風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

2012年の松井とイチロー(後)

2012-12-31 22:23:40 | スポーツ・芸能好き
 今年は、イチローにとっても節目となる1年でした。年の瀬も押し詰まった12月19日になってようやく、今オフにFAとなったイチローのヤンキース残留が正式発表されました。2年契約で年俸総額1300万ドル(約11億円)と言われます。
 何より7月23日、マリナーズからヤンキースへ電撃トレードされた時には、誰もが驚きを禁じ得ませんでした。200本安打が途切れた昨年は、184安打、打率2割7分2厘、5本塁打、47打点、40盗塁、出塁率3割1分に終わり、今年は移籍前までの95試合で、打率2割6分1厘、4本塁打、28打点、15盗塁、出塁率2割8分8厘と更に低迷し、さすがのイチローも、寄る年波には勝てないのかと、来たるべき時の流れををなかなか受け止められず寂しい思いをしてきました。そして、本人が記者会見で語ったように「環境を変えて刺激を求めたい気持ちになった」ことを、ファンの一人として素直に受け入れました。マリナーズが若返りを図っている事情に加え、マリナーズの看板選手として常にマークされながら、チーム成績は低迷を続けるプレッシャーから解放され、ヤンキースというスター・プレイヤーがゴロゴロしている常勝の金満球団で、伸び伸びとプレイ出来るのではないかと、秘かに期待したからでした。結果、安打数は今年も200本に届かない178本でしたが、今期の打撃成績は最終的に昨年を若干上回る打率2割8分3厘、9本塁打、55打点、出塁率3割7厘まで戻しました。
 「ナンバー11月22号」によると、ちょっと違う姿が見えてきますので、抜粋します。
 打率2割8分3厘は、大リーグ移籍後の12年間で11番目で、今年の大リーグ全体では53番目でしたが、35歳以上のベテランに限定すると5番目、しかも上位4人は、3割1分6厘のデレク・ジータ―(ヤンキース、38歳)、3割1分3厘のトーリ・ハンター(エンゼルス、37歳)、3割6厘のマルコ・スクータロ(ジャイアンツ、37歳)、2割9分8厘のポール・コネルコ(ホワイトソックス、36歳)と、10月22日で39歳になったイチローの年下ばかり。同い年か年上で100試合以上出場している選手を探すと、ラウル・イバネス(ヤンキース、40歳)は130試合に出場して、打率2割4分、19本塁打、62打点、チッパー・ジョーンズ(ブレーブス、40歳)は112試合に出場して、打率2割8分7厘、14本塁打、62打点で、今年限りで現役引退しました。同い年のトッド・ヘルトン(ロッキーズ)は、生涯通算打率3割2分でイチローと比べても遜色ない実績を誇り、首位打者1回、打率3割以上が12回の巧打者ですが、今季は故障もあって69試合に出場し、打率2割3分8厘、出塁率3割4分3厘でした。イチローが162試合に出場していること自体が驚くべき事実だと、解説しています。ヤンキース移籍後に限ると、67試合で打率3割2分2厘、出塁率3割4分、長打率4割5分4厘は、まだまだ出来ると思わせます。
 そんなイチローの新たな一面を見たのは、プレーオフのア・リーグ優勝決定シリーズで、タイガースに4連敗してワールドシリーズを逃した時のコメントです。「短い時間だけど、いろいろなものを僕に与えてくれた。悔しい気持ちは久しく味わっていない。(野球をやって)本来持っている気持ちを思い出させてもらった」と述べました。10年連続200本安打という大リーグ記録を達成し、さすがのイチローもモチベーションを維持するのは大変だったであろうことを想像させます。従い、イチローにとってのチャレンジは、世界一をもう一度目指すこととともに、個人的には日米通算4000本安打まで116本、メジャー通算3000本安打まで394本という大記録が控えます。願わくば、出場機会があらんことを。
 自分にどのような言葉をかけたいかと問われて、かつてバルセロナ五輪で銀メダルを獲得したのに続いてアトランタ五輪でも銅メダルを取った有森裕子は「自分で自分をほめたいと思います」と答えたもので、アマチュアのスポーツ選手としての爽やかさに私たちも感動したものでしたが、松井は「自分なりに日々頑張って来たが、よくやったという気持ちはない。今出て来る言葉は『もう少しいい選手になれたかもね』」と言って笑みを浮かべたといいます。なんともプロとしての松井らしい修行僧のようなストイックさを最後まで貫いたものです。打者のタイプが違うイチローは、しかし修行僧という面では松井と共通します。果たしてイチローはどんな終わり方をするのか、今からこんなことを言うのは不謹慎ですが、それもまた興味深く思います。
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2012年の松井とイチロー(前)

2012-12-30 16:33:17 | スポーツ・芸能好き
 松井秀喜選手が現役引退を表明しました。清原のように愛すべき“やんちゃ”が多い野球好きにあっては珍しく優等生、時折り、気を許した時に茶目っ気を見せますが、概して誠実で裏表ない優等生を演じて、「渡米1年目に、誠実な取材対応が米国人の心を打ち、地元記者の投票による「グッドガイ賞」を受賞した」(スポーツ報知12月30日)ところに、彼のキャラがよく表われているように思います。同じスポーツ報知によると、ニューヨーク・タイムズでは、スポーツ面のトップに掲載され、「日本とヤンキースのスターである松井が引退する」と見出しを付け、主将のジーターのコメントなどを入れて詳しく報じたそうですし、ニューヨーク・ポストは「ゴジラがスパイクを脱ぐ」と報じ、ニューヨーク・デイリー・ニューズは「メジャーでプレーした日本選手の中でも最高の選手の一人」と評するなど、大きくスペースを割き、全国紙のUSAトゥデーも松井の経歴を詳しく紹介するなど、引退の衝撃はニューヨークだけにとどまらなかったと報じています。
 タイプが異なるために何かと比較される松井とイチローは、イチローの巧打に対して松井の強打、またWikipediaによると、ワールドシリーズMVPを受賞した翌日の朝日新聞「天声人語」は「イチロー選手がカミソリなら、ゴジラはナタの切れ味だろうか」と評し、同日の産経新聞「産経抄」は「記録のイチロー」「記憶の松井」と対比し、漫画家のやくみつるさんは「クールなイチローは現代風ヒーロー。素朴な感じの松井は、長嶋さんや王さんのような昔の選手を思い出させる」と分析している、とあります。
 そのイチローが、今年7月にヤンキースに電撃移籍したとき、松井のことを「ヤンキースで長く過ごしていたこと自体が、松井の選手としてのみならず人間としての偉大さを示している」と、ヤンキースの先輩に対して最大限の賛辞を送り、このたびの引退に寄せては「中学生の時から存在を知る唯一のプロ野球選手がユニホームを脱ぐことが、ただただ寂しい」(スポーツニッポン12月29日)と、珍しく感傷的になったようです。メジャーに移ってなお日本のプロ野球を代表する二人の稀代の大打者には、お互いの天才を知るが故に、ここ数年の不振に対して、相通じる思いがあるのでしょう。
 思えば長嶋さんとの出会いも強運で、ドラフトで引き当てられただけでなく、天才は天才を知るというのを地で行くように、引退の記者会見で最高の思い出を聞かれて「やはり長嶋監督と毎日2人で素振りした時間かな。それが僕にとって一番印象に残っている」と振り返りました(スポーツ報知12月29日)。選手として表舞台で活躍したどの場面でもなく、陰で努力していた時のふれあいを挙げたところに、彼の非凡さを思います。それを確実に血肉にし、常勝・巨人軍で不動の四番を2000年から三年間にわたって務め、名門ヤンキース入団を実力で手繰り寄せるとともに、当時のトーリ監督や主将のジータ―からは、個人打撃よりもチームの勝利を優先する姿勢を見せるだけでなく、きっちり結果を出すことに、絶大なる信頼を寄せられました。メジャー移籍後の後半は、怪我に悩まされて不本意だったと思いますが、2009年のポストシーズンでは、怪我がなければどれほどの活躍を見せただろうかと夢が膨らむほどの大活躍を見せ、イチローですら成し遂げていないチャンピオンリングとワールドシリーズMVPを獲得し、ある意味でその時に有終の美を飾りました。
 エピソードにはいろいろ事欠かない「もっている」松井の「グッドガイ」振りで思い出されるのは、2002年の日本シリーズで西武に4連勝した翌日、FA宣言の記者会見で「何を言っても裏切り者と言われるかもしれないが、『いつか行って良かったな』と言われるように頑張りたい」と話した時の沈痛な面持ちでしょう。メジャーへの挑戦という晴れの舞台に、彼の抱えている運命の皮肉を思ったものでしたが、日本に残っていたら、どれほどの怪物ぶりを見せたことかと、ちょっと悔やまれますが、彼のひたむきなメジャーでの10年間と、2009年のワールドシリーズでの満身創痍の活躍を思えば、もはや誰も彼のことを「裏切り者」呼ばわりしないでしょう。20年間ご苦労様でした。
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東京マラソンへの道(3)

2012-12-27 01:36:27 | スポーツ・芸能好き
 このタイトルの小文を先月末に書くつもりでした。11月25日の第1回富士山マラソン(旧・河口湖マラソン)に出場(した上で報告する)予定だったからですが、その前の週に風邪をひいてしまい、体調を崩して、直前の練習もままならず、出場を断念したのでした。富士山マラソンと言えば、折からの高速道路の大渋滞と駐車場不足により、エントリー2万3千人の内5千人がスタート時間に間に合わなかったと言われ、その運営の不手際を認めて、参加費の返金措置を講じることが報じられた、あの大会です。
 その後、出張を挟んで丸一ヶ月間、練習から遠ざかり、練習嫌いの私が走りたくてうずうずするまでになり、檻から放たれた子猿(?)のように、この三連休は37キロを走り込み、歩き辛いほどの筋肉痛に襲われて、それがとても幸せで心地よいのだから、畏れ入ります。
 その間、金哲彦さんの「ランニング・メソッド」(高橋書店)と「体幹ランニング」(講談社)を読みました。30年くらい前、インターハイを目指していた(そして所詮は叶わぬ夢だった)頃は、さしたる理論もなく、今では十分に認知されている必要な水分補給も殆ど行うことなく(でも隠れてがぶ飲みしていましたが)、唯一のテクノロジーと言うべき、今はなき伝説のハリマヤ・シューズを履いて、ひたすら走るだけの生活でした。あれから30年。金さんの本を読んで最も共感したのは、「正しい走り方を覚える」と言っても、それはただ「子供の頃の走り方に戻すだけ」という一言でした。子供は筋力がなく、骨格にも変なクセがついていないので、大人と違って余計な部分に力が入ったり身体のクセによってフォームが乱れたりすることなく、動きやすい方向に自然に動いていく、ランニングの理想は、身体が元来もっている性能を活かした走り方をすることだというわけです。逆に言うと、走りのコツは、仕事や家事でついた身体のクセを元に戻すことだと。腑に落ちました。脂肪がついてぶよぶよのお腹を見るだけで、あるいは視覚的なものではなく端的に体重が当時から15キロも増えた事実を思い出すだけで、なんとなく納得させられます。
 そして、「体幹」で走れば、速く、楽に走ることが出来る、ということらしい。楽に走ることが出来るというのは、無駄な力がかかっていないということであり、世の中のすべての運動体に必要な原理であるだけでなく、この歳になればなおさら重要です。「体幹(=ボディ・コア)」は胴体のことで、走るときに重要な働きをする背中、お腹、お尻などの筋肉、骨盤があり、力を発揮する源です。「体幹ランニング」は、体幹の筋肉に力を入れ、頭の先から足の先までを一本の線のようにして、まっすぐ着地する、その時に、重心がほんの少し前にあることがポイントで、慣性の法則に従って速く楽に身体を進めることが出来るというわけです。理屈の上では分からないではないですが、本を読んだところで、手取り足取り矯正してもらって身体で覚えないことには、自分一人では分かりにくい感覚ではあります。
 もう一つ、走るコツとして大いなる気づきになったのは、苦しくなった時の呼吸法で、息を吸おうとするのではなく、十分吐き切ることが重要、吐き切れば自然に入って来るということでした。最近は、息を吐くことによってリズムを作ることを心がけているのですが、これは効果がありそうです。
 いよいよ東京マラソンまで二ヶ月を切りました。丸一ヶ月休んだことで、筋肉痛にはなっても関節痛が再発することはなくなったということは、練習不足で焦りながらも、当初はぎくしゃくしていた身体を、走るためにじっくり熟成させマラソンに向けて準備させる、一種の休養期間になったのではないかと、ポジティブに捉え、もう一度、走り込みによって一から身体を鍛え直したいと思っています。
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アジア紀行(下)

2012-12-25 01:06:37 | 永遠の旅人
 国のありように思いを致して、結論めいた話は、昨日のブログに既に滲ませておりますので、今日は、その実証データを一つ挙げたいと思います。昨日、予告したもう一つの話題である、シンガポールとマレーシアの為替の話です。
 シンガポールがマレーシア連邦から分離・独立したのは1965年のことです。シンガポールではイギリス植民地時代に流入した華人が人口の過半を占め、マレー人と華人の平等政策を主張しましたが、マレーシア連邦ではマレー人が人口の過半を占めマレー人優遇政策を採ろうとしたため、対立が激化したからでした。端的には、マレーシア連邦が、シンガポールを連邦内に留めることによって華人の有権者が増えるのを嫌ったとも言われます。独立と言いながら、かつてマレー独立運動で盟友だったラーマン・マレーシア連邦首相から追放されたに等しいものであったことから、独立を国民に伝える演説の中で、リー・クァンユーは、自制心を失って泣き出す場面もあったそうです。その後、シンガポールとマレーシアは、隣国同士で影響を与え合いながらも、別々の道を歩みました。
 その後ほどなくしてシンガポールに造幣局ができ、独自の通貨を持つに至りますが、暫くはマレーシア・ドル(リンギット)も併用し、シンガポール・ドルとマレーシア・リンギットは等価でした。ところが1973年に為替相場が適用されてから、経済力の差を反映して、貨幣価値に差が生まれ始め、今では1シンガポール・ドルは2.5マレーシア・リンギット、つまり2.5倍強くなりました。国力の差を反映していると言えます。
 シンガポールについて、断片的な知識をもとにWikippediaで調べてみました。63の島からなる島嶼国家ですが、最も大きなシンガポール島でも、東西42km、南北23kmしかなく、日本の都道府県で最も面積が小さい香川県の半分以下、島の大きさで比べれば奄美大島と対馬の間の大きさでしかありません。そのため空港からも至近で便利この上ない一方、今でもマレーシアから水を購入しているように、天然資源は不足しています。世界に通用する目ぼしい地場産業もなかったことから、外国資本誘致による輸出志向型工業化戦略を打ちたて、優遇税制や安価な熟練工を提供するなど、投資環境を整備しました。同時に、政府は経済の厳重な統制を維持し、土地、労働と資本的資源の配分を管理したとも言われます。また国防も脆弱だったことから、スイスを手本として非同盟と武装中立を国是とし、徴兵制を導入したほか、フランスやイギリスから装備を購入し、その後、ASEAN諸国や五ヶ国防衛取極め締結国、他の非共産主義諸国などとも軍事関係を築くなど、着々と軍備増強を進めました。政治面では実質的な一党独裁で、まさにアジアに象徴的な開発独裁を牽引し、各種マスコミに対する報道規制もあるため、非政府組織(NGO)「国境なき記者団」が実施する報道の自由度調査(2010年)では178の国・地域中136位と評価は低く、「明るい北朝鮮」と揶揄されることもあります。
 その生い立ちには、リー・クァンユーをはじめとする客家人の影を感じます(以下もWikipediaから引用)。漢民族の中でも中原発祥の中華文化を守ってきた正統な漢民族とされながら、戦乱から逃れるため中原から南へと移動を繰り返し、移住先で原住民から“よそ者”「客家」と呼ばれた「客家人」は、移民の通例として土地の所有が困難だったため流通や商業に従事することが多く、師弟の教育にも熱心なことで知られ、商業の他に教育の高さから教職に就くことが多いといった特徴が似ていることから、「中国のユダヤ人」と言われ、ユダヤ人、アルメニア人、印僑とともに「四大移民集団」と呼ばれます。東南アジアに暮らす華人の実に三分の一は客家人とされます。伝統的な中国人の発想として卑しめられることが多かった軍人になったり、反乱や革命に参加したりする者も多く、太平天国の指導者・洪秀全や、中国国民党の孫文などを輩出しました。台湾の李登輝も客家人です。そんな客家人が社会の枢要を占めるシンガポールは「東洋のイスラエル」とも呼ばれ、目覚ましい、しかし特異な発展を遂げました。
 古くから東西貿易の拠点として栄えて来ましたが、今や香港と並び多国籍企業のアジア・太平洋地域の重要な拠点(Headquarters)が置かれることが多く、東南アジアの金融センターとしても確固たる地位を築きました。一人当たりGDPは5万ドルに達し、世界経済フォーラムの研究報告書(2011年)において、国際競争力が世界第2位の高い国と評価されました。マレーシア連邦からの追放という挫折をバネに、小さいが故に戦略的に国家を建設し、小さくてもキラリと光る国へと発展を遂げたシンガポールは、契機こそ違うものの、ピューリタンの使命感を背景に、イギリスから独立したアメリカと、なんとなく重なります。共通するのは、国民が歴史的背景を共有しないため、連帯し国としてまとまるためには、将来に向かって人工的な国造りの伝説を紡ぎ続ける必要があることでしょうか。初めから国としてそこにあった日本とは対極にある、これらの国のありようは、未曾有の国難に直面する日本には、少なからぬ示唆を与えるように思います。
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アジア紀行(中)

2012-12-23 12:01:46 | 永遠の旅人
 シンガポールとマレーシアといえば、何かと比較されることが多い隣国で、面白おかしく比較したお茶らけた本(”The Difference between Malaysians and Singaporeans”)を別のブログで紹介したことがありました(http://penangwind.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/index.html)。今回、両国をほんの短時間でしたが訪問した中で、酒を飲みながらのヨモヤマ話の中で印象に残ったのは、シンガポールの政治家や官僚の給料がべらぼうに高いという話と、シンガポールとマレーシアの通貨は、当初、交換比率は1:1だったという事実です。今日は、先ず、シンガポールの政治家や公務員の給料が高いという話題です。
 現地子会社・社長の話によると、シンガポール首相の給料は2億円を越えるそうです。調べてみると、2011年1月のNewsweekの記事が引っかかり、世界で最も高い給料をもらっている首相だと報じられていました。単純比較であれば、日本の首相の5倍はありそうです。アメリカ大統領、フランス大統領、さらにドイツ首相は日本よりも低いらしい。もっとも、シンガポールに首相官邸や専用車はなく、福利厚生に至るまで全て込みの給料という一本の形で支給しているので、見かけほどの差にはならないかも知れません(他国のリーダーも、単純比較してよいものかどうか分かりません)。それでも現地では世間離れしているとまで見られる給料水準を与える理由として、リー・クアンユー顧問相は、かつて「大臣や官僚の収入の低いことがアジアの多くの国で政府に損失を与えていた。適当な額の報酬は政治家と役人の清廉さを保つために欠かせないものだ」と述べたそうです。つまり極めてアジア的な風土に根差していて、汚職を防止するために公務員の給料を高く設定しているために首相の給料もそれにつられて高くしているというものです。
 実際に、シンガポールのキャリア官僚は全員合わせても200名くらいと極めて少ないそうですが、トップ・クラスは年収が1億円に達するそうです。やはり単純比較では日本の5倍くらいはありそうです(同様に算定基準が違うので、日本の各種手当を含めるとそこまで差は出ないでしょう)。特徴的なのは、シンガポールの官僚の給料は、固定給と変動給とに分かれ、民間セクターの業績とGDP成長率に連動させていること、人事権は各省庁にはなく中央で一括して管理され、徹底的な能力主義のもとに、200名の序列をつけ、3年間ランクが下位5%の場合には退出を迫るという話まであります。
 参考までに、こうした公務員や政治家の給料の算出根拠は、シンガポールの高額所得者の多くが所属する6業種、即ち金融機関、法律事務所、会計事務所、エンジニア、外資系企業、国内製造業から上位8人の平均年俸を算出し、その3分の2の額に連動させていると解説するサイトもありました。それなりに国民に対して納得してもらえるよう説明責任を果たす努力の後が見られます。
 私がマレーシアに滞在していた頃、警察官の給料を上げるかどうかが何度か議論になっていたのは、やはり汚職がはびこっていたからで、マレーシアでは、警察官に小金を掴ませて軽めの交通犯罪を逃れることなど日常茶飯事でした。かつては同じマレーシア連邦を形成しながら、マレーシアは、シンガポールのような極端な合目的的な社会システムとは程遠い、古い体質をもった社会のままです。それでは日本はどうでしょうか。シンガポールとマレーシアを座標軸上にプロットすると、残念ながら日本はマレーシアに近いと言わざるを得ません。勿論、どちらにも功罪あり、国の歴史やこれからの国のありよう、いわばグランド・デザインに関わる問題ですので、単純に解が出せるとは思えません。少なくとも、命を守る医療関係者、将来を担う若者を育てる教育関係者、国家を担う政治家・官僚にも、大いに人材を集めるべきだと思いますが、かつて日本という国家が勃興した当時こそ、高い使命感と倫理観のもとに、これら領域に人が集まったものでしたが、成熟して価値観が多様化した今日の日本で、いつまでも使命感だけで有為な人材を惹きつけられるとは思えません。そのためこれらの領域は変化に対応できず旧態依然として、ある意味で守られている(隔離されている?)ようにも見えるのは、競争に晒されて緊張感を強いられる民間企業の僻みでしょうか。折しも総選挙がありましたので、シンガポールの話を聞きながら、国のありようをつらつら考える契機となりました。
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第46回総選挙その後

2012-12-19 02:07:17 | 時事放談
 いろいろ興味深い詳細が明らかになってきました。
 読売新聞社が実施した衆院選結果に関する緊急全国世論調査によると、自民党が圧勝した理由として、「民主党政権に失望した」55%がトップで、「他の政党よりましだと思われた」29%と合わせると8割を越えました。消極的な支持という大方の予想が裏付けられるとともに、安倍総裁はじめ心ある自民党の当選議員が選挙戦を通して肌で感じ、勝って兜の緒を締めている通りの結果です。今回の衆院選は飽くまで前半戦、真の審判は半年後の参院選というのも正しい認識です。
 実際に、自民党の圧勝は、主に小選挙区でもたらされたもので、比例区での得票率は、惨敗した前回と大差ないことが判明しました(前回26.7%に対し今回は27.6%)。小選挙区では、個々の自民党候補に投票しても、自民党そのものへの信頼は回復していないことが明らかです(実は私もそのクチです)。そして、比例区で民主党が前回の三分の一レベルにまで沈んで浮いた票は、維新の会とみんなの党に流れました。既存の弱小政党は乱立する第三極との間で違いを際立たせることが出来ず、清新さで見劣りし、軒並み落ち込みました。彼らは一体いつになったら目を覚ますのでしょうか。
 何より、民主党の現職閣僚や閣僚経験者など一応大物と言われる議員が落選したところに、民主党政権への失望が表れています。現職の官房長官・藤村修氏(大阪7区)をはじめ、仙谷由人元官房長官・党副代表(徳島1区)、田中真紀子文科相(新潟5区)、城島光力財務相(神奈川10区)、樽床伸二総務相(大阪12区)、小宮山洋子前厚労相(東京6区)はとても僅差とは言えない惨敗で国会を去ります。比例復活したものの、菅直人前総理(東京18区)、海江田万里元経産相(東京1区)、松原仁元拉致問題担当相・国家公安委員長(東京3区)も小選挙区で落選しました。国民の目は同じで、厳しい。そのほか、前回衆院選以降に民主党を離党し他政党や無所属の候補として今回の衆院選小選挙区に出馬した71人の内、勝ったのは小沢一郎氏のみ(つまり何かの間違いで前回当選してしまった小沢チルドレンの多くは落選)というのも、国民の目は誤魔化せないものだと思います。
 今日の日経ビジネス・オンラインによると、樽床伸二氏は、小選挙区での落選が報じられた後、型通りの敗戦の弁を僅か58秒で終えた後、予定されていた代表質問による会見を無視して、足早に事務所を去ったそうです。その場に居合わせてこの目で確かめた訳ではないので、断定すべきではないのでしょうが、完敗とはいえ余りの狭量な行動ではないでしょうか。それに引き換え、同じく小選挙区で敗れたとは言え、辻元清美さんは、支持者とメディア関係者の前で選挙戦を冷静に振り返り、今後の政治活動についても一つひとつ丁寧に語った上、各社の個別取材にも応じたそうです。私とは政治信条が違う人ですが、天晴れと言うべきでしょう。比例復活の可能性が残っていた(実際に復活した)せいとも言えますが、それにしても、樽床氏は、多くの国民の負託を受け国政を与かっていたことに対する責任は感じなかったのでしょうか。政治家たるものの夢あるいは志があれば、一度の失敗でヘソを曲げることなどないはずです。苦境にあってこそ本性が表れ、器量が試される。今さらながら、当時感じていたある種の「いかがわしさ」が、こんなところに表れたのかと納得した次第でした。こうした人材に頼らざるを得なかった民主党にとって、このたびの惨敗は当然の結末だったと言いいたくなってしまうエピソードでした。
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第46回総選挙

2012-12-17 01:43:14 | 時事放談
 今日の総選挙は、どうやら下馬評通りの結果となりそうです。天気が良かったので投票率が下がり、組織票に強いところが有利になるはずでしたが殆ど影響なかったようですし、マスコミの事前予想で自・公が圧倒的に有利と報じられて来て、(マスコミが期待したような?)反動的な動きも見られませんでした。
 最も票を集めたのは皮肉にも死票(狭義にしても広義にしても)、そして一番の問題は、今回もまた投票率の低さでした。今なお政治への信頼感は戻っていませんし、余り期待もされていない結果だろうと思います。そして自民党が結果として圧勝しましたが、民主党の敵失と第三極が受け皿になり得なかったことは、いろいろなところで報じられている通りです。どうせ誰が政権担当しても大して変わらないだろう、その中で、常に消極的な選択が通って来たことは、やはり日本国として憂うべきだと思います。
 それにしても、2005年の郵政選挙での自民党大勝といい、2009年の政権交代での民主党大勝といい、そして今回の自民党大勝といい、なんとも民意は短期間にドラスティックに動くものかと驚きを禁じ得ません。しかもこうした選挙に800億円もの費用がかかっていると言われます。選挙は、ものの本によると、国民にとって、代表を選出し、今回は特に今後数年間の日本の政治リーダーを選択する、民主主義の根幹をなす大切な儀式のはずですが、政党や候補者にとっての、当選を目ざす集票過程であり、権力掌握への過程であるところばかりが目立ち、なんとも空しさばかりが残る第46回総選挙でした。
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アジア紀行(上)

2012-12-15 21:55:57 | 永遠の旅人
 出張で一週間、シンガポールとクアラルンプール(マレーシア)とメルボルン(オーストラリア)に行っていました。そのため、北朝鮮のミサイル発射(ちょうどその日に訪れていたマレーシアの華人はCrazyだと顔をしかめていました)と、この一週間の選挙戦(シンガポールとマレーシアのタクシーの運ちゃんが、日本では首相が毎年のように交替しているねえと笑いながら、その名前をすらすらと言えたこと(日本人観光客向けのパフォーマンスか!?)、それに引き換え小泉は良かったのにねえと異口同音に言ったことが驚きでした、ああいう明るくて実行力があるように見える指導者が好まれるのでしょうか、きっとリー・クアン・ユーとかマハティールと重ね合わせているのでしょう)について、すっかり疎くなってしまいました。さて、その時の印象です。
 シンガポール、クアラルンプールという、東南アジアを代表する都市を訪れて、勿論、毎度のことながら時間に制約がありましたので、たまたまかも知れませんし、訪れたのは日本で言えば六本木か渋谷のようなところだったと思うので、ある意味で当然とも言えますが、昼飯時などにレストランに行くと、若い人で賑わって、まさにアジアの成長を牽引しているかのような活気があって、羨ましく思いました。空港やホテルがあるビルに隣接するショッピングモールの巨大さといったら、大震災を経験した我々日本人からすれば無駄じゃないかと思えるほどの空間と資材とエネルギーをふんだんに使い、開発独裁と揶揄されようがお構いなし、豪華さを競い合っているかのようです。
 シンガポールに到着したのは日曜夜で、One Fullertonという、マーライオンの隣、高層屋外プールがある空中庭園「スカイパーク」で有名な、5000億円を越える資金を投じたと言われる複合リゾート施設Marina Bay Sandsを目の前に臨むレストランで、シーフードを堪能しました。夜8時と10時に光を使った演出が行われるのも、カネに物言わせた中国人的な豪華さが、むしろ清々しいほどです。私が会社に入った20数年前は、先輩や上司が、シンガポールの食事は不味いと頻りにこぼしたものでしたが、今、私が抱く実感とはかけ離れています。思うに、当時のそれはニョニャ料理だったのではないか、その後、どんどん新しい中国人が入植し、どんどん新しくて美味しい中華料理が古い中華料理を塗り替えて行ったのではないか。光の演出を見ながら、成長するアジアの象徴として、訪れるたびに地図が変わる、見た目のビル街の様相も変わる、この国々の変貌ぶりに、目を見張る私でした。
 上の写真は、まるで新しい観光名所Marina Bay Sandsに向かってスペシウム光線を放つかのような古めかしい観光名所のマーライオン。
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周富徳さんのお店

2012-12-04 01:11:27 | グルメとして
 「炎の料理人」の通称で知られる周富徳さんのお店「広東名菜 富徳」に行って来ました。銀座線外苑前駅と青山一丁目駅のほぼ中間、青山通り沿い伊藤忠本社ビル隣のCIプラザビル地下一階にあります。こんな一等地にあって、高級店かと思いきや、味は本格的ですが値段はそれほど高くなく、また内装も落ち着いていて居心地良く、好感が持てます。若い頃は痩せの大食いでしたが、最近は、美味しいものがちょっとあって、美味しい酒がちょっと多めに(!)あれば満足するので、とてもリーゾナブルな食事になりました。
 中華料理と言えば大皿を大人数で分け合うイメージが強いですが、このお店には5~6名用の中盛や3~4名用の小盛のほかに2名用の極小盛も用意されていて、少人数でも安心なのが嬉しい。先ず、「あわびと青菜のスープ」を試してみました。コクがあって実に上品に仕上がっています。「干し貝柱の豆腐あんかけ」は、干し貝柱のスモーキーな味がちょっとうるさ過ぎるくらいに思いましたが、干しエビの味とからんで、なかなかに味わい深い。続いて点心メニューから選んだのは「ニラ入り焼きもち」と「エビ餃子」で、日本人の口に合うあっさり目の味付けです。最後に頼んだ「広東風(五目)チャーハン」は、オーソドックスでとても美味しいのですが、塩気がちょっと強過ぎるように感じました。総じて味は濃い目のようです。極小盛の料理の値段はだいたい1100~1600円(フカヒレ・スープや鮑になると1800~2200円)、極小盛の点心は650円と、お手頃です。
 その間、生ビールから始めて、紹興酒飲みくらべセット(熟成20年もの1グラスと熟成5年もの1グラス、1365円)で、さすがの熟成20年ものの旨さを堪能し、さてもう一杯、メニューにはないけれどもこの時期のお勧めとして紹介されていた紹興酒・女児紅(10年もの)をトライすると、先ほどの20年もの以上にまろやかでコクがあって美味しくて驚きました。それでも、一年半ほど前に香港で飲んだ「彫皇」という8年もの紹興酒の味が忘れられないのは、本場故のことでしょうか。
 周富徳さんと言えば、「浅草橋ヤング洋品店」で金萬福らとの「中華大戦争」を見たことがありましたし、「料理の鉄人」で、弟・富輝さん敗戦の仇討ちと称して、本当は親友の道場六三郎さんと対戦したことも懐かしく思い出されます。その後、私がアメリカに赴任し帰国した頃には、すっかり鳴りをひそめていたのは、セクハラ疑惑や脱税疑惑があったからでしょうか。お店の人に聞いたら、今でも週一回くらいはお店に顔を出しているそうですし、月に一回、昼に料理教室を開いているそうです。テレビではもはや過去の人になってしまい、実際に来年3月には70歳を迎える周さんは、私たちには馴染み深いビッグ・ネームで、庶民的な高級店?で高級感漂う庶民の味?に舌鼓を打つのも悪くありませんね。
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永田町とマスコミのムラの論理

2012-12-03 00:13:33 | 時事放談
 北朝鮮情勢が緊迫していますが、日本では早くも選挙戦に突入し、内向き志向を強めていて、大丈夫なのかと心配になってしまいます。今日は、政治家は議論を拒んでいる、マスコミは世論を誘導しようとしている、といった特に驚くに当たらない平凡なポイントを再確認しながらの、ぼやきです。
 土曜日朝の辛坊さんの番組では、先週から、各党の代表者(党首とは限らない)を呼び、個別テーマ毎に各党の主張を聴くという特集コーナーを始めました。今回は原発の扱いがテーマだったせいもあってなおのこと、時間の制約があるとは言え建設的な議論にはならなくて、各党、言いたいことの言いっ放しで、さすがの辛坊さんも辛抱(!)ならなくて仕切るのに苦労されていました。混乱の一つは、小党乱立で、各党には等しく発言権が認められるため、どう見ても大差ないのに、その微妙な違いを際立たせ印象付けるべく自己主張に必死で、他人の主張を部分的にせよ認めながら・・・といった、ある意味で大局的な議論とは凡そ無縁なわけです。さすがに日本維新の会の野合をきっかけに、危機感を強めた弱小政党から、緑の党、さらには未来の党など新たな野合の動きが出ていますが、さして状況は変わりそうにありません。
 今朝のNHK日曜討論でも(張本さんのサンデー・モーニングが終わってからなので、半分しか見ていませんが)、原発がテーマでは、なかなか議論になりませんでした。舛添さんが、安全神話の崩壊や代替エネルギー問題といった国内に閉じた話では済まなくて、中東情勢や他国の原発政策や核不拡散や核管理などの安全保障問題など、検討しなければならない視点はいっぱいあるから、簡単に決められる問題ではないと、国際政治学者らしくまともなことを言われて、司会者から、それにどう応えるのかと振られた緑の党は、福島原発のような事故を起こしておいて脱原発以外にはあり得ないなどと感情的な反応ばかりで現実解を示せないようでは、せいぜい万年野党を目指しているとしか見えません。また、維新の会は、石原さんと橋下さんとで方針が違うようだか、それを纏めるとどうなるのかと問われて、こちらもまたまともな回答ができませんでした。今日の読売ニュースによると、維新の会では、新人の立候補予定者に各小選挙区で開かれる公開討論会への参加を見送るよう指示していたらしく、幹部は遅れている選挙準備に専念させるためと説明しますが、準備できていない新人は討論会に出ると袋叩きにあうからと解説する人がおり、まさに討論会の人選を誤れば維新の会のイメージダウンを加速する証左となりました。
 今や、原発「ゼロ」ばかりでなく、「脱」やら「卒」やら、はたまた「続」やら、キャッチフレーズにこだわって喧しいばかりでは、議論を拒んでいるようにしか見えません。だからと言って、原発に対してどのように対処すべきか、私自身は正直なところまだ決めかねていて、ただ一つ言えることは、ムードだけの脱原発に安易に同調したくはない天邪鬼といったところでしょうか。勿論、原子力エネルギーが未来永劫も重要であり必要であるとは誰も思っていないし、将来的に脱原発依存社会に向かうことに異議を唱える者はなく、所詮は時間軸上の問題に過ぎなくて、その工程こそが重要なのでしょう。そもそも安全神話を信じたのは勝手であって、世の中に「絶対」などということはあり得ず、社会的事象はおしなべてリスク管理の問題に帰するものですが、絶対安全とは言えない以上は今すぐゼロにすべきというような書生じみた議論が政治の世界にもまかり通るのは、なんとも不思議ではあります。そして、福島原発事故の調査報告がいくつか出ましたが、国民としてどう総括したのか曖昧なまま、原発についての結論を出すことには躊躇せざるを得ません。マグニチュード9の地震にも原子炉はよく耐えて、僅かに津波によって粗末な電源装置が壊滅しただけのことなのか、原子炉に亀裂が入っていたという噂は本当で、それがどう放射線漏れに影響を与えたのか、なんだかよく分からずじまいで、冷静な分析なく、ただ原発事故と大括りにして反省を迫る態度は児戯じみていないでしょうか(私は今なお原発そのものの問題というより人災と思っていますが)。
 現実問題として、石油ショック以来、エネルギー多様化政策を進める中で、多大の原発投資をしてきたわけですが、これら貴重な資産を無にして闇雲に稼働停止した上、毎年3兆1千億円もの国富が代替エネルギー購入のために流出して、今後も国民経済とりわけ産業界に甚大な影響を及ぼすのではないのか、またエネルギー密度が低い再生可能エネルギーの有効性が確立されないまま、原発がなくてもエネルギーは足りていると強弁し、化石燃料に回帰して、再び中東危機のような不測の事態が発生して、かつての石油ショックのような国民経済の混乱に見舞われることはないという保証はできるのか、現実には今なお必要以上の節電協力をしながら、更に経済成長を支えるエネルギー需要をもまかなえるものなのか、福島原発4号機で明らかになったように、止めたところで使用後の核燃料を冷却し更には廃炉に向かう管理のために、今後何十年にもわたって原子力技術が必要であるにもかかわらず、「ゼロ」などと、ことさらにセンセーショナルなキャッチフレーズで国民感情に訴えたところで、技術者の確保と育成に不安は生じないのか、少なくともこれらの問いに答えることなく「ゼロ」を唱えるのは政治に与かる身で無責任であって、ただの原理主義、かつてサヨクによく見られたレッテル貼りに過ぎず、百害あって一利なしと思うのですが、どうなのでしょうか。結局、原発ムラと呼ばれる非難めいた言い回しと同様、永田町ならぬ永田ムラの論理で、選挙戦術はあっても日本国としてのエネルギー戦略はないと言わざるを得ません。それはTPP反対の主張にも言えることのように思います。
 そしてマスコミは、これら政治家の無責任には批判を加えることなく垂れ流し、他方で低線量の放射線の影響は限定的だとか原発の有効性を主張する科学者の言論を非難して封じ込めるかのような一種異様なムードを醸しだしているように思えてなりません。本来、社会の公器を自認するマスコミこそ、原発や放射線の影響などの問題について議論を誘発すべきではないでしょうか。
 マスコミの偏向疑惑については、最近、話題になった安倍さんの「建設国債の日銀引き受け」発言に触れておきたいと思います。野田総理はここぞとばかりに「禁じ手」と断罪し、マスコミ各社も日銀の独立性を盾に寄ってたかって批判しましたが、17日に熊本市で行われた安倍さんの講演では、はっきりと「買いオペ」と言われており、恐らく日経の経済記者の誤解に端を発して、マスコミ各社も右に(安倍さんの反対だから左に!?)倣った誤報だったことが判明しています(池田信夫さんのブログ参照:http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51827590.html)。日経の記者は意図的だったのではないかと邪推をする人もいますが、その真偽はともかくとして、少なくとも誤報だったことは各紙とも訂正すべきだと思いますが、どうもそのような話は聞きません。
 保守系の雑誌で安倍さん待望論を臆面もなく押し売りするのもどうかと思いますが、週間文春12月6日号のように、一見いろいろな候補者を揶揄しているように装いながら、その実、安倍さんの足を引っ張ることが主目的の記事もまた(所謂写真週刊誌ならいざ知らず、週刊文春だからこそ)見苦しい。無党派層が最大という政治不信を招いている責任の一端は、マスコミにもあるのではないかと思いたくなります。
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