風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

ブルーインパルス

2020-05-29 22:38:01 | 時事放談
 本日午後0時40分頃から約20分間にわたり、東京都心で、ブルーインパルスの飛行チーム6機が、医療従事者など新型コロナウイルスの対応に当たる全ての人に敬意と感謝の気持ちを示すため、アクロバット飛行を披露したそうだ。予め飛行ルート・マップが公開され、23区上空を大きな「8」の字を描くように、概ね板橋区→豊島区→台東区→江東区→江戸川区→葛飾区→墨田区→中央区→港区→目黒区→大田区→世田谷区→渋谷区→新宿区→北区の順番で飛行したらしい。その2周目はフェニックスという飛行隊形で、2011年の東日本震災後、復興のシンボルとして不死鳥をかたちどったものらしい。
 私は都心に住む知人からのメールで知り、生で見たかったと思いつつ、先ほどYouTubeの映像を見ながら、思わず涙してしまった(苦笑)。五月晴れの空に航跡がなんと美しく映えたことだろう。医療従事者をはじめ、インフラを担う方々は休むことなく私たちの生活を支えてくれ、行動自粛した私も一応はその末席を汚して(笑)オール・ジャパンで頑張ったのだ。中には批判的なコメントもあったようだが、私は粋な計らいをしてくれたものだと思う。
 今回のコロナ禍でも、国民に見えないところで自衛隊の方々が頑張ってくれた。ダイヤモンド・プリンセス号の乗客輸送を担ったことは比較的よく知られるところだと思うが、3月末以降の空港検疫に自主的に協力してくれたし(これは効果抜群だった可能性がある・・・逆に3月中に無症状の帰国者をフリーパスで受け入れた政府方針が第二波を招いたとも・・・)、中国・武漢からの帰国者らの一時隔離施設で生活支援をしてくれたり、自衛隊中央病院では感染者128人を受け入れて治療を施してくれたりもしたらしい(このあたりは産経電子版による)。特筆すべきなのは、その間、自衛隊関係者の中から一人の感染者も出なかったことだろう。さすがプロの仕事だ。戦後、いろいろな国民感情があったが、それでも抑制した行動で私たちの生活を支えてくれた自衛隊は、私たちの誇りだと心から思う。それだけに、在日米軍基地を含む自衛隊の医療設備や、ニューヨークで活躍した病院船を新たに配備するなど、もう少し自衛隊を積極活用する動きが出て来てもよいように思う。
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人を動かすメッセージ

2020-05-27 01:15:49 | 時事放談
 昨日、ようやく緊急事態宣言が全面解除された。そうは言っても、コロナ禍のリスクがなくなったわけではないので、人出が急に元に戻るわけではなさそうで、当面、テレワークを続ける企業もあるようだ(私の会社もその一つ)。このように、コロナ禍は一種のショック療法で、テレワークを半ば強要し、少なからぬ日本人にとって意外なことに大抵のことはオフィスに行かなくても済んでしまうことが分かり、テレワークへの評価を高めた一方で、この間のコロナ禍との戦い・・・死への恐怖であったり、生活の糧を失う不安であったり、行動自粛によるストレスであったり・・・が人々の心に残した傷跡は小さくない。最近、SNSが良くも悪くも話題で、誹謗中傷や罵詈雑言が若い女子プロレスラーの死を招いたとされる痛ましい事件があったのも、また、キョンキョンをはじめとする所謂ツイッター・デモが、安倍政権をして検察庁法改正案を断念させるに至る快挙(?)があったのも、緊急事態宣言下での精神的ストレス抜きには考えられないように思える(だからと言って、それぞれの事態そのものを軽視するものではないが)。
 結果として日本は、欧米と比べて、桁違いの緩さの中で、桁違いのレベルで新型コロナウイルスを抑え込み、桁違いの再開基準を設定しクリアしたという現象だけ見れば、成功したと言えなくはない。同時に、医療体制(特にICUなどの緊急医療)や医療用品(マスクや防護服など)のサプライチェーンは意外にも脆弱だったことが判明し、この医療体制の制約のために、欧米諸国よりも被害が桁違いに大きくない段階で、緊急事態宣言を出さざるを得なかった側面もある。反省すべきだろう。そして、その内実は、当初のクルーズ船対応で欧米の評価は低かったし、PCR検査数は少ないし、Social Distancingは中途半端だし、政権への評価は高くないし、やることなすこと全て間違いのようでありながら、死亡率の低さだけは厳然たる事実として認めないわけには行かず、Foreign Policy誌が「奇妙な成功」と呼ぶしかなかったのは、分からなくはない。
 とりわけ政権への批判は、精神的ストレスのスケープ・ゴートにされたかの如く、凄まじかった(苦笑)。行動自粛のため報道すべきスポーツがなくなったスポーツ新聞までもが参戦し、二重三重に拡散されてうんざりするほどだった(微笑)。あるコミュニケーション・ストラテジストを名乗る方は、緊急事態宣言の記者会見に関して、「命令ではなく『自粛』要請によって人々の行動を変え、感染を止めようとするならば、頼みの綱となるのはコミュニケーションであるはずで、最後は、言葉の力に頼るしかない」(というのは道理だろう)、それなのに、安倍さんの会見と来たら、「安心も希望も恐怖も感じない」「感情の心電図はフラットのまま」だと酷評されていた。そしてこの方は、安倍さんに対してかねて次のような提言をされていたという。

□ 揺るぎのない強さとやさしさを持って、正面から国民に向き合ってほしい。
□ 原稿など読まずに、前を向いて、自分の言葉で話してほしい。
□ 迅速に決断をし、徹底した情報開示をしてほしい。
□ 国民の不安、恐怖、怒り、心配に自分ごとのように心の底から共感し、寄り添う姿勢を見せてほしい。
□ 間違いがあれば、素直に認めて、謝ってほしい。
□ 責任は自分にあることを明確に示してほしい。
□ 国民のために身をていして、この困難を乗り越えるべく粉骨砕身、取り組む姿を見せてほしい。
□ 具体的な展望を示し、未来に希望の灯をともしてほしい。

 気持ちは分からなくはないが、誤解や誤認や思い込みがあるように思うし、いくらかかるご時世とは言え、やや感情的に傾き過ぎ、コミュニケーション・ストラテジストを自任する割りには、人格批判に踏み込み過ぎ、ではなかろうか(発表したメディアの性格にも影響されているかも知れない)。ただ、日本の政治家全般の限界だろうと思うが、自分の言葉で語るわけではなく、官僚が用意した原稿を(心を込めて、と本人は思っているだろうが)棒読みするだけとする批判は、見当外れとは言えない。
 この点で、対照的とも言えるNY州のアンドリュー・クオモ知事などの記者会見を分析したハーバード・ビジネスレビュー誌の記事がなかなか面白かった。危機的状況の中で、聞き手の注目と信頼を得るためには言葉がいかに重要かを示しているとして、スピーチの模範として、その特徴を4つに纏めている。

(1)長い単語を短い単語に置き換える・・・集中力が持続せず、騒音が多い危機の際にこそ、シンプルな言葉が有効だとして、ツイッターのメッセージ「Stay Home. Stop the Spread. Save Lives.」を称賛。次のような(官僚が用意しそうな 笑)メッセージと比較してみよ、と言う。「公衆衛生と安全を守るために、重要なインフラに影響を与える必須の活動に従事していないすべての居住者に対し、新型コロナウイルスの蔓延を緩和し、罹患率と死亡率を最小限に抑えるため住居にとどまるよう、ここに命令する」 なお、「stay」「home」「lives」などのアングロサクソン系の単語は、ラテン語に由来する単語に比べ、単音節から成り、具体的で、理解しやすい傾向があるそうだ。
(2)アナロジー(類推)を用いる・・・神経科学者によれば、私たちの脳は、新しい物や未知の物を、馴染みのある物と結びつけて、この世界を処理しているのだそうで、例えば新しいアイデアが提示されると、脳は「これは何?」と聞くのではなく、「これはどのような物?」と尋ねるのだという。かつてF.D.ルーズベルト大統領が英国に武器貸与する際に用いた「消防ホース」のアナロジー(近所の火災を消火するためにホースを無償で貸与するのは、自らに火災が降りかかるのを予防するため)を引き合いに出し、オレゴン州がニューヨーク州に人工呼吸器140台を貸与したのが、なぜオレゴン州にとって得策なのかを説明したという。
(3)危機を個人的なものにする・・・ハラリの『サピエンス全史』によれば、私たちの高度な言語能力、特にストーリーを通して互いにつながる能力は、他の種にはできない方法で協力することを可能にしたということだ。ホワイトハウスの新型コロナウイルス対策調整官のデボラ・バークス博士は、祖母が1918年のスペイン風邪の際に感染し、免疫不全疾患を患っていた母親にうつして死に至らしめた話を次のように締めくくった。「祖母は88年間、それを背負って生きた。これは空論ではない。現実だ」
(4)3の法則に従う・・・人は多過ぎず少な過ぎず3つにまとめられたものを好むとはよく言われるが、危機の中では、数は少ないが具体的な指示を与えるリーダーほど人々を動かすという。国立アレルギー感染症研究所のアンソニー・ファウチ所長は、米国がソーシャル・ディスタンシングの指針を緩和できるのは「検査、隔離、感染者追跡」という3つが可能になったときだと述べ、国民は次の3つの行動によって他者との距離を確保すべしとして、「6フィート(約1.8メートル)離れる、集まりは10人以下にする、レストランやバー、劇場などでの多人数の交流を避ける」と言ったという。

 日本の「三密を避ける」というのはなかなかのものだと思うが、安倍さんのスピーチは、もうひと踏ん張り、いやふた踏ん張りくらい必要だろうか。
 なお、シンプルということで言うと、トランプ大統領の英語は小学5年生レベルと揶揄されるのは、カーネギー・メロン大学付属言語科学研究所が歴代大統領のスピーチを分析した結果によるものだそうで、より正確には、文法的に小学5年生、語彙に至っては小学4年生レベルなのだそうだ。因みにレーガン大統領、クリントン大統領、オバマ大統領は文法的には中学2年生レベルだったそうで、程度の差は大きいような気もするし、それほど大きくないような気もしないではない(笑)
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中国の認知のズレ

2020-05-23 22:07:44 | 時事放談
 前回、香港の話が出たついでに・・・中国で二ヶ月半遅れで始まった全人代で、香港版「国家安全法」導入に関する審議が行われ、イギリス・オーストラリア・カナダの外相が共同声明の形で、「一国二制度の原則を明らかに損なう」ことになると主張し、深い懸念を表明した(時事)。ウィグルでの人権侵害を非難すれば内政干渉だと言われかねないが、こと香港に関する限り条約があり、イギリスには口を挟む権利がある。
 またそのイギリスは、「Project Defend」なるものを発動し、コロナ禍でクローズアップされた必要不可欠な医療用品のほか、食料品以外の必需品の調達で特定の国(勿論、中国をイメージしているであろう)に依存しないよう供給網を多様化する計画だと報じられた(ロイター)。アメリカに続くもので、EUを離脱したイギリスはアメリカと歩調を合わせているやに見えるが、日本でも生産拠点の国内回帰に補助金をつけることが報じられ、中国の産業団体等から問合わせが相次いだと言われる、中国にとってはアキレス腱とも言える問題だ。
 ことほど左様に、自由・民主主義国とは相容れない中国の在り様が、これまでもそうだったが、コロナ禍という未曽有の危機の中で、様々なところで綻びを見せ始めているように見える。こうした中国の在り様の根源的な問題に関して、島田洋一教授が、ウィリアム・バーンズ元国務副長官の回顧録『裏交渉』(未邦訳)の興味深い一節を紹介されていた。

(前略) オバマ政権の末期、米側代表として米中「戦略安保対話」に臨んだバーンズは、人民解放軍を含む中共の組織的な「サイバー産業スパイ」活動を取り上げ、「具体的な証拠」を示しつつ、即座にやめるよう求めた。結果は、約7時間に及ぶ押し問答となったという。中共側は頑として証拠の認知を拒んだが、バーンズはその背後に「より広い意味の認知のズレ」を強く感じたという。米側は、「国家安全保障のためのスパイ行為と経済的優位を得るためのスパイ行為」を峻別し、前者はプロの情報機関同士の「日常業務」であり「やられた方が悪い」と言うべき世界だが、後者は「堅気に手を出す」行為であって許されないとの立場を強調した。ところが中共側の口ぶりには、「政治的であろうが経済的であろうが、政府とはあらゆる手段を用いて優位を築いていくもの」との姿勢がありありと窺えた。独裁政権の感覚では、「政府」と「民間」の区別などないし、政府や党は法律外の存在、すなわちアウトローであって、その行動を縛る道徳やルールなどないのである。したがって中共から見れば、外国の組織や個人は政府、民間を問わず、すべてスパイ行為の対象となる。また中国の組織や個人は、政府、民間を問わず、すべて国家情報活動の先兵として動かねばならない。サイバー分野以外でも、たとえば尖閣諸島を日本から奪取する作戦において、中国海軍と「漁船」は密接に連携してきた。両者の間に明確な線はなく、「海上民兵」が乗る「漁船」は軍の別動隊以外の何者でもない。(後略)

 長い引用となったが、これまでにも体制の違いとして論じられて来たところ、認知の問題とされたことに、私は思わずはたと膝を打った(笑)。本来、市場の自由競争に委ねられる資本主義が、中国にあっては国家資本主義と言われる所以であり、アメリカにとって、これは「unfair」として、彼らの重要な価値観に抵触する問題に違いない。根源的であり、中国共産党の統治が続く限り埋めることは出来そうにない、致命的な問題だ。
 中国人と個人ベースで会話する分には気にしなくて良いのだろうが、中国の公人と会話するときには留意しなければならない重要なポイントだろう。日本の外務省はその道のプロとしても、日本の政治家は果たして大丈夫か、ちょっと気になるところだ(苦笑)。
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香港の気概

2020-05-19 01:25:50 | 時事放談
 産経新聞電子版が一昨日に報じた記事:「香港の入試問題 『日本の侵略美化』と中国が取り消し要求」(https://www.sankei.com/world/news/200516/wor2005160019-n1.html)には、痛快と思うより、意外な思いが先に立った。香港の大学入試(統一試験)で出題された歴史の問題を巡って、中国側が「日本の侵略を美化するもの」として取り消しを要求し、香港の民主派や教師が中国の介入に反発を強めている、というのだ。出題された設問は以下の通りだという。

(引用はじめ)
・・・(1)1905年に清国側の要望で日本の法政大に1年の速成課程が設置されることが記された文書、(2)12年に中華民国臨時政府が日本側に支援を求めた書簡――を資料として挙げた上で、「1900~45年の間に日本は弊害よりも多くの利益を中国にもたらした」とする説について、どう考えるかを問うもの・・・
(引用おわり)

 香港政府の教育局長は「(日本の侵略が)有害無益だったことは議論の余地がない」として、入試を担当する独立機関に対し、設問を無効とするよう求める異例の事態に発展し、中国国営・新華社通信は「設問を取り消さなければ、中国人の憤怒は収まらない」と強く反発し、「香港の教育は学生に毒をばらまいている。根治させよ」と香港政府に要求する論評を配信したらしい。これに対し、ある香港立法会議員(民主派)は「設問は学生に同意を求めているのではなく、分析能力を問うものだ」と反論し、ある高校教師は「青少年の自由な思考を抑圧するものだ。文化大革命を想起させる」と懸念を示したらしい。
 民主派寄りの香港紙・蘋果日報は、「毛沢東が生前、日本軍が中国の大半を占領しなければ中国共産党は強大になれなかったとして、『日本軍閥に感謝しなければならない』と述べていたことを紹介し、設問を問題視する当局を揶揄している」らしい。このエピソードは日本の保守派には有名で、1961年、社会党の代議士(黒田寿男氏)が中国を訪問した際、日本による中国侵略をお詫びしなければならないと話したことに対して、毛沢東は次のように答えたとされる。
 「・・・日本の軍閥はかつて中国の半分以上を占領していました。このために中国人民が教育されたのです。そうでなければ、中国人民は自覚もしないし、団結もできなかったでしょう。そしてわれわれはいまなお山の中にいて、北京にきて京劇などをみることはできなかったでしょう。日本の『皇軍』が大半の中国を占領していたからこそ、中国人民にとっては他に出路がなかった。それだから、自覚して、武装しはじめたのです。多くの抗日根拠地を作って、その後の解放戦争[日本敗戦後の国共内戦―北村注]において勝利するための条件を作りだしました。日本の独占資本や軍閥は『よいこと』をしてくれました。もし感謝する必要があるならば、私はむしろ日本の軍閥に感謝したいのです・・・」(外務省アジア局中国課監修『日中関係基本資料集 一九四九-一九六九』所収、資料70<毛沢東主席の黒田寿男社会党議員等に対する談話>、霞山会、1970年)
もとより無条件の「感謝」とは受け取れない。一種の倒錯の世界で(笑)、勝利者の余裕があってこそ、ジョークで返したものであり、日本にパンダハガーがいる如く、中国側の「抱きつき戦略」と見るべきだろう(笑)。
 法輪功系の在米反中メディア・大紀元の過去記事によれば、毛沢東はこのときだけでなく、1956年、元陸軍中将の遠藤三郎氏との会談でも、1960年、日本文学代表団と左派文学家の野間宏氏との会見でも、1964年、第2回アジア経済討論会に参加したアジア、アフリカ、オセアニアの各国の訪中代表団との会見でも、同じ1964年、再び日本社民党の代議士(佐々木更三氏、黒田寿男氏、細迫兼光氏など)との会見でも、1970年、米国人ジャーナリストのエドガー・スノー氏との談話でも、日本が蒋介石軍(国民党の力)を弱め、そのお陰で共産党が支配する根拠地と軍隊を発展させることができた、といったことに言及し、1972年、田中角栄元首相との会見では、だから戦後賠償は要らないとまで話したとされている。
 田中角栄元首相との談話の詳細は公表されていないが、それ以外は中国で出版された書籍に記載されているようだ。今の中国大陸で、これらの記述にどこまでアクセス可能か知らないが、香港にはその記憶が今なおしっかり受け継がれているのが、なかなか興味深く思われた次第だ。
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国家主義への回帰の時代に

2020-05-17 11:59:09 | 時事放談
 前回ブログで、日本は医療用品の多くも(エネルギーや食糧に加えて)輸入に頼る脆弱な産業構造を持つことが、コロナ禍で端無くも再認識され、国家の存立を維持するために対外関係が難しい立場に置かれるものであることをやや皮肉まじりに述べた。諸外国に依存することが恰も悪いような言い方になったが、もとより日本は資源小国で、狭い島国に過剰な人口を抱える国である上に、多様化し複雑化した現代社会にあっては、どんな国であろうと、何でも自力で賄うことなど容易ではないし現実的ではない、相互依存の時代である。今さらリカードの比較優位理論を持ち出すまでもなく、競争がグローバル化し、ピンキリの様々な国がうごめく国際社会において、それぞれの国は自ら比較優位な領域で勝負していくほかに生き残る術はない。そんな中で、日本にとっての不幸は、今や14億を超える人口を擁する発展途上の国・中国が、すぐ隣で経済的なプレゼンスを高め、その「磁場」に引き寄せられざるを得なかったことだろう。
 かつて、プラザ合意後の円高基調、さらにバブル崩壊後の内需低迷で、日本の企業は生き残りを図るため、産業構造の転換を余儀なくされた。具体的には、生産技術を極めて世界第二の経済大国にのし上がる原動力となった「ものづくり大国」としての強みを維持しながら、製造コストを切り詰めるために、低廉で豊富な労働力を供給する中国と生産分業を行う、ぎりぎりの選択をした。そのため先端技術の開発機能や、トヨタに代表されるようにマザー工場機能を国内に残したが、結果として産業の空洞化は避けられなかった。それは豊かさの宿命でもあって、日本に限った話ではない。アメリカもその他の先進国も、そのコスト優位に引き寄せられ、いつしか中国は「世界の工場」と呼ばれるに至った。その中国では、かつて日本の地方から都会に出稼ぎに行く「民族大移動」が高度成長を支えたように、地方の農民が沿岸の経済特区に出稼ぎに行き「世界の工場」としての成長を支えた。因みに成熟したアメリカが今もなお成長を続けるのは、ヒスパニック系の移民が一種の植民地的な低賃金労働の供給源となり続け、経済のバランスを維持している側面があるように思う。
 そんな中国でも、「中所得国の罠」を回避するため、かつてのドイツや日本を追って、産業の高度化に舵を切り始めた矢先のことだった。コロナ禍という未曾有の危機に直面し、一部の「モノ」への需要が高まり、分捕り合いが起こる事態に立ち至った。感染症が世界的に拡大するときに、まさか必ずしも高度とは言えない「ものづくり」が強い武器になろうとは、いかに中国共産党といえども想像できなかったに違いない。アメリカは、早速、朝鮮戦争が始まった1950年に成立した国防生産法を発動し(とは言っても、これまで既に50回近く発動し、戦争や自然災害と戦って来た)、GMやフォードが人工呼吸器の製造を始めている。そればかりではない。コロナ禍がイデオロギー対決を煽り、米中摩擦が激化することになって、トランプ政権はリスク分散のため、生産の中国外への移転や国内回帰を戦略的に進めようとしている。日本も、アメリカほどの規模ではないものの、医療用品をはじめとして、生産の国内回帰に助成金を出すことを決めた。
 もとより、いったん確立された「世界の工場」としての立地の優位性は、そう簡単に揺らぐことはないだろう。電力・水道などのインフラや、港湾・空港などの物流ネットワークのほか、材料・部品などの産業や熟練労働力が集積し、時間をかけて発展を遂げて来た言わばエコ・システムを、東南アジアの国がおいそれと短期間に構築できるものではないだろう。しかし少し長い目で見れば時代の流れではある。
 そもそも国際的な生産の移管は、かつて開発途上だったドイツや日本の生産技術が高まったことに始まった。今では信じられないが、その初期にはMade in Japan が(米国に比較し)「安かろう悪かろう」の代名詞とされた時代があったし、それ以前にはMade in Germanyが(英国に比較し)「安かろう悪かろう」の代名詞とされた時代があった。その日本が、開発途上の中国に生産を奪われる構図は時代の流れには違いないが、多少、皮肉な言い方をするならば、その地理的な近接性と文化的な近接性、まさに「地の利」がある気安さと、何より日本の10倍を超える人口を擁し、その労働供給力は無尽蔵とも言えるほどで、赤信号を皆で渡るように、ちょっと危ないかも知れないという危機意識を抑えながら、国際的コスト競争力維持のお題目のもとに、安易に生産移管を決定する傾向があったように思われる。そこには、鄧小平氏が改革開放に当たって松下幸之助氏に頼ったように、中国共産党による戦略的な「甘い誘惑」も働いた。「磁場」に引き寄せられると形容したのは、その意味だ。
 今回のコロナ禍は、行きすぎたグローバル化への反省が高まる中で、頼るべきものが国家である現実を完膚なきまでに再確認させた。本来、国境を越えて広がる感染症は、環境問題と同様、国際協力が不可欠で、アメリカのような大国こそ国際公共的な役割を率先して負担して然るべきと期待されるところ、そんな余裕は微塵もなく、アメリカ・ファーストの流れはむしろ強まるばかりである。中国は大国として振舞いたがるくせに、アメリカ同様、コスト負担を引き受ける意思はなく、むしろ全ての行動は核心的利益の第一としての「中国共産党による統治」の正当性を示すことに収斂するため、情報隠蔽にせよ情報操作にせよ、権威主義的で閉鎖的な性格はすっかり信頼を喪失した。EUは公衆衛生に対処することがそもそも想定されていないため、EU加盟各国が個別に対応するほかなく、かつてシリア難民に対しては国境を開いていたのにコロナウイルスに対しては挙って国境を封鎖してしまった。本来、活躍すべきWHOは、別の意味で中国の「磁場」に引き寄せられ(笑)、公平性や中立性が怪しまれて、中国と同様、すっかり信頼を喪失した。
 ポスト・コロナの時代は、全く新たな秩序が形成されると言うより、これまでの歴史の歩みが加速すると言われる。グローバル化への反動と、国家を中心とする国家主義とでもいうべきものへの揺り戻しはまさにそうだし、アメリカや中国の動きを見ていると、技術や経済だけではなくイデオロギー(あるいは体制のあり方)においてもデカップリングが加速して行く気配が濃厚であるし、身近なところではテレワークや遠隔医療やネット授業などITの利活用が進むきっかけになるのは間違いないところだ。そうであればこそ、3年前のフォーリンアフェアーズ誌で、プリンストン大学のジョン・アイケンベリー教授が、トランプ大統領の登場を受けて、これからのリベラルな国際秩序を守るのは、日本の安倍首相とドイツのメルケル首相の双肩にかかっていると期待を表明されたように、それぞれの国家の威信を守りつつも、同時に、治療薬やワクチンの開発で協働し、置き去りにされた発展途上国を救済するなど、国際協調を取り戻す、第三極としての日本とEU諸国に期待される役割は小さくないように思う。
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マスク外交から人質外交まで

2020-05-13 22:42:48 | 時事放談
 昨日の日経朝刊一面を飾った記事は、薄々分かっていたこととはいえ、あらためて衝撃的だった。「医療品、海外依存度高く 感染爆発の備えに不安」と題して、後発薬の原薬(50%を韓国、中国、イタリアから)をはじめ、人工呼吸器(90%超を欧州、米国から)、サージカル・マスク(70~80%を中国から)、医療用ガーゼ(約60%を中国から)、全身防護服(ほぼ100%を中国、ベトナム、米国から)など、輸入依存度の高さを一覧表にまとめたものだ。日本の産業の、なんと脆弱なことだろう。サラリーマンの端くれとして、日本経済のためではなく、企業の資本の論理のままにやって来たことがこのザマとは、まさに衝撃的だった。
 このあたりは既に、消毒用アルコールの原液は国内で用意できても、プラスチック・ケースやスプレー部品の調達が追い付かないため商品化できないと言われたときに感じていたし、マスク不足が深刻化したときに、輸入比率が8割に達すると聞かされて愕然とし、主要な輸入先である中国が輸出規制をしているらしいことは、もはや誰も口にすることはなく、ただ我慢するほかなかった。そもそも日本は、食糧にしてもエネルギーにしても、多くを輸入に依存し、私が小学生の頃と言えば50年近く前のことになるが、資源が乏しい加工貿易立国だから自由貿易が死活的利益だと教えられ、今なお自由貿易を国是とする資源小国のままなのである。
 このコロナ禍では、中国による「マスク外交」が(恐らく一部の国で、ということだと思うが)甚だ評判がよろしくない。そもそもコロナ・ウイルスの発生源のくせに、どのツラ下げて・・・と思うところがある上に、品質の悪さもさることながら、日頃付き合いの良い国をこれ見よがしに優遇し、フランスに対しては華為との5G商談をバーターにするなど、弱みに付け込む悪徳商人ぶりが際立った。日本は、かかる状況下で、只管マスク支給を乞うしかない。
 コロナ禍で霞んでしまったが、中国による「人質外交」が話題になったことがあった。2018年12月、カナダが華為創業者の長女で同社副会長の孟晩舟氏を拘束した際、中国は中国・国内にいる2人のカナダ人を「国家安全に危険を与えた」などの容疑で拘束する報復措置に訴えたのである。その衝撃が冷めやらぬ昨年9月、北海道大学の岩谷將教授が、北京訪問中に急遽、国家安全当局に拘束された。幸い11月に無事釈放されたのは、日中戦争史や中華人民共和国建国前の政治史などを研究することが「反スパイ法」違反容疑とされたことの恣意性と、学問の自由が侵される由々しき事態に、日本の言論人が立ち上がり、日本政府やメディアと協力したお陰で、中国から救出された最初の事例となった。かねて中国政府は2015年春頃から中国内で「日本人スパイ狩り」を始め、これまでに10人以上を拘束したとされ、中には懲役15年の判決を受けた人もいるらしいが、問題は、日本の外務省は中国を刺激したくないばかりにこれらを一切公表していないことだ。岩谷氏の事件についても、いざ記事にする際、外務省高官は「絶対に書くな」「責任をとれるのか」などと恫喝したらしい(産経・矢板明夫氏による)。
 結局、無実の日本人が人質になろうが、香港やウィグルで人権侵害があろうが、日本は非難がましいことは何も言えない。仮に日本が何か言って、中国の機嫌を損ねるようなことがあると、何かモノを止められて(かつてレアアースを止められたように)息の根も止められてしまいかねないのである。ちょうどオーストラリアが、新型コロナウイルス発生源の調査を求めたばかりに、中国から大麦に高額の輸入関税をかけられたり、一部の牛肉加工業者の輸入差し止めをチラつかされたりしたように。しかも日本は、中国にとって歴史認識問題を抱えて恨み骨髄に徹する国である。かつては全方位外交と呼ばれる、誰にでも良い顔をする八方美人外交しか生きる術はなかったし、その後、中国との間で、戦略的互恵関係と呼んで、何か個別の案件で利害の衝突があったとしても全体として日中関係を害することがないよう、大人の対応をする取り決めを行ったが、長らく政冷経熱が続き、ようやく習近平国家主席の国賓招聘に合意したばかりだ。
 これが大東亜戦争による荒廃から目覚ましい復興を遂げ、ほんの二十数年で世界第二の経済大国に上り詰めた日本の成れの果てだとすれば、なんと哀しいことだろう。かつて石油ショックの危機意識から、軍事的安全保障ばかりでなく食糧安全保障やエネルギー安全保障までカバーする「総合安全保障」を策定するに至った(1980年)ように、コロナ・ショックの危機意識から、同様に国のありようを見直すこと、超大国・中国が相手であろうと是々非々でモノ申し、小さくても(GDP世界第三位は十分に大きいが)キラリと光る高品質・高品位の国であろうとすることは、途方もない夢のまた夢なのだろうか。
(つづく)
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コロナ禍⑲ぼやき

2020-05-10 21:21:09 | 日々の生活
 いい加減、コロナ禍について書き続けるのは疲れて来た(笑)。それもこれも日本のメディア報道を疑問に思うばかりに、不完全なデータながらも客観的に現状を把握しようと試行錯誤して来たのは、実のところ、こうした危機的な状況において、世界的に中国共産党による情報隠蔽や情報操作が懸念される中で、日本だけが無縁なわけがないだろう、という私個人の密かな懸念にある。ただの邪推だと笑い飛ばして貰って構わないが、現在の日本の言論空間はちょっと異常ではないかと思う。勿論、コロナ禍によって行動の制約を受け、フラストレーションが溜まっているのは間違いない。そのため、山梨に帰省した女性だったり、安倍さんだったり、責めを負うだけの行動があるからこそ、スケープゴートの対象とする心理は理解できなくはない。
 例えばPCR検査が足りないのは事実、その通りだと思うし、PCR検査を受けられないばかりに急速に重篤化し死に至る例が散見されるのは誠に不幸なことだと思うが、そのようなレア・ケースに余りにフォーカスし過ぎるのは却って全体を見誤るようにも思う(埼玉県は、リソース不足のせいで、どうやら4日間37.5度を厳しく適用したようで、もしその通りだとすれば、間違いなく不幸なことだったと思う)。そもそもPCR検査を増やすのは、客観的な情勢を把握するためであって、国民一人ひとりの不安を解消するためではない。実際、東大・薬学部の池谷裕二教授は、PCR検査数と死亡者数とを比較し、日本の感染の現状に鑑みれば的を絞った適正な検査をして来たと解説されたようだ。また、ロンドンのインペリアル・カレッジが発表した、新型コロナウイルス対処における検査についての論文では、余りよく考えずに「検査を増やせ」との議論があるが、検査を増やせば感染が防げるわけではないので注意が必要、という結論になっているらしい(私は論文をダウンロードしたが、まだ読み込んでいないのでこれ以上は踏み込まない)。また、所謂「アベノマスク」に関する報道も酷いもので、全体戦略が発出される前に発表されて、本来であれば苦笑いしてやり過ごす程度のところ、かかる情勢下で人格を否定するような言説が充ち満ちた(苦笑)。勿論、日本の官僚制をベースとする保守的で遅々とした対応に不満があるのは分かるし、専門家会議に丸投げしているかのような無責任とも思える政府の体たらくを懸念する気持ちもよく分かる。先の国難である東日本大震災、とりわけ福島第一原発問題と比較したくなる気持ちも分かるが、今回は、放射能ではなく、未知のウイルスとの戦いであって、しかも福島県に限らず全国、しかも全世界に突き付けられた課題でもある。新しい生活様式を押し付けられることに反発する向きもあるようだが、これまでコロナ禍への対応で「強制」「義務」があった試しはなく、飽くまで国民の自主的な対応を期待したものであって、それ自体に補償問題での物足りなさはあるものの、これが戦後75年を経て形作られてきた国のありようであって、公衆衛生の立場からのアドバイスに過ぎないのも自明で、過剰反応ではないだろうか。大阪府知事が、日本国政府に先駆けて自粛解除の基準を公表し、もてはやされているかに見えるが、当たり前のことをしたまでであって、特段、褒めそやすに値しない。いや、政府の体たらくもあって、その頑張りが際立つのは無理もないし、私自身も大学卒業まで20年間は大阪育ちで、頑張って欲しい気持ちは大いにある。
 日本のメディア報道として疑問に思う典型が、「政府のコロナ対応、海外から批判続出『終結は困難』」とタイトルされた5月7日付の朝日新聞記事であろう。「新型コロナウイルスへの日本政府の対応について、海外から批判が相次いでいる」としながら、その実、批判の内容は過去に取り上げられてきた在外日本人の言説のようであり、要は批判のためにする批判のようなのだ。その最後にはよりによって韓国の代表的な左派メディア・ハンギョレ新聞(電子版)を取り上げ、「新型コロナの対応に失敗し、国民を苦痛に陥れた安倍政権は今からでも隣国の成果を謙虚に認め、支援を要請する勇気を見せなければならない」と訴えたことをそのまま引用して締め括っている。では、ニューズウォーク日本語版5・5/12号の韓国人ジャーナリスト崔碩栄氏による記事「韓国の対応を称える日本に欠ける視点」をどう見るか。韓国では、冷戦時代華やかなりし頃に採用された「住民登録番号」制度が活用され、マスク不足への対策として1人が1週間に購入できるマスクを2枚ずつと制限された事実、また今なお徴兵制を施行する韓国において、コロナ対応のために「社会服務要員」として軍人や公衆保健医という兵役義務を担う若い男性たちが動員され、薬局の人手不足を補うため、マスク工場での包装や運搬作業のため、宿泊所も手配されないまま大邱や慶尚北道地域に派遣された事実を、どう受け止めるか。崔碩栄氏はこの記事を次のように締め括る。「日本人にとってベストな選択は韓国のように対応することではなく、その裏に見えるものも冷静に観察することではないだろうか?」と。
 最近、気になったこと2点に触れたい。
 一つは、今日の日経に掲載されたもので、確かにPCR検査体制は諸外国に比べて格段に劣っているものの、CT検査は紛れもなくダントツに世界トップであって、肺炎検査をしっかり実施し補完しているのではないか、という話だった。このあたりは、日本の医療全体として評価されるべきだろう。
 もう一つは、「超過死亡」という概念だ。これは「パンデミック時の総死亡者数(死因を問わない)」から「通常時の平均死亡者数」を引いた数値のことで、今回は「直接・間接を問わずパンデミックが生み出した死亡者数」を表す参考指標と考えて良さそうであり、Financial Timesは「超過死亡数に比べると、各国が公式に発表している死亡者数はかなり少ない」と報じている。この混乱では、そりゃそうだろう。では日本はどうか。国立感染症研究所によれば、4月初旬までは、特段の増加が見られず、日本の新型コロナ禍対策はそれなりにうまく行っていることの傍証になり得ることが確認されているらしい。私は「死亡者数」こそ動かしようがない客観的事実と思って来たが、「超過死亡」は、通常のインフルエンザ死亡者数が減っていることもあるにはあるが、関連死まで含めれば、今のコロナ禍に伴う混乱を客観的に捉える数値として、確かに注目されてよいのではないかと思う。検査数に依存する感染者数ではなく、もう少しメディア報道には工夫があってもよいのではないだろうか。
 知人のFacebookコメントによれば、新型コロナは日本で昨年8月に発生していたとするデマが流れ始めているらしい。それがもし事実とするならば、「今はそれどころじゃないだろう」とか、「真実はいずれ分かる」ではなく、タフなアメリカではなくナイーブな日本を狙い撃ちにするような(恐らく中国共産党による)宣伝戦には、宣伝下手な日本として心してかかるべきだろう。
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追悼:岡本行夫さん

2020-05-08 21:53:39 | 日々の生活
 またしても、新型コロナウイルスの、私にとっては心から惜しまれる犠牲者が出た。岡本行夫さん、享年74。4月24日に亡くなったという。既に二週間、なんとひっそりとこの世を去られたことだろう・・・氏のお人柄が偲ばれる。
 元・外交官で外交評論家の岡本行夫さんとは、何の縁もゆかりもない。失礼ながら著作を読んだこともない。強いて言えば、卒業記念に外交官試験を受験し(勉強しなかったので予定通り合格せず)、在学中は同じく元・外交官の加瀬俊一さんの著作に親しみ、というように、外交官への一方的な憧れを抱いていただけのことだ。もっとも元・外交官と言っても、多士済々、いろいろな方がおられる。岡本行夫さんの素晴らしさは、言ってみれば、保守系の代表的日刊紙・産経新聞の「正論」執筆メンバーとして保守の方々を満足させる論考を寄せられるとともに、日本的な意味でのリベラルな(つまりは反体制の)番組の代表格であるTBS「サンデーモーニング」の解説者にも名を連ね、リベラル派をも納得させる議論を展開されていたところにあるように思う(笑)。君子豹変ではない。右顧左眄でもない。背筋にぴんと一本筋が通って、いずれをも納得させる魅力があるのだ。その朴訥とした語りからは、ただの評論家にとどまらない、現場感覚の確からしさと、透徹した思考の奥深さが伝わって来る。
 過去にセミナーやシンポジウムで何度か直接(という意味は、メディアを介さずという意)お話を伺う機会があり、地球環境に関しては驚くほどラディカルで、私にはちょっと付いて行けないところがあったし、歴史認識に関してはリベラルで、意外に思ったものだが、保守派はつい戦前の日本の立場を回復するべくリビジョニスト的な主張を世界に向けて発信したがるところ、岡本さんは「日本が挑発しないことだ」と慎重で、リアリストとしての現実感覚には感服したものだった。志村けんさん、岡江久美子さんに続き、もうあの快刀乱麻を断つとでもいうべき時事評論を伺えないと思うと、残念で哀しくて仕方ない。
 心よりご冥福をお祈りし、合唱。

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コロナ禍⑱タイムラグ

2020-05-03 16:13:37 | 日々の生活
 緊急事態宣言の延長当否については、明日、正式発表される予定だが、既に数日前に、全国を対象に更に一ヶ月程度延長する方向の観測気球が上げられた。全国を平均すれば、感染自体がピークを打ったのは間違いなく、現に実効再生産数は、3月25日に「2」だったのが、4月1日頃には既に「1」を割り込み、緊急事態宣言後の4月10日には「0・7」まで低下していることが報じられた(東京都に限ると、3月14日時点では欧米の流行時並みの「2.6」だったが、4月10日には「0.5」まで低下したらしい)。欧米諸国であれば、感染者数が少ないのは検査数を絞っているからだとしても、実効再生産数はロックダウンを(部分)解除するレベルであろう。しかし北海道のように感染が再び拡大する地域があり、医療現場は依然ぎりぎりのところで奮闘していることが伝えられており、この段階でブレーキを緩める政治判断はなかなか簡単ではないだろう(もう一ヶ月延長されるのは個人的にはキツイという印象なのだが・・・)。
 新型コロナ禍は、タイムラグがあるのが悩ましい。感染しても無症状で他人に感染するケースがあるのも悩ましところだが、よく知られる通り潜伏期間は1~12.5日、多くは5~6日(いずれも厚労省HPより)であって、日々、報道で接する感染者数は、一週間前の状況を後追いで見ていることになる。また、急速に重症化するケースがあるのも悩ましいところだが、軽~中等症から重症化し、あるいは逆に改善し、退院する(場合によっては不幸にも亡くなる)までの入院期間は、中国での報告によれば中央値11日、国立感染症研究所の3月23日時点の報告によれば平均値16.6日とされる(4月22日付の厚労省・新型コロナウイルス感染症対策推進本部の事務連絡より)。感染から退院までの時間を単純合算すると、国民の行動変容と医療現場の煩忙との間には場合によっては一ヶ月ものズレが出てくる。
 これまでのところ、政府方針は、専門家会議を中心に感染症の専門家の意見が幅を利かせて来たように見受けられる。人との接触を8割削減するといった極論に近いショック療法に対して、前提条件(実効再生産数)に疑問を投げかける意見もあったが、それでも国民は概ね真摯に受け止め、初期のオーバーシュートを抑える局面ではそれなりに機能してきたように思われる。しかし、十分な抗体が形成されるのかどうか、免疫力がついて安心と言えるかどうかに疑問符をつける見方も出て来る中で、当面、完全に抑え込むことなど到底不可能である以上、長期戦に備えて、タイムラグを先読みしつつ、どのようにブレーキを利かせるか(緩めるか)、経済学や社会(心理)学を含む幅広い分野の専門家の知見も総合し、政治が慎重に舵取りしていくことが望まれる。明日の政府説明では、このあたりを踏まえつつ、出口戦略がある程度明確になり、自粛疲れを癒すようなものになって欲しいものだ。サラリーマンで多少の気分の落ち込みがあるくらいならまだしも、中小企業、特に感染の巣窟と槍玉にあがった飲み屋などの個人経営は、所詮は自然災害と同じ事業リスクだと突き放すには気の毒な状況になりつつある。
 添付グラフは厚労省発表のデータをプロットしたもの。都道府県の発表値を集計するものなので、漏れもあれば遅れ(タイムラグ)もあり(例えば死亡者として70名強は、個々の陽性者との突合作業中とのことで、日々の推移に展開できないため、ここでは除外している)、前後3日を含む7日間の移動平均でならしてある。上のグラフは、日々の「感染者数」「重症者数(=人工呼吸器または集中治療室に入院)」「死亡者数」の推移で、重症者は感染者の中に一定割合おり(ほぼ同期)、死亡者はタイムラグを以て増えている傾向が読み取れる(集計上の問題なのか、増えっぱなしというのが気になる)。下のグラフは、厚労省が「入院を要する者等」と定義する「軽~中等症者」「重症者」「症状の程度を確認中」「入院待機中」「症状の有無を確認中」を合算したものと、「退院者・死亡者」を比較したもの(両者の差)で、細かい定義は抜きにして、大雑把に日々のInput/Outputとその「残高(差)」を示すものと考えられ(但し3/30を起点としている)、ここ二週間で、軽症者を病院以外に移しているからであろうか、ようやくその「残高(差)」が頭打ち傾向にある(あるいはぎりぎりで持ちこたえている)ことが読み取れ、その間の医療関係者の苦労がしのばれる。なお余談ながら、下のグラフの「入院治療を要する者」(青の棒グラフ)は当然のことながら上のグラフの「感染者数」(折れ線)とほぼ同期する。飽くまで大雑把なイメージだが・・・(巣籠り中、久しぶりにExcelでグラフを作成)
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