風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

核心になった国家主席

2016-10-30 11:12:07 | 時事放談
 宮崎正弘さんによると、中国の野党・中国民主連盟が10月25日に「受付業務」で一名の募集(野党職員として大卒、2年以上の社会経験要)をかけたところ、9837名もの応募があったという。なにしろこの中国民主連盟なるもの、「野党ということになっているが、実態は共産党のダミーで、党の綱領には『共産党の指導の下で』と書かれており、アリバイ的に野党が存在することになっている建前上の組織」(同氏)だそうで、来客も少なく、やることも特になく(デモも集会も禁止されているから)、景気の良いときであれば誰も顧みなさそうなポストだが、「閑職でも安定した収入が望める」「なんたって(準)公務員だから」とばかりに殺到したらしい。中国の低迷する経済風景の一端を示している。
 その中国で27日に発表された6中総会(第18期中央委員会第6回総会)の公式文書に「習近平同志を核心とする党中央」といった表現が盛り込まれた。「共産党関係者によれば、『核心』に位置付けられることは、肩書や役職を超える高い権威を持つことを意味する」(産経Web)のだそうで、100年近い中国共産党の歴史の中で、習近平国家主席以前の「核心」は、毛沢東、鄧小平、江沢民の三氏しかいない。錚々たる顔ぶれである。「核心」に昇格した習氏について、産経Webは「建国を主導した毛沢東、改革開放を進めた鄧小平、高度経済成長を実現した江沢民の3氏と比べると、『反腐敗キャンペーン』しか実績がなく、政治的権威にはまだ大きな差がある。また、集団指導体制をやめることで責任を首相などに押しつけにくくなる。習氏は核心に昇格したとはいえ、権力基盤が安定したといえない」と、専ら権力闘争の文脈に位置づけて解説するが、逆説的な意味で、今の中国は権力を集中しなければやって行けなくなった、安穏としておれない厳しい状況の方に目を向けるべきではないかと思う。経済が順調に成長し社会が比較的安定していれば集団指導体制でも権力を回して行けるだろうが、それではやって行けない「有事」に追い込まれているのだろうと思う。
 それはここ数年来、厳しくなるばかりの中国の言論統制を見れば明らかだろう。ここ一年の動きを、(どうしてもフリーで記事検索できる産経Webを重宝せざるを得ず)拾って以下(補足)に示してみたが、これらは恐らくごく一部であって、中国で知識人やメディア・出版関係者が突如、音信不通となり、連絡が取れなくなることが余りに頻繁に発生し、もはやニュースにならなくなったと言われて久しい。このあたりは右寄りの産経に限らず、中央公論の対談(川島真東大教授x遠藤乾北大教授)でも懸念されている。9月末に中国政府は「国家人権行動計画(2016~20年)」を発表し、「ネット上の言論の自由の保障」を初めて盛り込んだというが、虚ろに響く。表に向ける顔とは裏腹に、世界で最も厳格と言われる検閲システム「グレート・ファイアウオール」を駆使して「中国共産党政権の一党支配に異を唱えるサイトや、反政府活動の情報交換の場になりそうだと中国当局が判断した情報サービスは、ことごとく遮断する」(産経Web)と言われる。
 中国の仮想敵国は、公式には日本とされているが、実は中国人民である(笑)などという良く出来たジョークがあるが、案外、真実を衝いている。そうでなければ、人民解放軍などと、国家のためではなく党のために尽くす軍隊をそのままの形で置いておくはずがない。中国共産党は、人民を信用していないのである。他方で、中国4000年の歴史を振り返れば分かる通り、中原を舞台に天下取りをめざし、やがて人民が蜂起して統治が崩壊するある種のパターンが繰り返されて来て、中国共産党は人民を恐れてもいる。その歴史に学び、人民が反乱・蜂起しないよう、周到に「あまねく事実を知らしめない」ようにしているわけだが、ネット社会のご時勢にご苦労なことである。
 中国通のヘンリー・ポールソン氏(前米財務長官)は中国経済の現状を分析し「短期的には国有企業の過剰投資と在庫であるが、中期的には地方政府ならびに国有企業の債務の膨張問題があり、長期的には経済成長の新しい鍵となるイノベーションを中国自身がやり遂げなければならない」と簡潔に総括しているが、このあたりは今年三月に発表された五カ年計画を読み込めば、中国指導部も正確に認識していることが分かる。あとは実行あるのみ。ところが、今の一党支配体制を前提にする限り、内部矛盾を抱えてニッチもサッチも行かず、解決不能なのである。そのあたりを衝いて、ジョージ・ソロス氏は1月のダボス会議で「中国経済のハードランディングは不可避的」と予言した。習氏本人が「核心」になろうが何になろうが構わないので、どうか周囲に迷惑をかけないようにしてもらいたいものだと、小市民の私は心から願うのだが・・・。

(補足)
(1)国営通信・新華社が3月13日に配信した記事の中で、習近平国家主席の肩書を「中国最高指導者」とすべきところ「中国最後の指導者」と間違え(午後4時5分)、訂正する(午後5時15分)ミスがあったという。実に味わい深いミスで、意図的だとすれば傑作だと思うが(笑)、残念ながら関わった記者1人と編集者2人は停職処分になったらしい。このミスを巡っては、習近平国家主席がその前月に党機関紙・人民日報、国営通信・新華社、国営中央テレビを視察した際、「メディアは党の宣伝の陣地であり、党を代弁しなければならない」と指示したことに反発したためではないかと憶測された。
(2)同じ3月、全人代(全国人民代表大会、上記五カ年計画を発表)開幕を控えた4日夜、中国新疆ウイグル自治区政府系ニュースサイト「無界新聞」に、「忠誠なる共産党員」を名乗る投稿者名で、習近平国家主席の外交や経済面などの「失策」を指摘し、辞任を求める公開書簡が掲載されたという。習氏が権力を集中させ、国家機関の独立性を弱体化させたと政治面の問題を指摘、言論締め付けは文化大革命の再発を懸念させると批判、外交面でも故鄧小平氏の「韜光養晦」路線を捨て、日本や米国との関係を悪化させたなどと非難、「あなたは党や国家の指導力に欠ける」と辞任を求めるという、内容としては極めて真っ当なものだが、すぐに削除され、「無界新聞」は閉鎖されることが決まり、関係者が拘束されたという(が、その後は不明)。
(3)同じ月の29日、「171人の中国共産党員」を名乗る投稿者名で、同じように習近平国家主席の辞任を求める公開書簡が、今度は米国の中国語サイト「明鏡新聞網」系のブログに掲載され、自らすぐに削除したが、ネット上で一気に拡散したという。強まる言論統制への反発と見られている。
(4)7月に改革派の雑誌「炎黄春秋」が当局の人事介入で事実上の廃刊に追い込まれたのに続き、10月に入ると中国の知識人階層に幅広い影響力を持っていた言論サイト「共識網」がアクセス不能になり、習指導部による“聖域なき言論統制”の強化に懸念の声が高まっていると報じられた。2009年創設の「共識網」は「大変革時代における共通認識の探求」をモットーに掲げ、政治や経済、歴史、思想などの分野で、左派から右派まで幅広い立場の専門家が意見を発表し、人気を博していたという。「炎黄春秋」にしても「共識網」にしても、改革派の古参幹部など強力な政治的後ろ盾が存在すると見られていたが、それすらも許さない習指導部の強硬な姿勢が懸念される。
(5)経済政策を巡っては、5月に、党機関紙・人民日報のインタビュー記事で「権威人士」を名乗る匿名の人物が李克強首相を批判し、それが実は習近平国家主席の側近・劉鶴・党財経済指導小組事務局長だったとされて、習氏と李氏の内輪の対立が浮き彫りになったが、他方、昨年ごろから「蛮族勇士」を名乗る投稿者が、習近平指導部の経済運営を痛烈に批判、景気減速の深刻な実態を暴露し、中国は「不況の道」を歩んでいると主張して反響を呼んでいる。多様なデータを駆使していることから体制内部の人物、一部メディアは政府系シンクタンクの中国社会科学院の研究者ではないかと推測するが、当局側はアカウントを次々に停止し(しかし投稿された文章は拡散し続けている)、官製メディアを使って反論に出るなど対応に追われているという。
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フィリピン大統領(後編)

2016-10-28 00:18:59 | 時事放談
 お騒がせドゥテルテ大統領が今日、訪日から帰国した。注目の安倍首相との会談の冒頭で、南シナ海問題について(中国では“対話”による解決を探るとしていたのに対し)「“法の支配”のもとに“国際法”に基づいて平和に問題を解決したいと思っている」と語ったようだ。出席者によると「中国が仲裁判決を踏まえてどう対応するか注目している」とまで語ったという。
 どうやら大統領の訪日が決まった後で、それを牽制したい中国政府が訪日より先に訪中するよう誘い出し、併せて南シナ海問題に絡む仲裁判決のことに言及しないようクギを刺したようだ。相変わらず中国らしい下手な小細工だが、「中国は経済問題を話し合うために訪れた」と振り返るように、大統領もそれに応じたのだろう。話に一貫性がないだの、暴言だの不規則発言だのと不信感をもって見られる大統領だが、専門家の中には、ダバオ市長を7期務めていきなり大統領になって、外交のことがまだよく分かっておらず、南シナ海問題に対するスタンスもまだ決まっていないのではないかと解説する人がいて、案外、その程度のことかも知れないと思う。実際、地元のメディアは、大統領の訪中が経済支援を勝ち取って大成功だったという論調一色のようで、南シナ海で妥協したという話には全くなっていないようだ。
 今回の大統領の訪日で分かったことは、親日家ぶりはどうやら本当のようだが、日・中とはそれぞれ等距離外交を模索しているところからすると、何よりも先ず経済重視であることも明らかのようだ。経団連との昼食会では「日本は信頼できる友人。特別な関係」「日本とのパートナー関係を決して手放さない」などと持ち上げたらしいが、これも経済協力を期待したリップサービスの側面もあるのだろう。問題はフィリピンとアメリカとの関係だ。大統領は、個人的な経験からも、また国家の歴史からも、余程、アメリカが腹に据えかねるらしい。中国に擦り寄り、日本を贔屓するのに比べ、アメリカ(やアメリカ大統領)を罵る言葉は異常だ。アメリカを警戒するばかりに、アメリカが日本を仲介させようとしているのではないかとも警戒しているようだ。そこに日本の立ち位置の難しさがあると同時に、今回、共同声明に「両国の友好関係及び同盟関係のネットワーク(注:日米比関係を含む)が地域の平和、安定、海洋安全保障を促進することに期待を寄せた」と明記させたように、今後の外交的な立ち居振る舞い次第では日本の仲介者としての存在意義もあるということだろう。これはフィリピンだけに限らず、その他のアジア諸国や中東諸国との関係、さらにはロシアとの関係でも妥当する。
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フィリピン大統領(前編)

2016-10-22 22:20:40 | 時事放談
 「ダーティ・ハリー」になぞらえて「ドゥテルテ・ハリー」と呼ばれるらしい。日本風に言えば「必殺仕置き人」だ。かつての超大国アメリカでも、暴言を吐いてなお大統領候補の座に収まり続ける人がいて、その人物とも並び称されるが、どうも世の中は戯画化(あるいは劇場化)しているようだ。
 因みに、オバマ氏に対して俗語で「son of a bitch」(文字通りに訳すと「売春婦の息子」だが、言わば「お前の母ちゃんデベソ」)に近いタガログ語の「Putang Ina mo」(もっとも公式発言録にmoがついていないので、「クソッタレ」程度らしい)と吐き捨て、米国大使には「このオカマ野郎」、EUには「地獄に落ちろ」、人権を問題視する国連には「脱退してやる」、訪比したローマ法王には「もう来るな」などと嘯いた。どうやら聴衆を前にするとつい高揚して口が滑り、発言が過激になるようだが、少人数や一対一で対面した人によると、至って物静かでむしろ寡黙だと言う。それにしても品がない。アメリカには謝罪し、ローマ法王には懺悔し、国連脱退も取り消した。だったら、言わなきゃいいのに、なかなか人騒がせな人物だ。
 そのフィリピン大統領が、中国を訪問し、南シナ海問題を「2国間の対話と協議」に委ねるとする習近平国家主席の提案に応じたらしい。「すぐに合意するのが難しい問題は、棚上げが可能だ」と習近平国家主席は述べたらしいが、実に分かり易いデジャヴだ。1978年に日中平和友好条約批准のため来日した中国の鄧小平副首相(当時)は、尖閣諸島に関して似たようなことを言って、次の世代の知恵に任せようと提案した。その後、中国がやったことは、1992年領海法で尖閣諸島を自国領と明記し、2012年には尖閣諸島を「核心的利益」に格上げするなど、自らに都合が良い既成事実の積み重ねだったことは周知の通りだ。
 さらに、北京の人民大会堂で開催された経済フォーラムでは、同盟国アメリカとの関係について、大胆にも「軍事的にも経済的にも米国と決別する」と粋がったらしい。まあ、過去100年の間にアメリカからどんな仕打ちを受けたか(その間、一時的に支配した日本も無傷ではないかも)、植民地になったことがない日本人には想像できないが(まあ日本だって戦後に占領統治され、今なお精神的な占領統治が続いている)、相変わらず口が軽い。
 フィリピンにとって、南シナ海問題は、当事者の領有権という法律論争にとどまらず、中国の人工島造成や軍事拠点化に見られるように安全保障上の現実的な脅威であり、双方の国力を見るまでもなく、単独で解決できる問題ではない。また、周辺国である日本や韓国にとっても、南シナ海はシーレーンにあたり、航行の自由は独立国家として死活の利益であって、おいそれと見過ごせる問題ではない。そんなことは、フィリピン大統領として百も承知だろう。それこそシンガポールやベトナムや他のアジア諸国のように、中国とアメリカとを手玉に取りながら、双方から譲歩と利益を引きだす、小国による際どい大国間外交の一環だろう。お膝元では、公約通り麻薬撲滅に心血を注ぎ、2000人を超える司法手続きを経ない超法規的殺人だとして国際機関や人権団体から非難されようがお構いなし、社会の安定を取り戻す戦いを続けるような人物である。ダバオ市長時代のつつましい暮らしぶりは有名で、「質素な家に住み、華美な生活とは無縁。地元住民は、大統領に当選したドゥテルテ氏がダバオから出て行く際、『寂しくなる』と悲しんだ」(産経Web)という。
 そのフィリピン大統領が、25日には日本を訪問する。単に民主主義や人権の尊重や法の支配といった価値観を叫ぶだけの理想主義者ではなく、フィリピンの国益を踏まえた冷徹な現実主義者であるかどうかは、そこで明らかになるだろう。どんな劇場を見せてくれるのか、ちょっと楽しみである。
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風に吹かれて

2016-10-17 20:42:02 | 日々の生活
 ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞した。画期的なことだ。ボブ・ディランと言えば、私より一回り上の団塊の世代ならば語りたいことが山ほどあるだろう、しかし私にとっては伝説の人で、残念ながら語る資格がない。なにしろ「風に吹かれて」と言えば先にオフコースの歌詞がすらすらと口をついて出るような不埒な野郎だ。ガロの「学生街の喫茶店」で「学生で賑やかなこの店の 片隅で聴いていたボブ・ディラン」でその存在を初めて知った。学生時代を過ごした京都に「RINGO」という喫茶店があり、ビートルズ東京公演の未使用チケットが飾ってあったものだが、そのビートルズに影響を与えた方である。いずれも私にとっては二次利用(笑)。それでも、間接的に影響を受けた一人として、続ける。
 私が過去のブログ・タイトルに「ペナンの風」とか「シドニーの風」などと(そして今のブログでも)使っている「風」のモチーフは、ボブ・ディランのこの曲に由来するのではないかと秘かに思っている。これも実は間接的と言えなくもなくて、その間に、伊勢正三が「かぐや姫」を解散した頃に大久保一久と結成したバンド名「風」なども影響しているのだが、今日のところは余計な話は差し挟まない方がいい、かな。
 毎度しつこく前置きが長くなってしまった。
 公民権運動やベトナム戦争で揺れた1960年代のアメリカで、ボブ・ディランのフォーク・ソングはプロテスト・ソングと呼ばれ、若者の圧倒的な支持を得たのだが、当の本人は否定的な発言をしているようだ。「これはプロテスト・ソングとかじゃなくて…ただ誰かの為だと言って話していることについて、言いたいことを曲にしただけです。誰かのね」(Wikipedia)と。その肩の力が抜けたメッセージ性こそ、彼の本領であり、その後メジャーになり得た所以だと思う。
 ノーベル賞を受賞したことに関しては賛否両論あって、その論拠を見ていると、なかなか興味深い。以下、産経Webの記事から拾ってみると、中でも最も印象に残ったのが、「普通の小説家や詩人ではなく、“吟遊詩人”を選んだということで、文学の原点回帰ともいえる」(文芸評論家の川村湊さん)といったコメントだった。確かに文学などというジャンルが確立される遥か以前に、詩は人々とともにあり、古代ギリシアではホメロスに始まり、日本では万葉集に始まった。多少、難解なところもある彼の歌詞は、「古典文学や詩文が持つ知性」の息吹を音楽に吹き込んだと高く評価される。実際、彼が「ディラン」を名乗ったのは、「英ウェールズ出身の詩人ディラン・トーマスに傾倒したからだと言われ、好きな詩人としてなんと英国のT.S.エリオットの名前を挙げる」らしい。また、「アレン・ギンズバーグら米国の詩人たちと交友し、詩の伝統を吸収し、社会性の強い歌詞だけでなく、暗喩を散りばめ、楽曲を豊かな解釈が可能なものに発展させていった」と評価する人もいた。2008年には「卓越した詩の力による作詞がポピュラー・ミュージックと米国文化に大きな影響を与えた」として、ピュリツァー賞特別表彰を受賞している。そして今回のノーベル文学賞受賞理由は、「米国音楽の偉大な伝統の中に新たな詩的表現を創造した」というものだった。
 冒頭、画期的だと言ったのは、理由は上に挙げたようにいろいろあるとは言え、やはり、科学的な業績にせよ、こうした文学的(文化的?)な功績にせよ、評価がかたまるまで30年や40年の年月がかかるということを念頭に置いている。科学者が大学で研究を初めてからノーベル賞受賞まで一声50年かかると言われるが、まさに彼の場合もデビュー以来ほぼ50年が経った。ノーベル賞だからどうだというわけではなく、実際、私たちはもっと前から彼を伝説だと思っていたが、彼はまさに「歴史」になった。
 そのノーベル賞がどうだという点に関して、「21世紀のノーベル文学賞の選考は、米国に由来する商業文明を毛嫌いしているように感じていたので、米文化のど真ん中にいるディランの今回の受賞にはとても驚いた。やっと文学賞も、科学系の賞と同じように、世の中に貢献した人に与えられる、まっとうな賞になったということだろう」と語る人がいた(アメリカ文学者で、日本ポピュラー音楽学会会長も務められた東京大学名誉教授の佐藤良明氏)。また、それも含めて、今回の受賞は、左右のイデオロギーに偏ることなく反戦・平和とともに反体制を貫く彼の自由・気ままな姿勢に、ノーベル財団としてのメッセージ性を強く感じるのだが、それはこのニュースを聞いた人にかかっている・・・否、答えは「風に吹かれて」いるのだろう。そんなことをつらつら思いながら、この曲を聞くと、走馬灯のようにいろいろなことが心をよぎる。
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救国の中国外交

2016-10-15 23:32:36 | 時事放談
 タイトルは、前回ブログ(亡国の韓国外交)の韻を踏んでみた(笑)。外政(外交)は時に内政の延長と言われる。確かに、もはやエリートによる秘密外交の時代ではなく、基本的に全ての情報が瞬時に共有される自由・民主主義、もっと言えば大衆民主主義の時代にあっては、「外交」は世論という形で一般の支持を意識せざるを得ない側面がある。しかし中国はどう引っくり返しても自由・民主主義国家ではない。中国共産党は人民の代表を自称するかも知れないが、その議員や政府は自由な選挙で選ばれる試練を経ず、従い西側諸国のような正当性もない。その統治の正当性を証明するためにこそ「外交」があり、中国にあって「外交」は目的ではなく諸々の手段の一つに過ぎない。「救国」と呼ぶのはそのためだが、まかり間違っても中国という「国」のためではなく、ひとえに中国共産「党」統治のためである。最近とみに強硬さを増す中国「外交」は、実は方針も長期的な戦略も何もないということだ。そんな(広い意味での)「外交」にからめて、最近の中国事情を象徴する出来事を2つ取り上げてみる。
 一つは、日中経済協会を中心とする財界人が9月20日から27日にかけて中国を訪問したというものだ。経団連会長や日本商工会議所会頭も含む総勢230人、「オールJapan」とも言える過去最大規模のミッションである。時節柄、テーマは何か興味深いところだが、中国側の関心をも集めたのは、22日に中国商務省・次官と会談した際に提示した投資環境の改善項目をまとめた要望書らしい。中国市場から迅速に撤退できる環境がなくては新たな投資が進まないと強調し、中国側に改善を求めたという。異例だ。中国のネットでは「日系企業が中国大脱出?」などと大騒ぎになったらしい。
 人民網日本語版によると、日本の2015年の対中投資額は前年比25.2%減少して32億1千万ドル(約3763億円)にとどまり、3年連続の減少となった。中国商務部はその時(今年2月頃)の記者会見で「日本は中国の重要な投資元国だ。2015年末までに日本が中国に設立した企業は累計5万社に迫り、実行ベース投資額は約1018億2千万ドル(約11兆3千億円)に達し、中国の国別外資導入額で3位だった」と、日本の投資の重要な位置づけを認めている。しかし当の日本企業は、今は貧しい農村も含めて13億の消費者を抱える市場としての中国は魅力があり引き続きコミットするものの、所謂「世界の工場」としての製造拠点としては願い下げ、しかしいったん足を踏み入れたらなかなか足を洗えず苦労していると噂に聞いていた。2020年に向けて所得倍増と、どこかで聞いたような目標を掲げる中国共産党であるが、沿岸地域の労働力不足と地価上昇という成長市場故の事情ばかりでなく、所得上昇という内政優先の政策そのものが中国の国際競争力を急速に蝕んでいることに気付かないわけがない。そして、日本としてこの解決のため、もはや個別企業に任せておれず財界として乗り込んだというわけだろう。
 もう一つは、9月初めに開催された20ヶ国・地域首脳会議(所謂G20)を巡る外交だ。事前には成功に導くため気持ち悪いほどの「もみ手外交」に徹し、事後には元の「げんこつ外交」に戻ったと揶揄する論評も見られた。多くが語られ過ぎたほどだが、南シナ海を巡って、7月に国際仲裁裁判所が国連海洋法条約に基づき中国の主権主張を退ける裁定を出したことに対し、習近平国家主席は抑え込みに躍起となっていた。その甲斐あって、G20会議冒頭では、国際社会が懸念を深める南シナ海や東シナ海を巡る摩擦やイスラム過激派を含むテロの脅威などの外交・安全保障問題には一切触れず、議題を国際経済に限る姿勢を強調することに成功した。その実、日・米・欧やアジア諸国の首脳・外交当局者・報道関係者による水面下の意見交換のテーマは、習氏の思惑とは裏腹に、南シナ海など外交問題に集中していたという。
 またアメリカ大統領就任中の最後の訪中となったオバマ氏への対応も世間の耳目を集めた。出迎えの方式や警備を巡って事前に米中双方で摩擦があったにせよ、杭州の空港到着時、中国側がタラップを用意しなかったのは異例で、オバマ氏は赤絨緞の敷かれていない大統領専用機備え付けのタラップを下りることになり、多くの人は「中国側の嫌がらせ」と受け止めた。それでも習氏は、2013年6月の訪米以来、足掛け三年、取り組んで来た「新しい形の大国関係」を米国に受け入れさせるべく、9月3日夜、杭州の名勝・西湖のほとりを2人だけで散歩し、その途中で腰を下ろして龍井茶で喉を潤す特別待遇で応じたが、オバマ大統領任期中に実現することはなさそうであることがハッキリした。それもあってかどうか、G20開催中、中国は、フィリピンと領有権を争うフィリピン沖スカボロー礁(中国名・黄岩島)近くに、埋め立て用とみられる浚渫船や補給支援用の中国人民解放軍海軍輸送艦など10隻の船を集結させて、国際社会を刺激した。
 この晴れの舞台を演出するため、人口900万を抱える杭州市周辺の工場は8月下旬から最大16日間もの全面操業停止を、何の補償措置もなく、地元政府から言い渡されていた。世界遺産にも登録され風光明媚な西湖のほとりは、期間中、ほぼ全てが封鎖され、一般人の立ち入りは禁止された。そんな努力を嘲笑うかのように、また会議の成果を象徴するかのように、開催日の9月4・5両日、そして閉幕後の6日も晴れることはなく、薄曇りの俄か雨模様となった。やることなすこと、全て異様である。
 そもそも中国政府の中で、本来の意味での「外交」はそれほど重視されていないのが実態だろう。現に、外相・王毅氏は、外相とは名ばかりで、チャイナ7はともかくとして中国共産党指導部を形づくる25人の政治局委員の一人でもないし、内閣に相当する国務院の国務委員という副首相級の人物でもない(ちなみに副首相級以上は10人もいる)。204人の中央委員の一人に過ぎないのである。歴史を振り返れば、古来、中国は周辺国との間に朝貢外交を展開して、新たに国際復帰した当初は韜光養晦と自らを偽って、一般には「爪を隠し、才能を覆い隠し、時期を待つ戦術を形容する」(Wikipedia)と言われ、要は新興国として大国の責任を回避し続けたのだったが、大国になりおおせた今は、昔に戻り、言葉でこそ朝貢外交とは言わないが、札束で頬をはたいてなびかせながら、小国は小国らしく大国に従うのが当然と言わんばかりの威圧的な態度を露骨に見せてビックリさせるのである。確かにそんな朝貢外交もどきのプロトコルに乗っかる限り、西欧的価値観に言う対等の国家間のまともな「外交」はないから、政府内で「外交」に対する位置づけが低くなっても当然なのだろう。いつも仏頂面の王毅氏との会見では何がそんなに嬉しいのかニヤつく岸田文雄外相がつい目に浮かぶが、彼の国の「外交」の重みをもとにちょっと考え直した方がいい。王毅氏の仏頂面は、日本憎しでも何でもなく、ひとえに中国・国内のうるさ型に向けたポーズなのである。
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亡国の韓国外交

2016-10-13 23:15:16 | 時事放談
 他人事ながら、これじゃあ「亡国」外交だろうにと同情を禁じ得ないのだが、どうやら本人たちはケロッとしている。このあたりは兄貴分である中国とそっくりだ。わざわざ詳細に報じてくれる産経Webニュースで、従軍慰安婦に関する日韓合意を巡っての韓国側の言い分を追っていると、今さらながら、彼の国に我が国に対する(外交的な意味での)「誠意」を求めるのは「木に縁りて魚を求む」ようなものだと深く感じ入るし、彼の国の外交はブレてばかりで、その辞書には「軸」とか「信義」の言葉のカケラもなさそうだし(少なくとも対日外交では)、そういった観点から「彼の国につける薬はない」と思わざるを得ないのである(なおここで言う彼の国とは、個別あるいは一般的な彼の国の人のことではなく、あくまで外交主体を言う)。勿論、彼の国では、あからさまに「反日」「侮日」「用日」などと議論して恥じることがないように、(彼らにとって儒教的世界観での格下の)日本に対する遠慮のなさ(あるいは甘え)があるにしても、それをも含めて、私たち日本人とは根本的に価値観なり価値体系が異なるものとして、諦めざるを得ないのである。
 報道によれば、二週間ほど前に韓国の元慰安婦支援財団が安倍首相による「謝罪の手紙」を求めたことに対し、安倍首相は「毛頭考えていない」と応じない考えを表明していたが、韓国外相は、今日になって韓国・国会で、この表現が韓国国民の心を傷つけた、と述べたというのである。産経Webから引用すると、さらに韓国外相は「被害者は合意を不十分と考える余地もあると指摘し、手紙での謝罪表明のような『心に訴える分野での努力がもう少し必要だ』と発言。日本に『努力』を要求するかについては言及を避けながら、こうした措置は日本自身の判断で『いつでもできる』と述べた」という。そして、「安倍氏の言葉で韓国人が『非常に心が重くなった』とも述べた」と言う。いやはや継ぐべき言葉が見当たらない。
 事実として繰り返すまでもないことだが、昨年12月の日韓合意で、慰安婦問題の「最終的かつ不可逆的な解決」が確認された。日本政府は既に合意に沿って元慰安婦支援財団に10億円を拠出した。合意にならえば、今後この資金をもとに「元慰安婦の女性の尊厳の回復、心の傷の癒やしのための事業」が行われる。この拠出金を巡っては、「韓国側が不公平を避けるため定額支給を主張したのに対し、定額になると『日本による賠償金と受け取られかねない』と警戒する日本側は『使途は医療・介護を想定している』と譲らず、元慰安婦各人の事情に合わせた支給を要求」(産経Web)と報じられていた。賠償金のことを言うなら、既に1965年の日韓基本条約において「韓国の日本に対する一切の請求権の完全かつ最終的な解決」が取り決められていたからである。
 ところが韓国は、ソウルの日本大使館前に慰安婦像が設置されていることが公館の「安寧妨害」や「威厳の侵害」を禁じたウィーン条約に抵触するおそれがあることには目をつぶり、努力規定ではあるものの「関連団体との協議などを通して、適切に解決するよう努力する」と確約し日韓合意に含まれている慰安婦像撤去は野放し状態のまま、安倍首相による「謝罪の手紙」などという合意にはない新たな要求まで暗にしてきたのだから、日本政府関係者が、韓国側は解決の“ゴールポスト”を再び動かそうとしていると不信感を募らせるのも無理はない。
 今度はちょっと古い産経Webの引用になるが、「韓国で慰安婦運動を主導してきた民間団体、韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)のユン・ミヒャン代表は韓国が“慰安婦記念日”としている8月14日の集会で『25年間、街で叫び続けてきたハルモニ(おばあさん)たちの声を政府は無駄にした。無能外交だ』などと声を張り上げた」らしいが、こういう報道を見ていると、従軍慰安婦の事実認定が怪しい中、挺対協なる団体は反政府の声を上げるために慰安婦運動を利用しているだけではないかと疑ってしまう。一体、慰安婦問題とはヌエのような掴みどころのなさだ。
 日韓合意は、来年12月に予定される韓国大統領選の政局が本格化し政治の季節に入る来年夏頃までの解決が必須と言われるが、どうも怪しくなってきた。政府間合意とは言え安倍首相と朴槿恵大統領の口約束を次期政権が引き継ぐ可能性は限りなく低い。元慰安婦支援財団も朴槿恵政権内の解散を予定しているため、10億円拠出しただけで元の木阿弥になりかねない。多くの(保守派の)人が、ほれ見たことか、初めから分かっていたことではないかと嘯きそうだが、これが彼の国との外交の現実のようだ。
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万里の長城の荒廃

2016-10-10 12:01:16 | 日々の生活
 前々回、前回と、ノーベル賞受賞をキッカケに多少は次元の違う話を思いつくまま芋づる式に書いてきて、しつこく今回まで続けてみたい。
 万里の長城は、観光化されているところ以外は、自然の風化だけでなく、れんがの盗難(周辺住民が住宅の資材にしたり、抜き取ったレンガを30元で売却したりするケースも)によっても荒廃が進み、明朝時代に造られた約6,260キロの3割が既に消失したとも言われている。そして二週間ほど前に、遼寧省の小河口村で2013~14年に行なわれた修復作業で、上部が(本来使われるはずのしっくいではなく)コンクリートのようなもので塗り固められた疑いがあると報じられ、話題になった。観光客向けに整備されていない「野長城」の中でも最も美しいと言われてきた地域だったのに、まるで平坦な歩道か自転車道のように変わり果てた姿がネットを通じて広がって、さすがの中国でも非難が殺到したようだ。日本でも、中国人のやることは・・・式の、やや突き放した批判が出ていたが、そうだろうか。
 日本に城壁はないが「城」があり、それこそ戦国時代には3~4万あったとされるが、当時は天守がなかった。現代の私たちに馴染みがある天守を備えた威風堂々たる「城」は信長が基本理念を打ち立てたもので、その後、全国に広まり、しかし当時の姿を今に残すのは所謂「現存12天守」だけである(内、5つは国宝、その内の1つは世界文化遺産)。明治4年の廃城令で、全国200余りの城の天守や櫓などが解体・破却されたからで、維持費がないため木材として売られた例もあったという。それでも残った約60棟は、1940年代に入っても20棟が残っていたが、太平洋戦争で消失した。
 時代背景が違うと言われればその通りで、明治維新の頃、一種の革命に燃えていた新政府にとって、旧体制の残した「城」に文化的な価値があろうなどとは思いもよらなかっただろう。しかし誤解を恐れずに言えば、中国の地方に行けば、今でもその程度ではないかと思ったりするわけだ。沿岸部こそ(情報や経済力という点で)先進国に肩を並べるほどになったかも知れないが、地方は30年と言わず50年、あるいはそれ以上に後れているのではあるまいか。勿論、現世利益を求める度合いが強いとか、政策あれば対策ありと言われるほど法の抜け道を探す敏さ(狡猾さ)と言うか上に従わないしぶとさといった中国人らしさが背景に厳然としてあるとは思う。しかしそれ以上に中国の地方は貧しく、情報もなく、世界文化遺産など知る由もないはずだ。衣食足りて礼節を知る、とも言う(もっとも、朽ち果てるものをどういう形で保存するかという議論はあるがここでは触れない)。
 連想はさらに飛ぶ。
 三等海佐として海上自衛隊・特殊部隊創設に携わった伊藤祐靖氏は著書「国のために死ねるか」の中で鋭い指摘をされていた。「日本という国は、何に関してもトップのレベルに特出したものがない。ところが、どういうわけか、ボトムのレベルが、他国に比べると非常に高い。優秀な人が多いのではなく、優秀じゃない人が極端に少ないのだ。日本人はモラルが高いと言われるが、それは、モラルの高い人が多いのではなくて、モラルのない人が殆どいないということである」と。そうして更に続けて、「あくまで一般的傾向としてだが、軍隊には、その国の底辺に近い者が多く集まってくるものなのだ。だから戦争というのは、オリンピックやワールドカップのようにその国のエリート同士が勝負する戦いではない。その逆なのである。」 ところが、「自衛隊が他国と共同訓練をすると、『何て優秀な兵隊なんだ。こんな国と戦争したら絶対に負ける』と、毎回必ず言われる」そうだ。そこで、「最強の軍隊は、アメリカの将軍、ドイツの将校、日本の下士官」などというよく知られたジョークに繋がるわけだが、日本の教育問題を見事に言い当てているとは言えないだろうか。この国を導くエリート教育の貧しさと、しかし平均を高める(正確には落ちこぼれをなるべく出さない)教育こそが日本の社会の高品質を支えている現実を。
 敢えてここでは一方の、底上げされた(しかし突出したところの少ない)平均レベルの高さのことを言いたい。1億2千6百万人という、決して国としては少なくない人口(実際に先進国では移民大国アメリカに次ぎ、東西統一したドイツですら82百万、その次のフランスに至っては63百万と、日本の半分である)をもちながら、高品質を保つのは並大抵ではないということだ(最近は格差が広がっているとの言説が見られるが、勉強不足でもあり稿を改める)。況や13億5千万人の中国においてをや。中国の現在の停滞、そして今後の発展を困難たらしめるものの一つは、国内に富や情報が偏在していることにあり、如何に是正できるか(そのために中国共産党の統治が進化できるか)にかかっている。
 そんな中国を鑑に(と言っても反面教師としての鑑だが)日本を振り返ると、試験の点数だけにとどまらず、伊藤祐靖氏が言われるようなモラルの問題、更に言えば、大陸とは隔絶された島国で、多様な文化を受け容れ咀嚼しながらなお独自性の高い文化を何千年にもわたって育んできた素養のレベルの問題として、日本の品質の高さやそれを基礎とした社会のありよう、もっと言えば日本人の美意識を思わないわけには行かないのである。それはもとより美術品や工芸品の美しさを愛でるだけではなく、日常の所作に及ぶものである。前回、引用した原研哉氏の言葉を、部分的に再掲したい。

(前略)こうした普通の環境を丁寧にしつらえる意識は作業をしている当人たちの問題のみならず、その環境を共有する一般の人々の意識のレベルにも繋がっているような気がする。特別な職人の領域だけに高邁な意識を持ち込むのではなく、ありふれた日常空間の始末をきちんとすることや、それをひとつの常識として社会全体で暗黙裡に共有すること。美意識とはそのような文化のありようではないか。(後略)
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日本人の美意識

2016-10-07 00:14:37 | 時事放談
 前回は、大隅良典・東京工業大栄誉教授のノーベル賞受賞をきっかけに、戦後の日本経済が絶好調で日本の社会活動の全てに好循環をもたらした(その分、摩擦も振り撒いた)1980~90年代という時代背景を振り返り、「ノーベル賞に関して言うと、今は過去の遺産を食いつぶしている」との大隅教授の言葉を引きながら、2000年以降、産業界でも物議を醸した成果主義がもたらすマイナス・インパクト、その最たるものとして、長期的な展望で仕事をすることが難しくなっている今の日本のありようを問題視した。
 しかし本当にそうだろうか。たかだか戦後70年で、日本人の本質が変わるはずはないのだ。
 月曜日の日経朝刊に掲載された新連載「新・産業創世記」と題するコラムが記憶に残る。「NASAも羨むガラパゴス」などと、内向きでネガティブ・イメージの手垢にまみれた「ガラパゴス」をポジティブに捉える挑発的なタイトルである。紹介されていたのはスパイバーという山形県の会社で、微生物が作り出すたんぱく質を主成分に、鋼の340倍の強度がありながら伸縮性もある、クモの糸に着想を得た「夢の素材」の開発を進めているという。そのコラムの中で、米ハーバード大の研究者などが算出する「経済複雑性指標」が紹介される。国内で生み出される製品の多様性と特異性を示し、点数が高いほど、多様な産業基盤を抱えていることを示すものらしく、その指標で日本は世界一の座を守り続けているという。これはノーベル賞といった華やかな世界とは趣の違う、前回ブログで引用した韓国メディアが言う「匠の世界」に通じる面目躍如と言うべきではないかと思う。
 デザイナーの原研哉氏は著書「日本のデザイン」の前書きの中で次のように述べておられる(大いに感銘を受けたところなので、長くなるが敢えて引用する)。

(前略)今の東京の夜景は、世界で一番美しいかもしれない。そういう感想を漏らすと、異論を唱える人は少なからずいる。(中略)やはり、思い過ごしかも知れないと思いはじめていた矢先、都市をテーマとしたテレビのドキュメンタリー番組で、世界の空を飛び回るパイロットたちの言葉が紹介されていた。
 「いま、上空から眺めて一番きれいな夜景は東京」
 世界の夜景を機上から眺め続けている人々の意見だけに説得力がある。まさに我が意を得た思いがした。世界広しといえども、東京ほど広大な広がりを持つ都市はないし、信頼感あるひとつひとつの灯りがそういう規模で結集しているわけである。このあたりに僕はひとつの確信を持つ。
 掃除をする人も、工事をする人も、料理をする人も、灯りを管理する人も、すべて丁寧に篤実に仕事をしている。あえて言葉にするなら「繊細」「丁寧」「緻密」「簡潔」。そんな価値観が根底にある。日本とはそういう国である。
 これは海外では簡単に手に入らない価値観である。パリでも、ミラノでも、ロンドンでも、たとえば展覧会の会場ひとつ日本並みの完成度で作ろうとするなら、その骨折りは並大抵ではない。基本的に何かをよりよく丁寧にやろうという意識が希薄である。労働者は時間がくれば作業をやめる。効率や品質を向上させようという意欲よりもマイペースを貫く個の尊厳が仕事に優先するとでも言うか。それを前提に、管理する側がほどよく制御して仕事を勧めていく。確かに、ヨーロッパには職人気質というものが存在するが、日常の掃除や、展示会場の設営などは、職人気質の及ぶ範囲ではないのかもしれない。さらに言えば、こうした普通の環境を丁寧にしつらえる意識は作業をしている当人たちの問題のみならず、その環境を共有する一般の人々の意識のレベルにも繋がっているような気がする。特別な職人の領域だけに高邁な意識を持ち込むのではなく、ありふれた日常空間の始末をきちんとすることや、それをひとつの常識として社会全体で暗黙裡に共有すること。美意識とはそのような文化のありようではないか。
 ものづくりに必要な資源とはまさにこの「美意識」ではないかと僕は最近思いはじめている。これは決して比喩やたとえではない。ものの作り手にも、生み出されたものを喜ぶ受け手にも共有される感受性があってこそ、ものはその文化の中で育まれ成長する。まさに美意識こそものづくりを継続していくための不断の資源である。(後略)

 個々の言葉のもつイメージは厳密には若干異なっていたりするのかも知れないが、ざっくりと、日本の品質の高さをデザイナー視点で捉えたユニークな見立てだと思う。ノーベル賞といった尖がった天才の次元の話ではなく、日本人一般に見られる美意識が、日本の文化を特徴づけ、その中でモノづくりが鍛えられる、というわけだ。日本人の美意識は、2000年や3000年といったレベルの悠久の時の流れの中で、大陸辺境の島国という立地特性から、流れ込むさまざまな文化を取捨選択し咀嚼する中で形作られてきたもので、いくら戦後の高度経済成長による変化が劇的でも、僅か数十年の経済という表層で起こる変化によって揺らぐものではなく、日本人の存在の基層を形づくるもののはずだ。
 そんな日本人の美意識を信頼するとすれば、仮に将来、日本人のノーベル賞受賞者が減るとしても、悲観するに及ばない。それは日本人が劣化するからではなく、日本人にとってノーベル賞の価値が減ずるからか、あるいは単にノーベル賞以外の領域で日本人らしい美意識を発揮するからであろう。もしかしたら、グローバルやオープン・イノベーションといったキーワードで特徴づけられる現代にあって一国のノーベル賞受賞を競うのは、相変わらず国内総生産(GDP)という形式的なフローの経済指標のみに頼って一国の豊かさを推し量るのに似た過ちを犯しているのかも知れない。GDPが一つの有力な指標たり得るのは事実だけれども。
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祝・ノーベル賞

2016-10-05 00:03:22 | 時事放談
 今日、ノーベル物理学賞の発表があり、残念ながらアメリカ人に決まって日本人のこの分野での3年連続受賞はならなかった。しかし、昨日、ノーベル医学・生理学賞の発表があり、大隅良典・東京工業大栄誉教授が受賞された。こちらの分野では昨年の大村智・北里大学特別栄誉教授に続き、日本人による二年連続受賞である。茂木健一郎さんは「ノーベル賞思考停止で有り難がるの、やめたら。田舎くせえよ」などと毒づいておられるが、他人から評価されるのだから、おめでたいことには違いない。
 それにしても、近年の日本人によるノーベル賞受賞ラッシュを思わずにはいられない。またぞろ韓国・聯合ニュースは「自然科学分野で日本人のノーベル賞受賞が相次ぐ背景として、『日本特有の匠の精神』や一つの分野に没頭する『オタク文化』の存在を挙げ、『政策や文化といったさまざまな側面の結晶だといえる』と分析」(産経Web)し、近くて遠い隣人・日本のことが気になって仕方ないらしいが、むしろ日本の社会が勃興した時代背景に思いを致す。
 研究の成果が実った時期やノーベル賞として評価されるまでの時間差を考えると、1980~90年代というのが、戦後の高度成長の中で日本人が再び海外に雄飛し、慣れない英語を操り、大いに異文化の刺激を受けながら、飢餓感を抱えつつ「モーレツ」に頑張って、一つの高みに達した時代だったのだろうと思う。当時の日本には若々しい青雲の志と、何よりも勢いがあり、日本の大学は基礎研究を重視したし、日本の政府は手厚い支援を惜しまない余裕があった。そして社会学者エズラ・ヴォーゲル氏が「ジャパン・アズ・ナンバーワン」をものしたのが1979年のことだった。その後、産業界では、巨大貿易黒字により、一方で日本国内では「非関税障壁」の名のもとに閉鎖的で不公正な貿易慣行ありと非難され、日米構造協議が始まり、その後の悪名高い「年次改革要望書」に繋がった。他方で海外では、自動車の対米輸出数量を自主規制したり、プラザ合意で急激な円高の試練を受け、それでも競争力が衰えないので、スーパー301条なる制裁をちらつかされたりと、アメリカから不条理なバッシングをさんざん受け、叩かれて苛められて、日米貿易「摩擦」や日米貿易「戦争」と揶揄された時期でもあった。
 その意味で、大隅教授のインタビューが気にかかる。「日本の科学水準をどうみるか」と問われたのに対し、「とても水準が高い。ただ、ノーベル賞に関して言うと、今は過去の遺産を食いつぶしている。今後、若い人が毎年のようにもらえるかどうかについては大変、懸念している。長期的な展望で仕事をすることが難しくなっている。それだけは何とかしたいと思っている」とお答えになっている(産経Web)。また、「東京大学に残っていたら、ここまで研究は広がらなかった」などと穏やかじゃないコメントも残されている(今朝の日経)。1996年に東大助教授から岡崎国立共同研究機構基礎生物学研究所(当時)に移籍されたのだが、「東大が悪かったわけではないが、本当に全てのことをひとりでやらないといけなかった」と苦労を語ったらしい。そう言えば山中伸弥・京都大学iPS細胞研究所所長・教授も、研究費をかき集めるために東奔西走されているようだが、バリバリの研究者がやることではない。茂木健一郎さんではなくとも、ノーベル賞を獲るために、などとは言わないが、「失われた20年」「30年」の歪みを正さないと、日本人はどんどん不幸になってしまうような気がする(だからこそアベノミクスには期待したのだけれど)。ノーベル賞受賞で(言わば過去の栄光に)浮かれている場合ではないのだ。
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青梅への道 三たび(1)

2016-10-03 01:11:54 | スポーツ・芸能好き
 今年も東京マラソンにはあっさり落選してしまった。2013年2月の大会にビギナーズ・ラックで当選して以降、4回続けての落選である。申込者数は32万人を越え、倍率は12.2倍に達したらしい。単純に12年に1回しか出場できない計算なので、私の年齢では、仮に次に当選しても、もはや走れる身体ではないかも知れない(苦笑)。そんなわけで、ターゲットとしての来年2~3月(シーズン締め)の大会はまだ決めかねているが、途中経過として、昭和の街並み懐かしい、人々の応援も暖かい、青梅マラソン(2月)にまたしても申し込んだので、暫定的にブログ・タイトルを「青梅への道 三たび」とした。
 昨シーズン最後のレースは今年3月初めの静岡マラソンで、半年間、完全休養してしまった。冬場、毎週末に走り込まなければならないのは実に重荷なので、シーズンが終わった初めの内こそ、週末走らなくてよい解放感を満喫していたが、暑いからと言って、さすがにここまで休み続けると、そろそろ走ってみようかという気になる。ある種のストイックな味をしめた以上、そこから離れてしまうのは寂しい。折角、お腹の脂肪が取れて、身体にキレが戻って来たのだから、この体調はなんとかそこそこ維持したいと思う。私の同僚は、夏場こそ走り込みが必要と言って、私の怠惰をなじるが、半年走り、半年休むのが私のスタイルになってしまった。幸い、休んでいる夏場は、体脂肪や内臓脂肪が増えないのが人間の生理である。
 そして、5度目のシーズンが始まった。
 9月は台風やら秋雨前線やらで雨がちの日が多く(と言い訳してはイケナイのだが)、暑さと雨天を避けて週末走ることが出来たのは僅かに2度、計13キロの準備で、この週末、皇居の周囲を走るミニ大会に参加した。一周5キロのところを三周15キロ、1時間32分弱で走り切った。20代や30代の人にとってはジョギング・ペースの、情けない記録である。しかし50代の身で、練習不足とあっては、上出来だとすら思っている。先週、自宅近辺を10キロ走ったときは1キロ当たり7分ペースがせいぜいだったから、大会ともなればアドレナリンがどくどく出るのだろう。お蔭で、腿の張りは尋常ではなく、階段の昇り降りが辛いし、足裏のマメもそのたびに痛むのだが、これがある種の快感になってしまうのだから、ちょっとした病気かも知れない(笑)。
 それはともかく、皇居周囲は、外国人も含めて、ジョギングのメッカである。道幅は狭いところがあるものの整備され、適度の高低差がある。お濠端は静かで落ち着きがあり、要所要所に見張りの警察がいてこれほど安全なところもなく、日本の中枢としての皇居と国会議事堂を眺めながら、日常と離れた「走る」行為に没頭できるのは、贅沢と言うべきだろう。なにしろ信号で止まる必要がない5キロの道を都会で探すのは至難だ、その意味で実に貴重である。シャワー完備のランナーズ・ステーションも近くにあるらしい。今はランニング仲間でかつての同僚は、たまに半日休暇を取っては走りに行っている。私はそこまでマメではないのだが、生活にメリハリをつけるのに良いように思う。
 そう、走るのは、都会の人間に野性を吹き込む作業だと、ふと思う。
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