風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

世界のサカモト死す

2023-04-22 21:44:55 | スポーツ・芸能好き

 先々週末はYouTubeで坂本龍一さんの音楽にどっぷり浸った。お陰で先週は、ふと気が付くと通勤途上だろうが仕事の合間だろうが、頭の中を『戦メリ』のメロディーが流れ続けた(苦笑)。さすがに今週は平常に戻って、ようやく筆を執る。

 困ったもので、常日頃、ファンでも何でもないと気にすることはないのに、いざ亡くなったことを知ると無性に恋しくなる方がいる。高校生の頃、クラブ活動に明け暮れてインベーダーゲームなどやったことがなかった私に、「ピッ、ボッ、ブー」を取り込んだテクノ・ポップは、馴染みの音楽とは程遠い、異次元の世界だった。また、クラシックが苦手な私にとって、東京芸大・院卒というだけでビビッてしまう坂本龍一さんは、苦手意識が先に立って、どこか遠い存在だった。しかし、同時代を生きて来た者として、気になる存在であり続けた。

 何はさて措いても『RYDEEN』である。

 YMOを世に送り出した音楽プロデューサーの川添象郎さんが語る。

(引用はじめ)

 村井邦彦から電話が来た。電話口の村井はなにやら困ったような声音で「細野に任せた例のアルバムが完成したんだけど、ちょっと聞いてくれないかな」と言う。

 さっそく村井の事務所へ赴くと、「これなんだよ」と彼がかけたテープから聞こえてきたのは「ピッ、ボッ、ブー」といった調子の奇妙な電子音だった。

 あとでわかったことだが、あれはYMOのファーストアルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』に収録されたイントロダクションの電子音だったようだ。

 細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏というたった3名のメンバーで録音されたこのアルバムは、コンピューターを駆使して創られた。

 細野晴臣は、当時からミュージシャンのあいだでは名を知られていたものの、ヒットアーティストとは呼べず、なにやら面白いことをやっているらしいと一部の音楽専門誌が取り上げたこともあるが、反響は皆無だった。

 誰も聞いたことのない、奇妙で前衛的な電子音から始まるインストゥルメンタルの音楽なのだから、放っておいても売れるはずがないことはわかっていた。

(引用おわり)

 まさにその感覚を共有する。後に当事者たちが語ったところによれば・・・1970年代末の当時、東洋の不思議の国・日本がハイテク国家として世界に台頭しつつあり、ディスコ・ブームがあり、スターウォーズ公開があり、高橋幸宏さんには和風のディスコ・ミュージックが出来ないかとの思いがあったそうだ。モチーフはなんと黒澤明監督の映画だという。

 「僕は『七人の侍』かな。あちらは全然イメージ違いますけどね。なんかこう勇ましい感じだったですよ。それと同時に、戦うというネガティヴな部分をむしろ排除して、なんか明るくて、桜吹雪がパーッと舞うような、ね」(高橋幸宏氏)。

 『RYDEEN』は『七人の侍』のYMO版サントラとして作られたのだった。その証拠に、曲の半ばで馬の駆ける音が表現されているし、そもそも『RYDEEN』のリズム自体、馬が駆ける音だったようだ。当時のシンセサイザーは「タンス」と言われるほど巨大で、「それをより一層、大袈裟にステージで見せていた。彼らから見ると、当時、日本っていうのは電気製品の国ですから、アメリカは『電気製品のロックバンド』みたいなエキゾティックなイメージで見ていたのではないか」(細野晴臣氏)。

 そんな遊び心は、当時まだ十代の私には理解不能だった。

 「コンピュータに演奏させることがある程度できるようになり始めた頃、メンバーで、教授なんかとよく言っていたのは、結局、ソフトを作る人間のイメージが益々豊かでないと益々詰まらないものが出来てしまう。テクニックを磨かなくても簡単に音楽がつくれるけれども、感性の部分がよりストレートに出てしまうので、その部分が益々大切な音楽になるよねってよく話して。YMOはその部分をとても大切にしていたと思います。細野さんも、教授も」(高橋幸宏氏)。

 「あれは作ったときの幸宏のとても開放された鼻歌感覚とか、それを面白おかしく皆で作って行ったときの楽しさというのが、やっぱり僕たちはそれを本当に楽しんで作ったということが、ヒットして行った。余りそういうことはないし、今もない」(細野晴臣氏)。

 折しも、2月の日本経済新聞「私の履歴書」は村井邦彦氏の担当で、その24回目に、YMOがデビューした当時のエピソードが綴られている。「ニューヨークのテレビでは、僕が『西洋の技術で日本の心を表現している』とYMOの音楽を説明した。和魂洋才である。」

 このあたりは、今となっては、なんとなく分かるような気がする。世に「天の時、地の利、人の和」などと言われるが、あの時代にして、ほんの5年ほどの出来事ではあったが、まだ洗練されたとは言えない混沌とした東京の地で、川添象郎氏が言う「天才・細野、奇才・坂本、商才・高橋。YMOはそういう個性の3人」が集まって、ほんの遊び心で作った音楽が世界を席巻した。奇跡と言うべきかもしれない。私にとってYMOの音楽は今もなお「奇妙な前衛的な電子音」でしかなく、異質な世界の出来事だと思っているが、決して嫌いではないし、面白いとすら思う。それは、どこかで「和魂」が通じ合うからかもしれない。

 そして、『戦場のメリークリスマス』である。

 教授こと坂本龍一さんは、同時多発テロ以降、非戦を語り、東日本大震災以降、脱原発を主張されてきた。政治的に、私は相容れないが、人間の欲が巻き起こす戦争など虚しいものだと言わんばかりの、『戦メリ』の哀しいメロディーは心に響く。

 今から14年前、NTTドコモは第三世代携帯電話(FOMA)の新機種としてN-04Aを発売した。著名な家電デザイン企業amadanaを起用し、デザイン重視のこの携帯電話には(ヒューマン・オーディオ・スポンジの頭文字HASと、イエロー・マジック・オーケストラの頭文字YMOを組み合わせて命名された)HASYMOが協力し、着うたフルとしてHASYMOの3人による共作のインスト曲「グッド・モーニング、グッド・ナイト」がプリセットされた。さらに細野晴臣氏と高橋幸宏氏が手がけた着信音・メロディ・アラーム音が14曲(音)も入っている。細野晴臣氏による「セサミ」「ブルー・ヘヴン」「アテンション」「グッド・ニュース」「アラーミング」「リング・リング」「マーキュリー」「エアロ」「オープン・セサミ#1」「同#2」「クローズ・セサミ#1」「同#2」と、高橋幸宏氏による「ホープ」「ア・ヒント」である。私はほんの3年前までこの携帯電話を使い続け、今は、ネットワークに繋がらないが、目覚まし時計替わりにして、毎朝、「ホープ」で目を覚ます。私にとっては手放せない玩具である(上記写真参照)。

 YMOは、そして坂本龍一さんは永遠に。

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吉祥寺・三大カレー

2023-04-09 11:46:58 | グルメとして

 吉祥寺で喫茶店をハシゴした。

 以前、吉祥寺・三大カレーなるものを制覇しようと思い立って、ダイヤ街の地下にある「くぐつ草」と、その先の東急百貨店裏手にある「茶房 武蔵野文庫」のそれぞれでランチ・セットをハシゴしたところで、挫折していたのだった。

 そこで日を改めて、三軒目の「まめ蔵」に出向いたところ、午後1時半というのに待ち行列が出来ていて、諦めて近所の「茶房 武蔵野文庫」を再訪した。

 前回、二軒とも同じようにスパイシーだったが、一軒目の「くぐつ草」の方が、タマネギをしっかり煮込んでいるのだろう甘みとコクがあって美味いと思ったのは、もしや空腹だったせいではないかと思い直し、二軒目の「茶房 武蔵野文庫」をあらためて空腹で試してみたのだった。「大ぶりのジャガイモ、ニンジン、鶏ムネ肉が転がる無骨な雰囲気」という食べログ・コメントそのもののカレーは素朴でよいのだが、やはり「くぐつ草」の深みに軍配があがった。この日は、それを象徴するわけではないだろうがお店はガラガラで、隣の「山本のハンバーグ」に待ち行列があるのと対照的だった。

 午後2時を回ったところで、もしやと思って「まめ蔵」を覗いてみると、なんとか空きが見つかって、この日もハシゴすることにした。ビーフ/ポーク/チキンの中からビーフを選ぶ。前の二軒と違ってスパイスは抑えられてマイルドだが、たっぷり野菜を煮込んでいそうなコクのある家庭の味という印象だった。私のようにちょっと物足りなく感じる人は、卓上の辛味七味と山椒香る香味七味とで調整せよということのようだが、七味を加えないまま勢いで完食した。

 いずれも40数年の歴史ある老舗の喫茶店カレーで、カレー専門店が持つ「本格派」とは違う「懐かしさ」がある。「くぐつ草」のご飯には干しブドウが載っていて、思わずほっこりさせられる。今どき喫茶店と言えば、ちょっと高いタリーズかスタバ、ちょっと安いドトールかサンマルク、変わり種でコメダか星乃か上島と、私の中で決まっているが、生き馬の目を抜く都心とは違って、職住ならぬ食住が一体となった郊外の街だからこそ、昔ながらの商店街があり、メンチカツとコロッケの店に行列ができ、その片隅に世代を超えてしぶとく生き抜く老舗の喫茶店があるのだろう。それが吉祥寺という街の魅力でもある。

 上の写真は「くぐつ草」。洞窟のような怪し気な感じがしないでもないが、店内にはジャズが流れ、創立380年という「江戸糸あやつり人形劇団 結城座」の劇団員の手で1979年春に開店して以来、変わることなく親しまれてきた落ち着いた雰囲気がある。

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WBCの歓喜

2023-04-02 12:08:59 | スポーツ・芸能好き

 野球ファンは、今頃は待ちに待ったペナントレースに熱狂するところだが、私は今なおMLBが提供する無料のYouTube動画でWBCが繰り広げた感動の余韻に浸っている(苦笑)。今さらではあるが、準決勝と決勝の印象を書き留めておきたい。

 あの日、打合せから席に戻って、やおらYahoo!のSports naviを開けて見ると、点差は1点に縮まったもののリードを保ち、一球速報に目を移すと、2アウト・ランナー無し(果物チームの梨ではない 笑)で大谷が投げ、バッターにマイク・トラウトを迎えていた。エンゼルスの同僚で、MLBを代表する二人が、この期に及んで日・米それぞれのチーム主将として直接対決するという、なんという巡り合わせだろう。痺れる場面で結果を待つ。3-2のフルカウントの末、三振を奪う。大谷はきっと吠えているだろう。観客は大盛り上がりだろう。その姿を、声援を、思い浮かべながら、オフィスの片隅で音のない静かなゲームセットに、思わず右手拳を突き上げていた・・・。

 野球の醍醐味は、チームプレイを基本としながら、西部劇のガンマンの対決よろしく、個と個がぶつかり合うところにある。最後にこのような対決を用意するとは、野球の神様は実に心憎い演出をされたことだろう。

 いやこの決勝だけではない。準決勝メキシコ戦でも、7回裏に吉田正尚が起死回生の同点3ランを放ち、突き放されてなお、8回裏に山川穂高が犠牲フライで1点を返し、9回裏、大谷翔平が二塁打を放ってベース上でベンチに向かって吠えて士気を鼓舞すると、しぶとく四球を選んだ吉田正尚に続いて、村上宗隆が逆転サヨナラ二塁打を放つという、日本の球史に残るドラマティックな逆転劇を演出された。決勝のアメリカ戦では、8回をダルビッシュが、9回を大谷が締めるという、豪華リレーが見られた。いやそれは栗山監督の采配だろうと言われるかも知れないが、いくら栗山監督が準備していても、最後を大谷が締める展開にならなければ大谷は登板しなかったはずだ(この大会のDHは、投手として登板すると以後、打者としては出られなくなるのだ)。大谷はこの決勝の登板のために、エンゼルスの監督とGMに事前に相談し、快諾を得ていたらしい。大谷と首脳陣の信頼を、つまりは大谷の人柄を感じさせるエピソードであり、かつWBCの知名度が上がりつつある証拠でもあろう。

 野球は筋書きのないドラマだと言われるし、今回は漫画のようだとも言われ、実際に大谷が二刀流の活躍でMVPを獲得するとは漫画のような展開なのだが、本人たちはさながら甲子園で頂点を目指す野球少年に戻って、今日負ければ明日はないという今日を戦って来ただけではないだろうか。そんな彼らに野球の神様が微笑んでくれたのだろう。

 因みに大谷は、30日のメジャー開幕戦に先発し、6回を2安打無失点、10奪三振3四球と好投しながら、後続が打たれて勝ちを逃してしまった。エンゼルスではなくもっと強いチームにいたらもっと数字が積みあがっていただろうとは言うまい。しかし、(ワールドシリーズのように)短期決戦で負けたら終わる、痺れるような緊張感の中で頂点を目指す快感を求めていたのは確かだろう。残念ながらエンゼルスにいたら今年も詮無い夢かもしれない。

 大谷だけではなく、他の選手も、2006年や2009年のWBC制覇のときとは一味違うチームの雰囲気に包まれていたように思われる。それは日本のアスリートが五輪や世界大会のような檜舞台で日の丸を背負ってガチガチに緊張しがちなのとは些か違う戦いぶりだった。野球少年のように緊張しながらも、(ダルビッシュが言うように)「楽しんで」いたようだった。2009年のWBC決勝・韓国戦で同点の10回、ランナー二・三塁でイチローが勝ち越しのツーベースを放ったときの、緊張に包まれつつクールを装っていたのとは対照的だった。チームプレイでありながら、個の実力が世界レベルに近づいているからこその余裕の心境なのかも知れない。

 吉井理人氏は最近の野球事情について次のように述べておられる。

(引用はじめ)

 今は飛び抜けたスーパースターはほとんどいないが、すべての選手のレベルが昔に比べて格段に上がっている。コンディションを整えて最高のパフォーマンスを発揮しないと、通用しなくなっている。

 レベルが上がった要因は、一つには情報が集めやすくなり、練習方法やコンディショニングの知識が成熟してきたからだ。技術の向上はもちろん、選手の体格も変わってきている。それに加え、野球人口が減ってきているので、幼少期から教育の専門化が始まっている点が考えられる。それらの要因によって平均的に上がったレベルを超える優れたパフォーマンスを発揮しなければ、プロ野球選手として生き残っていけない。

(引用おわり)

 そんなプロ選手の中から選りすぐりの逸材を集めたチームが覇を競う中で、個性をぶつけ合い、しかもそれが国別対抗戦だから、WBCが面白くないはずはない。世界的にはサッカー人気にまだまだ及ばないし、アメリカでもバスケやフットボールの人気にまだまだ及ばないが、アメリカが本気になって、今回だってもっと実力ある投手が出場してくれれば、WBCはもっと盛り上がることだろう。それを見た野球少年たちが、次こそは自分が、と技量を磨いて世界の頂点を目指すのを見てみたい。あの日のイチローを見た野球少年たちが躍動した此度のWBCのように。野球はやっぱり面白いのだ。

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