風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

台湾・統一地方選

2022-11-27 16:39:57 | 時事放談

 台湾に特別の思い入れがあることは以前にもブログに書いた。その台湾で昨日、統一地方選があり、与党・民進党が惨敗し、蔡英文総統は責任をとって党代表を辞任した。実際には現状をやや下回る程度だったが、前回(2018年)大敗して以来の退潮に歯止めをかけることが出来なかったことになる。

 こうなると、つい、中国の所謂“Silent Invasion”を疑ってしまうが、そうでもないらしい。毎日新聞の署名記事(*)によると、民進党は、「地域振興策を訴えると同時に『抗中保台』(中国に抵抗し台湾を守る)を掲げた」が、不発だったようだ。地方選では通常、(総統選と違って)対中政策は争点にならず、「地域の政策や候補者の資質、知名度などが争点となる」など、投票行動が異なるのだそうだ。一か月前の政党支持率調査でも、民進党33.5%、国民党18.6%で、民進党が優勢だったようだ。

 台湾と言えば、檳榔(ビンロウ)を噛みタバコのように噛んで吐き出して赤く薄汚れた歩道や、街の屋台が醸し出す独特の油臭さとともに、懐かしく思い出すことどもがある。

 今から30年以上も前、戒厳令が解除された当時の台湾にある子会社に何度か出張したことがある。日本に留学したことがあるという現地人従業員と(日本語が通じることもあって)親しくなり、よく飲み歩いた。ある時、会社で輸入通関が止まって往生していると、彼が動いて、問題がささっと解決したことがあった。聞くと、税関に「袖の下」を払ったのだと、ケロリとして言う。またある時、(営業でもない彼が)商談を見つけて来て、会社の売上に貢献したものだから、大いに喜び合ったのだが、裏で「口利き料」を会社に要求していたと噂された。彼は、台中にある銀行の頭取の息子を自称し、後に政治家を志したことからも、恐らく地方の名士の子として育って、当たり前のことをしたまでのことだったのだろう。華西街のレストランで友人を紹介すると言われ、そのままその友人宅に招かれて、その余りの(やや怪しげなまでの)立派さに、どういう人かと後で尋ねたら、ヤクザの親分だと、自らの人脈を誇示するようにしゃあしゃあと言ってのけたこともあった。

 彼だけの問題ではない。資材調達部門の永年勤続の従業員は、キックバックを貯め込んで家を建てたとまで噂された。当時は台湾社会の全体にそういう油断ならないイカガワシサ、日本では絶えて久しい「活気」が溢れていた(いや、日本にそういう「活気」がどこまであったか知らないし、中国人社会に独特のものなのかも知れない)。口利き料やキックバックは、消費税のための統一発票という政府公認で政府しか発行できないはずの(ナンバリングされた)請求書が裏で流通し、偽造が横行していたからこそ可能だった。また、当時は日本製のクォーツ時計が全盛で、街の時計屋の奥の部屋では、Citizenのムーブメントを使っていると自慢するブランド時計の海賊版がこっそり、しかし、そこかしこで販売されていた(店先にロゴを外した商品を並べているので、“それ”と分かる)。宮沢りえちゃん写真集の海賊版が、時を置かずして販売されたことには驚かされた。空港の免税店のような、明るい近代的な場所でも、高額紙幣で支払ったところ、本人は気付いていないだろうと、少額紙幣であったかのような釣銭を渡されて、抗議したことがある。夜、タクシーを拾うと、どうせ日本人だから分からないだろうと遠回りされることはザラにあった。こうしたことは、しかし、日本人が憎いからではなく、当時の台湾がまだ貧しかったからであり(さらに言うと、金持ちであろうはずの日本人を騙す、たかるという意味では、アジアに広く見られる対面相場と言えなくもない)、個人が悪いのではなくそういう習慣の社会だったからだ。こうしたイカガワシサを補って余りある魅力が、台湾にはあった。日本もかつてはそうだった血が騒ぐのか、あるいは対照的な発展を遂げたからこそ、発展途上の地にありがちの、明るさの半面に残る怪し気な陰がなんとも憎めなくも、懐かしくもある。

 だから、地方選では、一般には経済問題、そして毎日新聞の記事が「国民党は長年にわたり与党の座にあったため地域の有力者との結びつきなどは依然として強く、今回の選挙でもこうした地力を生かして支持を拡大した」と解説するように、人脈に繋がるような好き・嫌いや独特の人格・能力が作用するのだろうと、今なお東京五輪開催に絡む汚職に揺れる日本を見ていても、なんとなく納得するのである(苦笑)。

 問題は、2024年1月に予定される総統選であろう。前回の2020年は、中国による香港民主派弾圧への反発から、蔡英文総統が地滑り的勝利を得て再選された。さすがに中国は歴史に学ぶだろう。統一をも睨み、“Silent Invasion”は激しさを増すと思って間違いない。この統一地方選で、中国政府は、「平和と安定を求め、良い暮らしを送りたいという主流の民意を反映している」と歓迎する談話を発表した。確かに大陸中国とは経済的繋がりが強く、安定を求めるのはよく分かるが、次の総統選では自由・民主主義への台湾人の思いも試される。私たち日本人は、アメリカやその他の西側諸国とともに、常に台湾の側に身を置いて、その行方を見守りたい。

(*) 「台湾地方選 与党・民進党、惨敗 蔡英文総統が党主席を引責辞任」(11月26日付)

https://www.msn.com/ja-jp/news/world/e5-8f-b0-e6-b9-be-e5-9c-b0-e6-96-b9-e9-81-b8-e4-b8-8e-e5-85-9a-e3-83-bb-e6-b0-91-e9-80-b2-e5-85-9a-e3-80-81-e6-83-a8-e6-95-97-e8-94-a1-e8-8b-b1-e6-96-87-e7-b7-8f-e7-b5-b1-e3-81-8c-e5-85-9a-e4-b8-bb-e5-b8-ad-e3-82-92-e5-bc-95-e8-b2-ac-e8-be-9e-e4-bb-bb/ar-AA14Abjz

(似たような題名の27日付記事は有料:https://mainichi.jp/articles/20221127/ddm/012/030/070000c

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戦争ごっこ

2022-11-06 12:37:08 | 日々の生活

 ロシアのウクライナ戦争は泥沼と言ってもよいのだろう。これから物理的にはウクライナの地は泥沼ではなくなるのだが・・・さすがに8ヶ月を超えて、ロシアのような経済力でよくもまあ続くものだと感心していたが、とうとう部分的動員をかけ、数少ない悪友の北朝鮮やイランから砲弾や武器を導入し、公然と発電所などの一般インフラを(すなわち非戦闘員の日常生活を)攻撃するようになったのを見ると、相当、苦しくなって来たようだ。10日ほど前のプーチン演説では、世界は第二次世界大戦後で「恐らく最も危険な」10年間に直面していると警告したそうだ(10/28付BBC)。こういうのを盗っ人猛々しいと言うのだろう。プーチンによれば、ロシアは常に清廉潔白で、ウクライナ戦争にしても世界的な食糧危機にしても、全て西側のせいで、ロシアを核で脅し、同盟国に対してロシアに背を向けさせようとしているのだそうだ。お隣の大国と同じで、情報統制をして自国民の離心や叛乱を抑えるのに必死と見える。振り返れば「アラブの春」や、旧ソ連圏の「カラー革命」(2003年グルジア「バラ革命」、2004年ウクライナ「オレンジ革命」、2005年キルギスタン「チューリップ革命」)、そして2014年ウクライナ政変(マイダン革命)など、全て西側が「非線形戦争」を仕掛けていると思い込む被害妄想(いや、西側が資金援助、抵抗運動のノウハウ伝授、宣伝技術のコンサルティングなどをしていたのは事実のようだが)に囚われたプーチンは、我々とは次元の異なるパラレル・ワールドを生きているようで、停戦交渉のような接点が見えない無力感に囚われる(プーチンだけでなく習近平や金正恩にもそれに近いものを感じる)。

 日本でも、防衛論議が静かに進行している。隔世の感があるが、かかるご時世で、子供の頃、「戦争ごっこ」をしていたのだと思い出すことがある。

 小学校高学年の頃、「クチク」と呼び慣わす鬼ごっこがあった。二手に分かれ、陣地を決めて、「ホンカン」(実は今となっては正確な呼び名の記憶がないので、とりあえず「ホンカン」としておく)1名、「キチ」数名、「スイ」数名という役割分担のもと、「ホンカン」は「キチ」にタッチすると捕獲でき、「キチ」は同様に「スイ」を捕獲でき、「スイ」は同様に「ホンカン」を捕獲できるという、ジャンケンの三すくみの原理で、敵を捕獲したり、敵の網をかいくぐって敵陣地に捕獲された味方を助けたりして、優勢を保ちながら、敵「ホンカン」を捕獲した時点、あるいは「ホンカン」を捕まえるべき敵の「スイ」を全員捕獲した時点で勝ちとなる遊びである。

 後年、オトナになってから、「クチク」はもしかしたら「駆逐(艦)」、「スイ」は「水兵」のことを意味するのではないかと察して、つい最近、ググってみたら、Wikipediaには「水雷艦長」の名称で、「第二次世界大戦前から昭和40年代に入った頃まで男の子の間で盛んに遊ばれた」とある。「ホンカン」は「本艦または母艦」、「キチ」は訛っているが「駆逐艦」、「スイ」は「水雷艇」を意味するようで、一隻の「本艦または母艦」を複数の「駆逐艦」と「水雷艇」が守る艦隊構成で戦うわけだ。誰から教わったのか、どのように全国規模で子供たちの間に広まったのか、定かではない。このあたりは「こっくりさん」のように、(つのだじろうさんの)漫画で広まったのか、ラジオが媒介したのだろうか。かつては国内だけでなく、吉林やハルビンの日本人学校でも遊ばれていたようで、地域によって呼び名にもバリエーションがあるようだ。

 小学生の鬼ごっこと言えば、「盗っ人と探偵」という、二手に分かれたシンプルな追い掛けっこが思い浮かぶ。これは関西方面の呼び名で、関東方面では「どろけい(泥棒と警察の意か)」と呼ばれる(さらに地方によって別の呼び名があるかも知れない)、男の子も女の子も一緒になって遊べる「警察ごっこ」だ。「くちく」は何故、「男の子の間で遊ばれた」(Wikipedia)のかと言うと、「戦争ごっこ」だからというわけではなく、つばのある帽子を使うからだと思う(女の子の帽子につばはなかった)。「ホンカン」はつばを前に向け、「キチ」は横に、「スイ」は後ろに向けて、見た目で区別する。今どきの教育委員会あたりは、「戦争ごっこ」なんぞ物騒な遊びだと目くじらを立てそうだが、本人たちはお構いなし、そもそも意味を理解することなく、ただ「盗っ人と探偵」よりも複雑で面白さが数倍化するので、夢中になったのだった。

 因みに、三すくみの原理及びその応用は日本人の発明なのだそうだ(高島俊男氏)。例えばジャンケンは、江戸から明治期の日本で生まれ、「20世紀に入ると、日本の海外発展や、柔道などの日本武道の世界的普及、日本産のサブカルチャー(漫画、アニメ、コンピュータゲームなど)の隆盛に伴って、急速に世界中に拡がった」(Wikipedia)そうだ。南アメリカのボリビアでは「Yan  Ken  Po」、フィリピンでは「Jack  and  Poy」などと、日本の掛け声そのままである。これは標準語(東京弁?)が元になったもので、大阪では「いんじゃんほい」と言った。

 さて、「クチク」に話を戻すと、私の子供たちの世代ではすっかり見かけなくなっていたが、「遊び方の重要な小道具となった前つばのある帽子を男の子がかぶらなくなるのに合わせたかのように廃れた」(Wikipedia)とある。夏場はともかく、冬場を中心に、誰かが「クチクしよ~」と叫ぶと、それまでばらばらに遊んでいた男の子たちが即座に10人以上集まって、元気に運動場を駆け回ったものだった。昭和な光景とも言える。

 その昔、関西の深夜番組で、「アホ」「バカ」という言葉がどのように全国に分布するのかを調べる企画があった。それによると、京都を中心に、「あほ」が地方に行くに従って「ばか」に変わっていく様子が、柳田国男の「方言周圏論」(一般に方言というものは時代に応じて京都で使われていた語形が地方に向かって同心円状に伝播していった結果として形成されたものなのではないかとする)を実証する結論だったように記憶する。「クチク」についても、どの時代(横軸)にどこ(縦軸)で遊ばれていたか分布図を作れば、いつからどこからどのように広まって行ったかが分かるように思うが、令和の時代に、そんなヒマなことをする人はいないだろう。

 プーチンの戦争は、昭和どころか19世紀に引き戻すかのような時代錯誤な残酷さを見せ、心が痛む。「クチク」のように、「戦争ごっこ」をそれと気づかせないような世相になって欲しいものだと思う。

コメント (2)
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