勝負の世界には魔物が棲む。勝利は間違いないと確信したところに思いもよらない陥穽が待ち受け、あるいはその逆に諦めかけたところにどんでん返しが起こり、筋書きのないドラマが生まれる。オリンピックのような四年に一度の(今回は三年しか経っていないが)晴れ舞台では、選手たちの思い入れが強く、抱えているものも重いだけに、神様の采配は気紛れに映る。
27日の男子バレーボールで、日本はドイツ相手に勝利まであと一歩というところで勝ち切れなかった。続く卓球では、国際大会で優勝を重ね、第二シードで金メダルも期待された“はりひな”ペアが、初戦で北朝鮮ペアに完敗した。
そうかと思えば、土壇場で勝負強さを発揮することもある。スケートボード男子ストリートの堀米雄斗は、ベストトリックの最終5本目で大技を決め、メダル圏外からトップに浮上し、見事に連覇した。体操男子団体総合では、最後の種目・鉄棒を残してトップの中国に「3.267」もの差を広げられながら、中国の選手が二度落下するようなあり得ないミスに助けられ、奇跡的な逆転優勝をもぎ取り、僅か「0.103」の差で金メダルを逃した前回・東京オリンピックの雪辱を果たした。
私にとって、魔物が牙を剥いた最たるものは、柔道女子52キロ級の阿部詩だったかもしれない。二回戦の残り56秒、一瞬の隙を付かれて谷落としをかけられ、まさかの一本負けを喫した。東京五輪金メダル獲得以降、負けなしのまま、兄妹同日連覇の夢を懸けて臨んだパリ五輪だった。昨秋に腰痛を発症し、10月に予定していた国際大会出場を取り止めても、年明け二大会を挟めばシード獲得は確実だったが、シードに入るよりも自分のコンディション調整を優先して自重し、2回戦では世界ランク一位に当たって、そこで敗れたために敗者復活にも引っ掛からなかった。
立ち上がれなくなるほど、赤ん坊のように「ギャン泣き」したことが物議を醸した。一本勝ちにも喜ばなかった相手選手に失礼だとか、次の試合開始が遅れて運営側から早く退場するよう促されたと批判され、東国原英夫氏は「武道家として如何なものか」と苦言を呈した。普通ならばその通りだろう。ケガなどの特別なことから小さいことまで凡ゆることを、三年またはそれ以上の年月にわたり、この日のために調整して来たのだ。抱えて来たもの、背負ってきたものの重さを、私たちは知らない。出来れば、彼女のいつもの満面の笑顔を見たかった。
国別対抗など今さら古いと、わけ知り顔に言うリベラル系の人がいる。しかしウクライナや中東で、はたまたコロナ禍で、国家の存在感が増しているのが現実である。国家間の確執をしばしスポーツの勝負に昇華し、国家間の壁を超越したところでスポーツが持つ普遍的な感動を分かち合うことにこそ意味があるように思う。