかにして得ているのか」について疑問を抱いた。そして、そうした主張は突き詰めれば二つの選択肢に集約されると考えた。
一つ目は、合理的な「依法官僚制」である。これは一定の規則と規範にのっとった公的機関によって統治の正当性が与えられるシステムで、大統領、連邦政府職員、応召兵は個人ではなく、合衆国憲法に対して宣誓する。2025年1月20日まで我々が皆、当然だと思っていた米国の統治システムだ。(中略)
二つ目の根拠の源泉はさらに古い。それはもっと広汎で直感的な「前近代世界における規定の統治形態」であり、「国家は統治者の“家”の拡大版にすぎず、独立した存在ではない」とするものだ。ヴェーバーはこの統治システムを「家産官僚制(家産制)」と呼んだ。統治者は国民の象徴的父親、つまり国家の擬人化にして、国民の保護者であると主張する。トランプ自身、まさにこの古い理念を公言して慄然とさせた。彼は自身をナポレオンにたとえ、Xにこう投稿している。「国を救う者はいかなる法律も犯さない」
ヴェーバーは当時、家産制は歴史のスクラップ場送りとなり、消滅するだろうと考えた。そのワンマン型統治は、近代国家の特徴である複雑な経済および軍事機構を管理するには、あまりにも未熟で気まぐれだったからだ。
(引用おわり)
トランプ氏から閣僚に指名されても、常識ある人なら「個人」ではなく「国家」に忠誠を尽くすだろうと、私は高を括っていたのだが、見事に裏切られてしまった(ように見える)。皆、トランプ氏「個人」に忠誠を尽くしている(ように見える)のだ。こうしてトランプ氏の統治手法は(あくまでも統治手法に限っての話だが)19世紀に舞い戻ってしまったかのようだ。そう言えばプーチンの戦争も19世紀に舞い戻ってしまった。人類の歴史は、特に欲の突っ張る政治は、さほど進歩することはないということだろう(東洋史の碩学・内藤湖南は、そもそも歴史は「進歩」などしない、「変容」するだけだと言った)。
もう一人、世界を牛耳ろうとする中国の習近平氏も大差ない。トランプ氏が保護主義的な関税政策で世界を混乱させるのをよいことに、中国が自由貿易の旗手たらんと振る舞っているが、国家資本主義の中国こそ世界経済を攪乱しているのが実態なのに、実に皮肉な話で、とんだ茶番だ。さらに中・長期的には世界秩序を自らに都合が良いように変えようと目論んでいる。ある中国人留学生は、華夷秩序の正当性を研究する卒論を真面目にモノしたと、ある大学教授が呆れて話しておられた。確かに、お世辞にも戦争には強そうにない中国にとって、圧倒的な国力(がありそうなこと)を背景にした権威による支配は、願ってもないことなのだろう。
これら三人は、それぞれにノスタルジーとルサンチマンという二つの感情を共通にする。かつて覇を唱えたロシア帝国や中華帝国、あるいは古き良き白人のアメリカを懐かしみ、ロシアや中国は先進諸国に、アメリカは同盟国に、さんざん食い物にされたと、被害妄想に囚われる。そして時計の針を150年から200年も巻き戻そうとする、大国の頂点に君臨するこれら三人の猛獣を、世界は果たして手懐けられるのだろうか。