風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

ブランド信仰・続

2013-11-23 00:22:13 | 日々の生活
 ブランドについて、もう少し続けます。今日は「日本」ブランドについて。
 私の海外生活は9年で、企業人として大部分の時間をオフィスで過ごし、お世辞にも現地に根をおろしていたと言えるシロモノではありませんが、日本を離れた物理的な9年という歳月に、それぞれ住んでいた土地(アメリカ、マレーシア、オーストラリア)の人々に囲まれ、その雰囲気に包まれながら、祖国・日本を様々な局面で愛しく思ったのは、生まれ育った血のなせるワザ(業)にほかなりません。人は祖国を離れ、外から眺めるようになると、祖国の良さを再発見します。
 しかし「日本」ブランドは外国人の評価も高いのは、あまり日本では(メディアのお眼鏡にかなわない!?せいか)報道されることがありませんが、BBCの海外向け放送BBCワールドサービスが企画し毎年発表している“好感度”調査などでも明らかです。最新の調査(今年5月に発表)では、昨年の1位から今年は4位に転落したことが、ちょっとしたショックなこととして一部で報じられましたが、そもそも昨年は東日本大震災があってなお秩序正しい日本人性が世界に向けて報道されて好感されたために久しぶりに1位に返り咲いたものでした。こうした“高感度”調査はその年の出来事に影響されるもので、ここ数年は4~5位あたりで安定推移しています(が、ここ1~2年は、中国や韓国から足を引っ張られつつある)。
 最近はグローバル経済を反映して、私の会社でも外国人採用数が増えてきました。東大で秋入学式が話題になり、いつの間にか立ち消えになりましたが、基本的に始まりも終わりもなく淡々と流れる会社の業務ですから、外国人や日本人留学生のために「秋入社式」なるものが行われています。それにしても、何故、私の会社を選んだのか、多分に「日本」ブランドへの憧れがあるようで、日本や日本人や日本の企業が外国の人々の目にどのように映っているのか、その一端が表れていて面白かったので、いくつかの声を紹介します。
 「世界には、サムスンやアップルなど、さまざまなメーカーがありますよね。こうしたメーカー同士の競争がある中で、xxx(社名)のようにyyy年もの歴史があるような会社には、すばらしいエキスパートがいるのだろうな、と思いました。そんな会社から、ぜひとも最高のものを学びたいと思い、xxxを志望しました」(インド人)
 「xxxを志望したのは、大学の修士過程で研究していた領域とぴったりマッチングしたからです。テクノロジーが進んでいて、それでいて、技術力だけでなく、職業倫理観もすばらしい日本という国で、礼儀正しく感受性の強い日本人の方と一緒に働けることに魅力を感じました」(インド人)
 他にもコメントがあったのですが、面白いと思って選んだコメントはどちらもインド人のものだったというのは、偶然なのか、意味があるのか、いずれにしても、企業ブランドを作るのは従業員一人ひとりだと教えられるように、日本ブランドを作るのは日本人一人ひとりです。
 バーナード・リーチ氏(1887~1979)は、植民地官僚だったイギリス人の両親の間に香港で生まれ、後に日本やシンガポールや本国・英国などを転々とし、折しも「ロンドン留学中の高村光太郎と知り合って日本に郷愁を抱くようになり、1909年(明治42年)、日本へ戻って東京・上野に居を構え」「生涯の友となる柳宗悦をはじめ白樺派の青年達と」交友を深めます。陶芸家の濱田庄司と知り合い、「1920年に濱田とともにイギリスのセント・アイヴスに移り日本の伝統的な登り窯を開き、1922年には『リーチ・ポタリー』(Leach Pottery)という名の窯を」開き、「西洋と東洋の美や哲学を融合させた陶磁器」の創作を続けた陶芸家として知られます(「」内Wikipediaより)。そんな彼は、日本美術を高く評価し、「日本にはあらゆるものがあるが、日本がない。今、世界で最も反日なのは日本人なのだ」という言葉を残すなど、西洋を崇める日本人に警鐘を鳴らしたことでも知られます。
 「新植民地主義」のイメージ払拭に躍起で、世界中に孔子学院を設置し、宣伝戦を続ける中国や、政府主導で韓流(Korean wave)大衆文化コンテンツ拡販を続ける韓国などと違って、日本は、和食やアニメで世界を席巻しつつ、宣伝臭さは微塵もなく、「知る人ぞ知る」を良しとする奥床しさが信条で、それが日本らしさでもあるのですが、はしなくも日本人ではないバーナード・リーチ氏に指摘されたように、先ずは「日本」ブランドの何たるかを知り、日本人らしく「日本」ブランドを知り、「日本人」に自信をもち、安倍総理が「積極的平和主義」などと言い始めたように、BBC調査によっても世界から認められる「良い影響力」により、もっとポジティブに世界に関わって行けたら良いのに・・・と素朴に思います。
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ブランド信仰

2013-11-20 01:28:27 | 日々の生活
 「多くの人が知り、限られた人が持ち、誰もが夢見る」とは、今朝の日経新聞で見つけた言葉で、フランスの時計・宝飾品ブランドのカルティエが広告などで謳うフレーズだそうです。カルティエのサイトがメンテナンス中なので原文を調べられませんでしたが、高級ブランドの本質が鋭く切り取られ、まさに言い得て妙です。
 私が子供の頃は、高度成長が盛りを過ぎ、豊かさを実感すると言うよりは、左翼運動が追い詰められ、あるいはオイルショックにより狂乱物価に見舞われるなど、安定成長へとギアチェンジして行く騒然とした世の中だった印象ばかりが残っています。とりわけ私の親は兄弟が多く都会に出稼ぎに出て来たクチですから、贅沢は言えないと子供心にも感じとっていて、今から思えばそれは質素な(!)生活をしていたものでした。その反動か、自分で稼ぐようになると、独身寮の同僚と競うようにスーツやワイシャツの着こなしに凝るようになり、Brooks BrothersやJ.PRESSをはじめ、今はなきChippというブランドもありましたし、ワイシャツではSchiattiを好んで身に着けたものでした。そのうち、毎月のように海外出張に出るようになると、そのたびにブランド品を一つずつ買って帰るようになって、生意気にもそれも身につけるようになりました。20代の若造ですから、ネクタイや財布やペンなどの小物がせいぜいですが、さぞチグハグだったことでしょう。時は折しもバブル経済、当時はまだ内外価格差が顕著だった頃で、海外の免税店で購入するインセンティブが働いたわけです。そうして、手探りながら、世界の一流ブランドの品質を肌で感じ、選別して行きました。
 たとえばネクタイは、ディオールやサンローランやロンシャンよりもジバンシーやダンヒル、万年筆やボールペンはモンブラン、財布はカルティエやダンヒル、時計はオメガやダンヒル、小脇に抱えるバッグもダンヒル、フレグランスはディオール「オーソバージュ」やシャネル「アンテウス」なども試してみましたが、結局、アラミス「900」、自分が使うわけでもないのに、ゲランの「ミツコ」「夜間飛行」やシャネルの「五番」「九番」を買っては、香りを楽しんだりもしました。しかしそんな贅沢も独身時代ならでは。
 ブランドとは、もとは「放牧している家畜に自らの所有物であることを示すため」に押した「自製の焼印」の意味であり、そこから派生して「識別するためのしるし」という意味を持ち、「他の売り手・売り手集団の製品・サービスを識別し、競合他社(他者)のものと差別化することを目的とした、名称、言葉、シンボル、デザイン及びそれらの組み合わせ」、ひいては「消費者の中で当該財サービスに対して出来上がるイメージ総体」(Wikipedia)と説明されます。
 一般には高い価値を保証するものであるとともに、自分にとっては期待する通りの価値を常に約束するものであるとも言えます。かつての自分のように、似合いもしないのに、とっかえひっかえブランド物で身を飾るよりも、また逆に、ブランド品ではない安物をどんどん使い捨てにするよりも、ちょっと遠回りしましたが、高価でも品質の高いブランド物を擦り切れても手直ししながら終生大事に使い続け、古びるほどに味が出るような、そんなブランド物の使い方をしたいと思う今日この頃です。私ほど極端ではないにせよ、日本人はブランド(とりわけ国産ブランド)信仰が強い国民と言われ、食品偽装表示問題は、まさに日本人のそんなブランド信仰に付け込んだ詐欺事件でした。騙す方が悪いに決まっていますが、騙される方にも隙があり、無暗に背伸びしてあるいは自分の理解の範疇を越えてブランド物を求めても足元を掬われる・・・ということかも知れませんね。
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青梅マラソンへの道(2)

2013-11-19 00:33:22 | スポーツ・芸能好き
 日曜日は小春日和の良い天気でしたが、ハーフ・マラソンを走るには、ちょっと暑過ぎるほどでした。参加したのは川崎国際多摩川マラソンで、ハーフ・マラソンの部3900人、8キロの部2146人、3キロの部437人、ついでに親子ペア・ランニングの部196組と、数字の上ではこぢんまりとした大会に見えますが、実際に走ってみると3900人でも壮観です。等々力陸上競技場をスタートして、多摩川に出るまで公道を数キロ走った後、多摩川べりは高低差がない走りやすいコースです。
 薄手の長袖スポーツ・シャツに半袖Tシャツを羽織り、足首までのタイツに半ズボンを履く重装備は、思えば2月の東京マラソンのときと同じで、暑いなあ・・・と思ったときには後の祭りでした。幸い9時半にスタートして11時45分頃にゴールするまで、なんとかエネルギーを切らすことがなかったのは、走る時間帯がうまく朝食と昼食の時間帯にかかっていなかったことに加え、朝飯のお握りだけでなく、会場に到着してバナナを食べ、スタート直前にエネルギー補給ジェルを摂り、更に走っている途中でアミノ酸の粉末を摂るなど、これまでの経験が活きています。それにしても記録が、東京マラソンのときのハーフの記録すら上回ることができず、不本意だったのは、ひとえに今シーズン初のレースで、走り込みが不足していたことに尽きます。経験豊富な同僚からは、週一回の練習では足りない、週の間にもう一回走ればよいのに・・・と、走る前にも後にも指摘されましたが、私自分は、週末に一回練習するだけなら続けられるものの、それ以上になると心理的な負担が大きいと、うじうじ思っていて、実際に、二ヶ月の夏休みをとった後、この二ヶ月間に練習したのは、僅かに8回でした。
 このレースで良かったのは、大きな競技場が本拠地で、有り余るスタンドの座席を着替えや休憩に自由に使えたことと、ゴールした後に記録証をその場で発行してくれたことでしょうか。人数が多くて、給水所の紙コップが切れた・・・といった悲劇を耳にしたことがありますが(それは人数が多いせいではなく人為的な見積もりミスですが)、大会には(そして何事も)最適な規模というものがありそうです。
 昨年は10キロ60分をなかなか切れませんでしたが、今年は早くもクリアしていますので、ぼちぼち走り込みを増やして足腰を鍛えて行けば、ハーフでサブ2、青梅で30キロ3時間も、夢ではない・・・かも。シーズンはこれから!です。

(参考)青梅マラソンへの道 http://blog.goo.ne.jp/mitakawind/d/20130924
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ハウス・オブ・ヤマナカ

2013-11-16 23:48:51 | たまに文学・歴史・芸術も
 タイトルに惹かれて、「東洋の至宝を世界に売った美術商 -ハウス・オブ・ヤマナカ-」(朽木ゆり子著、新潮社)を読みました。明治から大正・昭和初期に、日本をはじめ中国・韓国などの美術品を扱う東洋美術商として世界的に有名だった山中商会(ヤマナカ&カンパニー)の、知られざる海外進出から、太平洋戦争勃発とともに敵国資産として接収され解体されるに至るまでを描いた、一企業の盛衰の物語です。子供の頃から図画工作や美術が好きで(好きこそものの上手で、主要五教科より余程成績が良かったものです(苦笑))、「なんでも鑑定団」は始まった当初から欠かさず楽しみに見るほどでしたので、どんな歴史の秘めたるロマンがあるのだろうかと興味津々で読み進めました。
 しかし案に相違して、エンターテイメント性には乏しい本です。そもそも美術の世界は、芸術家は言うまでもありませんが、せいぜいコレクターや美術史学者までが登場人物で、そこでは美術商は縁の下の力持ちでしかなく、表に出ることは滅多にありません。また、古美術商の商習慣から売買記録は残されていないことが多く、取引実態がよく分からないという事情もあります。そのため、海外渡航が不自由な当時にあって世界を股にかけて活躍した、国際ビジネスマンのはしりのような山中定次郎をはじめとする豪快な人物にスポットライトが当てられ、武勇伝が語られるのがせいぜいでした。著者は、アメリカの美術館やコレクターなどの得意客の手元に残されていた手紙や請求書や領収書、さらにはアメリカ国立公文書館に保存されていた、山中商会がアメリカ政府に接収されたときに押収された大量の資料を丹念に読み解きながら、当時の時代背景ととともに古美術商というひとつの業界史を浮かび上がらせます。いわば学術書の趣で、退屈な場面が多いのは事実です。
 そうは言っても、いろいろ発見がありました。
 私がアメリカに滞在していたときに、マサチューセッツ州セーラム(魔女裁判で有名)にあるピーボディー・エセックス美術館を訪れ、膨大なモース・コレクションを目にして驚かされたことは忘れられません。エドワード・S・モースは、明治の初めにお雇い外国人(動物学者)として来日し、大森の貝塚を発見したことで有名ですが、「多くの民芸品や陶磁器を収集したほか、多数のスケッチを書き残し」(Wikipedia)、今でこそJALが就航していますが私が駐在していた頃は直行便が飛ばないボストンから更に車を一時間以上走らせなければならない片田舎に、それこそ当時の日本の街角の看板から、たとえば豪華な雛祭りセットなどの民具まで、今はなき日本らしい日本が切り取られ、いわば冷凍保存されていたのですから。ことほどさように、幕末から明治の混乱期に、まだ貧しかった日本の素晴らしい美術工芸品を発見した裕福な欧米人が、カネに飽かせて買い漁って、場合によっては略奪して、持ち帰ったものが、今我々が目にする欧米の有名どころの日本美術コレクションに繋がるものと、一種の植民地史観で当然のように思い込んでいました。
 しかし、日本でも有名なフェノロサや岡倉天心や林忠正のほか、フリーア、ハヴマイヤー、ロックフェラーなどの海外のコレクターと良好な関係を構築し、東洋美術を仲介した日本人商人の存在があったとは意外でした。彼らの得意客の中には、メトロポリタン美術館、ボストン美術館、フリーア美術館、シアトル美術館、シカゴ美術館などのアメリカを中心とする著名コレクションを有する美術館のほか、大英博物館まで手広く、また英国王室やスウェーデン王室に連なる人も含まれたそうです。お蔭で、浮世絵のように、当時の輸出品である伊万里陶磁器の包み紙にして捨てられるような庶民のための漫画が見直され芸術品の域に高められるなど、日本の至宝が散逸から逃れ、ある程度まとまった形で、しかも極めて良い保存状態で残されることにもなりました(参考)。
 こうした美術工芸品は、とりわけ時代背景との関連が興味深い。
 先ずは、さして輸出できる工業製品がない明治初期の日本にあって、生糸や茶のほかに美術工芸品が、輸出に向いているものとして奨励されたというのは、なんとなく理解されるところです。1862年のロンドン万博で初代駐日英国公使ラザフォード・オルコックのコレクションが展示され評判を呼ぶと、流れを探るため、ウィーン万博(1873年)やフィラデルフィア万博(1876)では日本政府自らが出品し、日本ブームを巻き起こします。そうした波を捉えたのが山中商会で、波に乗るだけでなく、折しも経済力をつけ贅沢品を求め始めたアメリカの好奇心を満足させるべく、市場を開拓して行ったと言えるかも知れません。最初は異国趣味だったことでしょう。しかしほどなく日本の美意識の高さと確かな技術に驚嘆し惹かれて行ったであろうことは間違いありません。
 ところが明治も後半になると、質の高い日本の美術工芸品が国外に出回ることは稀になります。日本が経済力をつけるにつれ、社寺や旧家が経済的に困窮して資産処分するような事態もなくなり、逆に日本人自身が茶道具を中心とした美術品蒐集に目覚め、価格が高騰し始めたという事情もあります。その後も、関東大震災とそれに続く昭和金融恐慌で美術品を手放す例がありましたが、1900年代後半以降、とりわけ清朝崩壊に伴う政情不安で中国の美術品が大量に出回るようになると、東洋美術の中に占める日本美術と中国美術の比重は逆転します。
 「東洋の至宝を世界に売った美術商」というタイトルからは、一見、こうした美術商を糾弾する思いが込められているかのように思われますが、著者は、日陰者の存在の美術商に同情的であり、それまで余り知られていなかった東洋美術の普及を陰で支え、いわば戦前のアメリカとの間で民間の文化外交を担ったといったような積極的な価値を認めています。伝統的な芸術の世界は経済的な擁護者(パトロン)の存在が重要であり、古美術の世界も、経済的な強者(強国)に買い占められる運命にあり、美術商の商売は、結果としてそんな国家間の関係に翻弄される運命を辿ります。実証的に山中商会のビジネスを追いかける著者の目は、飽くまでも暖かい。美術史の裏面を知ることが出来る好著と思います。

(参考)「写楽」 http://blog.goo.ne.jp/mitakawind/d/20110506
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久しぶりの同窓会

2013-11-09 14:25:11 | 日々の生活
 先日、中学時代の学年同窓会がありました。卒業以来、30数年ぶりに、140人余りが参集しました。
 よく集まったものだと思います。幹事団の頑張りのお陰ですが、140人と言えば、実に三人に一人が顔を見せたことになります。他に比べるすべを知りませんが、30数年という時間を経て、驚くべき出席率ではないでしょうか。
 そもそも同窓会といえば、高校時代か大学時代のもので、いつでも誰かしら集まることが出来る大なり小なりのネットワークがあるものです。ところが中学時代となると、ほんの数年しか変わらないのに、遠い。それは、中学時代が、子供から大人になる成長途上の所謂「思春期」で、人間関係が成熟していないせいだろうと思います。言わば、ほんの数年の違いで、多くが同じ高校に、より成熟した人間関係に、進むものですから、中学時代の同窓会の必要性が感じられないというのが真相でしょう。カラクリはまさにそこにあって、地元のある高校の学年同窓会があり、じゃあ中学も、という話で盛り上がったのだそうです。そうでもなければ、これほどの友達の輪を広げることは難しかったでしょう。今では年賀状が途絶えて東京に暮らす私も、なんとか手繰り寄せられました。もっとも、大阪の田舎の公立中学校で、多くは地元で就職し近辺に生活しているからこそのことでもあります。
 さて、日本の学校は、高校、大学と上がるにつれて、偏差値によって選り分けられて行きますので、その後の人生は、似たり寄ったりになりかねません。それに引き換え、中学時代(さらには小学校)の同級生のその後は実に多彩です。
 自動車修理工場を経営しながら、時々、車を組み立てたり、レーシングカーのメカのメンテナンスを大手メーカーから請け負って、国内外のレースを転戦するやつがいます。小学生の頃から根っからの勉強ぎらいで、いつもふらふら、悪戯ばかりしていたのに、図画工作の時間になると意外な凝り性を見せて、緻密なものを創作していたのを思い出します。
 子供の頃から自転車好きだった男は、10~20代の頃、世界中を自転車で放浪し、中南米を気に入って、半年の予定が一年半も居座ることになって、カネが尽きて、知人に送金してもらって、それでもまたカネが尽きて、ニューヨークでアルバイトをして、また中南米に戻って放浪したほど。結局、就職し損なって、今は駅前で小さな英会話スクールを経営しています。異文化コミュニケーションの講義をするから雇ってくれと頼んだら、ネイティブしか雇わないと軽くあしらわれてしまいました。正論です。かつては、たらし、などとからかわれるほど(当時、大いに妬みや羨望もあったことでしょう)いろんな女の子とすぐに仲良く話す人懐っこさが、海外生活では活きたことでしょう。よく無事で帰ってこれたものです。
 小学校5~6年の頃、一番よく遊んだ男は、独特の感性をもち、お互いに違いを認めつつ妙にウマがあったものでしたが、当時から子供らしくないほど好みにうるさくて、サラリーマンは似合わないと思ったら、地元で有名なバーのオヤジをやっています。今でも相変わらず好みにうるさそう。
 そうかと思えば、中学校一の秀才で、灘高受験を失敗して、滑り止めで私と同じ高校に進んだ男は、今は大手電機メーカーの中間管理職で、私とはなんとなく似たような境遇です。学生時代に勉強して勉強が出来た友達は(好きか嫌いかは別にして)、勉強は出来て当たり前と思う内に、なんだか人生の選択肢を狭めて窮屈にしてしまっているような気がしないでもありません。それに引き換え勉強が嫌いで勉強しなかった友達は(勉強が出来たか出来なかったかは別にして)、好きな道に進んで生き生きとしているように見えますし、同窓会の幹事団や世話役として活躍したのも彼らでしたが、もとより他人の幸せを傍が決めつけるわけには行きません。30数年もの時間を一瞬のうちに乗り越え、今の地位や職業を離れて、大いに話が弾み、大いに刺激を受けたひとときでした。同じ年頃に同じ場所で同じ経験をした縁というものは、偉大なものです。多感な学生時代だから、なおのことです。
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今年のプロ野球・続

2013-11-08 03:57:15 | スポーツ・芸能好き
 今年のプロ野球は、明日行われる侍ジャパンの台湾戦に関心が移っていますが、この機会に、その後のシーズンを振り返りたいと思います。
 日本シリーズでは、楽天が球団創設9年目にして初優勝をなしとげました。さすがにリーグ覇者同士の戦いは、見どころのあるなかなか良い試合もあって、最終戦までもつれ込みましたが、巨人・打線は最後まで振るわず、巨人ファンとしては欲求不満の残るシリーズとなりました。阿部の22打数2安打をはじめ、チーム打率は僅かに・182と、見事に楽天投手陣に抑え込まれたのは、後で楽天・嶋捕手も語っていたように、巨人打線は縦の変化に弱いという事前のデータに基づき、スプリット(あるいはフォーク)を多投され、まんまとタイミングを外され続けたためでしょう。こんな明らかなボール球に手を出すのかと思うようなシーンが多かったのは、確かにマー君のようにスピードのあるスプリットは打ちにくそうですが、巨人打線が不甲斐ないというよりも、むしろスプリットを多投しながら調子を崩さなかった楽天・投手陣を褒めてあげるべきなのかも知れません。巨人としては良いところナシ、辛うじて、シーズン24勝無敗のマー君に、ポストシーズンではあるものの土をつけたのが、セ・リーグ覇者として、ひいてはプロ野球界としての面目でした。こうして見ると、以前から指摘され、交流戦の結果にも見られる通り、セ・パに力量の差があり、巨人は、そんなセ・リーグでぶっち切りの優勝をして、慢心があったかも知れません。
 それから今年の日本のプロ野球を特徴づけるのは、ルーキーの活躍でしょう。日本シリーズでも、楽天・則本(シーズン15勝8敗)や巨人・菅野(同13勝6敗)の活躍は目覚ましいものでしたし、ペナントレースでも、ヤクルト・小川は前健を抑えてセ・リーグ最多勝(16勝4敗)、阪神・藤波は10勝(防御率2.75)、日ハム・大谷は3勝にとどまりましたが投・打の両刀使いが話題をさらいました。これだけの数字を並べられると、また何よりマー君の24勝無敗という大記録が打ちたてられた年でもあり、投球術が進歩しているのか、たまたまルーキー投手の実力が秀でていたのか、はたまたプロ野球界の打撃の質が落ちているのか、気になるところです。
 海を越えて、ワールド・シリーズでは、期待通りボストン・レッドソックスが優勝しました。上原はクローザーとしての仕事をこなし、見事、胴上げ投手となって、喜びもひとしおでしょう。日本では完投型の投手だったことを思うと物足りなさは残りますが、体力差があるアメリカで活躍を続けるのは並大抵ではありませんし、分業が進むアメリカでは、日本よりずっと評価が高いことでしょう。
 バレンティンの56号本塁打、イチローの4000本安打は、既に書いたことなので、触れません。
 若手中心の新生・侍ジャパンにも期待しましょう。
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社会的責任・続

2013-11-05 23:24:34 | ビジネスパーソンとして
 前回のブログでは、阪急阪神ホテルズの食材「誤表示」問題に関連して、初動のお粗末さについて書きました。現代の企業経営においては、コンプライアンスに対する感度を高く保持しなければ、ブランド・イメージに甚大な影響を及ぼしかねません。同社の場合も、折角、自主的に調査した結果を公表するという見上げた行為であったにも係らず、社長の態度が非を認める率直さに欠け、往生際が悪いと見えたために、却って世間の反感を買ってしまったものと思われます。
 さて、食材「偽装」表示の問題は、予想外の拡がりを見せています。産経新聞のネット・ニュースは、当初、「阪急阪神食材誤表示」と小見出しがついていたものが、23日には「阪急阪神食材偽装」に変わり、26日からはとうとう特定企業名を冠さずに単に「食材偽装表示」とタイトルされるようになりました。帝国ホテルでは、非加熱加工のストレートジュースをフレッシュジュースとして提供していたことが明らかにされましたし、近鉄系ホテルでも、一部メニューに牛脂注入肉を「ステーキ」と表記したり、解凍魚を使っていたのに「鮮魚」と表記したりしていたことが明らかにされました。今日のニュースでは、とうとう老舗百貨店の高島屋でも、レストランなどの店内テナントで、メニュー表示や商品名と異なる食材を使っているケースがあったことが明らかにされました。
 貧すれば鈍する、ということを思わざるを得ません。
 たとえばホテルは、今や老舗旅館や高級外資からビジネス・ホテルまで入り乱れ、長引くデフレ不況の中で、客足が鈍って価格引き下げの圧力に晒されていることでしょうし、レストランも、高級店からファーストフードまで様々な業態の熾烈な競争環境にあって、恐らくデフレ日本でも最も価格競争が激しく、食材はグローバル調達が当たり前で、製造現場では1円否1銭のコスト・カットにも汲々としていることでしょう。そのあたりを背景にしているであろうことは容易に想像されるところです。勿論、私だって性善説を信じたいですが、全てが善だと信じるほどナイーブではありませんし、人間はそもそもそれほど強くありません。一人きりで判断するときには善であっても、集団となれば別の心理が働くことは往々にして目にするところです。それにしても、どいつもこいつも・・・との思いを禁じ得ません。中には10年近く前から行われていたものもあるようで、それによって、安全な食を正当に届ける努力を続ける正直者が淘汰されて馬鹿を見る、所謂「悪貨が良貨を駆逐する」ようなことがあったとすれば、浮かばれませんし、消費者としても、騙されることはもとより、こうした不正がまかり通る社会は許せません。企業は生き物です。環境も変われば、会社を担うマネジメントも従業員も変わる。だからこそ創業者の思いや、コンプライアンス意識は、繰り返し思い出させないことには、風化してしまいがちです。中国のように健康に害を及ぼすものではないとは言え、消費者のブランド信仰に付け込むという意味では日本らしい、悪質なものでした。
 以前、このブログで、日本人の「正直さ」「清潔さ」を褒めたばかりでした。日本人の商売の基本は、顧客との関係性を軸に「信用」に重きを置くものだったはずです。裏切られた私たち消費者の思いは、やり場のないものです。横並びという決して誇れる性向ではないにせよ、それなりに伝統も実績もある企業が連座する姿は、辛うじて自浄作用が働いている証拠でもあります。これを奇禍として原点回帰し、再生を期して欲しいと思います。とても他人事には思えませんから・・・
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