風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

原発と放射線を巡る問題(8)

2011-08-31 00:08:47 | 時事放談
 豊田有恒さんの「日本の原発技術が世界を変える」(祥伝社新書)を読みました。私にとっては昔懐かしい「SFマガジン」でお見かけした著名なSF作家で、その後、私は遠ざかっていましたが、その間、歴史小説や社会評論を手掛けておられたようです。
 「あとがき」を読むと、原子力は、政争の具とされるばかりでなく、核アレルギーの対象となり、多くの誤解と偏見に晒されてきた、他方、日本は原子力技術の最先端に立っており、また被爆国であるからこそ、安全な原爆を世界に広める崇高な使命感と責務を抱くべきであり、そのためには誤解と偏見を取り除いた上で、政官民の協力で、世界最高水準にある日本の原子力を世界に広めていく努力をすべきである、と言われるあたりが本書をものした動機になっているようです。ご本人は、原発推進派ではなく批判派だと自称されていますが、上記趣旨が本書の全てに貫かれているために、これでは推進派としか見えないであろうことを慮ってか、誤解を避けるために、一年前から「日本原子力振興財団」の理事(非常勤)に就任した、またぞろ体制の走狗といった悪口が聞こえてきそうだが、実は無給である、まったくの名誉職でしかない、と自ら断っておられます。それが却って、やっぱり・・・との疑念を強くさせます。そして出版された時期が、よりによって福島原発事故の三ヶ月前なものですから、アマゾンのカスタマ・レビューを見ると、事故が起こってどんな申し開きをするかと、厳しい見方をする人が圧倒的に多く、気の毒なくらいです。しかし、一読すると、これまで30年もの間、日本のほとんど全ての原発や原発予定地を取材して回られた現場感覚の蓄積が本書の魅力であることが分かります。この点については、小出裕章さんが象牙の塔にお住まいで、主張されるポイントはロジカルで悪くないのに実証的ではないこと(つまり机上の空論)と比べて、対照的です。
 たとえば、小出さんは、「原発は発電量の三分の一だけを電気に変えて、残りの三分の二は海に戻すことで原子炉の熱を捨て」ており、これは1秒間に換算すると「70トンの海水を引き込んで、その温度を7度上げ、海に戻していることになる」と述べ、日本の川の流量は年間で約4000億トン、他方、54基の原発から流れ出る7度温かい水は約1000億トンもあり、「環境に何の影響もない」と言う方が、むしろおかしいと思いませんかと、一見、理性に訴えているようでいて、結局、抽象的で具体性がなく、情緒に訴える言い方をされます。これに対して豊田さんは、日本の原発は島国という地理的な条件を生かして臨海原発であるため、用地買収よりも漁業補償の問題が大きいと言いながら、温排水が漁業に影響を与えたエピソードをいくつか紹介されています。もともとナマコがたくさん獲れる漁場だった美浜湾の美浜原発では、取・排水によって湾内に流れが生じたため、流れのない湾内を好んだナマコが獲れなくなってしまった話(なお、排水口のあたりの海水の温度が若干上がったため、チヌ(黒鯛)が群がり、漁民や釣り客が集まった)。島根原発では、温排水が通常の海水面の上に被膜のように広がり、これが一種のレンズの役目を果たして、海水の屈折率を変えてしまったために、伝統漁法であるカナギ漁法(箱メガネで海底を覗きながら、右手のヤスで魚介類を突いて獲る漁法)に影響を与えた話(そこで温排水をそのまま流さず、波消しブロックに当てて撹拌することによって、ほぼ解決した)。温排水を利用して、鯛や伊勢海老やアワビの養殖漁業で成功した話。等々。
 また、原発建設にあたっては、原発側が札束で横面を張って、純朴な農民・漁民を堕落させ、コミュニティを崩壊させているかのようなイメージがあり、草の根の反対運動側も、しばしばそう主張したがりますが、立地点の中には、職業左翼とでもいうべき連中が反対運動のために住民票を移して住みつき、建設を中止させたり遅らせたりする目的で住民の対立を煽ったり、補償金の額を釣り上げようとする例も少なくなく、電力側の現地対策係が、漁業権に抵触する問題を話し合うため、、地元の漁師の家に足繁く通う姿を見ていると、本当の意味で草の根と呼べる運動を展開していたのはどちらの側か?と疑問を呈されています。
 さらに、地元の住民は、原子力のことを、自分の問題として研究したり勉強したりして、思った以上によく知っているものだというエピソードも紹介されています。ある原発建設予定地で、賛成派と思われた地元の人に余計なことを喋って、こうたしなめられたそうです。「私は、現行の軽水炉に限って、仕方なく容認する立場です。高速増殖炉には絶対反対です」 この高速増殖炉について、小出さんは、既に破綻していると手厳しいのですが、豊田さん自身は、それに反論することに成功していません。
 小出さんは、前掲書で日本の技術力について懐疑的で、日本の原子力技術は元がコピーなので、独力では海外に売り込みもかけられないと決めつけますが、豊田さんは、アメリカではスリーマイル島の原発事故があって以降、GEは原発建設から遠ざかって久しく、関連機器のサプライヤーとしての経験を失い、WHも原子力部門を英国原子燃料会社に売却して(その後東芝に買収)老舗ブランドを管理するだけの会社に堕し、その間、日本のメーカーはせっせと技術の改良に努め、アメリカこそ、海外の原発の受注にあたっては、日本のメーカーと組むほかない、今や日本の業界は世界最高の原発関連機器のサプライヤーだと主張されます。実際には、各国の原子力関連技術は軍事と結びついているため、性能を公表しておらず、日本の原子力技術(例えば遠心分離機の性能)が優れているのか劣っているのか分かりにくいといいますが、たとえば日本製鋼所のように、鉄を鍛造する技術により、世界シェア8割を握る大型原子炉の圧力容器メーカーを抱えているとか、日本は運転時間あたりのスクラム(非常運転停止)で世界一低い(二位のドイツは倍、三位アメリカは4倍、4位フランスは8倍)など、安全性・信頼性でも群を抜いていると主張されます(このあたりの評価は、しかし定義をきっちり揃えないと、難しい気はします)。
 そんな豊田さんの泣き所は、理系出身者としてのセンスを生かして原子力の技術を易しく解説していますが、どうしてもジャーナリストとして、どちらかと言うと現場の電力会社や原発の技術者の声が強く、彼ら寄りの見方になっているのではないかと思われるところでしょう。確かにそれも貴重な現場の声には違いありませんが、例えば先ほど触れたような高速増殖炉を中心とする核燃料サイクル計画の成否について判然としません。小出さんのようなアカデミズムの原子力専門家によるマイナスの評価と比較して見てみたいものですし、あるいは豊田さんは原発反対派として著名な高木仁三郎さんと中学時代の同級生だったそうなので、交流のエピソードや考え方の違いを明示して欲しかった。
 このように、やはり立場の議論の域を出ないわけですが、原子力の開発や産業の歴史と各国事情を振り返る概説書としては優れていると思います。例えば、戦後、核エネルギーの研究は、兵器の次に、原発に向かう前に、原子力潜水艦の動力源の研究に取り掛かったこと、1956年、米アーカンソー大学の日系科学者カズオ・ポール黒田博士が、地球物理学会の演壇で天然原子炉の存在を予言し、実際にガボン共和国ムウナナにあるオクロ鉱山でウラン235の含有量が少ない鉱石が発見されて、フランス政府が調査した結果、ネオジムなど核分裂による生成物が検出され、いわばウランの自然発火のような形で核分裂が起こり、何百万年もの間、いわば連続運転されていたことが確認されたこと、炉型が実用化されるまでには、先ず実験炉、原型炉、実証炉、実用炉というモデルをつくり、運転してみて、その間にデータを蓄積し、次第に大型化していき、初めてゴー・サインが出るというように、原発の実用化には慎重に各段階のステップを踏む必要があること、そして原発反対派が考えた傑作コピー「原発はトイレのないマンション」(使用済み核燃料の再処理工場が稼働しない意)のことなど、興味深く拝見しました。
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原発と放射線を巡る問題(7)

2011-08-28 01:41:20 | 時事放談
 昨日の日経新聞朝刊の、「日本は原発生かす責任」と題するインタビュー記事で、IEA事務局長の田中伸男氏が、エネルギー安全保障に触れ、「日本海を地中海に見立て、ロシアや韓国と送電線を結ぶ環日本海グリッドというのはあり得る。ロシアはガスではなく電力の形で売ってもいいと言っているようだ。国内の電力市場改革も不可欠だ。日本は東西で断絶していて、各社の間も接続が弱い。国内が繋がっていないのに国際送電線を繋げるわけがない。競わないから国際化する力も高まらない。これから考えるべきなのは国際的な広域連係線のマーケットだ」と語っておられます。続けて、「日本の首相が脱原発を選ぶとは思わなかった。日本が撤退すればライバル国は大喜びだ。他国が日本に協力を申し出るのは福島原発の情報が貴重だからだ。日本は未曾有の大事故を自分の力で克服し、安全な原発のための解を拾い上げる義務を負っている」と結んでいます。
 原発に関する議論(特に反対派)を見ていると、国際政治・経済の現実の視点が私たちには弱いことが分かります(田中氏の上の引用の前半も、果たして東アジアの国際政治の現実に合ったものかと言うと些か疑問ですが)。どうしても日本は内向きの志向、国内に閉じた思考になりがちです。
 日本は、戦後、暫くの間、航空機や原子力の製造はおろか研究も許されていませんでした。最近でこそ、全日空が世界で初めて大量導入を決めた次世代中型旅客機ボーイング787型機は、部品の35%以上が日本製で“準”国産機とまで言われますが、日本の技術力からすれば随分遅れて登場したことは否めません。国連憲章に残る敵国条項は、一般には事実上死文化されたものとみなされていますが、法的には日本やドイツをはじめとする第二次世界大戦中に連合国の敵国であった国(枢軸国)に適用されるものとして今なお国連憲章に姿をとどめているように(Wikipedia)、日本はとりわけ原子力の世界において不利な扱いを受けてきたことを、西尾幹二さんがWiLL8月号で解説されています。
 伝統的にアメリカは日本に「核の傘」の保障を与えることで、日本の核武装を阻んできたというのが国際政治の現実です。NPT(核不拡散条約)の7割方の目的は、経済大国になり出した日本と西ドイツ核武装の途を閉ざすことにあったと、村田良平・元外務事務次官は回想録で述べているそうですし、実際に日本政府がNPTの署名を渋り、批准を遅らせていた当時、米、英、ソ連だけでなく、カナダや豪からも、NPTにおとなしく入らなければウラン燃料を供給しないと脅しをかけられていたといいます。NPT以外にも、日本は、米、英、仏、カナダ、豪、中国の六ヶ国との間に二国間原子力協定を結んでいますが、横暴なまでの締め付けや各種の縛りがあるそうです。例えば、日本の場合、核燃料は全て外国産で、天然ウランはカナダや豪からも購入することが多く、カナダや豪は、このため、自国産天然ウランについて対日規制権(濃縮、再処理、第三国移転等について事前同意権)を先々までもつことになるそうです。次に、日本で運転中の原子炉は全て軽水炉なので、天然ウランを購入した日本の電力会社は、米・仏等へ運んで高いカネを支払って(3%の微)濃縮してもらう結果、米・仏等も濃縮国として新たに対日規制権を持つことになるそうです。更に、その濃縮ウランを日本の原子炉で燃やして発電した後、使用済み核燃料を英・仏に持って行って再処理してもらうと、そこで出来たプルトニウム燃料について、今度は英・仏の対日規制が加わるといった塩梅です。将来、対日規制権をもつ複数の国の間で利害の衝突が起こった場合、もし一ヶ国でも反対すれば、日本の核燃料サイクルは重大な支障を来さないとも限らないわけです。
 こうして、西尾氏は、日本が原爆を造るかも知れないという単なる言いがかりで、原料のウランと燃料のプルトニウムの処理に対して、国際無法社会が巨額のカネを絞り取るアコギなシステム出来上がっていたと言い、こうして見ると、敦賀の高速増殖炉“もんじゅ”は日本独自の技術であり、日本の原発が、諸外国の圧力から逃れて独立自存する目標のシンボルだった(しかし失敗と分かったら潔く撤退するにしくはない)とも言い、逆に言えば、原子力発電の夢の妄執を捨てることさえ出来るならば、外国から干渉されたり侵害されたりする理由もないということになると結論づけています。つまり原発は日本を抑え込む便利な手段の一つであり、IAEAの代表者が日本人であることは、黒人の中から黒人の働く農場の監督が選ばれるのと同じようなことであるとまで揶揄し、5千発の原爆を造ることが出来るプルトニウムを貯め込むことで自ら自由を失い、本来の防衛力を阻害することは合理的かと疑問を投げかけます。
 福島原発事故を契機に反原発に転向されたと言われる西尾氏の全てを支持するものではありませんが、原爆開発から生まれた核の平和利用が国際政治と無縁ではあり得ないこと、中でも第二次世界大戦の敵国が原発にも影を落としている現実があるという意味で、重要な指摘を含んでいると思い、長くなりましたが紹介しました。西尾氏自身は、原発など放棄して、70発くらいのレベルの高い核弾頭を原潜に乗せて太平洋を遊弋させることが抑止力たり得ると主張されています。確かに中国やロシアといった核大国に囲まれ、無法者国家・北朝鮮の核武装による脅威に晒されるという、地政学的に世界でも稀にみる難しい東アジアという地にありながら、核に関して無防備であることは国際常識では考えられません。これまで非核三原則を唱えつつ、MAD(相互確証破壊)という戦略を考えれば、米国の艦船が日本に寄港するためにわざわざ核を積み下ろすことなど考えられないわけで、その含みが抑止力たり得たと思いますが、民主党政権はその含みを放棄しようとしているように見えるのはナンセンスです。いつでも核武装できるのに、飽くまで核の平和利用を国際社会に訴えることで得られる世界で唯一の被爆国・日本という国家の品格と、抑止的効果がある現実を、過小評価するべきではないと思います。
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紳助引退騒動

2011-08-25 04:19:16 | 日々の生活
 寝耳に水とはこういうことを言うのでしょう。昨晩10時から島田紳助(と愛着をもって呼び捨てにします、いわば芸能界の商品として)が吉本の社長と一緒に記者会見を開くというので何事かと思ったら、既にご存じの通り暴力団関係者との親密な関係を理由に芸能活動引退を表明しました。
 特に贔屓というほどではありませんでしたが、同じ関西人として、頭の回転の良さやノリの良さは快適でしたし、毒のある発言もギリギリのところで笑いに昇華し、プロフェッショナルとしての安心感がありました。番組としても「開運!なんでも鑑定団」が好きな上、司会の紳助は抑制気味に、しかし言いたいことは確実に言い放って、ピりりと引き締まった構成は、石坂さんと女性(名前を失念)との何とも言えない絶妙のコンビネーションと相俟って、独特の雰囲気を醸し出して、とても良かった。もっとも最近の「行列のできる法律相談所」などでは下品な楽屋落ちのネタが目立つため、子供と一緒に見なくなって久しく、、ちょっと行き詰っているのかとも思っていました。
 それにしても唐突感は否めません。よしもとクリエイティブ・エージェンシーが発表したコメントによると・・・「島田紳助について、平成17年6月頃から平成19年6月頃までの間、暴力団関係者との間に一定の親密さをうかがわせる携帯メールのやり取りを行っていたことが判明しました。このような行為は、社会的影響力の高いテレビなどのメディアに出演しているタレントとしては、その理由を問わず、許されないものであります。今回判明した行為自体は法律に触れるものではなく、また、経済的な利害関係が認められるものでもありません。しかしながら、島田紳助が、多数のテレビ番組にメーン司会者として出演していることなどに鑑みれば、弊社としては厳しい態度で臨むべきであると判断するに至りました。」・・・などと、全くソツのない文章です。同社のグループ行動憲章には「反社会的勢力からの接近に対しては、断固として対決し、一切の関係を持たないことを誓います」と明記するなど、来年の操業100周年を前に暴力団関係者らとの接触に神経質になっていたと言われますが、刑事事件があったわけではなく、ただの親密な関係だけで、TVのレギューラ週6本、しかも殆ど司会者という、超売れっ子の首を切るのは、尋常ではなく、厳し過ぎる処置と言わざるを得ません。それだけに、明らかにされている事実関係以外に何かあったのかと疑わせます。
 これがコンプライアンス重視の時代の流れだと言ってしまえばそれまでです。
 かつて田岡一男・山口組三代目組長の自伝を読んだ時、敗戦後、暴れる在日韓国人などから神戸の治安を守ったのは警察ではなく自分たちだったと自負していたのが印象に残っていますが、それ以外に美空ひばりや小林旭などの芸能人の興業も取り仕切り、組長の葬儀には世話になった芸能人が数名参列していたのが記憶に新しい。職業に貴賤はないと思っていて、それとは別の次元で、「芸のためなら女房も泣かす」(浪花恋しぐれ)などと歌われるように、私には、今なお芸能界は別の倫理観が支配して、特別扱いするようなところがあります。市川海老蔵事件の時に書いたように、社会が潔癖すぎて、正義感ぶって表面を取り繕ってよしとする現代の日本の風潮には、大衆化という一言では片付けられないような、ある種の脆さや危うさを日本の文化に対して感じてしまいますし、相撲界(私の中では伝統芸能に分類される)の八百長問題の時に書いたように、本来、芸を磨いて継承していく立場の人たちが、とりわけ十両力士を中心に星の貸し借りを行ったのは、幕下に転落して無給になるのを避けるためだったというように、サラリーマン化してしまうと、あるいはそのありようが強調されると、肝心のことが見失われてしまわないかとやや心配です。今回も、もとより反社会的勢力との関係を支持するものではありませんし、芸能界も企業社会化しつつあって、倫理を強化するのは勿論ですが、遍くサラリーマン化していく現状には、透明性ばかりが増して文化のもつ毒性が薄れはしないかと、やや別の(余計な)不安をつい覚えてしまいます。
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心臓手術

2011-08-23 00:40:59 | 日々の生活
 もう大丈夫だろうと思うので、ブログに書きます。今年の夏は、一ヶ月前に父親の心臓手術があって、遠出が出来ず、暑いさなかに鬱々としていましたが、印象に残る夏になりました。
 時々、息が切れるとぼやくのを聞くとはなしに聞いていたのですが、検査の結果、大動弁狭窄兼閉鎖不全症と診断されました。なんだか小難しい漢字の羅列ですが、要は大動脈弁が極端に狭くなり、うまく閉鎖しなくて血液の逆流も起こり、十分な血液を脳や全身に送れないため、心拡大をきたす一方、不整脈が出現していること、同時に、このままでは心筋障害や全身の臓器障害も起こりかねないので、人工弁に交換した方が良いというものでした。その時の手術危険率(死亡率)3~5%、合併症発生率5~10%と言われると、82歳の高齢で耐えられるのかと、ちょっとびびってしまいましたが、心臓のモデルとレントゲン写真を示しながら丁寧に説明して頂き、最後に、半年以内に不整脈で突然死する確率が50%とまで言われると、多少は大袈裟かも知れませんが、放っておくわけには行きません。
 人工弁には二種類あって、一つはメタルのもので、人間の寿命を遥かに超える耐性がありますが、蝶番のようなところに血液が固まるのを防ぐために、血液をさらさらにする薬を一生飲み続けなければならないし、納豆のような食品は二度と食べてはいけないと言われました。もう一つは化学物質のもので、耐性は最低10年しか保証してくれませんが、食餌制限はありません。どちらを選ぶかと問われると困ってしまいますが、高齢でもあり、また食餌制限や投薬の生活は不自由だろうと、本人とも相談の上、化学物質のものを選びました。
 手術がまた凄くて、人工弁を取り付けるためには、血液の流れを止めなければなりません。そのため、心臓の拍動を2~3時間止めて、人工心肺を取り付け、心臓(ポンプ)と肺(浄水器)に代えてきれいな血液を全身に送り続け、脳や各種臓器の働きを維持しながら、2cm四方くらいの大動脈弁を綺麗に切り取り(骨のようなものが付いているので、この粒が少しでも残って血液とともに流れると、脳などの毛細血管で血栓になる可能性がある)、人工弁をとりつけ、心臓の拍動を戻し、人工心肺を取り外す、というものです。人間の生身の身体は複雑系だと思っていましたが、その機能の一つ一つを切り離し、それぞれの特性を把握した上で、一時的に人工のものに置き換えたり、修復の手術を施しながら、術後に、また元に戻す。手術はまさに「技術」そのものだと思いました。人間の心臓の拍動を止めていられるのはせいぜい5時間と言いますから、もたもたしていられません。結局、4時間半くらいかかって、気を揉みましたが、なんとか手術は成功しました。
 術後、切り取った大動脈弁を見せてくれ、ピンセットで触らせてくれました。自らの手ではなく間接的でしたが、アメリカで上の子の出産に立ち会って、ゴムチューブのようなへその緒を切らされた時以来の、人間の生身の身体の部品に触れた瞬間です。薄い水色の柔らかい弁が生々しく、しかしそこには石灰藻(サンゴ藻)のような石状のものがこびりつき、弁としての機能不全を起こしているようでした。昨日今日の話ではないのでしょう。恐らく何十年もの間に、体内のコレステロール?が徐々に固まってこびりつき、ここ数年で、本来の心臓の働きを阻害するまでに閾値を越えてしまったのでしょう。あらためて、長い人生、年を取るのはこういうことかと実感し、健康的生活の日々の積み重ねが重要であることを思い知らされました。
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夏の甲子園

2011-08-22 02:48:24 | スポーツ・芸能好き
 野球少年の私にとって、甲子園は憧れでした。小学5年生の時、クラスの(と言うことは近所の)友達と野球チームを作り、監督は置かないでコーチを互選する民主的(!)な運営で、毎週日曜日の朝、学校に集まっては憑かれたように練習をしていました。別に目指したものがあったわけではありません。その証拠に、後に地元の公立中学に進んで野球部に入部した者は誰一人いませんでした。強いて言えば、「太陽にほえろ」ごっこをしてそれぞれの役になりきったように、野球ごっこをしてなりきっていたのだと思います。ピッチャーのカネやん(カネモト)は左腕で長身からキレのある球を投げ、受けるキャッチャー・シゲ(シゲハラ)は体格がよく、バットを振れば三振かホームランで田淵になりきり、ファーストのサイセン(サイトウ)は身体は小さいけれども左投げ・左打ちで王よろしく野球センスはピカ一、セカンドのウラシマは一歳下のくせに野球がうまくて憎たらしいのですが、金持ちのぼんぼんでバットやキャッチャーミットやマスクまで持っていたので重宝し、ショートはええカッコしいのフクイで、サードの私と、お互いに長嶋を気取って譲らず、誰も言ってくれないので「鉄壁の三遊間」を宣伝したものでした。レギュラー・メンバーはこの6人で、ユニフォームを買い揃えたのはいいのですが、巨人ファンと阪神ファンが相半ばして、それぞれ好きなチームの帽子をかぶり、リトルリーグのチームに挑戦状を叩きつけた時には、近所の年下のガキどもを借り出して何も分からないまま外野に立たせるといういい加減さでしたが、それでも圧倒的強さで勝利し歓喜しました。噂を聞きつけて対抗心を燃やした近所のガキ大将(ヌマザワと言うがヌマ公と呼ばれていた)が、即席チームを作ると、通りすがりのおじさんに審判を頼んで、世紀の一戦を行い、ヌマ公とカネやんの息詰まる投手戦の末、サイセンのサヨナラ・ヒットで劇的な勝利を収め、無敵神話は絶えることがありませんでした。中学に入ってからは野球をすることがなくなりましたが、春・夏の甲子園は欠かさず見ていたものでした。プロ野球は遠い夢(ファンタジー)の世界であり、甲子園は身近な夢(目標)、といったところでしょうか。
 そのせいかどうか、自分が高校球児と同年代になる頃には、高校野球を見なくなりました。決して野球が嫌いになったわけではないのですが、高校野球には、子供の頃からの野球好きには独特の思い入れがあるものです。それだけに、今年の夏、昨日の決勝戦を見ただけでしたが、青森勢として42年振りに決勝に進出した光星学院のスタメンに地元・青森出身者がいなかったという報道には、やや複雑な思いがあります。実際に、光星学院のスタメンは、大阪出身6名、沖縄出身2名、和歌山出身1名、対戦した高校から「関西弁が飛び交い、大阪のチームと試合しているみたい」と言われたそうです。エースの秋田は、中学時代は大阪・河南シニアで関西大会優勝、全国大会でもベスト16に導き、PL学園、大阪桐蔭、智弁和歌山から推薦入学の声がかかった逸材だそうです。他方、ベンチメンバー18人に大阪出身が10名を占めた中、地元・青森出身者が辛うじて3名いて、決勝戦9回表二死で代打で登場した控え捕手の荒屋敷は、八戸市立是川中学出身、高めの直球を思い切りよく大振りして、意地を見せました。
 この歳になればなおのこと、高校野球、とりわけ夏の甲子園では地区予選から勝ち上がり、それぞれの地元球児が甲子園の舞台で覇を競うご当地対決の綺麗ゴトであって欲しい、歓喜の勝利にせよ涙の敗北にせよインタビューではそれぞれに訛りある声を聴きたいと、つい思ってしまいます。それもあってか、主催の朝日新聞は、光星学院について、「選手は『僕らは青森代表』と胸を張る。冬は氷点下で、グラウンドの雪かきをして練習を積んできた。震災直後の選抜大会以降は、街で『頑張ったね』と声をかけられた。沖縄出身の天久は『青森の人のためにも野球をしてるんだ。また夏、甲子園に行かなきゃ』と感じた。」と、なんとか綺麗ゴトを取り繕う報道をしています。
 所謂「野球留学」が取り沙汰されるようになって恐らく30年以上になります。流出選手の約半数は大阪出身、受け入れが最も多いのは高知と報じられたことがありました。大阪をはじめとする激戦区から、少しでも確実に甲子園を狙える地方の有力校に「留学」する球児の思いは分からなくはありません。大阪・東京・神奈川などの大都市圏の名門校で二軍や三軍の不遇をかこつより、競争が相対的に少ない地方の有力校で活躍し、名前を売って甲子園さらにプロの道を目指したい思いも分からなくはありません。最近は、地方の有力校の施設が整備されていることが球児を惹きつける例もあると聞きます。それを擁護し、そんな高校球児の思いに付け込む大人たちの問題であると批判する声があるのはよく分かりますし、選挙における一票の格差に似た問題があるのは事実です。しかし、高校野球は飽くまで高校野球であってプロではないのだから、綺麗ゴトと言われようが、野球少年だったオジサンとしては、やはりご当地性にこだわりたい気がしてしまいます。
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原発と放射線を巡る問題(6)

2011-08-20 00:14:07 | 時事放談
 このタイトルのシリーズ企画で、福島原発問題を機に俄かに脚光を浴びておられる小出裕章さんに触れないわけには行かないでしょう。「原発のウソ」(扶桑社新書)を読んだ所感を述べたいと思います。
 実は、本書を読むまでは、私も密かにこの方に注目していました。誠実で孤高の学者然とされた風貌が安心感を与えますし、そのロジックは至るところで援用されているからです。しかしあらためて本書を読むと、そのロジックの荒っぽさや煽情性が目につきます。
 例えば、ご本人を含め、「多くの研究者は3月12日の水素爆発の時点でレベル6(大事故)は間違いないと確信しており、その後数日でレベル7に達したこともとっくに分かっていました」と豪語し、政府がレベル7を発表するまで一ヶ月もかかった遅すぎる反応を非難され、レベル7の同定を当然のように見なしておられますが、レベル7の根拠になっているのは、放射性物質の全放出量がチェルノブイリの時の10分の1だとする保安院の(意図的な?)発表であり、他方、最大限でも1000分の1のレベルだとする西村肇さん(環境問題に包括的に取り組み、水俣病等の因果関係を研究された東大名誉教授)のような方もおられます。
 また、「チェルノブイリから出た放射性物質はセシウム137換算で広島原爆の800発分に相当し、チェルノブイリの時の10分の1だとすれば、福島では既に原爆80発分の「死の灰」が飛び散ったことになる」と再び不安を煽られますが、7月27日の衆議院厚生労働委員会で放射線の健康への影響について名演説をされたことで話題になった東大アイソトープ総合センター長の児玉龍彦教授は、総量について、熱量からの計算では広島原爆の29.6個分、ウラン換算では20個分に相当する、と述べておられました。
 放射性セシウム137については、「半減期は30年と長く、1000分の1に減るまでには約300年かかる」と、何故か1000分の1というような恣意的に大きな数字を持ち出して不安を煽り、外部被曝以外に「生物濃縮」が起こるため、「長期にわたって警戒していかなくてはならない核種」だと言われますが、東大の放射線治療医の中川恵一さんや長崎大学医学部名誉教授の長瀧重信さんは、放射性セシウム137について、確かにカリウムと同じように筋肉に蓄積されますが、身体の細胞は常に入れ替わっているため、二ヶ月から三か月で排泄される(生物学的半減期)と解説されています。
 また、「低線量の放射線でも必ず何らかの影響があるし、そしてそれは存在し続ける」と言い、広島・長崎の被爆者について「半世紀にわたる調査の結果、年間50ミリシーベルトの被曝量でも、がんや白血病になる確率が高くなるということが明らかになった」と主張されますが、放射線の被曝線量と影響の間に閾値がなく直線的な関係が成り立つというLNT仮説(閾値なし直線仮説)については、100ミリシーベルト以下の低線量被曝に関しては科学的な証明がなく、敢えて放射線「防護のために」援用されているものに過ぎないというのが国際的な合意のはずです。
 同じく低線量被曝に関して、修復効果(生き物には放射線被曝で生じる傷を修復する機能が備わっている)やホルミシス効果(放射線に被曝すると免疫が活性化されるから、量が少ない被曝は安全、あるいはむしろ有益)といった一部の学説に疑問符をつけるのは良いのですが、同じように一部で主張され国際合意に至っていないような「低線量での被曝は、高線量での被曝に比べて単位線量あたりの危険度がむしろ高くなるという研究結果」が出てきたとか、「低線量での被曝では細胞の修復効果事態が働かないというデータ」すら出始めているなどと、まことしやかに説明する勇み足を犯す始末です。
 政府や電力会社は、「原子力は二酸化炭素を出さず、環境にやさしい」「地球温暖化防止のために原子力は絶対に必要」と宣伝してきたわりに、ウラン採掘から製錬、更に濃縮、加工といったそれぞれの工程で莫大な資材やエネルギー(特に石油などの化石燃料)が投入されているという、面白い事実を指摘されますが、定性的に述べるだけで、実証的ではありません。
 同じように、「原発の発電量の三分の一だけを電気に変えて、残りの三分の二は海に戻すことで原子炉の熱を捨て」ており、これは1秒間に換算すると「70トンの海水を引き込んで、その温度を7度上げ、海に戻していることになる」というところまでは面白い指摘ですが、熱い風呂はせいぜい43度、それを7度上げることが如何に大きなことか、などと、海水上昇を43度の湯に例えるような、およそ首を傾げたくなる数字を挙げて定性的に説明するより、原発近辺の生態系が変わった事実があったかどうかなど、実証的であるべきです。
 挙げていくとキリがありませんのでこれくらいにしておきますが、依って立つ数字がやや恣意的に見えますし、依って立つ学説が国際合意に達していなくても、自分の立論に都合が良いものを選択し、結果として私たちシロウトの不安を煽っているように見えると言わざるを得ません。
 本来、原発の是非を論ずる場合、少なくともエネルギー安保の視点と、代替エネルギーの可能性の視点が必要だろうと思いますが、小出さんの本書では実質的な議論が出てきません。例えば食料自給率(カロリー・ベース)40%の食糧安保には誰もが関心を寄せますが、原発反対派の方が、エネルギー自給率が僅かに4%(原子力を含む場合16%)のエネルギー安保を心配しているようには見えません。最近見かけた日経新聞記事で、今年1~5月の中国のエネルギー海外依存度が55.2%となり、初めて米国(53.5%)を上回ったとありましたが、日本の海外依存度に至っては96%です。また最近の報道ステーションを見ていると、再生可能エネルギーに取り組む田舎の事例が取り上げられることが多いように見受けられますが、確かに空地が多く人口密度が低い田舎であればこそ、分散型の再生可能エネルギーを活かせる余地は大きいことでしょう。これが、人口や経済の集積度が高く、空地が乏しい首都圏に、参考になるとは思えません。
 小出さんの場合、反原発の象徴的存在に祭り上げられ、立場を越えた議論にまで及ぶために、怪しげなレトリックを振りかざしていると思われることがあるとすれば、もったいない話だと思います。
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ムラ社会の論理

2011-08-18 00:06:04 | たまに文学・歴史・芸術も
 ある経営倫理関係の雑誌に、萩原誠さん(元日本原子力学会倫理委員会委員)が、「利害を共有する集団が集団外の利害関係者(ステークホルダー)を軽視し、唯我独尊の行動を取ることを、”ムラ社会の論理”という」という書き出しで、エッセイを寄せておられました。その中で、「”ムラ社会の論理”は、『都合の悪いことは見ない、なかったことにする、外に漏らさない、既得権益は守る』」であり、「この”ムラ社会の論理”は原子力発電業界だけでなく、多くの業界に蔓延している」と述べておられます。まさに、昨日のブログで書いたことは、官僚組織にとどまらず、実は私の会社にも顕著に認められますし、およそ日本の多くの組織に、多かれ少なかれ見られる特性だと言えます。
 「ムラ社会の論理」という端的な形容に、そうだったと、はたと膝を打った次第。日本の組織による国際社会への不適合のかなりの部分は、この論理で説明できるような気がします。
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六十五回目の夏(10・完)エリート

2011-08-17 00:24:37 | たまに文学・歴史・芸術も
 昨日、六十六回目の終戦の日を迎えました。このタイトルで書き始めたのは昨年9月初め(六十五回目の夏)のことで、遅くともこの3月にはシリーズを書き終える予定でしたが、大震災のどさくさに紛れて遅くなってしまいました。
 これまで先の戦争の諸相を追って来ました(先の戦争と言っても、私は京都人ではありませんので戊辰戦争のことを言っているのではありません)。太平洋戦争を論じる場合、いろいろな視点があり得ますが、巷には組織論的なアプローチが圧倒的に多いように思います。日本人にとって永遠のテーマなのでしょう。そして、大震災のどさくさに紛れている間に、太平洋戦争におけると同様の組織論的な問題が、大震災とりわけ原発問題ではしなくも露わになったように思います。既にこのブログに部分的に記述しましたが、あらためて私なりに太平洋戦争を、大震災とりわけ福島原発問題とのアナロジーで、組織論的に総括してみたいと思います。
 大震災で最も印象に残ったのは「想定外」という言葉でした。肯定的に受け止めたのではありません。むしろ逆で、未曾有の大震災と言うのは、私たちの経験になかっただけのことで、震度にしても津波の大きさにしても、歴史を紐解けば容易に想定できたはずでした。もっと言えば、自然界に想定外などないと言った科学者もいました。そうだとすれば、一体、誰のための何のための想定だったのか。実は、責任をもって進めるべき当事者が、本来の目的を離れて予算などの別の制約条件によって、自らの責任範囲を限定し、言い訳として語っているに過ぎないわけです。似たような事例を、太平洋戦争でも見つけることが出来ます。例えば、1940年9月、日本は独・伊との間で三国同盟を締結し、アメリカを牽制しようとしましたが、アメリカの対日感情は却って(想定以上に)悪化してしまいます。1941年7月、日本は南部仏印に進駐し、東南アジアからの物資調達ルートを確保するとともに、ビルマにおけるアメリカの援蒋ルートを牽制しようとしましたが、英米蘭による日本の在外資産凍結や米による対日石油禁輸など過剰反応を招き、アメリカとの関係悪化は決定的になりました。現実離れした視野の狭い楽観的な見通しは、端的に誤算だったにも係らず、想定外として責任追及を免れようとしている点で、原発問題と通底するものがあるように思います。
 当事者というのは、誤解を恐れずに言えば、官僚組織ということになります。
 日本においては、明治維新の当初こそ政治主導が輝かしい歴史を残しましたが、以後、官僚組織が圧倒的な権力を握ります。明治憲法は「国務各大臣は天皇を輔弼しその責に任ず」と定めていました。輔弼とは天皇の大権行使に助言することであり、誤りがあれば責任は天皇でなく各大臣が負うものでした。大臣の独立性が強く、輔弼制度のもとで、大臣の任免権は首相にはなく、首相も内閣の一員に過ぎませんでした。そのため、後に、陸軍大臣が辞めて内閣が瓦解するという、今では信じられないことがざらに起こるようになります。これは、伊藤博文が、天皇主権の絶対君主制と、議会の存在を認め大臣の輔弼責任を前提とする立憲君主制という、二つの異なる原理を両立させようとした苦肉の策と言われます。伊藤博文は、権力を天皇に集中させ、自由民権運動などの政党勢力に対抗しようとしたわけです。結果として、輔弼というシステムは、首相に権力が集中するのを避け、天皇の地位が空洞化するのを防ぐ一方、天皇に最終的責任を負わせないで済む仕組みで、権力は分散し、責任は曖昧になりがちでした。こうした日本独特の権力の中空構造の中で、官僚組織が確実に権力を浸透させていきます。戦前においては参謀本部こそ官僚組織の典型だったと言われます。
 太平洋戦争を語る時、「軍部」と言えば大本営・陸軍部(参謀本部)及び大本営・海軍部の「作戦部」のことを指します。陸大、海大の成績トップ5番までしか入れないという暗黙のルールがあるエリート集団でした。天皇陛下の命令=大本営命令は、作戦部が原案を作成し、作戦部長、参謀総長の承認を経て、最終的に天皇の裁可を得て発令されます。そのくせ、統帥権独立のタテマエから内閣や議会は直接関与できませんし、天皇陛下が原案を拒否することも先ずありません。そしていったん天皇陛下の裁可を受けると、参謀総長と言えども後には引けませんし、機関説を奉じていたとされる天皇陛下も、遠慮されて、上奏されない限り自ら命令変更することはありません。結局、走り出すと、誰も失敗を言い出すことは出来ないものですから、失敗を改めることも出来ない、もっと言うと、失敗そのものを認められない組織構造になっていました。こうしたエリート組織の悪しき習性は、戦後にそのまま引き継がれているように思われます。
 エリートだから悪いわけではないでしょう。ただその高い地位にも係らず、世界で何が起こっているのかということに対して感度が鈍いとしたら・・・。外の変化に目を向けるより、内なる権力闘争(例えば陸軍vs海軍)にばかり関心を向けていたとしたら・・・。官僚として、公僕として、国益(太平洋戦争の当時は日本の安全であり、原発問題においては国民の安全)を追求するより、自らが所属する狭い組織のメンツや省益にこだわるとしたら・・・。実際、官僚の一人ひとりは飛びっきり優秀で志も高く、憂国の情に燃える人が多かったと思いますが、組織としては、何故か、物事の本来の存在意義や目的を矮小化し、逸脱して、なおその責任の自覚が乏しいことが、日本の官僚制の問題であるように思います。66年の時を経ても、なお・・・?
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原発と放射線を巡る問題(5)

2011-08-11 23:44:21 | 時事放談
 中川恵一さんの「放射線のひみつ」(朝日出版社)を読みました。日頃から放射線治療を行う放射線治療医の立場から、放射線が人体に与える影響についてポイントをやさしく解説するものです。医者に対して「商売柄」という言い方は適切ではありませんが、放射線のことを身近に手繰り寄せて、特別扱いすることなく飽くまで「リスク」の一つとして取扱うことに、当初は違和感がありましたが、実は放射線によるがんと放射線以外の原因によるがんを症状で区別できないことからすれば、至極当たり前の発想なのかも知れないと思います。
 放射線が人体に与える影響には、「確率的影響」と「確定的影響」の二つがあるといいます(以下は同書から抜粋)。
 「確率的影響」は「発がん」のことを指し、遺伝子が放射線によってキズを受けることが原因と考えられます。発がんが起こる確率は被曝した放射線の量に応じて増加しますが、これ以下の線量ならば大丈夫という閾値はありません(たった一個の細胞の異常でもがんになる可能性は否定できないため)。広島・長崎の被爆者を長年調査した結果、だいたい年100~150ミリシーベルトを超えると、放射線を受けた集団の発がん率が高くなることが分かっていますが、それ以下の放射線被曝で発がんの可能性が増すかどうかはっきりとした証拠はありません。そのため国際放射線防護委員会では、実効線量(全身被曝)100ミリシーベルト未満でも、線量に従って一定の割合で発がんが増加するという考え方を念のため(安全サイドに考えて)採用しているということです。
 他方、「確定的影響」は、髪の毛が抜けたり白血球が減ったり生殖機能が失われたりするものです。先ほどの確率的影響である発がんが、例えば放射線によって死なずに生き残る細胞に対する影響であるのに対し、この確定的影響は放射線によって細胞が死ぬことによって起こります。死亡する細胞が増え、生き残った細胞が死んだ細胞を補えなくなる放射線の量が閾値で、実効線量(全身被曝)年250ミリシーベルトを超えなければ白血球減少は見られないそうなので、この線量が全ての確定的影響の閾値だそうです(男性の場合に100ミリシーベルトで一時的な精子数の減少が見られるようですが)。但し、広島・長崎の被爆者を長年調査した結果でも、子供に対する奇形などの遺伝的影響は見られないそうです。
 結局、一般市民が実効線量(全身被曝)250ミリシーベルトを浴びるような大量の被曝は想定できないため、私たちが心配すべきは確率的影響、つまり発がんリスクの僅かな上昇ということになります。
 さてその発がんの仕組みですが、そもそも人の身体は約60兆個の細胞からなり、髪の毛が抜けたり皮膚が垢となって剥がれるように、1%程度の細胞が日々死滅し、その死滅した細胞を細胞分裂によって補います。その際、DNAをコピーする必要がありますが、時々ミスを犯してしまう、そのコピーミスを遺伝子の突然変異と呼び、タバコや化学物質やストレスや老化などのほか、放射線がその原因として挙げられます。突然変異を起こした細胞の内、ごくまれに死なない細胞が生まれ、それが止めどなく分裂を繰り返して大きくなることがあり、それが“がん細胞”なわけです。しかし検査で見つかるほど大きくなるには10~20年かかります。
 そして、2人に1人ががんになり、3人に1人ががんで死ぬ「世界一のがん大国」日本にあって、死亡リスクという観点で比較すると、野菜嫌いの場合は150~200ミリシーベルトの被曝に相当し、受動喫煙の場合は100ミリシーベルト(女性の場合)、肥満や運動不足や塩分の摂り過ぎの場合は200~500ミリシーベルト、喫煙や毎日3合以上の飲酒に至っては、がん死亡リスクは2倍に跳ね上がり、2000ミリシーベルトの被曝に相当するそうです。これらと比べると、原発事故による一般公衆の放射線被曝リスク(200ミリシーベルトの被曝で致死性がん発生率は1%増加)は誤算の範囲と言っても良く、特に100ミリシーベルト以下の被曝リスクは、他の生活習慣の中に埋もれてしまうことになります。
 さてあらためて、放射線の人体への影響を考える際、「いつ」「どこで」「どんなものが」「どの期間」検出されるかを確認することが重要とされます。そして「いつ」ということに関しては、放射線防護の観点から、平時と緊急時とで区別されます。国際放射線防護委員会の勧告で、平時においては、一般公衆の年間放射線量限度は1ミリシーベルト(因みに自然放射線量は日本平均1.5ミリシーベルト、世界平均2.4ミリシーベルト)、緊急時の場合、年間20~100ミリシーベルト、復興時には年間1ミリシーベルトに戻すべきとされます。しかしこうした基準値は絶対的なものではなく、これを超えること自体が危ないものだとみなす必要もないと言います。何故なら、私たちが抱えるリスクは、以上に見た通り被曝だけではないからです。避難や規制に伴うさまざまなリスクや心理的な負担と、被曝のリスクとを勘案し、より「まし」な選択をするしかないというわけです(どんな選択をするにしてもリスク・ゼロということはない)。
 以上、長い抜粋となりました。こうして飽くまで放射線治療医という専門家の立場から、政府批判の色はなく、政府発表内容を追認するような結果になっていること、また厚労省の協議会や懇談会の委員を務めておられて体制に近いと見られていること、とりわけ放射線の影響について過小評価しているかのような発言が却って不安を煽るせいか、ネットでは御用学者の一人として批判的に見られることが多いようです。しかし科学的事実と知見に基づく発言に、「偏向」があるようには見えません。
 逆に、そういった批判的に見る人からの信任が厚い、30年来、反原発活動を続けて来られた筋金入りのジャーナリスト・広瀬隆氏の場合、最近の週刊誌でも、一時的な放射線量と積算量とを(意図的に?)混同して、いたずらに不安を煽るかのような発言は相変わらずです。大震災の半年ほど前に出版された話題の代表作「原子炉時限爆弾 大地震におびえる日本列島」(ダイヤモンド社)を買おうか買うまいか迷ってちらほら立ち読みしていると、「湾岸戦争症候群」と呼ばれる健康被害が劣化ウラン弾による放射線被ばくの事例として何の注釈もなく滔々と説明されるくだりが出て来て、戸惑います。確定していない事実関係を自らの立論に都合が良いように引用するのは、よほど不誠実と言わざるを得ません(ご存じの方も多いと思いますが、劣化ウラン弾による健康被害への影響の有無については、今のところサンプルも追跡件数・年数も不足しており、疫学上有意な結論を導くことができる状態には無い(Wikipedia)とされています)。学者と一介のジャーナリストを対比するのは失礼でした。
 いずれにしても、武田邦彦さんが第一種放射線取扱主任者として国際放射線防護委員会が勧告した1ミリシーベルトに飽くまでこだわるのと対照的に、放射線治療の専門家の立場から、被災地の首長に話した内容、すなわち、妊婦や赤ちゃんが避難すべきなのは言うまでもありませんが、成人についての発がんリスクは、野菜不足や塩分の摂り過ぎより低く、極端に恐れる必要はない、それより避難生活によるストレスなどの方が心配、というのは、その限りにおいては真理なのでしょう。なるほど、事故が現に起こってしまった以上、起こってしまったことの不運や恨みつらみや責任問題や賠償の話は別にして、もはや後戻り出来ないわけで、そうした中で放射線をいたずらに恐れることなく、現実的に柔軟に対処することが必要、という著者の提言は、十分に傾聴に値すると思います。
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品川アクアスタジアム

2011-08-10 13:07:28 | 永遠の旅人
 ゴミ袋のような薄っぺらな雨合羽を羽織って水を浴びるイルカ・ショーの模様がテレビCMで流れています(涼しげですが、ただの水ではなく海水なので、カメラや携帯に気をつけなければなりません)。かつて駅前留学を謳う英会話スクールがありましたが、ここのキャッチコピーは「エキマエ水族館」。確かにターミナル駅・品川から徒歩3分の距離にある便利な水族館です。昨日、下の子を連れて行って来ました。
 この水族館を選んだのは、実は目立たないのですが、夏休み期間中(7/16~8/31)浴衣またはアロハシャツを着て来館すると水族館入場料が半額になるキャンペーン中であるのを見つけたからでした。インターネット・サイトのイベント&ニュースの「夏休み期間のご案内」にさりげなくオトク情報と記されているだけで、料金案内を見ても出て来なくて、水族館入口にも浴衣で半額のポスターはありましたがアロハについては宣伝されていなくて、それを見た若い女の子たちは「浴衣じゃあねえ・・・」なんて否定的なコメントをするくらい注目度が低く、実際に館内で浴衣姿はおろかアロハシャツ姿も殆ど見かけませんでしたが、私はマレーシアにいた頃に買って箪笥に眠っていたアロハシャツをおろして、娘はペナンのインターに通っていた頃の制服をひっぱり出してきて、入口で控えめに自己主張すると、インフォメーション・センターに回されて、大人(高校生以上)1800円を900円、子供(小・中学生)1000円を500円にしてくれました。ちょっと得した気分です。
 確かにエキマエ水族館は便利ですが、魚は少なくて(サイトの案内によると350種1万点)、ペンギン大陸?にしても、サメやエイやマンタが泳ぐ長さ20mの海中トンネルにしても、開発独裁のマレーシアやタイ・バンコクやシンガポールの水族館に慣れて目が肥えた私たちにはちょっと物足りないものでした。そのため、ここではイルカ・ショーとアシカ・ショーが目玉で、それぞれ二時間おきに、お互いに一時間ずらせてやっているので、30分弱のショーを見た後、会場を移動して30分ほど待てばまたショーが始まる、といった塩梅です。さらに「ふれあいプラン」が子供に人気で、「イルカにタッチ」「イルカ・トレーナー体験」「イルカにごはん」「アシカとふれあおう」「マンタ・フィーディング」といったメニューが別料金で用意されていて、予約ですぐに一杯になるので、入館後まっさきにインフォメーション・センターで予約した方が良さそうです。うちの子は、700円で「イルカにタッチ」してご満悦、その時の写真を売りつけられて1000円追加で払わされて、まんまと商魂に乗せられました。
 館内にレストランはなくて、当然、そんな長居をすることは想定されていないせいでしょう。食べ物もポップコーンかお菓子程度なので、ショーの合い間につまむお菓子を持ち込むと良いでしょう。
 映画一本の値段と考えれば、駅前散策のついでに立ち寄るというのも、たまには良いかも。
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