風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

福島原発処理水の海洋放出

2023-08-27 15:16:03 | 日々の生活

 ようやく廃炉への一歩が踏み出された。

 私は毎日、紙ベースの日経新聞を読んでいるので、私の世界観、とりわけ世の中の出来事の重みづけは、日経の記事としての取り上げ方の軽重に大いに影響を受け、多少なりとも歪んでいると自覚している(笑)。その目で週末、ネットのニュース・サイトを見ると、大変なことになっていることに今さらながら驚く(だからと言って、記事の多さや特定国の声の大きさが客観的な世界情勢を表すものとは限らないのは言うまでもない)。さながら“狂騒曲”だ。

 中国や、韓国野党や市民運動家、世界の環境活動家といった、いつもお騒がせな方々が政治問題化しているのだ。

 科学的な理解は進んで来ているように見受けられる。環境保護活動団体グリーンピースは、より優れた処理技術が発明されるまで、水をタンクに貯留するよう求めているそうだ。彼らのように心に余裕がある人たち、私のように日々の暮らしに汲々とする庶民と違って、何の憂いもなく将来世代や未来の地球に完全なる重きを置いて論じるほど懐が深い人たちは、先送りできるかも知れない(現実問題として自らに迫らない限りは、などと言ってしまうと険があるが)。しかし理想は理想として尊重しつつ、現実に対処しなければならない人たち(政治家を筆頭に)は、現在の科学に依拠するほかない。福島原発のメルトダウンで問題となったのは、科学そのものではなく、人手を介することで生まれた人災だった。

 韓国野党「共に民主党」の李在明代表は「核汚染水の放出は『第2の太平洋戦争』として記録されるだろう」などと日本批判のトーンを強め、尹政権を「環境災害のもう一方の主犯だ」と攻撃したそうだ(東京新聞)。つまりは毎度の政権批判を目的とする日本批判である。

 上海の国際漁業博覧会で行われたマグロの解体ショーでは、急遽、日本産からオーストラリア産マグロに切り替えられたそうだ。中国政府が日本産水産物の全面禁輸を発表した直後にもかかわらず、責任者は「代替品を確保している。問題ない」と余裕を見せた(東京新聞)というが、「日本産のほうが大トロが多く、脂が乗っておいしい。一部顧客から注文はあるが、手に入らない」と明かしたそうだ(同)。

 海外のシンクタンクの研究者は「今回の出来事は、日中関係悪化の原因というよりも、日中関係悪化による症状だ」と述べたそうだ(BBC)。確かに、24日の当日、福島県や周辺地域の水産物に課していた禁輸措置を日本全土に拡大したのに続き、日本産水産物の加工や調理、販売を禁じる措置を打ち出し、更に官製デモを思わせるような、中国発(国番号86-)の抗議電話が、海洋放出とは無関係な日本の個人や団体に対して相次いでいる事態は、嫌がらせにしても度が過ぎる。

 しかし、最近のように日中関係が悪化していない40年前にも、政治問題化し外交カードを手にしようとする、似たような動きは起きていた。言わずと知れた第一次教科書問題(1982年)で、私は子供心に、「えげつないなあ」と、いや、これは中国や韓国だけではなく、日本の大手メディアにも向けた不信感として刻み込まれたものだった(苦笑)。日本史の教科書検定において、中国華北に対する“侵略”から“進出”へと書き改めさせたと、朝日新聞をはじめとする大手紙が書き立て、中国や韓国まで介入して外交問題化したもので、後に、渡部昇一氏によってメディアの誤報だったことが明らかになったにもかかわらず、教科書を記述する際、近隣諸国に配慮するという旨の所謂「近隣諸国条項」が生まれた。明らかな内政干渉だが、こうした日本発の自業自得とも言える外交事案は、後に靖国参拝を巡っても起きた。

 世界は今、西の米国と権威主義の中国を代表とする体制間競争の真っ只中にある。その中国は、コロナ禍でのロックダウン以来、人民の体制批判が燻る中、長年の無理がたたって経済に変調を来しており、世界中のエコノミストが注視する。中国共産党としては、人民の注意を外に向け、華夷秩序の伝統に則って、自らの道徳的優位を、環境保護や人民の安全第一を掲げる中国と、世界の環境汚染の日本を対比することによって、アピールしたい衝動に駆られていることだろう。西を代表するアメリカ社会の分断や、西に属しながらも安定した日本の社会の分断は、明らかに中国にとって利益であり、自らの権威主義体制の相対的な優位に繋がると信じていることだろう。中国がここぞとばかりに仕掛けているのは戦争、具体的には情報戦であり世論戦である。日本人は戦争などもうコリゴリだと思っているが、中国共産党は自らの進退を賭けた“闘争”だと認識しているに違いない。

 中国の税関当局は、日本産水産物の禁輸措置を発表した際、「中国政府は人民至上を一貫して堅持しており、必要なあらゆる措置を取り食品の安全と人々の健康を守る」(新華社)と言い放ったそうで、さすが人民の命を守るため(と称して、その実、共産党のメンツを守るために)ロックダウンしただけのことはある。そういうことであれば、尖閣海域にも中国の漁船を近づけないことだろう。その言行一致に大いに期待したいものだ。

 軽口はこれくらいにして・・・日本人は重い十字架を背負ってしまった。福島原発の敷地内にところ狭しと並ぶ巨大な貯蔵タンクは1000基を超え、放出に要する期間は実に30年と想定される。少子高齢化の日本には耐えがたい負担である。石油ショックに伴う狂乱物価やトイレットペーパーに殺到した騒動を記憶する者として、一連の原発絡みの問題を東京電力や経産省だけの責任に帰せるわけには行かないし(彼らの監督責任が重いのは事実だが)、資源小国日本のエネルギー安全保障の観点から今のところは原発不要とも言い切れない。福島原発事故の際、週刊文春が一度報じて沙汰止みとなったのはフェイクだったのか、いや程度の差は別にして相当の放射線を、1960~70年代に行われた中国の原爆実験による放射線まみれの黄砂飛来とともに浴びていた関西出身者として、今さら、かの国を責めるつもりはないし、今、ピンピンしているからと言って放射線被害を軽視するつもりもない。

 私たちに出来ることは、これまで以上に魚を食して漁業関係者を大いに盛り立てることだろう。そして、今まさに行われている“闘争”(戦争とは言わないにしても)に負けないために大切なことは、IAEAやWHOや主要国をはじめとする理性ある国際社会とともに歩むことであろう。何よりナチス・ドイツのゲッベルスばりに「嘘も100回言えば本当になる」(正確に直訳すると『もしあなたが十分に大きな嘘を頻繁に繰り返せば、人々は最後にはその嘘を信じるだろう』ということらしいが)と言わんばかりのかの国によって着せられた環境汚染国の汚名を晴らすために、環境への影響がないことを透明性を以て公表し、不幸にも事故を起こしたにしても、なお安全・安心な日本の面目躍如としたいものだ。

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浅野翔吾のプロ初アーチ

2023-08-19 14:12:11 | スポーツ・芸能好き

 第一印象は、オッサン臭い奴やな・・・事実、坂本勇人からは「浅野のおっちゃん」と呼ばれて可愛がられているらしい。サンスポはもう少し上品に、「ニックネーム:貫禄のある風貌から高校時代のあだ名は『おじさん』」と書いてくれている。その浅野翔吾が昨日の広島戦に7番・右翼でスタメン出場し、3点を追う5回に、プロ通算12打席目にして初アーチとなる2ランを放った。

 オッサン臭いとは言え、まだ18歳である。一年前の同じ8月18日、高松商の主将として甲子園・準々決勝の近江戦でバックスクリーンに高校通算68号のラスト・アーチを放った。

 あれから一年。

 7月7日に一軍登録され、翌8日のDeNA戦6回に代打で登場すると、かつての長嶋茂雄を思わせるような豪快な二打席連続空振り三振、その後の初の守備機会では豪快にずっこけて、菅野智之投手から頭を“ぽんっ”とされた。昨日の初本塁打でも、ランナー二塁で先にホームインしていた中田翔から頭を“ぽんぽんっ”と満面の笑顔で迎えられた。オッサン臭いが、まだ18歳なのである(ちょっとしつこい・・・)。

 高卒ルーキーのアーチは2リーグ制後7人目、巨人では(王貞治や松井秀喜に続く)2015年の岡本和真以来となる。「変化球に出されることなくしっかりと残して芯で捉えることができました。うれしい気持ちはありましたが、リードされているので次の打席でも打てるように集中していきます」と健気なコメントが伝えられたが、次の打席は、6回一死一、二塁の絶好機に巡って来て、代打・丸が送られた。一塁走者も中田翔に代走で門脇が送られ、原監督としては勝負に出たが、最悪の二ゴロ併殺に終わった。あのまま浅野に打たせてあげたかったところだが、かつての常勝・巨人もなかなかAクラスに這い上がれない苦しいペナントレース終盤、原監督の立場も辛い。

 しかし、この試合9回には、(今年はチャンスに弱い)岡本和真が(珍しく)タイムリーツーベースで勝越しに成功し、ルーキーの初アーチに花を添えた。そんなところに浅野の運の強さを感じさせる。

 ジャイアンツ球場でファンにサインをする姿はお馴染みの光景らしいが、高校時代も甲子園終了後は地元の少年野球チームに引っ張りだこで、「毎週末、多くのチームの練習に顔を出し、野球を教えるだけでなくサインや記念撮影にも応じていた」(スポーツニッポン)そうだ。ファンサービスもヒーローの条件で、ツラ構えだけでない既に貫禄十分の18歳に期待したい。

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内藤湖南への道

2023-08-15 20:37:47 | たまに文学・歴史・芸術も

 「綺羅星の如く」つながりで・・・かつて京都学派と呼ばれた京都大学の教授陣がいた。西田幾多郎や波多野精一をはじめとする哲学科が有名だが、狩野直喜や内藤湖南をはじめとする史学科も負けてはおらず、世界に冠たる東洋学の伝統を樹立した。まさに綺羅星の如く・・・である。

 そんな綺羅星の数々が登場する、この表題そのままをタイトルとする書籍を、夏休み前に近所のブックオフで偶々見つけて、夏休みの課題図書にすることに決めた(笑)。こうした浮世離れした本は(と言ってしまうと著者に失礼で、テーマは今日的ではあるのだが)、せわしない日常に細切れに読むよりも、まとまった休みに非日常の雰囲気に浸りながらのんびり一気読みするのがいい。ブックオフでは、たまにこうした稀覯本に出会う。

 著者は、私が敬愛してやまない故・高坂正堯を、まだ助教授時代の若かりし頃に取り立てた元・『中央公論』編集長・粕谷一希である(なお、高坂氏が『現実主義者の平和論』を同誌1963年1月号に寄稿したとき、粕谷氏は編集部次長だった)。Wikipediaによれば、ほかにも永井陽之助、萩原延寿、山崎正和、塩野七生、庄司薫、高橋英夫、白川静などを世に送り出し、2014年に亡くなって、知人67名による追想録が上梓された際には書名に「名伯楽」の尊称を与えられている。本書は、表題通り、支那学の泰斗・内藤湖南(1866-1934)の生家(秋田県十和田湖畔)と生い立ちを訪ね、更に時代を下ってその足跡を辿り、彼を取り巻く(彼の弟子たちである)東洋学を中心とする綺羅星の如き学者たちを訪ねながら、あらためて内藤湖南その人の存在感を確かめる趣向だ。モチーフは、本書刊行時(2011年10月)、既に大国化しつつあった中国の将来を湖南はどう見通していたか見極めるためと、はしがきにある。所謂「京都学派」は哲学だけではなく史学にもあった古き良き時代を、時代の変遷とともに活写し、それは取りも直さず編集者・粕谷氏自身は東大法学部卒だが影響を受けたとされる京都学派の読書遍歴であり精神遍歴の記録でもある。その意味では、皮肉な見方をすれば貴族趣味に過ぎないが、私はそういうのは嫌いではない(微笑)。

 さて、内藤湖南はジャーナリスト出身で、所謂学歴は無いながら異例とも言える京都帝国大学教授に引き立てられたことは周知の通りだが、朝日新聞から京大に転じたのは、夏目漱石が東大から朝日新聞に転じたのとほぼ時を同じくするのだそうで、相互に逆の流れだったのが面白いし、そういう時代だったのかと認識を新たにした。もっとも、ジャーナリストだったとは言え、内藤家は南部藩の支藩桜庭家の家臣で、代々儒者だったことから、漢学の素養は相当あったようだ。ただでさえ幕末・明治の人は当たり前に漢字の読解力が高く、計8回(中には政府・外務省から依頼された調査もあったようだが)中国に旅したときには、高杉晋作がやったように、筆談で中国人と対話したというのも、印象深い。そうは言っても言語は所詮手段であって、要は何を語るか、だ。康有為について人物評を問われて次のように答えている(1899年、一回目の紀行で)。「東京で会ったことがあります。あの人物は、才力は充分だが識見と度量が足りません。態度も重々しさに欠けます。そして世を救おうというのが志であるのに、好んで学義の異同を高く掲げ、人と論争します。失敗しやすい所以です。だいたい(政治上で)事業をなそうとする人が学義に関して偏見を立てるのは禁物です。そうすると自ら勢力を狭め、広くその意見が世に行われないようにすることになります。」 私はもとより康有為を知らないが(笑)、政治にも首を突っ込んだことがある湖南ならではの品定めの透徹した目が光っているように見える。

 それで、綺羅星の如く・・・とは言っても、狩野直喜(1868-1947)、桑原隲蔵(1871-1931、武夫氏の父)、羽田亨(1882-1955)など、実は名前しか知らない人が多い(汗)。西洋史学の鈴木成高(1907-1988)、地理学の小川琢治(1870-1941)、考古学の濱田耕作(1881-1938)も同様だ。本書を読んで驚いたのが、小島祐馬(1881-1966)で、内藤湖南の講義を聴いた学生だったが、後に古代思想を受け持って湖南と同僚になったと知った。私は数年前、偶々、中野の古本屋で『中国の革命思想』(筑摩叢書)を見て、題名に惹かれて衝動買いしたのだったが、氏のそのような系譜は存じ上げなかった。偶然である。

 私にとって馴染み深い学者と言えば、湖南らの次の世代(第二世代)と位置づけられる宮崎市定(1901-1995)で、手元には『東洋における素朴主義の民族と文明主義の社会』(平凡社東洋文庫)をはじめ、『アジア史論』(中公クラシックス)、『中国文明論集』(岩波文庫)、『科挙』(中公文庫)、『アジア史概説』(同)、『科挙』(同)、『水滸伝』(同)、『日出づる国と日暮るる処』(同)、『中国に学ぶ』(同)など、新刊・古本を問わず闇雲に買い集める内に9冊を数える。人類学の今西錦司(1902-1992)、中国文学の吉川幸次郎(1904-1980)、田中美知太郎(1902-1985)も年代として見れば同じ第二世代に位置づけられようか。それぞれ少なくとも数冊ずつ書棚(押入れ?)にあり、第一世代と比べれば各段に馴染みがある。そして私が一時期入れあげた『文明の生態史観』の梅棹忠夫(1920-2010)は更に次の世代ということになる(ここまで来ると、同時代を生きた先生という意識が強くなる)。他方、手元にある湖南の著作は、『日本文化史研究(上)/(下)』(講談社学術文庫)と『支那論』(文春学芸ライブラリー)の3冊だけ。名は知られているが、ちょっと遠い存在だった。

 そんな湖南の存在感ということで、本書のポイントを三点、挙げてみる。

 先ず、湖南と言えば、およそ西洋の歴史学では東洋的停滞としか捉えられない中、「宋代から近世として考えるべきである」とするユニークな時代区分論「宋代近世説(唐宋変革論)」を提唱したことで知られる。その後、宮崎市定に引き継がれ、秦漢時代までを上古(古代)、魏晋南北朝隋唐時代を中世、宋以降を近世、アヘン戦争以降を近代とする四時代区分法を中心に、京都学派では中国史の研究が展開された。

 次に、西の湖南と東の津田左右吉の比較論もよく知られるところだ。日本文化の成立と性格について、津田左右吉は、日本文化は本来支那文化とは別個のものであり、一部知識人の間に儒教の影響があったとして、日本人の生活とは全く関係のない代物であると(今となってはある方面の定説とも言える)主張をしたのに対し、湖南は、日本文化は支那文化という母胎から生まれたものであり、日本文化の成立に関連して、支那文化が豆腐のニガリのような役割を果たしたと主張したものだ。どちらの立論も可能なほど微妙な問題であり、どちらでもいいようなものだが(笑)、地政学的に環境決定論としては津田左右吉の言う通りだ(日本は海洋国家たるべき島国であり、大陸国家とは違う)が、環境可能論的に、湖南の文脈で言えば個々の民族を超えた「文化」史的観点(文化の中心は国民の区域を越えて移動するもので、東洋文化の進歩発展から言うと、国民の区別というようなことは小さな問題だとする「文化中心の移動」という考え方)から、中華の周辺文明として受ける影響は小さくなかったようにも思う。

 三点目に、今日は8月15日でもあることから、戦争との関連に触れたい。湖南が亡くなったのは、満州事変の後、支那事変の前で、当然のことながら大東亜戦争を知らないし、中国共産党の革命も知らない。明治人の彼は、欧州列強のアジア侵略に抵抗するために日本の大陸進出とアジア経営を主張し、日清・日露戦争の頃は対露強硬派だったというのは、まさに時代精神であろう。朝鮮半島や中国が、もう少し国家の体を成していれば、全く違う展開になっていたであろうことは想像に難くない(が、だからと言って日本の責任を免れるものではない)。そんな中でも、湖南は、第一次大戦時の対支二十一箇条の要求には批判的だったとされるから、同時代を生きた者として十二分に理性的だったと言うよりも、史学者として支那の国柄を心得ていたということかも知れない。あれ以来、本来は植民地主義のヨーロッパが敵であるはずなのに、日本が中国の敵になってしまった。

 ここで、京都学派に触れる以上、哲学者を中心に、1942年2月から1945年7月まで大東亜戦争のほぼ全期間を通じて、「海軍の一部(米内光政系)の要請と協力を受けて月に一、二度、時局を論じるひそかな会合を重ね」(大橋良介著『京都学派と日本海軍』(PHP新書、2001年)より)、後に戦争責任を問われて、代表的論客四人が京大を追われたことに触れるべきだろう(粕谷氏も取り上げておられるように)。大橋良介氏の著作は、当時、京都大学文学部の副手で、会合の連絡係だった大島康正氏の死後に発見された会合メモ(大島メモ)を読み解き、「海軍と連携しつつ陸軍の戦争方針を是正しようとする、体制内反体制とも言うべき際どい会合だった」(同)ことを明らかにし、四人を弁護するものとなっている。あのとき、「京都学派の狙いは、海軍と組んで陸軍の暴走を食い止めるところにあった」(同)が、「戦争が始まったからには・・・」、国民としてそれに協力すべきだとの義務感から、戦争するからには、“東亜共栄圏の倫理性と世界性”を自覚すべきだし、“総力戦というものの性格を理解しなければならない”と説いたに過ぎない、という。戦後のGHQ史観とも言うべきリベラルな歴史観に染まった私たちに再考を迫る重いテーマである。

 ついでに言うと、概して粕谷氏がサイドストーリーとして語る時代認識、歴史認識には、私としても異論が少ない。中でも、先の戦争は「暴挙であったが、愚挙ではない」とさらっと総括されていることには目を見開かされた。まさに。私たちは、もう少し歴史(先人の知恵と勇気)に対して謙虚であるべきだろう。

 再び湖南に戻って、辛亥革命を同時代に見た湖南は、次のように述懐している。「政体の選択に就いて他国の内政に干渉するといふことは、随分昔の神聖同盟などが欧羅巴にあった時代ならば知らず、今日では余り流行しませぬ。私の考では当分黙って懐手をして見て居る方がよいと思ふ・・・(中略)・・・支那はどうしても大勢の推移する所は如何ともすることの出来ない国柄である。」

 西洋だけでなく東洋でも古代・中世・近世と発展を遂げた(と京都学派は言う)ように、私たちは、中国の内発的発展を信じ、かつ世界史の発展の類似性を信じて、中国の体制のことは中国人民が決めるしかないとして、「当分黙って懐手をして見て居る方がよい」のだろうか。まあそうするしかないだろう。しかし、現代の中国は、歴史的中国と違って、社会統制の手段として現代と将来の科学技術を味方につけている。変革は簡単ではない。また、実体が大国化するとともに態度も所謂大国化し(というのは歴史的中国そのものかも知れない 笑)、大陸国家的な膨張主義を海洋にも推し進める中国に対して、そう悠長に構えておれないところに、現代の私たちの苦悩がある。本来、地政学のテーゼは、大陸国家と海洋国家を同時に達成することは出来ないとするが、中国はそもそも北の大陸と南の海洋から成る両性国家である。ベトナムは南北で何百年もの別々の歴史(インドの影響を受けたものと中国の影響を受けたものと)があり、朝鮮半島も南北さらには南の東西は三韓の時代から何百年もの異なる歴史をもつ別々の国家だったように、中国は性質を異にする南北が便宜的に一つの帝国を成すに過ぎないとも言える。中国という存在は簡単ではない。

 今の中国は、順調な経済発展の末に、自らの異質な行動特性は棚に上げて、総てをアメリカの責任に帰して、西洋的な発展とは逆のギアを入れつつあり、粕谷氏によれば着地点が見えず、私に言わせれば混迷は深まるばかりである。本書の中に、一ヶ所、故・高坂正堯氏の言葉が出て来る。「13億という数は統治可能なんでしょうかね」 実に含蓄ある言葉だ。恐らくこれを受けてのことだろう、粕谷氏は、「共産体制を脱して多党制と言論の自由を制度的に保証する民主国家、民主体制となるほかない」「北京政府は思い切って各地域・民族に大幅な自治権を認め、United Statesにしたほうが全体は安定するように思う」と夢想され、私もそうなることを心から願うが、中国共産党の指導者たち(=現代の皇帝と貴族たち)は権力を失うことを恐れる。歴史的中国そのものだ。湖南は歴史の推移を「発展」ではなく「変遷」として捉えていたそうだが、中国的な「変遷」は、私のような素人には停滞にしか映らない。民主化の経験が全くない中国社会、湖南が言う父老社会の存在(郷党社会における独特の老人支配で、その長は外交問題や愛国心には関心がなく、郷里の安全、家族の繁栄にだけ関心があり、それさえ満たされれば従順に統治者に従うという)を考えれば、ハードルが高い「変遷」である。さて、どうなることやら・・・。

 一つ確かなことは、学問の消長は、国力の消長に連動するということだ。時代とともにある、と言い換えてもよい。京都学派は、日本が第一次大戦後、国際連盟の五大国にのし上がったのと軌を一にするように、あるいは司馬遼太郎が描いた「坂の上の雲」のように、勃興し、大いに自信を持ち、溌剌とした空気が充満した奇跡あるいは幻だったのではないか・・・そんなほろ苦い感傷に浸りながら、少し暑さが和らいだ夏休みに夢を見るとはなしに夢見ている。

 粕谷氏によれば、波多野精一は「未来」と「将来」を区別し、未だ来たらざる時よりも、将に来たらんとする時の方が人間存在にとって貴重であることを説いたそうだ。だからこそ、史学には過去を辿りながら「将来」を描く力があるということだろうと思う。国力衰えたりとは言え、東洋学の伝統がある日本にはなお期待したい。

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同級生

2023-08-13 10:43:06 | スポーツ・芸能好き

 プロ野球つながりで・・・大谷翔平の活躍は、漫画やドラマを超えて、もはや異次元か異星人のもので、賞賛を惜しまない者はなく、レジェンドと言われる元・大リーガーも例外ではない。彼が大リーグに挑戦したとき、これほどの活躍を誰が予想しただろう。驚くべきことだ。

 日々、私たちに元気を与えてくれる彼の活躍だが、彼の世代はなかなか豪華だ。

 数日前のNEWSポストセブンは、「大谷はこれまでにも数多のハードルを乗り越えてきた。その陰には、本人の努力はもちろん、切磋琢磨する『同級生アスリート』たちから得たヒントがあった」と言い、ラグビー日本代表の姫野和樹のほか、野球界では鈴木誠也、サッカーの浅野拓磨、南野拓実、水泳の萩野公介、瀬戸大也、バドミントンの桃田賢斗、奥原希望、スピードスケートの高木美帆、柔道のベイカー茉秋、バスケットボールの渡邉雄太を挙げている。「野球をしている時間以外はずっと寝ているような印象の強い大谷」だが、「そんな彼が顔を出す数少ない機会の1つが、『94年会』」(同)なのだそうだ。その「94年会」に大谷が参加を切望する「最後の大物」が、最近、結婚を発表した羽生結弦だという。なるほど綺羅星の如く・・・である。

 そう言えば、チャリティー・ソング「時代遅れのRock’n’Roll Band」を引っ提げて、昨年末のNHK紅白歌合戦・特別企画に登場したのも同級生バンドだった。桑田佳祐が作詞・作曲し、メールのやりとりはあってもなかなか共演する機会がなかったという世良公則と久しぶりにプライベートで顔を合わせて、「同級生で協調して、今の時代に向けた発信をできないか?」という会話がきっかけで話が進み、80年代に共演歴があった佐野元春やChar、かねて桑田佳祐がリスペクトしていた野口五郎が、「今あえて時代遅れなやり方で、我々の世代が『音楽という名の協調』を楽しむ姿を発信し、その中で『次世代へのエール』や『平和のメッセージ』を届けたい」という思いに賛同し、結成が決まったという(2022年12月18日付、日刊スポーツ「桑田佳祐ら“最強の同級生”バンドが紅白に出場 特別企画で『時代遅れの-』テレビ初歌唱」)。こちらもなかなか豪華な顔ぶれだ(1955~56年生まれで、ほかに郷ひろみ、大友康平などがいる)。

 かつて「中三トリオ」と呼ばれた山口百恵、桜田淳子、森昌子の年代(1958~59年)には、岩崎宏美、久保田早紀、岡田奈々などがいる。天地真理の年代(1951~52年)には阿川泰子、藤圭子、今陽子(ピンキー)などがいるし、南沙織、太田裕美、竹内まりや、丸山圭子、庄野真代の年代(1954~55年)もなかなか興味深い。

 だいたい1950年代生まれは、その前の全共闘世代(あるいは1947~50年に生まれた団塊の世代)が革命の夢に破れたあと、音楽によって自己表現・自己実現することが流行り、その中で物心ついた世代だ(例えば坂本龍一は1952年生まれだった)。とりわけ歌謡界は上手くても下手でも盛り上がった時代で、インフレ気味と言えなくもない。そこから随分下って大谷翔平の世代は、戦後の日本が一応の達成を遂げる過程で、(そのために日本の高度成長が終わらせられたとでも言うべき)欧米スタンダードに合わせることが要請された時代に、野茂英雄が大リーグに挑戦したのを皮切りにスポーツで世界に飛翔することを当たり前に目指した世代と言えるのかも知れない。

 「同級生」には独特の響きがある。先日、久しぶりに集った学生時代の友人の中には、入社した会社の社長に昇りつめた者もいれば、子会社の社長という定番におさまって悠々自適の者や、転職して第二ステージで活躍する者もあり、さまざまだが、いざ話を始めれば、あっという間に30年以上の時を超えて、学生時代の当時に舞い戻る。実際に交わっていた時間は長くてもせいぜい4年程度なのに、多感な時代を過ごした重みなのか、かつて同じようなテレビ番組や映画を見て、音楽を聴いて育ち、その後、歩んだ道は違っても、バブル景気やその後の失われたと言われて久しい時代の空気を同じように吸って、肌感覚が合うのだろう。日経・交遊抄に呼ばれることはないだろうけれども(笑)

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野球人の発言

2023-08-11 21:09:51 | スポーツ・芸能好き

 プロ野球の監督に限らないが、インタビューでの発言は、いったん報道されればそれなりに選手たちの目や耳に届いて、彼らの行動に影響を与えないわけではない。だから、そうなることを前提に、インタビューでの発言を工夫する(だろうと思う)。中国共産党の発言が、諸外国よりも先ずは自国の人民を意識したものであるように、監督の発言も、野球ファンに喜ばれるよりも先ずは選手本人に対するメッセージとなることを意識する(だろうと思う)。

 最近、話題になったのは、読売巨人軍・原辰徳監督の発言だ。7月に23打席連続無安打と苦しんだ主砲・岡本和真をなんとか鼓舞しようと思ったのだろうか。「今月1日のヤクルト戦で山野に7回4安打無得点と抑えられプロ初勝利を献上し、4タコに終わった岡本和について指揮官は『和真? いた? 今日。…まあいいやそれは』とけむに巻いた」(東スポより)。

 すると、あら不思議、翌2日に「岡本は2本塁打を放ち勝利に貢献し、お立ち台に立つと『昨日は空気と言われたので、今日はちょっとはおったんかなと思います』と“反撃”」(同)した。その後の活躍は、報道で知られる通り、6試合で9本塁打の固め打ちをし、7試合9発の王貞治(1964年、70、72年)やバレンティン(2013年)の記録を超えた。

 ドラ1・浅野翔吾のデビュー戦となった7月8日DeNA戦の外野守備で、いきなり転倒したが、原監督は「たまたまあの時は目をつぶっていて見てなかった」とコメントしたのも、その一つかもしれない。「その後、巨人OBの岡崎郁氏のユーチューブではしっかりと見ていたことを明かしている」(同)。

 今年の岡本和真の、WBC準決勝あたりからの活躍は目を見張るものがあるが、どうにもチャンスに弱い。OPSはセ・パ両リーグで唯一、1を超えているが、得点圏打率は0.231(昨日時点)と相変わらず低迷している。ここで1点欲しいときになかなか点が入らないのが今年のジャイアンツの弱さで、岡本の責任は重い。昨年、なんだかんだ言って投打の要の菅野と岡本が期待通りの活躍とはならず、戦犯扱いしたものだが、このままでは今年もそうなりかねない。飄々としていながら、モノに動じない、どっしりとしたツラ構えは4番の貫禄十分だが、期待を込めて、チームの勝利に貢献してこその主砲だと、声を大にして言いたい。本人も重々分かっているだろうけれども。

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政治家の発言

2023-08-09 21:18:03 | 時事放談

 政治家たるもの、その発言には責任をもってもらわないと・・・などと説教を垂れるつもりはない。もっと無責任に自由に発言してもらって構わないのではないかという、ススメだ。

 麻生太郎元首相が昨日、台北市内で講演し、「今ほど日本、台湾、アメリカなどの有志国に強い抑止力を機能させる覚悟、戦う覚悟が求められている時代はない」「防衛力を持っているだけでなく、いざとなったら使う、台湾の防衛のために使う、台湾海峡の安定のためにそれを使う明確な意思を明確に相手に伝えることが抑止力になる」と語ったそうだ(ロイターより)。日本の政治家にしては踏み込んだ、しかしお気楽な麻生さんならではの発言である。

 早速、中国は反応し、在日中国大使館が声明で「日本の一部の人々が中国の内政問題と日本の安全保障を結びつけようとすれば、日本は再び方向を見失うことになる」と非難したそうだ(ロイターより)。中国外交部報道官ではなく在日中国大使館の声明であるところに、中国側の抑制した配慮が感じられる。

 もとより政治家の言動で言えば、言葉より行動が重要なのは言うまでもない。中国は尚更、言葉より行動を注視するだろう。何しろ、サヨクの常としてプロパガンダを重視し、言動一致など歯牙にもかけず美辞麗句を喧伝し、何はともあれ言葉で応酬するお国柄である。日本でも、いくら麻生さんが講演で語ったところで、いざとなったら自衛権発動のハードルが高いことは麻生さん自身も中国も百も承知だろう。それでも、日本の政治家が、しかも与党・自民党で過去に首相を務めたほどの人物が(いくら口が軽くて舌禍が絶えないとは言え)語ったこととして、中国に与えた心理的な影響は小さくない。所謂「議員外交」である。

 抑止力とは、能力と(それを使う)意思の掛け算だと言われるが、それだけでは十分ではない。そもそも如何なる犠牲を払ってでも行動を躊躇わないような非合理な相手は抑止できないから、合理性が前提となる。そして抑止で重要なのは、相手が特定の行動を起こせば利益以上のコストやリスクが発生することを相手に説得的な形で示すことである以上、相手側の認識を操作するに十分な説得力ある伝達がなされなければならない(このあたりは福田潤一氏『ウクライナ戦争はなぜ終わらないのか』より)。政権を離れているとは言え(まあ、離れているからこそ可能だったとも言える)麻生さんの言葉は、日本の政治家、特に自民党には親中で中国を忖度する人が多い中で(恐らく中国の働きかけも大きいことだろう)、意外に受け止められたのではないかと思う。そう言えば、故・安倍晋三元首相も、政権を離れてから「台湾有事は日本有事」と語られた。このような物議を醸す発言は、日本では、中国のような全体主義ではあるまいし、あって然るべきだし、中国への牽制効果は無視できないと思う。

 最近、もう一つ、政治家の発言で注目したものがあった。

 自民党の甘利明前幹事長が三日前、フジテレビ系『日曜報道 THE PRIME』で、福島原発の処理水に関して次のように語ったそうだ(FNNプライムオンラインより)。「中国が専門家同士の意思疎通を行わないのは科学的でない主張をしているからだ。処理水はトリチウムに関してIAEAの安全基準の40分の1、WHOの飲料基準の7分の1だ。そこまで希釈して排出する。排出総量は中国の5分の1から7分の1。原発ごとに量が違う。日本の原発はどこもよその原発よりも少ない。中国(の原発)はどこも日本より多い。だから政府の気持ちを代弁するならば、『あなたにだけは言われたくない』ということだと思う。あくまでも科学的根拠できっちり詰めて、だからこそ、よその国は全部これで納得している。」

 さすがにこの発言に留飲を下げた日本人は多かったのではないかと思う。中国は、処理水の海洋放出に先立って、日本から輸入する水産物すべての検査を強化し、事実上、輸入禁止措置を執っている。中国が得意とする、自らの優位をテコにした経済的威圧(economic coercion)であり、不条理と思わない日本人はいないだろう(これを利用して処理水放出に、あるいは政府のなすことに何でも反対する人は別にして)。

 甘利さんも、自民党の有力者とは言え、過去に問題があって政権に入っておらず、お気楽な立場にある。だからこそ可能なのだろう。そこが日本の政治家の弱みでもあるのだが、政権のスポークスマンである内閣官房長官が自由に話し辛いのであれば、与党・自民党の有力者とされる方々は、是々非々で中国を牽制することは、もっと自由に発言してもらって構わないと、お気楽な私は心から思う。

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