風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

地政学リスク

2018-08-29 23:51:28 | 時事放談
 最近、経済または金融アナリストといった方々の国際情勢に関する発言がやけに目につくように感じる。そして昨今の不透明な国際情勢はマーケットにとって影響が大きいせいだろう、頻りに「地政学リスク」なる枕詞が添えられる。それ自体は大事なポイントだと思う。同様に巷間、元・自衛官の安全保障に関わる発言も増えてきたように感じるが、それはさておき。
 「地政学リスク」と称しているものの実態は、凡そある地域の政情不安に過ぎないことが多い。当該地域の「政治リスク」と言えばよいものを、「地政学リスク」と呼ぶと、なんだか高尚に!?あるいは如何にもまがまがしく!?聞こえるせいだろうか、別にケチをつける積もりはないのだが、「すべて」を「すべからく」などと誤用していることに気づかず恰好をつけるのに似ている、と言っては言い過ぎだろうか。甚だ分析が怪しいのである。
 前置きが長くなったが、日経新聞の「大機小機」という、マーケット欄にある小さなコラムは、小粒でもピリリと辛い山椒のようなもので、毎日、欠かさず目を通すのを楽しみにしていて、今朝は「米中貿易戦争、収束に備えを」と題するもので、興味津々、読み始めたのだったが・・・経済または金融アナリストの方の分析なのだろう、「世界経済は安定成長を続け、企業業績も拡大している(中略)それなのに世界の株価は膠着感が強い。デジタル時代の覇権争いの様相を呈している米中貿易戦争が、投資家を金縛り状態にしているのだ」といい、「逆に言えば、争いが収束すれば世界の株価は一挙に上昇する。筆者は十分あり得るシナリオだと考える」のだそうだ。
 その根拠とするところを、もう少し詳しく見てみると、「中国企業の技術力の進歩によって、中国はコピーする側からされる側(知財大国)に変貌しつつある。米国が非難する、デジタル分野の知的財産権侵害を続ける必要性は薄れている。世界一のデジタル国家を目指す『中国製造2025』も、自力での達成のメドをつけたと言われている」ので、「以上を勘案すれば、中国は今秋にも習近平国家主席がデジタル分野や通商上で思い切った妥協案を出すことが考えられる」のだそうだ。
 私のように産業界に身を置いて接する情報あるいは関心をもって追いかける報道からすると、現状認識はかなり異なる。
 先ず、今般の米中貿易戦争をデジタル時代の覇権争いに矮小化されているようだが、ちょっと甘すぎるように思う。そもそも「中国製造2025」は、世界一のデジタル国家を目指すだけではない。十の重点的な技術領域を挙げ、国産化を通して2025年迄に「製造強国」を目指すもので、十の領域は、①次世代情報技術、②ハイエンド工作機械・ロボット、③航空・宇宙用設備、④海洋工程設備・ハイテク船舶、⑤先進的軌道交通設備、⑥省エネルギー・新エネルギー自動車、⑦電力設備、⑧農業用機器、⑨新材料、⑩バイオ医薬・高性能医療機械・・・といった具合いで、ハイテクは殆ど含まれてしまうほど野心的なものだ。
 それだけではなく、中国は「軍民融合」を国家戦略に格上げして推進しており、これ抜きに中国の技術戦略は語れない。かつて技術開発と言えば軍が主導したもので、コンピューター(電子計算機)は大砲の弾道計算のためだったし、マイクロ波の研究は電子レンジを生んだし、軍用ネットワークは開放されてインターネットとなったし、GPSにせよ、光ファイバーにせよ、軍事用途がそもそもの目的だった。ところが今や民間企業の技術開発が活発化し、さすがのアメリカ国防総省もDIUx(Defense Innovation Unit Experimental)という開発拠点をシリコンバレーやボストンに置いて、民間企業から技術を吸い上げようとしている。中国も同じで、かつて軍事技術は国営企業が独占していたものだが、軍事四証という認証制度を設けて、積極的に民間企業の先端技術を吸い上げようとしている。つまり、アメリカが気にしている「中国製造2025」は、「軍民融合」と絡み合って、軍事技術の覇権争いに繋がるもの、従い世界のヘゲモニー争いが焦点ということになる。グレアム・アリソン教授が「米中戦争前夜」で見立てる「トゥキュディデスの罠」に嵌りつつあるのだ。
 続いて、中国の今の実力はどうなのかという点でも、認識は異なる。中国の特許出願件数や論文発表件数が伸びているのは事実だが、事業撤退した日本企業から引き抜かれた日本人技術者の名前がかなり含まれているという報道があった。また、分野によって偏りがあり、IT関連(コンピュータ技術やデジタル通信)領域では確かに中国の国際特許公開件数は多いが、機械関連(半導体や工作機械・ロボット・制御技術)領域では日本が優れ、化学関連(バイオや医薬品・医療技術)領域ではアメリカがダントツというデータがある(今年の通商白書など)。実際、スマホで使われる半導体の内、中国で自製できるのは現時点ではせいぜい20%と言われている。半導体製造装置に至っては周回遅れも甚だしい・・・とは、その筋の方の話だ。習近平国家主席は、確かに半導体を全て国産化するのだと息巻いているが、この4月にアメリカが中国の国営通信機メーカー・中興(ZTE)に対する制裁を復活させた(正確に言うと、執行猶予を解除した)ことにより、同社がインテルやクァルコム等の米国製部品を調達出来なくなると、中興のスマホ生産ラインは止まってしまった。折しも中国では、「すごいぞ! 中国」みたいな国威発揚の映画が上映されており、スマホは部品レベルから全て中国で製造できると息巻いていたものだから、上映が中止に追い込まれたほどだ。中国がコピーする側からされる側(知財大国)に変貌しつつある、というのは、現段階ではちょっと言い過ぎではないだろうか。
 ただ、中国が技術力をつけ始めており、中国が先端技術にアクセスすることに欧米先進国が相当、神経を尖らせているのは間違いない。中国が通常の商取引を通して先端技術を導入する道が、所謂「輸出規制」によって狭められるようになると、先端技術欲しさに企業を丸ごと買収するような挙に出るようになって、昨秋あたりから欧米日で「投資規制」が強まっているのは報道されている通りだ。2年ほど前だろうか、ドイツのクカというロボット・メーカー(軍事用途も含む)が中国企業(美的集団)に買収されたのがきっかけだった。合法・非合法で先端技術を入手・窃取しようとする中国に対して業を煮やしたアメリカが、8月13日に成立させた「国防権限法2019」は、「輸出規制」強化(法律で規制するまでには時間がかかるため、出来立てのほやほやの先端技術=Emerging Technologiesをどう規制するか検討していくことになる)と、「投資規制」強化を柱にしている。
 こうした中国に対する警戒感が当面の一時的なものなのか、それとも中・長期にわたるものなのかは、ロシアとの関係を見れば分かるように思う。トランプ大統領が、いくら帝王プーチンとケミストリーが合うからと(負い目もあって?)秋波を送ろうとしても、ロシアに対する制裁は、法律上、議会の承認なしに(ということはトランプ大統領の一存では)解除できないようになってしまった。中国に対する規制強化も、先ほど述べたように、議会で法制化された以上、トランプ大統領のディールで簡単に動かせるものではなくなったように思う(関税を除いて)。アメリカの大統領は、絶大なる権力を誇ると言っても、所詮は民主制の中の一つの機能に過ぎない。
 ことほど左様に、経済・金融アナリストの「地政学リスク」の見立ては、意図的に楽観的に見せて投資家を安心させるためなのか、経済に偏り過ぎて政治への眼差しが甘くなってしまうのか、俄かに信用できかねるのだ。
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追悼・さくらももこ

2018-08-27 23:44:58 | 日々の生活
 さくらももこさんが二週間近く前の今月15日、乳がんのため亡くなっていたことが分かった。百恵ちゃんやヒデキ~と言えば懐かしい、ほぼ同世代だから、なおのことちょっとショックだ。享年53。
 実は私は人から本を勧められるのが余り好きではない。自分のアジェンダがあって、なんだか腰を折られる気分になる、へそ曲がりなのだ。だから会社に入った頃、かれこれ30数年前になるが、同期入社の女の子から、面白いから騙されたと思って読んでみなよ、と、大阪出身の私に標準語で言われて、渡されたのが漫画本で、三重にびっくり(がっかり)したのだった。それが、さくらももこさんとの、「ちびまる子ちゃん」との出会いだった。ほのぼのと日常的で、それでいてシュールな小学三年生が、なんとも衝撃的だった。だいたい昔の漫画は、「ちびまる子ちゃん」にしても「ドラえもん」にしても、不条理なほど現実的で毒気があったものだが、いつの間にか文部省が推薦しそうなほど丸~く予定調和になってしまった・・・だからこそ、日曜夕方は、独身時代こそ離れていたが、結婚してから、そしてその後は親子ともども、今もなお「ちびまる子ちゃん」「サザエさん」と連チャンで見てしまうゴールデンタイムとなり、堂々たる「国民的アニメ」の名を欲しいままにしているのだろう。毒気は薄まっても、そこはかとないシュールさは健在であるところに、人気の秘密があるのだろうけど。
 さくらももこさんが大ファンだったという西城秀樹さんを追悼したのは、ほんの三ヶ月前のことだった。私たちのあの頃を体現する人たちが次々と世を去るのはなんとも寂しい。早過ぎる死を悼みつつ、合掌。
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平成最後の夏

2018-08-20 00:19:33 | 日々の生活
 この季節になると平和の誓いを新たにするのが日本人のサガだ。それはその通りなのだが、私なりに思うところがいくつかある。ひとつは、何故“終戦”記念日を祝い、何故8月15日なのか、ということだ。ある人に言わせれば、ポツダム宣言を受諾したのが8月14日(1945年)、調印即発効したのが9月2日、その後、6年間の占領統治を経て、サンフランシスコ講和条約に調印したのが9月8日(1951年)、発効したのが翌年4月28日で、本来、法的に戦争状態を終結し独立を回復した4月28日、あるいは法的に降伏を受け入れた9月2日(これだと“敗戦”記念日になってしまうが)とするのが筋ではないかというわけだ。
 私が滞在した国で言うと・・・アメリカが先ずお祝いするのは独立記念日(7月4日)で、言わずもがな、1776年に独立宣言が公布された日だ。戦争に関しては、メモリアル・デー(5月の最終月曜日、戦没将兵追悼記念日)では兵役で亡くなった全ての戦没者を追悼し、ベテランズ・デー(11月11日、復員軍人の日)では、もとは第一次世界大戦を終結させた休戦条約の締結記念日だったが、今は復員軍人を称えていて、ちょうどメモリアル・デーを補完するような格好で、アメリカらしく合理的にできている。マレーシアには国家記念日(8月31日)が、前身のマラヤ連邦が今から61年前の8月31日にイギリスから独立した日に由来し、戦後に誕生した新しい国家なものだから戦争に関する記念日はない。オーストラリアのオーストラリア・デー(1月26日)は、イギリスから独立した日ではなく、230年前、イギリスからの移民が初めてオーストラリアの土(シドニー湾、実は独立したアメリカに代わる流刑の地だったのだが・・・)を踏んだ日とされる。戦争に関しては、アンザック・デー(4月25日)として、もとはオーストラリア・ニュージーランド軍団(ANZAC)が第一次世界大戦に参戦(ガリポリに上陸)した日を、兵士と国のために尽した人々を追悼する記念日とするものだった。何しろオーストラリアは1901年に独立してからも国家元首たるイギリス国王の代理人である総督(但し名誉職)を担ぐお国柄で、イギリス国王への忠誠心からイギリスが参加した戦争には度々参加しており、今は、第二次世界大戦や朝鮮戦争やベトナム戦争を含め、戦争に参加した全ての兵士のための記念日に変わっている。いずれにしても、国事に殉じた軍人・軍属等を称えるのは当然であろう。
 さて、日本の立ち位置なのだが、初代の神武天皇が即位された日(旧暦の紀元前660年1月1日)を建国記念日(2月11日)とするような国として、悠久の時の流れのたかだか6年の占領統治など何のその、今さら“再”独立を祝うことはないのだろう。戦争に関して言うと、GHQ及び東京裁判史観や戦後の民主教育の中で、軍人・軍属を称えることには心理的な抵抗があったことだろう。敗戦を終戦と言い繕うとは何事かと文句を言う左翼系の人もいた。日本は、地理的に大陸から絶妙に離れていることから(奥座敷にあると形容された方もいた)、かつては白村江の戦いや元寇や秀吉の朝鮮出兵、近代になってからは日清・日露戦争や両大戦など、日本が主体的に関わった戦争は数えるほどしかない中、先の大東亜戦争が余りに悲惨だったこと、また人類史上初めて核兵器の犠牲になったことから、戦争が「終わった」日とともに未来永劫「終わらせる」日として、つまり戦争は繰り返さないという決意のあらわれとして“終戦”記念日を軍人・軍属だけではなく一般市民を含めた戦没者を追悼する日として、玉音放送で天皇陛下から降伏が告げられた日、またお盆でもある8月15日とするのがよいのだろうと、私なりに解釈している。
 私なりに思うところのもう一つは、それにしても確かに平和は大切だが、至高の価値とすべきは自主独立だろうということだ。ひねくれ者の私には平和と言えば「ボケ」がついて回って甚だ印象がよろしくなくて(苦笑)、そんな安穏とした状態を志向するのではなく、自主独立のために努力すること(それはいざというときの戦争や戦争準備だけではない、戦争に至らしめない努力がより重要である)こそ尊いと思うのだ。戦争を忌避するあまり、攻められたら進んで白旗を挙げるというようなことを言った芸人がいたが、戦争の記憶(勿論、本人のものではない)はあっても歴史を知らないから、そんなことが言えるのだろう。戦争がない状態を平和と呼ぶにしても、まあ占領・支配されるのは現実的ではないにしても、たとえば今の中国のように、あるいは中国のシャープ・パワーに晒されるアジアの小国のように、言いたいことも言えないような、物理的のみならず精神的自由がない状態を、甘んじて受けることなど私には出来ない。
 平成最後の夏に、昭和が遠くなるが故になおのこと平和の誓いを新たにしつつ、長らく続いた戦後秩序が(それ自体、良くも悪くもあったのだが)揺らぎつつもあり、自主独立を脅かしかねないような大国の影が忍び寄る気配を感じてうすら寒い思いをするのに、世の中を見ていると何だか手詰まり感が強くもどかしい思いでいるのは、余り心地良いものではない。米中の貿易戦争のことを技術冷戦と呼ぶメディアがいるが、今、始まっているのは秩序を巡る戦争ではないかと思う。
コメント (2)
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子供の生命力

2018-08-16 01:40:39 | 日々の生活
 今日、静かに過ごした73度目の終戦記念日も、海釣り事故やらO26集団感染やら、事件・事故が相次いだ。そんな中、山口県周防大島町で三日前から行方が分からなくなっていた2歳の男の子が、今朝、無事保護されたというニュースには、ほっこりした。災害救助の「72時間の壁」(科学的根拠はないようだが)を超えようかというときだ。脱水症状があって点滴を受けたが、健康には問題がないという。最後に別れた祖父は責任を痛感しつつも神隠しにあったのかと思ったというが、正直な思いだろう。まさに見つからないのが不思議な事件だった。
 見つけたのは警察ではなく、災害や捜索ボランティアとして凄腕で有名らしい大分県日出町在住の78歳の男性で、しかも捜索を始めてからものの30分、なんだか100人規模の態勢で捜索していた警察も形無しのところがあるが、子供だから上に行くと思ったらぴったり当たったという。2年前、大分県佐伯市内で2歳の女児が行方不明になったときに、別のボランティア男性が警察などの捜索区域外の山道を登って崖の下で無事発見したという記憶が生きたようだ。偶然だったのか必然だったのかよく分からないが、いずれにしても良かった。
 それにしても、2歳と言っても、行方不明中の一昨日に2歳の誕生日を迎えたばかりの2歳である。却って動き回らずに体力を消耗しなくてよかったのか、沢の傍だったので水分を取れただろう、今朝は雨がぱらついたようだが、晴れの日が続き、最高気温34度、最低気温24度で、夜は冷え込まなくて良かったろうし、日中も山の中は多少は涼しかったろう、幸運な条件が重なった結果なのだろうが、子供の生命力には驚かされる。お母さんが恋しい年頃だろうに、よくがんばったものだ。
 因みに「72時間」ではなく「3の法則 The rule of threes」というものがあって、血液(血流)なしでは3秒と生きられない、空気なしでは3分間、保温(体温保持)なしでは3時間、水なしでは3日間、食糧なしでは3週間、同行者なし(孤立)では3ヶ月間以上は生きられない、などと英語圏のサバイバル業界では言われるらしい(Wikipedia)。なるほど。水なし3日間というのが72時間に相当するもので、72時間に科学的根拠がないと言われながらも、分からなくはない。
 そして大手柄のおじさんは、大分県内で鮮魚店を営んでいたが、65歳で辞めて、好きな登山を生かして山道の整備をしたり、体力を試そうと日本列島を歩いて縦断したり、被災地のボランティアにも取り組んで、2011年の東日本大震災では宮城県南三陸町で遺品探しを手伝い、その後、復興を願って本州一周徒歩の旅を敢行したり・・・タダモノではない。ブログ・タイトルは「子供の生命力」より「おじさんの神通力」とした方が適切だろうか(笑)。以下のAbema記事には泣けてしまった(苦笑)。記念に全文を引用する。

「大臣が来ようが関係ない。罰を受けても直に家族にお渡ししたかった」行方不明2歳児を発見した男性が会見
2018年8月15日(水)13時30分 AbemaTIMES
 山口県周防大島町で行方不明になっていた2歳の男の子を発見した捜索ボランティアの男性が15日午後、報道陣の取材に応じた。
 発見したのは、大分県の尾畠春夫さん(78)。「学歴もない何もない人間だが、65歳で鮮魚店を辞めて、残りの人生を社会にお返しさせてもらおうと思ってきた」と、全国各地で車中泊しながら、ボランティア活動を行ってきたという。
 今回も広島県でのボランティアを終え、一時帰宅していたが、報道を見て昨日午後に現地入りし、捜索に当たっていた。「大分の佐伯で2歳の女の子を探した経験から、下るということはないと思っていた。不思議なもんで、子どもっていうのは、上に上がるのが好きみたい」と話し、今朝は家族から行方不明になった場所を聞いて、「絶対この上にいるなと確信した」という。
 そして尾畠さんが理稀ちゃんの名前を叫びながら、曽祖父の家の北側にある山を700メートルほど登っていたとき、「おいちゃん、ここ!」という返事が聞こえ、沢の苔むした岩の上に座っている理稀ちゃんを見つけたという。
 「一瞬、心臓が止まりそうな感じがした。近づいて、"頑張ったね"と言って、飴の袋を取り出したら、袋ごと取って手を突っ込んで開けようとした。自分では破れなかったから、開けて渡してあげたら口に入れて、途端にガリガリと噛んだ。この声の出し方、飴玉を袋ごと取って口に入れる様子を見て、これは大丈夫だなと思った」。
 家族に対し「私が抱きしめて直にお渡しします」と約束していたという尾畠さん。「口約束も契約。警察が“渡してください”と来たけど、“イヤです”と言った。言うたことは守る。なんぼ警察が来ようが、大臣が来ようが関係ない。理稀ちゃんの顔を見せたときは、お母さんはもう声が出なかったな。あの嬉しそうな顔は、一生焼き付いて離れんだろうな」と振り返り、「人の命って重いから、何かお手伝いさせてもらえいたいなと思って参加した。尊い命が助かってよかった。“おいちゃん、ここ”と言った時は嬉しかった」と涙を浮かべていた。
 記者に座右の銘を尋ねられた尾畠さんは「朝は必ず来るよ」と答えていた。(完)
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地政学と地経学

2018-08-03 23:51:51 | 時事放談
 数日前の日経(本社コメンテーター中山淳史氏)によると、ワシントンで最近広がり始めた言葉に「ジオテクノロジー(Geo Technology=技術の地政学)」なるものがあるそうだ。地理的環境と政治的リスクの関係を考えるのが通常「地政学」で、ジオテクノロジーは技術をどの国に投下しているかで企業へのリスクが大きく変わり始めたため、地球視野でそれを精査し、リスクを最小化させること・・・なのだそうだ。なんだかよく分からない説明だが、きっかけは中国通信機器大手・中興通訊(ZTE)に対する米国政府による制裁だと聞くと、なんとなく分からないではない。しかし、地球視野と言っても、問題は中国一国が相手ではないのか。中国という特殊な国を巡る議論を一般化することにはやや違和感を禁じ得ないし、最近、軽々しく「地政学リスク」なる言葉を乱発する経済・金融アナリストが多いだけに、やれやれと辟易してしまうところがある。
 ナチス・ドイツの生存圏についての理論的支柱となったとされるカール・ハウスホーファー氏は、ミュンヘン一揆で収監中のヒトラーが「それら(地政学)の概念を理解していないし、理解するための正しい展望も持ち合わせていないという印象を受けたし、そう確信した」と言うが、第二次世界大戦期を通じて連合国の間では、ハウスホーファー氏がヒトラーの侵略政策に大きな影響を与えたという見方が広まったせいだろうか、理由ははっきりしないが、敗戦後の1946年に奥様とヒ素を飲んで服毒自殺を図った(その際、氏はヒ素では死にきれず、割腹自殺に切り替えて死去)という(このあたりWikipedia)。さらに氏は、ヨーロッパにおけるドイツの役割を日本に与えた(つまり日本の生存圏としての大東亜共栄圏あるいはそれに近い構想について示唆した)とされる「太平洋の地政学」を著したものだから、戦後日本では「地政学」なる用語が頗る評判がよろしくない。私が学生時代の頃になって、ようやく地政学に関する本が出たが、タイトルは怪しげな「悪の論理」(倉前盛通著)というものだった(苦笑)。当時はそういう雰囲気を残していたのか、噂される来歴から出版社側が敢えて受けを狙ったのか。著者は亜細亜大学教授で、内容はそれほどおどろおどろしいものではなく、私は友人の下宿の書棚で見つけて貪り読んで、その後、古本屋で「太平洋の地政学」を見つけて購入したし(残念ながら引越しのときに捨ててしまった・・・大後悔)、マッキンダーやマハンの翻訳本は初版のものが今も手元に残っている。
 最近、Ambassador Robert D. Blackwill氏が”War by Other Means: Geoeconomics and Statecraft”なる著作をものしたのを聞いて、次は「地経学」かと(既にジオエコノミクスという用語を使った御立尚資さんとイアン・ブレマーの本は出ているが)やや苦々しい思いで斜に構えていたが、その定義がThe use of economic instruments to promote and defend national interests and to produce beneficial geopolitical results(経済的手段を使って地政学的目的を追求すること)だと聞いて、また先日、ご本人のお話を伺う機会があって、なるほど、戦争ができなくなった現代にあっては経済かと、ちょっと見直したのだった。中国が、軍事的対決は回避しつつ、陰に陽に経済力(一帯一路はその有力なツールの一つだ)を行使して政治的圧力をかける様子、とりわけ最近「シャープパワー」と形容される新たな局面は、まさに「地経学」とでも言うべきものだろう。Blackwill氏は、アメリカには一貫した対策がとれておらず、その準備も出来ていないと批判される。何しろ、あれほどの(中国の)富を一つの政府がコントロールするのは今だかつてなかったことだ、と慨嘆されたのを聞いて、なるほど・・・と唸ってしまった。
 戦後、「地政学」なる言葉が復権したのはキッシンジャー博士のお陰と言われるが、「技術の地政学」はともかく、「地政学」にしても「地経学」にしても、戦略的思考を鍛え、より理解を深める枠組みを提供するのだとすれば大いに歓迎したいところで、ちょっと注目している(この際、「技術の地政学」は「地経学」に包含されるべきではないだろうか)。

注)本編は同じタイトルで大幅に書き直しました
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