豊田有恒さんの「日本の原発技術が世界を変える」(祥伝社新書)を読みました。私にとっては昔懐かしい「SFマガジン」でお見かけした著名なSF作家で、その後、私は遠ざかっていましたが、その間、歴史小説や社会評論を手掛けておられたようです。
「あとがき」を読むと、原子力は、政争の具とされるばかりでなく、核アレルギーの対象となり、多くの誤解と偏見に晒されてきた、他方、日本は原子力技術の最先端に立っており、また被爆国であるからこそ、安全な原爆を世界に広める崇高な使命感と責務を抱くべきであり、そのためには誤解と偏見を取り除いた上で、政官民の協力で、世界最高水準にある日本の原子力を世界に広めていく努力をすべきである、と言われるあたりが本書をものした動機になっているようです。ご本人は、原発推進派ではなく批判派だと自称されていますが、上記趣旨が本書の全てに貫かれているために、これでは推進派としか見えないであろうことを慮ってか、誤解を避けるために、一年前から「日本原子力振興財団」の理事(非常勤)に就任した、またぞろ体制の走狗といった悪口が聞こえてきそうだが、実は無給である、まったくの名誉職でしかない、と自ら断っておられます。それが却って、やっぱり・・・との疑念を強くさせます。そして出版された時期が、よりによって福島原発事故の三ヶ月前なものですから、アマゾンのカスタマ・レビューを見ると、事故が起こってどんな申し開きをするかと、厳しい見方をする人が圧倒的に多く、気の毒なくらいです。しかし、一読すると、これまで30年もの間、日本のほとんど全ての原発や原発予定地を取材して回られた現場感覚の蓄積が本書の魅力であることが分かります。この点については、小出裕章さんが象牙の塔にお住まいで、主張されるポイントはロジカルで悪くないのに実証的ではないこと(つまり机上の空論)と比べて、対照的です。
たとえば、小出さんは、「原発は発電量の三分の一だけを電気に変えて、残りの三分の二は海に戻すことで原子炉の熱を捨て」ており、これは1秒間に換算すると「70トンの海水を引き込んで、その温度を7度上げ、海に戻していることになる」と述べ、日本の川の流量は年間で約4000億トン、他方、54基の原発から流れ出る7度温かい水は約1000億トンもあり、「環境に何の影響もない」と言う方が、むしろおかしいと思いませんかと、一見、理性に訴えているようでいて、結局、抽象的で具体性がなく、情緒に訴える言い方をされます。これに対して豊田さんは、日本の原発は島国という地理的な条件を生かして臨海原発であるため、用地買収よりも漁業補償の問題が大きいと言いながら、温排水が漁業に影響を与えたエピソードをいくつか紹介されています。もともとナマコがたくさん獲れる漁場だった美浜湾の美浜原発では、取・排水によって湾内に流れが生じたため、流れのない湾内を好んだナマコが獲れなくなってしまった話(なお、排水口のあたりの海水の温度が若干上がったため、チヌ(黒鯛)が群がり、漁民や釣り客が集まった)。島根原発では、温排水が通常の海水面の上に被膜のように広がり、これが一種のレンズの役目を果たして、海水の屈折率を変えてしまったために、伝統漁法であるカナギ漁法(箱メガネで海底を覗きながら、右手のヤスで魚介類を突いて獲る漁法)に影響を与えた話(そこで温排水をそのまま流さず、波消しブロックに当てて撹拌することによって、ほぼ解決した)。温排水を利用して、鯛や伊勢海老やアワビの養殖漁業で成功した話。等々。
また、原発建設にあたっては、原発側が札束で横面を張って、純朴な農民・漁民を堕落させ、コミュニティを崩壊させているかのようなイメージがあり、草の根の反対運動側も、しばしばそう主張したがりますが、立地点の中には、職業左翼とでもいうべき連中が反対運動のために住民票を移して住みつき、建設を中止させたり遅らせたりする目的で住民の対立を煽ったり、補償金の額を釣り上げようとする例も少なくなく、電力側の現地対策係が、漁業権に抵触する問題を話し合うため、、地元の漁師の家に足繁く通う姿を見ていると、本当の意味で草の根と呼べる運動を展開していたのはどちらの側か?と疑問を呈されています。
さらに、地元の住民は、原子力のことを、自分の問題として研究したり勉強したりして、思った以上によく知っているものだというエピソードも紹介されています。ある原発建設予定地で、賛成派と思われた地元の人に余計なことを喋って、こうたしなめられたそうです。「私は、現行の軽水炉に限って、仕方なく容認する立場です。高速増殖炉には絶対反対です」 この高速増殖炉について、小出さんは、既に破綻していると手厳しいのですが、豊田さん自身は、それに反論することに成功していません。
小出さんは、前掲書で日本の技術力について懐疑的で、日本の原子力技術は元がコピーなので、独力では海外に売り込みもかけられないと決めつけますが、豊田さんは、アメリカではスリーマイル島の原発事故があって以降、GEは原発建設から遠ざかって久しく、関連機器のサプライヤーとしての経験を失い、WHも原子力部門を英国原子燃料会社に売却して(その後東芝に買収)老舗ブランドを管理するだけの会社に堕し、その間、日本のメーカーはせっせと技術の改良に努め、アメリカこそ、海外の原発の受注にあたっては、日本のメーカーと組むほかない、今や日本の業界は世界最高の原発関連機器のサプライヤーだと主張されます。実際には、各国の原子力関連技術は軍事と結びついているため、性能を公表しておらず、日本の原子力技術(例えば遠心分離機の性能)が優れているのか劣っているのか分かりにくいといいますが、たとえば日本製鋼所のように、鉄を鍛造する技術により、世界シェア8割を握る大型原子炉の圧力容器メーカーを抱えているとか、日本は運転時間あたりのスクラム(非常運転停止)で世界一低い(二位のドイツは倍、三位アメリカは4倍、4位フランスは8倍)など、安全性・信頼性でも群を抜いていると主張されます(このあたりの評価は、しかし定義をきっちり揃えないと、難しい気はします)。
そんな豊田さんの泣き所は、理系出身者としてのセンスを生かして原子力の技術を易しく解説していますが、どうしてもジャーナリストとして、どちらかと言うと現場の電力会社や原発の技術者の声が強く、彼ら寄りの見方になっているのではないかと思われるところでしょう。確かにそれも貴重な現場の声には違いありませんが、例えば先ほど触れたような高速増殖炉を中心とする核燃料サイクル計画の成否について判然としません。小出さんのようなアカデミズムの原子力専門家によるマイナスの評価と比較して見てみたいものですし、あるいは豊田さんは原発反対派として著名な高木仁三郎さんと中学時代の同級生だったそうなので、交流のエピソードや考え方の違いを明示して欲しかった。
このように、やはり立場の議論の域を出ないわけですが、原子力の開発や産業の歴史と各国事情を振り返る概説書としては優れていると思います。例えば、戦後、核エネルギーの研究は、兵器の次に、原発に向かう前に、原子力潜水艦の動力源の研究に取り掛かったこと、1956年、米アーカンソー大学の日系科学者カズオ・ポール黒田博士が、地球物理学会の演壇で天然原子炉の存在を予言し、実際にガボン共和国ムウナナにあるオクロ鉱山でウラン235の含有量が少ない鉱石が発見されて、フランス政府が調査した結果、ネオジムなど核分裂による生成物が検出され、いわばウランの自然発火のような形で核分裂が起こり、何百万年もの間、いわば連続運転されていたことが確認されたこと、炉型が実用化されるまでには、先ず実験炉、原型炉、実証炉、実用炉というモデルをつくり、運転してみて、その間にデータを蓄積し、次第に大型化していき、初めてゴー・サインが出るというように、原発の実用化には慎重に各段階のステップを踏む必要があること、そして原発反対派が考えた傑作コピー「原発はトイレのないマンション」(使用済み核燃料の再処理工場が稼働しない意)のことなど、興味深く拝見しました。
「あとがき」を読むと、原子力は、政争の具とされるばかりでなく、核アレルギーの対象となり、多くの誤解と偏見に晒されてきた、他方、日本は原子力技術の最先端に立っており、また被爆国であるからこそ、安全な原爆を世界に広める崇高な使命感と責務を抱くべきであり、そのためには誤解と偏見を取り除いた上で、政官民の協力で、世界最高水準にある日本の原子力を世界に広めていく努力をすべきである、と言われるあたりが本書をものした動機になっているようです。ご本人は、原発推進派ではなく批判派だと自称されていますが、上記趣旨が本書の全てに貫かれているために、これでは推進派としか見えないであろうことを慮ってか、誤解を避けるために、一年前から「日本原子力振興財団」の理事(非常勤)に就任した、またぞろ体制の走狗といった悪口が聞こえてきそうだが、実は無給である、まったくの名誉職でしかない、と自ら断っておられます。それが却って、やっぱり・・・との疑念を強くさせます。そして出版された時期が、よりによって福島原発事故の三ヶ月前なものですから、アマゾンのカスタマ・レビューを見ると、事故が起こってどんな申し開きをするかと、厳しい見方をする人が圧倒的に多く、気の毒なくらいです。しかし、一読すると、これまで30年もの間、日本のほとんど全ての原発や原発予定地を取材して回られた現場感覚の蓄積が本書の魅力であることが分かります。この点については、小出裕章さんが象牙の塔にお住まいで、主張されるポイントはロジカルで悪くないのに実証的ではないこと(つまり机上の空論)と比べて、対照的です。
たとえば、小出さんは、「原発は発電量の三分の一だけを電気に変えて、残りの三分の二は海に戻すことで原子炉の熱を捨て」ており、これは1秒間に換算すると「70トンの海水を引き込んで、その温度を7度上げ、海に戻していることになる」と述べ、日本の川の流量は年間で約4000億トン、他方、54基の原発から流れ出る7度温かい水は約1000億トンもあり、「環境に何の影響もない」と言う方が、むしろおかしいと思いませんかと、一見、理性に訴えているようでいて、結局、抽象的で具体性がなく、情緒に訴える言い方をされます。これに対して豊田さんは、日本の原発は島国という地理的な条件を生かして臨海原発であるため、用地買収よりも漁業補償の問題が大きいと言いながら、温排水が漁業に影響を与えたエピソードをいくつか紹介されています。もともとナマコがたくさん獲れる漁場だった美浜湾の美浜原発では、取・排水によって湾内に流れが生じたため、流れのない湾内を好んだナマコが獲れなくなってしまった話(なお、排水口のあたりの海水の温度が若干上がったため、チヌ(黒鯛)が群がり、漁民や釣り客が集まった)。島根原発では、温排水が通常の海水面の上に被膜のように広がり、これが一種のレンズの役目を果たして、海水の屈折率を変えてしまったために、伝統漁法であるカナギ漁法(箱メガネで海底を覗きながら、右手のヤスで魚介類を突いて獲る漁法)に影響を与えた話(そこで温排水をそのまま流さず、波消しブロックに当てて撹拌することによって、ほぼ解決した)。温排水を利用して、鯛や伊勢海老やアワビの養殖漁業で成功した話。等々。
また、原発建設にあたっては、原発側が札束で横面を張って、純朴な農民・漁民を堕落させ、コミュニティを崩壊させているかのようなイメージがあり、草の根の反対運動側も、しばしばそう主張したがりますが、立地点の中には、職業左翼とでもいうべき連中が反対運動のために住民票を移して住みつき、建設を中止させたり遅らせたりする目的で住民の対立を煽ったり、補償金の額を釣り上げようとする例も少なくなく、電力側の現地対策係が、漁業権に抵触する問題を話し合うため、、地元の漁師の家に足繁く通う姿を見ていると、本当の意味で草の根と呼べる運動を展開していたのはどちらの側か?と疑問を呈されています。
さらに、地元の住民は、原子力のことを、自分の問題として研究したり勉強したりして、思った以上によく知っているものだというエピソードも紹介されています。ある原発建設予定地で、賛成派と思われた地元の人に余計なことを喋って、こうたしなめられたそうです。「私は、現行の軽水炉に限って、仕方なく容認する立場です。高速増殖炉には絶対反対です」 この高速増殖炉について、小出さんは、既に破綻していると手厳しいのですが、豊田さん自身は、それに反論することに成功していません。
小出さんは、前掲書で日本の技術力について懐疑的で、日本の原子力技術は元がコピーなので、独力では海外に売り込みもかけられないと決めつけますが、豊田さんは、アメリカではスリーマイル島の原発事故があって以降、GEは原発建設から遠ざかって久しく、関連機器のサプライヤーとしての経験を失い、WHも原子力部門を英国原子燃料会社に売却して(その後東芝に買収)老舗ブランドを管理するだけの会社に堕し、その間、日本のメーカーはせっせと技術の改良に努め、アメリカこそ、海外の原発の受注にあたっては、日本のメーカーと組むほかない、今や日本の業界は世界最高の原発関連機器のサプライヤーだと主張されます。実際には、各国の原子力関連技術は軍事と結びついているため、性能を公表しておらず、日本の原子力技術(例えば遠心分離機の性能)が優れているのか劣っているのか分かりにくいといいますが、たとえば日本製鋼所のように、鉄を鍛造する技術により、世界シェア8割を握る大型原子炉の圧力容器メーカーを抱えているとか、日本は運転時間あたりのスクラム(非常運転停止)で世界一低い(二位のドイツは倍、三位アメリカは4倍、4位フランスは8倍)など、安全性・信頼性でも群を抜いていると主張されます(このあたりの評価は、しかし定義をきっちり揃えないと、難しい気はします)。
そんな豊田さんの泣き所は、理系出身者としてのセンスを生かして原子力の技術を易しく解説していますが、どうしてもジャーナリストとして、どちらかと言うと現場の電力会社や原発の技術者の声が強く、彼ら寄りの見方になっているのではないかと思われるところでしょう。確かにそれも貴重な現場の声には違いありませんが、例えば先ほど触れたような高速増殖炉を中心とする核燃料サイクル計画の成否について判然としません。小出さんのようなアカデミズムの原子力専門家によるマイナスの評価と比較して見てみたいものですし、あるいは豊田さんは原発反対派として著名な高木仁三郎さんと中学時代の同級生だったそうなので、交流のエピソードや考え方の違いを明示して欲しかった。
このように、やはり立場の議論の域を出ないわけですが、原子力の開発や産業の歴史と各国事情を振り返る概説書としては優れていると思います。例えば、戦後、核エネルギーの研究は、兵器の次に、原発に向かう前に、原子力潜水艦の動力源の研究に取り掛かったこと、1956年、米アーカンソー大学の日系科学者カズオ・ポール黒田博士が、地球物理学会の演壇で天然原子炉の存在を予言し、実際にガボン共和国ムウナナにあるオクロ鉱山でウラン235の含有量が少ない鉱石が発見されて、フランス政府が調査した結果、ネオジムなど核分裂による生成物が検出され、いわばウランの自然発火のような形で核分裂が起こり、何百万年もの間、いわば連続運転されていたことが確認されたこと、炉型が実用化されるまでには、先ず実験炉、原型炉、実証炉、実用炉というモデルをつくり、運転してみて、その間にデータを蓄積し、次第に大型化していき、初めてゴー・サインが出るというように、原発の実用化には慎重に各段階のステップを踏む必要があること、そして原発反対派が考えた傑作コピー「原発はトイレのないマンション」(使用済み核燃料の再処理工場が稼働しない意)のことなど、興味深く拝見しました。