風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

カール・ショック

2017-05-27 20:11:58 | 日々の生活
 「カ~ル」と言えば、あの長嶋さんが1991年に旧・国立競技場で行われた世界陸上の100Mで9秒86という当時の世界記録を樹立して優勝したカール・ルイスに呼びかけた言葉が今も耳に残るが、ここで言っているのは勿論、「それにつけてもおやつはカ~ル」の「カ~ル」で、昨日の日経朝刊13面中央の記事見出し「『カール』東日本で販売終了」、小見出し「それにつけても・・・時代の流れ」には驚いた。近年はポテトチップスなどの人気に押されて売上低迷し、日経記事によると、最盛期の1990年代に190億円あった年商が今では約60億円と三分の一以下に減っているらしい。それにつけても・・・である。
 早速、ネットでは、買い溜めが報じられ、メルカリやヤフオクでは高額でのカール転売が相次いだらしく、せいぜい小売価格120円の商品が500~600円で出品され、中には10万円を超えるものもあったというのは話題作りのご祝儀ながら、販売中止を惜しむ思いの強さのあらわれであろう。
 「売上において特に地域のバラツキはない」そうだ。では何故、東日本で販売終了なのか。販売地域を絞るときに、生産効率の観点から、5つの工場の内の4つ(埼玉・坂戸、静岡・藤枝、大阪・高槻、山形・上山)で生産中止して子会社・四国明治の愛媛・松山工場に集約するとすれば、物流効率の観点から、西日本限定で販売継続する判断になったというが、繰り返すが特に売れ行きが西日本に偏っていたわけではないそうだ。これに合わせて、品目も絞り込み、「うすあじ」と「チーズあじ」のみ残るそうで、確かにこの二品目は定番だが、三番手だったであろう「カレーあじ」がなくなるのはなんとも寂しい。
 ネットでも「なくなると分かってから騒いでも・・・」などと揶揄する声が出ていて、まさにその通り、私だってここ数年は口にしていないが、いつでも食べられると高を括るのと、普通にはもはや食べるチャンスがなくなるのとでは大違い、というのが人間の心理というものだ。学生時代、私は自宅から通っていたので、友人の下宿に泊まるときに、言わばショバ代として手土産に酒のつまみを買い込むときに、いつもカールをしのばせていたのが懐かしい。まさか30数年の時を経て、関西土産の貴重品になってしまうとは・・・いつか東日本でも復活することを祈念しつつ、合掌。
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三代目ボンド死す

2017-05-26 00:55:34 | スポーツ・芸能好き
 二日前のことになるが、英国の映画俳優ロジャー・ムーア氏がスイスの自宅で亡くなった。享年89。
 ご存知、英国の作家イアン・フレミングのスパイ小説を原作とする映画「007」シリーズ主人公ジェームズ・ボンド役の三代目として、1970~80年代にかけて、歴代ボンド役俳優として最多の7作品に出演した。
 折しも英国中部マンチェスターのコンサート会場で自爆テロがあり、22人が死亡、64人が負傷する大惨事となった。ロンドン中心部の首相官邸やバッキンガム宮殿をはじめ、軍から最大3800人の兵士が重要施設の警備などに投入され、バッキンガム宮殿の恒例の衛兵交代行事も中止されたほどだ。ボンドがいれば・・・いや彼は英秘密情報部 (MI6)の工作員で、防諜を担当する保安局(MI5)ではない・・・
 私も若い頃はご多分に漏れず007シリーズ映画が好きでよく観たものだが、余り大きな声で言えないが歴代ボンド役の中ではショーン・コネリーが一番だと思っている(だからと言って選り好みすることなく、シリーズは万遍無く見た)。ロジャー・ムーアの方が実年齢で三歳年上ながら11年も後に出演するようになったので、ボンド役初演の年齢は、ショーン・コネリーが32歳だった(シリーズ第一作「007 ドクター・ノオ」(1962年作品))のに対し、ロジャー・ムーアは46歳だった(シリーズ第八作「007 死ぬのは奴らだ」(1973年作品))。それでもロジャー・ムーアは、派手なアクションに女好きという破天荒なボンド役を演じるには、見るからにシャープな、コテコテの正統派ハンサム過ぎたと思うのだ。世の男どもの嫉妬を買ってしまう(苦笑)。あの役柄では、ちょっとゴリラっぽい(と言っては失礼だが)ショーン・コネリーがよく似合う。
 ところが、晩年のロジャー・ムーアのことは知らなかったが、10年以上も前、ナイトの称号を与えられたときの写真を見ると、もはやボンドを演じていた頃の目の鋭さは消え、つぶらな瞳で満面の笑みを浮かべ、すっかり角が取れた好々爺の風情で、人間にとっての年月の重みというものを感じてしまう。
 こうして青春時代のスターがまた一人、亡くなった。指折り数えるのはなんとも悲しいものだ。夢を与えてくれた氏のご冥福をお祈りして、合掌。
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イランでは

2017-05-22 01:06:55 | 時事放談
 19日のイラン大統領選には女性を含めて実に1600人以上が立候補したが、最高指導者ハメネイ師の影響下にあるとされる護憲評議会の審査の結果、正式に立候補者として認められたのは6人にとどまり、内2人は立候補を取り下げたため、結果として、穏健派の現職ロウハニ師と保守強硬派のライシ前検事総長の事実上の一騎打ちとなった。投票率73%と、選挙への関心の高さが示される中、ロウハニ師が得票率57%(約2,350万票)を獲得して当選し、ライシ師は2位で得票率38%(約1,580万票)にとどまって、とりあえずは安定が維持されたものと期待してよいのだろう。
 対抗馬となったライシ師はハメネイ師の「影武者」とも言われる人物で、ニューズウィーク日本版によると、「ハメネイ師の盟友の娘と結婚したことで出世が約束されたも同然」となり、「2006年、46歳の若さで聖職者86人からなる『専門家会議』メンバーに」なり、「昨年3月にイマーム・レザー廟の管理者だったハメネイ師の盟友が亡くなると、ハメネイ師はライシ師を管理者に任命」したことで、「ライシ師がハメネイ師の最有力後継候補だろうとの憶測が生まれた」という。しかしライシ師には政治家としての経験も、検察官としての評判も乏しく、ハメネイ師がなりふり構わぬ大規模な不正選挙を行いかねないことが懸念され、実際にロウハニ師は選挙戦の最終盤に、イラン国内に膨大な利権と大きな影響力を持つとされるイラン革命防衛隊を名指しして「自らの任務のために自らの居場所にとどまるように」と述べ、選挙を混乱させないよう訴えたほどだったが、有権者は最も穏健な候補者を選んだようだ。
 イランに対しては、核合意により昨年1月に経済制裁が解除されたが、イランの核開発を制限する趣旨であって、テロ支援やミサイルや人権問題に関する制裁は範囲外であり、アメリカは非米国人に対する二次制裁を解除しただけで、例えば米国の金融システムを利用した米ドル決済は一次制裁に抵触するため、日本をはじめとする欧米諸国のビジネスを事実上縛って来た。そのためイラン国民の間では経済制裁解除の恩恵が実感できず、不満が高まっていると伝えられている。イランの失業率は12%を超え、若年層に限れば25~30%にも達するらしい。
 イランは、ロシアとともにシリアのアサド政権を軍事支援して、アメリカと対立しているし、イエメンのシーア派組織ホーシー派を軍事支援して、アメリカが支援するサウジアラビアと代理戦争中でもある。核合意に反対するという点では、トランプ大統領とライシ師は妙に一致していたこともあり、中東に新たな波乱要因が投げ込まれないかと懸念されていたわけだが、とりあえず一難去ったとはいえ、前途はなかなか安泰とは言えそうもなさそうだ。
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政界床屋談義

2017-05-19 23:12:35 | 時事放談
 久しぶりにぼやきたい。
 今日の日経夕刊一面に出ていた「『共謀罪』法案可決」と題する記事を読んでいると、「民進党の蓮舫代表は19日午前の参院議員総会で『今急がれるのは共謀罪よりも加計学園や森友学園の真実の究明だ。政権の横暴は絶対許さない』と述べた」ことが目に留まり、違和感を覚えた。果たしてどのような文脈でなされた発言なのか、これだけの短い記事では分からないが、今、急がれる検討は法案審議に合わせたテロやあるいは近隣の中国や北朝鮮を巡る安全保障情勢の分析と対策(が十分かどうか)などいろいろあると思うのだが、相変わらず安倍政権のやることにケチをつけるか足を引っ張ることしか眼中にないのかと、哀しくなる。2年前の安保国会で憲法学者が「違憲」と言ったことを盾に、一向に安全保障環境の現実を顧みることがなかったのと似たような行動パターンにはがっかりしてしまう。
 がっかりしているのは私だけではなく、高須クリニックの高須院長に至っては、一昨日の衆院厚生労働委員会で民進党の大西健介議員が美容外科の広告に関連する質問の中で同クリニックのCMを「陳腐」と発言したことに対して、名誉毀損で東京地裁に提訴することを明らかにした。その理由が揮っている。「大西氏は党を代表して質問した。党首もOKしているはずだ。民進党が攻撃だけで好き勝手言っていて、自民党が応戦一方で反撃しないから、国会での発言が言いたい放題なことに前から怒っていた。庶民でも怒れる、対応が出来るのだと伝えたい」ということだ。高須氏の人となりはよく知らないし、高須クリニックのCMは私にもいまひとつと思われるが、主張されたことには全く賛同する。自民党も自民党で、説明責任を能力的に果たせないような閣僚を選出しているのかどうか真相はよく分からないが、およそ国会の目的に沿わない、つまり議論を誘発するのではない、如何に悪意のある、あるいはイジワルな意図をもった、ちょっと下衆に思える質問であっても、最近はどうも説明責任を放棄しているように見えて、また野党は野党で建設的な質問が乏しいように見えて、いずれにしても情けない。
 より罪深い民進党を責めたい。今月14日には、熊本市で開催された民進党の党熊本県連のセミナーで、離党した長島氏と代表代行を辞任した細野氏について、出席者から「党が苦しい時にこうした無責任な動きをすることこそ、政党支持率低迷の一因」などと厳しい批判があがったことに対し、蓮舫代表は、離党した長島氏に特化して「最低だと思う」と同調し、これ以上離党者を出さないよう努力する考えを示したという。支離滅裂だ。
 むしろ長島氏はよくここまで我慢して来たなあと思うのだが、彼は離党の理由として、民進党が共産党と選挙協力を進めている現状を挙げ、「保守政治家として譲れない一線を示す」と(今さらではあるが)強調していた。「民進党の政策が先にあって、そこに共産党が寄ってくるのならまだいい。でも、そうなってないでしょ? 僕は『共産党が悪い』と言っていない。主体性を失った民進党に失望している」のだと。蓮舫代表のハチャメチャな反応に対して、長島氏の言い分は極めてまっとうだ。そして当の共産党は1月に開催した3年ぶりの党大会で綱領を維持し、志位委員長は、民青同盟が4月23日に主催した「党綱領セミナー」で、「日米安全保障条約は廃棄」「生産手段を資本家から社会に移す。浪費型経済を解消して人間を自由にし、人類未踏の領域を拓こう」などと、あからさまな社会主義思想を開陳した。因みに日本には今もなおこうした考え方に一定の固定客がついていて、全共闘世代に多いと思われ、今となっては絶滅危惧種並みではないかと思うのだが、それ自体は否定しないし、ヴォルテールの有名な言葉で、「私は貴方の意見には反対だが、貴方がそれを主張する権利は命をかけて守る」というのが自由主義というものだ。それにしても民進党の主体性のなさ、節操のなさ、である。長島氏の言う通り、こんな選挙協力をするばかりに(と、理由の一端はあるだろう)、こんな政党に政権を任せたいと思う国民は殆どいないのに。
 NHKが4日前に伝えた世論調査では、民進党の支持率は僅か7.3%と、依然一桁台で低迷し、ほんの8年前に政権交代を実現したとは思えない体たらくであり、もはや昔の社会党支持者しか残っていないのではないかと揶揄されるのも無理はない。そして共産党は2.7%。因みに自民党は37.5%、公明党は3.8%で、まさに一強多弱の勢いだが、最も支持を集めているのは「支持政党なし」で38.4%。今の政界の不毛、政治家の劣化を語って余りある。政治家は選挙に勝ってナンボであるのは理解するが、それが手段と目的が置き換わり行動原理化しているとするならば・・・政界の辞書から「国士」の項は消えつつあるのだろうか・・・
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ドイツと、日本と

2017-05-16 00:01:00 | 時事放談
 なんだか人を食ったようなタイトルで中身のよく分からないブログが続くが、書いている内容は大真面目のつもり。昨日、ドイツ国内で最大の人口を抱える西部ノルトライン・ウェストファーレン州議会選が実施され、即日開票の結果、メルケル首相が率いる保守系・キリスト教民主同盟(CDU)が国政の連立相手である中道左派・社会民主党(SPD)を抑えて第一党となった。メルケル首相にとって、今年に入ってから3月の西部ザールラントおよび今月7日の北部シュレスウィヒ・ホルシュタインの両州議会選に続いて3連勝となり、9月のドイツ連邦議会(下院)選挙(つまりは首相四選)に向けて大きな弾みになると報じられている。
 7日のフランス大統領選と言い、このドイツ州議会選と言い、BREXITを決めた英国が今後2年間で直面するであろう苦境や、トランプ大統領の如何にも気紛れで我が物顔の対応を目の当たりにして、良識が目覚めたと言うべきだろうか。とりわけ超大国(米国)の大統領たるものが自国第一主義を叫んで、北朝鮮や中国に対してすらディールを持ちかけ、この先、国際社会に何が起こるのか予断を許さず、人々をして不安に陥れていることの責任は重い。
 企業人の立場からすれば、トランプ大統領に、反オバマ以外に確固たるビジョンがないこと、国際政治の文脈で言えば、自国第一を言うばかりで、国際秩序観なるものが示されず、商売第一と言わんばかりで(あるいはディールに頼り)、自由や民主主義や法の支配といった価値観が置き去りにされているのが原因だろうと思う。と思っていたら、あるシンポジウムである学者が、アメリカ第一主義は何も今に始まったことではない、既にオバマ政権からそうだったと言う。確かに、シリアがレッド・ラインを超えれば実力行使も辞さないと息巻いておきながら、議会の反対にあうと尻尾を巻き、ロシアの裁定にお株を奪われてすっかり面目を失なったことがあったし、アメリカはもはや世界の警察官たり得ないと宣言して、世界の失望を買ったこともあった。そして生まれた力の空白を、覇権主義に目覚めたロシアと中国が埋めて来たのが、現在に至る世界だ。
 それでもまだオバマ前大統領には「核なき世界」という理念があった(とは言っても口先だけで、後に、今はまだ無理だと白状した)が、トランプ大統領には何もない。現実の国際政治は国益が衝突するところだと、言ってしまえばそれまでで、リアリズムは価値観など顧慮しないのもその通りだ(かつて共和党のニクソン元大統領はソ連に対抗するために共産主義・中国とも手を結んだ)が、超大国がその地位を守るためには、多少なりともノブレス・オブリージュの精神を尊重し、それなりに国際秩序に責任をもち、せめて国益と一致する範囲では国際秩序を積極的に守ろうとするものだし(実際のところアメリカは自由貿易から多大なる恩恵を受けているはずだが、トランプ大統領はそれすら理解しようとせず支離滅裂)、あからさまな力の行使をオブラートに包むために方便であろうとも価値を訴求する姿勢をアピールするものである。さもないと諸外国の支持を得られず、自ら超大国の地位を掘り崩すことになる。
 そしてそのシンポジウムでその学者が言うには、アイケンベリー教授の主張らしいが、今後の国際秩序はドイツと日本にかかっているという。なるほど・・・。習近平国家主席は、今日の「一帯一路」に関する国際協力サミットフォーラムでも「開放的な協力を堅持し、排他的にならず保護主義に反対しなければならない」などと主張したらしいが、中国に言われる筋合いはない。実際のところ、英国は後景に退いてしまい、米国も自分のことしか顧みない中で、メルケル首相と安倍首相は、自由で安定した国際秩序を守って行く上で、今や期待の星と言える存在かも知れない。
 それにしても、英国も米国もロシアも(一応、国民党の中華民国に代わる中国共産党も)、第二次世界大戦中は連合国(The United Nations)側の一員として、戦後は国連(The United Nations)安全保障理事会を牛耳ってまがりなりにも(長い冷戦構造があったとはいえ)国際秩序を守る立場にあったはずだったが、今やドイツと日本と言う、第二次世界大戦の敗戦国で、今なお国連憲章では敵国扱いされる国に頼ることになろうとは、何たる皮肉であろうか。日本は憲法前文で、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて」まではいいが、それに続いて「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意」して、戦争放棄と戦力不保持の憲法9条を押し戴いて来たのだが、何たる皮肉であろうか。
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そして韓国では

2017-05-14 10:35:11 | 時事放談
 9日の韓国大統領選挙では、下馬評通り「共に民主党」の文在寅(ムン・ジェイン)氏が当選し、9年ぶりに左派政権が誕生した。フランス大統領選挙に引き続きブログに書こうと思い立ちながら、つい筆が鈍ってしまい、今後を占う報道で盛り上がって却って面倒臭さが増して、眠いから明日でいいや・・・を繰り返して今日になってしまった。
 関心が乏しかった理由はいろいろあるが、何と言っても朴槿恵・前大統領の弾劾・罷免という異常事態を受けて実施された大統領選であり、どう転んでも「保守から進歩へ」という流れの中で、日本にとっては嬉しくない「左派」の勝利が見えていたこと、ちょっとはマシと思われていた「国民の党」の安哲秀(アン・チョルス)氏がテレビ討論での失態によって後退し、保守・中道は結局、候補者絞り込みが出来ないまま、文氏の独走を許してしまったこと、政策論争でも、アメリカ大統領選挙で当時のトランプ氏が「反オバマ」に凝り固まって目に余ったのに似て、「反朴」のオンパレードでうんざりし、とりわけ北朝鮮情勢が緊迫するにも係らず宥和政策の「左派」優位が動かず、韓国民には北への備えがあって慣れているとはいえ(朝鮮戦争は停戦状態なのだから仕方ないが)、「日本は騒ぎすぎる。大げさだ」と言われる始末で、北朝鮮の脅威が争点にならないもどかしさがあったこと等、一言で言えば日本をはじめ国際社会をよそに韓国民だけが盛り上がる内向き選挙に終始したことによるのだろうと思う。
 大統領選に出馬した候補は15人(2人は途中棄権)にものぼり、さながら東京都知事選のような賑わいで、主な政党の代表者5人が争ったために票が割れたようだ。それでも文氏の得票率は事前の支持率に近い41.08%、他方、安氏は21.41%で、保守系「自由韓国党」の洪準杓(ホン・ジュンピョ)氏の24.03%にも後塵を拝した。1位と2位の票差(557万票差)は1987年の大統領直接選挙実施以来、歴代最多だそうで、安氏も中道とは言え中道左派なので、文氏と安氏を合わせると左派が62%を超える圧倒的な得票となったのは「反朴」の世論の賜物だろう。
 最新のニューズウィーク日本版5・16号は、意外なことにスモッグ被害も重大な争点になっていると伝えている。首都ソウルの空気は北京並みに悪化し、多国籍企業や欧米の大使館がソウルへの駐在員を確保するのに苦労するほどだと言う。大気汚染の原因は、中国北東部の工場の煤煙やゴビ砂漠から飛来する黄砂のほか、韓国で続く石炭火力発電所の建設が拍車をかけているようだ。また、「ヘル朝鮮」なる造語が漏れ伝っているように、韓国の暮らしにくさ、とりわけ若年層が痛感する社会の閉塞感が政治問題化していると解説する。「(前略)韓国の若者にとって社会の現状は絶望的だ。過酷な受験戦争を勝ち抜くために子供時代から学習塾や予備校で猛勉強し、首尾よく有名大学に入学できても、卒業後は残業や休日出勤だらけの会社勤めの生活に追われる。その一方で物価は高く、年収に対する借金の割合は平均170%に上る。これでは晩婚化や少子化が進み、外国で働くことを望む国民が増えるのも不思議ではない(後略)」 そして最大の争点は汚職であり、財閥改革の問題だと言う。前途有望な若い人たちにとっては気の毒な話で、こうした韓国社会の現状に不満を抱く若い人たちが、朴槿恵・前大統領を弾劾に追い込み、そのまま文氏を支持したであろうことは想像に難くない(が、祖国愛や反日感情とともに外国に出て行って従軍慰安婦像をばら撒かれては堪ったものではないのだが・・・)。
 そんな課題山積の韓国の内輪の事情を理解しつつも、私たち日本人(や、さらに国際社会)が注目するのは、(反日も含む)対外政策、とりわけ対北朝鮮政策である(今朝も、大統領選挙を待っていたかのように北朝鮮は新型と見られる弾道ミサイルを発射したようだ)。文氏は10日の大統領就任演説で「必要であれば、ワシントン、北京、東京に行く。条件が整えば平壌にも行く」と語った。「反日・反米・親中・従北」などとレッテルを貼られているが、一応、優先順位はアメリカであり、現実主義的なところが垣間見えるが、次いで日本ではなく中国というのは、やっぱり事大主義かと溜息が出るし、さらに北朝鮮とも対話することを厭わないのは、かつて金大中・盧武鉉の左派政権(1998~2008年)が行った対北宥和の「太陽政策」を想い出させ、経済協力が北朝鮮の核ミサイル開発を助長した悪夢を思い出させて憂鬱になる(もっとも、その後の李明博・朴槿恵の保守政権(2008年~)でも北朝鮮は核ミサイル開発を継続したのだったが)。
 前回ブログに続いて下世話な話だが・・・文氏の両親は朝鮮戦争の時に、避難民として北から撤収する最後の米軍艦艇に乗り込んで南へと逃げてきた経験を持つらしい。その後、1953年、5人兄弟姉妹の長男として巨済島で生まれ、とても貧しい環境で苦学して奨学生として大学に進学し、学生時代は朴正煕元大統領の独裁に反対する学生運動の先頭に立って逮捕されたらしい。朴家とは浅からぬ因縁のようだ。そして大学を除籍になって軍に強制徴集されると、特殊任務を行う兵士(特戦士)として徴兵の義務を果たし(因みに文氏の支持者らは「特戦士出身の文大統領が親北で安保を危険にするはずがない」と信頼しているらしい)、除隊後は学生運動の前歴から就職が難しかったために司法試験の勉強を始め、合格してからも学生運動の前歴が災いして希望した判事任用にならず、釜山で故・廬武鉉氏と共に労働問題を扱う人権弁護士になって、80~90年代は釜山の民主化運動をリードしたという。そんな縁もあって廬武鉉大統領の時に秘書室長を務めたのだった。苦労人に見受けられるし、所謂筋金入りにも見え、こうした北出身の方にありがちなように、今、米・中を中心に進められる北朝鮮包囲網に対して、韓国が主導権を握りたい思惑があるようだが、日本としては、くれぐれも先走らず国際社会の結束を崩さないよう誘導していく必要があるのだろう。
 南北に分かれた言わば血を分けた兄弟という特殊事情は理解しなくもないが、韓国に対しては、国の在り様として根本的に不信感を払拭することがどうしても出来ない。以前にも登場してもらったルトワック氏に至っては、新著の前書きで、韓国について極めて辛辣に次のように言い放っている。アメリカ人の戦略家の目にはそこまで映るのかと、やや驚きを禁じ得ないが、まあ、奮起を促したいと思う。

(引用)
 日本にとってほぼ利益のない朝鮮半島において、北朝鮮が、暴力的な独裁制でありながら、使用可能な核兵力まで獲得しつつある一方で、韓国は、約5000万の人口規模で世界第11位の経済規模を誇りながら、小国としての務めさえ果たしていない。
 国家の「権力」というのは、結局のところ、集団としての結束力を掛け算したものであるが、韓国はこれを欠いている。アメリカが長年にわたって軍の指揮権の譲渡を提案しているのに、韓国が継続的に拒否しているのも、その証しだ。
(引用おわり)

 次は19日のイラン大統領選挙だ。二期目を目指す穏健派の現職ロウハニ師に対して、反米・保守強硬派の候補ライシ前検事総長を、なんと最高指導者ハメネイ師が推している・・・というのが気になるところだ。朝鮮半島といい、中東といい、液状化しかねない、なんとも不安定な情勢だ。
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フランスでは

2017-05-09 00:47:09 | 時事放談
 一応、下馬評通りと言えるのだろう(最近は下馬評が覆ることが多いので、それ自体は却って驚きと言ってもよいのかも知れない)。パリ政治学院と国立行政学院(ENA)で学んだエリートながら、5年前までは政界で無名だったエマニュエル・マクロン氏が、ロシア系かどうかはともかくとして何者かによるハッキング攻撃をものともせず、フランス大統領に選ばれた。現行の第五共和制憲法が公布された1958年以降、左右二大陣営に属さない大統領の誕生は初めて、39歳は史上最年少、知名度のなさから当初「ムッシューX」と揶揄されたらしいが、政治学者のドミニク・モイジ氏はなんとナポレオンになぞらえる。「何より2人が登場した時代状況が似ている」のだとか。ナポレオンが歴史の舞台に登場した18世紀末、革命後の恐怖政治が終わったものの、王党派の反乱やクーデター騒ぎで混乱し、力のある指導者が待望されていた当時に、今の、2大政党が失墜し、左右両極のポピュリストが跋扈する状況が似ているというのだが、まあその当否はさておいて(因みにナポレオンは34歳で皇帝になった)。
 下世話な話だが、新ファーストレディーになる奥方のブリジットさん(64)は「更年期のバービー人形」との異名があるのは失礼な話で、高校時代の恩師で、24歳の年の差を乗り越えて結婚した(なんと詩人としての彼の才能に惚れ込んだ!らしい)というのが話題だが、このあたり如何にもフランスらしい気がする。実子ではないが子供が3人、39歳にして孫が7人いるらしい。
 下世話じゃない話として、産経Web記事から拾い読みすると、元教師の祖母から仏文学の手ほどきを受け、高校時代は演劇に熱中したといい、カントやアリストテレスの哲学書を読みこなし、愛読書はボードレールの詩集「悪の華」というから、これまたフランスらしいと私なんぞは思ってしまう。日本人にはなんとなく如何にも「らしく」て親近感を覚えるのではないだろうか(飽くまである種の典型としてであって、まさか大統領になってしまうのを別にすればの話だが)。会計検査院のエリート官僚として経済諮問委員会付きになった時、委員長を務めたミッテラン元大統領の補佐官だったジャック・アタリ氏に目をかけられ、アタリ氏の私的な夕食会で社会党第1書記だったオランド大統領と知り合い、役所勤め4年、その後ロスチャイルド系投資銀行に移って、2012年にオランド大統領の招きで大統領府の補佐官に、14年には経済相に抜擢され、16年4月に政治運動「前進」を結成し、11月に大統領選への出馬を表明・・・という、シンデレラ(男の場合はどう形容すれば良いのだろう)ストーリーである。その後、オランド氏が支持低迷から再選を断念し、社会党が公認候補をめぐって分裂状態になると、一躍有力候補に躍り出たわけだが、英BBC放送はマクロン氏の勝因について、既成政党の候補の失速に助けられ「運をつかんだ」などと(英国らしく、ちょっと含みのある)分析をしている。まあ、そうなのだろう。
 最終的にマクロン氏の得票率66.10%、ルペン氏33.90%で、随分、差が開いたものと思う(その意味では「予想外」だったと言えそう)。それでも、5日発表の世論調査では、マクロン氏に投票すると答えた人が62%、ルペン氏が38%だったというから、最終局面で民意は極右阻止に動いたという分析は当たっているのかも知れない。投票率74.56%は前回2012年の大統領選決選投票の80.34%はおろか1969年以来の低水準で(と言っても日本人の私たちには信じられない高さだが)、白票・無効票は約12%とかつてない高さだったらしい(このあたりは前回ブログで引用したイラストレーターのエッセーから想像される通りかも)。
 ある政治家によると「大変な人たらし」らしい。「敵味方にかかわらず、人の話を聞く。『あなたの意見は重要だ』と思わせ、味方にしてしまう」のだとか。「人たらし」という点では、安倍首相やトランプ大統領とも、もしかしたらウマが合うかも知れない。
 変化を求め「アン・マルシュ!(前へ進もう!)」と呼びかける彼の若さとしがらみのなさに期待がかかり、政敵がいないという何とも恵まれた環境にあると言われるものの、ポピュリズムの流れが止まったわけではないし、組閣後、6月の国民議会(下院)選で政権の安定基盤を確保できるかが当面の焦点・・・と言われるが、何はともあれ(EUへの信認という、安定を求めるとすれば)今年の一つのヤマは越えたと言えそうで、ちょっと一息といったところ。
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日本と、フランスと

2017-05-07 14:39:10 | 時事放談
 5月3日の憲法記念日は、1日の「メーデー」を避け、5日の「端午の節句」を避けて、選ばれたという、冗談のような本当の話を知って驚いた。おまけに、その日に施行するために公布は前年11月3日になり、「明治節」にあたるから、相応しいものかどうか、司令部(GHQ)の意向を気にしたともいう。当時の内閣法制局長官・入江俊郎氏の話がWikipediaに出ている。
 それはともかく、この日は護憲派・改憲派それぞれ各地で集会を開き、主張を繰り返して、結束を再確認していたようだ。とりわけ今年は憲法施行から70年の節目にあって、思い入れも一入だったことだろう。前回のブログで取り上げた香港(そして台湾)は、危機に瀕する民主主義を守ろうとする若々しさにある種の羨ましさを覚えるのだが、ここ日本は、大いなる挫折があったとはいえ、既に100年以上の民主主義の歴史がある(その挫折も、周回遅れの帝国主義という歴史的な要素が強いと思うのだが、護憲派はそうではなく、日本民族の中に悪しき要素を見るようだが)。それなりに成熟している証左なのだろうが、私には二重の意味でちょっと憂鬱だった。
 一つは、護憲派の主張には相も変らずリアリティが感じられず、ファンタジックなままであることだ。平和主義は揺るがせに出来ない大事なものであるのは、護憲派・改憲派に共通するものと思うが、それで彼ら護憲派が非難する「戦争が出来る国」になることが何故いけないのか、いまだに理解できない。どうも、備えをすること=戦争をすること、と短絡視して、反戦意識(感情)に訴える戦術のようだが、歴史的にもまた現代的にも、その間には高度な外交技術と長い葛藤があることを理解してあげた方が、そこに携わった(携わっている)方々に対してフェアというものだと思うが如何だろう。その意味で、彼らはまさに進歩主義者で、今の自分たちはお利口さんで、過去の日本人は劣っていたと見る不遜さが、私には感覚的に受け容れられないのだ。その不遜さは、何故か同時代にも向けられていて、国民の多数が選んだはずの首相のことを呼び捨てにするのも気に障る。東京・有明防災公園では特別ゲストとして韓国の市民活動家を呼んで演説させたのも気に障る。「朴槿恵を権力の座から引きずり下ろし、主権者として、経験したことのないプライドを回復することができた」、「誰が国の主人なのか、はっきりしないといけない。日本でも間違った歴史を変える市民の行動が始まっている。皆さんの行動を応援している」と言ったらしいが、歴史教育に実証主義が抜け落ちて単なるファンタジーだと揶揄される国に、(多分に実証主義的な)私たちの歴史のことをとやかく言われる筋合いはない、また恨をはじめ国民感情で動いて厳密な意味で三権分立も機能しない国に、今さら「誰が国の主人か」などと言われるとは、片腹痛い。護憲派は、現実を読めないだけでなく、空気も読めないようだ。他方、改憲派のアイドルである安倍首相は、石破さんをして「これまでにない主張」と訝しめたように、公明党の「加憲」へと擦り寄ったようで、一貫性がない。安保法制でも公明党に擦り寄り、集団的自衛権を極めて限定的に偏してしまったことを忘れたのだろうか。何としても自らの政権下で、との悲願に焦りがあるのは理解する。その通りで、日本の時代精神なるもの、あるいは国民感情なるものは、安倍首相にやや追い風に見えるとは言え、民進党をはじめとする野党への反対票にも助けられて、それほど確固たるものではないからだ。それならなおのこと、安倍首相のあからさまな思いは、恐らくまだ通用しないにしても、その信念を語るについて、もう少し意を尽くしてはどうかと思うが、如何だろうか。
 もう一つは、護憲派・改憲派のいずれにも明示的に与したくない私のような軟弱な人間にとって、日本の社会が分断したままであるのは、相変わらずではあるが、ある意味で驚きだ。憲法改正問題に限らず、原発、安保法制、沖縄もそうだ。昨年、英国や米国で、そうした分断の隙をついて、想定外の投票結果が生まれた。日本は、英国や米国のような移民国家でもないし、それほど格差社会でもない(と思う)。敢えて言えば、先の戦争を総括していないツケを、今なお引き摺っているということだろうか。
 折しも今日、フランス大統領選の二回目の投票が行われる。ニューズウィーク日本版5・2/9号は、「国際情勢10大リスク」を特集して、次のように総括した。「グローバリズムの旗手だった欧米がグローバリズムを捨て、代わりに台頭したポピュリズムがリーダーなき「Gゼロの世界」を創りだす――。国際社会の空白が生むリスクは北朝鮮だけではない。われわれが生きる現在の世界は、冷戦期よりずっと危険なのかも知れない。」 さて、この問題提起に対し、フランス国民はどんな結論を下すのだろうか。東洋経済(Web版)に、フランス人イラストレーターの面白いコラムが載っていた。フランスと日本と、随分、離れているようでいて、実に親しい感覚をもって、非常に興味深く読んだので、長くなってしまうが、無料記事でもあり、大胆にも以下に全文を転載する。


(引用)

フランス人が大統領選前に「焦り始めた」ワケ
フェイスブックには悲鳴のような投稿が…
レティシヤ・ブセイユ :ライター、イラストレーター
2017年5月6日

 4月24日の朝。前日の夜にワインを飲んでもいないのに、二日酔いを思わせる頭痛で目が覚めた。曇った空もさらなる苦痛を与える。そう、私の国フランスでは、前日、大統領選挙の第1回の投票日で、その夜結果が発表された。その結果を見た瞬間、私は大絶望し、今すぐフランスを出たいという感情に襲われた。
 ご存じのように、1回目の選挙で選ばれたのは、エマニュエル・マクロン氏とマリーヌ・ルペン氏だ。ルペン氏といえば、2002年の選挙あたりから頭角を現し始め、支持率を伸ばしている極右政党「国民戦線」の代表(現在は党首を退いている)。一方、マクロン氏は、2年前に突如として政治の表舞台に現れ、経済産業デジタル相を務めた後、瞬く間に注目を集めた、中道政治運動「前進!」所属の若手政治家だ。

ハッキリ言ってろくな候補者がいない
 ぶっちゃけた話、今回の選挙までは、私は政治とあまり縁がなかった。18世紀に起きたフランス革命のおかげで、現在のフランスは、一般人でも投票ができる自由の国だ。この国で生まれ育ったからには、投票の大切さを理解しているし、選挙を軽視するのはとても駄目なことだと、子どもの頃から親や先生からたたき込まれて育った。
 だから、フランスの標語の「Liberté(リベルテ), Égalité(エガリテ), Fraternité(フラテルニテ)(自由、平等、友愛)」 という旗印のもと、「直接選挙という神様を奉るべし」ということは私の無意識になんとなく漂ってる。幼い頃、おじいちゃんたちがたまに家にご飯を食べに来ると、社会の暗い話題や、文句まみれの政治議論が交わされていた。そういう環境で育ってきたが、大人になって「政治の世界はややこしくて、勉強するのが面倒だな」と感じていた一方、十分に関心を持たないことに対して罪悪感もあった。
 しかし、今回の選挙は別だ。「真剣になるべし」と感じたのは、どうやら自分だけではない。同世代の30代のフランス人と話しても、いつもよりも、なんとなく関心が高いと感じる。
 長く続く不景気や、今のフランソワ・オランド大統領の人気のなさのせいなのか、はたまた、ネット上にいろいろな候補者の情報が出回っているせいなのか、とにかく「今回こそ何かを変えなければ」というのが周りの人たちの口癖となっていた。アメリカのドナルド・トランプ大統領の勝利にあぜんとしたフランス人も多く、「やっぱり、どうあっても最悪な結果だけは避けたい」という精神で投票した人がかなりいたようだ。
 とはいえ、第1回目の結果が発表されるまでは、私の周りでは、誰に投票するかを明かす人は、あまりいなかった。その理由はなんだろうか。
 やはり「ろくな候補者がいない」という一言に尽きる。たとえば、有力な候補者だった、フランソワ・フィヨン氏の不正給与疑惑。不思議なことに選挙の直前にスキャンダルが発覚した。そのせいで政治家への信頼がダダ下がりしたこと。一言で言えば、選挙前から混乱した雰囲気が漂っていた。
 そのせいか、今回の結果が発表された後、二日酔いのような不快感を募らせたのは私だけではなかったようだ。Facebookなどを開けば、友人たちの「悲鳴の嵐」が吹き荒れている。勝ち残った2人の候補者はフランス人の半数の支持を得ているはずなのに、不思議な光景である。
 実は、フランスでは2002年にも、今回と同じようなことが起こった。2回目の決戦投票で、マリーヌ・ルペン氏の父、極右のジャン=マリー・ル・ペンとジャック・シラク氏の対戦になった。そのとき、極右が選ばれるのを恐れたフランス国民の大半がパニックになって、全国で反乱が起き、最終的にシラク氏が圧倒的な勝利を収めたのだ。

多くが「仕方なく」マクロンに投票した
 デジャビュな気持ちはそのエピソードで終わらない。
 2012年のニコラ・サルコジ氏vs.オランド氏の対戦。過激な政治手法からかなり国民から不評だったサルコジを倒すために、私を含め、多くのフランス人が、仕方なく、オランド氏に投票した。大統領になってまもなく、オランド氏には「フランビー(Flamby)」というあだ名がつけられた。フランビーとは、フランスで有名なプリンのメーカーで、日本でいうプッチンプリンのような商品だ。まるでプリンのように、カリスマのない弱いキャラクターという意味があった。それほど、最初から評判がいま一つだった。
 今、この「仕方なく」選んだことが問題だったと痛感している。最近フランスでは、政治信念より、恐怖が動機で投票することが多くなっている。意見が合う候補者ではなく、ある候補者が嫌だから、戦略的に好きでもない人を選んでしまう。
 たとえば、知人はフィヨン氏が嫌いだった。なぜなら、フィヨン氏がフランス人の会社員の定年を引き上げようとしたからだ。もうすぐ定年だったその知人にとってフィヨン氏は嫌な候補者だった。その結果、マクロン氏を選んだ。「マクロンのどこがいいの?」と聞いたら、「まー、別に好きでもないが、フィヨンが落選してホッとしたよ!」と話していた。
 別の友人も「とにかく1回目でフィヨン対ルペンになっていたら最悪だから、マクロンにした。ギリギリまで悩んだけど、マクロンは失業手当の期間を長くすると言ってるから、まあいいんじゃない」と語る。
 マクロンを選んだ人の中には、彼の若さに希望を持った人や、左翼でも右翼でもない中立的な姿勢に安心した人もいたようだ。そして、左翼を代表していた候補者のブノワ・アモン氏の支持者の何割かが、世論調査の悪い数字を見て不安になり、選挙直前にマクロンに乗り換えたそうだ。とにかく、マクロンは「まだマシ」とたくさんの支持を得た。
 今回のフランス大統領選挙には、11人も立候補していた。しかし、マスコミが集中的に取り上げるのはせいぜい4、5人。私は考え方が合う「小さい候補者」(フランスのマスコミは、候補者を「小さい」「大きい」などの言葉を使って表現する)の1人に投票したが、あえなく落選した。マスコミの「小さい」「大きい」という呼び方はには、アンフェアさを感じずにはいられない。テレビ露出や資金力の差が結果につながることを考えると、やるせない気持ちになる。
 今回の結果が気に食わず、選挙制度自体に怒っているフランス人は多い。極端に言えば、国民が大統領を選べるというのは幻想で、マスコミや調査会社が日々発表する世論調査に完全に操られているということへの批判も上がっている。

誰がルペン氏に投票したのか?
 同じフランス人の半数が、自分と考え方を共有しないという寂しい現実と、マスコミの陰謀の悪夢によって、視覚がぼやけて、頭がガンガン痛い。神様だと思ってた、フランスの投票制度が完璧ではなかったのかもしれない。
 では、これからフランス人としてどうするべきか。今回、上がり続ける失業率や、最近のテロ事件にうまいこと便乗するルペン氏が20%以上の国民にアピールできた。しかし、周りの知り合いに聞いても、ルペン氏を選んだ人はいない。
 では、どんな人がルペン氏を選んだのか?
 統計データを見るかぎり、どうやら貧困層や工場労働者や、地方出身者、(国境に近い)南仏や東北部出身の人が多い。また、ブルジョアで保守的な人がメインかと思いきや、支持者の中にはフランスをひっくり返したいと願う若者もいる。さらに、何世代にもわたる「純血」のフランス人がほとんどかと思いきや、実は親が移民だった人が、フランス人としてのアイデンティティを強調したいがために多く投票しているそうだ。
 とにかく、「ルペンは絶対ありえない!」という私や仲間たちと、「ルペンこそ救世主だ!」と思ってる人の間にどれだけ深い溝があるか想像するだけで、正直ぞっとする。実は、私が暮らしている、リヨン郊外の小さな村では、なんとルペン氏が1位で、支持率は30%を超えたが、周りには彼女を選んだ人はいない、と思う。
 しかし、同じパン屋さんでバゲットを買ったり、幼稚園であいさつしたりする人たちと、ビールを囲んで、腹を割って政治の議論をしたことがないから、彼らの本心はわからない。そう考えると、同じ村に住んでいるのにまるで別々の世界にいるようだ。新聞にも書かれているが、フランスは分断されてしまったかのようだ。
 ルペン氏が出してる選挙公約には、悪くないものもある。しかし、どうしても彼女を選べない点がいくつかある。ルペン氏が、イスラム教への憎しみをあおっていることは有名な話だが、ほかにも、警察や軍隊の権力の強化、刑務所の増加、終身刑の復活などを公約としている。これを理由に「仕方なく」マクロンに投票してしまうのも、過去の過ちの繰り返しだ。まるで、上からうまく仕掛けられた罠に落ちるように感じないでいられない。

Facebookに吹き荒れる「警告」の嵐
 Facebookを開くと「マクロンは銀行業界出身のエリートで、オランド大統領の相続人! マスコミから大げさなサポートをもらって、元から結果は決まってたじゃん! 投票をしたって、結局は何も選べない状況だ!」とか、「マクロンは、オランド大統領や周りの権力者たちが仕掛けた罠で、彼に投票しても仕方ない」とか、「いや、気をつけろ! ルペンはマクロンからこぼれた票を狙っている」という投稿が数多く見られる。
 今回、躍進した銀行出身のマクロン氏は、39歳と若いせいか、やわらかすぎる印象が否めない。また、環境、失業、教育など、フランスが抱える社会問題に対して十分な公約を提案できていないのも気になる。
 実は、私の周りに多かったのは、極左の代表だったジャン=リュック・メランション氏の支持者だが、1回目で敗れてしまったため、2回目の決戦投票では、メランション氏の指示に従って、多くの人が白票(記名なしで投票)あるいは、不参加を考えているようだ。しかし、白票を投じても、最終的に選挙の結果に影響がない。一応、反対の声は伝わるかもしれないが、極右のルペン氏を勝たせてしまう危険性がある。
 こうした中、どちらに投票していいかわからない私のような国民に、残された道は2つしかない。極右の脅威の不安に負け、やむをえずマクロン氏に票を投じるか、「なるようになる」と、大勢のフランス人が同じ選択肢をすることを祈りながら、抗議の白票を投じるか。
 心を決めるため、日々ニュース記事を読んだり、人の意見を聞いたりしているが、正直どうしたらよいかわからない。ただ、どちらの候補者が選ばれたとしても、前向きに行動するしかないと思う。これが、今の率直な気持ちだ。きっと、多くのフランス人も同じ心境ではないかと思う。「最後の審判」まであと数日。私の頭痛がやむ日は訪れるのだろうか。

(引用おわり)
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香港と台湾の共振

2017-05-05 10:35:22 | 時事放談
 今朝の日経「追跡 ニュースの現場」というコラムは、「銅鑼湾書店」事件のその後を追跡しており、興味深く読んだ。中国共産党内の権力闘争やスキャンダルなど、中国本土では販売が禁じられている「発禁本」を扱う出版社・巨流伝媒が経営する同書店の株主や従業員ら5人が、2015年秋以降、次々と失踪し、営業休止に追い込まれた事件だ。今も看板は出ているが、書店の扉は閉じられたままである。
 あのとき、友人を訪ねるため広東省深センに入ったところで専案組(特別捜査班)を名乗る当局者に捕えられ、その後8ヶ月間にわたって拘束されたという店長の林栄基氏は、小さな部屋で24時間監視され、発禁本の情報源や中国本土にいる顧客情報を明かすよう迫られたと言う。更に翌16年初めに、中国政府の息がかかるメディアが流した「自白映像」は、当局が作った台本を読み上げるよう強制されたものだったと言う。そして6月、書店の顧客リストを持ち帰ることを条件に香港に一時戻ることを許された林氏は、監視の目を振り切り、香港の民主派議員の事務所に駆け込んで、同日夜、中国当局による拘束の実態を暴露する記者会見を開いたのだった。
 しかし事件はまだ終わっておらず、株主の桂民海氏は中国当局に拘束されたままらしいし、香港に戻った李波氏ら書店関係者3人は、中国本土に親族がいるため、口をつぐんだままで、林氏も敢えて接触していないという。銅鑼湾の同業他社によると、16年の発禁本の売上は3~4割減少し、顧客の9割を占める中国本土の旅行者からは「監視カメラはないか」「税関で見つかると、ひどい目に遭わないか」と心配する声が増えたという。
 今年7月で20年を迎える香港返還から50年間は、社会主義政策を実施せず一国二制度を維持するなど高度な自治を保障したはずだったが、その香港に迫る中国大陸への同化の圧力と、英国(ひいては国際社会)の(如何に憤り、反発したとしても)無力さ加減は、中国の本質と国際社会の力学を映す鏡として、甚だ興味深い(などと呑気なことを言っておれないのだが・・・)。既に2014年11月、駐英中国公使は、超党派の英議員代表団の香港訪問受け入れを拒否すると通告した際、香港返還を約した1984年の「中英共同宣言」は「今は無効」との見解を伝えており、以来、中国としては勝手ながら「内政問題」化してしまったのかも知れない。日本の歴史教科書の記述すら「内政問題」化して憚らない中国である。その後、行政長官と立法会(議会)の議員選出を巡って、「最終的に普通選挙」を明記した香港基本法を無視し、民主派の立候補を事実上認めない中国大陸に対して香港の若者の反発が広がり、雨傘革命と呼ばれる事態に至ったのは記憶に新しい。
 そもそも一国二制度は、将来の台湾統一工作のカギと考え、鄧小平氏が先行して香港で実験したものだったはずだ。その点からも、中国は(ルトワック氏が言うように)戦略的ではないのかも知れない。その証拠に、先の日経記事は、林氏が香港の民主運動家らと協力して台湾に新しい「銅鑼湾書店」を今年後半に開く準備を進めていると伝え、林氏の次の言葉で結んでいる。「書店は民主の種をまく手段になるし、抵抗のシンボルでもある。かつて銅鑼湾書店がそうだったように」 中国は全てが内政問題に起因する。香港のことなどなりふり構っていられない中国の内政は、最大の核心的利益であるはずの台湾さえ目に入らないほど、緊迫しているのだろう。香港と台湾の民主制と独立を見守りたい。
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アジアの火薬庫!

2017-05-03 01:52:20 | 時事放談
 エドワード・ルトワック氏の近著「戦争にチャンスを与えよ」を読んだ。20年ほど前の論文を基にしつつ、最近の論説も加えて、とても刺激的な内容だ。
 氏自身による総括的な言い方を引用すると、「論文・・・で主張したのは、『戦争には目的がある。その目的は平和をもたらすことだ。人間は人間であるがゆえに、平和をもたらすには、戦争による喪失や疲弊が必要になる』ということだ。外部の介入によって、この自然なプロセスを途中で止めてしまえば、平和は決して訪れなくなってしまう」というのである。そこで導かれる教訓は、「紛争に介入してはならない」ということだと言う。勿論、全ての介入を否定するわけではなく、自らの外交力によって和平合意を実現する覚悟があればよいが、人道主義の美名のもとに(厳密な意味で)無責任に介入することを厳に戒める。難民問題も同様だと言う。例として、ユーゴスラビアのデイトン合意や、パレスチナの難民問題や、最近ではイラク戦争を取り上げる。リビアのカダフィ大佐を排除したことも、「完全なる『法と秩序』を提供しつつ、再建を進め、いざとなれば、そこに50年間でも駐留する覚悟があるなら、介入は正当化できる」と言って、アメリカ(当時のヒラリー・クリントン国務長官)の政策の甘さを批判する。
 逆に、パレスチナ難民のようなメカニズムが第二次大戦直後の欧州に存在していたら、「パリやミラノやローマのような都市はなく、代わりに巨大な難民キャンプがあちこちに設置されていただろう」と言う。日米戦争が1944年の時点で外部の介入によって停戦がなされていたら、「今頃、日本には『戦時体制』が残り、あらゆる物資が欠如した状態で、東京は木造建築だらけのまま残り、大日本帝国とアメリカの停戦ラインは、フィリピンの間に引かれ、ビルマには飛び地が残り、朝鮮半島は半分が日本支配下のままで、その中間の非武装地帯の反対側に米英露の軍隊が駐留している、というような状態になっていたかも知れない」と言う。なんとも逆説的で、思わず考え込んでしまう。「朝鮮半島で起ったのは、まさにこのような事態」だと言う。「戦争が凍結されてしまえば、平和は決して訪れない」のだと。
 パレスチナは日本人には遠いが、朝鮮戦争が停戦状態のまま今もなお平和条約が締結されずに不安定極まりない朝鮮半島情勢は身近な脅威として認識できる。そう、朝鮮半島はもはやアジアの火薬庫なのだ。
 ルトワック氏は、同書の別の章の中で、北朝鮮の軍事開発力は極めて危険な域に達しており、真剣に対処する必要があると主張する。一つは「降伏」だ。北朝鮮が望むものを聞き入れ、経済制裁を全て解除し、金一族を讃える博物館を表参道に建て、北朝鮮に最も美しい大使館を建てさせ、代わりに500キロ以上の射程をもつミサイルの開発を止めて貰えばいいと言う(この500キロはMTCRで規制対象になっているもので、朝鮮半島の非武装地帯から下関までの距離)。二つ目は「先制攻撃」だ。北朝鮮の核関連施設を特定し、全て破壊するのである。空からだけでなく、地上からの支援も必要で、地上に要員を配置してミサイルをレーザーなどで誘導しなければならない。但し北朝鮮のミサイルは侵入の警告があれば即座に発射されるシステム(LOW)になっているかも知れないので、極めてリスキーな作戦になる。三つ目は「抑止」だ。日本は1000キロの射程の弾道ミサイルを持ち、核弾頭を搭載すればいい。最後は「防衛」だ。残念ながらミサイル防衛システムの精度は十分ではない。現在、世界で最も精度が高いイスラエルの「アイアン・ドーム」は、当初の迎撃性能80%のところ、実戦経験を経て95%まで引き上げたものらしい。日本でもミサイル防衛システムの精度を上げるためには、イスラエルと同様、敵から何発もミサイルを撃ち込まれる経験が必要だという。
 いずれも難しいことは一目瞭然である。その結果、ルトワック氏に言わせれば、「まあ大丈夫だろう(it will be all right)」と思って何もして来なかったのがこのザマだ(と、実際にはそこまでは言っていないが・・・)と言い放つ。日本や韓国だけではなく、中国もロシアもアメリカも、何もしていない、と手厳しい。
 今、私たちは、「まあ大丈夫だろう」という無為無策を脱して、こののっぴきならない現実をディールによって回避しようとする米・中・朝のゲームを、リアルタイムで観察しているのである。
 折しも、北朝鮮は、4月5日と16日に続き、29日の朝にも、中距離弾道ミサイル(と思われる)を発射し、いずれも失敗に終わったと分析された。技術力が足りないという人もいるが、そうではなく、わざと失敗する中で何かを掴んでいるのではないかと見る人もいる。東京メトロは、北朝鮮によるミサイル発射を受けた措置として初めて、当日午前6時7分から10分間、全線で一時運転を見合わせた。秋田県では、自治体関係者の情報交換が密だと聞く。北朝鮮は、まさか敵を増やさないだろう(だから日本を攻撃することはないだろう)と楽観する声には、もはや聴く耳をもたれないのではないか。在日米軍は日本の安全保障を根幹で支える頼もしい存在で、日本人に安心を与えてきたはずだが、在日米軍があるからこそ攻撃を受けやすいとは、よもや思わなかった。まさにルトワック氏の言う「パラドキシカル・ロジック」そのものではないか。日本人もそろそろ心理的な戦後レジームを脱して、世界の中で戦略的に対処していく必要があることを、自戒を込めて痛感する(因みに、産経抄によると安倍総理は既に5度、ルトワック氏と会って意見交換しているらしいが、ルトワック氏は安倍総理のことを「まれに見る戦略家だ」と言っている)。
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