風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

原発と放射線を巡る問題(2)

2011-07-30 02:28:02 | 時事放談
 日本では、放射線や原発問題を巡って、イデオロギー化した発言が多いと、以前、ブログで述べました。結果として、言いっ放しや決めつけなど、議論として噛み合わない一方的な主張や感情的な主張になってしまって、始末が悪い(と私が一人憤慨しているだけかも知れませんが)。こうして建設的な議論はもとより、ある一定の評価が定まるのもまだ先の話のようですが、アメリカでは、一足先に米国の教訓とするための報告書が出ているのを、岡崎久彦さんが紹介されていました。
 米国の有力シンクタンクであるヘリテージ財団が、東日本大震災への日本の対応ぶりをレビューしたもので、「政府が福島原発の状況につき、満足できる情報を提供できなかったので、国民の恐れと不安感を高め、世界のメディアの憶測や誤報を招いた」とし、「日本政府の対応の中で、最も問題だったのは、低レベル放射能にどの程度リスクが有るかを、有効に伝えることができなかったことであった」と指摘しています。これについては、「混乱が生じる理由の一つには、低レベル放射能についてはいまだ多くの科学的論争があることである」と、慎重に留保しつつも、「低レベル放射能の危険は一般に考えられているものより遥かに少ないかもしれない」「現在の基準が危険を過大視していることを示唆する科学的証拠もある」と述べているそうです。
 後者については、2008年の米ミズーリ大学名誉教授のトーマス・D・ラッキー博士の論文で触れたホルミシス効果が有名だそうで、広島、長崎の被爆者8万6543人の健康状態の追跡調査の結果、被爆者の両親から生まれた子供に遺伝子上の奇形児は1人も見つかっていないとか、低レベル放射線を浴びた母親から生まれた子供たちの方が、一般平均と比較した場合、死産、先天性異常、新生児死亡などの比率が低いことから、結論として、低線量放射線は日本の原爆生存者の健康に生涯にわたり寄与したことを示しているというものです。ホルミシス効果とは、生物に対して有害なものが微量である場合は、逆に良い効果を表すという生理的刺激効果のこと、つまり、毒を薄めると薬となるということで、ラッキー博士の報告によれば、がんについては、(一般に言われている1ミリではなく)20ミリシーベルトが最適の数値ということになり、東京大学の稲恭宏博士は、塩をどんぶり一杯食べれば人間は倒れるが、少量の塩がなくては生きていけないと言い、その論文で60~100ミリシーベルトが人間の健康にとっても最適の数値だと言っているそうです。
 俄かに信じがたい説ですが、初期の地球が、オゾン層で覆われる以前は太陽の核融合による熱とともに膨大な放射線を浴び、その中で生命の進化を宿してきたことを考えれば、考えられなくもありません。それだけ放射線の問題については科学的事実の積み重ねがまだ少ないということでしょうか。福島第一原発の問題が起こって、アメリカやフランスが真っ先に専門家を派遣して日本を支援するかに見えたのは、よく言われるようにGEやアレバなどの放射線問題対応企業の売り込みのほかに、原発問題のデータを取ることがそもそもの目的だったのかも知れません。
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中国の体質?

2011-07-26 23:51:59 | 時事放談
 中国浙江省温州市付近で、高速鉄道車両が脱線し、車両2両が高架橋から転落した事故で、中国当局に、何とも形容しがたい対応が見られました。
 事故が起こったのは、23日午後8時半過ぎでしたが、翌24日朝には、落下した追突車両の最前部を油圧ショベルで破壊し、25日までに現場付近に埋めたほか、同25日午前、落下した別の車両の解体作業も始めたと報じられました。更に、同じ25日午前には、事故で不通となっていた同省寧波-温州間の営業運転を早くも再開したと伝えられ、ここまでやるとは敵ながら天晴れと、褒め殺ししたくなりました。文学的に言えば、神は乗り越えられない試練は与えないものですが、彼らは乗り越えられそうもない試練は闇に葬るものと見えますし、政治学や社会学的に言えば、一党独裁は誤謬を許さない、仮に疑われるものがあれば証拠隠滅する、となるのでしょう。
 追突車両の最前部を破壊し埋めた理由について、中国鉄道省の報道官は「作業現場の場所を確保するため」とうそぶいているそうですが、さすがにそれでは事故原因の隠蔽ではないかとの批判がインターネットで高まり、今朝、中国当局は、地上に残っている車両5両の搬出を開始するとともに、埋めた先頭車両の掘り出し作業も始めたそうです。今後二ヶ月間にわたり、各地の鉄道当局が、列車の運行状況や制御系統などについて点検を行うことも明らかにされました。「脱線事故の原因は落雷、とニュースで見たから乗ろうと思った。後続車がなぜ追突したかは知らないが、中国ではすべて公表されないので仕方ない」と、諦めて運転再開した電車に乗りこむ人がいた一方、各地の駅では切符の払い戻しを求める乗客の列ができたとも伝えられ、さらに中国でツイッターを活用する層と言えばかなり開明的と思われますが、そのツイッター中国版「微博」上で繰り広げられている鉄道省の事故処理対応に対する満足度調査で、本日夕方時点で、99%が「ノー」と強い不満を表明するに至ったそうで、さすがの当局も、そうした声や、更には世界中から向けられているであろう疑問の眼差しに、抗しきれなかったものと見られます。
 前半では、期待通りあるいは期待以上にやってくれたなあと思わず嘆息したのですが、後半では、意外に素直な対応に戸惑い、ちょっと成り行きを見守りたいと思います。
 因みに台湾高速鉄道(台湾新幹線)は、昨日、桃園駅近くの施設で一部メディアに対し運行システムの説明会を開きました。この日、訓練用の模擬運転装置を使って、最高速度300キロ/時で運転中、前方に止まったままの列車があるとの想定で、警報が鳴りATCが作動し、ブレーキがかかって1キロ手前で完全停止するまでの様子を公開し、「我々は日本と同じシステムを使っている。あのような事故はありえない」と自信を見せたそうです。なんだか中国が自主技術を自慢したのが裏目に出たような・・・
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中国の実力?

2011-07-25 00:38:12 | 時事放談
 昨日、中国浙江省温州市で起きた高速鉄道列車の追突脱線事故で、死者43人、負傷者190人以上と報道されています。鉄道省は上海鉄道局の局長ら幹部3人を更迭したというニュースも飛び込みました。
 中国の高速鉄道と言えば、北京・上海高速鉄道(中国版新幹線)でも故障などのトラブルが相次いでいますが、最大のトラブルは、日本を抜き世界最高の技術を獲得したと主張し、車両(CRH380A)技術21件について、米国などで特許出願手続きを始めたことでしょう。川崎重工業から東北新幹線「はやて」型車両の技術供与を受け、ご覧になった方ももいると思いますが、流線形の先頭部分や白地に青いラインも含めて外観は「はやて」そっくりで、川重関係者によると、「モーター出力を上げただけで、基本的な構造に変化はない」にも関わらず、です。他方、独・シーメンスが技術供与した車両(CRH380B)も走っていますが、こうした問題が発生していないのは、シーメンスは米国をはじめとして既に特許出願済みのためで、「中国側が独自開発と政治宣伝するのはいつものこと」と涼しい顔で、なにやら日本の甘さが目立ちます。
 それはともかく、ハコモノでは、同等か、タイミングによってはそれ以上のものを導入できても、運行技術については、彼我の差を感じさせました。
 最近、軍事専門家の話を聞いたところによると、中国はかねて「大国で空母を持っていないのは中国だけ」と、空母保有をめざし、旧ソ連製の空母ワリャークを大連で改造中で、練習用空母として運用する計画と言われ、更に上海の造船所では初の国産空母を建造中とも伝えられ、最終的に原子力空母2隻を含む5~6隻体制にするとの観測もありますが、空母部隊の場合、艦載機の運用ノウハウや護衛艦との連携といった技術をこれから学ばなければならない中国に比べ、アメリカばかりでなく、ヘリ空母を就役済みの日本ですらも、運用面で一日の長があると言われます。従い、中国の軍拡と言っても、まだそれほど恐れるに足りないと。
 単体のハコモノではなく、システムになればなるほど、運用の技術が重要であり、経験の積み重ねがモノを言う世界であるようです。
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昔ながらのお相撲さん・魁皇

2011-07-24 00:55:37 | スポーツ・芸能好き
 角界にとっては、八百長問題に続き、もう一つの危機的状況と言えるのではないでしょうか。大関・魁皇が引退を表明し、横綱・大関陣から日本人がいなくなってしまいました。日本の国技、あるいは伝統芸能と呼ぶ方が似つかわしい大相撲に、ウィンブルドン現象を見るのは、決して嬉しいことではありません。
 日本の大相撲は、ただ勝てば良いというものではないという意味で、スポーツではなく、もとより格闘技でもなく、むしろ様式美を尊ぶ伝統芸能と呼ぶべきものだと、これまでにも折に触れ、話してきました。柔道や剣道などの「~道」と同様、修練を積み、技能を身につけ、横綱まで登りつめると、立会いで逃げることなく正々堂々がっちりと受け止め、奇襲や奇策を弄することなく、たとえ相手の得意な形になってもものともせず、力の差を見せつけてなぎ倒すのを横綱相撲と呼んで尊ぶ一方、相撲で「小よく大を制す」と言い、柔道で「柔よく剛を制す」などと言うように、土俵際で大柄の相手を投げてかわす先代貴乃花(貴乃花のお父さん!)の粘り腰や、舞の海の小兵力士故の技ありの相撲にも手を叩いて喜ぶといった具合いに、日本人は、単なる勝ち負けではなく、勝ちっぷりや負けっぷりを話題にして来ました。ただの勝負事では考えられないことです。こんな瑣末なことに拘る民族が他にいるでしょうか。
 魁皇は、「花のロクサン組」と呼ばれる昭和63年春場所デビューの中では、曙、貴乃花、若乃花と横綱に登りつめる中で、遅咲きで、怪我に苦しみながら、若貴が去ってモンゴル勢が台頭する角界を、一大関として陰ながら支えて来ました。私自身は、正直なところ、贔屓の「小さな大横綱」千代の富士の通算勝ち星記録が追い抜かれるのが、内心穏やかではありません。そういう点では、横綱に限りなく近づきながらも残念ながら手が届かなかった、大関にとどまったからこそ却って横綱の引き際などという美学に縛られることなく、長く土俵に立ち続けることが出来たからこそ到達し得た記録とも言えますが、満身創痍の身体を治療しテーピングを施しながら、四股やすり足といった地道な基礎を繰り返すことで体を維持し、最近は大好きな深酒も控え、現役であり続けることに拘るのは、別の意味での偉業と言うべきです。2008年のモンゴル巡業では、時に声援が朝青龍や白鵬を凌ぐこともある、日本人で一番人気の力士と言われ、八百長問題で下された追放処分に不満を持った外国人力士らが本場所をボイコットする動きを見せた時に、魁皇は「力士が相撲を取らなくてどうする」と言って、温和な人柄や真摯に相撲に向き合う姿勢と相まって、危機的状況を収めたと言われ、気は優しくて力持ちといった「昔ながらのお相撲さん」風情(産経新聞)を惜しまないわけには行きません。長い間、ご苦労様でした。
 さて、これから大相撲はどこに向かうのでしょうか。

(追記 2011/07/24)
名古屋場所は、八百長問題からほぼ半年ぶりに正常開催となりましたが、大入りは僅かに千秋楽の1日だけで名古屋場所としては過去最低となり、観客動員数は15日間合計で7.8万人と野球賭博に揺れた昨年をさらに1.7万人下回り、懸賞は542本で例年の5割強にとどまったようです。団体客や企業客といった、不祥事のイメージを嫌う層が離れたもので、固定客はともかくとして、人気回復の道のりは険しそうです。
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なでしこジャパン凱旋

2011-07-19 23:32:31 | スポーツ・芸能好き
 サッカー女子W杯で歓喜の優勝から一日半が過ぎました。私は、当日朝、いつもの時間に起きて、延長戦とPK戦を見ただけだったので、やや控え目に祝福します。決して期待していなかったわけではありませんし、成熟したマーケットで勝つのが難しい男子とは違うなどと野暮なことを言うつもりもありません。やはり世界の頂点に立つのは大変な快挙です。
 そんなわけで、今回は印象に残った場外戦を三つばかり取り上げます。
 一つは、今回のように文句なしに誇らしいことでも、「世界がなでしこを賞賛」(産経新聞)と、ことさらに世間の評価を気にするところが、如何にも日本らしいと思いました。決勝戦で敵となったアメリカからは、「“絶対に負けない”精神を象徴するゴールだった。それはまた、今年初めの破壊的な地震から立ち直りつつある日本の姿勢をも示した」(ニューヨーク・タイムズ)、「復興の過程にある国民にとっては、特に感動的な優勝」(ウォールストリート・ジャーナル)と賛辞を送られて感激し、開催地ドイツからは、「まるで包丁を手にした『スシ・マイスター』のようだ」(南ドイツ新聞・電子版)、「日本選手は(震災という)悲しい来歴だけではなく、すばらしいプレーでも観客を感動させたのだ」(フランクフルター・アルゲマイネ紙・電子版)とお褒めの言葉を頂戴して酔いしれます。サッカー熱が東南アジア随一とされるベトナムのインターネット新聞ザンチでは、「おめでとう日本。あなたたちはアジアの誇りだ」「地震、原発事故と大災害に見舞われながら、日本女子は運に頼らず奇跡を成し遂げた」などの読者コメントが掲載されて、同じアジア人としての共感に涙し、同じアジアでも最近はすっかり冷え切ったライバル意識ばかりが目立つ中国からも、各種ポータルで日本の優勝を「アジア勢初の快挙」「粘り強さが世界を征服した」「日本チームはまるで女子サッカー界の(スペインの名門チーム)FCバルセロナだった」などと褒められて嬉しいはずはなく、韓国の聯合ニュースが「日本は男女含め、FIFAが主管する成人のワールドカップサッカー大会で頂点を極めた初めてのアジア国家という栄誉もあわせて享受した」と報じているのを見つけてあらためて喜びを噛み締めるといった具合いです。辺境文明ゆえの性でしょうか。
 二つ目は、帰国早々の日本代表メンバーの表敬を受けた菅総理が、主将の沢選手に「うまくまとめ上げるのはプロの力量。私も今から勉強するのは間に合いませんが、そういうところを学びたい」と語りかけたのに対し、沢選手は「スタッフやチームメート、応援してくれた皆さんのおかげ」と笑顔で応じたそうで、微笑ましい光景でした。表敬後、記者団に「チームが一丸となり、最後まで諦めないプレーを全面的に出せたのが良かった」と語った沢選手は、記者団から「首相に何かアドバイスを」と問われて「ないです」と微笑んだと、朝日新聞は報じています。素直で良いお返事でした。それに引き替え、午前中の衆院予算委員会で、小池百合子委員から「なでしこジャパン」が優勝したことの感想を求められた菅総理は、「諦めない気持ちが全国民、被災者に本当の勇気を与えた」と称賛したまではよかったのですが、「私もやるべきことがある限り、諦めないで頑張る」と語ったのは、相変わらず空気が読めなくて諦めが悪い。
 三つ目は、蓮舫がインターネット上で「なでしこJapan優勝!!すごいです」と発言したところ、かつてスポーツ振興基金やスポーツ助成事業などスポーツ予算を仕分けした彼女からは言われたくない、白々しいと、ブーイングの嵐だったという話です。事業仕分け自体がパフォーマンスとして民主党のおじさんたちに利用されて、踊らされた蓮舫が気の毒なくらいですが、そうは言っても、やはり政治家たるもの、フィロソフィーなき事業仕分けの猿芝居にはやすやすと乗っかるべきではなかった。なにしろ、小惑星探査機「はやぶさ」にせよ、スーパーコンピューターの性能ランキングで世界第一位を獲得した「京」にせよ、今回のW杯優勝にせよ、結果論とは言え、日本人の勇気と元気の素となったことが、ことごとく事業仕分けの対象だったというのは、やはり考えさせられます。無駄は無駄でも、国民の意識を高揚し文化の華を咲かせる無駄は大いに称揚するのが政治家の器量だろうと思います。
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節電狂走曲

2011-07-18 23:01:21 | 日々の生活
 節電意識が高まるのは良いのですが、後から振り返ると「狂走曲」とでも呼べるような、ちょっと滑稽なまでに行き過ぎの面も見られます。熱中症にかかるお年寄りが増えているのはその一つの悲劇的な極端で、ただ一律に節電を呼びかけるのではなく、何事もメリハリをつけることが大事だということなのでしょう。
 今日から、私の会社でも輪番休日制が始まりました。これから9月にかけて、ロケーション(ビル)毎に、通常の夏休み以外に追加で一週間の連続休暇を順番に取り、その分、土・日や祝日に出勤して輪番休日の埋め合わせをする計画です。私は、世間が祝日の今日、出勤日でした。朝の通勤時間帯は空いていて自宅最寄駅から座って行けましたし、有給休暇を取っている社員が多く、昼の社食も空いていて、通勤も、オフィス勤務も、普段からこれくらい密度が薄ければ、個体間距離も十分にあって、冷房も効きやすく、実に快適なのですが。
 また、オフィスでは、パソコンに“節電ソフト”をインストールして、一定時間、パソコンを使用しないでいると強制的に電源を落として節電に努め、こまめに節電した様子を「見える化」する試みが始まりました。朝、パソコンを立ち上げると、前日の電力利用状況を示すグラフが現れ、電源が落ちている時間帯は「節電」と規定される一方、席にいてパソコンがアイドリング状態の時間帯はよりによって「無駄」などと規定され、真っ赤な棒グラフで注意喚起するという仕組みです。インターネットに繋ぎっぱなしが当たり前で、メールがビジネス・インフラのご時世に、「無駄」とは何事でしょうか。メールやネットをじっくり読んでいる内に時間が来ると突然パソコンの電源が落ちてしまうため、読み続けるために、慌ててそれを押し留めなければなりませんし、誰かと話したり書類に目を通している間に電源が落ちてしまうこともままあります。今ではオフィスの電話はIP化され、パソコンと連動しているので、電源が落ちると電話が繋がらなくなり、パソコンを立上げ戻すと、いちいちIP電話のソフトも立上げ直さなければならないという不便さです。「節電」の大義のため、節電ソフトを導入したと言えばカッコイイですが、実態は、余計な手間を取らせるばかりで、とんだ災難です。これも一つの小さな悲劇的な極端の一例です。
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原発と放射線を巡る問題(1)

2011-07-15 02:44:41 | 時事放談
 原発問題は分かりにくい。私はこの四ケ月間、敢えてこのテーマでの論評を避けて来ました。一つには日本で原子力の問題が、科学的な議論以前に、数少ないイデオロギー論争として語られるという、困った事情があるからです。冷戦構造を引きずる東アジアの一つの象徴のように、日本では、今なお今回の原発問題で原水爆禁止運動や反核平和運動を連想する人がいて、ほら見たことかと、鬼の首を取ったようにはしゃぎ出す社民党・福島某のような人物もいます。もう少し冷静に分析できる人にとっては、例えば放射線被害について、いまだに多くの科学的論争があることが、分かりにくさを助長します。言ってみれば、いろいろな学者や専門家を気取る評論家がテレビや雑誌で好き勝手に話し、お説ごもっともに聞こえるわりに、安全か否かという庶民レベルの関心については、どうも定説がなさそうだ、ということです。端的に100ミリシーベルト以下の低線量被曝を巡って、発がんなどのリスクを示す科学的なデータが乏しく、専門家の間で意見が分かれます。
 そのため、日本学術会議は、先日、「放射線を正しく恐れる」をテーマに、低線量の放射線被曝による健康への影響や国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告などの国際基準について緊急講演会を行いました。同会議・会長代行の唐木・東大名誉教授によると、まさに「放射線に対し、正しく恐れるのではなく、恐れすぎという風潮がかなりある。放射線のリスクはどの程度のものなのか、理解していただく必要がある」というわけです。いくつか紹介します(産経新聞より)。
 佐々木・日本アイソトープ協会常務理事(専門は放射線医学、核医学)は、ICRPの07年勧告を紹介し、最適化の線量基準として(1)年間1ミリシーベルト以下、(2)同1~20ミリシーベルト、(3)同20~100ミリシーベルト、の3つの枠が示される内、今回のような事故時では年間20~100ミリシーベルトで対応するよう勧められているため、政府は年間累積放射線量が20ミリシーベルトを超える恐れのある地域を計画的避難区域と定めたと解説します。
 甲斐・大分県立看護科学大教授/ICRP委員(専門は放射線保健・防護、放射線リスク解析)は、放射線の影響の中でも、低い放射線量を浴びた場合の発がんリスクについて考える場合、重要なのは被曝したときの年齢であるのは、発がんには長い時間がかかり、生活習慣などいろいろな要因で引き起こされるからだそうで、そこまではよく分かります。そして、被曝年齢が10歳だと、成人に比べて2~3倍のリスクがあると言明され、年齢に加えて重要なのが浴びた放射線量で、広島、長崎の原爆データによると、横軸を線量、縦軸を発がんリスクとしてグラフ化すると、右肩上がりの直線型になり、線量が高くなれば、発がんリスクは比例して高くなる(但し低線量である100ミリシーベルト以下では、統計的に影響が出たという証拠がないため、発がんリスクの判断は難しい)というのが世界的な共通認識で、低線量被曝については、いろいろ理論がありますが、科学的データが十分とはいえず、結局、「何ミリシーベルトまで浴びていい」というのではなく、できるだけ線量は少なくすることが重要だというわけです。
 柴田・日本原子力研究開発機構客員研究員/東大名誉教授/総合研究大学院大名誉教授(専門は原子核物理、放射線計測、放射線防護)によると、放射線を浴びてガンになる確率は、主に広島、長崎の原爆被爆者のデータでは、1千ミリシーベルト浴びると5・5%上がると言われ、政府が定める計画的避難区域である年間累積放射線量が20ミリシーベルトに達する地域に50年間住み続けた場合、被曝線量は1千ミリシーベルトに達し、がんのリスクは1年あたり0・11%の増加となる、と言われてもいまひとつピンときませんが、喫煙のリスクと比べると分かりやすくて、却って、ほんまかいなと眉に唾をつけたくなります。すなわち、非喫煙者のガンの危険度を1とすると、喫煙者の危険度は1・6倍に上がり、平均的な喫煙のリスクを放射線に換算すると、年間32ミリシーベルトとなって、政府が定める計画的避難区域の年間20ミリシーベルトの地域に住んだとしても、リスクは喫煙より小さいことになり、結局、非常時の状況をリスクで理解し受容できるかどうかは、個人の判断に任せていいのではないか、子供が心配なので避難したいという人、家畜がいるので残りたいという人、両方の判断があっていいと思うと言われ、学者特有の誠実さと裏腹に独りよがりのニオイを感じてしまいます。
 山岡・岡山大大学院教授(専門は放射線健康科学、生体応答解析学)によると、過剰なストレスが健康を害する一方で、適量であれば好影響を与えるという「ホルミシス効果」があり、適度な運動やインフルエンザ・ワクチンなどの予防接種もこの効果を用いて免疫力を向上させている、というところまでは感覚的によく理解できますが、国連科学委員会が定める低線量(200ミリシーベルト未満)の放射線被曝についてもこの効果があると言え、科学的に実証されつつあると言われると、俄かに信じ難く、結局、これらは研究段階にあり、放射線防護の観点では、発がんリスクをできるだけ抑えるため、「放射線被曝は少ないほどよい」とするICRP勧告を守るべき、と結んでおられて、思わず唖然としてしまいます。
 結局、科学はリスクを取れない、これらが科学の叡智の限界だと分かって、科学的知見に頼ることの浅はかさと、結局、リスクは自ら判断するしかないという、ごく当たり前の定理に思い至ります。
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具体性なきゲームプラン

2011-07-14 01:15:27 | 時事放談
 菅総理は、今日、首相官邸で記者会見し、脱「原発依存」社会を目指す考えを表明しました。その理由として、原発事故が起こった際の被害の範囲の広さ、事故収束に当たっての廃炉に要する時間の途方もない長さから、「これまで考えていた安全確保という考え方だけでは、もはや律することができない、そうした技術であるということを痛感」したということだそうです。「原発政策の見直しを提起するのは、福島第1原発事故が起きた時代の首相としての責務だ」と強調したくなる気持ちは分からなくはありませんし、恐らくその方向性に寄せる思いは、今の日本人の総意に沿ったものに違いなく、反論の余地は乏しいと思われます。それでは、どれくらいの時間的スパンを想定しているのかという、肝心カナメについては明示しませんでした。朝日新聞は「実現のための政治プロセスや原発削減の数値目標、電力需給の見通しなどは具体的に示さなかった」と落胆し、読売新聞も「エネルギー政策の抜本的な転換となるが、具体的な時期や中長期的な電力安定供給の道筋は示しておらず、実現の見通しは不透明」「閣内で十分に議論された形跡もない。場当たり的ともいえる対応」として、実現性を疑問視する声がほとんどです。
 およそビジネスの世界で目標値と時間軸を明確にしないゲームプランはあり得ません。そういう意味で、目標値も時間軸も示すことなく方向性を指示することに、菅総理でなくては出来ないこととは誰にも思えず、その意気込みとは裏腹に、与・野党こぞって交替論かまびすしい中で総理の椅子にしがみついてまで表明するだけの意味が分からず、実に拍子抜けの記者会見だったと言わざるを得ません。更に明らかになったのは、「私が具体的な所まで申し上げるのは、余りにも少し早すぎる」「このエネルギー政策の転換というのはやはりかなりの議論を必要としますので、まさに国会においてもその議論が活発に行われているところであります」と、相変わらず議論を丸投げするかのような責任回避、今回の原発事故については、結局、安全性をチェックする立場の保安院が、原子力を推進する立場の経産省の中にあるという問題に帰着させんとする責任転嫁・・・という、さもしい根性でした。
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宇宙人と地底人

2011-07-13 02:09:44 | 時事放談
 NNNが8~10日に行った世論調査によると、菅内閣の支持率は先月の調査より8ポイント下がって16.1%と、政権交代以降で最低を記録したそうです。一方、不支持は8.6ポイント上がって69.4%に達しました。その結果、菅首相の退陣時期については、「すぐに辞めるべき」38.5%、「国会会期末の8月末まで」35.1%、「今年一杯まで」10.9%、「できるだけ長く続ける」9.6%となり、計74%近い人が8月末までの退陣を求めていることになります。
 菅さんが、これほどの逆風下で、なお総理大臣の椅子にしがみついて、延命に汲々とするとは思いもよりませんでした。一体、総理大臣として何を実現したいのか、総理という地位に何を求めているのか、図りかねます。最近は国民に向かって直接語りかけることもなく、不誠実であり、意図が見えないだけに不気味ですらあります。いよいよ鳩ぽっぽおじさん同様、自分を評価するのは後世の歴史家なのだと嘯き、孤高の海に逃避して自己陶酔に浸っているのでしょうか。危険な兆候です。
 このように、二人には共通点もあり、相違点もあります。
 先ず、鳩ぽっぽおじさんは、誰からともなく宇宙人と呼ばれるようになりました(多分)。そして多分、その発言が、とてもこの世のものとは思われず、地に足がついた地上人のものとはかけ離れて、身を引くときに本人自ら言われたとおり、20年や30年の時空を越えて、(宇)宙を彷徨っていたからだと、勝手に解釈しています。経済的な苦労がない、やんごとなき家柄に生まれ育ったからこそ身に着けた、羨ましいほどオメデタイ性格でした。ETとか、アメリカの児童番組のテルタビーズに似て見えてくるから不思議です。
 それでは菅さんはどうでしょうか。察しの良い皆さんはもうお分かりの通り、私は彼に地底人の称号を献上したいと思います。市民運動家(これはある意味で“縁の下”の力持ちと言えるかも知れない)という三つ子の魂を引き摺って、体制の象徴たる官僚と仲良く出来ないのも損な性格だと思いますが、自分を支えてくれる執行部ともうまくやって行けないのは、我々、地上人とはどこか肌合いが違うと言わざるを得ません。浜岡原発を止めたのも唐突でしたが、最近、ストレステストを実施すると発言したのも唐突でした。発想自体は決して悪くないのですが、手順が無茶苦茶で、思いつきで動くのは、さながら忘れた頃にやって来る地震のようです(この辺りは、かかるご時世でSensitiveなので、これ以上は踏み込みません)。イラ管、と言われるようにワケもなく周囲に当り散らすのもまた、時折ガス抜きをする火山の噴火のようです。また、埋蔵金を頼みの綱にして、16.8兆円の財源を捻出できると豪語して人々をたぶらかしたのは民主党そのものでしたが、それを主導し、今また埋蔵電力などと言い出す始末で、よほど埋蔵されているものに執着がおありなのは、地底人たる性でしょうか。
 宇宙人に続いて地底人の支配を受けて、日本をダメにしたのが、政権交代の実態だった・・・なかなかセンセーショナルでいいと思いませんか。どちらも空気を読めないのは、宇宙にも地底にも空気が薄いので納得します。顔つきも、どことなく能天気で発散した感じの宇宙人に、辛気臭くてどこか暗い雰囲気の(何故か時々意味もなくニヤつく)地底人、というのも、なんとなくよく似合っているような(などと一人合点)。
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支離滅裂

2011-07-12 00:20:18 | 時事放談
 先週、菅内閣劇場では日替わりで事件が起こり、飽きることのない、支離滅裂の一週間でした。
 一週間前に岩手と宮城を訪問して暴言を吐いた松本龍復興対策担当相は、5日、在任わずか9日で辞任を表明しました。実はこの松本氏、昨年9月に環境相兼防災担当相として初入閣していたそうですが、暫く存在感はなかったのに、6月2日に菅総理が辞任表明しながら居座りを続けると、早期辞任を訴える急先鋒となったことから、もしや菅政権にダメージを与える目的で意図的に発言した“自爆テロ”ではなかったかとの臆測も聞こえて来ます。東北の人たちばかりでなく、私のような鹿児島人からも反発を買ったくらいで、代償は決して小さくなく、真偽のほどは定かではありません。
 そんな中、菅総理は6日の衆院予算委員会で、自身の進退問題について、「満身創痍、刀折れ、矢尽きるまで、私の力の及ぶ限り、やるべきことをやっていきたい」と述べました。もはやつける薬はありません。
 翌7日の参院予算委員会で、菅総理は、またしても思いつきで「安全宣言」を覆し、全国の原発でストレステスト(耐性検査)を実施する方針を打ち出したことはご存じの通りです。週末はこのニュースで持ち切りでした。福島第1原発事故の惨禍が二度とあってはならないと、海江田経産相は電力会社に緊急の安全対策を指示し、その取り組みをみて「大丈夫だ」とお墨付きを与え、とりわけ玄海原発をめぐっては、海江田経産相自ら佐賀県など地元自治体に足を運んで再稼働をお願いし、実現は目前でしたが、全てご破算になったと、さすがの海江田経産相もいずれ責任をとると、怒り心頭、否、呆れて二の句が継げないといった様子でしょうか。
 そして翌8日には、玄海原発の再稼働をめぐる「やらせメール」問題で、九州電力の社長が、経産省を訪問し謝罪しました。
 こうしてみると、原発問題を巡って、懲りない菅さんは当事者意識が薄く、責任も十分に感じていないのではないかと疑われます。まさか「市民派は自分たちが好きなことはやるけれども嫌いなことはやらない」などと、かつて雑誌インタビューで抜け抜けと自己分析した元・市民運動家のクセが抜け切らないで好き勝手に振る舞っているわけではないでしょう。せいぜい自民党政権時代に蒔いた種だからと他人事のように思ってやしないか。確かに、ロボット大国でありながら原発で稼働できるロボットすら買って来なければならないほど、安全神話のもとで万が一に備えて無策だったのは、自民党政権時代の大いなる不作為として追及されて然るべきでしょう。しかし、3・11の事故発生後の情報隠蔽や対策の致命的な遅れや今なお原因究明が出来ていない緊迫感のなさは、菅さんのもとでの不作為の罪です。
 原発問題と言えば、今では福島第一原発ばかりが話題になって、反原発の機運が盛り上がっていますが、同じように被災しながら、東北電力の女川原発や東通原発では問題が起こらなかったことを忘れてはならないでしょう。これらの原発の間で何が違ったから問題が起こったのか起こらなかったのか、しっかり評価・検証しないで、原発は危険だと決めつけるのは安易に過ぎると思います。女川原発は、外部電源3系統中2系統が遮断し、使用済み核燃料プールの冷却システムが一時停止したものの、残る外部電源を使い、原子炉を含むすべての冷却機能が復旧し、なんと事務建屋の別館と体育館に一般住民のための避難場所まで提供したそうです。東通原発では電力供給を受けていた火力発電所が止まったため外部電源が遮断されましたが、やはり非常用ディーゼル発電機1台で冷却を継続できたそうです。
 菅さんの心は既に反原発に舵を切っているのかも知れませんが、10年いや20年先のことだけ言うのは、鳩ぽっぽおじさんと変わらない無責任です。もう少し足元を見つめて、少なくともここ10~20年、あらたに原発を建設するのは難しいにしても、代替エネルギーに切り替えるまで、既存の原発施設で使用可能なところの安全を徹底し、日本の社会と経済の持続可能を担保するのが政治家の誠意だろうと思います。
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