風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

お茶目な女王

2016-04-29 14:04:33 | 日々の生活
 イギリスのエリザベス女王が、先週21日、90歳の誕生日を迎えられた。公式アカウントで女王は、「同じように90歳の誕生日を祝っている人たちにお祝いを申し上げます。同じ日に祝っている皆さんに、温かい気持ちでおめでとうございますとお伝えします」とツイートしたらしい(BBC News)。第二次大戦中、ナチスが欧州のロイヤルファミリーを捕えようとしたため、カナダへの疎開計画もあったというし、1940年9月に200機の編隊がロンドンを絨緞爆撃したときには、宮殿中庭にも爆弾6個が落とされたが、それでもバッキンガム宮殿にとどまり、エリザベス王女(当時)はウィンザー城から「帝国の子供たち」と題したラジオ放送を行って国民を勇気づけたという。爾来、エリザベス女王(1952年に即位)は電話、テレビ放送、電子メール、ソーシャルメディアなど、その時々の最先端の通信手段を使って王室のメッセージや価値観を送り続け、先の90歳の誕生日ツイートに至るわけだ。
 在位は64年に及び、昨年、ビクトリア女王の在任最長記録を超えたのは記憶に新しい。さらに昨年、サウジアラビアのアブドラ国王が逝去したため、世界最高齢の君主となった(因みに日本の今上天皇は82歳)。現在53ヶ国からなるコモンウェルスの首長であり、その内、イギリスやカナダをはじめとする16ヶ国の女王でもある。このお歳になっても、毎日午前9時に朝食を済ませると、国民などから寄せられる200~300通もの手紙を読み(返事を書くこともあるという)、政府文書にも目を通し、週1度の首相との会談をこなされる(女王は毎週火曜日に首相から内外情勢の進講を受けるのが習わし)。英メディアによると、女王は昨年、国内外で300を超える公務をこなし、孫のウィリアム王子らを上回る忙しさだったという。在位期間に就任した総理大臣はチャーチルに始まり現在のキャメロンまで12人(13代)、イギリス国教会のカンタベリー大主教7人、ローマ法王7人、女王としてこれまで117ヶ国を訪問し、延べ2億キロを移動されているという。かつて7つの海を支配し、ハプスブルク家のスペインと並び称される「太陽の沈まない国」の女王の使命感と精力は並大抵ではない。
 そんな女王に対し、ちょっと古いが2005年の調査によると、国民の82%が満足していると答え、年を重ねるごとに女王への尊敬の念は深まりつつあるらしい(今なお精力的に国のために尽くすお姿を見れば当然であろう)が、かつて何度か試練に直面している。イギリス経済の衰退とともに、緊縮財政は王室にも例外なく押し寄せ、1993年4月からは女王とエジンバラ公も所得税を支払い始めたし、同時期、バッキンガム宮殿の維持費捻出のため一般公開を開始するなどし、米ウォールストリート・ジャーナル紙はイギリス王室を「85歳の女性CEOによって経営される非上場の株式会社」と評したほどだった。1997年、ダイアナ元妃がパリで交通事故死した際には、女王はなかなか哀悼の意を示さず、「どうして英王室はバッキンガム宮殿に半旗を掲げないのか」と、轟々たる国民の非難を浴びた。女王として国家の威信を守ろうとしたとされる(が、さすがにその後、女王の頑なな姿勢は軟化した)。在位60年のメモリアルイヤー2012年に開催されたロンドン・オリンピック開会式では、女王が飛行機からスカイ・ダイビングして会場に現れるというパフォーマンスを演じ(もちろんダイブしたのはダミーだったが)、世界の度肝を抜いた。
 前置きが長くなってしまった。ニューズウィーク日本版(5・3&10合併号)には、女王90歳の珍言集が載っていて、思わずニンマリしてしまった。2005年、バッキンガム宮殿でイギリス音楽界の大スターを招いたレセプションで、エリック・クランプトンに「ギターは長いことされているの?」と尋ね、レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジには「あなたもギタリストなの?」と声をかけられたとか。湾岸戦争の最中にバグダッドを電撃訪問しフセイン大統領と会談したヒース元首相が「他国の首脳もフセインと話し合うべきだ」と発言したのに対し、「あなたに何かあっても困らないけど、他の首脳はそうはいかないのよ」と呟いたとか。画家ルシアン・フロイドの作品を見にギャラリーを訪れた際、裸の女性の絵ばかりが並ぶコーナーで、キュレーターに「フロイドは女王陛下の肖像画も描いたんですよね」と話を振られて、「そうよ、でもこういうのじゃないわ」と声をひそめたとか。公の場ではどんな時も節度ある姿勢を崩さない女王だが、実際はユーモア溢れる人柄だと、身近な人々は口を揃えるという。生まれとお育ちの良さを感じさせるぶっとび振りはまことに微笑ましい。女王に末永く幸あれと思わずにはいられない。
 さて日本では、今日は「昭和の日」で、かつては「(昭和)天皇誕生日」と呼ばれた祝日だ。皇位継承問題を抱える日本に対し、イギリス王室は、国王に続き直系の王位継承者が三人もいるイギリス王室史でも稀な恵まれた状況にある。私の知人の一人は、皇室なんて無駄だと言って憚らないが、そんなぎすぎすした世相観より、無駄は無駄でも、長い歴史と伝統に裏打ちされ、日本の国のありように深みと彩を添える文化的な無駄には、反対する気が興らないし、この程度のゆとりはあってもよいように思う。終戦後の1947年10月14日、11宮家51名は、GHQ指令により皇室財産が国庫に帰属させられ経済的に従来の規模の皇室を維持できなくなったとして、皇籍離脱した。女系天皇の議論の前に、旧皇族の皇籍復帰を検討すべきだろう。日本国憲法だけでなく、こうした戦後GHQ政策の名残り(レガシー)は、いい加減、見直してはどうかと思うのだが(こうしたことは、サンフランシスコ講和条約で独立を回復したときにやるべきだったが、日本人ったら体制順応で素直なものだから・・・)。
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潜水艦失注

2016-04-27 01:06:54 | 時事放談
 オーストラリア政府が、2020年代半ば以降、老朽化が進むコリンズ級潜水艦と入れ替えるため、次期潜水艦12隻を共同開発する相手先として、日本・フランス・ドイツが受注を争っていたが、このほどフランス企業に決定したことが発表された。残念至極だ。が、内情はいろいろあるようだ。
 なにしろ建造からメンテナンスまで、総額500億豪ドル(約4.4兆円)を超える、オーストラリア史上最大の防衛装備品調達であり、日本政府が色めきたったのも無理はない。オーストラリアという、日本にとってアメリカに次ぐ同盟国のことであり、日本のシーレーンの要衝である南シナ海において、中国の台頭を抑え込み、自由な航行を守るためには、日・米・豪の安全保障協力は欠かせない。また、かねてより日本の防衛予算が限られる中、防衛技術基盤を今後とも維持・継承し、さらには防衛装備品の原価低減を図る上でも、海外に顧客を見出すのは極めて有効である。折しも、日本は一昨年4月、防衛装備移転三原則を制定し、武器輸出を原則禁止とする伝統的な政策を転換したばかりで、まさに戦後初めて本格的な軍事技術移転に乗り出した矢先、防衛技術や防衛装備品を巡る課題解決の今後を占う試金石と見なされてきた。
 オーストラリア政府は今年2月にまとめた国防白書の中で、「台頭する中国は地域でさらなる影響力拡大を模索する」と警告しており、まさに日・米・豪の利害は一致していた。親日派とされたアボット前首相と安倍首相との個人的な信頼関係もあり、またアメリカ政府も日本の「そうりゅう」型は卓越した性能を持ち、米国製の戦闘システムを搭載することで日・米・豪の相互運用性が高まるとして支持したことで、一時は本命視された。他方、ドイツとの共同開発となった場合、中国の産業スパイなどから機密情報を守りきれる技術があるのか疑念があり、アメリカは技術提供を拒否する姿勢を示していると報じられた。フランス(政府系造船会社DCNS)は潜水艦の輸出経験が豊富で、現地建造による2900人の雇用確保など地元経済への波及効果を早くからアピールしたことから、日本とフランスの一騎打ちとも見られていた。
 転機になったのは、昨年9月、アボット首相(当時)への反発が広がった与党・自由党の党首選で、ターンブル氏が勝利したことだろう。ターンブル氏のご子息は中国の政府系シンクタンクに所属した元・共産党幹部の娘と結婚しており、オーストラリアの歴代政権の中で最も親中的と言われている。すかさず、日・豪の軍事的接近を警戒する中国当局はオーストラリア政府に対して外交攻勢を展開したと見られる。何しろ中国はオーストラリアにとって最大の貿易相手国で、鉱石などの主な輸出先でもあり、経済分野で「アメとムチ」を使い分けながら圧力をかけたであろうことは想像に難くない。現に今年2月、訪中したビショップ豪外相との共同会見で、中国の王毅外相は「日本は第二次大戦の敗戦国で、戦後の武器輸出は日本の平和憲法や法律の厳しい制約を受けている」と牽制した。最終的に日本が選ばれなかったことについて、北京の共産党関係者は「中国の外交上の勝利だ」との感想を漏らし、嬉しさを隠さなかった。
 もう一つ、この決定にはオーストラリアの政局も影響している。ターンブル首相は、税制改正などをめぐり野党の攻勢が強まる中、7月の総選挙で政権基盤の強化を模索する構えと見られており、その総選挙では次期潜水艦が建造されるという南オーストラリア州の議席がカギを握るようだ。そして、ターンブル首相は今日、南オーストラリア州都アデレードで会見し、フランスとの潜水艦の自国内建造で、計2800人の雇用が維持されると胸を張ったらしい。鋼材なども極力、豪州産を使うのだという。日本は当初、技術移転に消極的で、オーストラリアが国内での建造を望んだのに対して否定的な対応を見せたと言われる。巻き返したが、やはり見劣りしたのだろうか。
 実際、日本の入札対応は「官僚的」で「熱意が欠けていた」とオーストラリア関係者から見られていた。フランスやドイツに比べ、日本は「経験不足から出遅れ、オーストラリア軍の競争評価手続きでの売り込み努力も致命的に劣っていた」と言うのである。海上自衛隊幹部によると、「もともと官邸が押し込んできた話だった。機密情報が中国に漏れる懸念があった」と白状するように、日本の中でも、政府・官邸はオーストラリアとの共同開発に積極的だったのに対し、海上自衛隊は日本の最高機密が集積する潜水艦の情報流出(例えば中国への)を懸念し、消極的な考え方が根強かったようだ。自衛隊や防衛省の中でも、OBは積極的なのに対し、現役は慎重だと聞いたことがある。そんな日本が一枚岩になれなかったチグハグさがオーストラリアには「熱意が欠けていた」と見なされたのだろう。武器をはじめとする防衛装備品は、金額が嵩張ること、またこれら製品の特性上からも、現地生産の要望が強く、日本のサヨクの方々が心配するほど、防衛装備移転は簡単なことではないようだ。安全保障協力も、相手(あるいは敵の策動)あってのことで、それほど簡単なことではなさそうだが、ここはひとつ粘り強く対応して欲しい。
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熊本地震・続

2016-04-25 23:46:54 | 日々の生活
 14日の熊本地震(前震)発生から早くも11日目になった。気になったニュースを拾ってみる。
 先ずは、熊本、阿蘇と大分県西部・中部の各地方を震源とする震度1以上の地震は、今朝7時までに(つまりこの10日間で)計880回に上るそうで、俄かに想像できない頻度だ。もっとも、最初の一週間で772回と報道されていたから、多少は落ち着いて来ているようだが、それでもこれだけの余震が続けば元の生活に戻るのはなかなか難しく、不安な日々は如何ばかりかと察せられる。
 実際に先週金曜日時点で、熊本県の小・中・高校や幼稚園などの7割超が休校・休園のまま(609ヶ所中446ヶ所)で、通学・通園できない児童生徒・園児は実に約15万7千人(総計約21万9千人中)に上るらしい。校舎や関連施設が損壊したり、水道やガスなどのライフラインが寸断されたりしているほか、建物の被害は軽微でも通学路の安全を確保できなかったり、敷地内の施設が被災者の寝泊まりする避難所として使われたりして、休校としているところもあるらしい。子供たちの生活が一日も早く元に戻ることを願ってやまない。
 私自身は、東日本大震災のとき、共感疲労と疑われるような心理状態に陥った反省から、今回は、被災地に寄り添いつつも、普通の生活を心掛けている(が、季節柄?もあって、ちょっと落ち込んでいる)。その間、心無い事件が少なからず報じられ胸が痛んだ。ライオンが逃げたとか、在日の方を誹謗するデマを流す悪質なツイートがあったり、中傷コメントが相次いだ地元タレントのブログが中止になったりした。被災地での空き巣被害や、タレントの名前を使った募金詐欺も発生しているらしい。現地取材を巡っては、某局中継車がガソリンスタンドで給油待ちの列に割り込むなど、やや行き過ぎのところが問題とされた。それでも、東日本大震災のときと同様、被災地では秩序が保たれるとともに、メーカー・小売りからの支援物資や自治体からの人の派遣など、オールジャパンとも言える支援の輪が広がるのは、誠に心強い。
 そして、あの堅牢さの象徴とも言える熊本城の石垣は3分の2が崩れたというし、天守閣の瓦が落ちて痛々しい。修復には数十年、数十億円かかるとの試算もある。東日本大震災では原発の津波被害が象徴となったが、私の中では熊本城が熊本地震の象徴のような気がしている。
 上の写真は、私の携帯ストラップで、自衛隊仕様の「くまモン」。月並みで他人事のような軽さだが、「くまモン」はじめ被災地の方々には頑張って欲しい。
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熊本地震

2016-04-19 01:16:47 | 日々の生活
 熊本地震の報道には胸が痛む。直下型と聞いて油断していたら、人が揺れを感じる地震(震度1以上)は、今日の午前中には既に500回を越えたらしい。被災地の方々の不安はいかばかりかと思う。16日(土)午前1時25分頃に発生したM7.3、震度6強の地震が本震とされ、28時間前の14日(木)午後9時26分頃に発生したM6.5、震度7の地震は本震ではなく前震と訂正されたのにも驚いた。気象庁によると、M6クラスの直下型地震の後、規模が上回る本震が起きたのは1885年の観測開始以来初めてらしい。テレビなどで専門家の解説を聞いていると、そこまで分かってきたのかと感心することがしばしばである反面、震源地が移動するなど、分かっていないことも多いものだとつくづく思う。
 この地域でまさか大地震が起こるとは思っていなかったと呟く住民の気持ちは分からないではないが、どうやら耐震補強工事はそれほど進んでおらず、多くの一般家屋が倒壊したようだ。なかでも熊本城の石垣が崩れ、瓦が落ち、無残な姿を曝け出したのはショックだった。戦目的の建造物だから堅牢であるとの思い込みがあり、一種の象徴のように思うからだが、実際には400年前にも、同じように熊本から大分にかけて大きな地震があり、熊本城も被害を受けたらしい。また陸路が寸断されて輸送が滞っていることとか、東日本大震災で教訓を学んでいたはずの、強靭なサプライチェーンを誇るはずのトヨタが、18~23日に全国の完成車工場の生産を段階的に停止すると発表したことにも、あらためて驚かされた。いよいよ首都圏で大地震が起これば、日本の経済や財政にどれほど甚大な影響が及ぼすかと、不安になる。明日は我が身である。
 他方、東日本大震災のときと同様、地元コミュニティの連帯・助け合いや、全国で支援の輪が広がるのは心強いものだし、募金の呼び掛けや救助隊派遣の準備など支援の動きが広がる台湾をはじめ、「日本政府から要請があれば、いかなる支援もする用意がある」「私たちの思いと祈りは、地震で影響を受けたすべての方々のためにある」と被災者を励ましたアメリカや、「われわれの思いは、地震の影響に直面する日本の人々と共にある」「友人である日本が必要とするどのような支援も提供する用意がある」と表明したオーストラリアなど、苦しいときの近隣の友邦の気持ちは嬉しい(因みに、プーチン大統領からも早々にお悔みのメッセージが届いたが、韓国では、九州在住の韓国人の安否確認や支援に当たる応援チームを派遣することを決めたことが先に報じられ、その後、韓国・聯合ニュースが朴槿恵大統領が安倍首相にお見舞いの電報を送ったことを伝えたのは18日のことであり、中国でも原発は問題ないことが先に報じられ、その後、中国国営新華社通信が習近平国家主席が天皇陛下にお見舞いのメッセージを送ったことを伝えたのは18日のこと・・・というのは産経Webニュースを素直に拾ったもので、他意はない)。
 先日、地震学者から最先端の状況を聞く機会があった。どこで地震が起こるかはどうやら予測出来るようになったが、いつ起こるかを正確に予測するのはまだ難しいらしい。地震列島の日本にあって、もはやいつ自らの身に降りかかっても仕方がないものと諦め、被害を(事前・事後に)どう抑えられるかを考えるべきなのだろう。
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ビジネスから眺める政治

2016-04-15 00:48:53 | 時事放談
 前回の続きで、民進党に捧げたい「孫子・謀攻編」のもう一つの言葉は、巷間「戦わずして勝つ」と言われるもので、前置きをかなり端折って正確に引用するとこうなる。「・・・百戰百勝、非善之善者也、不戰而屈人之兵、善之善者也」(・・・百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり)。
 前回は、「知彼知己、百戰不殆、・・・」(彼(敵)を知り己を知れば百戦殆うからず(危うからず)、・・・)というフレーズの中で、「己を知ること」にフォーカスしたが、このときの民進党の「彼」=「敵」は果たして与党・自民党でよいのか?という問題がある。勿論、国会論戦や選挙といった局地戦では正面衝突する戦術は分からないではないが、もし本当にもう一度政権を担える過半数を目指すのであれば、戦略的に取り組むべきは、自民党支持層を切り崩すことではなく、選挙民の過半を占める“無”支持層、つまり自民党には飽き足らないけれども野党も頼りなくて支持する政党がなくシラケている無党派層をどう取り込むかに注力することではないかと思うのだが、どうだろう。ビジネスの世界では、競合のない市場を見つけること、あるいは新たな市場を創り出すこと、そこにこそ宝の山がある、と言われる。つまり「彼」は必ずしも「敵」ではなく、取組み課題としての「無党派層」と見做すべきではないかと思う。それこそが「(敵としての自民党と)戦わずして勝つ」の意味するところだと思う。
 以下は私の勝手な憶測なのだが・・・自民党支持層は、必ずしも熱狂的な自民党支持者ばかりではなく、勿論、一定の根っからの保守はいるだろうが、むしろ余りに頼りない野党を見限った消極的でやむを得ない自民党支持者も多いことだろうと思う。民進党がそんな人たちを振り向かせるのは、どうしようもなく停滞し閉塞感に見舞われた民主党政権時代の「悪夢」から冷めやらぬ中で、容易なことではない。日本的な意味でのリベラルが退潮する中、しかし既存の保守にまつわる古臭さには飽き足りない層はかなり存在するはずで、実際、かつて橋下ブームを巻き起こしたのは改革保守だったはずだ。新しいメディアはつい政局を面白おかしく書きたてるが、国民が真に望むのは、政治家同士の足の引っ張り合いではなく、日本の経済を良くしてくれることや、安全で住みやすい国造りを進めてくれることのはずだ。
 まあ、この程度の想定通りにコトが運ぶなら、とっくの昔にやってるよ・・・ということかも知れない。しかし、いつまで経っても支持率が一桁%で低空飛行しているようでは、ビジネスの世界では赤字垂れ流しでとっとと潰れているだろう。私の会社でも仏の顔も三度まで、三期連続赤字なら構造改革を迫られる。まあ、政治とビジネスを単純比較すべきではないと言われれば、それはその通りであり、少数意見を尊重するのが政治であって、だからこそ少数野党であってもお取り潰しにならずに生き延びる価値があると言うなら、有り余るほどの定数そのものを削減、つまり0増6減ではなく100くらい一気に減らしても全く困らないのではないかと思うが、サラリーマンの浅知恵だろうか。
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ブーメラン現象

2016-04-11 22:12:51 | 時事放談
 旧・民主党や民進党議員には、相手への批判が己に返ってくる「ブーメラン」が頻発すると、最近、メディアに揶揄されるようだ。
 例えば、待機児童問題で安倍首相を厳しく攻め立て、先の民進党・結党大会で政調会長に抜擢された山尾志桜里衆院議員に「ガソリン代疑惑」が浮上した。出る杭を打たれたか、嵌められたのかは知らない。山尾氏は東大卒の元検事として舌鋒鋭く、甘利前経済財政担当相の秘書の金銭授受疑惑などを「秘書がやったことについて本人の責任が免れるものではない」などと徹底追及したものだが、自身が絡む疑惑については「(秘書の)監督が至らず、申し訳ない」と言うだけで、強気な姿勢は崩さず「役割を全うしたい」と政調会長を続ける考えを示したという。弁護士による調査結果には「第三者による独立の調査といえるのか。国民に納得して貰えないのではないか」と疑義を唱えたが、自身は「弁護士の力も借りて報告した」とあっさりしたものだ。監督責任についても「議員は知っていたと普通は考える」と批判しながら、自分の秘書によるガソリン代の不自然な支出には「気づかなかった」と開き直る。別に私は山尾氏に何か特別な恨みがあるわけではなく、ただの例示に過ぎないのだが、まあ、秘書が関わったことのレベルが違うとは言え、議員としての対応はやはりお粗末と言わざるを得ない。
 山尾氏も山尾氏なら、岡田民進党代表も代表で、甘利前経済再生担当相の金銭授受問題を巡り東京地検特捜部が関係先の強制捜査に入ったことに関し、「甘利氏は説明責任を果たしていないので、しっかり説明してもらいたい。政治不信がこれ以上深まることのないようにしないといけない」と述べる一方、山尾氏の説明責任については、「大筋は説明したし、それに対して異論みたいなものは私はあまり聞いていない。監督責任はもちろんある。そこに問題があったんじゃないかということも彼女は説明していて、私は説明として一貫している思う」と、なんとも身内に甘い。
 そこで、民進党には、「孫子・謀攻編」にある有名な言葉を捧げたい。
 一つは、「知彼知己、百戰不殆」(彼を知り己を知れば百戦殆うからず(危うからず))で、通常、情報の重要性を語ったものとされ、情報化社会の現代にあっては、表面的な通り一遍の情報でなく、本質を衝いた精度の高い価値ある情報を如何に多く集めるかがポイントだとか、ここにいう彼(敵)は人とは限らず、問題解決に当たっても、その内容を吟味し、自分の力量を認識したうえで対処すればうまくいく、などと解説される。実は「孫子・謀攻編」では、これで終わりではなく、更に言葉が続く。「不知彼而知己、一勝一負」(彼を知らずして己を知るは一勝一負す)、そして更に「不知彼不知己、毎戰必殆」(彼を知らず己を知らざれば戦う毎に殆うし(危うし))。こうしてあらためて三つ並べてみると、「彼(敵)を知る」ことは重要だが、(情報化社会の現代にあっても)それほど簡単なことではなく、その意味では先ずは「己(味方)を知る」ことこそ重要であり、自分のこともまともに分かっちゃいないようでは勝負にならないよ、といったところであろうか。とかく人は自己評価には甘くなりがちだからだ。民進党を見ていると、政権与党の自民党を攻めることには熱心だが、自らを知らな過ぎるのではないかと、甚だ心許ない。
 時期はちょっと遡るが、共同通信社が3月26、27両日に実施した全国電話世論調査によると、民進党に「期待しない」との回答は67.8%に上り(一方の「期待する」は26.1%)、政党支持率に至っては僅か8.0%にとどまって、前回調査(2月)で民主党(9.3%)と維新の党(1.2%)が得た支持率を足した数値を下回ってしまった。岡田代表は「自民党に代わって日本の政治を担い得る政党」を目指し、衆院選での単独過半数獲得を大眼目に掲げるというのだから恐れ入る。志やよし。しかし自己認識は冷静かつ客観的でないとねえ・・・。このあたりをビジネスの世界になぞらえるならば、まあ弱者連合の合併なんてのはそんなもので、取らぬ狸の皮算用よろしく、シェアを落とすのは珍しいことではない。お気の毒だが、今のままでは次の選挙でも勝ち目はなさそうだ。
 続きは次の機会に。
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京都ぎらい・続

2016-04-08 01:52:50 | 日々の生活
 前回は国家内の地理的、歴史的な境界認識について徒然なるまま書き綴ったが、今回は国家レベルの縄張り、つまり国境のありようについて、少し考えてみたい。
 古来、日本人は日本列島に住み、それがそのまま近代に至り日本列島=日本国、つまり国境を形成したという意味では、珍しくも幸せな国と言ってもよいのだろう。日本人にとって国境は日本列島そのもの(あるいは近代海洋法によれば沿岸から12海里まで)と、太古から現代に至るまで固定的である。幸せだという意味は、大陸のいずれかに位置する国と比較すればよく分かる。他国と地続きで国境を接していれば、国家間の抗争とともに国境線が引き直され、古代から原形を留めることなど難しい。
 そんな確固たる国境観をもつ日本人にとって、中東のアラブ地域で、ちょうど100年前の第一次世界大戦中、英・仏・露の間でオスマン帝国領の分割を約した秘密協定(サイクス・ピコ協定)によって、なんと国境が人為的に引かれたものであること、またそれがために、強権的な独裁政権であればこそ、人為的であろうが国境線の枠内で何とか国民を統合し国民国家を形成・維持し得たが、アラブの春によって独裁政権が崩壊すると、国家という枠組みが俄かに溶け出し、地域が不安定化している状況は、なかなか理解し難いものがあろう。
 アラブ社会は今も部族社会と言われるのはその所以であろう。佐々木良昭氏によると、部族とは同一の出自や歴史的な背景、同じ言語や文化を持つ集団のことで、規模は大小さまざまで、いくつもの国境をまたいで生活するものもあり、最も大きな部族の一つであるシャンマリー族ともなれば、イラク、シリア、サウジアラビア、クウェートにまで広がっていると言う。また、イラク部族評議会事務局長のヤヒヤ・サンボル氏によると、部族は独自の法と秩序を持ってメンバーを守る役割を担っており、言わば社会の土台であって、国家が強い時には部族の役割は弱くなり、社会の秩序や公正は国家機関によって維持され、人々も国家に頼るようになるが、国家の法が公正を欠くようになれば人々は部族の法に頼るようになり、国家が分裂すると人々は部族に庇護を求めるものだと言う。
 昨今話題のISはサイクス・ピコ協定に怒りを抱き、それが、カリフ国を主張して武装闘争を続ける一つの動機になっていると言われる。アラブ地域における統治構造は、今も昔も変わらず、アラブの春によって長年続いた強権的な独裁体制が崩れ、国家が破綻したところに、強権的なISが部族の忠誠を集めていると考えると分かりやすい。
 地域が不安定という意味では、東アジアも同様である。中東では国境に正当性なく意味をなさないのに対し、東アジアの不安定要因はひとえに中華帝国に国境の観念がないことにある。学生時代の世界史の教科書や副読本を思い出せば分かるように、所謂中国4000年の歴史は、中原という場を巡る漢民族と満州民族や蒙古民族などとの興亡の歴史であり、中華帝国の領土は常に動いており、近代的な意味での国境線は意識されておらず、中原を中心に支配が及ぶ地域が中華帝国と認識されていたに過ぎないようだ。昨今、南シナ海において、岩礁だろうが埋め立てて我が物にして恬として恥じないのは、そもそも国境の観念なく(あるいは支配が及ぶ限りは自らの領域と考える中国的な縄張り意識)、リーマンショックで打撃を受けた欧米を尻目に、かつての小平の「養光韜晦」路線を捨てて大国意識に目覚めた中国独自の行動原理によるものと理解されよう。
 西欧のように革命で血を流しながらも国民を統合し国民国家を建設する歴史を経ていればこそ、民主化も国境で囲まれた物理的な領域としての国家の枠組みも強固なものたり得るのだが、そんな歴史を持たない中東や東アジアでは、国家という枠組みそのものが流動的で地域が不安定になるということなのだろう。地理的、歴史的、さらには文化的な要因というのは、それほど簡単に覆るものではないということのようだ。
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京都ぎらい

2016-04-05 21:12:29 | 日々の生活
 井上章一さんのシンパらしい知人から、読み捨てる前に、お前は確か京都に縁があったなと言われて頂いたので、読んでみた。今、ベストセラーの新書のようである。
 嵯峨の生まれで伏見に暮らす著者のことを、「京都」出身と呼んではいけないらしい。嵯峨も伏見もいずれも京都市内に属するのは事実なのだが、「洛外」(=郊外)であって「洛中」(=都)ではないから、ということらしいのである。傍から見れば目くそ鼻くその類いの感がしないでもないが、そこが「洛中」のひとたちのプライドらしい。そんな小さな中華思想を巡る心象風景を、著者独自の思索と文体でねちっこく綴って行く。シンパには、この独特の文体がたまらないのだろう。
 もとより私は京都ぎらいではない。学生時代の4年を過ごしただけの、言わばお客さんなので、窺い知れない世界だ。「洛中」だの「洛外」だのと言われても、洛中洛外図屏風くらいでしかその名を記憶しない。あるいは将軍「上洛」とも言う。この「洛」は中国の古都「洛陽」から採ったもので、この一字で以て京都を表すようだ。その中心地を、著者は本書の中で、室町幕府が置かれた室町通り界隈と言う。
 Wikipediaで「室町」「洛中」などを調べてみると、次のようになる。足利三代将軍義満が「花の御所」を造営したのが室町通今出川付近で、政治・文化の中心地として賑わった。応仁の乱の後、幕府は衰退し、京都は荒廃して上京と下京に分裂し、これらを結ぶ唯一の道が室町通であった。豊臣秀吉の「洛中とは」という下問に対し細川幽斎が「東は京極迄、西は朱雀迄、北は鴨口、南は九条までを九重の都と号せり。されば内裏は代々少しづつ替ると申せども、さだめおかるる洛中洛外の境は聊かも違うことなし」と答えたのを受けて、秀吉は「さあらば先ず洛中洛外を定むべし」と諸大名に命じ惣土堤(御土居)を築かせたという。打ち続く戦乱で境界が定かではなくなり、荒れ果てた京都を復興するため、まずその範囲を定めたものとされ、以後「御土居に囲まれた内側が洛中」という定義が一般化するのだが、当時においてなお「平安京の京域内が洛中」という認識が存在していたことになる。
 前置きが長くなった。先の戦争と言えば、京都の人にとっては応仁の乱を指すと、司馬遼太郎さんがどこかで書いていたのを思い出す。それは、京都が太平洋戦争の災禍を避け得たという事実以外に、500年以上の時間感覚を日常的にもつ、つまり歴史が連綿と続くことの矜持の表れでもあり、それが京都という土地柄でもあるのだろう。
 そう言えば、直接耳にした話で思い出すことがある。忘れもしない大学4年の10月1日、つまり内定日なので、東京に呼ばれたその帰り、京都に戻る新幹線で隣り合わせた上品そうなオバサンは、これから三笠宮の茶会に出席するのだと言って、学生の私を驚かせた。余りに素直に反応したものだから、問わず語りで、京都までの三時間、たっぷり話につき合わされるハメになった。自分は住友家から初めて関ヶ原を越えて東芝(三井家)に嫁いだのよ、とか、兄が京都帝大生でね、戦死したんだけど、祇園の芸子に子供を孕ませて大変だったわ、とか、三鷹台駅前の花屋さんでxxxx(その方の名字だが一応伏せておく)と言えば分かるから、今度遊びにいらっしゃい、云々。そんなやんごとなき人が何故グリーン車じゃなかったのか・・・といったところまで詮索する余裕はない。それにしても、(大法螺じゃないとして)住友家にとっては関ヶ原が西と東の「境界」だったと見える。
 そうした「境界」によって形作られる人々の意識、言わば縄張り意識は、地理的・歴史的なものにして、なかなかどうして変わるものではなさそうだ。一国内のこと、しかも日本であれば、同じ日本人のことであり、当人にとっては重大でも傍目には目くそ鼻くそと捨て置けるほど微笑ましいものだが、国境を跨いで、しかも民族が異なると、まさにそれが地政学で扱われるところのものの実体であり、微笑ましいなどと生易しいことは言っておられず、京都の人々の排外的な矜持を見る限り、その存在はなかなか厄介そうだ。
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トランプ現象

2016-04-03 14:10:04 | 時事放談
 アメリカ大統領選挙の共和党指名候補争いで、トランプ氏がしぶとく支持を集め、衰える気配がない。彼の発言は政治家としておよそ公共の電波に乗ることが憚られるような暴言の類いなのだが、必ずしも理不尽ではなく、一片の真理があるからこそ、一定の支持を得ているのだろう。むしろ、普段は底流に流れるアメリカ人の心理の一つが、あるきっかけで一時的に表出した現象で、そのきっかけを作ったのがトランプ氏なのだろうと思う。難民や移民や中絶する女性、さらに日本や中国に向かっても容赦がない。
 この言わばトランプ現象について、ある人は、「口先だけの『政治的正しさ(Politically correct)』の横行する『綺麗ごと政治』に人々がうんざりしたのだということ」だろうと指摘する。日本でも、収賄疑惑を追及するのはまだしも、与党・政治家のちょっとした失言を捉えて執拗に足を引っ張ろうとしたり、産休の適正使用を主張した政治家の私的問題である不倫の方に焦点が移ったりして、「収賄や不倫はどうでもいいから保育園増やせ」という呟きが、品がない言い方ではあっても(まさか注目されるとは思わないと油断したのだろう)、瞬く間に支持を獲得してしまった。また、ある人は、トランプ現象とは「米国独自のものではなく、欧州で渦巻いている醜く不健全な大衆迎合主義的ナショナリズムの『米国版』にすぎない」と指摘する。確かにトランプ氏も氏なら、ヒラリー氏もかつての主張と違うじゃないかと、大衆迎合合戦という質の低い選挙戦を展開するのを、私のようにちょっと白けた目で眺める人も多いのではないか。そうは言っても、再び最初の人は、「大衆の溜飲を下げる『暴言芸』と一国の元首としての資質は全く異なる」と断言する。確かに、アメリカ大統領という、民主制国家にありながら、今後4年間、(現時点では地球上最大の)権力を付与することになる人物を、時間をかけてじっくり選ぶ過程では、さまざまな思惑が交錯する場面があるのは仕方ない。最後は大統領としての品格を選ぶアメリカ人の理性を信じたい。
 しかし、トランプ氏の外交安保政策を拾っていくと、極端ではあるものの、オバマ大統領の路線を延長したところにあることに気が付く。例えば日本に対しては、こんな調子だ。「米国が攻撃されても日本はその防衛のために何もする必要がない。だが、日本が攻撃されれば米国は全力をあげてその防衛にあたる。これはきわめて一方的な取り決めだ」「米国は基本的に日本を保護している。北朝鮮が危険な行動に出るたびに、日本は米国になんとかしてくれと頼んでくる。だがもうそんな支援はできなくなる。米国は世界の警察官ではない。資金もない」
 かつてアーサー・シュレシンジャー氏は、アメリカ史の周期性に着目した。政治思想的に社会的目的と個人的利益の周期的サイクルが見られ、現実の政治の担い手として保守・革新の両勢力が交互に力を持つとするもので、二大政党制のアメリカの一種の自浄作用と見ることも出来る。対外的に見ると、外に向かって自由民主主義を流布し世界を平和と安定に導く国際主義と、アメリカの国益を重視する孤立主義との間を、振り子のように揺れ動くことになる。
 オバマ大統領が登場したときのアメリカは、軍事的に長引くテロとの戦争に疲弊し、経済的にもその戦争とリーマンショックによって疲弊して、2013年4月には歳出強制削減措置として10年間で5000億ドルの軍事費を削減することに署名せざるを得なくなった。それが「アメリカは世界の警察官ではない」という発言にも繋がって行く。世界中どこにでも出かけて行き、イラクで典型的に見られたように民主的な国家建設を推し進めるのではなく、地域毎に基軸となる同盟国の自助努力を促しながら、アメリカはオフショア・バランシングを行い、選択的に関与して行く方針へと転換を鮮明にしているのだ。その結果、世界各地に力の空白が生まれて状況が混沌とすることも、アメリカの国益を損なわない限りは、厭わない。ちょうどベトナム戦争で疲弊した後のアメリカのように、淡々と国益に集中し、国力を蓄え、いずれ再び覇権を目指す雌伏のとき、つまり孤立主義に回帰しているのである。
 アメリカは、度重なるお節介によって傷ついているのは確かだし、中国の台頭で、相対的に弱体化しているように見えるが、アメリカの絶対的な国力が必ずしも衰えているわけではない。トランプ現象は、暴言というちょっと極端な形で、アメリカの現在の(どちらかと言うとやや中・低層の)大衆の雰囲気を表出してくれているのである。そんなアメリカの空気の流れを、日本としても見逃すべきではないのだろう。
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