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風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

和真の一発

2025-08-23 04:31:24 | スポーツ・芸能好き

 昨晩、東京ドームで行われたDeNA戦3回に、岡本和真選手から、一軍復帰後、待望の初本塁打が飛び出した。どっしりと構え、打球がスタンドに飛び込んだところでガッツ・ポーズもなければ、顔色一つ変えることなく、淡々とダイヤモンドを回る。巨人の四番らしい振る舞い・・・などと本人は露ほども思っていないだろう、そこもまた和真らしい。阿部監督は、「いるだけでやっぱりチームが落ち着くというかね・・・」と、その存在感にしみじみと感じ入った。

 振り返れば5月6日の阪神戦(同じく東京ドーム)で打者走者と交錯して左肘靭帯損傷して戦線離脱してから、実に102日ぶりとなる8月16日に一軍復帰を果たし、そこから6試合24打席目、5月1日の広島戦(同じく東京ドーム)以来113日ぶりとなる一発だった。お立ち台では、いつものすっ呆けた和真節を炸裂することなく、「皆さん、ありがとうございます」と三度、神妙な面持ちで繰り返した。「久々のホームラン。入った瞬間は?」と聞かれて、「いやもう本当に、めちゃくちゃうれしかったです」と淀みなく答えたのは、まさに本音だろう。ケガが少なく偉丈夫な和真だけに、この100日間はファンも待ち焦がれたし、阿部監督もオーダー編成に苦慮し続けたし、何より本人がバッターボックスに立ちたくて焦ったく思っていたことだろう。

 この日は、7月31日に腰痛で離脱していた吉川尚輝も三週間振りに復帰し、不動の二塁と不動の三塁が久しぶりに揃い踏みとなった。三番・丸、四番・岡本、五番・吉川という安心の打順である。安心の、という意味は、これで打てなかったら諦めもつくということでもある。和真の本塁打は、後ろに控える五番・吉川の存在も大きかったかもしれない。

 残り試合は僅かに31。もはや遅きに失しているのだが、今日の和真の一発を狼煙として、燻る巨人ファンのフラストレーションを払拭するような巨人らしい戦いぶりを残り試合で見せて欲しいものである。この100日間は、単に失われた日々ではなく、主力を欠いた中で、その穴を埋めるために若手が試行錯誤して成長し、より選手層がぶ厚くなって強くなったはずだから。

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長嶋さん追悼試合に和真が復帰

2025-08-17 19:03:14 | スポーツ・芸能好き

 昨日の巨人・阪神戦は「長嶋茂雄終身名誉監督追悼試合」と銘打って大々的に行われ、岡本和真をこの日に合わせて102日ぶりに長嶋さんと同じ「四番・サード」で一軍復帰させるなど、阿部監督の、ひいては巨人軍の、並々ならぬ意気込みを感じさせたが、僅か2安打の完封負けを喫した。二塁も踏めない惨敗だった。

 ここぞという時に負けないのが本来の巨人だが、この日は本来の姿からはほど遠かった。残念ながらこれが今の巨人の実力だろう。不動の4番は何とか間に合ったが、打線は4番がいるだけでは機能しない。かつての長嶋監督のように、4番候補をズラリと並べたところで勝てるわけではないのだが(微笑)、打線と言う以上、前後を固める3番や5番、更に1番や2番がしっかり機能して繋がりが出来ないことには4番は活かされない。折角、岡本が戻っても、吉川尚輝は腰痛のため登録を抹消されたままだ。そして何より、昨年の菅野のような絶対エースがいない。

 それにしても、和真がいない巨人は、以前にも書いたように、クリープを入れないコーヒーなんて・・・という(年寄りにしか分からない形容の!?)味気なさであった。私のようなファンより、岡本・本人こそ、長くて辛い道のりだったことだろう。5月6日の同じ阪神戦、同じ東京ドームでの一塁守備で走者と交錯し、左肘を負傷して戦線を離脱してからというもの、慎重なリハビリを経て、今月3日に2軍で実戦復帰したばかりだ。そこからは、私自身もこれほど二軍の試合をウォッチしたことはないほどの二週間だった(笑)。二軍で8試合、一軍昇格の目安とされた20打席をクリアする21度の打席に立ち、二塁打2本を含む5安打2打点を挙げたが、ホームランは出ていない。

 その間、大黒柱を欠いた巨人の4番は、吉川(15試合)、キャベッジ(39試合)、大城卓(1試合)、丸(7試合)、増田陸(7試合)、坂本(5試合)と6人が代役を務める苦しい台所事情で、迫力を欠いた。不動の4番の存在感をこれほど感じたことはない。結果、昨日の試合にも負けて、勝率5割に逆戻りし、首位・阪神とは12ゲーム差に戻してしまった(既に今日の結果も出ていて、岡本には復帰後の初安打が出たが、1-3で敗れた)。不動の4番とエースを欠いて、それでも2位につけていたのは、若手が穴埋めして健闘した結果であり、巨人の選手層の厚さを思わせるが、12ゲーム差はいただけない。

 昨日は、二軍と三軍でも、監督、コーチ、全選手が永久欠番となっている長嶋さんの栄光の背番号「3」のユニフォームを着用して戦い、二軍は西武に完封勝ちし、三軍は慶大とのプロ・アマ交流戦で完封負けした。二軍は選手層の厚さを思わせるが、三軍はご愛嬌か。ペナントレースは残り36試合、逆転優勝は至難でも、せめて来年以降に繋がるような巨人らしさを見せて、ぽっかりと空いた心の空白を埋めて欲しいものだと切に思う。

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日本女子プロゴルフの快挙

2025-08-07 01:19:12 | スポーツ・芸能好き

 先週末のAIG全英女子オープンで、山下美夢有選手が優勝した。賞金はなんと146万2500ドル(2億円超)。

 賞金はともかくとして、日本勢の全英女子オープン制覇は、2019年の渋野日向子以来6年ぶりとなる快挙だが、当時と違うのは、この大会で初日から首位を日本人がキープして譲らなかった上、最終的に優勝のほか、勝みなみが2位タイ、竹田麗央が4位タイと、トップ5人の中に日本女子三人が名を連ねたことだ。

 中でも初日から3日続けて、山下美夢有と竹田麗央という、国内女王経験者で、今季から米女子ツアーに参戦して新人王争いを繰り広げる二人がラウンドした。因みにこの二人が昨季、国内ツアーでマークした平均ストローク数は年間69台前半と突出していたらしい。竹田の(計測ホールでの)ティーショット平均飛距離263.19ヤードはツアー1位、山下はパーセーブ率で歴代1位の91.85%をマークしている。最も旬で、最強の二人なのである。

 ゴルフにおいても、海外のツアーで活躍するにはパワー(ゴルフ)が必要と言われる。しかし、山下美夢有は身長150センチと小柄で、飛距離は出ないが精密機械のようなショットとパットを連発する。球筋も、高さを出したいとか、フェードで止めようとは思わず、日本にいた時と同じようにドローだけで攻め、コースによって球質を変えることはないらしい。そうやって自分のスタイルを貫いて、究極まで精度を高めることで、海外メジャーで優勝をかっさらってしまった。

 松山英樹は、「やっぱり自分の武器を分かっているから、こういう結果が出せる。勝つ人というのは、そういうものを持っているんじゃないですかね」と、体格的なハンデをものともしない芯の強さに感心したそうだ(Golf Digest Onlineより)。

 羽川豊は、本大会最終日の戦略に驚いていた(日刊ゲンダイDIGITALより)。560ヤードの6番パー5で、バンカーを避けるため、飛距離が出ない選手であるにもかかわらず、第1打にアイアンを使ったのだという。リンクスでポットバンカーに入れることは「1罰打と同じ」と言われるようにボギー以上になりやすいとは言え、無理をしてバーディーを取りに行き、ミスを繰り返すのがゴルフなのに、と(私の)耳に痛いことを言う(笑)。

 これで日本人女子のメジャー制覇は、4月のシェブロ ン選手権の西郷真央に次いで6人目(7度目)となる。さすがに48年前の樋口久子さんは除くとして、2019年以来のこの6年間で5人のメジャー・チャンピオンを生んだことになる。西郷真央と、全米女子オープンを2度制覇した笹生優花は山下とプロ同期であり、昨年のメジャー、エビアン選手権を勝った古江彩佳のプロ転向は2019年で、いずれも日本中が「スマイリング・シンデレラ」ブームに沸いた渋野日向子の全英女子オープン優勝が大いなる刺激になったようだ。私が期待した渋野日向子はその後、ぱっとしないが、よい循環になっていて、それは大リーグでの野茂の活躍を見て、日本人メジャーリーガーが続々と後に続いたのに似ている。山下美夢有のプレースタイルは、さながらイチローの日本人らしい職人芸のようでもあり、見るのが楽しみになる。

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高校生アスリートの活躍

2025-08-02 22:25:43 | スポーツ・芸能好き

 高校生スポーツの夏の祭典と言えば先ずは甲子園が思い浮かぶが、他にも30の種目で、このクソ暑い夏に全国大会(所謂インターハイ、全国高等学校総合体育大会)が繰り広げられる(今年は7月23日~8月20日)。私は高校時代に陸上部(中・長距離)で、インターハイを目指していたと言うのもおこがましく、全国大会の手前の近畿大会の、そのまた手前の大阪地区予選であっさり敗退して、全国大会など夢のまた夢だった。当時は、走る前は(お腹が痛くなるから)水を飲んではいけないとか、夏休み中も毎日練習するのに、水分を取ると身体を冷やすから控えるように、などと殺人的(!)とも言える指導を受けて、よくもまあ、くたばらなかったな・・・と振り返るが、何を隠そう、そう言われながらも毎日3~4リットルもの水分を補給していた。脳は、いくら耳が(屁がつくような)理屈の声を拾ったところで、身体の生理現象に素直に耳を傾けるものだ(微笑)。

 かかる次第で、インターハイに出場するだけで大いなる敬意を表する私は、今年の大会では傑出した活躍があって瞠目した。

 一人は久保凛さん(東大阪大学敬愛高等学校3年)で、私のスマホのYouTubeには既に頻繁に登場する有名人の一人である。つい先だって、日本選手権の女子800mで自らの日本記録を更新し、今年の世界陸上への出場を狙う逸材なので、今さらインターハイでもないのだが、インターハイのこの種目では史上初めてとなる3連覇を達成した。いとこのサッカー日本代表・久保建英の影響がなかったとは言えないだろう、小学校6年間はサッカーをし、中学に入ってから本格的に陸上を始め、私の感覚で推し量っても仕方ないのだが、中学を卒業して僅か半年もたたない内に、体力的には格段の差がある高校三年生の並みいる強敵を打ち破ったのは驚異的だ。さながら強豪PL学園で一年生から四番を務め、一年の夏の甲子園で優勝した清原和博を彷彿とさせる。今やシニアを含めて追う者はない独走状態である。足が速い人の走る姿は、ムダを排し究極の効率を追求して、ほぼ間違いなく美しいものだが、彼女の場合は美しいだけでなく、やや怒り肩で、男顔負けの、という表現は今どきセクハラであろうが、線が細いことを除けば堂々とした、惚れ惚れとする走りっぷりである。

 もう一人は清水空跳さん(そらと、と読むらしい、石川県星稜高等学校2年)で、実は今回、初めて知った。7月26日の男子100mで、2013年に桐生祥秀(京都府洛南高等学校、当時)が出した高校記録を0秒01更新する10秒00で初優勝した。これはU18世界新記録であり、世界陸上参加標準記録を同タイムでクリアする。1000分の1まで計測したタイムは9.995(しかし公式には小数点以下第三位を切上げて10.00)で、9秒台まで距離にして僅か5cm強、届かなかった計算になる(秒速10mとして、0.005秒×10m/秒)。さらに28日の男子200mでは、追い風参考ながらサニブラウン・ハキームが持つ高校記録(非公式)に0秒05差に迫る高校歴代2位に相当する20秒39で初優勝した。弱冠16歳でインターハイ男子100m/200mの二冠を達成したのだ。身長164センチ、体重56キロと小柄ながら、家族揃って陸上一家で(空跳という名前から分かるように、お父ちゃんは息子に跳躍種目を期待したらしい)、まるで高性能のターボエンジンを搭載しているかのようなスピード感には目を見張る。

 今年のインターハイは、暑さ対策のため、急遽、3ラウンド制(予選・準決勝・決勝)から2ラウンド制(予選・決勝)のタイムレース(決勝は全3組)に切り替わった。気候変動はこういうところにも影響している。特に100m走では追い風・向かい風など、いっせーのせ、という一発勝負ではない不公平感が残るものの、「例年通りの3ラウンド制だと、決勝はタイムより勝負というかたちになってしまいます。2ラウンド制だったからこそ、ハイレベルのレースになって、これだけのタイムが出たかなと思います」と、清水空跳さんは語っている。確かに時代は変わって、おじさん・おばさんが考えたのであろう大会スローガン「輝け君の青春、刻め努力の軌跡」は些か気恥ずかしくもあるが、勝負や記録に賭ける思いは変わらないだろう。彼女・彼らの成長を見守りたい。

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ミスター追悼

2025-06-06 00:58:10 | スポーツ・芸能好き

 長嶋茂雄さんが亡くなった。プロ野球を代表する「ミスター・プロ野球」という呼び方よりもむしろ何もつけずに単に「ミスター」と呼ぶだけで通じる人など、もう二度と現れないだろう。何しろルーキー・イヤーから16年連続してファン投票でオールスターに選出されるほど、実力だけでなく圧倒的人気を誇ったのだ。かつての溌溂としたユニフォーム姿を知る誰もが、最近の衰えようを目の当たりにして、この日が遠からず訪れることは覚悟していたが、それでも失った悲しみは深い。肺炎だったという。享年89。

 私にとって長嶋さんと言えば、華麗な守備や、ヘルメットを飛ばして大袈裟に大振りするパフォーマンスは後から知ったことで、意味不明のカタカナ英語を交える長嶋語録(アメリカ人の子供は英語が上手いねえ、はミスターならではの迷言だろう)は同時代に聞いたが、何よりも先ず引退試合のことが浮かぶくらいだから、現役選手としては晩年しか知らず、むしろ監督としての長嶋さんに馴染みがある世代である。それでも小学5年生のときにクラスの友達と作った草野球チームで背番号の取り合いになって、「1」(王さん)と「3」(長嶋さん)を取られた私は間の「2」を取って、今だにラッキーナンバーにしている。その代わり守備は長嶋さんが守ったホット・コーナーの三塁を実力で死守して、ショートを守る福井君と鉄壁の三遊間だと、はしゃいだものだった。福井君は今頃どうしているだろう。

 長嶋さんの姿を最初に直に見たのは、最大のライバルだった阪神・村山実さんの引退試合だった。調べたところ1973年3月21日のオープン戦で、長嶋さんご自身が引退する、忘れもしない1974年10月14日の一年半前のことだ。7回に登場した村山さんの前に、高田繁、末次利光、王さんが三者連続三振を喫して、八百長じゃねえかと、大人の機微を知らない小学生の私は怒り心頭で、巨人軍の選手を載せて球場を後にするマイクロバスを見送りながら、一人憤慨したのだった。そのとき、窓辺に映る長嶋さんや王さんの憂い顔が妙にリアルに記憶にこびりついている。野球人にとって、いつかやって来る「引退」は、心に重く響いていたのだろうか。

 その後、監督としての長嶋さんは、1994年10月8日に中日と同率首位で最終戦を迎え、優勝を決めるその試合を「国民的行事」と呼んで世に知らしめたのだが、私はそのとき、アメリカに駐在していて知らなかった。1996年シーズンでは前年に続いて二年越しの「メークドラマ」が流行語になったが、私はまだアメリカに駐在していて知らなかった。

 長嶋さんの姿を最後に直に見たのは、忘れもしない2001年9月30日、東京ドームで行われた監督の引退試合だった。大学時代の友人に誘われて入手した東京ドームのチケットは、当日のほんの二日前に巨人軍監督辞任を電撃発表されて、俄かにプラチナ・チケットに変わった。アメリカで9・11同時多発テロがあって、その時、カリフォルニア州シリコンバレーに出張中だった私は、時代が大きく転換することを実感した9月を複雑な思いで見送ったのだった。

 背番号3のユニフォーム姿、とりわけ哀愁を帯びた後ろ姿は、本当に絵になった。本人も多分に意識されていただろうが、お年を召してからも変わらぬ天然キャラは誰からも愛され、ミスター・プロ野球の名に相応しく、プロ野球を国民的スポーツにのし上げた。私が今なお巨人ファンを脱しきれずにいるのは、長嶋さんや王さんに刷り込まれたジャイアンツ愛ゆえのこと。引退試合で語って一世を風靡した「永久に不滅」なのは、「我が巨人軍」だけではなく、長嶋さんの雄姿と愛されキャラもそうなのだと、失ってから気づく。

 ご冥福をお祈りし、合掌。

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岡本のいない巨人

2025-06-03 00:38:15 | スポーツ・芸能好き

 かつてテレビCMで「クリープを入れないコーヒーなんて…」という決めゼリフがあった。「不動の四番・岡本がいない巨人なんて…」と、つい、こぼしたくなる。5月6日の阪神戦の守備で、打者と交錯した際に左肘の靱帯を損傷し、全治三ヶ月と診断された。それとともに、一日の終わりにプロ野球ニュースを見る私の楽しみも奪われてしまった・・・。
 その後の10試合で巨人は4勝6敗、中でも13日からの広島とのマツダスタジアムでの三連戦で三タテを食らい、一時は首位から四位に沈んだ。岡本が離脱するまでチームは一試合平均3.26得点を稼いでいたが、岡本離脱後は2.6点に落ち込んだ。つながりを欠く打線は5月7~17日にかけて70イニング連続でタイムリーが出なかった。エース戸郷も調子を落とし、エースと4番を欠く絶体絶命の状況で、投手では山崎伊織や井上温大、赤星優志などが、野手では増田陸や泉口友汰が踏ん張り、その後の11試合では盛り返して7勝4敗、一試合平均得点も3.1まで回復した。我慢して使っていれば、奮起する若者が出てくるものだ。
 それでも岡本が抜けた穴は大きい。
 かつて長嶋さんは、巨人の4番を打つには心・技・体が充実して、ファンの期待に応えられる技量が備わっていなければならない、ただ4番目を打つだけではダメで、品格や人間性も問われるのだ、というような難しい注文を付けておられた。長嶋さんはその4番として1460試合に出場し、王さんは1231試合、原さんは1066試合、阿部監督は505試合、在籍10年の松井でも470試合の実績がある。そして我らが岡本は、2018年6月2日のオリックス戦で第89代の4番に起用されてから、なんとほぼ全試合に当たる904試合で4番を張っているのだ。ムーミンを思わせるようなぽってりした体形で(今年はちょっと身体を絞って、春先から3割の好調をキープしていたが)、どっしり構え、ホームランを放ってもガッツ・ポーズはおろかニコリともせず、淡々と塁を駆け抜ける。いいねえ。大きく調子を崩すことはなく、ケガもしない偉丈夫で、無事之名馬だったのだ。関西(奈良)出身で、インタビューでは独特の“岡本節”を披露する、飄々としたところがあり、ジャイアンツ球場でのリハビリでは常に気丈に振る舞い、送球が逸れて打者と交錯する原因となった、三塁を守っていたルーキーの浦田を、報道陣に対して「浦田君は元気ですか? 皆さん優しくして下さいね」と気遣う優しさもある。「プレー中に起きたことなんで誰のせいとかないんでね。全く気にしなくていいし、気にしてほしくない」と。
 岡本離脱の影響は、期待されていたはずの秋広優人放出に繋がり、驚かされた。代わりに獲得したリチャードは打率.114でパッとしない。3番・吉川尚輝は固定しそうだが、5番をどうするか、岡本復帰後も課題になりそうだ。
 首位・阪神と3ゲーム差の3位で、明日から交流戦に入る。若者たちの奮起に期待したいが、私の心にはしばらくの間、隙間風が吹く・・・

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MLB東京シリーズ

2025-03-25 06:24:35 | スポーツ・芸能好き

 3月18~19日に行われた、シカゴ・カブスとロサンゼルス・ドジャースの開幕シリーズは、連日超満員の観客が見守る中、大変な盛り上がりを見せた。今更言うまでもないが、開幕戦では今永昇太と山本由伸の日本人投手対決が演出され、第二戦では佐々木朗希のメジャー初登板が演出された。鈴木誠也はDHでフル出場し不発だったが、大谷翔平は第一戦でマルチ・ヒット、第二戦で今季第一号の「凱旋弾」を放って、今年の活躍を大いに期待させた。演出とは言え、日本人にとっては夢のような、あるいは漫画を見ているかのような、出来すぎの光景だった。

 日本人選手の動向ばかりでなく、両チームの主力選手とその家族の観光とグルメ探訪でも、メディアはオリンピック以来のお祭り騒ぎとなった。神社・仏閣の幽玄さや、ポケモンなどのソフトパワー、普通に街がキレイなこと、また、大谷翔平の奥方・真美子さんが贈り物に使ったと言われる代々木上原のeteの存在は知らなかったが、寿司やラーメン、コンビニのお握りやサンドイッチ、果てはチョコ・モナカ・ジャンボまで、日本の良さや美味しさを「発見」してくれるのは日本人として素直に嬉しい(毎度、胡散臭さを感じないわけではないが 笑)。米カリフォルニア州の地元放送局スポーツネット・ロサンゼルスの実況担当は、日本のトイレの多機能性と先進性を恋しがっているというが、これももはや定番だろう。

 こうしてカブスとドジャースの滞在期間は僅か6日間だったが、グッズ売上だけで約4000万ドル(約60億円)を記録し、全プラットフォームでの視聴者数は第一戦2,500万人以上、第二戦2,300万人以上に上り、昨春のドジャースとパドレスによるソウルシリーズの数値を700万人近くも上回ったらしい。MLBから見れば今回の興行は大成功で、日本人としてもメジャーの野球を目の前で観戦できるのは嬉しいが、ちょっと思うところはある。

 それはたとえば、時節柄、東大合格者ランキングで灘と開成が人数を減らし、優秀な人材ほどアメリカの著名大学に留学する「ドジャース現象」なるものが現れ始めた、などと伝えられることと関連する。確かに野球の世界では花巻東高校の大谷らの後輩・佐々木麟太郎が昨年、スタンフォード大学に進学したことが話題になった。一般学生はどうだろう。本来は官僚養成学校だった東大を卒業して中央官庁に就職するはずの学生が減っていることからすれば、野球と同じように日本の人気が地盤沈下しているというよりも価値観が多様化していると見るべきなのだろう。しかし、カブス対ドジャースの日本人選手の豪華な顔ぶれを見ると、月並みだが日本プロ野球に一抹の寂しさを覚えないわけではない。これも、メジャーの野球が普通に茶の間で見られるようになったのだから、価値観の多様化と言えなくはないのだが。

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イチローの米国野球殿堂入り

2025-01-27 00:31:01 | スポーツ・芸能好き

 イチローがアジア人として初めて「殿堂入り」を果たした。アジア人として、とは何とも奇妙な形容だが、移民社会とは言え人種差別が絶えないアメリカで、白人・黒人・ヒスパニック系が多く活躍する野球を国技とするアメリカの、野球の聖地であるニューヨーク州クーパーズタウンのアメリカ野球殿堂博物館(National Baseball Hall of Fame and Museum, HOF)に、はるばる太平洋を越えて初めて「殿堂入り」したのだ(ビジネスに身を置く私に“アジア人”は、アジアで地盤沈下が続く日本の卑屈さが伝わって、当初、拒絶感があったが 笑)。日本人としてこれほど名誉なことはない。報道記事を渉猟しながら、何度、目頭を熱くしたことだろう(爆)。黒人リーグ野球博物館長は、「黒人初の大リーガーになったジャッキー・ロビンソンは、失敗すれば黒人リーグが否定される責任を背負っていた。イチローも日本の野球に対する懐疑的な見方を覆した」「二人は失敗を許されなかった。逆境をはね返し、その誇りを共有している」と、イチローの殿堂入りを祝福してくれた。

 昨日、同博物館で行われた記者会見では、イチローが敬意を払う博物館に8度目の訪問にして「ホール・オブ・フェーマーとして戻って来られたこと、大変光栄に思う」と喜びを語った。

 振り返れば、メジャーでMVP、首位打者、年間最多安打、10年連続200安打、通算3000安打など数々の金字塔を打ち立てただけでなく、そもそもイチローがメジャーデビューしたのは27歳の時で、そこから3089本もの安打を積み重ねたのは驚異的で、更に野球ファンとして言わせてもらえば、足があるから単打で出塁しても得点圏に塁を進めて長打並みになり、守備ではレーザービームと呼ばれた美技が試合の流れを変えるほどのインパクトがあり、野球のスリリングな醍醐味を味わわせてくれたのだ。「殿堂入り」は当然視され、マリアノ・リベラに続いて二人目、野手として初めての「満場一致」さえ期待されたが、デレク・ジーターと同様、400前後とされる投票で1票足りなかった。選考対象はMLBで10年以上プレーした選手の内、引退後5年以上が経過した選手で、かつて日本人対象者が二人いて、野茂(英雄)は2014年に1.1%の6票、松井(秀喜)は2018年に0.9%の4票にとどまり、5%に届かずに僅か一年でリストから消えた(得票率5%を超えると次年度の審査・選考に持ち越され、10回目(2014年までは15回目)までに75%の得票が得られなければ11回目からは候補から外される ~Wikipedia)。メジャーで活躍するだけでも偉業で、殿堂入りすれば言葉に困るほどの偉業なのに、イチローは資格取得一年目に99.7%の高得票率で易々と達成したのだ。かねてイチローの記録は長打力重視のアメリカ野球で過小評価されてきたし、インタビューの気難しさを根に持つ記者がいてもおかしくないし、アジア人を嫌う人だっているだろう。松井は「日本の野球にとっても歴史的な日になったと思う」と讃え、本人は「1票足りないというのは、すごく良かった」「しかも、(デレク・)ジーターと一緒ですから」と、イチローらしく前向きに捉えた。

 「足りないものを、これって補いようがないんですけど、努力とか、そういうことじゃないからね。ですけど、いろんなことが足りない、人って。それを自分なりに、自分なりの完璧を追い求めて、進んでいくのが人生だと思うんですよね。これとそれは、別の話なんですけど、やっぱ不完全であるというのは、いいなあって。生きていく上で、不完全だから進むことができるわけで、そういうことを改めて考えさせられるというか、見つめ合えるというか、そこに向き合えるというのは良かったなと思います」(本人談)

 トヨタは、会長付特別補佐に就任しているイチローを祝福する全面広告を日経などの主要紙に出した。「業務内外を問わず全国規模の受賞の場合、所属の本部長より表彰」「ねぎらいとして表彰状と商品券3万円分を渡す」というしょっぱい規定だが、規定は規定として、「出社するときに上司である私から表彰状と3万円分の商品券を渡します」と告げ、「私も一応“会長”ですから」と、あらためてさらなる報奨を人事部と相談するとしつつ、「でもトヨタはケチな会社なので実現できても現物支給かな…イチローさんにふさわしい”世紀の現物支給”を考えておきます」「次に出社する日を連絡ください」と呼び掛けた。「世紀」なので、トヨタの最高級車「センチュリー」で、2023年に発売されたSUVタイプ(価格25百万円~)ではないかと噂されている。結果として日本ブランドを高めただけでなく、その過程で一途に品質を極めて来たイチローへの共感と敬意の表れだろう。

 Google Mapによれば、かつてボストン郊外に住んでいた家からアメリカ野球殿堂博物館まで238マイル(383km)、ほぼ真西に車で4時間弱の行程で、駐在員仲間で高校時代に野球部だった知人は訪れたが、小学校のクラスメートとチームを作ってリトルリーグを相手に遊んでいた程度の私には縁遠い存在だった。西海岸に引っ越してから、ブリュワーズ時代の野茂を、サンフランシスコの旧名キャンドルステック・パーク(3Comパーク)で応援したことがある。この球場は野茂がデビュー戦を飾ったところでもあり、その試合は村上雅則氏の解説によって日本で衛星放映され、その村上氏もまた35年前に日本人初のメジャーリーガーとしてこの球場で活躍していたご縁がある。当時はマーク・マグワイアとサミー・ソーサの本塁打争いが話題となり、イチローがデビューした2001年にはバリー・ボンズがシーズン73本の本塁打記録を打ち立てるなど、大味な印象がある。そんな中でイチローの野球は良くも悪くも注目を集めた。残念ながらナマで見たことはなかったが、イチローの一挙手一投足をリアルタイムで追うことが出来た幸運を思う。

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Shoheiの夢

2024-11-03 02:22:52 | スポーツ・芸能好き

 2020年以来4年ぶり8度目のワールド・チャンピオンに輝いたドジャースが今日、本拠地ロサンゼルスで優勝パレードを実施した。前回20年はコロナ禍で行われなかったので、1988年以来、実に36年ぶりのパレードとなり、ロサンゼルス市警の推計で約22万5千人の観衆が集まったという。余りに多くて、バスに同乗していたデコピンはいつもより緊張し、目を丸くしていた(笑)。デコピンのパパは、途中、勢い余って左手を掲げて大きく振り、肩を痛めていたことを思い出したのか、顔をしかめる場面もあった。

 今シーズンは、幕開けの感動冷めやらぬ中、通訳のスキャンダルに見舞われ、どうなることかと心配したが、最高の形で締め括ることが出来た。スポーツ・メディアのオプタ・スタッツは自社Xで、「メジャーリーグの歴史において、シーズン50本塁打を打ったことのある選手は30人以上、シーズン50盗塁を記録した選手は200人以上、MVP受賞経験者は150人以上、ワールドシリーズを制したことのある選手は1500人以上」と過去の偉業を書き連ねた上で、「4つ全て(同じシーズンかどうかは関係なく)を成し遂げた唯一の選手 ショウヘイ・オオタニ」と紹介、「オオタニは2024年に全てを成し遂げた(彼がMVPを受賞すると想定)」と(気が早いことだが)称えたそうだ。ついでに、今年、トリプルスリーも達成した。

 高校時代に曼荼羅の中央に掲げた大目標は、「ドラフトでプロ野球8球団から1位指名を受ける」ことで、その実現のため「体づくり」「メンタル」「変化球」など8つの中目標を設定し、「食事 夜7杯 朝3杯」「仲間を思いやる心」「遅く落差のあるカーブ」など、8つの小目標を立てた。高校生から見える世界はそんなものだろう。メジャーに渡るとき、目標は上書きされ、野球中心のストイックな生活を続けて、30歳にして、新たな夢を実現した。

 パレード後のドジャースタジアムでの祝賀会では、この一年の成長を示すように、簡単ながらしっかり英語でスピーチした。「This is so special moment for me.  I’m so honored to be here and to be part of this team.  Congratulations, Los Angeles.  Thank you fans.」 その後、大谷に無理やり引っ張り出されてマイクを握った山本由伸は、「Thank you, fans.」と大谷の最後のフレーズを繰り返し、会場を盛り上げた。

 多くを成し遂げた一年だったが、ワールドシリーズでの活躍には心残りがあるだろう。しかも来年は二刀流で臨むことになる。野球の神様は、大谷の活躍に終わりをなかなか許さないようだ。

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プロ野球シーズンの終わり

2024-10-23 21:55:48 | スポーツ・芸能好き

 海の向こうのメジャーではオータニサンが、高校生以来の夢だったというワールドシリーズ出場を決めて、辛うじて望みを繋いでくれているが、巨人ファンの私には、一昨日で日本のプロ野球シーズンは終わり、ほぼ失意の日々だ(笑)。今年は巨人創設90周年の記念の年だったし、お得意様とするDeNAが相手だったし、アドバンテージの一勝があった。岡本をあそこまで徹底して故意四球するものかと不思議に思うが、何はともあれ、下克上とやらで日本シリーズ進出を決めたDeNAの執念だけは(皮肉でも何でもなく真面目に)祝福したい。最後はその差だったように思う。

 このシリーズでいきなり三連敗したときにはどん底の淵に沈んだが(爆)、第四戦の戦いぶりだけは見事だった。35歳のベテラン・坂本のヘッドスライディング二連発は語り草になるだろうと思われた(もし日本シリーズに進んでいたならば)。代わりにスポニチに語ってもらう。

(引用はじめ)

 1-1で迎えた7回、一死から坂本が左前打を放って出塁。続く中山がしぶとく一、二塁間を抜いてCS通算12打席目で待望の初安打を放つと、ベテランの坂本が一塁から激走を見せて三塁ベースに頭から飛び込んだ。そして、岸田が初球でセーフティースクイズ。これに坂本が再び激走し、本塁にヘッドスライディングで勝ち越しホームイン。激走に次ぐ激走、そして魂のヘッスラ2連発で1点をもぎ取ったベテランが手でグラウンドを何度も叩いて珍しく感情を爆発させ最高の笑顔を見せると、苦楽をともにしてきたベンチの阿部慎之助監督も拍手して喜んだ。

(引用おわり)

 あの時の感動が目に浮かぶ。この坂本のプレーで悪い流れを断ち切り、さらに2点を追加して、8回はバルドナード、9回は大勢という盤石の継投で逃げ切った。

 次の第五戦も、その余韻を残して痺れるような緊張感ある試合で、1-0で勝利をもぎ取ったが、第六戦は肝心のエース戸郷と菅野の二枚看板が打たれたのではどうしようもない。結果、安打数でDeNAを上回ったのは先の第四戦だけで、それ以外はDeNAの後塵を拝し、その意味でも、投手陣はなんとか踏ん張って、守備も手堅かったが、あと一本が出ないという、今年の巨人を象徴するような欲求不満のシリーズだった。6試合を通して五番打者(大城、坂本、ヘルナンデス)が無安打では、四番・岡本へのマークが厳しくなるのは避けがたく、岡本は不甲斐ないと言うよりも同情したくなる。

 最後に、クライマックス・シリーズについて。もう何年も前から言っていることだが、海の向こうのメジャーを真似る、いかにもアメリカ的な商業主義も甚だしい。それを日本シリーズと呼ぶのはおこがましい(勿論、あちらでワールド・シリーズと呼ぶのもオカシイが、それはあちらの勝手)。日本シリーズの名がつく以上、長いペナントレースを勝ち抜いたチーム同士の対決であるべきで、そうでなければ、オマケのような、ただの短期決戦のエキシビション・マッチと呼び習わすべきだろう。

 まあ、負け犬の遠吠えに過ぎないのだが。

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