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風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

高校生アスリートの活躍

2025-08-02 22:25:43 | スポーツ・芸能好き

 高校生スポーツの夏の祭典と言えば先ずは甲子園が思い浮かぶが、他にも30の種目で、このクソ暑い夏に全国大会(所謂インターハイ、全国高等学校総合体育大会)が繰り広げられる(今年は7月23日~8月20日)。私は高校時代に陸上部(中・長距離)で、インターハイを目指していたと言うのもおこがましく、全国大会の手前の近畿大会の、そのまた手前の大阪地区予選であっさり敗退して、全国大会など夢のまた夢だった。当時は、走る前は(お腹が痛くなるから)水を飲んではいけないとか、夏休み中も毎日練習するのに、水分を取ると身体を冷やすから控えるように、などと殺人的(!)とも言える指導を受けて、よくもまあ、くたばらなかったな・・・と振り返るが、何を隠そう、そう言われながらも毎日3~4リットルもの水分を補給していた。脳は、いくら耳が(屁がつくような)理屈の声を拾ったところで、身体の生理現象に素直に耳を傾けるものだ(微笑)。

 かかる次第で、インターハイに出場するだけで大いなる敬意を表する私は、今年の大会では傑出した活躍があって刮目した。

 一人は久保凛さん(東大阪大学敬愛高等学校3年)で、私のスマホのYouTubeには既に頻繁に登場する有名人の一人である。つい先だって、日本選手権の女子800mで自らの日本記録を更新し、今年の世界陸上への出場を狙う逸材なので、今さらインターハイでもないのだが、インターハイのこの種目では史上初めてとなる3連覇を達成した。いとこのサッカー日本代表・久保建英の影響がなかったとは言えないだろう、小学校6年間はサッカーをし、中学に入ってから本格的に陸上を始め、私の感覚で推し量っても仕方ないのだが、中学を卒業して僅か半年もたたない内に、体力的には格段の差がある高校三年生の並みいる強敵を打ち破ったのは驚異的だ。さながら強豪PL学園で一年生から四番を務め、一年の夏の甲子園で優勝した清原和博を彷彿とさせる。今やシニアを含めて追う者はない独走状態である。足が速い人の走る姿は、ムダを排し究極の効率を追求して、ほぼ間違いなく美しいものだが、彼女の場合は美しいだけでなく、やや怒り肩で、男顔負けの、という表現は今どきセクハラであろうが、線が細いことを除けば堂々とした、惚れ惚れとする走りっぷりである。

 もう一人は清水空跳さん(そらと、と読むらしい、石川県星稜高等学校2年)で、実は今回、初めて知った。7月26日の男子100mで、2013年に桐生祥秀(京都府洛南高等学校、当時)が出した高校記録を0秒01更新する10秒00で初優勝した。これはU18世界新記録であり、世界陸上参加標準記録を同タイムでクリアする。1000分の1まで計測したタイムは9.995で(小数点第三位切上げ)、9秒台まで距離にして5cm届かなかった計算になるらしい。さらに28日の男子200mでは、追い風参考ながらサニブラウン・ハキームが持つ高校記録(非公式)に0秒05差に迫る高校歴代2位に相当する20秒39で初優勝した。弱冠16歳でインターハイ男子100m/200mの二冠を達成したのだ。身長164センチ、体重56キロと小柄ながら、家族揃って陸上一家で、まるで高性能のターボエンジンを搭載しているかのようなスピード感には目を見張る。

 今年のインターハイは、暑さ対策のため、急遽、3ラウンド制(予選・準決勝・決勝)から2ラウンド制(予選・決勝)のタイムレース(決勝は全3組)に切り替わった。気候変動はこういうところにも影響している。特に100m走では追い風・向かい風など、いっせーのせ、という一発勝負ではない不公平感が残るものの、「例年通りの3ラウンド制だと、決勝はタイムより勝負というかたちになってしまいます。2ラウンド制だったからこそ、ハイレベルのレースになって、これだけのタイムが出たかなと思います」と、清水空跳さんは語っている。確かに時代は変わって、おじさん・おばさんが考えたのであろう大会スローガン「輝け君の青春、刻め努力の軌跡」は些か気恥ずかしくもあるが、勝負や記録に賭ける思いは変わらないだろう。彼女・彼らの成長を見守りたい。

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参院選の宴のあと

2025-07-27 11:49:13 | 時事放談

 参院選は、下馬評通りに自民党が惨敗した。その落ち穂を、どうやら参政党と国民民主が躍進し掬い取ったようだが、ここまでやるとは正直なところ思っていなかった。

 自民党が選挙で勝ち続けていた安倍政権時代と単純比較するのは、石破さんには気の毒だろう。衆議院で過半数を割って、政策毎に野党と連携しなければ前に進めない苦しい政権運営を、ある意味で火中の栗を拾うように引き受けて、自民党が過半数を占め続けた盤石の政権運営しか知らない重鎮からとやかく言われたくはないだろう。それでも衆議院だけでなく参議院でも過半数を割るという、自民党の退潮を食い止められない責任は問われて然るべきだろう。前々回のブログで、「自民党は、声だけは大きい野党に惑わされて、どこか自らのアイデンティティのポジショニングを間違ってしまったのではないだろうか」と書いた。石破さんには、石破カラーが見えないと、参政党からも同情される始末である。石破カラーを打ち出して世間がどう反応するか、見てみたい気がする。

 立民は比例代表の得票数で、自民、国民民主、参政党の後塵を拝して4位に沈んだと衝撃的に書き立てられた。4位だと蔑むよりも、2位の国民民主762万票、3位の参政党743万票、4位の立憲民主740万票と、ほぼ並ばれてしまったと見るのが正確だ。世上、言われるように、インフレあるいは実質賃金が上がらない現状への不満から、与党にせよ野党にせよ、既存政党が支持を集められず、「手取りを増やす」「日本人ファースト」などの単純な、およそ総合政策としての辻褄合わせが簡単ではなさそうなスローガンが世間の耳目を集めた。自・公、立民、維新や共産まで含めて既存政党が支持を失う中で、立民は改選議席を維持するにとどまったのは、健闘したと言うべきか、実質的な敗北と言うべきか、よく分からない。恐らく立場によっては、例えば立民の政治家の中にはプライドを傷つけられて、あるいは執行部批判のために、敗北と受け止める人もいるだろう。

 国民民主はともかく参政党は一気に素人議員が増えて、これから大丈夫だろうか。大丈夫じゃないよねえ・・・

 今回の選挙戦の特異なところは、石破総理の進退をめぐる騒動に、より顕著に象徴的に表れていたのが興味深かった。ご本人は現時点で辞任を否定されているようだが、故・野村克也さんが言われたように(元を辿れば江戸時代の大名だった松浦静山の言葉だそうだが)「負けに不思議の負けなし」である。率直に反省すべきであろう。先ほど、石破カラーが見えないことに触れたが、それは自民党内の政権基盤の弱さ、党内野党であり続けた哀しさの故であろうし、それ故に自民党内に責任論が根強いのも当然であろう。だからと言って、安倍さん亡きあとの自民党で、辛うじて将来の党を託すべき高市早苗や小泉進次郎といった重要なカード(切り札)を今、使うのはどうかとも思う。石破さんに汚れ役を押し付ける意味ではなく、この難局は、石破さんのような、自民党には珍しい実直な方でないと務まらないのではないかと思うのだ。面白いのは、リベラル派から石破氏続投を望む声が上がったことだ。かつて故・安倍氏を蛇蝎の如く嫌った顔ぶれなので、その底意は察せられる。

 れいわ新選組の山本太郎代表は、「代わりになる人が誰なのか。高市さん、小泉さんという声も結構ある。高市さんだときな臭くなる。小泉さんだと新自由主義は加速する」などと、相変わらずツイッター式あるいはラップ調の紋切型で批判した。社民党の副党首はXに、「関東大震災の朝鮮人虐殺があった前提で話ができる人が首相で良かった。国会にはなかったことにする国会議員が山ほどいる」と石破首相を持ち上げたそうで、首相続投の判断基準が歴史認識問題に収斂するナイーブさには驚かされる。初当選のラサール石井氏は、「答弁はメモを読まず、沖縄には追悼し、戦争は起きてはならぬと主張する。ここ最近の自民党の首相では一番まとも」と、Xで太鼓判を押したそうだ。初当選しても、複雑な国際情勢の現実を議論し対処の検討をするつもりはなく、イデオロギーを押し付けたいだけのように見える。ついでに、韓国・聯合ニュースは石破氏を「歴史認識で穏健派」と紹介したそうだし、選挙対策とは言え関税交渉に際して「なめられてたまるか」と口にした石破氏を、日米間にクサビを打つのに好都合と判断して好感するのであろう中国大使館筋は「できれば石破政権が継続してほしい」と打ち明けたと聞く。日本でリベラル野党は頼りにならないが、与党には不安があり、与党の中の党内野党(的なリベラルな存在)に期待が集まる?という、なんとも皮肉な状況である(微笑)。

 欧米諸外国からは、政治情勢が安定していた日本でもいよいよ反移民などの保守派ポピュリズムが台頭し、多党化が進みそうだと心配して頂いている。心配には及ばないと言いたいところだが、どうであろうか。今はSNSの時代で、短期決戦の選挙戦でこそワン・フレーズに注目が集まるのはやむを得ないとして、野党が乱立し、保守寄りが現れて纏まるのが益々難しくなる中で、過半数を取れなかった与党がどの分野でどこと組んでどこまで妥協を強いられるのか、そのときの立民の立ち位置はどうなるのか、国民民主と参政党に至ってはこれからが正念場で、注目している。

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セグメンテーションを超えて

2025-07-22 22:03:22 | ビジネスパーソンとして

 数日前の日経に、「日本マクドナルドのテレビコマーシャルを見て『懐かしい』と感じた方は多いだろう」とあったが、テレビを見ない私には分からない。「1980年代の大人気アニメ・漫画『めぞん一刻』や『きまぐれオレンジ☆ロード』『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』の名シーンをふんだんに使ったCMを流しているから」だそうで、そこまで言われれば私にも分かる。確かに懐かしい。

 「めぞん一刻」は、その記事によれば「アパートの管理人で、夫を亡くした2つ年上の女性、音無響子さんに恋い焦がれる若者を中心に繰り広げられるラブコメ」、「きまぐれオレンジ☆ロード」は、同じく「三角関係で展開するラブコメ」で、両方とも今風に言うと「ムズキュン」の世界で、「恋愛のムズキュンだけは『超時空的』感覚なのかもしれない」と日経は解説する。それはその通りだろうが、これらの漫画を懐かしむ「じじ・ばば」に孫を連れて訪れてもらうのが狙いかもしれない(笑)。

 少子化・高齢化で、マーケティング手法に工夫を凝らさざるを得ないようだ。

 同じ記事で、「このCM、2024年から始めている日本コカ・コーラとのコラボ第2弾だ。マックとコーラは親和性が強すぎて、逆にコラボの意外性はない。それでも手を組んだのは、マックとコカの担当者が面会したとき、『最近の子供はコーラを缶やペットボトルではなく、マックで体験することが多い』ことが分かったからだ」と言う。なるほど、面白い。

 かつてアメリカで、日本人の想像を絶するほど太ったオジサン・オバサンがスーパーでダイエット・コークの2Lペットボトルを半ダースも抱える(実際にはカートに入れる)姿をしばしば目撃したものだった。日本人には些か諧謔的に映るほどに、アメリカ人はコーク(蛇足ながら英語圏ではコーラではなくコークと呼ぶ)に馴染みがある。それには理由があって、アメリカの料理はおしなべて大味だからではないかと思っている。マクド(蛇足ながら関西圏ではマックではなくマクドと呼んで、後ろから第二音節にアクセントを置く)とコークが親和性が高いのは、そもそもアメリカ発のマクドのハンバーガーは、コークで味を調えるものだから、であろう(というのは私の偏見である)。大味のアメリカでは、ステーキを食べに行っても自分で塩・胡椒することになる。その意味でコークはアメリカ人の国民飲料である(とは言い過ぎでもあるまい)。アメリカに出張すると、いつの間にかコークを飲む機会が何度もあるし、帰国後は暫くはコークが無性に恋しくなる。

 話が逸れてしまった。そう、少子化、高齢化、もう一つオマケに人口減のマーケティングである。

 日経記事は、マクドのマーケティングのポイントとして、世代超えと、ファン層の垣根超えを挙げる。前者は、10~60代までをターゲットにするエージレス型、後者は、コア・ファンを抱える「森永ミルクキャラメル」「ハッピーターン」「ブラックサンダー」などの人気ブランドとのコラボで、マクドは自らを「プラットフォーム」に位置づけ、細る国内市場で顧客層を広げようとしている、という。同じような全世代型ブランドとしてユニクロを挙げており、マーケティングではセグメンテーションが一つの重要なフレームワークだっただけに、興味深い。マルチ・セグメンテーションと呼ぶべきか。

 そう言えば、近所で学習塾が抜けた後の店舗に動物病院が入った。私には極めてショッキングでシンボリックで、前者は、子供が減って商売が難しくなりつつあるのだろうし、後者は、子供が手を離れた老夫婦が愛情を注ぐ対象のペットが増えているのかもしれず、総じて街が老いていることを想像させる。これからの日本の現実を見せつけられたかのように、ちょっと憂鬱になる。

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選挙戦の暑い夏?

2025-07-19 10:41:54 | 時事放談

 昨日、関東甲信越でも梅雨が明けた。その宣言を待っていたかのように、昨夕から蝉が一斉に鳴き始めた。ここ一週間は初秋かと見紛うような穏やかな陽気で、快適だったが、今日は朝から陽射しが厳しい。

 明日は参議院選の投票日だ。テレビを見ない私にとって、日経新聞が主な情報源になるが、どうにも選挙戦が冴えないように思われてならない。一票は決して「重い」わけではなく、「軽い」ことくらい誰でも分かっているが、それでもチリも積もれば山となるので、投票することは民主主義国の市民として義務であることに変わりない。オーストラリアなどのように棄権すると罰金を科す国があって、日本でもそろそろそこまですることも考えなければならないかもしれない(そうすれば市民は、投票に値する政治をしろと批判の声を強められると思うのは浅はか、か?)。私はと言えば、これらのことを承知しながら、ここ15年ほど、気になる候補者がいたり政策論争もどきがあったりすれば投票所に出向くが、そうではない場合はつい足が遠ざかりがちになる。

 どうして日本の政治は(日本でも、と言うべきかもしれない)、ここまで沈滞してしまったのだろう。経済の元気がないせいか? 自民党の肩を持つつもりはないが、自民党の足を掬おうとするばかりの、立民をはじめとする野党のだらしなさのせいであり、また、局外にあって政局を追うばかりでまっとうな政策批判をしないマスコミの怠惰なせいだと思っている。

 先ず野党について。もともと自民党は左右のウィングが広く、保守を軸に、政策に幅があって、結構、リベラルなことにも手を出して、適度に所得再配分しつつ高度成長の日本を支える存在だった。かつての社会党のような左派系の野党は、これでは太刀打ちできず、敵失がない限り党勢を伸ばせない苦しい立場に置かれていた。所謂55年体制である。最近の立民や国民民主などの野党は開き直ったのか、健全な政策論争から更にほど遠く、ポピュリズムに堕している。国民の関心がそういうものだ(とは限らないのだが)と野党政治家は思い込んでいるのではないだろうか、だから国民から見透かされ、既成野党は支持を増やせていないのではないだろうか、と思わざるを得ない。それだけで終わるとすれば、政治家は使命放棄になる。何のために、生活で汲々とする市民が、政治家という専門職に高給を与えてまでして養っていると思っているのだろうか。それは市民の近視眼に半ば応えつつ、それは半ばに抑えてもいいから、その先にある国家百年の計とまでは言わないまでも、国の将来を見据えた手を打って欲しいと、市民が期待しているからだ。それは間違いなく市民にはなし得ないことで、政治の専門職にこそ期待されることなのだが、期待外れで市民は浮かばれない。

 最近の野党政治家の発言は、ツイートと同じで、言葉足らずに局所攻撃するだけで、財源の裏付けに乏しい、言わば耳に心地よい夢物語を語るばかりで、総合政策を打ち出せないから、とても政権交代に耐えられると市民に受け止めて貰えない。政治とは、理想を語りつつ現実に対処し、妥協しつつ総合するものだからだ。自民党も自民党で、減税しないと言い切ったところまでは良かったが、結局、給付金をばらまくことになった。露骨な選挙対策で、弱小・公明党のせいではないかと疑っている(勿論、選挙に弱い自民党議員の声もあっただろう)。まさに、政治家(statesman)は次の世代のことを考え、政治屋(politician)は次の選挙のことを考える・・・を地で行く現実に呆れて、諦めの境地である。

 マスコミの凋落も著しい。特に全国紙がそうで、若者は今や情報源を真偽不明のSNSに頼るようになった。そんな中でも、私は相変わらず日経を支持しているのは、英国メディアを買収して、その翻訳記事によって英国目線を紹介したり(同じアングロサクソンでも米国とは違うように感じるのは、大英帝国の面影であろうか)、調査報道に力を入れたりするなど、なかなか健闘していると思うからだ。朝日・毎日・東京の左の御三家は古色蒼然とした理念先行で読む気にならないし、読売・産経にも物足りなさを感じてしまう。

 今回の選挙戦の特徴は、保守的な弱小野党が健闘して、自民党の支持基盤を蚕食していることだろう。安倍元首相の負のレガシー、とりわけ党内野党として安倍元首相に対抗することで存在を主張していた石破政権のせいでもあろうが、自民党は、声だけは大きい野党に惑わされて、どこか自らのアイデンティティのポジショニングを間違ってしまったのではないだろうか。ポピュリズムに逆らえず、保守らしさが薄れてしまったように思う。だからといって私は、チンピラのような弱小・保守政党を支持する気にも至らず、悩ましいところだ。

 結果として、私の思いは宙に浮いてしまい、投票場所から遠ざかる・・・などと言い訳をするつもりはない。ボヤいていないで、「軽い」とは言え「清い」一票を投じなければと、老体に鞭を打っている。

 選挙戦とは関わりなく、暑い夏になりそうだ。

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トランプのショック療法?

2025-07-13 09:32:23 | 時事放談

 数日前の日経によると、相互関税と称してトランプ大統領が仕掛ける関税戦争で、輸入価格が上がって米国民は苦しむだろう(だからいずれその内、その政策は挫折する)と専門家は予想したが、実際に起こったことは、中国は米国向け輸出価格を引き下げ、日本の乗用車価格もまた18%弱も下落しているのだそうで、トランプ氏はこれを受けて「『専門家』たちはまたも間違っていた」とSNSに投稿したらしい。彼のいかにも得意げな表情が目に浮かぶ(笑)。

 日経は、こうした状況は、トランプ氏をさらなる高関税政策に向かわせるリスクが大きいし、そもそもこうした価格戦略が企業収益を圧迫し、デフレ圧力を生んだ、などと苦言を呈する。しかし、こうした事態に対処するのは、国家という、ある意味で統一した対応を取り得るアクターではなく、短期業績で株主の目を気にしなければならない個々の企業である以上、なかなか難しいところである(まあ、産業界を適切な方向に向かわせるよう環境設定して誘導するのが政府の役割だと反論されそうだが)。

 もっとも、こうした状況も、3月に米国内企業が値上げを避けるために駆け込みで輸入を増やして在庫を積み上げた事情を反映している可能性があり、これからこうした在庫がなくなれば、高関税がかかった輸入品が米国市場に出回るようになり、関税による物価の押し上げ効果が予想より長い時間差を経て出てくる可能性も小さくない、と日経は結んでいる。経済や外交の原理・原則を無視して好き勝手に振る舞い世界を混乱の渦に陥れるトランプ大統領の鼻を明かしたいという悔しさが滲み出て日経らしさを感じさせる記事である(微笑)。

 トランプ大統領の関税政策は、グローバリゼーションの美名のもとに、世界で製造業の水平分業が進展する一方で空洞化してしまった米国への製造回帰を目指すものとされる。しかし競争力がないからこそ米国内の製造基盤が失なわれたのであって、いくら呼び戻そうにも、昨日・今日の話ではなく、既に久しく、冷戦崩壊から数えても30年を超えるスパンのことである。今更それを支える人材がいるわけでなく、絵に描いた餅じゃないかと、この時代を生きて来たビジネスパーソンはせせら笑っていたのだが、高関税を避けるために米国に製造を移す企業が出始めているとの報道もあり、ほんまかいなと、なかなか一筋縄ではいかない世の中にあらためて驚かされる。

 日経は同じ日の別の記事で、中国によるレアアース規制強化に関して、トランプ氏が中国に勇ましく高関税を課して見せたものの、中国が4月に繰り出したレアアースの輸出規制という“けたぐり“に合ってあっけなく関税引き下げに追い込まれた、と解説して、さもトランプ大統領の失態であるかのように報道する。日本の産業界にも、アメリカにはこれほどの弱点がありながら強気に対峙したのは如何にも稚拙だったと憤慨する人たちが多い。

 そもそもレアアースがEVだけでなく防衛産業にも重要な材料であることは数年前から分かっていたことであって、最近、矢継ぎ早に対中規制を繰り出したのは、こういう事態を見越していたのではないかと、実は私は勘繰っている。つまりトランプ大統領は、素人のように慌てふためいているのではなく、確信犯だったのではないかと思うのだ。穿った見方かもしれないが、言わばショック療法として、内外の企業に行動変容を迫っているのではないか、と。トランプ大統領のやり方は乱暴だが、主張することに一片の真実が含まれることが、そう思う根拠になっている。

 中国では、政策あれば対策あり、と言われる。これには、法の抜け穴を探すような「あざとさ」があるが、より本質的に、たとえば権力構造はそれほどヤワなものではなく、トランプ大統領個人に振り回されているように見えながら、イーロン・マスクのように取り巻きのフリをして近づいて自らの思いを遂げようとトランプ氏に影響力を与えようとする人たちは現れるものだし(イーロン・マスクは失敗したのだと思うが)、同じように、たとえば産業界だってそれほどヤワなものではなく、中国へのレアアース依存を脱するには時間がかかるだろうが、代替ルートを確立するとか、代替技術を開発するなどして、いずれ脱中国を果たし得るのは間違いない。これは産業界への私の願望であるが、技術力への、とりわけ衰えたりと言えども日本の技術力(それは多分に人の問題である)は今なお健在であるとの私の信念でもある。

 そうだとしても、当面は日米欧にとって苦難の時期が続く。

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