G7を巡る狂騒曲を続ける。一見、その存在感が高まっていることを称揚するかのような、あるいは少なくともニュートラルな意味合いに見えるブログ・タイトルだが、正直なところ、グローバルサウスに対して、歴史的には大いに同情するが、最近はその増長振りがやや気になるところでもある。正確に言うと、存在感が、ひいては発言力が高まっていることを感じ、自己主張を強めようとするのであれば、それに応じた国際社会の責任も引き受けるべきところだ。その点では、中国と言う悪しき先例がある(もっとも最近は、アメリカが後退する“隙間”を狙って外交努力を誇示しつつあるが)。
グローバルサウスが、ロシアとウクライナとの戦争からも、また、アメリカと中国との対立からも、距離を置きたがり、巻き込まれないように慎重に行動するのはよく分かるが、結局、いずれからも利益を得ているから、あるいは得たいからという現実的で短絡的な(と敢えて言わせて貰う)対応を示しているだけのことで、それは何も今に始まったことではない。ツキュディデスの罠を流行らせたハーバード大学のグラハム・アリソン教授がインタビューしたシンガポール建国の父、リー・クアンユー氏も同様のことを語っていた(『リー・クアンユー、世界を語る』(サンマーク出版 2013年)。
相対的に中小国が多いグローバルサウスにとって、それがまだ発展途上の彼らが厳しい国際社会を生き抜く知恵であることは理解する。国際政治においてリアリズムが大事であることは、E.H.カーが既に、国際政治学の原典とも言うべき『危機の二十年』(原書”The Twenty Years' Crisis, 1919-1939”は1939年)で指摘していた。だからと言って所詮ユートピアニズムは偽善だとも言い切れなくて、現実と理想(や理念)とのバランスの問題だろう。前回ブログでは、アメリカが中国に引っ張られて、理念を置き去りにするような行動に走り、今、グローバルサウスの台頭でも、理念がよく見えない。理念がなんだか不憫な扱いをされる時代である。
ロシアとウクライナとの戦争に関して、グローバルサウスは、ロシアの行動を非難することには辛うじて賛同し、戦争が早く終わって欲しいと望みつつ、制裁、すなわち力による現状変更という国連憲章違反の行為が高くつくことを思い知らしめる行動には乗って来ない。第三次世界大戦を回避し、秩序を維持しようと返り血を浴びながらも健気に努力する西側の行為(などと、かなり西側寄りの発言であるが 笑)には背を向ける。果ては、食糧危機は西側の制裁のせいだとロシアが声高に宣伝するのを信じる国すらある。同様に、アメリカと中国との対立ではどっちもどっちなのか、中国に非はないのか、という理念の問題について、問い掛けたい。
アメリカの苦悩は、実はグローバルサウスには分からないだろう。何故なら、グローバルサウスは中国が欲しがるような技術を持たないし、アメリカほどのインテリジェンスもないからだ。アメリカは、自由と民主主義を尊ぶオープンな社会で、科学・技術が発展していればこそ、中国をはじめ多くの国々から多くの人々が学ぶために集まり、共創し、アメリカの科学・技術の発展を助けるとともに、それぞれの出身国の経済発展にも貢献する。中でも中国は、そのオープンな環境に乗じて、技術を学ぶだけでなく、金に飽かせて技術を買い漁り、正当に入手できない場合は窃盗し(先のグラハム・アリソン教授は、中国の場合はR&D&Tとなる、すなわちR&DにとどまらずT=Theftまでやると言われた)、自国の軍(正確には共産党の軍)の近代化に余念がない。それが、人口数千万程度の開発独裁国ならまだしも、国家資本主義という異質の体制で、既に世界第二の経済大国に登り詰め、なお国家がその全精力を傾けて国の経済と軍事の発展を主導する国なのだから、覇権が脅かされる(とアメリカを揶揄しつつも)アメリカにとってはたまったものではない。
ついでに言うなら、中国が欲しがる技術をまだ辛うじて持っている日本も、アメリカの苦悩は十分には分からないだろう。何故なら、アメリカほどのインテリジェンスがないから、技術が盗まれているかどうかすら分からないだろうからだ。日本の経済人の多くがお人好しでお気楽でいられるのは、そのせいではないかと思う。
中国やロシアは、多極化した世界を望むことで一致する。欧米的な自由・民主主義が全てではなく、中国やロシアのような権威主義も、さらにグローバルサウスのような発展途上の世界も、存在感を主張し、その限りでは理解できなくはない“美しい世界”だが、そのときの秩序はどうなるのだろうか。共有できる理念はあるのだろうか。中国やロシア(だけでなく、イランや北朝鮮などの)サイバー攻撃をはじめとする無法は許されるものではない。以前であれば、産業スパイ事件は新聞の一面を飾る事件たり得たが、サイバーを介した産業スパイは日常茶飯事になってしまった感がある。言葉は悪いが、北朝鮮は犯罪国家であり、中国は共産党が人民を搾取する泥棒国家という形容が成り立ち得る。そんな世界で、大規模言語モデルが急速に発展し、AIのリスクが俄かに語られるようになったのにはワケがある、というべきだろう。今朝の日経記事(英エコノミスト紙の翻訳記事)は、人種差別や子供を対象にした性犯罪、爆弾の作り方に関する情報の提供などの危険が考えられると言い、強大化するAIモデルが、偽情報や選挙操作、テロ行為、雇用の喪失などの危険をもたらす可能性がある、という。最近は雇用の喪失が多く語られるが、私はどちらかと言うとそこは楽観的で、それ以外の政治・社会的リスクが恐ろしい。
なお、そのグローバルサウスの一つとして招聘された韓国が、G7入りに意欲を示し、日本の支持を期待しているとの記事が目に留まって、目を疑った。ドイツの首相が30年振りに、また欧州委員長も、G7後に韓国を訪問した。NATO以外の国で、韓国ほどの経済力があって、今なお法的には戦争中で、ウクライナに武器・弾薬の支援を出来る国は、世界広しと言えどそうあるものではない。この期にNATOや欧州の関係者が韓国に秋波を送るのはもっともだと思うが、当の韓国はそう思わず、勘違いしている可能性がある。保守政権で日本の悪口をあちらこちらの国々で触れ回る「告げ口外交」を恥じることなく、その後の左派政権では反日活動に勤しむ市民団体に数千億円の補助金を出して、反日を大いに煽って戦後最悪の日韓関係に立ち至らせた国である。グローバル・イシューを語るに足るパートナーだと、自ら自負されているのだろうか(もっともG8発言のヌシは韓国の駐日大使で、ほんの都内での講演での軽口だったのかも知れないが)・・・
日米欧の民主主義陣営にしても、中露の権威主義陣営にしても、グローバルサウスを取り込むことに躍起になっているが、いずれもグローバルサウスには振り回されそうな予感がする。これも(中国やロシアと同様)、歴史の復讐であろうか・・・