私の世代には馴染みの1970年大阪万博のシンボル「太陽の塔」が重要文化財に指定されそうだ。文化審議会が文部科学相に答申したという(16日、読売新聞ほか)。折しも開催中の大阪・関西万博のシンボル「大屋根リング」の取り扱いも焦点になると伝えている。
「太陽の塔」は、「万博のメインテーマ『人類の進歩と調和』に対し、プロデューサーを務めた岡本太郎は縄文土偶を思わせる対極的な反近代の象徴としてデザイン」(読売新聞)したと言われる。
彼は、縄文文化の芸術性を再評価したことで知られるが、私はその話を知るまで、なんとなく弥生式土器の先進性や機能美に単純に惹かれていた。子供心に、戦後日本の経済成長に浮かれるメンタリティにどっぷり浸かって、永遠の「進歩」を素直に信じていたのだろう。「太陽の塔」は、塔頂部に未来を表す「黄金の顔」、正面の腹部に現在を表す「太陽の顔」、背中に過去を表す「黒い太陽」という3つの顔を持つとされる。背中の顔には原始の素朴な生命力を、また、正面の顔には現代社会の不貞腐れたような不機嫌さをユーモラスに表現した芸術性を感じさせるが、塔頂部の顔は、ずんぐりした胴体の上にちょこんと乗っけられた、如何にも取ってつけたような「金ぴか」の、という言葉は、1870~80年代にアメリカで資本主義が急速に発展を遂げ、拝金主義に染まった成金趣味の時代として揶揄する言葉<Gilded Age、金メッキ>で、未来の顔という割には安っぽい工業デザイン的なチャチな成りで、子供心にもアンバランスに見えた。彼は縄文時代の土偶をモチーフに、シンプルで力強い機能美で装って「調和」を図ったかに見せているが、求めていたのは安っぽい金ぴかの「進歩」などではなく、土着の民族性やその力強いエネルギーだったのだろうと、今にして思う。それは、万博と同じ1970年に自決した三島由紀夫の思いにもどこか通じるように思う。
万博閉幕後には撤去される予定だったが、反対する署名活動などにより、保存が決まった。そして高校で陸上部にいた私(たち)は、ロード・トレーニングと称して、時々、万博公園まで走りに行ったついでに、「太陽の塔」周辺の芝生の上を走り回ったものだった。高二の冬に参加した四市一町駅伝大会(吹田市・摂津市・茨木市・高槻市・島本町)は万博公園内の周遊道路で行われた(私の高校時代最後のレースで、涙の準優勝に終わった)。その後、耐震改修工事を経て、2018年から万博以来の内部の一般公開が始まったと聞いていた。
国の重要文化財は、文化財保護法に基づき、美術工芸品や建造物などの有形文化財のうち特に重要なものから選ばれ、意匠や技術、歴史的・学術的価値などの基準に照らし、文部科学相が指定するものだという。建造物の場合、指定後は許可なく改築や移築ができず、修理費用は最大85%国から補助され、相続・贈与などで税制上の優遇措置もあるらしい。建造物の場合、完成から50年が一つの目途とされ、子供の頃に出来たものが指定されるという時間の流れを感じないわけにはいかない。
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