風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

コロナ禍⑰籠城じゃ。

2020-04-29 11:27:51 | 時事放談
 全国高校総合体育大会(所謂インターハイ)が史上初めて中止となることが決まった。既に春のセンバツが中止になり、状況次第では十分に予想されたことであったが、集大成となる場がなくなるのは残念だ。私はインターハイなど夢のまた夢で、箸にも棒にもかからなかったが、それでも高校2年の夏の大阪大会(インターハイの予選とも言える近畿大会の、そのまた手前)は一つの目標として盛り上がったものだった(私は中・長距離専門だったので、その冬の駅伝大会をもう一つの目標に、引退した)。今年こそメダルを、とか、優勝を、あるいはスポーツ推薦を考えていたスポーツ・エリート高校生にとって事態は深刻で、まことに恨めしいコロナウイルスである。
 いよいよゴールデンウィークに入ったが、一番困るのは、このまま自粛生活がだらだらと続いて出口戦略が描きにくくなることだろう。今のところ感染者数を見る限りピークを打ったように見えるが、圧倒的に良くなっているわけではない。政府は他国同様、部分的に解除するシナリオを描いていると思うが、日本だけがユルイ対応をしているだけに(スウェーデンはそれ以上とも言われるが)、日本だけがなかなか次のステップに踏み出せないような状況になりかねないことを危惧する。
 私は「すごいぞ!日本」に与するつもりはないし、データも、とりわけ官庁が出すデータに100%の信頼を置くつもりもないが、かかるご時世で、すっかり両極端に分断が進んだ言論空間の中で、自分なりに客観的な状況を把握し、正当な評価を求めたいと思うばかりに、試行錯誤して来た。その意味で言うと、極めてユルイ対応でありながら、ここまでよく持ちこたえて来て、しかし徹底できないのは何故か、この日本人のありようをどう理解すればよいのかというところに関心がある。その意味で、最近、興味深い記事が二つあった。
 一つ目はハーバード・ビジネス・レビュー誌に掲載された『東アジア諸国はなぜ、新型コロナの拡大を抑制できるのか』という論考だ(4/28付、https://www.dhbr.net/articles/-/6694)。今回のコロナ禍では、東アジアが注目されている。中国、韓国、台湾、シンガポール(・・・なぜか日本は外れる 笑)の内、中国は完璧なロックダウンを実施したが(その成果=データは謎に包まれている 笑)、韓国、台湾、シンガポールは、デジタル技術によって個人のプライバシーを制限しつつ、感染者を徹底追跡して封じ込めに成功した(とは、報じられていることを信じるとすれば、であるが)。この論者たちは、「東アジアには集団主義的な精神があり、それが『政府の感染コントロールを受容しよう』という公共心を呼び覚ましたのかもしれない」と結論づけるが、やや奥歯にモノの挟まった言い方だ。
 公共心(≒共和主義)は西欧由来でもある。だからこそ、西欧主要国は、自由・民主主義でありながら、それなりのロックダウンを許容したのだ。しかも韓国に民主主義が発達していると見て「権威主義体制」と一括りにできないために、曖昧な言い方になっているが、私は韓国で民主主義が発達しているとは思わない。最近の韓国を見ていると、儒教が根強く、全体主義的な傾向があって、見た目(制度上)は民主主義だが、中身(メンタリティ)は日本より中国に近い感じがしている。また、シンガポールは、一時期、Wikipediaに「明るい北朝鮮」などと紹介されていたように(微笑)、経済的自由を謳歌する一党独裁で、中国が目指す姿になっている。つまり、私にとって、これらの国々は東アジア的専制そのもの(その現代版)ではないか、と思うのだ(エビデンスの乏しい印象論だが)。ついでに、韓国と台湾については、以前ブログに書いたが、安全保障に対する感度も影響しているように思う。韓国=朝鮮戦争(休戦)中、台湾=大陸を警戒して準戦時体制。
 二つ目は、日経ビジネスのロンドン支局長が寄せた『優等生型、後手後手型……欧州で割れる新型コロナ出口戦略 日本は?』と題する記事で(4/24付、https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00122/042400018/)、西欧主要国の出口戦略を以下の通り分類されている(カッコ書きで私のコメントを付記)。
 ・「即断即決型」・・・オーストリア、デンマーク、スイスなど、人口1000万人以下の小国で、動きが早い(と言うが、要は中・北欧の国々)
 ・「追い込まれ型」・・・イタリア、スペイン、フランスで、早々にロックダウンし、国民生活や経済が限界に追い込まれている(と言うが、要はラテン系の国々)
 ・「後手後手型」・・・英国(独立独歩!)
 ・「優等生型」・・・ドイツ(だから嫌われる(笑) 東ドイツ出身で統制へのトラウマがあるメルケルさんの性格もあったかも)
 そして、日本は現時点で「後手後手型」となるか「優等生型」となるかの分岐にあるという分析は、なかなか秀逸だ。
 結局、日本はプライバシーを犠牲にするアジアでもなく、ロックダウンできる西欧でもなく、その分、誤解や批判も多いのだが、日本型(専門家会議によれば日本モデル)とでも言うべきものは、ハンチントン教授が日本一国で文明をなすと言われたことに通じるし、敬愛する故・高坂正堯教授が「日本は東洋でもなければ西洋でもない」と喝破された通りとなる。
 こうして危機的状況にこそ、民族的DNAが表れるように思う。日本は、飽くまで一般論としてだが、良くも悪くも危機意識が弱いことを痛感する。東日本大震災や台風災害で示されたように、危機的な状況にあっても規律ある行動をとれることにかけては世界一と自負してよいと思うが、(自然)災害列島で、地震・雷・火事・台風などの災害は所詮当たり前だと思うせいか、「諦観」がDNAに組み込まれているかのようだ。そして戦後75年の例外的に平和な環境と、左翼メディアを中心とする戦争や軍事への異様なまでの反発で、日本人自身が骨抜きになってしまったように思う。
 私のお気に入りの小話(エスニック・ジョーク)で、太平洋戦争を振り返って、最高の軍隊をつくるには、将軍はアメリカ人、将校はドイツ人、兵卒は日本人がいい、というのがある。戦後の日本の経済復興や世界第二のGDPを支えたのは、トヨタに象徴的に見られるように、現場の力だ。逆に言うと、リーダーシップが決定的に弱い。民主党政権がダメだったのは骨身に沁みたが、安倍さんでもダメかと思うと(まあまあ頑張っておられると思っているが)、やるせない(苦笑)。世界はポピュリズム全盛で、日本でもSNSや世論を気にしてばかりで、政治の突破力が決定的に劣化している(まあ、そんなこと言えば昔からそうだったかも知れないのだが)。安倍さんに全能を求めるのはお門違いで、立場上、最終責任を負うのは当然にしても、閣僚はしっかり働いているのか、国会は機能しているのか、実に心許ない状況である。リーダーは優秀な専門家を如何に使いこなすかこそ肝心なのだが、最近、大丈夫かいなとちょっと心配になることもある。
 さて今回も、厚労省が発表するデータから、検査人数(退院前の確認検査は含まない)と陽性反応者数、並びにその除数である陽性率について、非常事態宣言以降の日々の動きを追ってみた。一週間に一回の集計などという呑気な自治体(いや、訂正、いろいろご苦労が多いと思う)もあるようなので、移動平均を広めに、前後それぞれ3日の計7日で計算した(そのため三日前までの状況となる)。所詮は目安でしかないが、傾向として、検査人数がほぼ5千人前後で一定する中で、陽性反応者数、陽性率は確実に減っている。

4月     検査 陽性 陽性率
08(水)  4,677 497 10.6%
09(木)  4,647 518 11.1%
10(金)  4,891 527 10.8%
11(土)  4,677 542 11.6%
12(日)  5,188 539 10.4%
13(月)  5,372 528 9.8%
14(火)  5,234 513 9.8%
15(水)  5,092 487 9.6%
16(木)  5,461 463 8.5%
17(金)  5,029 469 9.3%
18(土)  5,223 457 8.8%
19(日)  5,070 448 8.8%
20(月)  5,062 438 8.7%
21(火)  5,161 419 8.1%
22(水)  5,180 390 7.5%
23(木)  4,853 367 7.6%
24(金)  5,142 343 6.7%

 本来であれば、感染者数や陽性反応数や死亡者数などの絶対数ではなく、医療崩壊を招くか招かないか、相対的な状況を把握するに越したことはないが、それは私の能力を超えている。再生産数といった指数あるいは対数的理解も(笑)。
 これまでの様々な知見により、①治療薬の開発、②ワクチンの開発、③集団免疫の獲得、くらいしか収束する状況は見込めないことは、はっきりしている。①と②に時間がかかり、③は場合によっては医療崩壊を招きかねないことから、なんとか騙しだましやって時間を稼ぐしかない。その意味では、先にだらだら続くことが・・・と言ったが、鈴木一人教授がツイートされていたように、「これから長い時間をかけて緩めたり締め付けたりを繰り返しながら感染をコントロールしていくしかない」というのが現実的な姿なのだろう。ロックダウンしないで一定規模の経済を回しながらやり過ごそうとする日本の自粛要請は、中途半端ではあるが、今後の状況次第では成功パターンになり得るように思う。もっとも、こんな日本人がいる日本だからこそ成り立ち得るもので、他に応用できそうにはないのだが(苦笑)
 まだお若い岡江久美子さんが、発熱して自宅待機の僅か3日後に容体急変し、緊急入院してそのまま亡くなったように、最近、軽症の方で自宅待機のまま容体急変して亡くなる方が散見される。その意味では、志村けんさん以上に、岡江久美子さんの死が人々の心理に与えたインパクトは大きかったし、だからこそ、医療キャパシティを十分に保てるよう、行動を制約して行かなければならない。というわけで、今日のブログ・タイトルは、熊本市が作成したポスターから無断拝借した。熊本城の写真と、「籠城じゃ。」のタイトルのもとに「家にいよう。みんなで打ち克とう。熊本市」との添え書きがあるもので、なかなか洒落ている。今回のコロナ禍では、国毎の特徴、日本国内では自治体毎の特徴が明らかとなり、とりわけその首長の存在感が高まった。地方分権化は、もっと早くに進めておかなければならなかったのだろうな・・・(と思うが、何を今更ではある)。
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追悼:岡江久美子さん

2020-04-24 00:14:58 | スポーツ・芸能好き
 岡江久美子さんが新型コロナウイルスによる肺炎のため、今朝、亡くなった。享年63。志村けんさんの場合、感染して入院後、日々、ニュースを見ていたので、心の準備が出来ていなかったわけではなかったが、岡江久美子さんの場合、入院を知らされず、突然の訃報に戸惑っている。
 とてもきれいで聡明で、それなのに気取ったところがなく、明るくさっぱりしていて、ちゃっちゃっと家事でも何でも手際よくこなしていそうな素敵な女優さんだった。ファンを公言するほど追いかけていたわけではなく、むしろ『連想ゲーム』で見かけるくらいだった(『はなまるマーケット』や『天までとどけ』で2~3回見かけたかも知れない)が、同じ『連想ゲーム』に共演し5枠同士で対戦していた大和田獏さんと結婚されたときには嫉妬したものだった(笑)。Wikipediaによれば、「『はなまるマーケット』では、他出演者が話している最中、目の前を飛んでいた小バエを素早く手で捕まえ床に捨てるという荒技や、普段から早口の彼女がさらに早く喋ろうとして噛みまくる失態をしたことがある」とあって、彼女の人柄が偲ばれる。
 ご本人は健康を気遣い、手洗い・うがいを欠かさなかったらしいが、昨年末に初期の乳がんの手術を受け、今年1月末から2月半ばにかけて放射線治療を受けていたことから、所属事務所は「免疫力が低下していたのが重症化した原因かと思われ」るとコメント発表した。日本乳癌学会理事長は、「放射線治療を受けた患者で、まれに肺が部分的に炎症を起こすことや、免疫をつかさどる白血球が減少することもあるが、新型コロナウイルスによって重症化する原因になるほど、免疫力が下がるとは考えにくい」と語っており、放射線を当てるとどうしても肺にかかり、肺にダメージがあった可能性を指摘する声もある。志村けんさんも、禁煙されていたものの長年ヘビースモーカーで肺が弱っていたことが指摘されていた。志村けんさんの急変ぶりには驚かされたものだが、岡江久美子さんも、今月3日に発熱し、自宅で療養していたところ、僅か3日後の6日朝に容体が急変し、都内の病院に緊急入院した後はICUで人工呼吸器を装着したというから、軽症でも安心してはいられないことが窺われる。恐ろしい病気だ。
 旦那さんは、6日にLINEのやりとりをしたのが最後で、顔を見ることも叶わなかったらしい。志村けんさんのときと同じように、感染症ということで死に目にも会えず、荼毘に付されて骨となって戻るのをただ待つことになるのかと思うと、いたたまれない。なんと悲しいことだろう。
 心よりご冥福をお祈りし、合掌。
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コロナ禍⑯巣籠り

2020-04-22 23:41:43 | 日々の生活
 個人的なことになるが、在宅勤務に入ってほぼ三週間が経過した。幸いにも、東京オリパラに向けたテレワーク実証実験なるものを何度か繰り返し、それなりに要領は分かっていたつもりだが、さすがに長期にわたって・・・三週間以上に及ぶことまで想定しておらず、根本的に仕事の進め方や評価の仕方など、覚悟があったわけではないし準備が十分だったわけでもない。いきなり明日から全員テレワーク、のサプライズ指示だった。
 こうして手探りでやって来て、在宅勤務の何たるかが朧気ながら見えてきた。先ず、やってやれないことはなさそうだという発見は、予想できたこととは言えちょっとした驚きだった。まあ、兎にも角にもやらざるを得ないのが実態なのだが。そして仕事の何たるか、巷には日常不可欠な小売りや流通や生産の方々が頑張っていることを頼もしく思うとともに、オフィスにいるだけでは仕事したことにはならないという当たり前の事実を突きつけられ、あらためて立ち尽くす。リモートでオフィスのパソコンに繋いで、反応が鈍いのはイライラするが、今や社会全体がスローダウンしなければならないとき、なのだろう。顔を合わせられなくても、テレビ会議システムのZoomは便利だし、チャットのTeamsもある。それでも、ZoomをやるほどではないがTeamsでは物足りない、隙間に陥るもどかしさは、やはり残る。オフィスにいれば気軽に声を掛けて、立ち話や、聞かれたくない話は会議室に籠ったり場所を移したりすることができたところだ。さらに一日中、無駄話もなく押し黙ったまま、一人ポツ然とパソコンに向かっていると、息抜きのタイミングを逸してしまいがちになる。今、コロナ禍後の話をするのは時期尚早だが、在宅勤務は当たり前にかなり広まるだろうが、オフィスで顔を合わせることのメリットも再認識されたことだろう。腕時計型の活動量計を数多く販売し現在は米グーグル傘下の米フィットビット(Fitbit)が発表した、全世界3000万人のアクティブユーザーの匿名化データを基に分析した結果によると、就寝時間が遅くなる一方、睡眠時間が長くなっているらしい。これには思わず笑ってしまった。私もまさにその通り。普段、如何に無理していたか、週末、爆睡する理由もよくわかる。
 因みに国土交通省「平成31年度(令和元年度)テレワーク人口実態調査」によると、何らかの制度があるのは19.6%、制度があるにもかかわらずテレワークを実施しているのはその内の49.9%、つまり全体では僅か1割に留まるようだ。4月4日に公開された厚生労働省とLINEの「1回目の全国調査の分析結果」によると、「仕事はテレワークにしている」と回答したのは5.6%だった。これは就業の有無まで問うていないので、就業者に絞ればやっぱり10%程度になるのだろう。私の会社を含め、これが日本の現実かと思うと暗澹たる気持ちになる。
 在宅勤務とは違って、ロックダウン、外出自粛に関して、パリ郊外に住む方の話が興味深かった。「軍人や警官が監視のために配備」され、「人々は食料品を買う以外は基本的に外出を禁じられ」、「家の周りのちょっとした散歩や運動のための外出は許可されているが、基本は一人、あるいは同じ家のメンバーのみという限定がつく」のだそうだ。「買い物も含めて、すべての外出は正式な書式に署名をし、常に持ち歩いていなければ罰金が課せられる」とも。それで、1ヶ月もロックダウンが続くと、やはり精神的な負荷が大きいと述べておられる。これまでは「仕事上の私」「子供の学校の先生と接する私」「義理の母に対する私」など、「いろいろな種類の私がいたのに、あっという間に『家庭内の私』だけに集約されてしまって、閉じ込められた感覚になる」のだと言う。つまり「人はいろいろな場所でいろいろな対人関係を築いている」のであって、「ロックダウンは身体的に移動が制限されるということだけれど、実は同時に社会的な関係も一気に縮小しているからこそ、閉じ込められた感覚になる」のだと。
 ジキルとハイドではないが、私も家では親であり夫であり、親に対するときは子供であり、街を歩き電車に乗れば社会の一員の意識を持ち、会社に着けば同僚や部下や上司となり、NPOなどの社外活動では知人や友人となるなど、多様な人格を演じ分けて、仮にどこかで行き詰っても他でバランスを取ることが出来ていた。今は極めて限定した自分しか演じられず刺激に乏しい。戸外を歩いて風を感じ、日差しを浴び、季節の移ろいを感じること、電車の吊り広告やTVモニター、本屋に立ち寄ったとき、電車で乗客を観察するときなどに、社会から受ける刺激に、今は乏しい。人間は社会的動物とは言い古されたことだけれども、孤立すると間違いなく情緒不安定になり、人恋しくなる。
 さて、これまで数回、いろいろデータをいじくって来た。前回は欧米(特に医療レベルが同等と考えられるドイツ)の致死率を当てはめて、欧米の検査実施数レベルでの感染者数を計算しようと試みたが、検査を絞っている日本の方が致死率が低いという意外な事実にぶちあたり、挫折した。今回は、陽性率のトレンドから、市中での感染が広まっているか否かを想像してみたい。厚労省が発表しているデータを使って、2月第3週から先週までの一週間毎に、一日当たりに換算したPCR検査実施人数と陽性反応人数ならびに陽性率を単純計算すると以下の通りとなる。

         検査  陽性  陽性率      特記事項
2月第3週    80  13  16%
   4週   120  16  13%   小中高校の一斉休校(2/27)
3月第1週   988  35   4%
   2週   793  45   6%   WHOパンデミック宣言(3/11)
   3週  1163  42   4%   三連休
   4週  1412 118   8%   東京五輪延期決定(3/24)、東京都重大局面会見(3/25)
4月第1週  2957 279   9%
   2週  4891 527  11%   非常事態宣言表明(4/7)
   3週  5029 469   9%

 当初は検査数を絞っていたため、陽性率すなわちヒット率が高かったのは納得する。3月に入って検査数を増やし始めると、いったん陽性率は下がり、最近、特に東京五輪延期が決定してから検査実施人数が顕著に増える中で、再び陽性率が上昇しているのは、巷に感染者が増えている証だろう。もっとも10%レベルは、気軽に検査して外し続けている印象だと軽く述べる専門家がいて、なかなか印象的なのだが、今はとりあえず措いておく。3月第4週から増えているのを仔細に見るべく、日々の数値を移動平均(当日と前後2日ずつの計5日の平均値)で計算してみると(なにしろ集計値なので、日々の数字は結構、暴れているのだ 笑)、3月26日から増加に転じていることが分かる。3月20日~22日の三連休で感染が広がったと想定されていることと符号する。非常事態宣言から二週間が経過し、上げ止まっているように見えるが、まだ予断を許さない状況なのだろう。
 先が見えない状況こそ不安のもとで、何らかの方向性が見えて来て、新たな指針が出て来るとよいのだが。
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コロナ禍⑮政治的

2020-04-18 20:17:24 | 時事放談
 日本政府が緊急事態宣言の対象を全国に拡大したことについて、海外メディアは相変わらず厳しい目を向けている。「他国の厳格な都市封鎖に比べて非常に弱い」(AFP通信)、「(安倍氏の打ち出す措置は)余りに小さく、余りにも遅いため、有権者の支持を失っている」(ロイター)、「(大規模なウイルス検査を実施した韓国と比べて)日本はいまだに人口のほんの僅かな割合しか検査していない」(BBC)といった調子で、お説ごもっともなのだが、以前、ブログに書いたように、やっかみ半分のニオイは拭えない(笑)。そのユルイ対応の日本で、死亡者数や感染者数が欧米諸国と比べて圧倒的に少なくて持ちこたえているように見えるのが不思議でならないのだろうが、このうち、死亡者数が少ないのは動かしようがないにしても、感染者数が少ないのは検査数が少ないためで、検査が少なければ感染を知らずに広げかねないとご親切にも忠告されるわけだ。感染者数は感染(確認)数に過ぎなくて、検査が少ない以上、潜在的な感染者が多いのはもはや自明のことで、誰もが感染している可能性があることを前提にそれなりに自制した行動がとれる国(日本)では、検査数を徒に増やすことにそれほど意味があるとは思えない。だからと言って、日本だけ特別だと思っていても苦境を脱することはできそうにないのが悩ましい。
 ついでに、欧米メディアがなにかと持ち上げる韓国は、大規模な検査を実施しながら(という意味では欧米基準に沿って)死亡者数や感染者数を相対的に抑えている顕著な例として、日本を批判するための格好の比較対象に祭り上げられているに過ぎないのではないかと疑っている(笑)。実際、韓国の検査数50数万件は日本の5倍、人口を加味すれば実質10倍だが、二都市の巨大クラスター潰しのために検査を強化したもので、その後の増加はさほどではなく、微細クラスター潰しを繰り返してきた日本と、やっていることは本質的に変わらないのではないかと思う。ただ、真の意味で(朝鮮戦争という)戦時下にある国らしく、またSARSやMERSの苦い経験を生かして、中国やシンガポールなどの監視国家並みにスマホの位置情報で人の動きを徹底追跡し、軍や卒業前の医学生を強制動員するなど、有事の行動が国民に受け入れられ評価されていることは間違いない(真似したいとは思わないが、報道の通りだとすれば見事だ)。そして欧米が称賛していることを喧伝して、国民をすっかりその気にさせ、先の総選挙で与党圧勝を実現した。ムードというのは恐ろしいものである。韓国の左派・独裁ともいえる現政権は、実際には経済運営に失敗し、米・中・日との外交関係は停滞し、北との接近も空回りして、成果らしい成果は殆ど無いと言われるにも関わらず、コロナ禍への対応という一点で、1~3月の(惨憺たる?)経済統計が出る後よりその前に総選挙を実施してしまおうとした文大統領の政治決断が結果的に奏功したのだ。この点で、大統領選挙を意識して、経済活動の再開を早めようと焦るトランプ大統領には、新型コロナ対応での危うさを感じる。
 ことほどさように、政治的な要素はある程度やむを得ないのが現実であるにしても、ちょっと懸念されることでもある。日本の政府の専門家会議と言えば感染症の専門家ばかりで、免疫学者や心理学者や精神科医が呼ばれていないと、精神科医がぼやくのを目にしたことがあるが(笑)、実際のところ、感染症学だけじゃなく免疫学やその他の医療の専門家、心理学、(行動)経済学、社会学など様々な分野の専門家の知見を総合した上で、政治が最終判断すべきものだと思いたいところだ。ところが、目玉政策の一つ、減収世帯への30万円給付が一人一律10万円にひっくり返ったのを見ると、支持者からの圧力を受けた公明党が支持率低下を懸念して連立離脱をちらつかせながら安倍さんに翻意を迫ったからだとか、そこには安倍さんとその周辺だけで決める官邸主導への反発があったとか、自民党で一度決まったことが覆るようでは、自民党が得意としてきた党内ガバナンスが危ういとか、聞こえてくるのは政策ではなくお決まりの政局の話ばかりである(まあ、皆さんそういうのが好きなのだが)。さらに官邸主導の政策決定にスピード感が欠けるのは、前例踏襲を旨とする官僚が壁になっているからだとする解説もある。たとえば、安倍さんは世論に押されて検査能力の引き上げを指示してきたが、厚労省は軽症者の入院が増えて重症者支援が遅れれば医療崩壊を起こすと難色を示してきたとか、治療薬として期待されるアビガンの承認手続きやオンライン診療でも、副作用への懸念から、医師免許を持つ幹部職員らが「立ちはだかった」(政府関係者)とされる。そして検査を増やすべきだとか、より強硬な措置に踏み切るべきだとの主張に、外国メディアや外国にいる日本人の声を利用しているのではないかと疑われる事態すら見受けられる。
 そもそもPCR検査を増やすべきなのか、そうでもないのか、この命題自体が政治利用されてきた。検査数が少な過ぎるという声に対して、陽性率は10%程度なので(昨日12時の厚労省データによると、PCR検査陽性者9,167人、検査実施人数106,372)、これだけみると気軽に検査して外し続けている印象だと述べる専門家がいるが、それは措いておく。検査を多くするほど致死率が正確になり全体図が完成できると述べる外国の専門家がいて、それ自体は良く分かるが、隔離や行動自粛など目ぼしい対策がない中で、感染の実態を知ることと感染を予防することとの関係は今一つはっきりしない。また、検査で陽性反応が出れば行動が制約されるので、知らずに感染を拡大する事態を予防できるとする議論があるが、既に行動を最大限抑制することが推奨されている状況にある。検査をしなければ不安になるのは確かだが、検温と同じで、定期的に検査しなければ不安はおさまらないだろう。その意味で、日本感染症学会と日本感染環境学会が、感染症診療のあり方を変えていく必要があるとして、診療に携わる臨床現場などに向けて「新型コロナウイルス感染症に対する臨床対応の考え方」を発表し、軽症の患者に対してはPCR検査を勧めておらず、医療崩壊を防ぐために重症患者の治療に特化することを提言していることには、やはり留意すべきなのだろう。厚労省の意に沿うものだが(笑)、現実のリソースの制約を優先考慮すべきなのだろう。PCR検査は精度管理がとても難しい手法であり、質の高い検査を実施しないと意味が無い、十分な知識と経験を積んだ遺伝子検査に精通する臨床検査技師がいないことには成り立たない、といった立論から、「数」議論ばかりが増幅しすぎていると苦言を呈する専門家がいて、やはり傾聴に値する。
 今回のコロナ禍は、客観的なデータで捉えるのがなかなか難しいために、実相の理解が進まないところが実に悩ましい。それこそ無作為抽出で検査して感染率を定点観測すれば、動向を把握出来るのだろうが、今はそんな悠長なことをやっている場合ではないだろう。そこで、前々回ブログで死亡率、前回ブログで検査数と感染者数について取り上げたのだが、今回は、検査を増やさない中でも感染状況を想像するために、致死率(=死亡者数÷感染者数)について見てみたい。
 最新の厚労省データ(昨日12時時点)によれば、死亡者148(都道府県の公表数185)と、先ほどの陽性者数から、致死率は1.6%(同2.1%)となる。他方、世界全体では6.8%、主要国について単純計算してみると以下の通りとなる。
   フランス    16.5%
   ベルギー    14.0%
   イギリス    13.3%
   イタリア    13.1%
   スウェーデン  10.6%
   スペイン    10.5%
   アメリカ     4.9%
   デンマーク    4.4%
   スイス      3.8%
   ドイツ      2.9%
   オーストリア   2.8%
   韓国       2.2%
   フィンランド   2.1%
   ノルウェー    1.9%
   日本       1.6%
   台湾       1.5%
   オーストラリア  1.0%
   ニュージーランド 0.6%
   アイスランド  0.5%
   シンガポール   0.2%
 あらためて日本は、検査数を絞っているので致死率は相応に高くなることが予想されるのに、そうなっていないことに驚かされる。日本の医療システム(や日本の公衆衛生習慣)はまさに世界一と言ってもよいのだろう。新型コロナ肺炎の診断にはCT(Computed Tomography)が有用と言われ、日本には1万人につき1台ものCTが普及していること(G7では4万人につき1台)も一因だろう。多少なりとも都市封鎖している国が軒並み10%を超えるのはともかくとして、日本の医療制度と比肩し得るドイツや、検査数が多いと称賛される韓国、北欧の優等生フィンランドに至るまで日本を超えており、すっかり裏切られてしまった。日本より低いのは、コロナ禍対応の優等生・台湾や、有袋類が生息し検疫に極端に厳しい絶海の孤島オーストラリアや、極端に死亡者が少ない都市国家シンガポールなどに限られる。実はドイツあたりの致死率を当てはめて感染者数を逆算・概算しようと思っていたのだが、すっかりアテが外れてしまった。そこで、言葉は悪いが他から隔絶されてコロナ禍の格好の実験室と言われた大型クルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号のケースを紐解くと、乗員・乗客3,711人中、感染者(陽性反応)712人、死者10人で、致死率1.4%、しかし高齢者が多かったことを考慮し(ワールドメーターによるとコロナによる死者の92%は60歳以上)、日本全体に当てはめるとすれば、1.4%よりも遥かに低くなることが容易に想像される。一般に実際の感染者は2倍、日本の場合、検査数が少ないため数倍、多くてもシンガポールやダイヤモンド・プリンセス号のケースを当てはめて10倍といったところが妥当なレベルではないだろうか。
 週末の気安さもあって、だらだら長々と書いてきたが、結局、最近の日本医師会の会見で言われたように、今は、医療機関で感染拡大を防ぐ防護服やマスクが不足している事態こそが医療崩壊を招きかねない切迫した状況なのだろうと思われる。これまでブログで見て来たデータから日本が世界の趨勢とかけ離れて異常に頑張っている状況が見て取れるが、世界最高レベルを誇る医療現場を支えるために、私たち一人ひとりが引き続き我慢すべきときだと思う。
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コロナ禍⑭報道

2020-04-15 01:13:04 | 時事放談
 星野源さんが呼びかけて始まったコラボ動画に、安倍さんが自宅でくつろぐ姿を投稿して、叩かれた。もともと安倍さん嫌いの人にとっては、坊主憎けりゃ袈裟まで・・・の心境だろうが、「休業補償もなく休業要請された人はこんなに心にゆとりのある時間が持てるでしょうか」「意図はどうあれこのタイミングでこの動画をあげたらどう見られるか分かってないのかな」などといったネットユーザーの批判的な声を見ていると、行動自粛が長期化して、国民の間に相当不満が溜まっているのを感じる。某ビジネス雑誌のオンライン版でも、政権批判の記事が掲載されたところ、350件を超えるコメントが寄せられ(ということ自体が通常では考えられないレベル)、全部見ていられなかったが感覚的に95%以上が同調し、安倍さんをこき下ろしていたのには驚かされた。こういうご時世だから批判的な声ほど上がり易いということではあるのだろう。しかし、これは著名ビジネス誌であって、左派メディアではない。まるでこの機に乗じて中国の工作員に乗っ取られて攪乱・煽動されたかのような荒れ模様だった(実際にそういうことがあり得るかも知れない 苦笑)。
 国民の不満は、政権への信頼が弱まっているために増幅されている側面があり、モリ・カケやサクラであれば政治はこれだからねえ・・・と諦める人も、自らの命に係ることには真剣にならざるを得ない。安倍さんのようなリーダーが確かな事実を、どのようにコミュニケートするかという問題(所謂リスク・コミュニケーション)が重要であるとともに、それがどのように報道されるかも重要だと思う。2つ例を挙げたい。
 10日の世界保健機関(WHO)の記者会見に関して、共同通信は11日付の記事で、「患者2割のみ他人へ感染 ~日本の調査で判明とWHO」とタイトルして、「東京をはじめとした地域で、感染経路が判明していない例が多く発生していることについては『好ましくはない』としながらも、当局が諦めずに丹念に追跡を続けていることを高く評価した」と伝えた。私もYouTubeでWHOの記者会見(特にNHK記者の質問にWHO関係者が答える場面)を見たが、手短かに概ね公平にまとめられた記事だと思う。ところが当のNHKは、「WHO『日本は感染経路 分からないケース多い』 懸念示す」とタイトルし、ネガティブなところだけ切り取って、暗いトーンで伝えている。今、手綱を緩めてはいけないという善意の報道なのかも知れないが(そう思いたいが)、我慢している国民にとっては浮かばれない。
 もう一つは、「感染者数」に関する報道だ。
 前回ブログで取り上げたように、今回のコロナ禍の客観的状況を見るためには、検査方針や能力に顕著な相違がある以上、結局のところ関連死の数(正確には死亡率)を国別に比較するしかないように思う。それは、どの国にとっても、医療崩壊を招かないこと、すなわち守れるはずの命を守れる体制を維持することが目標だと思うからだ。そして日本はこれまでのところ、感染経路を徹底的に追跡してクラスターの芽を潰すという、検査数が少ないという意味では他国のやり方とは異なるものの、日本人ならではの職人技でなんとか対応してきた。先ほどのWHOの記者会見で評価されたところだ。ところがそれも一部地域で限界を超え、次のステージに移る必要があるというのが、緊急事態宣言だったのだろうと思う。
 ところが、日々、我慢を続ける私たちの目に触れるのは、メディアが報じる「感染者数」だ。特にここ二週間ほどでメディアが伝える「感染者数」が急激に増え、「感染が広がっている」ことに危機感を覚える人が多かったのではないかと思う。それが昂じて、メディアも国民もこぞって「緊急事態宣言」が遅いと、非難の大合唱となった。実際のところ増えているのはPCR検査で陽性反応が出た人の数、すなわち感染者「確認」数であって、「感染者数」そのものではない。厚生労働省のデータによると・・・と言っても、「検査数」を時系列に追おうとすると、たとえば退院する人への確認検査も含めた検査「総」件数は一覧で示されるが、新たにPCR検査した人数となると、日々の報告値を拾っていかなければならず、意外に面倒だ(見落としているだけかも知れないが)。週末の件数などは月曜日に纏めて集計されていたり、千葉県が「件数」を報告していたとして「人数」に直すためにマイナス調整した日があったりするものだから、週という大括りで、大雑把に一日当たりの平均のPCR検査人数を計算すると、3月の間は1千前後だったのが最終週に1.4千となり、4月第一週は3千、第二週は5千と、着実に増えているようだ。これだけ「検査数」が増えれば感染者「確認」数も増えるのは当然である。そんなことは私がわざわざ指摘するまでもなく誰もが分かっていることだが、今、手綱を緩めてはいけないステージにあるという配慮からなのか、「検査数」への言及なしにただ「感染者(確認)数」が増えていると報じられると、煽られているような気がして良い気分ではない。
 ただでさえ、日赤を語り医療崩壊を訴えるチェーンメールや(これも善意なのかも知れないし、善意を利用した愉快犯なのかも知れない)、SNS時代に玉石混交の二次・三次情報に接して、精神的に疲弊している。こうした危機のときこそ「確かな情報」の重要さを思う。
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コロナ禍⑬聖徳太子以来初

2020-04-10 00:56:23 | 時事放談
 コロナ禍にこだわり過ぎると気が滅入って精神衛生上よろしくないので、大概にしたいと思うが(苦笑)、ようやくと言うべきか、一昨日、「緊急事態宣言」が発出され、強制力がないなりに法的裏付けが出来たという意味では、言わば一種のエポックでもあって、備忘録的に書いておこうと思う。
 タイトルの意味するところは、大阪の四天王寺が「宣言」を受けて明日からの閉鎖を決めたのは前代未聞、すなわち聖徳太子が創建した593年以来初めてのことで、実に1427年間なかったというので、Twitterトレンドにランク・インしたらしい。まあ、病気の原因が分からない時代は対策のとりようがなかったので、「宣言」が出ること自体が1427年もの長い年月の中では比較的最近の事象と言うべきだろう。
 この「宣言」は随分な難産で、痺れを切らした地方の首長や東京都医師会から突き上げもどきがあり、私権の制限には慎重なはずの野党や左派メディアからも遅さを批判され急かされるほどの異常(?)事態となったが、特措法という法的根拠に基づき不要不急の外出の自粛要請や、学校や映画館などの使用停止や制限の要請・指示などが行えるだけに、ただ「宣言」すればよいというわけではなく、補償措置として、ちゃんとした経済対策を練り上げる時間が必要だったと首相周辺が漏らしたのも、よく分かる。108兆円という、予想を上回る事業規模の緊急経済対策(その実効性はいざ知らず)を発表してからの「宣言」となった。毎日新聞が8日に実施した緊急世論調査によると、「宣言」発令を「評価する」との回答が72%(「評価しない」は20%)、発令時期は「遅すぎる」との回答が70%(「妥当だ」は22%)と、意図したわけではないだろうが機は十分に熟していたことが読み取れる。
 海外の主要メディアからは、厳しい見方が出た。欧米諸国の非常事態宣言などと比べて「大胆な措置を取るのが遅い」「強制力も罰則もない」と言うが、そのユルイはずの日本がこれまでぎりぎり「持ちこたえて来た」ことへの当惑、と言うより、やっかみとでも言うべきものが多分に含まれるように思われる。CNNは、集中治療室(ICU)のベッド数や検査数の少なさのほか、人工呼吸器の不足で医療崩壊への懸念が広がっていると報じたのは、まさにそのための「宣言」だったのだが、厚生労働省が本日正午に発表したデータによると、入院治療を要する者等3998人の内、人工呼吸器又は集中治療室に入院している者109人で意外に少ない(ほかに症状の程度確認中356人という位置づけがいまひとつ不明だが)。ほかの内訳は軽~中等症2227人、入院待機中43人、症状有無確認中1263人となっている。
 「持ちこたえて来た」証拠として、感染率や致死率では、感染数が国の方針によって異なるので適切とは言えず、死亡率(全人口に占める死亡者数)で比較するのがよいのだろう。あちらこちらで見かけるデータではあるが、厚生労働省が本日正午に発表したデータを拾って自ら計算してみたところ、人口百万人当たりの死亡者数は以下の通りとなる。

   スペイン    314人
   イタリア    298人
   ベルギー    195人
   フランス    167人
   オランダ    132人
   イギリス    107人
   スイス      82人
   スウェーデン   69人
   アメリカ     45人
   ポルトガル    37人
   デンマーク    36人
   オーストリア   31人
   ドイツ      29人
   ノルウェー    13人
   カナダ      12人
   フィンランド    6.2人
   韓国        4.0人
   豪州        1.8人
   シンガポール    1.1人
   日本        0.7人
   台湾        0.2人

 日本は桁が違うのである。欧米の人や日本の左派メディアがこれを見れば、日本は何か誤魔化しているんじゃないかと疑いたくなる気持ちはよ~く分かるが、諸外国から優等生と呼ばれる台湾と並び「持ちこたえて来た」状況にあるのは明白であろう。数字に信用が置けそうにない国を外した結果、一部で医療崩壊が起こるなど大混乱に陥っている欧米との比較が中心になってしまうのは、意図したわけではない。通常の肺炎で亡くなった方の中に新型コロナに感染した方が隠れているのではないかという議論があるのは承知しているが、国別比較を見る場合には、他国も似たような(端的に、それどころではない)状況と想像されるので捨象できるだろう。因みに、「宣言」が発出された対象地域の東京都は突出しているが、それでも倍の1.3人、大阪や神奈川は全国平均並みの0.7人である。本来、国毎の個別事情を考えて、「医療供給上限を超過した(していない)数」などを考えるのが妥当なのだろうと思うが、絶対数も一つの参考指標となるのは言うまでもない。
 それにしても日本をはじめアジアの国々がこれまでのところは「持ちこたえて来た」ように見えるのは、何か理由があるはずだ。専門家会議が指摘するように、国の医療体制(社会保障制度を含む)や国民の行動(公衆衛生・健康に対する意識と実践、さらに健康状態(持病の有無)そのもの、同調圧力や規律ある行動の傾向)が影響するのは間違いない。これらの前提として、貧富の差や貧困率との相関もありそうだ。さらに、私のような素人が期待することが2つ話題になっている。
 一つはBCGワクチンの有効性で、新型コロナ肺炎の死亡率とBCG接種政策との間には明らかな相関があり、オーストラリアなどで臨床試験が始まっているほどだ。BCGワクチンは結核菌に対する「獲得免疫」(病原菌に晒されて得られるもの)だけでなく、「自然免疫」(生まれたときから持つもの)も高める可能性が指摘されており、BCGワクチンが新型コロナウイルスを直接的に防ぐわけではなく、免疫系を高めることで抵抗力の向上と感染の軽減に繋がる可能性があると言う人もいる。
 もう一つは紫外線の有効性で、例えば日本の4月の紫外線はまだ弱く、ウイルスを死滅させるには日光を1時間以上当てなければならないが、6月には紫外線量が飛躍的に増え、実験室で使う紫外線と似た効果が期待できると言われる。偶々ではあるが死亡率の主な比較対象となった西欧諸国は、相対的に紫外線が弱いのは事実だ。そのため、日本の場合、5月末から6月頭には本格的に終息し始めるのではないかと(今は大っぴらに楽観的なことを言える状況にはないので、控えめに)主張する専門家もいる。
 ・・・なんて期待せずに、平均的な潜伏期間14日を考えれば今後二週間の結果は予断を許さないが、二週間後以降に向けて、今は我慢のときだ。海外の主要メディアの期待を裏切るためにも・・・

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コロナ禍⑫日本モデル

2020-04-04 20:01:28 | 時事放談
 4月1日の専門家会議で「日本モデル」という言葉が出て来た。東京外大の篠田英朗教授は10日ほど先行してこの言葉を使われていた。如何にその一部を引用する。

(前略)日本の事例は、中国のような「権威主義」型の対応でも、欧米諸国のような「緊急事態」型の対応でもないように見える。それはいわば「努力要請」型の対応だ。だからわかりにくい。この「日本モデル」がいったい何なのか、もう少し日本人自身が自覚的に考え、自分たちで語ってみることが、必要ではないだろうか。(中略)この「日本モデル」は、欧米諸国をはじめとする諸外国が導入している措置と比べたら、格段に穏健な措置である。そうだとすれば、今後、諸国が規制を段階的に緩和していく際に、「日本モデル」の試みは重要な参考事例になるはずだ。(後略)(3月26日の論考「新型コロナが欧米社会を破壊…『日本モデル』は成功するのか」から)

 専門家会議によれば、「日本モデル」は、「クラスター対策」、「医療体制」、「国民の行動変容」という三つの柱からなる。この内、クラスターの早期発見・早期制圧が中核をなして感染拡大を抑え、さらに(感染者数は意図的に抑えられているとの批判はあるものの)世界に誇る日本の医療体制が感染がらみの死を抑え込み、自粛疲れが懸念されつつも、日本人は粛々と「三つの密」を回避する行動をとってきた。しかし最近は、クラスター対策班のリソースが追い付かないレベルになりつつあるようだし、厚生労働省が2日前に、感染拡大している地域で軽症者や無症状者については自治体が用意する施設やホテルや自宅での療養を検討するよう通知したように、病床のリソースも限界に近づきつつある。
 この「日本モデル」に近いものが欧米諸国の中にも見られるのを知って意外に思った。ニューズウィーク日本版に寄稿された木村正人氏によると、スウェーデンでは、自己隔離、社会的距離の推奨、イベント禁止、休校措置などをとっているものの、都市封鎖はしていないらしい(英インペリアル・カレッジ・ロンドンのニール・ファーガソン教授らの報告書から)。ウイルスとの戦いは短期決戦ではなく長期戦になるのは不可避であることから、国家による規制より、市民の自主性、個人の自由を重んじた市民の「大人の対応」を求めているといい、「スウェーデンの社会契約は歴史的に市民の国家への信頼、国家の市民への信頼、市民間の信頼に基づくとされる」(木村氏)ところは、かねて福祉政策が充実し、勤務形態も柔軟で、在宅勤務も進んでいると聞く同国ならではのことで、まあそういうものかもとは思うが、欧米的な社会契約論が必ずしも馴染むわけではない日本にも、国家と社会の信頼関係ということではそれなりに妥当するのではないだろうか(最近の“反アベ”は措いておいて 笑)。「スウェーデン公衆衛生局は当初の英国と同じくワクチンができるまではゆっくり感染を広げて、抗体を持っている人が壁となって感染を抑制する集団免疫を獲得しようと考えている」(同)そうだが、日本では明確に集団免疫とは言わないものの、感染ピークを抑えて時間を稼いでワクチンを待つという点では似ている。もっともそのスウェーデンでも、医師や学者らがより厳しい措置を講じるよう求める請願書を政府に提出したらしく、日本と同様、どうやらぎりぎりの対応になっているように思われる。
 なお、木村氏は、篠田氏の三類型に加えて、4つ目として韓国やドイツのPCR検査のローラー作戦を挙げておられる。見えない感染者をあぶり出し、隔離して感染を封じ込めるもの、ということらしいが、韓国の場合は一部の都市で巨大クラスターを封じ込めたものであって、他とはやや毛色が違うような気がする。
 さて、篠田氏が、様々な意味で「日本モデル」の象徴になるだろうと言われる安倍さんの「マスク配布」については、どうも評判がよろしくない。欧米では元々マスクは重病人がつけるものであって予防にはマスク不要との考えが一般的で、マスクをした東洋人が襲われる事件まであったほどだが、最近は「マスク着用が定着しているアジアでは感染が抑えられている」「飛沫を防止し、他人に感染させないために有効」という見直し論が医師から相次ぎ、義務化の動きが広がっているようだ。それなのにマスク入荷があると列をなす日本で「アベノマスク」などと揶揄されるのは、日頃の信頼感の欠如に加え、所得補填などの本質的な対策が遅れていることが不満なのだろう。私はマスクが手に入らないので、エチケット用に使うには有難いと期待する例外的な?一人だが(笑)、他にもっとやるべきことがあるだろう、とか(というのはその通りと思う)、もっと前に打ち出されていたのなら分かるが、とか(しかし長期戦になりそうなのでマスク不足は引き続き深刻だと思う)、何より医療用をなんとかせい、とか(というのは、やっているからこそ、一般への布製配布なのだと思う)、いろいろ不満が聞こえてくる。さらに普通のマスクをもっと市場に出して欲しいという要望があって、これはそれなりに本質を突いているように思う。
 トイレットペーパーはほぼ100%日本製と聞いていたが(その筋の人の話によると、200mほど水に流れて紙が溶けてしまうような技術は日本にしかないらしい)、マスクは確か7~8割は中国製と聞いていた。恐らくその中国製が入って来ないのだろう(中国は自国で製造するマスクを自国および他国支援に使っているのか・・・)。トランプ大統領は、暫く前に、ああいう性格なものだから、マスクなどの医療品を他国に依存するべきではない、内製化の必要があると、率直に口にしていたが、日本ではそのような声は(中国に忖度して?)なかなか聞こえてこない。
 経産省によれば、国内メーカーは24時間態勢で通常の3倍の増産を継続、3月は中国などからの輸入を含め6億枚超の供給量を確保し、4月は7億枚超の供給を見込み、異業種のシャープも参入し(実は親会社の鴻海は中国大陸でスマホだけでなくマスクも自製し自社従業員に配布していると聞く)、液晶ディスプレー工場のクリーンルームを使って1日約15万枚を国内生産している、という。「中国などからの輸入」がどれほどの規模に戻っているのか知る由もないが、参考までに、過去はそもそもどれ位の流通量があったのか調べてみた。一般社団法人 日本衛生材料工業連合会のデータによれば、2018年の国内生産11億枚、輸入44億枚、計55億枚とある(産業用、医療用、家庭用を含み、それぞれ5%、18%、77%)。これが世の中のどれほどのカバレッジになるのかは分からないし、毎月均等ではなく春先の花粉症対策で大量に流通するであろうから、そもそも単純計算で一人当たり月当たり5~6枚に過ぎない月6億枚とか7億枚は、それほど少ない数量ではなさそうだが、需要期、しかも今は花粉症に悩む人だけでなくほぼ全国民が望む状況にはとても足りそうにない。店頭で欠品状態なのは、医療用や産業用(要は事業者用)が増え、さらに一般消費者の長期戦を見込んだ買い溜めのせいでもあろう。
 何が言いたいかというと、マスクだけでなく、中国への過度の依存については、やはり安全保障上のリスクを顧みるべきだということだ(が、もう遅い)。だからこその伝統的な善隣外交や全方位外交だったのだろうが、危機的な状況では必ずしも機能しないという不安が現実化している中、都合が悪いことには目を塞いでいるように思う。
 「日本モデル」そのものからは話が逸れてしまうが、その「日本モデル」を支える医療用品のみならず、食糧にしても(とは、いわゆる食糧安保)エネルギーにしても(とは、いわゆるエネルギー安保)、他国に多くを依存する日本は脆弱な国だという思いを今更ながら強くする。4月1日付でNSSに経済班ができた(既に10月に準備室が出来て、新型コロナ感染拡大地域からの入国拒否はここで検討された)のを機に、かつて(エネルギー危機後に)故・高坂正堯教授が提起された「総合安全保障」を、コロナ危機の今、あらためて考える必要があるように思うのだ。まあ、戦後75年、他国に安全保障を委ねて不安に思わない国民性は、そう簡単には変わらないのだろうけれども。
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