風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

老いるニッポン

2021-10-20 23:52:46 | 時事放談
 昨日、衆院選が公示されたが、近所で選挙カーが騒音を撒き散らすでもなし、テレビを殆ど見るでもなし、いまひとつ実感に乏しい穏やかな秋の一日だった。選挙戦と言えば政策論争に期待したくなるが、自民党総裁選でやり尽くした感があり、どの政党も揃ってパンデミック対応と財源の議論がない「分配」を訴える、財務省事務次官が心配するほどのバラマキ中心で、どうも興味が湧かない。
 こうしてあらためて日本の将来をまがりなりにもぼんやり考える機会に接すると、日本と言うよりニッポン(実体としての日本と言うより、国際競争力の観点から捉えたニッポン)は、この30年間で、すっかり老いてしまったという感慨を抱かざるを得なくて、寂しい。
 今月初めに、日本人のノーベル物理学賞受賞に沸いた。しかし正確には日本人ではなくアメリカに帰化された日系アメリカ人の受賞だった。中国で「千人計画」という、規模が小さければ許容されるところ余りにも大胆に大規模に(実数はその8~10倍と言われる)、しかも軍民融合の悪意を以て進められる悪魔の計画(!)に応じる日本人学者が少なからずいて話題になった(これは言わば公表されることを覚悟した“表”の政策であって、むしろ“裏”で行われているサイバー攻撃やスパイを使った技術窃取の方がより問題だと思うのだが)。前者は文化の問題として仕方ないにしても、後者は生活に関わり、学術領域における日本政府の支援が足りず、ポスドク問題に見られるように、日本にいては棲み辛く不遇を託つからに他ならず、深刻である。結果として、いずれノーベル賞受賞は先細りになると不安視されるのは、今に始まった話ではない。
 少子高齢化で、年々、社会保障費の負担が大きくなり、三大基礎投資(研究開発、設備、人材)が減っていると、デービッド・アトキンソン氏が東洋経済への寄稿で、賃金が上昇しない日本の問題として指摘されている(10/20付「『プライマリーバランス黒字化』凍結すべき深い理由」)。確かに競争環境の中で投資が減れば、対抗し得る体力を維持できず、次の投資を呼び込む余力がなくなる悪循環に陥り、静かに縮小均衡に(最後は穏やかな死に)向かうのを留めることは出来ない(というのは、私がかつて属した業界の衰退を見るようである)。
 「日本」と「ニッポン」とを書き分けてみたのは、日本人一般の関心は明らかに「日本」にしかなく、「ニッポン」のことを気にする人は僅かでしかないと思うからだ。江戸時代のように、この日本列島で仲良く穏やかに暮らしている限り、それなりに幸せであろうが、日本の外では欲望が渦巻き、その刃は日本にも向かっており、鎖国(という言葉は最近は不適切なようだが)でもしない限り、その外圧から逃れることは出来ない。それなのに、日本人は競争的な国際環境・・・それは科学技術やビジネスにおいてもそうだし、安全保障においてもそうだ・・・にあることを意識しなさ過ぎではないだろうか。
 パンデミックで明らかなように、国際社会は、国際連合をはじめとする国際機関のもとで国際的な共同体を形成し、隣近所とも仲良くやって行ける・・・と日本が思いたがるような代物ではない。むしろ、2500年前の古代ギリシアの時代から、切った張ったの仁義なきパワーポリティクスの世界が繰り広げられる殺伐とした世界だというのが実像である。だからこそ、中国は、そこでの優越的地位を得ようとして、国際機関の長のポスト獲得を目指す。
 ニッポンの凋落は見るに忍びない。少子高齢化と、成長する新興国とのせめぎ合いの中で、相対的に地盤沈下するのは仕方ないにしても、かつて世界第二の経済規模を誇った大国の成れの果てとして、国際社会の中で「名誉ある地位を占めたいと思ふ」(憲法前文)のは自然な感情だろう。そのためには、パンデミックという緊急事態下ではあるが、ただのバラマキではない、将来に繋がる「投資」と「成長」の視点が必要であり、それは「分配なくして成長なし」ではなく、分配しても昨年の給付金の7割方は貯蓄に回されたと言われるように、「成長なくして分配なし」を基本とすべきだろうと思う。また、緊張の度合いを増す米中対立の下で、軍事及び経済安全保障も、待ってはくれない喫緊の課題である。これらを含む国家戦略が垣間見えるかどうかという観点から(実は余り期待できないと半ば諦めてもいるのだが)衆院選を見て行きたいと思う。
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中華民族の儚い夢

2021-10-13 00:26:05 | 時事放談
 この週末、習近平国家主席は北京の人民大会堂で行われた辛亥革命110周年記念大会で演説し、台湾との「統一」を平和的に実現すると訴えたらしい。習氏は、2年前から台湾統一のための武力行使に言及し、7月に行った結党100周年記念の演説では独立に向けた正式な動きは全て「粉砕する」などと勇ましいことを述べていたが、今回は比較的穏当な表現が使われたとロイターは伝えている。台湾側は勿論、これに反発し、台湾の将来は台湾市民のみが決めるとの声明を発表し、中国側に威圧をやめるよう求めた。
 習氏にとっては歯痒いことだろう。此度のパンデミックを克服した素晴らしい体制だと、習氏が中国人民に対して散々自画自賛して来たその中国に、肝心の台湾はなびこうとしないからだ。その台湾を、如何に中国共産党に与えられた「歴史的な任務」だと自己主張しているとは言え、武力で「統一」することになれば、中国共産党体制の優越を自己否定することになりはしないか。大いなる矛盾ではないだろうか。
 そのせいかどうか、習氏はこれ以上、国内で「誤謬のない」中国共産党の統治への批判は許さないとばかりに、民間企業が報道事業を行うことを禁止する方針を示した。将来の有事に先んじて、口封じしたかのように見える。大手IT企業や教育産業(塾)や芸能界や不動産業を締め付け、オンラインゲームを制限しただけでなく、言論の自由までも(これまでも不自由だったが)ついに窒息死させることになりそうで、この窮屈な統制社会に、中国人民は果たしていつまで耐えられるだろうか。ノーベル平和賞がロシアとフィリピンの2人のジャーナリストに授与されることに決まったのは、まさに時宜にかなったことであった。
 もとより、中台の平和的統一へのこだわりは、1972年の米中共同声明(所謂上海コミュニケ)において、中国が主張する「一つの中国」を事実として認めさせる代わりに、「その実現は平和的手段によるべし」とする米国の主張を認めたからでもある。だからと言って、習氏がいつまでも待ち続けるとは思えない。なにしろ、台湾では台湾人アイデンティティを抱く人が着実に増えて過半となり、自ら中国人(あるいは中国人&台湾人)と自己認識する人はごく僅かでしかない。統一でも独立でもない、宙ぶらりんな状態ではあっても、今の状況が続く限り、台湾人アイデンティティの進行が可逆的となることはもはや考えられない。時間は習氏に味方しないのである。
 仮に中国が武力行使する場合、国際社会にとってのインパクトは、内政問題だった天安門事件の比ではないだろう。残り20数年を待ちきれずに国際公約だった香港の「一国二制度」保証を破棄したばかりでもある。香港の場合は、中国は今なお「一国二制度」だと強弁するが、台湾の場合に、平和的ではない手段を平和的だと誤魔化すのは至難だろう、と思うのは私たちだけであって、習氏にすれば、台湾独立勢力を粉砕するだけだと屁理屈をこねて、中国の内政問題だと居直ろうとするに違いない。
 アメリカは、トランプ政権以来、台湾関係法に沿って急速に台湾支援に傾いてきた。10月6日付ウォールストリートジャーナル紙によると、武器供与だけでなく、小規模ながら特殊作戦部隊や海兵隊の部隊が台湾陸軍の訓練を行っていたことが明らかになったが、これは、台湾の実力を心許なく思うからだと言われる。アメリカでは、台湾有事にアメリカが武力介入するかどうか分からないという「曖昧戦略」によって、中国による武力行使を抑止して来たが、最近は、もはや曖昧戦略は止めるべきだとする議論が出て来たようだ(リチャード・ハース氏ほか)。間違っても、武力統一できるという幻想を習氏に抱かせることなく、「誤謬なき」中国共産党がタダでは済まなくなることを、ことあるごとに思い知らせるべきだろう。
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大谷翔平 二刀流の真価

2021-10-05 01:59:21 | スポーツ・芸能好き
 大谷翔平選手の歴史的とも言える2021年レギュラー・シーズンが終わった。張本さんも期待した本塁打王は惜しくも逃したが、一人の野球人がやることが出来る「投・打・走」として破格の活躍を見せた。
 私が百万言費やしたところで説得力はないので、著名人に語ってもらおう。バリー・ボンズは、「打って、投げて、走力もある。他に類を見ない存在と言えるだろう。投手でも打者でもエリート級。彼のような選手はこの先、現れないのではないか」と語った。その驚くような活躍について、「レギュラーの野手であれば、毎日試合に出ながらリズムをつくることができる。彼の場合はそこに投手としての作業が加わる。指名打者で出る日も(試合前に)ブルペンで投球練習をすることになる。そして、先発した日には100球近く投げる。本当に信じ難いことをやっていると思う」とも語った。そして、「トラウトが大谷の後を打っていたら、勝負を避けられることはないだろうし、今ごろ(9月下旬)本塁打を60本打っていたかもしれない」とも(以上、時事「『この先現れない選手』 ボンズさんが語る大谷―米大リーグ」より)。
 成績の素晴らしさは、どのように表現すればよいのだろう。
 端的に、投げて9勝、防御率3.18、打って46本塁打、100打点、走って26盗塁。なお、このほか、OPS.965はリーグ2位、三塁打8本はリーグトップ、96四球はリーグ3位だった。
 メジャー史上初めて「クインタプル100」を達成した(投手で130回1/3、156奪三振、野手で138安打、100打点、103得点)。
 この一年でたった一人で歴代日本人メジャーリーガーに並ぶ数々の記録を打ち立てた。本塁打46本は松井秀喜の31本(2004年)を超え、OPS.965は松井秀喜の.912(2004年)を超え、松井秀喜(2007年)以来の100打点、イチロー(2008年)以来の100得点、四球96個は福留孝介の93(2009年)を超えた。
 エンゼルス・ファンは「トラウトとレンドンのプロテクションなしで46本塁打。トラウトとレンドン抜きで9勝。とても素晴らしい成績だ」と、孤軍奮闘を称えた。強くないチームでこの成績はなおのこと価値がある。
 投・打でのオールスター戦出場は史上初めてのことだった。
 そのオールスター後の後半戦では、HR競争に出場すると・・・のジンクス通り、本塁打量産のペースが落ちた(6月13本、7月9本、8月5本、9-10月は4本)。これは二刀流の疲れが出たと言うよりも、際どく攻められたり勝負を避けられたりすることが増えたせいだろう。四球は6月16個(うち敬遠2)、7月16個(3)、8月21個(5)、9-10月は27個(9)と、本塁打数と反比例して尻上がりに増えている。HR競争に出場するほどのバッターとして傑出する宿命で、三振が多かったのもまたその証だろう。
 何より、「最後まで健康でプレーすること」を目標として公言し、見事に遣り切った結果だった。2018年シーズンでも、防御率3.31、OPS.925を達成しているが、今年はフル出場したところが全く違う。それを、三度の飯より野球が大好きな無邪気な野球小僧のように、嬉々として過ごした(ように見えた)。メジャーという大舞台でそれをやってのけるのはオソロシイことだし、本人には人知れぬ悩みがあったかも知れないが、投げて打って走るという、野球本来の素朴な喜びを全身で表現するあたりはイチローに通じるものがあって(イチローが投げたのはレーザー・ビームだったが)、敵・味方を問わず野球ファンを魅了する所以でもあろう。
 早くもファンの間で「大谷ロス」が叫ばれているが、この半年間、毎朝、スポーツ・ニュースを見るのが楽しみで、コロナ禍のストレスフルな日常に潤いを与えてくれた。月並みな感想だが、来年はどんな活躍を見せてくれるのか、本当に、今から楽しみだ。
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自民党総裁選:雑感

2021-10-02 09:22:30 | 時事放談
 自民党の第27代総裁は岸田文雄さんに決まった。河野太郎さんが失速したと言われていたが、一回目の投票でも岸田さんが(僅か一票差ながらも)一位だったのは驚いたが、無難なところに落ち着いたというところだ。
 日経新聞の政治部長は、「自民党が望んだのは党内の『安定』だった」と書き、読売新聞の政治部長は、「『発信力』より『安定感』が決め手になった」と書いた。一番、凡庸な、と言っては失礼にあたる。が、確かに河野さんほどの危なっかしい変化や大胆な改革は期待できないが、岸田さんも、幹事長などの党役員に任期を設定することを公約に掲げるなど改革を志向し、事実上、二階さんに引導を渡したことは記憶されていい。何より、「政界の異端児」河野さんが首相になった暁の政局運営で、自民党を挙げての組織的バックアップが期待できるのかどうかには不安があった。また、高市早苗さんのように首相になっても靖国に参拝するという言い分は正論なのだが、現実の政治となると話は若干異なってくるので(と、小心者の私はビビッてしまう)、そういった勇ましくて危なっかしい言動も、とりあえずは回避された。因みに、私は(ブログ記事からも分かるように)、記念すべき第100代の日本国・内閣総理大臣は女性こそが(従い多少の無茶は押して高市さんこそが)相応しいと密かに願っていたので、やや気落ちしている(笑)
 こうして見ると、政治家はやっぱり遠い存在で、総裁選の前まで、見た目は河野さんにしても高市さんにしても「ややポジティヴ」だったが、短期間であれ集中的に人となりや言動に接すると、河野さんは政策面や人柄面での奇矯さも手伝って「ややネガティヴ」に1ランク落とし、高市さんは政策通ぶりと“しなやか”な強さを持ち合わせて「(普通に)ポジティヴ」に1ランク上げた。他方、岸田さんは、「酒豪だが、行儀のよいイケメン」が定評ながら、一年前の総裁選では「つまらない男」 「決断できない男」とまで揶揄されて、まだ薄っすらとその痕跡は残るが、開き直りもあったのか、ちょっとは男ぶりをあげた(という言葉は差別用語か!?)。
 その意味で、石破茂さんが、「なぜ(党員票と議員票とで)落差が生じるのかは党全体として考えないといけない」 「このズレを直していかないと、いつまでたっても『自民党は国民の意思と違うよ』ということを引きずってしまう」と、負け惜しみで語られたことには、違和感がある。総裁選はすなわち首相を決める選挙だという連想からのご発言と思われるが、今回はあくまで自民党という組織のリーダーを決めるものであり、私たちは政治家のことをそれほど分かっているわけではなく、従いAKB48のセンターを決めるように(と言っては言い過ぎか)、ファンによる人気投票で決めることではないと思うからだ。何より、自民党員・党友は、国民と言ってもイコールではなく、むしろ自民党ファンとしての、さらにはその中でも恐らく左・右に、偏りがある。また、国民の代表を選ぶのは国民だが、国民が選べるのはそこまでで、政治家個人と、その私的集まりである政党とは分けた方がいい。政党やその中の派閥などの組織を選ぶのは政治家個人の嗜好であり、そのような組織のトップは、何を期待されるのかに依るが、私も民間企業にいるバイアスがかかるせいか、ファン目線よりもその組織に固有の論理で選ばれるのが(いろいろ問題はあるにせよ)自然のように思う。
 各国の反応は相変わらず興味深い。
 主要メディアは、だいたいリベラルで、言いたい放題だ。米NYタイムズ紙は、「国民の好みを無視し、不人気の菅総理とほとんど差別化できない候補者を選んだようだ」と、また英エコノミスト誌も、「世論を無視して岸田氏を選んだ」と、日本のリベラルの肩を持つかのような報道をしたらしい。さらに英エコノミスト誌は、「(強いビジョンを持たない)岸田氏が記憶に残るリーダーになるとは思えない」とまで酷評したのは余計なお世話で、日本のリベラルの恨み節をなぞっているだけだろう。英フィナンシャル・タイムズ紙は、「(自民党は)新しい世代のリーダーに賭けるのではなく、安定性に未来を託した」と指摘し、岸田氏については専門家の声を紹介する形で、「ミスター・ステータス・クオ(現状維持の男)」と伝えたのは、手厳しいが、距離感の取り方としては好感が持てる(さすが日経傘下だ)。
 岸田さんの人となりについて、英BBCは「無味乾燥で退屈だと言われているが、長い間、党内では将来のリーダーとして期待されてきた」、ロイター通信は「調整役として知られる」、フランスAFP通信は岸田氏を「カリスマ性を欠いた、穏便なコンセンサスの精神を培ってきた元外相」、ロシア国営タス通信は「穏健な保守主義」で「酒好き」と紹介したという。さすが、ちょっと突き放した感じの、ウォッカの国・ロシアだ(かつて訪露時の酒豪ぶりが記憶にあるのだろうか)。
 韓国大統領府の関係者は、「我が政府は、新しくスタートすることになる日本の内閣と、韓日の未来志向的な関係発展のために引き続き協力していく」とコメントしたという。毎度の「未来志向的」なのは結構だが、相手に言う前に自ら率先垂範して欲しいものだ。中国外務省の報道官は、「日本の新政権と協力し、中日関係を正しい軌道に乗せ健全で安定した発展を推進させることを望む」と、新政権への期待感を示したという。ここで言う「正しい軌道」とは何を指すのだろう。相互主義の国際関係にあって「正しい」という価値判断を含む形容には違和感がある。いろいろ細かいところで一致しなくても大きくは外交関係を損ねない戦略的互恵の関係維持を言うのなら分かるが、まさか「正しい」歴史認識に基づき中華思想に沿った相互尊重(という名の下での中国への敬意)を言うのではないだろうな・・・
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